六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

映画とハナミズキと山法師

2014-04-29 14:23:35 | 花便り&花をめぐって
 過日、名古屋に出ました。
 久々の機会でしたので、つい映画のはしごをしてしまいました。
 その日、逢うことになっていた友人との約束の時間がけっこう遅かったので、その前座の意味もありました。

          

 しかし、もちろん自分で選んだ映画であったものの、それらがけっこう重くて、簡単には語れそうもありません。
 観た映画のみ掲げておきます。
 ひとつは『ある過去の行方』(アスガー・ファルハディ監督 フランス/イタリアの製作だが監督はイラン人)。玉葱の皮をむいてゆくように事実が明らかになってゆくのですが、それぞれの事実が人間の実存に根ざした虚実の狭間にあって、曰く言い難い映画でした。
 
 もうひとつは『パラダイス:神』(ウルリヒ・ザイドル監督 オーストリア)。狂信的で突撃的なカソリック信者の女性と、事故で半身不随になった回教徒の夫との物語。これもまたおぞましくも重い映画でした。

          

 風邪上がりで体調も優れない中での重い映画の二連発で、心身ともに疲れてげんなりしていたのですが、最後の出会いがよくて救われました。
 だいたいが夜型人間で、夜が更けるほど尻上がりに好調になるのですが、その日逢った友人との話題もいろいろ応答のしがいがあり、ワインの美味しさもあって心地よい会話になりました。

 で、岐阜駅から自転車を駆って、アメリカ・ハナミズキの並木道を通りながら、その日一日を反芻しながら帰途についたわけです。

             
              在来種のハナミズキ=山法師

 ということで、話は突然ハナミズキになるのですが、いまハナミズキといわれ、街路樹などにされているもののほとんどはアメリカ・ハナミズキです。
 なぜ、アメリカが付くかというと、アメリカから、とくに日本からのソメイヨシノとの交換大使のように送られてきたからだそうですが、そう形容しなければならないということはアメリカ産ではない在来種のハナミズキがあるからです。

 在来種のハナミズキは別名、ヤマボウシ(山法師)といわれ、都市郊外の山林でも見られ、また、アメリカのものが入ってくる前は、園芸種として庭なども飾っていたようです。
 ただ、この在来種の花の色は白一色で、アメリカからのものの白、赤、ピンクなどの彩りの鮮やかさに押されてしまって、あまり目立たなくなっているようです。

             
          
           上がアメリカ・ハナミズキ 下が在来種

 さて、色彩以外のその違いです。まず花についてですが、私たちがハナミズキの花だと思っているのは、実は総苞といって花を包む葉のようなもので、本当の花は中心部のポチポチッとした部分のようです。
 これはアメリカ産も在来種も一緒なのですが、この私たちが花びらだと思っている総苞の形がこの両者では違うのです。

 ともに4片の総苞からなっていますが、アメリカのそれは先端が割れているのに対し、在来種のそれは先端が尖っています。
 その他、幹の様子も違うようですが、いちばんの違いはその実です。色彩はともに赤ですが、アメリカのものが楕円形の縦長で表面がすべすべした実をつけるのに対し、在来種は茎が長くてまんまるで、その表面に昔の水雷(っていっても若い人にはわからないかも)のような突起が付いているのです。したがって、アメリカ産が上を向いた実をつけるの対し、在在来はぶら下がるように実を付け、その大きさもはるかに大きいものです。

          
          
           上がアメリカ・ハナミズキ 下が在来種
 
 私はかつて、そんなことは何も知らなかったずいぶん前、岐阜公園でこの実が鈴なりになっているのを見て感動し、公園の手入れをしているおばさんに、「これは何の実ですか」と尋ねたことがあります。「あ、これね、これは山法師。今年はよくなったね」と教えてくれたのです。

 しかしです、私はこの山法師がいわゆるハナミズキと同じものであることはつゆ知らず、「へ~、山法師ってこの実になんかよく合った名前で面白いなぁ」と当時は思ったのでした。
 いまはもう、上に書いたように分かっていますよ。

 
 山法師の花は名古屋の熱田区役所の入り口のものです。
  山法師の実は、岐阜公園へその後、撮しにいったものです。


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ツツジの怪 朱に交われば赤くなる?

2014-04-28 01:38:15 | 花便り&花をめぐって
  田舎住まいで40坪(って古いなぁ)の敷地があり、家屋の他に多少の空き地があるところに住んでいます。
 ここに住んで数十年、人にもらったり、山などでとってきたりした植物を配置して、植物群で家の周りを囲ってきました。ですから、庭というようなものではありません。もちろん、プロの庭師などのお世話になったこともありません。ときどき、「お宅は面白い木々がありますから手入れをさせて下さい」という飛び込みの売り込みがありますが、「いえ、そんなたいした空間ではありませんから」と、丁重にお断りしています。

          

 ですから、知らない間に枯れてしまった木も、また知らない間にどこからか来て生えてきた木もあります。少しかっこよくいえば、「去るものは追わず、来るものは拒まず」です。

 そんな私のうちに、2本のツツジがあります。一本は赤い花を付け、一本は白い花を付けます。これらの木は10mほど離れていて、赤は赤、白は白とちゃんと棲み分けていました。

          

