六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

神はまさに細部に宿りたもう

2011-08-31 17:17:45 | 写真とおしゃべり
 「神は細部に宿る」という言葉があり、私も時に用いたりします。
 その文面からしてキリスト教に関連したもので、「神はその天地創造に関わる際、細部にもちゃんと目配りを怠らなかった」という原義から発展して、様々な意味に用いられる様になったとばかり思っていました。

         
          さて、この石垣状のものは? 答えは末尾

 しかしどうやら違うようで、実際にはうんと新しく、ドイツ(後にアメリカへ)の二十世紀モダニズム建築家の巨匠、ルードヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(1886~1969)という長ったらしい名前の人が言い出した言葉で、巨大な伽藍といわれようともディティールができていないのではダメだといった意味らしいのです。

       
       クサイチゴ 実際には木苺なのだが背が低いから 食用になる

 英語でいえば、God is in the details. ですがこのひと、ほかにも、Less is more. (少ないことはいいことだ)などとの言葉も残していて、なにか格言的な言い方を好んだ人のようですね。

       
        バッタかイナゴの赤ちゃん 人間と一緒でまだ頭が大きい

 ただしこの言葉、そうした造形以外では、例えば思想や哲学などの論争の場面にも使いますね。ちょっとした概念の違いが全く違う結論に至るということで、曖昧な物言いへの批判として用いられたりします。
 私などがさしずめそうした批判の格好の標的でしょうね。

       
      高さは5センチに満たず葉は1センチぐらいですがちゃんと樹木です

 ところで、私自身はどちらかというとこの言葉を、最初に述べた神の天地創造のディティールの素晴らしさといった意味で受け止め、ものごとを感嘆して眺める場合が多いのです。宗教的色合いを除くとすれば、宇宙誕生以来の、とりわけ地球という奇跡の星での進化全般についての驚嘆といっていいでしょう。

       
          最初の写真はこのソテツの樹の幹(左端)でした

 「神は細部に宿る」は、たかが建築(建築家のみなさんゴメンナサイ)での格言にとどめておくには惜しい素晴らしい言葉だと思います。
 

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ゴミ箱へゆく前に  雑文へのレクイエム

2011-08-29 15:26:43 | ラブレター
        

  パソコンの画面が乱雑すぎるのです。
 書きかけた文章や、メモがわりにとってあるフォルダなどが未整理なままで散らばっています。それらが仕事などで必要なものと渾然となっています。
 近く、あるプレゼンテーションにこれを持参することになっているのですがこのままでは恥ずかしくて開くこともできません。
 そこでなんとか整理をと思ってひとつひとつのアイコンを開いていったのですが「なんでこんなものを」というものが多く、それらは即ゴミ箱ゆきです。

 で、ある文章を開きました。それは昨年書きかけた小説もどきのもので、原稿用紙にして10枚近くまで書いたのですが、読み返してみてどうも陳腐の域を出ないと思って放棄してあるものでした。
 ゴミ箱に捨てる前に冒頭だけをここに転載します。

 仮に付けたタイトルは、「路面電車が走る街で」です。
 どなたか続きを書いてみませんか?

        


 駅頭から久々にみる豊橋の街は、雨上がりのそれのように眩しかった。
 往時、まだ丸物という百貨店があり、それが西武に変わり、そしてそれすらなくなってしまったのだから、何年というより何十年ぶりというべきだろう。それでもこの都市の名を聞くたびにどこか胸がうずく思いがしたものだが、今日のこの訪問によってそれがまたどう転ぶのか、なにか新しいページが開かれる予感はあったものの、それが何であるかは皆目、分からないままであった。

 そのメールが届いたのはもう二週間ほど前になるだろうか。
 「浜中楠夫様
 同人誌ご発刊との由、おめでとうございます。昔の友人からうかがい、早速入手致しました。その奥付にあなたのメール・アドレスを見つけ、ぶしつけながら突然メールをさせていただきましたが、無事届きますでしょうか。そしてまた、私のことをまだ覚えていらっしゃいますでしょうか。
 もしご迷惑でなければ、このメールが届きましたかどうかのみでけっこうですから、ご返信をいただけませんでしょうか。それ以後のお話はあなたのご返信次第にさせていただきます。 倉橋芳子」

