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六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

「自由の森学園」 覚書き

2015-08-31 23:27:33 | よしなしごと
 https://www.youtube.com/watch?v=tasJNPv9J1c&feature=youtu.be

 8月30日、国会前の集会で、「自由の森学園」の有志(といっても100人以上はいる)が、合唱を披露したというので、この学園について調べてみた。
 この学園の理念は、「三つの道具」として提示されている。
 
 その第一は「めがね」。
 「他者と、社会と、世界と。 出会い、見つめ、考え、感じる。 私の心に体に、私が生きる世界を届ける〈自分のめがね〉。

 その第二は「ひきだし」。
 「蓄えて、整理して、なくしたり出てきたり。 たまに出して触ったり、もういらなかったり。 少し前の、すごく昔の私に出会う〈自分の引き出し〉。

 その第三は「コンパス」。
 「めがねで見つめたもの、引き出しに蓄えたものを、見渡し、頭をひねり、イメージする。 時にぐるん!と逆さを向くなどうつろいながらも、たしかに私を次の一歩にいざなう〈自分のコンパス〉。

 まるで谷川俊太郎の詩のようだ。
 要するに、「競争原理に頼らない教育」「〈テスト学力〉を超える学び」が目標らしい。
 その他、さまざまな独自性をもった学園のようだ。
 くわしくは以下。
 
 http://www.jiyunomori.ac.jp/

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%81%AE%E6%A3%AE%E5%AD%A6%E5%9C%92%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%83%BB%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1

 上の理念や目標を実現するために、さまざまで面白い仕組みや試みをもったユニークな学園であることが伺える。
 私も、こんな学園で学んだら、もっとおおらかな人間に育ったかもしれない。

 なおこの学園は、中学校、高等学校からなる。 
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秋雨 下水道料金 キジバトの巣

2015-08-27 18:05:49 | よしなしごと
 ここんところ、さすがに朝夕涼しくなってきたのはありがたいのだが、連日、一日に一回、日によっては二回ほど激しい雨がやってくる。
 今はもう夜半だが、閃光とともに雷鳴が轟き、車軸を流すような雨が降りだした。午後にも一度そうした降りがあったので今日は二回めだ。

 降雨のメリットは、それによってぐんと涼しくなるのと、庭木に水をやるの手間が省けることだ。これは重なる雑用でやや忙しい私にとっては、とても助かる。
 それと、私にいわせれば、理不尽にとられているある経費が助かる。
 それは下水道料金である。

 わが家は井戸水を用いている。夏は冷たく、冬は温かく快適である。
 その上、水道料金はかからない。
 しかしだ、下水道の料金はしっかりとられている。
 それは、井戸用のポンプの傍らに取り付けられたメータで計算される仕組みとなっている。

          

 しかしである。
 この猛暑の中、私が連日庭の草木にやる水の量はかなりのものになり、場合によっては、一日の水の使用量の何十%かを占めるのだが、それらは庭の土壌に吸収されるのであって、下水道のお世話になるわけではない。

 ある日それにはたと気付き、水道局にかけあってみた。
 「庭の草木にやる分は下水道料金から除外してもらえないか」と私。
 「しかし、用途別に計量できるメーターなどは不可能ですから」と水道局。
 さらに追い打ちがかかる。
 「水道を利用して庭木に水をおやりになっていらっしゃるご家庭では、その分の水道料金はもちろん、下水道料金もお支払いいただいています」

 敵もさるもの引っ掻くものだ。
 で、究極のクレーマーにはなりきれない私はこの段階で敗北宣言。

 だからして、ここ数日のように降雨があり、庭木への水やりが不要なのはとても助かるのだ。
 しかしである。この連日の一時的とはいえ激しい降雨はもう一つの不安の種なのだ。

          

 それは、ここ一〇日ほど前から、庭のマサキの枝にキジバトが巣をかけて産卵し、連日、親バトが抱卵している最中だということだ。
 ひなの孵化も近いと思われる。
 この激しい雨のなか、身じろぎもせずにいる親鳥が不憫でならないのだ。