 異変に気づいたのは7年ほど前です。白一色だったツツジの方に赤い花が二、三輪ほど咲いたのです。もう、樹齢は30年以上ですから、この突然の変容には驚きました。一番上の写真が2007年前の4月26日のものです。
 そしてそれ以後、赤が次第に勢力を増しつつあるのです。そして今では、一枝全部が赤くなり、さらに離れたところに赤い花が咲いたり、一見、白と思われる花に赤い斑が入るようにもなりました。

          

 そして今年は、ついにこの混合を象徴するような花が現れました。
 花の縦に半分が赤と白に分割された花が現れたのです。写真にマルを付けた花がそうです。
 一年生の草花ならば花粉による交配などでこうした現象が現れることは理解できます。しかし、れっきとした樹木で、しかも樹齢30年を経てこんな現象が現れるなんてその仕組みはさっぱりわかりません。何らかの形で潜勢力として閉じ込められていたものが現勢したのでしょうか。

             

 ようするに年々、赤が勢力を増しているのです。この段でゆくと、そのうちにこの木は全体が赤い花で覆われることになるかもしれません。
 しかし、そのスピードはさして早くはありません。2007年に二、三輪ほど見かけてから、7年、いまは全体の10%未満です。おそらくその赤化が進行し、この木をすべて赤く染める頃、私はこの世にいないでしょう。
 そして私の子孫たちは、「うちには赤いツツジの木が二本あってねぇ」と語ることでしょう。

          

 最後の写真は、遊びに来たミツバチ君です。
 ミツバチ君の減少も気になっています。かつては、この花が咲きそろう頃には、うるさいほどミツバチやアシナガバチなどが集まってきたからです。
 小動物ほど環境の変化には敏感です。
 彼らは確かに減少しています。
 蟻も蜘蛛も蝿も蚯蚓も螻蛄も飛蝗も蝗も団子虫や天道虫も蜻蛉も蜉蝣も・・・・。

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オバマ氏来日雑感とある疑問(竹島は?)

2014-04-25 00:55:24 | 日記
  写真は内容とは関係ありません。晩春の花と木々です。

 オバマ米大統領が国賓として来日しました。
 ここのところ、いささかぎくしゃくした感もある日米関係ですから、安倍首相としてはその修復と併せて自分のイメージ向上のため、かつての「ロン・ヤス」関係に近いものを目指し、その応対に力を注いだようですがどうなんでしょう。

 最初の夕食は高級寿司店での会食だったようで、翌日の記者会見で安倍氏は「オバマ氏が生涯で食べたもっとも美味しい寿司といった」ということを盛んに披露していましたが、どうも「楽しい夕食」とはゆかず(楽しげな様子は報道陣に写真を撮らせるまで)、その実態は以下のようだったらしいのです。

          

 「両首脳の関係を深める機会とされていた会食だったが、TBSの報道によると、大統領は世間話をしたり、すしに舌鼓を打ったりする間もなく、すぐに日米交渉の話を始めたという」

 「同店のすし職人、小野二郎さん(88)は、20貫ほどのすしを客の食べるペースに合わせて一つずつにぎる。だが〈すきやばし次郎〉と同じ雑居ビルの地下にある焼き鳥店の店主が〈次郎〉の店員から聞いた話としてTBSに語ったところによると、オバマ大統領はコースを半分ほど終えたところで箸を置いた。一方の安倍首相は完食したという。2人の会話はかなりフォーマルなものだったとされる」

          

 つまり伝えられる歓談とはいささか様子が違ったようなのです。
 ここでいわれている「日米交渉」とは主としてTTPをめぐる話しであることは容易に想像がつきます。ようするに、安倍氏は「楽しい夕餉」を演出したかったのでしょうが、オバマ氏の方は物見遊山に訪れたのではなくアメリカの国益を背負ってきたのだぞとばかりに実質的会談を求めたのでした。
 そして、それと並行して行われた甘利経済財政・再生相と米通商代表部のフロマン代表都の協議は翌24日の未明に至っても妥協点が見いだせない厳しいものでしたし、さらには24日午前の首脳会談、そして午後の協議を経ても結論を見るに至ってはいません。

 例えば日経は、「焦点は豚肉の関税だ。日本側は安い肉にかける関税をいまの4分の1以下にする譲歩案を検討しているが、さらなる引き下げを求める米国とはまだ開きがある」と伝えています。

          

 一方では、日本側が大きな成果として喧伝していることがあります。
 それは米側が、尖閣列島を日本の領土であり、したがって日米安保条約の適用範囲内に入ることを認めたということです。ということは、万一、尖閣で日中の衝突があった際、米軍の出動もありうるということです。なんかどんどんきな臭くなってきますね。

 しかし、一部で指摘されているように、これには幾分の疑問が残ります。
 というのは、あんな岩山だけの無人島のために、米軍が出動することをアメリカの世論そのものが許容するかということです。しかもここでの衝突は、この無人島に限定されず、下手すれば米中の全面衝突にもなりかねないのです。これはたんなる対中牽制かあるいは実質を伴わないリップ・サービスにすぎない可能性があります。

          

 そして、その代償が「集団的自衛権」のなし崩し的容認だとしたら(それは大いにあり得るのですが)、すでに指摘されているように、憲法の土台を揺るがしかねない大問題だといわねばなりません。
 さらには、TPPでの大幅譲歩もその代償の一部だとしたら、そのもたらす影響も無視できません。日経が伝えるように、日本側が準備しているという「豚肉にかける関税をいまの4分の1以下にする」という案だけでも畜産農家にとっては大きな痛手になりそうなのです。