 彼女のことをずーっと覚えていたというと嘘になるだろう。むしろ記憶の底に沈むにまかせてきたといった方がいい。しかし、何かの折にそれが表層へ浮かび上がったりすると、し残してきた宿題を指摘されたような自責の念に囚われ、いやいやをするように首を振って再びそれを記憶の底辺へと追いやるのが常であった。
<以下没>

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八月の終わりの入道雲(詩ではありません。メモです)

2011-08-28 02:54:39 | 写真とおしゃべり
一夏のトレーニングを終えて
いっそう立派に聳え立つ
八月の終わりの入道雲たちよ
まことに立派な姿態ではないか

   

水蒸気の造形とは思えないほど
ボリューム感があるし
気体や液体の集合とは思えないほど
確かさがある

   

しかしその成長の頂点は崩れの開始だ
てっぺんは上空の風にあおられ
下方では激しい水滴となって失われ
さすがの威容も変容を迫られる

   

入道雲にも最後の輝きがあり
もっとも美しくなる瞬間がある
それは全く皮肉にも
秋の到来がもたらすのだ

   

秋の気配につれて空の色が変わる
青いとはいえ少しくすんだ夏空から
それらの雑味が浄化されて
青空はいやましに青くなる

   

まさにそのときなのだ 
青空が広く高く色づき
透明感が鮮明になるにつれ
季節外れの入道雲はいっそう映えるのだ

   

滅びの美学などとはいうまい
それは完成の美学だからだ
完成の完が終わりであるとしたら
より良く完成したものがより良く終わるのだろう

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【くわいだん】幽霊に出会う

2011-08-24 03:19:58 | よしなしごと
       

 映画を観てから小雨にけむる広小路通りを歩いた。
 こんな彫刻に出会った。
 写真で見ると大きく見えるが、子どもたちの身長は50センチぐらいか。

 笹島の交差点に着いた。
 名古屋駅方面を見やると小雨と夕闇にツイン・タワーがうっすらしていた。

          

 その近くで行われた若い人たちとの会に出席した。
 年に二、三回一緒に勉強会をしている仲間たちだ。

 会合を終えたら9時半近かった。
 カラオケにゆくという若い人達と別れて私は帰途に。

       

 岐阜駅へ着いたが雨はまだ降り続いていた。
 もう自宅近くのバス停を通るバスはない。
 すこし離れたバス停を通る路線の最終に乗る。

 そのバス停に降りた頃には幸い雨はほぼ止んでいた。
 歩き始めた。
 すこし歩いたら向こうに幽霊が待っていた。
 長い人生、こんなことは初めてではない。

          

 初めて出会ったのはやはり夏、名古屋のとある橋の袂であった。
 白っぽい衣服をまとったそれは、私を待っていてこういった。
 「ねえ、学生さん、遊んでかない」
 
 20歳になったかどうかの純情可憐な美青年にはひとつの試練であった。
 「あ、あのう、結構です」としどろもどろに答えた。
 「そう、じゃまたね」と幽霊はすーっと離れていった。

          

 今度の幽霊は近づいても何もいわなかった。
 近くでフラッシュを焚いて撮った。
 ネット状のものをてるてる坊主のようにしつらえたのが正体であった。
 身の丈160センチぐらい、夜目で遠目には人が佇んでいるように見える。

 誰かのいたずらだろうか。
 それとも何かへの祈りであろうか。
 その幽霊がいる角を曲がって家路を急いだ。
 途中の鎮守の森は黒々と闇に沈んでいた。
 その森の奥で、蝉が一声、夜鳴きをするのが聞こえた。

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【映画】『サンザシの樹の下で』を観る 核がらみ???

