六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

日常三題 金魚 漬物 選挙 【付】ある感謝状

2021-10-29 01:53:05 | よしなしごと
二尾いた金魚のうち一尾が急死をし、残された一尾は前ほど泳ぎ回らなくなり、餌の食いも悪く、ようするにしょんぼりして寂しそうだ。
 やはり、独り身は寂しいのだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=EwdjU_so-qs
 
 そこで、やはり仲間をと、新しく二尾を買ってきて放った。
 新参者をいじめたりはしないだろうかと心配したが、いままでより挙動が活発になり、三尾ともども仲良く泳ぎ回っている。餌の食いも良くなった。
 三尾仲良くこの冬を越してほしいものだ。
 (いちばん大きいのが従来からいた金魚)

             
今季初の蕪菜を漬けた。まったくの目分量なのに塩加減がちょうどよく、タッパーに収めて冷蔵庫に保存した。一週間ぐらいは楽しめるだろう。

                   
衆院選の期日前選挙に行ってきた。
 私の投票はいつも次善の票にとどまる。
 いくら選挙公報を読み、政見放送を聴いても、その人物の内実はわからない。
 当選後にその政治的立場そのものまで変えた連中はゴマンといる。
 政党にしてもそうだ。心酔できる党などありはしない。
 だから投票は常に次善にとどまる。

 反面、こいつは議員にしたくない、この党には政権につかせたくないというのは確実にある。そいつらへの否定票が反映されるシステムは出来ないものだろうか。

【付録】
               

感謝状 麻生太郎殿 
 貴殿は温暖化によって北海道の米がうまくなったと主張され、かつて米作は不可能といわれたこの地にそれを根付かせ、品種改良などを積み重ねてきた私ども100年以上の努力を一挙に否定なさいました。
 しかしながら、同時に、それをもってこの地の米がうまいことをも広く喧伝されました。
 貴殿の無知蒙昧な言説が生み出した副次的な効果に感謝いたします。    
                               北海道米作農民有志
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いただきました! そのⅢ 誕生日の晩餐に・・・・

2021-10-26 23:58:09 | 写真とおしゃべり
 
 
 釣り師から頂いた鮮魚、最後は私の誕生日の晩餐に。
 
 尾頭付きの鯛の塩焼きがメイン。実はこれ、裏側はおろして刺し身などにして半身だけ。30年の居酒屋商売で焼き場を担当してきて、魚の踊り串は万余と打ってきたが、半身だけは初めて。踊らせるのが難しかった。
 
 あとは昨日肝作りにしたウマヅラのアラの煮つけ。これが結構うまい。
 
 そして小松菜のオヒタシ。
 
 香の物は今季初めての蕪菜漬け。これは塩加減もうまく行って満足。
 
 これが「しらたまの歯に染みわたる秋の夜」の、わが83歳、一人っきりの門出の晩餐!
 
 
【おまけ】TVをつけたら、みんなが「おめでとう」と言っている。こんなジジイの誕生日にと面妖に思ったら、私ではなく何とかさんの結婚だとか。
 それにしてもメディアのみなさん、さんざん彼らをいじくり回しておいて、今日はシレッとしている。勝手なもんだ。
 いずれにしても私には一切関わりないことだけど・・・・。
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いただきました! 続報

2021-10-26 00:06:49 | フォトエッセイ

    

【頂いた鮮魚の続き】
 ハマチと一緒に頂いたウマズラハギの薄造り。ただし手前の数枚はタイ。
 写真の必要上ウマヅラの肝は全部大葉にのせたが、その後、半分はすりつぶしポン酢と合わせてタレに。残りの半分はそのまま肝刺しに。
 大葉の下にもびっしりウマズラの身が。
 海無し県の岐阜にいて、こんなものが食べられるとは。釣り師に感謝!&深謝!

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いただきました!