 安保条約の適用についてはもうひとつの疑問が残ります。
 尖閣と並んで日本が領有権を主張し、実質的には韓国軍が実効支配し駐留している竹島(韓国名 独島)はどうなるのかということです。
 これが日本が主張するように日本の固有の領土であるとするならば、当然、尖閣同様、安保条約の適用範囲であり、したがって米軍は日本とともに現在駐留している韓国軍の排除を行ってしかるべきだということになります。

          

 しかし、もちろんこれはないでしょうね。
 ということは、アメリカはこと竹島に関しては日本の領有権を認めていないことになるのではないでしょうか。
 いずれにしても、尖閣と竹島の扱いには矛盾というかズレがあります。にも関わらず、あれほど、「竹島、竹島」といいたてている人たちがこの問題にはまったく触れようとしないのはなぜなんでしょうか。

 オバマ氏来日に関して思いつくままに書いてきましたが、氏の来日はそんなに甘いものではなく、アメリカの国益と、オバマ氏自身の米国民への政治的威信をかけているという点でとても真剣なものであったと思います。
 それは、安倍氏の「おともだち」感覚をはるかに凌駕するものであり、その内閣や、さらには官僚たちがどう太刀打ちできるのか、その成果が喧伝される割には、問題はなお投げかけられたままのようなのです。
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図書をめぐる嫌な話の続出とその背景

2014-04-21 20:58:38 | 社会評論
   写真は内容と関係ありません。 

 さきごろ、『アンネの日記』を破いて歩いた男は逮捕されたものの、精神的に不安定な状況にあるとして処分保留のままだといいます。責任能力の有無は私には分からないし、したがって、彼をしかるべく早く処分しろと主張するつもりはまったくありません。
 しかし、彼がなぜ『アンネの日記』やいわゆる「アンネ本」に絞って破いて歩いたのかには然るべき前提があることを無視するわけにはゆかないのです。

          
           桑の新葉と花、あるいは実の赤ちゃん

 それは、かなり以前から『アンネの日記』偽書説や事後的に捏造されたものだとする説がネット上などで主として「その筋」の人たちによって拡散されてきたという事実があるからです。今回、破損容疑者として逮捕された男も、そうした偽書説に影響されたことは逮捕後の続報の中で触れられてはいましたが、それ自身、れっきとした「ある思想的な影響下」にあるにも関わらず、なぜかごくわずかな取り扱いでしかありませんでした。
 もっとも、それが偽書だからといって公共のものを破損していいという道理はないからやはり何らかの意味で自制力が壊れた人なのかもしれません。

 問題は彼に影響を与えた偽書説ですが、欧米では裁判沙汰にもなり科学的鑑定をも経て完全に退けられたものであるにも関わらず、この国ではいまだに「ユダヤ陰謀説」に始まるネオ・ナチへの傾斜とともに語り継がれていることです。
 それらをネットから拾って見るとこんな具合です。

          
               スズランが咲いた

 「アメリカから、イスラエルが毎年、莫大な援助を受け取っているのも、何割かはアンネの功績であるかもしれません。アンネは、死して後も、ユダヤ人とイスラエルに貢献し続けているのです」

 「アンネの日記で恩恵を受けてきたユダヤ人団体やイスラエルにしてみれば、もし偽作であるとわかってしまえば、大変なことになります。『ホロコーストはな かった』と主張する人たちを勇気付けてしまいます。(ついでといっては何ですが、ホロコーストはありませんでした。ナチの収容所のガス室で殺されたユダヤ 人の数は、600万人ではなく、0人でした。ガス室自体が戦後に捏造されたものです)」

 「ヨーロッパでは、真実を追究すると罪に問われるそうです。法律はユダヤ人の嘘を擁護するためにあるのでしょうか?ヨーロッパがユダヤに組み伏せられ、口に ぼろきれを詰め込まれて沈黙させられている光景が浮かんできます。ヨーロッパはもう、ユダヤの支配から逃れられそうにありません」

          
          この斑ツツジ、咲いたらどうなるのだろう

 なかには、『アンネの日記』は「左翼の聖典」だそうで、したがってその存在を許してはならないといった主張もあります。
 繰り返しますが、容疑者は精神的に不安定な人だとしても、上のような主張に触発されたものであることは間違いありません。もっとも、私にいわせれば、上のような主張を得意になって吹聴している人たち自体がずいぶん精神的に不安定だといわざるをえないのですが・・・。

 さて、『アンネの日記』に関してはそんな状況なのですが、この22日、NHKが伝えるところによると、昨年、松江市の一部の小中学校で自由に閲覧できない「閉架」措置を取ったことが問題になった漫画『はだしのゲン』に関し、学校や図書館から撤去せよという要請が全国の自治体に対して寄せられているというのです。
 以下、NHKの報道によります。

 「漫画『はだしのゲン』を学校や図書館から撤去すべきだという要請が東京都や北海道など全国13の自治体に寄せられていたことが分かりました」

 「NHKが都道府県と県庁所在地の市、それ以外の5つの政令指定都市、それに東京23区の、全国121の自治体を対象に調査したところ、『はだしのゲン』を 学校や図書館から撤去すべきだという要請が、東京都や北海道、大阪市など全国合わせて13の自治体に寄せられていたことが分かりました」