 人間と違って、滅多なことでは育児放棄はしないと思うのだが、それでも時折の激しい雨はとても心配だ。
 今日はまた、一段と強い降雨の時間が長い。
 こんな状況下、ひなは無事、孵化し、巣立つだろうか。
 親鳥は大丈夫だろうか。

 そんなことを考えると、「世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」(在原業平)ではないが、「わが庭ににたえて鳩の巣のなかりせば 秋の驟雨ものどけからまし」なのである。

 こんなことを書いているうちに、幸い、雨の勢いは弱まってきたようだ。

《続報》朝一で巣を見ると、ちゃんと親鳥が身じろぎもせず頑張っている。あの篠突く雨のなか、よく頑張ったものだ。
 

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映画『この国の空』を観る(ネタバレ極力なし)

2015-08-26 13:52:15 | 映画評論
 この映画は、戦後70年を意識して作られてはいるが、戦場や兵士の話ではなく、「銃後」の話である。
 銃後とは、簡単にいってしまえば戦争には直接ゆかない人たちの話だが、しかしながらそれが戦争や戦場に直結し、それらに規制された厳しいものであったことはいうまでもない。
 国民生活の一挙手一投足が厳しい統制下にあったことは、当時幼年時代を過ごした私も経験している。

 しかし、この映画はそれらを、理不尽なものとして強調するよりも、当時の自然な一般的背景であり、日常としてをさらりと描いている。
 たしかにそれらは、度重なる空襲、焼け出され、食糧難、田舎への買い出し、などなど大変なことの連続ではあるのだが・・・。

          

 それらの銃後の世相として、まずは若い男性はまったく登場しない。子どもたちも疎開の結果として町には一人もいない。いるのは女性と老人ばかりだ。
 買い出しに行った田舎で川遊びをする子どもたちを見かけ、「まあ、ここにはこんなに子どもたちが・・・」が驚くシーンが象徴的である。

 したがって、19歳という思春期を迎えた里子(二階堂ふみ)の周辺にも、若い男性はまったくいない。
 ただ一人、30代なかばで兵隊検査で「丙種(あまり健康ではない)」と認定され、召集令状を免れた銀行員の市毛が、里子の隣家に住むのみだ。

 この市毛は、家庭を持っているがその妻子を田舎へ疎開させ、単身で暮らしている。したがって、里子の性的リビドーは、その市毛を対象とするし、市毛の方も何かと身の回りの世話をしてくれる里子を心憎からず思うようになる。

          

 しかも時代は1945(昭和20)年の夏とあって、銃後といえども、引き続く空襲、米軍上陸に際しての本土決戦の切迫感と、状況はもはや急雲を告げようとしている。そんな状況を背景に、里子と市毛の関係は急速に接近する。

 そんななか、友人に新聞記者がいる市毛によって、8月14日の夜、敗戦の報がいち早く里子たちにもたらされる。
 そして、それを聞いた里子の横顔のクローズアップで、映画は終わるのだが、そのテロップには、「私の戦争は明日始まる」とという里子の決意のようなものが表明される。

          

 この瞬間まで、「銃後」は、まるで自然現象であるかのように描かれていたのだが、その銃後を銃後たらしめている戦争が、まさに人為的なものであり、それが故にその終焉を迎えつつあることが示される。
 そしてそれは、里子にとっての意識的な戦争の始まりであり、この国にとっても戦後という社会をどう作ってゆくのかの新たな戦いの始まりでもあった。

 エンディングにオーバーラップして、茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき」の詩が朗読される。

          

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり
卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように ね


          

 したがって里子の言葉である、最後のテロップは、茨木のり子がそうであったように、この時代に「一番きれいだったとき」の女性の「戦後の戦いの始まり」を示唆している。
 そしてそれは、すでに述べたように、この国の私たち全員の「戦後」という時代そのものを問うてもいるのだ。

 果たせるかな、監督の荒井晴彦は次のように語っている。

 「この国の戦後は、戦争が終ってよかっただけでスタートしてしまったのではないだろうか。まるで空から降ってくる焼夷弾を台風のような自然災害のように思って、誰が戦争を始めたのか、そして誰がそれを支持したのかという戦争責任を問わずに来てしまったのではないだろうか。戦争が終ってバンザイじゃない娘を描くことで、この国の戦後を問えるのではないかと思った。」