2021-10-25 17:27:43 | 写真とおしゃべり

     

 日曜日、プロ級釣り師の釣果のおすそ分けをいただく。

 五〇センチ超のハマチと、三〇センチクラスのタイとウマズラハギ。
 ハマチは半身は近くに住む妹のところへさらにおすそ分け。
 ウマズラは肝が入っていたので肝づくりに。
 タイは、明日の私の祝日(某の結婚とは無関係)に使用予定。
 ほんとうにありがとうございました。
 

 写真はハマチの片身をおろしたところ。

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一本一本引かれる草・・・・土の民の執念? 〈付〉和風焼き蕎麦

2021-10-22 16:19:03 | よしなしごと

この話は何度も書いたが、私がこの地に住まいを構えてから半世紀以上が経過した。
 この間、環境としての大変化は、田園地帯の中に集落があったという光景がすっかり逆転し、いまや住宅を始め、商業施設やその他の建造物に取り囲まれて、ひっそりと田園が残っているという感じに逆転したことだ。

                
           
 さらにここ2,3年は、建造物は建っていないものの、耕作が放置された田がやたら目立つようになったことだ。これは私の実感のみならず、2,3日前の「朝日」が報じるところによれば、どうやら全国的な傾向らしい。

            

 その要因は、零細農家の高齢化に伴い、それを継承する耕作者がいないまま、耕作が打ち切られる例と、そして、このコロナ禍による米需要の低下(外食の減少によるところが大とか)による米価の値下がりが続いていることらしい。
 この後者の要因が、前者の要因に拍車をかけているのであろうか。

 自分のブログを見たら、この8月10日にもそれに関連した記事を以下のように載せている。
 https://blog.goo.ne.jp/rokumonsendesu/d/20210810

 今日改めて書くのは、いわばこの田の後日談である。
 
 この田の付近は、岐阜駅に出るためのバスや自転車、それに月2回ほどのクリニック通いで比較的よく通る。
 この田は、耕作されている折りには、この付近でも有数の美田で、収穫時期には、穫れた稲を稲架掛けにして天日干しにしていた。

            
                
 この稲架掛けの写真は2018年10月12日のものである。
 おそらくそれ以降、耕作は行われていない。
 以下の写真は、2021年8月1日のものである。

            

 この田は、春先には他の田と同様にきれいに地ならしが行われる、水も張られるので、すわ、今年は耕作か?と期待を起こさせるのだが、やはり田植えは行われない。
 それにしても、雑草も生えず、きれいな地肌を晒しているので、強力な除草剤かなんかで処理しているのかなぁと思っていた。同時に、あまり強力な除草剤など使用すると、耕作を再開するときに害があるのでは・・・・と心配したりもした。

            
                     昨年6月
            
                     本年6月

 今週はじめのことである。クリニックに薬をもらいに行くためにここを通りかかった。誰かがこの田にしゃがみこんで作業をしている。それを見て、私の強力な除草剤云々の思い入れは杞憂であったことがわかった。

 なんとこの女性、田に生えた草を一本一本手作業で抜いているのだ。この写真で見る限り、周辺から抜き始め、いまはもう中心の一部を残すのみとなっている。
 何ごとにも面倒くさがり屋の私にとっては、まるでシジフォスの苦行のような話ではないか。

            

 一般的にいっても、今どき、田の草を一本一本引くというのはまるで非効率、非現実的で無為に等しい行為といえよう。
 しかし、実際にそれを眼前でしている人がいるのだ。しかも、何となく彼女の姿は揺るぎないもの、内から突き上げる声に忠実に従っているかのような安定したものに見えてくるではないか。

            

 休耕しているからといって田に草を繁殖させないというのも美学としてわかる。しかしそれにしても、草刈り機もあれば、それこそ除草剤だってあるではないか。にもかかわらず、手作業による一本一本の草抜き・・・・。

 これはなんであろう。やはり、弥生以来稲作に馴染んできた土の民に内在している自然との向き合いの伝統なのだろか。
 なにか、軽々しい気持ちで覗き見てはならない秘儀の現場に行き合せてしまったような、負い目のような気持ちを背負いながら家路についた。

 

【付】今日の昼餉・・・・「和風焼き蕎麦」

           

 久々の和風焼きそば。店で出していた頃は、高級感を出し代金をいただきやすいように茶そばを使っていたが、これは普通の蕎麦。
 具はあっさりと大葉の刻みと切り海苔のみ。葱の小口切り、ミョウガの千切りなども合う。
 味付けはお好みだが、醤油は香りつけ程度。
 蕎麦の湯がきは普通よりやや短めでさっと炒める。
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秋冷二題