2011-08-22 03:11:37 | 映画評論
 チャン・イーモウという監督に注目したのは1987年の『紅いコーリャン( 紅高梁 )』以来でした。その後、『活きる (活着) 』(1994)、『あの子を探して (一個都不能少)』 (1997)、『初恋のきた道 (我的父親母親) 』(1999)、『至福のとき (幸福時光 )』(2000)などの作品を、変貌する中国の時代背景をもったリアルな映像として堪能してきました。

 そのチャン・イーモウが、ハリウッドに絡め取られ、大スペクタルを撮り始めたのは今世紀に入ってからでした。『HERO (英雄 )』(2002)や『LOVERS (十面埋伏)』 (2004)などがそれで、CGやワイヤー・ワークをふんだんに駆使した華美な映像は、「え、これがチャン・イーモウ?」と少なからずの驚きを与えたものでした。

         

 その当否はいいますまい。映画監督が様々な経験をつむことは悪いことではありません。
 そのチャン・イーモウが、久々に中国の大地に根ざした映画に復帰したというのがこの『サンザシの樹の下で』(2010)です。
 路線としては『初恋のきた道 』の純愛ものになるのでしょうが、それが悲劇に終わる点では幾分違います。時代背景はともに文革ということなのですが、その抑圧の体制が若い二人の恋をストイックに留めるということに利用され、その悲劇性を盛り上げる一助にしか過ぎないのではないかというきらいがあります。

 それを抜きにしたら、こうした悲劇は日本のTVドラマなどで古くから使い古されてきた手法で余り新味はないといえます。

          

 しかし、しかしです、この映画にはうっかりすると見逃してしまいがちなキー・ポイントがあるのです。それは白血病で死に至る(ゴメンナサイ、この部分ネタバレです)ヒーローなのですが、彼が所属していたのは農村の川辺にある「地質調査隊」なのです。
 で、この地質調査隊、なにを調査しているのかが具体的には出てきません。「そうか、あいつもそれにやられたのかも」とつぶやく他の隊員のコメントが重要です。
 また、このヒーローが解放軍の病院にほぼフリー・パスなのもひとつの鍵です。

 この映画はそこを見落とさない限り明らかに、この「地質調査隊」がウラニウムの発掘に関わり、彼がその過程で被曝したことを示唆しています。これはほんとうにしっかり見ていないと見過ごしてしまうポイントなのです。
 傍証として、文革の間、あらゆる学問や研究は停滞を余儀なくされるのですが、核開発に関連する事業は着々と進行していたことを示しています。

            

 チャン・イーモウは、単なる純愛悲劇の背後に、とんでもない問題を抱え込んだともいえます。これは彼もはっきり意識して描いていることです。にもかかわらず、それが誰にもわかるように明示されなかったのは、チャン・イーモウの自主規制なのか、当局の検閲なのか、私たちには明らかではありません。
 しかし、日本がフクシマで苦しんでいるとき、それを先取りする形で放射能被害を嗅ぎ当てていたとしたら、チャン・イーモウ、なかなかのものだといえます。

 主演の女優さん(チョウ・ドンユイ)、清楚で可愛いですね。『初恋のきた道 』のチャン・ツィイーもそうでしたが、チャン・イーモウ監督、女優さんを見出すのが巧いですね。コン・リーもそうかな。彼女とは個人的な関係もあったようですが・・・(おっと、俗に流れてしまった)。

 いろいろな意味を含めて一見すべきでしょうね。
 「地質調査隊」のくだり、決して見逃さないでね。

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天竜川事故とメディアの報道(ないものねだりか)

2011-08-19 02:15:42 | 社会評論
 まずは、今回の事故で亡くなられた方に哀悼の意を捧げます。
 事故後、今後の安全対策など検討されているようですが、そうしたものは早いに越したことはありませんから、改める点は即実施したほうがいいでしょう。

 ところでこの事故、第一報を見た時からなんか違和感を感じていたのでした。
 というのは、この天竜下りを体験したことはないのですが、かつて天竜川沿いを走っていて、天龍下りの船がまさに眼下を滑るように下ってゆくのを高い橋脚の上から見やった覚えがあるからです。
 それと、今回の事故の報道で映しだされるTVの画面とはなにか違和感があるのです。

 しかも、その運営責任の会社は天竜浜名湖鉄道というではありませんか。浜松市にあるこの会社が、私が目撃したあの辺りにまで勢力を伸ばしているのだろうかとも考えました。というのは、私がそれを目撃したのは、長野県の飯田市から程遠からぬところだったからです。