 その意味ではこの映画は、井上ひさしの原作で、黒木和雄監督(宮沢りえ主演)によって映画化された『父と暮らせば』とどこかで通底するのかもしれない。

 里子を演じる二階堂ふみの演技は細やかな神経がゆきとどいているし、脇を固める、工藤夕貴、富田靖子、石橋蓮司、奥田瑛二なども手堅い。里子の相手役、市毛に扮する長谷川博己は後半やや硬いように感じたが、そういう演出だったのかもしれない。

 余談だが、「この国の空」を飛ぶB29の映像がとても綺麗だった。私もあの敗戦の夏、上空を飛ぶそれを見て、恐怖心とともにすごいなぁと思った記憶がある。
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中1殺人事件 若者の自由 監視カメラ

2015-08-22 23:30:58 | 社会評論
 写真は内容とは関係ありません。最近の散歩道から。

 大阪の中1殺人事件は何ら物証がないといわれ、捜査が困難視されていたが、発生後一週間、急転直下、容疑者が逮捕された。あくまでも容疑者であるから解決したわけではないが、ひとつの糸口が見つかったことは事実だろう。
 若い命が失われたという事実が解明される端緒が開かれたことは素直に良いことだと喜びたい。迷宮入りになったのでは失われた若い命は浮かばれまい。

 それらを前提として、この過程を見ていて私が感じたことなどを、いささか事件そのものからは脱線するのだが、記してみたい。

            

 ひとつは、現在の中学生のありようである。私の感覚では、中学1年生の13歳の少年少女が、夏休み中とはいえ、夜を徹して自宅以外で過ごすことが今では当然ありうることなのだろうか。
 もちろんそれが事件の核心であり、だから殺されて仕方がないというつもりなどは毛頭ない。それにつけこんでの凶行こそが責められるべきはいうまでもない。
 しかし、私の中には、なぜ中学生が夜を徹して徘徊するのかがよくわからない。今はそういう時代なのだろうか。

            

 私自身、若いころ、厳しい校則などに反抗したことがある。高校生の頃、それに抗議をする集会なども開いた。そして自由を求めた。
 しかし、現状の中学生の動向は、そうした半世紀前の私が求めた自由な行動をもはるかに上回っているようだ。

 今一つは、街頭の監視カメラの機能についてである。
 当初、被害者の少年少女たちの寝屋川駅近くでの映像が繰り返し流された。容疑者逮捕の状況を報じるニュースでも、彼の車の行き来の映像が決め手になったという。
 ようするに、被害者も加害容疑者も、そうした監視網にしっかり捉えられていたというわけである。

            
              チャバネセセリ 体長1センチ余

 これはすごいことではあるまいか。現在の監視網は、特定の個人がいつ、どこで、何をしているのかを映像として記録し、再現することができるのだ。
 そしてそれが、今回の事件の捜査の進展に寄与したことは報じられるとおりである。

            
 
 確かに、これは犯罪捜査や秩序維持には威力を発揮するのであるが、しかしである、同時に、そうした犯罪捜査とは無関係に、私たち一人一人の挙動がすべて記録され、検索可能だということをも意味している。
 それらは、警察署とか警備会社とか、しかるべき機関で管理保存されているようだ。

               

 ただ、怖いのは、ある特定の権力が全体主義化し、彼らのもとに、諸個人の動向がすべて集約されることだ。
 これは、ジョージ・オーウェルの『1984年』の IT版ともいえる。諸個人の情報は「ビッグ・ブラザー」のもとに集約され、保存され、管理される。

 ようするに、この IT情報社会は、諸刃の剣なのではあるまいか。一方では、犯罪者を特定する機能を持ちながら、同時にその機能は、犯罪とは無関係な諸個人の動向をすべてデータ化し管理し、先に仮定したように、権力が全体主義化した場合には抑圧のツールに転じることを示している。