2021-10-20 16:14:21 | よしなしごと
【今日の川柳】
 秋冷や逃げ足遅きごきかぶり
 (出てきてもすぐ叩かれる)

【今日の昼餉】

 やっと「秋冷の候」と言えるような日々。

 そこで、今季初のギンナンご飯。

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金の信長公とロックンロール

2021-10-18 08:48:12 | よしなしごと

 10月17日(日)午後5時 JR岐阜駅北口広場にて。 

 結構ノリノリの演奏だったと思う。 

 https://www.youtube.com/watch?v=603HHPU0so0

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わかっていそうでわからない「文学」って・・・・。佐々木敦を読む。

2021-10-15 15:18:18 | 書評

 いわゆる文学には暗い方なのです。
 ときに、過去に読んで面白かった作家のものを目にしたり、あるいは論文調のものばかりでもつかれるからと、図書館の新着書の中にある面白そうなものをなんの前提知識もないのに借りてきたりが私と文学との接触法にすぎません。
 だから、たとえそれが、いわゆる「純文学」といわれるものであっても、私の読書態度は極めてエンタメ的だといえます。

                

 そんな中途半端な私に、友人からの一冊の書が届きました。よければ目を通してぐらいでそんなに積極的に進められたわけではありません。
 でもそれが良かったのです。文学の精髄を極めようとするつもりなどまったくない私が、文学だとか小説だとかいわれている分野は一体どうなっているのか、今日、どんなものがどう読まれているのかを野次馬的に知るには適した書だと思ったのです。

 著者の佐々木敦(1964~)は名古屋出身の人だが、映画評論から文芸評論、音楽活動と広い関心を持ち、いわゆる文学プロパーの人ではありません。
 この書の表紙から見るに、いかにも文学を対象としたハウツーものといった感じで、その意味では、中途半端な私を啓蒙してくれるかもしれないという期待がもてます。
 なお「ニッポンの文学」といっても、その対象期間は70年代以降の半世紀ほどに限られています。

 プロローグで彼は、文学と文学でないものの区分を「芥川賞」と「直木賞」の対比で始めます。ようするに、芥川賞の対象はいわゆる「純文学」であり、直木賞はそれ以外のエンタメ的要素の小説ということになっています。
 では、芥川賞はどのようにして選ばれるかというと、基本的に「文芸誌」と称する「純文学誌」に掲載された新人作家の作品の中から選ばれるといいます。しかも、この文芸誌は限定されていて、具体的には、新潮社の「新潮」、文藝春秋の「文學界」、講談社の「群像」、集英社の「すばる」、河出書房の「文藝」(これは季刊誌)の五誌だということです。

 では、これら文芸誌はどのような基準で小説を載せているのかというと、いわゆる純文学と言われるものをです。その場合、純文学とは「純文学ではないものではないもの」、つまり「純文学とは純文学である」という完全なトートロジーに陥っていることになります。

 しかし、これらは表面的な区分のための区分であることから生じています。というのは、直木賞でデビューしてきた作家が純文学風の作品を書いたり、芥川賞でデビューした作家がエンタメ風のものを書くことはじゅうぶんありますし、両賞とは無縁の幾多の小説のそれぞれをきちんと分類することなどは不可能なのです。

             

 著者は、そうしたトートロジーのどん詰まりから出発しながら、文学をより開かれた視野のうちで捉え返そうとします。
 それは小説という多様性を含んだ分野を、各ジャンルの併存と交流のような形でみてゆくことです。それは、例えば音楽の受容に似ています。クラシックやジャズ、ロックやフォーク(民謡)、時折々の流行音楽などなどは、そのジャンルごとにファンを集めるとともに、横断的に影響を与え合い、受容する人も、必ずしもひとつのジャンルに限定されません。
 あるいは逆に、クラシックのうちでもバロックないしはそれ以前しか聴かないというマニアックな人、ベートーヴェンにしか興味のない人、ある指揮者、ないしは演奏家にしか・・・・という人もいて、これはまた、小説や文芸作品の受容に似ています。

 これらを前提とし、著者は1970年代を起点として文学作品の傾向の変遷、ミステリーやSF をも網羅した各作品の推移、サブカルと「本格カルチャー」?との関連、などなどを膨大な作品群に触れながら述べてゆきます。