            
             これはイメージで、天竜川ではありません

 そこに至って、いかに鈍感な私でもひょっとしたらと思いました。
 急いでネットで「天竜下り」を検索してみました。
 その結果、私は脳天に一撃を食らわされた思いをしました。
 そこには「遠州天竜下り」と「信州天竜下り」がちゃんと区分されていて、まったく別のものだったのです。

 一方は、今回の事故があった「遠州」のそれで、天竜川がやがて遠州灘へ至る中流域のものでした。他方、私が目撃したのは天竜川がまだ渓谷の色彩を色濃く持つ辺りの、つまり「信州」ものだったのです。
 この二つの「天竜下り」は、距離もはるかに隔たり、まったく別のものなのです。
 TVの画面で私が違和感を覚えたのはそのせいでした。

 そして、私が、「脳天に一撃」と感じたのは、「天竜下り」という「名称」にたぶらかされて、あやうく私の違和感がもっていた「事実」の方を消去しようとしていたことです。

 しかし、私のおせっかいはこうした自己批判にとどまりません。
 事故を起こした「遠州」の方も気の毒といえば気の毒ですが、より可哀想なのは「信州」の方です。今頃キャンセルの波が押し寄せていると思います。また、夏休みの後半、そこへと予定した人たちの取りやめは相当数あるだろうと思います。

 私のようにある程度土地勘のあるものでも、早とちりするのですから、遠隔地のみなさんが「天竜下り」と聞いただけでその区分も明確でないまま「信州」のものをも忌避するのではないでしょうか。
 信州の天竜下りに関わる人たちの嘆声が聞こえるようです。

 そこで、新聞やTVの報道ですが、彼らは私よりも賢明ですから、この二つの「天竜下り」の違いをもちろん知っているはずです。
 だったらどうして一言、あるいは一行ののテロップで、「これは上流の《信州天竜下り》とは関わりがありません」という報道をしないのでしょうか。

 私たちは、メディアが必要以上に言い過ぎることによって起きる「風評被害」を数多く知っています。
 しかし同時に、今回の事例のように、メディアがちゃんと述べないことによる風評被害もあるようです。
 あの事故以後、「遠州」の方は当事者ですから致し方ないとしても、今なおさまざまな対応に追われ、それでも減収は免れ得ないであろう「信州」の方を思いやってしまうのです。
 
 晴天の一日、みんな幸せそうに川くだりを楽しんでいた私の目撃映像を今更のごとく思い出します。

               
       市丸姐さん ったって若いひとには何のことかわかんないだろうなぁ

<付記>芸妓さんから歌手なった市丸姐さんが、楚々とした風情で歌った「天竜下ればしぶきに濡れて、咲いたサツキに虹の橋」という『天竜下れば』(作詞:長田幹彦 作曲:中山晋平)は、もちろん「信州」のそれです。
 なお、市丸姐さんは、松本の出身でした。


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【老化防止対策】ある若いひととの対話

2011-08-18 03:12:00 | 現代思想
 以下はタイトルに記したとおり、ネットで知り合った若い方とのやり取りの過程で、私が書いたものを抜き書き的に書き出したものです。
 この方の了承を受けていませんので、前後は省略させて頂きます。
 こういうやりとりは私にとってもとても勉強になり、刺激をうけるものです。

        

 <以下本文>おっしゃるようにR・ローティはプラグマティストの系統に属しますが、なぜ私がそれを援用するかというと、「プラグマティストには正義や真理の基準がない」というそれへの批判自身が持っているある種の危険性を感じるからです。

 ご存知のように、20世紀は革命と戦争の歴史であり、その中で多くの人命が奪われ、多くの悲惨があらわになりました。その最たるものがナチズムやスターリニズムなどの全体主義であり、戦前の日本もまたそれへの傾斜をもっていました。

 そうした立場を思想的に総括すると、その背後には、「世界には唯一の正義、唯一の真理があり、それは我が方にある」という信念があり、さらには、「そうした正義や真理を実現するためには、自他共に生命を厭わず」、つまりそのためには人を殺してもいいし、自分が死してもいいという論理に行き着きます。
 あらゆる戦争、あらゆる独裁や抑圧はこうした論理のうちで行われました。