            
                    ムカゴ 

 それが、社会が進歩するということであろうか。
 だとするならば私たちは、それを悪用する権力者たちを決して生み出してはいけないのだろう。
 国家の側は、特定秘密保護法を昨年施行して、私たちの側からの情報開示の動きを完全にガードしているのに、私たち自身の情報はスッポンポンなのだという事実を忘れてはいけないと思う。

 予告通り、冒頭の事件からはずいぶん脱線してしまった。

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諸行無常! パソコンクラッシュ狂詩曲

2015-08-21 02:31:32 | よしなしごと
 写真は本文と関係ありません。「夏の終わりの空たち」


 ここしばらく、集中してやってきた仕事に、今日(20日)で一区切りがつきホッとしている。
 しかしこの間、この仕事に必要不可欠なPCがクラッシュするというアクシデントに見舞われた。
 ここしばらく前から、音が出なくなったり、さまざまな不具合がありながら、だましだまし使ってきたのだが、この段階で壊れるとは!
 一応バックアップは取ってあるものの、それらのデータがほんとうに無事かどうか、頭のなかは真っ白、冷や汗がどっと吹き出る。
 
           

 さっそく、PCショップへ。幸いにも、目星をつけていた機種が、サービス価格になっていて、アマゾンなど通販の最低価格とほぼ一緒だ。即ゲットして古いものからのデータの移行を図る。これにはもちろん一定の時間がかかる。もどかしい。
 移行完了しても諸設定などの作業が必要だ。

           

 なんとか完了するまでに小一日かかった。
 幸い、必要なデータは全部無事だった。
 安堵のあまり、へなへなと崩れ落ちそうになる。
 古いソフトで、新しいPC には対応していないため、失われたデータもかなりある。
 20年前の「クラリスワークス(後のApple Works)」などは駄目だ。
 ただし、悪あがきはするもので、図形などは駄目だが、テキスト部分は「Pages」というソフトで開くことが判明。

          

 良い点はある。
 立ち上がりが早い。
 システム終了にしておいても、始動ボタンを押して10秒ほどで立ち上がる。
 もちろん動作もさくさくと快適に進む。
 こんなことなら早く更新しておけばよかったと思うのだが、クラッシュした時点の泣きっ面と比べたらなんという現金なことかと思う。

          

 いちばん痛いのは懐だ。もうこれで、今年はまとまったものは一切買えない。
 ベンツを一台買い、三河湾あたりを回遊するクルーザーも買い、渥美半島の先端あたりに別荘でもと予定していたが、すべては来年まわしだ。
 食品は、スーパーの見切り品しか買わないことにしよう。
 外食禁止令で、どうしても必要な場合は、同行者がビフテキを注文しても、私はワンコインのもので我慢しよう。
 歩くときは、下を向いて注意深く、一円玉でも拾うことにしよう。

          

 甲子園も終わり、夏が行こうとしている。
 庭のマサキの木に、キジバトのつがいが来ている。
 去年は来なかったが、どうやら今年は巣をかけそうだ。
 新しい命が誕生するのが楽しみだ。
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私の敗戦体験と安倍70年談話

2015-08-15 15:12:06 | 想い出を掘り起こす
 すでに何回も書いたことですが、敗戦の日にあたり今一度、国民学校一年生だった当時の経験を述べたいと思います。

 これを書きだしたのは11時40分ぐらいですが、1945(昭和20)年、8月15日のこのくらいの時刻に、真っ黒になって裸同然で飛び回って遊んでいた私を、母が呼びにきました。
 正午から、天皇陛下の放送(玉音放送)があるから、ちゃんとした服に着替えて母屋の座敷に集まれというのです。
 
 早速、疎開先での住い、掘っ立て小屋に帰り、白いシャツと黒いズボンに着替え、母の実家の母屋へと向かいました。
 そこには一族郎党や私のような疎開者、そして近所のラジオがない人たち、総勢20名ほどがテーブルに置かれたラジオに対面して正座していました。
 母屋の叔父が、必死でチューニングをいじり、聴きやすい領域を探していました。

            