 正直いって私はこれらの作品を全く読んではいません。かろうじて、その作家の名前を知っていたりするぐらいですが、この半世紀、どんな作家がどのように現れて、どんな位置づけにあるかの相関図のようなものがおぼろげながら感得されます。
 そして、なによりもそれらは読書案内的な役割を果たしてくれます。とりわけ、推理小説部門やSFのなかには食指をそそるものが結構あります。

                 

 最後の結語部分で、著者は今一度、文学のトートロジーに触れ、「文学」を「文学は文学である」から開放するための方策を提言します。
 それは文学のうちにSFもミステリーもエンタメもライトノベルも放り込み、それとともに、「文学」もあらゆる「ジャンル小説」に放り込んでゆくことです。それに続けて著者は言います。

「〈文学〉の相対化をもっともっと押し進め、そうすることで、〈文学〉によって他の〈小説〉たちを相対化してゆくわけです。
 ここ数十年間のうちに起こってきたのは、そもそもそういうことでした。この押し止めようのない流れをむしろ逆手に取って、〈文学の相対化〉を〈文学による相対化〉に反転してしまうこと。〈ニッポンの文学〉を〈ニッポンの小説〉に解消するのと同時に、〈ニッポンの小説〉を〈ニッポンの文学〉にまるごと変容させてしまうこと。〈文学〉と〈小説〉が、いっそのこと完全なイコールで結ばれるまでシェイクし続けること。
 そしてついに両者の区別がつかなくなった時、むしろかつて〈文学〉と呼ばれていたはずの何か、われわれが躊躇なく〈文学〉と呼ぶことのできた何かが、或る新鮮な懐かしさと、懐かしい新しさとともに蘇ってくるのではないかと思うのです。そしてそうなるためのヒントは、これまで語ってきた沢山の過去の営みと試みのうちに、色々と見つけ出すことができるのではないでしょうか?」

 とまあ、こんなところですが、この結論部分は具体的にはどうなんでしょう。今ひとつ現実的なイメージが湧いてこない感もあります。

 私自身の読後感からいえば、ここ半世紀、〈ニッポン〉の小説とうのはどのように推移した来たのかのガイドラインが示されていて、そのなかでの注目すべき各作品(純文学にとらわれずミステリーやSFを含めて)を網羅され、広い意味での読書案内にもなりそうだということです。


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一日に二度泣いた! 八十路の涙腺を緩ませたものは?

2021-10-12 00:23:02 | 想い出を掘り起こす

 一日に二度泣いた。正確に言うと、一度は泣きそうに、そして二度目は人前もはばからずほんとうに泣いた。

 10月10日のことだ。午前、いつものように、火鉢で飼っている二尾の金魚の水を少しだけ変え、毎日やっている餌をやはり毎日と同じように与えた。ここ半年間、それでもって彼らは元気に過ごしてきた。
 それから洗濯物を干しに行ってしばらくしてから火鉢を覗くと、なんだか一尾の様子が変だ。体をひねるようにしたり、横っ腹を見せたりで、ふざけるというよりなんだか苦悶している様子だ。

 なんか毒物でも口にしたのだろうか。慌てて別の容器に新しい井戸水を汲んで、水温も確かめ、その金魚をそちらへ移した。毒を吐けばなどととっさに思ったのだ。しかし、効果はなかった。次第に動きが緩やかになり、しばらくはピクリとするように体を動かしていたが、やがてまったく動かなくなった。しばらくそのままにしておいたが蘇生する動きはない。ご臨終だ。
https://www.youtube.com/watch?v=Yaw_z1lPG7U
 彼らが来た頃は、私が近づくと、さっとホテイアオイの影などに隠れてしまい、そこを離れるまで姿を見せなかったのに、最近では近づくと水面に出て餌をせがむようになり、餌をやる段になると、私の手から食べるようにさえなっていたのに・・・・。
https://www.youtube.com/watch?v=yzvhdnVZVIk
 も一匹はと見ると、何事もなかったように悠然と泳いでいる。翌日、つまり今朝になっても、残された一尾は全く変わりない。ただし、時々もつれるようにして戯れていた相手がいなくなって寂しそうに見える。
 これがこの日最初の涙を誘う出来事だった。