 「『はだしのゲン』を撤去するよう要請されたのは、▽北海道、▽札幌市、▽仙台市、▽東京都、▽千代田区、▽新宿区、▽港区、▽大田区、▽豊島区、▽練馬区、▽文京区、▽大阪市、▽鳥取市の、合わせて13の自治体です。
また、撤去を求める意見書などが寄せられたのは、▽仙台市議会、▽中野区議会、▽足立区議会、▽神奈川県議会、▽松江市議会、▽高知市議会、▽鹿児島県議会の、7つの地方議会です」

          
             白い花に赤い筋が入っている

 たった13の自治体というなかれです。NHKの調査対象は121で、そのうち13ですから1割を超えています。これに意見書も加えると2割近い20の自治体に撤去するようにとの申し入れがあったということなのです。

 理由は「過激な描写」などですが、戦争、なかんずく原爆について描写するならばそれは避けられないというべきでしょう。作者の故・中沢啓治さんがどれほど「過激な描写」を行おうとも、現実の核爆弾やそれがもたらしたものはさらに過激にして過酷なものだったのですから。
 
 私はこれらの要請や意見書の背後にも、ある特定のイデオロギーによって組織された動きを感じざるを得ません。これらの意見は表現の自由や、それを享受する自由を奪う動きなのですが、同時に、そうした一般的な問題に解消できないある意図的なものの包囲を感じてしまうのです。

 それは、上にみた『アンネの日記』も同様ですが、きわめて狭小な視野からみた世界観に依拠し、それにそぐわないものを敵=排除の対象として襲いかかるという不寛容で独善的な立場の浸食作用です。
 いってみれば、きわめて単純化された論理に依拠した他者の排除で、それらが幅を利かせる時、気付いてみたら私たちの選択肢はきわめて貧しいものになり、ある悲惨へと導かれることとなります。

 ある政治哲学者は、全体主義体制が実現するまでの前座として、過激な論調で排除を叫ぶ連中をモッブ(恨みつらみを発散する社会的敗者)と名づけましたが、この国でもそうした連中が勢いを増しつつあるようなのです。
 そしてそれは、現政権との親和性がきわめて強いところに特徴があります。
 
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「積極的平和」とは?  続・政治化する言葉の逆転現象

2014-04-18 01:47:20 | 社会評論
 前回は、安倍首相がその施政方針演説で述べた「責任野党」という言葉について触れましたが、今回は、安倍首相がやはりその施政方針演説で披露したもう一つの言葉「積極的平和主義」について考えてみます。
 「積極的に平和を推し進める」っていいですよね。どうぞお進めくださいといいたいところですが、どうも様子が違うようなのです。その上、この「積極的平和主義」は周辺諸国からは強い懸念を持って警戒されているようなのです。
 なぜなのでしょうか。

          

 ここでもまた、安倍氏の「おともだち」が事情を明確にしてくれます。
 安倍氏が全幅の信頼をおきNHKの経営委員に送り込んだ長谷川三千子氏が、この15日に開かれた日本外国特派員協会での記者会見でまさにこの「積極的平和主義」を取り上げて説明をしています。

 長谷川氏によれば、「平和主義」には「消極的平和主義」と「積極的平和主義」があり、前者は「オツムに花を挿して歌を歌っていれば平和に貢献していると考えているフラワー・チルドレン」だとしてこれを退け、こう続けます。
 「オツムに花を挿している間は、マシンガンを撃つこともできないし、スナイパーから身を隠すこともできない。花を挿しているときは人を殺すことができない精神状態だ。ひとたび戦闘が起これば役に立た ない。」

          

 これでもって長谷川氏、そして安倍首相のいう「積極的平和主義」の実像が見えてきます。
 「積極的平和主義」とは「マシンガンを撃」ち、「人を殺すことができ」るような「精神状態」をもって「戦闘」に役立つものだというわけです。
 そして長谷川氏は、正当にも、「PKOは時々戦争状態になるし、あるいは戦争そのものである」ことを認め、さらに記者の質問に答えて、「積極的平和主義は常に戦争に近いところを行く。時々戦争そのものになるだろ う。実際、食料かなにかを運ぶのでも殺されるだろう。戦地と非戦闘地域との境目はない。積極的平和主義とは戦地に行くことだと考えなければいけない」といっています。

 ようするに、「積極的平和主義」とは、積極的に平和を推し進めるというより、むしろ、「常に戦争状態に備えよ」ということなのです。
 こうしてみると、安倍首相の進める集団的自衛権を現行の憲法下で認めてしまおうとか、武器の輸出入に関する制限を緩和してフリーにしようとかいった動きが、一貫性をもったものとしてよくわかります。

 「積極的平和主義」とは、「気分はもう戦争」という首相のイメージを現実化しようということなのです。

          

 「積極的」という言葉のこの用法は要注意ですね。この段でゆくと、「積極的民主主義」が、中央集権化された統制のシステムであったり、「積極的自由」が、ある一定の志向しか許さない自由でありうる可能性があります。
 ようするに、こうした「積極的」の用法は限りなく全体主義に近いものを彷彿とさせます。