 やがて正午、それは始まりました。
 その瞬間まで、日本人の99.9%が天皇の声などは聞いたことがなかったのです。
 何しろ「現人神」だったわけですから、その声は「玉音」だったのです。

 「玉音」という名に似ず、その声は尖った甲高いものでした。おまけに文語調で漢語がいっぱいまじり、とてもこどもには理解困難なものでした。
 「堪え難きを」で一拍置いてから「堪え」のくだりは覚えているような気がするのですが、この部分はその後も何度も放送などで流されましたから、おそらく、事後的な刷り込みでしょう。

 理解できなかったのは子どもばかりではありませんでした。大人もほとんど理解し得なかったのです。そのうち、誰だったか少しインテリっぽいのが、「どうやら戦争に負けたようだ」と言い出しました。ほかの誰かが、「役場へ行って確かめてくる」といって駆け出しました。

            

 間もなく、敗戦が確定したことを知りました。
 先般、NHKで、玉音放送後もこの放送で敗戦をを知っていた司令官の命令により、全国で数十人の特攻隊員が出撃させられ、その殆どは帰らぬ人となったと伝えていました。なんという酷い!
 その他、外地でも、敗戦を知らされないまま、無謀な突撃で死亡した多くの兵士がいるようです。

 やがて、お決まりの流言飛語が飛び交いました。伊勢湾から上陸してくる米軍によって、男は全て殺され、女は犯されて奴隷にされるといったたぐいのものでした。それは自分たちが外地でしてきたことの裏返しでもあり、「鬼畜米英」が日常的に刷り込まれ続けた結果でもありました。

 事実、しばらくは家財道具をリヤカーに積んで、はずれの奥深い林の中に何日も逃げていた人もいました。

 学校も爆撃で燃えてしまっていましたから、8月いっぱいは何だかぼんやり過ごしたようで、あまり記憶にはありません。
 大人たちが手のひらを返したように民主主義だの何だの言い出し、戦時中の事跡を隠蔽し、教科書に墨を塗らせたのはしばらくしてからでした。

     

 奉安殿と忠魂碑の前で最敬礼をせずに通りすぎたとして、わずか6歳のこの私に往復ビンタの制裁を加えた教師も、平和と民主主義を説くようになっていました。

 その他、戦中戦後のことはこまごましたことも覚えていることがたくさんあるのですが、とても書ききれません。

 昨日、いわゆる安倍戦後70年談話なるものが発表されました。
 「おわび」「反省」「侵略」「植民地支配」のいわゆる4つのキーワードは盛り込んでいますが、どこかよそよそしいのです。それは、これまでもそうしてきたから、これからもそうするといったトーンで、自分の言葉になっていないからです。少なくとも、日本語での表現では「私は」という主語が使われていません。

 おそらく、外交的な配慮や、公明党との関連で一応4つのキーワードは入れたものの、それが従来の安倍氏の主張、「日本を取り戻す」や「戦後レジームからの脱却」とは異なるものだという認識を彼自身がどこかで持っていることでしょう。とりあえずのリップサービスということでしょうか。


          

 それを示す例もあります。今日15日、閣僚である高市総務相と有村女性活躍相は午前に、東京・九段北の靖国神社を参拝した。安倍首相はさすがに参拝を見送りましたが、代理の萩生田光一自民党総裁特別補佐を通じて、党総裁として玉串料を奉納しています。
 また、安倍氏の側近、稲田政務調査会長も参拝しています。

 これらの一連の動きの中に、あの談話が「心ならず」の上辺の糊塗であり、安倍氏の国会答弁同様、舌先三寸のその場しのぎであることがわかります。

 もし、その談話が本心から発したものであり、それをシビアに実践してゆくつもりがあるのなら、何を差し置いても、現在参院で審議中の、新安保法制案をただちに撤回すことだろうと思います。
 


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安倍チルドレン「武藤貴也」のトンデモ政治家人生

2015-08-09 23:31:53 | 社会評論
 写真は内容とは関わりありません。「ものたちのありよう」

 「SEALDsという学生集団が自由と民主主義のために行動すると言って、国会前でマイクを持ち演説をしてるが、彼ら彼女らの主張は『だって戦争に行きたくないじゃん』という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ」