 本当に涙を流してしまったのは夕刻であった。
 この日、午後からは私の属している会の例会がじつに久々に開催され、その会場が今池であった。会の中身は、音楽評論家の先生と、音楽愛好家の弁護士先生との対談形式の講演で、「 法の視座から見た《フィガロの結婚》」という面白い企画であった。

             

 その散会が夕刻とあって、この今池で30年間居酒屋を営み、いわば第二の故郷ともいうべき地を黙って去る手はないと、自分がかつて店をやっていた地点を中心に しばらく散策を試みた。当時からあった店舗、全く様相が変わってしまったところ、などなど懐かしさやその変貌ぶりに感慨を新たにしながら時を過ごした。

             
 
 やがて秋の陽が傾き始めたので、どこかで一杯と、ローマ字表記にすると私と同姓同名になる今池の情報通がかつて紹介していた「本と酒 安西コーブンドー」という店へ入ることとした。はじめての店であるが、古民家を改装したその店のまさに改装する前の住人も知っていたのだった。
 「本と酒」というのはカウンターの背後に書架がしつらえられ、そこにジャンルを問わず様々な本があり、客はそこから 好みのものを選び、それに目を通しながら酒を嗜むことができるということである。

             
 私にはさして読みたい本はなかったので、店のマスターを捕まえ、最近の今池事情などを聞こうと話しかけた。その話の経緯で、 かつて私がこの辺で店をやっていた人間であることが明らかになってしまった。
 この街を離れて、20年になるのに、私が去った後のニューカマーにも私の名前が知られているのは意外であり、光栄でもあった。

 当初、客は私を含めて3人。そのうちのひとりは着物姿の若い男性。しばらくして帰るということで私のそばを通りかかった際「お似合いですね」と声をかけ、「〈蘭丸〉さんのご関連ですか」と尋ねると、「ええ、昨日蘭丸で買ったばかりの着物です」とのこと。
 〈蘭丸〉はやはり今池で、Kさんという女性の経営する着物と付帯する小物などのお店で、そのKさんとは、彼女がその店を始める前、まだフリーライターのような仕事で、私のやっていた居酒屋に取材に来た頃からの知り合いだから30年以上の付き合いということになる。

             
                  コーブンドーの裏窓から・1

 さて、店のカウンターに戻ろう。着物姿の男性が帰り、離れたところにいた若い女性と二人のみになった。いい歳をしたジジイが声をかけるような無粋な真似はもちろんしないが、なんとなく気になる様子もあった。
 それはともかく、店のマスターそのものが映画が好きそうなので、私自身もその設立にわずかながら関わった今池にある名古屋シネマテークについて語り合った(私の店はその同じビルの地下にあった)。
 テオ・アンゲロプロスやホドロフスキーの映画に開眼させられた想い出、開店前に映画を観て、駆け下りて仕込みをした話など・・・・。

             
                  コーブンドーの裏窓から・2

 そうするうちに、その女性も次第に話に参加するところとなり、「じつは私の父もシネマテークの創立以来関わった来たのです」とのこと。えっ、えっ、えっ、・・・・「で、お父さんのお名前は?」「ハイ、Yです」「え?あのYさん?しばらくお目にかかっていませんがお元気ですか?」「・・・・5年前に亡くなりました」。

 Yさんが亡くなった・・・・そしてその娘さんがいま眼前に・・・・ここでジーンとこみ上げるものがあった。目頭が熱くなり、やがてこみ上げるものを抑えきれず、ハンカチで目を覆った。

 Yさんとはとりわけ懇意で何ごとも話し合うというほどではなかったが、それでもシネマテークの他のメンバーに比べると個人的接触が多かったといえる。彼は証券会社のアナリストという市井の仕事をこなしながら、シネアスト運動、シネマテークの運営にも力を入れていて、一時期、シネマテークや私の店と同じビルの5階に部屋を借りていいたこともあって、私の店への来店の度合いも多かった時期があった。

               
             若き日の園子温 ただし、私が逢ったころは下駄履きだった

 とくに思い出深いのは、Yさんの部屋には、当時既に「ぴあフィルムフェスティバル」などではグランプリを獲得するなど知名度は高かったもののメジャーデビューする前の園子温が同居していたことである。その時期、Yさんと園子温はお揃いでよく私の店のカウンターに来てくれた。
 そんな意味でも、その後メジャーデビューし、「愛のむきだし」や「冷たい熱帯魚」「恋の罪」などの傑作をものにし、いまやハリウッドに進出している園子温の今日も、Yさんとの交流なくしては語れないのではとさえ思う。