 こうした、「世界には唯一の真理や正義があり」その必然性のうちに世界は動いているという立場を、哲学的には一般に「形而上学」といいます。
 こうした形而上学への批判は20世紀後半から様々な形で展開されてきて、いわゆるポストモダンと言われる思潮はその流れにあるといえます。その意味では、ローティのプラグマティズムもそうした反=形而上学、ポストモダンのひとつの流れといえます。

 ローティの場合は、「残酷さと苦痛の減少」をひとつの起点にし、「われわれ」と「かれら」という差異の境界を曖昧にし、緩やかな連帯を生み出してゆくというのがその戦略のようです。
 そしてそれが、 《「照応(correspondence)」の明滅する空間的対話 》という〇〇さんのおしゃる語彙に私が反応しコメントさせていただいた理由です。

 ローティを絶対視しているわけではありません。ほかにその分野に切り込んだ人として、ハンナ・アーレントというひとにも興味をもっています。

 なお、「世界には唯一の真理、唯一の正義があり、それは我が方にある。したがってその実現のためには、自他ともに生死を厭わず」という思考の幾分カリカチュライズされたものとして、「連合赤軍事件」や「オウム真理教」をあげることが出来るかも知れません。


 

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【六の徘徊日記】郵便局の帰りに

2011-08-16 22:46:06 | よしなしごと
 徒歩でも10分もすれば行けるので、私がよく利用しているかつてのいわゆる特定郵便局へ出かけた。小さな郵便局だから「お盆でお休みです」なんてあるかも知れないなと思ったが、ちゃんとやっていた。ポストではすまない用件だったのでやれやれと思った。

          
            オクラの花はきれいだしどこか妖艶でもある  

 ここんところ、右足の調子が悪い。膝や股関節の調子というより筋肉痛である。内服薬や貼り薬など動員しているがどうもいまいちである。
 それと、この間、パソコンの前で缶詰状態で期限の迫った文章を書いたり、締切のある仕事をしたりでまったくの運動不足状態なのもよくないのだろう。

        
         芙蓉の花はその名の音感に似つかわしいような気がする

 郵便局で用件を済ませて足の具合を確認したが、どうやら調子は良さそうだ。
 それではと、せっかく外出したのだから少し遠回りをして散歩も兼ねることとした。
 あの、玉音放送を聴いてからもう66年になるのだなあとふと思った。
 いがぐり頭の軍国少年が、お仕着せの白いシャツを着て、20名ぐらいが取り囲むラジオの方を向いてちょこなんと座っていたあの夏・・・。
 あの日も暑かった。

        
           蓮の実はキョトンとしていてユーモラスな感がある

 この暑さの中でも植物たちは元気だった。
 それを携帯のカメラに収めたりしていたのだが、帽子を被っていても頭のてっぺん辺りがチリチリする。
 四年前、観測史上最高温を記録した日に、なかば熱中症に陥って危うくダウンしそうになった(12時間の睡眠で復帰)のを思い出し、自宅へと急いだ。

 蝉時雨が「お帰り」と迎えてくれた。
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お盆をめぐる風景 ア・ラ・カルト

2011-08-14 00:44:13 | よしなしごと
《実りの予感と実らない風景》
 いつも行く床屋の駐車場になんか果実が光っていました。
 ひとつはやや楕円がきついのですがカリンだと思います。
 これを焼酎に漬けたのを飲んだことがありますが、良い香りがしました。
 最近はもらってきたりしたものを切って風呂へ浮かべたりします。
 これもまた良い香りを楽しめます。

        

 もう一つはざくろです。
 この前ここへきたときは小さな赤い花だったように思うのですが、もう果実がほんのり色づいています。
 次回には弾けた実を見ることができるのではないでしょうか。

        

 思いがけないところでそれらを見かけて少し心豊かになった帰途、ウ~ンと思う光景に出会いました。折からの日照りでひび割れた休耕田の模様です。
 おりからニュースは、何年かぶりで米相場が再開され、しかも当初高値で相場が成立しなかったと伝えていました。ということは、今年穫れる米は、災害や原発事故の放射能禍の影響でかなりの高値が予想されるということです。
 私たち庶民は安全で値ごろなお米を手に入れることが出来るのでしょうか。

        

 戦後、戦地からの復員者に「帰農せよ」とか「増産」を呼びかけ、日本第二の湖・八郎潟を埋立ててきた日本のコメ作りの歴史とはなんだったのでしょうか?