 さて、前回の「責任」という言葉、そして今回の「積極的」という言葉に関していうならば、ともに「責任」はあった方がいいし、「積極的」であったほうがいいと思いがちなのですが、その内実にはとんでもない思惑が潜んでいるといわねばなりません。

          

 結びとして、敗戦の翌年、1946(昭21)年の『思想の科学』創刊号に書かれた鶴見俊輔氏の言葉を掲げておきます。ここでいわれている「お守り言葉」とは、ある言葉たちが、その意味内容が検証されないまま、ある種の権威を帯びて流通する事態を指しています。
 おおよそ70年前に書かれたものですが、ある種の普遍性をもっていますね。
 
 「政治家が意見を具体化して説明することなしに、お守り言葉をほどよくちりばめた演説や作文で人にうったえようとし、民衆が内容を冷静に検討することなしに、お守り言葉のつかいかたのたくみさに順応してゆく習慣がつづくかぎり、何年かの後にまた戦時とおなじようにうやむやな政治が復活する可能性がのこっている。」
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「政治化する」言葉の逆転現象について 「責任野党」

2014-04-16 14:56:58 | 日記
 写真は直接関係ありません。身近な春爛漫です。

 言葉にはそれ自身が担っている伝統的な価値評価のようなものがあります。例えば、「責任」と「無責任」を並列されると、つい、「責任」の方を選択してしまいがちです。また、「積極的」と「消極的」との場合では、なんとなく「積極的」の方がいいんじゃないのと思ってしまいがちです。
 政治の言葉は、それらを巧みに使います。いわゆるレトリカルな使用というやつです。

          
             うちのすぐ脇のハルジオン

 われらが安倍首相もそうした言葉の使い方を多用するのですが、それが実はその言葉がもつ伝統的な価値を利用した詐術であることがしばしばで、私たちはその言葉が意味するものからしたら、実は正反対のものを掴まされている場合があるのです。
 以下に例を挙げてみましょう。

「責任野党」

 安倍首相は、本年冒頭の施政方針演説において、さまざまな政策を述べたあと、それらを推し進める主体として、自公の与党は当然として、それをさらに外から支える野党として、「責任野党」という言葉を用いました。
 
 この、無責任ー責任の分類には、「何にでも反対するしか能のない野党」を念頭に、場合によっては自分たちを支えてくれるであろう野党への期待をにじませたものでした。とりわけ憲法の改正等には、三分の二という壁がありますから、より多くの「健全で責任ある」人たちを集めたいわけでしょう。
 一般的にいっても、こうして野党を分断しようという戦術は巧妙といっていいかもしれません。

 ところで、首相がそれを述べた折、具体的に念頭に置いていたのはどこでしょうか。ひとつは、橋下氏率いる「日本維新の会」でしょう。そしてもうひとつは、渡辺代表が率いていた「みんなの党」だろうと思われます。
 あるいは党全体ではないにしても、改憲の志を同じくする、民主党内の人たちへの語りかけであったのかもしれません。

          
          南天の新葉 右上が私の軟禁されている部屋

 ところで、それらの責任野党はその後どうなったでしょうか。
 まずは「日本維新の会」ですが、橋下代表の「大阪都構想」がなかなか理解されない(?)ということで、いきなり市長を離職し、何十億の税を無駄に用いて出直し選挙に訴える事となりました。
 結果はご承知のように、橋下氏の再選となりましたが、有権者総数に対する絶対得票率は17.85%であり、二位は67,500票の無効票という異例の展開となりました。

 結果として、橋下氏の信頼度が増したかというとそれは逆効果という他なかったと思います。それにも増して露呈したのはこの党のデタラメさで、相変わらず、共同代表の石原氏の言説はちゃらんぽらんで、東は東、西は西といった具合です。
 そんなわけで、私たちはこの政党が何を目指そうとしているのか、何にどう責任をとろうとしているのかもさっぱり見えてこないのです。

          
            やっと開き始めたわが家のツツジ

 もう一つがみんなの党です。もともと、「ジミンなの党」と揶揄されるぐらいですから安倍氏の期待の大きさはわかりますが、この党がとんでもない金権政党であることが公になってしまいました。
 化粧品会社の会長から借りた(?)8億円で渡辺党首が熊手を買ったと言い繕っていたのですが(国民を馬鹿にした説明ですね)、それがもたないと見るや急遽、党首の座を降りたものの、その事態がなぜ公職選挙法や政治資金規正法に違反しないのかは未だに闇の中です。

 これらが「責任野党」の「責任」の実態なのです。
 間違いはどこにあるのでしょうか。
 「おともだち内閣」にふさわしく、自分たちに近いものに「責任」などの形容をやたらつけることが間違っているのです。こうした安倍氏の主観的願望とは違い、国民にとって「責任ある野党」とは、政権与党の足らざる点や、危険な政策をちゃんと把握し、それを国民に伝える野党本来の仕事をするところなのです。

 風邪のため疲れています。
 もう一つの「積極的」という安倍氏流の言葉の用法の逆転ぶりについては次回に譲ります。

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老人の集いと時間のエコノミーについての考察

2014-04-13 00:55:41 | 日記
 先般、親しい仲間内の月例の会合が開かれました。
 いつもは名古屋で行うのですが、今回は諸般の事情で岐阜で行うこととなりました。
 ところが定刻になっても二人が姿を見せません。