 中折れ帽に当時は下駄履きであった園子温は、Yさんと共に今池を闊歩していた。その想い出、その前後につながる名古屋シネマテークの思い出、そしてそれに関わってきた私自身と私の店、そこに集ってくれた映画好きの人々、演劇好きの人々、同人誌に集う文学仲間、現代思想を熱く語る面々、それらの人たちの話に接しながら耳学問をしていた私・・・・・・・・。
 それらの想い出が、一瞬、ギュッと詰まって私に迫り、さらなる私の涙を産むのだった。

 いま、自分の老いを嘆いている私だが、私はじゅうぶん恵まれ、幸せだったのだとおもう。チューブを絞れば出てくる想い出の数々、捨ててしまいたいもの、苦くて惨めなもの、忘れてしまいたいもの、それらはもちろんある。しかし、それを上回って今となっては、まさにその時期、そこに居合わせたこと自体の幸運のようなものがじんわりと押し寄せてくるのだった。

             
                ハロウィンの装飾と中央線千種駅のホーム
 
 涙にはカタルシスの作用がある。まさにそんな涙であった。
 そんなシチュエーションを与ええくれたコーブンドーのマスター、そして、Yさんと彼をめぐる他ならぬ私自身の一時期をまざまざと思い起こさせてくれたYさんの娘さんに感謝します。
 VIVA! イマイケ!

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台湾の推理小説を読む 『台北プライベートアイ』紀蔚然

2021-10-08 01:34:19 | 書評

 ひょんなことから台湾の推理小説を読むこととなった。ひょんなことというのは、それが推理小説であることは知らなかったからである。
 
 話はまだ非常事態宣言下にあった先月に遡る。書架が閲覧できず、電話とネットで予約した書のみが借りられる岐阜県図書館で、当てずっぽうで新着図書の中から選んだ台湾の現代小説、『複眼人』が結構面白かったので(これについては拙ブログで書いている https://blog.goo.ne.jp/rokumonsendesu/d/20210916)、その余勢をかってやはり新着図書の中から台湾の作家のものを選んで借りたのであった。

                

 それがこの『台北プライベートアイ』であった。
 主人公の呉誠(ウーチェン)は演劇学の大学教授であり、自ら書いた脚本、手掛けた演劇プロジェクトも多くあったにもかかわらず、それらの名声をすべてなげうって職も辞し、下町の一角に「私立探偵」というダサい看板を掲げる。
 このシチュエーションが面白いのは、この小説の作者、紀蔚然(キウツゼン)のキャリアとほとんど同一なのである。紀蔚然もまた、大学教授であり劇作家の地位をなげうって小説を書き始めた。

             

 この小説のなかで私立探偵の呉誠が解決する事件は二つである。まず最初は、多感な中学生の少女が、突然父親に心を閉ざす事態の解明だが、単純な不倫物語と思われた事件がある社会性をもったものとして解明される。

 しかしこれは小手調べのようなもので、第二の事件の方がメインをなす。ここでは、連続殺人事件が探偵・呉誠の住まう地域で発生し、なんと、その容疑者に探偵役の呉誠自身が陥ることとなる。
 そこからどう抜け出て、真犯人にたどり着くかがこの小説の骨子になる。

 暗号や謎解きという本格推理の要素ももつが、行動を厭わないハードボイルドの要素ももつ。
 しかし、最も目立つのは、心理的、実存的要素で、冒頭での呉誠が探偵になる動機(=作者が小説家になる動機と重複?)の説明や、彼自身の心理的疾患の告白、それに彼を陥れるなど彼に挑戦する真犯人の心理的動機などがこの小説を彩る。

                            

 これら事件の解決の過程を通じて、彼がアカデミズムの世界から下町の下世話な人間関係に馴染んでゆく経緯は、ある種共感はあるものの、同時に安易な同一性の形成ではという疑問も残してしまう。

 謎解きの推理小説としては結構面白かった。


『台北プライベートアイ』紀蔚然(キウツゼン)訳:松山むつみ 文藝春秋

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