 これは滋賀4区選出衆議院議員、武藤貴也のツイッターでの発言。当然炎上。
 戦争に行きたくないのが自己中の利己的個人主義?
 では、お前は戦場へ行くのか?という問いも殺到。
 それに対する回答を、雑誌『東洋経済』とのインタビューで以下のようにしている。

           

 武藤「私個人のことを申し上げれば、他国が侵略してきたら、愛する家族や故郷を守るために戦います。しかし政治家が戦争に行くことは、国家としての意思決定が出来なくなりますし、政治家は軍事技術を持っていないので、実際戦地に行くべきではないと考えますが。」

 ようするに、政治家は国家としての意志決定をするのが仕事だから「行かない」といっているのだ。もちろん彼も政治家だから行かない。
 先の戦争において、戦場へ行かず、その実情も知らない政治家たちの「国家としての意思決定」という無謀な机上の空論によって、どれだけの命が失われ、どれだけの悲惨が生み出されたのか彼はをまったく知らないし、また知ろうとするつもりもないようだ。

           
 
 われわれは「国家としての意思決定」をするため(行きたくとも?)戦場へは行けないが、ただし、われわれの決定に従わず、戦場へ行きたくないなどというやつは自己中で「極端な利己的考えに基づ」いているからけしからんというわけだ。
 なんというご立派なお立場であることよ!

 で、このご立派な安倍チルドレン、どんな経歴で今日に至ったのかを調べてみて文字通りびっくり仰天した!
 以下は『日刊ゲンダイ』の記載による。

            

 なんと、国会議員になる前、このトッチャン坊やは、反原発、脱ダム路線の嘉田由紀子前滋賀県知事のところにいて、脱ダム運動のペーパーをせっせと作ったりしていたというのである。

 「2007年秋から(嘉田知事支持の県議会与党系会派の)『対話の会』が事務員として雇ったらしいです。雇った経過は知りません。武藤氏が代表質問などを書いていて、完全にダム反対論者でした」(嘉田前知事 談)
 しかし、どうやらこれは単なる踏み台だったようだ。

 まずは京都の民主党に「国会議員候補者にしてくれ」と頼み込み、それを断られると、2009年には自民党の滋賀県第4区の公募に手を挙げて名乗りでたというのだ。
 
           

 かくして、「反原発」「脱ダム」の若き戦士は2年もしないうちに豹変し、自民党の中でもウルトラ右翼に属することとなったわけだ。
 そこには、政策転換とか、思想遍歴とかいったたぐいのものは全くない!
 「変節」ですらない。なぜなら、変節とはもともと節があって、それを曲げることなのだが、彼の場合、もともとどんな節もありはしなかったのだ。
 あるのはただ、「なんでもいいから」国会議員になりたいという権力欲のみなのだ。そのためなら、共産党だろうが自民党だろうがまったく構わないのだ。理屈や政策は、あとから絆創膏のようにくっつければ済むことだ。
 政治的節操なんてのは彼の辞書にはない死語であり、寝言でしかない。

            

 こんな男が「国家としての意思決定」をするとうそぶき、そのもとで若者たちは戦場へと駆り出されようとしているのだ。それを拒む奴は自己中で利己的だと非難されながら。まことに、哀れというほかはない。
 自民党がとみに劣化したというのはもはや万人が認めるところだが、まさにその象徴のような男である。

 書いていて、反吐が出そうになった。
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谷中生姜で暑気払い!