 そこで連絡を、といっても簡単ではありません。その内のお一人は、できるだけITにかかわらないとのことで、PCは持っていてもワープロ機能限定の使用ということが示すように、携帯もお持ではいらっしゃいません。
 したがって連絡は、ご自宅のお連れ合いを介して、この方は公衆から、こちらからは携帯での連絡となります。かくして電波がV字型に飛び交うなか、原因が判明しました。この方、集合場所が岐阜駅だったにも関わらず、お気の毒に名古屋駅で一人ぽつねんと待っていらっしゃったのでした。
 で、これから参上ということで解決。

          

 もうお一人は、すぐにキャッチ出来ましたが、こちらの方は11時集合を11日集合(集まったのは10日)と勘違いしてらっしゃったということでまだ自宅。
 で、これから駆けつけるということで解決。
 前者は空間の錯誤、そして後者は時間的な錯誤でした。

 結局、全員が無事、長良河畔の所定の場所で顔を揃えることが出来たのは、予定の時間から1時間半遅れた12時半でした。
 それでも総勢7人のフルメンバーが顔を揃えることが出来たのは久しぶりで、みんなでよかったよかったと喜んだのでした。

          

 ここまで読んだ若い人たちはイライラされるかもしれませんね。
 しかし、平均年齢が80歳に近い集まりはこうしたものなのです。
 だから、お互いの無事到着を喜ぶことはあっても、遅れたひとを責めたりすることはありません。
 
 なぜなら私たちはもう、Time is Money.などという小賢しくも窮屈な時間概念を超越しているからです。
 世間の大半の人にとっては、時間はなにものかを生み出すための手段なのかもしれませんが、私たちにとっては、時間は何かのためというのではなく、その経過自身を固有の仕方で味わう対象なのです。
 ですから、生産のための時間はそれ自身はニュートラルで、最終的にはお金になる(ならねばならない)という怪しげなお化けなのですが、私たちが確実に消費する時間は、そうしたお金というテロスとは無関係な、それ自身価値あるものとして固有な色彩や重量をもっています。

          

 生産のための時間は誰彼なく交換可能ですが、私たちの時間はそうではありません。
 ですから「時間に遅れた」のではなくて、「遅れるという」時間をもったのです。
 また、なにがしかの時間を待ったのではなく、「待つという時間」をもったのです。
 したがって、これでもって誰かが損をしたわけではありません。
 生産場面だったらロスタイムとしてタイムスケジュールのなかから削除され、そうした無為な時間を生み出した者は懲罰ものでしょうね。

          

 昔は、よくその地方などでの固有の時間の流れがありました。
 例えば「名古屋時間」というのがあって集合時間が何分か遅れるのは当たり前で、その遅れの幅が「名古屋時間」や「岐阜時間」を特徴付けていました。
 そうした折でも、人びとはさして怒ったりせず待ったものです。

 しかしそれらは、「非」近代的風習として否定され、今日に至っています。
 ここから見えるのは、近代というのは時間が人それぞれや地方的な色彩を失って、均質になったこと、つまり、ニュートラルでのっぺらぼうで、もっぱら生産のツールとして、金に化けるべきものとなったことが伺えます。
 
 かくして無為な時間(=金に化けない時間)はあってはならない時間であり、働く人たちにとっては、それ自身楽しむべき休養の時間も、「リクレーション=Re-creation」 というフレーズが示すように、新たな労働のために奉仕すべき時間としてあるのです。

          

 こうなると、人間が時間を用いているのではなく、時間が人を支配していることになりますね。
 そんなわけで、時間の現象学的考察は、はからずも時間における疎外状況をあぶり出すのです。
 え?暇な年寄りがたわけたことをと思いですか?
 それはそれでけっこう。
 せいぜい時間と追っかけっこをお続けください。
 その結果として退職金を手にした時、精魂尽き果ててたりしないようにね。
 あるいは、時間の消費の仕方が分からなくなったりしていないようにね。
 これはイヤミではなく、心からの忠告です。

          

 長良河畔、名残の桜が舞い散っていました。写真はそのうちのまだ満開だった日中友好公園内の枝垂れ桜です(10日撮影)。
 


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春宵一刻、老爺つどいて酒宴の談

2014-04-09 17:48:40 | 日記
  写真は本文とは関係ありません。 

 高校の同級生たちと久々に会う。
 昨年暮れに集まろうかという話が出たが、お互いの日程がつかず実現しなかったので半年ぶりぐらいになろうか。

 私としては先月の20日以来、図書館と買い物のほかは外出をしておらず、したがって人と話す機会もなかったので、メールや電話を除いて、生身の人間と話すのは久しぶりになる。

           
            ツツジの蕾がどんどん大きくなってきた

 今回は三人だった。
 いずれも高校時代、歴研や社研、文芸、演劇など文系サークル出身だけに、かつてはテーマを決めて勉強会などを行っていたが、最近はそうしたこともなくなった。しかし、時事問題などは相変わらず話題となる。

 今回は、今なお果物屋で頑張っているH氏の問題提起が盛んで、今年は冬が長引き寒い期間が目立ったように見えながら、全体としては温暖化の影響がじわじわと浸透しつつあり、それは各種果物の入荷時期や終了時期の変遷に顕著に見て取れるとのことだ。

