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大ローマ帝国に遊ぶ

2010-01-27 17:40:42 | 歴史を考える
 過日、名古屋の I さんから愛知県美術館で開催されている「大ローマ展」のチケットを頂き、開催中にぜひ行きたいと考えていた私は、渡りに舟と行ってきたのでした。
 私たちが接するヨーロッパの文物には、ギリシア、ローマ、それにキリスト教の痕跡が色濃く根付いていて、それらにあまり詳しくない私は戸惑うことが多いのですが、その一端を担うローマに接して勉強しようという魂胆もありました。
 しかし、展示場へ一歩踏み込むとその展示物の規模と多様さ、それぞれの装飾の華麗さなどに目を奪われて、ただひたすらそれらのものたちが発するアウラのようなものに圧倒されるのみでした。

 ギリシアとの関連でいえば、後のルネッサンスの影響などもあり、学問・芸術などの分野ではヨーロッパをリードしてきたようにいわれていますが、実際にヨーロッパ全土、加えて、中近東からアフリカ北部への文明の伝承という点ではローマの方が圧倒的に力を発揮したのではないかと思うのです。しかも、ギリシアの信仰や伝承(アポロン神話やディオニソス神話など)をも継承しながらです。

       
                 (皇帝アウグストゥス座像)

 それが、ローマ帝国の勢力図に示されています。ようするに、上に見たように、ヨーロッパ全土、加えて、中近東からアフリカ北部に至る大帝国の形成です。ギリシアは、その意味では帝国を形成することはなく、その影響力は観念的なものに留まっていたのではないでしょうか。例えば、プラトンの哲人国家の実践がシチリアのシラクサで何度も失敗しているようにです。

 それに対し、ローマのあの広大な帝国形成はどのようにして可能になったのでしょうか。むろん、軍事面でのバックはあったのでしょうが、それだけで語り尽くせない統治のノウハウがあったように思うのです。
 もっとも、それが何かは不勉強な私にはわからないことばかりなのですが。

       
                   (豹を抱くデォオニュソス)
 
 さて展示品に目を戻しましょう。
 今回のそれらは、一部ローマ皇帝広場博物館などのものを含みますが、圧倒的な多数はナポリ国立考古学博物館のものです。ということは、すぐ近くのポンペイ遺跡からの出土品が圧倒的に多いということです。
 周知のように、人口2万ともいわれるこの都市は、紀元79年のヴェスヴィオ山の大噴火により壊滅し、そのまま18世紀に改めて発見されるまで、地中に埋もれていたのでした。

       

 それが幸いして(この言い方はそこで亡くなった方にはまことに失礼ですが)、私たちは今日、往時の人々の生活の様子やそこで使われていたものどもについてかなり克明に知ることが出来るのです。ようするに二千年前に埋められたタイムカプセルが改めてあけられたかのようにということです。
 
 実は私、ポンペイの地に立ったことがあるのですが、これだけの規模の都市が地中に埋もれていたとは信じがたい思いで、その辺の路地を散策していると、古代のローマ人がひょっこり現れそうな不思議な感覚に襲われたものでした。霊感の豊かなひとですと、湯浴みをする人々、酒場に集まる人々、娼館に集う人々など、往時の人々のさざめきが聞こえてくるかも知れませんよ。

       
          (特別出品 ギリシア時代の知恵の女神・ミネルヴァ青銅像)

 さて、ひとつひとつの展示物については感嘆のしまくりで、どれがどうかはもうどうでもいい気持ちでした。
 石像などはその堂々たるたたずまいでいかにも大ローマといった風情でしたが、一方、壺などの道具類は、その機能の効率に留まらず、些細な箇所にも様々な装飾が施され、文明というのはまさにこうした余剰や過剰のありようなのだということをしみじみと知らされました。
 そして、そうした余剰や過剰を生みだしえたローマというのはまさに人類史上のエポックだと改めて思った次第です。

 改めて、こうした機会を与えて下さった I さんにお礼を申し上げます。




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4 コメント

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Unknown (N響大好き。)
2010-01-27 23:38:24
「余剰や過剰を生み出した」のは、奴隷制度に
よるところが大きいと、よく言われますね。
といっても、アメリカの黒人奴隷とはイメージが違うようですね。

金を払って市民になれたり、逆に市民が借金をして奴隷になったりと・・・ローマの歴史の本を
読んでも、当時の奴隷のイメージがなかなかつかめません。
「長靴をはいた猫」は、解放奴隷を意味していると
聞いたことがあります。
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Unknown (六文錢)
2010-01-28 22:51:16
>N響大好き。さん
 古代の奴隷についてはおっしゃるようにある種の身分で、生活必需品等の生産や管理、家事労働などに従事する人々であったようです。
 もちろん、自由市民とは権利の面での制限はあったわけですが、家庭教師や会計管理などができる教養ある奴隷は、そうした制限のうちでもある程度の人格は認められ、大切にされていたようです。
 そして、その身分も流動的であったのは N響大好き。さんがお書きになっている通りです。

 ギリシアでもほぼ同様らしくて、イソップ物語の作者、イソップ(アイソーポス)も奴隷であったといわれています。

 「長靴を履いた猫」がそうした話かどうかは寡聞にして知りませんが、そういえばそうかもという気がしますね。
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Unknown (りいら)
2010-01-30 17:19:31
しばらく穴の中に引きこもっていましたが、こんな素晴らしいのがきているんですか!
バッハの「ロ短調ミサ曲」の練習も随分とさぼってしまいましたが、合唱指導してくださる方がローマ
建築についての本を出しておられます。横顔はアウグストゥスのデナリオン銀貨に雰囲気が似ておられるような・・・?
私もぜひ見にに出かけたいと思っています。
教えていただいてありがとうございました。

親分の「どん底」は、「私のほうこそどん底だわい・・」と行かないつもりでしたが、プログラムを見たら演出の鐘下さんという方に興味がわきました。六文銭さんも奥様とご一緒でいらっしゃるとのことでうれしいです。
さんこさんもお久しぶりでお会いできますね♪
今日親分(同じ町内)に会いましたが、韃靼人の役柄からヒゲも髪も切れないそうで、「当日はコスチュームでいらしてください」と頼んでおきました(笑)歌うけど踊りはない、セリフは少ないとか・やはり近くのほりみかさんが演出助手です♪

私のバラライカ、小道具に使ってほしいけど・・・お邪魔ですよね。
よけいなことばかり書いて失礼しました。
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Unknown (六文錢)
2010-02-01 00:40:32
 「ロ短調ミサ曲」を歌うって素敵ですね。
 私はCDを持っているのみです。
 あのミサ曲にはバッハのかなり濃い思いが込められているようです。
 バッハは、プロテスタントでしたからミサ曲とは無縁なのですが、どうしてもミサ曲が作りたいとのたっての思いで作ったようです。

 その点モーツアルトはカソリックでしたから沢山のミサ曲を作っていますが、色気がありすぎるというので近年までバチカンでは演奏されなかったようです。

 宗教曲では、ペルゴレージュの「スターバト・マーテル(嘆きの聖母)」が好きです。
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