《この歳まで知らなかったこと》
 もちろん専門外のことも含めて知らないことは山積しているのですが、意外と驚くのは身近なことで「エッ、そうだったの?」というようなことがらです。
 
 私が水撒きに出ると遊びに来るとんぼがいるのです。それは本当に遊びに来るのです。私の直ぐ目の前へ止まって、携帯のカメラをもって近づいても逃げようとしません。30センチ以内に近づき、接写にしてもOKです。

 私はそれを、子供の頃から知っている「ムギワラトンボ」だと思っていました。
 念の為に写真を参考にググッてみました。そうしたらそれは「シオカラトンボ」とありました。しかし、私の知っている「シオカラトンボ」はまさに青白い塩を吹いたようなトンボなのです。

        

 それでさらに「ムギワラトンボ」で検索を進めました。
 そしたらそれはシオカラトンボの幼い色彩、並びにそのメスの形態だというのです。
 つまり、私が別のトンボだと思っていた「ムギワラトンボ」と「シオカラトンボ」は同じ種類のものだったのです。
 それも幼い頃から、つまり、60年以上前からズーッとそう思ってきたのです。

 やだなあもう。この世の卒業試験に出題されたら間違えるところでした。

《献花としての鬼灯=ホオズキ》
 今年は心ならずして死に招かれた人たちがたくさんいらっしゃいます。
 そのほか過去の戦争や災害、病災、事故、犯罪、自死、などなど、あらゆる形でこの世界から去った人たちに、この世とあの世を往来するための灯火として鬼灯を捧げます。

        
 
 あなたたちがいなかった世界へあなたたちはやって来て、そして私たちを残して去って行きました。あなたたちが残していってくれたこの世界に私たちはやってきて、ここを去る日までこの世界に住んでいます。
 お盆は、そんな当たり前のことを改めて思い出させます。
 

 

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モルモン教会での盆踊り

2011-08-11 17:10:19 | よしなしごと
 一昨日のことです。
 夕方、いかにもアメリカ人の若者という二人連れがやって来ました。
 名乗らなくともすぐわかりました。この近くにあるモルモン教会の宣教師です。
 で、彼らは幾分ぎこちない日本語でいいます。
 「ワタシハモルモンキョカイノモノデス。アシタ、ワタシタチノニワデボンオドリシマス。キテクダサイ」

        
                昼間の会場 後がモルモン教会

 モルモン教と盆踊り?と不思議に思われるのは無理もありません。
 私の地区では町内ごとに小規模な盆踊りが行われるのですが、私の町内にはそうした広場らしい広場がありません。
 で、その盆踊りというのはここ何年かモルモン教会の庭で行われるのです。

        
                    踊りが始まった

 しかもそのモルモン教会というのが私の家から直線距離にして50m足らず、窓を開ければ毎日否が応でも見えるところなのです。
 そこから若い宣教師たちがヘルメットを被り、自転車で宣教に出かけます。
 それらもまた、毎日見慣れた風景なのです。

     
                 やぐら太鼓と裏方さん
      
       しっかり踊ってらっしゃい    歓談も楽しみのうち  
 
 しかし、今年のようにわざわざ盆踊りのお知らせをもって回ったのは初めてのようです。もちろんそれには無料英会話教室だとか協会行事の宣伝もついていましたが。

        
               休憩を挟んでおどりの再開
 
 ともかく、地域と密接でありたいという意志の表れでしょうね。
 キリスト教の中でも異端やカルト扱いされ(コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ・シリーズの初期のもの『緋色の研究』にもそうした記述があります)てきた彼らですが、かえって日本の無宗教性のようなものが幸いしているのかも知れません。

        
                 美脚集団の登場
 
 ところで、盆踊りの写真というものを初めて撮ったのですが、夜間で、しかも絶え間なく動いているものは難しいですね。
 だいたい盆踊りは、日本舞踊と違って、決めという静止の部分がなく絶えず動いていますからね。
 まあ、気分だけでも味わって下さい。

        
        わたしのわたしによるわたしのためのおどり それでいいのだ

 
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