 果物ではないが、岐阜の人たちが誇りにしている淡墨の桜(エドヒガンの古木・1922年に国指定の天然記念物・樹齢1500年余)も、かつては、岐阜市あたりのソメイヨシノが咲いてから1週間か10日後の開花だったのが、いまは殆ど同時である。
 そのソメイヨシノにしたところで、私の子供の頃は4月になったらというのが普通であったが、今や岐阜近辺では3月の25日頃から花をつけ始める。

           
                これはもうはち切れそう

 そんな話から、小売業の衰退へと話題は移る。やはり、H氏の現業ゆえの経験で、同業者はかつての5分の1を割ったのではないかという。しかも、そうした業者衰退の風潮は収まるところをしらず、さらに進行するというのだ。
 そのひとつが今回の消費税のアップで、耐久消費財は駆け込み需要で一息はついたものの、果実業ではそれもない。鮮度が命の果物を買いだめするひとはいないであろう。そのくせ、税率アップの値上がり感による買い控えで、一方的に売上が落ち込むのみだという。彼の見通しでは、果実業や青果業を始め、さらに廃業が進むのではないかという。

 私が話題を引き取る。私のよく行く酒類のディスカウントショップでは、3月末の駆け込み需要はあったものの、4月に入って売上は全くの停止状態で、広い売り場に客は私一人、店長は「こうなるとはわかってはいたものの」とべそをかいていた。で、たまに来た私のような客が、年度末棚卸しで半端物になり半額にしたワインを2本だけ買って帰ったのではたまらないだろうな。

 事実、TVあたりで見る限り、あまりにも不振な売上に業者がたまらず、大幅なディスカウントを行う結果、結局、3%値上げ以前よりもはるかに安い商品が溢れていて、駆け込みで買った連中がかえって渋い顔をしているという話も出ているようだ。

 
                  
    6鉢に株分けしたスズランがそれぞれ芽を出す もう花穂もつけている

 もちろん、近頃、8億で熊手を買った政治家の話や、何十億も使った大阪市長選のわけの分からなさ、そしてその関連で安倍くんが「お友だち」として囲い込んだそれら「責任野党」がいかに「無責任」であるかなども、余すところなく酒の肴となった。

 まあ、話はこうしたとりとめのない床屋談義のようなものであるが、それはそれでいいだろう。
 かつて、勉強会などをしていた折には、なにかまとめのように共通する言葉を見出してそれでそれらの現象を解明しえたかのように思っていたが、その共通する言葉自体がどんどん変遷する中では、その変容そのものを現象として認め合うこと、いやぁ、実に変わってきてしまったなぁ、これからもどんどん変わるんだろうなぁという驚きを共有することでいいのではないかと思う。

           
           去年買ったモッコウバラの苗がすっかり根付いた

 というようなわけで、床屋談義がひとしきり続いたあと、もう何十年来行きつけのカラオケスナックへ。めいめい勝手に、ほぼ決まりきったレパートリーを喚いて適当に鬱憤を発散し、それ相当な自己満足のうちに帰途につく。
 あ、そうそう、この内で誰が一番先に逝くだろうといった話が出たことはいうまでもない。


H氏のおまけの話 
 この頃、葬儀の簡素化、いわゆる家族葬やジミ葬が増えて、果物屋や花屋は泣いているそうだ。これもまた高齢化社会の影響で、リタイヤーしてずいぶん経ち、現実とのつながりがほぼ絶たれたところで死んでゆく者たちのために、金はかけられないということなのだろう。
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柾(マサキ)の新葉が眩しく輝いて・・・・

2014-04-06 18:09:00 | 日記
 私が棲息している二階の窓越しに一本の柾(マサキ)の樹がある。
 この樹が今年も新年度を迎えた。
 なぜ新年度などという言い方をするかというと、もちろんそれには訳がある。

          

 この柾、いわゆる常緑樹である。
 ようするに一年中緑の葉をつけている。
 しかし、何年も同じ葉をつけているわけではない。
 葉の寿命は一年であるが、その交代を実に巧みに行うので、通りがかりの視線では、あたかも何年も同じ葉をつけているようにみえることだろう。

 ちょうどその交代が一年のうちでこの時期に当たる。
 具体的にいうと、3月の初め、各地で卒業式が行われる頃から去年の葉が散り始める。
 それとほとんど同時に新しい幼葉がつき始め、次第に成長する。
 そしてこの4月の初め、新学期の頃にほぼその交代が終わる。
 これを称して「柾の新年度」という次第である。

          

 ご覧のようにこの柾は葉に白い文様などがある斑入りではなく、もっとも単純なものであるが、その新葉が実に鮮やかで美しい。
 PCいじりや読書に疲れて目を上げるたびに、この柔らかい緑が私の目を潤す。
 「小さは至福」などとつぶやいて一人で悦に入っている。

 新葉のお出ましで嬉しいのは、それとともに小さくて目立たないが、可愛い花のつぼみが現れることだ。やがて5月から6月になると、慎ましやかで目立たないけれど、実に可憐な黄緑色の花を付ける。
 人の視線には小さく目立たないが、小動物たちにはけっこう人気があって、開花の時期には蜂や蝶(モンシロやアゲハ、ツマグロヒョウモンなど)がひっきりなしにやってくる。

   
     下の方の黄色い葉が昨年度の葉  
                
                  これはその落葉したもの お疲れさん

 この小さな花、一丁前に秋には結実し、当初は地味な色だが熟すに従って表皮が裂開し、赤い数ミリの実が点在することとなる。
 すると今度は、鳥たちの出番である。雀やキジバト、ムクドリやヒヨドリもやってくる。
 そういえば去年は、秋口にキジバトがこの樹に巣をかけたのだった。
 雛の巣立ちと台風の襲来とが重なりそうでずいぶん気を揉んだが、どうやら二羽の雛は無事に巣立ったのだった。

 
          
             小さくポツポツ見えるのが花の蕾

 どうということはない一本の樹だが、それなりの物語を醸し出していて、私の視界には不可欠なものである。
 樹齢としてはもう40年以上になると思うのが、それらしい手入れもしないままこれまできた。今後はどうであろうか。
 ここまで書いて、不意に笑いがこみ上げてきた。
 相手の樹齢を気にするまでもなく、私自身がもうじゅうぶん老いているのだ。

          
        これは通行の邪魔でやがて払わねばならない しばし留めおく

 でも、周りのちょっとした自然が、慰めてくれるのは嬉しいものがある。
 それは同時に、こちらにそれを受容する能力がまだ残っている証だからだ。
 柾よ、お互い今年度もがんばろうではないか。
 そしてこの年度も、四季折々の物語を見せておくれ。
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明日への決意と可哀想なスミレ

2014-04-03 22:27:31 | 写真とおしゃべり
 ここ2、3日おかしい。
 自分のほうからの能動的な行動がほとんどできていないのだ。
 いろいろ自分で考えてみたのだが、やはりある種の「燃え尽き症候群」に属するのかもしれない。

 もちろん「燃え尽きる」ほどの大したことをしてきたわけではない。
 昨年末、そしてこの3月と、東京、名古屋で行ってきたミニコミ誌への連載が終わったのがひとつだ。この連載、一方的に自分が書くというよりも、投稿者や読者との応答のようなものだったのでけっこう楽しかった。
 終わってみると、自分が考えていたほど軽い仕事ではなかったのだということが改めて分かる。

          

 もうひとつは、関わってきている同人誌の次号分の原稿を書き上げたことにもよる。
 私の場合は、その棲み分けからいって評論的なものを書いているが、なにせ専門領域のある学者と違って、すでに蓄積された知識のなかから切り分けて何かをホイと出すわけにはゆかない。
 だから、次号に目標を定めて懸命に勉強をする。そして、学生がその期のレポートを提出するような気持ちで必死に書く。
 だからそれを書き上げるということはひとつの区切りを意味する。

 まあ、それらの時期が重なったゆえの虚脱感かもしれない。
 個別に嫌なこともあったが、そんなものは生きていれば必ず遭遇するようなことで、それを引きずっていてはこの先(何年あるかはしらないが)生きては行けない。

          

 ある種の「燃え尽き症候群」の自覚は、同時に、これからはまさに、何かに促されるのではなく自分で自分を律して生きてゆかねばならないという「老いの本番」を迎えたことを意味する。
 だから、この間のだらしなさを、外部の何かのせいにして、このままで過ごすわけにはゆかないのだ。

 昨夜、それを自分に言い聞かせた。そして、今日(3日)はブラブラしていることを許すとして、明日、4日からはシャキッとして図書館へ行って新しく取り組むテーマに則した書を検索してこようと思う。もちろんその取っ掛かりになるものを借りてくるつもりだが。

          
 
 それで、今日一日のブラブラの報告。
 午前中は町内会の班長として、回覧板を作成し、それを回し始めるとともに、担当地域の各戸に広報を配って歩いた。
 
 その後、昨年見つけた私の聖地へつくしをとりに。
 ああ、しかし、2、3日遅かった。
 ほとんど穂の部分が開いてしまっている。
 しかし、その部分のほろ苦さもつくしの味なら、茎の部分の感触もつくしの味、今年はこれで我慢することにする。
 袴を取って綺麗にしたらなんとか見られるようになった。

          

 つくしを取りに行ったところで、スミレの花を見つけた。
 この花を見るとモーツァルトの歌曲「スミレ」を思い出す。
 これはモーツァルトが曲を付けた唯一のゲーテの詩で、最後には野のスミレが愛する女の子に踏まれてしまい、しかも、彼女に踏まれたことを喜んで死んでゆくというのだから、ずいぶんマゾヒスティックな詩だと思う。
 しかし、その歌曲は澄み渡っていてあくまでも美しい。

   ・・・・ああ、それなのに! 少女はやってきたが、
   そのすみれには目もくれないで、
   あわれなすみれを踏みつけてしまった!
   すみれはつぶれ、息絶えたが、それでも嬉しがっていた
   ともあれ、自分はあのひとのせいで
   あのひとに踏まれて
   死ぬんだから と!

   かわいそうなすみれよ!
   それは本当にかわいいすみれだった。

               (西野茂雄:訳)

  https://www.youtube.com/watch?v=PAiBT2k3eUI
    キャスリーン・バトル(ソプラノ)

          

 いずれにしても、明日からはまた気を取り直して頑張ろう。
 「ぐ~ち~もいわずに、女房の小春~」
 え?わかんない?Wikiで村田英雄、または『王将』をどうぞ。
 『王将』ったって、餃子屋さんの方じゃあないよ。
 そういえば、あそこの社長の射殺事件ってどうなったんだろう。




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