2015-08-07 15:23:09 | よしなしごと
 いつものスーパーへ買物に行ったら、しなびたような谷中生姜(葉付き生姜)が見切り品の棚に半額で出ていたのでゲット。
 こんなもの、しばらく水に漬けておくだけで元気になるし、味の強い野菜だからそれで風味が落ちうるわけでもないだろうと思った。
 予想通りしばらくしたら、新もの同様に元気になった。そこで綺麗に洗って掃除。
 
 さて、どうやって胃袋に収めるかだが、手っ取り早いのはそもまま生味噌を付けてガリガリかじってしまうものだ。しかし、この前、TVの減塩をテーマにした番組で、減塩を感じさせない調味料は酢だといっていたのを思い出し、甘酢漬けにすることに。それに、酢につけると生姜がほんのり紅色に染まって、そこはかとない色気すら感じるのが嬉しい。

         

 3日ほどですっかり色づき、食べごろになった。
 ガリッと噛む。美味い、そして辛い! しかし、この辛さは塩分とはまた違って暑気払いになる辛さだ。
 ただし、欠点もある。こればっかりガリガリやっていると、口中のヒリヒリ感を補うため、つい酒が進んでしまうことだ。

 しかし、美味いなぁ。これぞニッポンの夏の味だ!
 安倍のいう「日本を取り戻す」などはまっぴらゴメンだが、こういうニッポンの伝統的な味は死ぬまで味わいたい続けたいものだ。

          
 
 なお、谷中生姜の由来は、武蔵の国谷中村の特産だったことによるが、「東京都台東区谷中」になった今、この地で生姜を作っているところってあるんだろうか。

【余計なお世話】生姜の辛味が苦手な人は、天ぷらがお勧め。辛味は抑制され、生姜の風味は残る。

 


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「武器弾薬」と「武器/弾薬」 ザクロとケリ

2015-08-05 17:31:55 | よしなしごと
 中谷防衛省の国会答弁を聞いているとこちらの頭までおかしくなる。
 先頃の手榴弾は武器ではないに続いて、ミサイルもまた武器ではないというのだ。その根拠は、一般には「武器弾薬」として一括して捉えるのだが、彼の場合は「武器/弾薬」とあくまで2分して捉えるべきで、だとすると、手榴弾やミサイルはあくまでも「弾薬」であって「武器」ではないというわけだ。
 
 ミサイルの場合には「武器」に当たる部分はその発射装置だろうか。無人爆撃機も「弾薬」で、その「武器」に相当する部分は飛行場、ないしは管制制御装置だろうか。
 かくしてわが自衛隊は、同盟軍の後方支援にあたっては、ほぼ無制限の「武器弾薬」を運ぶことができるようになるわけだ。

          

 しかし、わが自衛隊が「これは武器ではない」という中谷論に従って同盟国の後方支援でせっせと「武器ではないもの」を運搬するとして、その敵対側は、「なるほど、自衛隊が運んでいるものは武器ではない」としてこれに対して攻撃してこないことはありうるだろうか。「武器/弾薬」の屁理屈は国際的にも、ましてや現実の戦場においても到底通用するものではあるまい。
 
 軍事的に対峙している時、何が武器で何が武器でないかは、敵対している相手が決めることであって、国会答弁向けの屁理屈が通用しないことぐらい小学生でも分かる理屈だ。
 あんまりバカバカしくて付き合っていられない。

          

 写真は所要で外出した折のもの。
 近所のザクロが色づいてきた。実が弾ける頃、今度はロウアングルで取りたいものだ。
 周りの蔓状のものはカラスウリ。奥の方は柿。
 少しピンが甘いのは風でザクロがいつまでも揺れていたためと一応は言い訳をしておこう。

 も一枚は田んぼに佇むケリ。白塀の影の部分に立っていたので、小さいながらそのシルエットとともに画面に。
 画像の大きさと不明確さは数十メートル先のものをガラケーでとらえた限界。
 今日も暑かったが、風があったせいで野外でも何とか歩くことができた。
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「電車ごっこ」狂詩曲 ああ、少子化ニッポンの現実

2015-08-03 10:29:16 | 社会評論
          

「運転手は僕だ
車掌も僕だ
あとのお客もみんな僕」
(元歌)
「運転手は君だ
車掌は僕だ
あとの四人が電車のお客」


「お母さん、僕つまんないっ。だって僕しかいないんだもの」

「しかたがないのよ、これが少子化時代の現実なんだから。生まれてくる子どもが少ないなか、こうして生まれてこられたことを感謝しなさい」

          

「うんそれもそうだね。僕を産んでくれてありがとう。
 でもね、少子化、少子化、という割に産休や育児休暇もままならないし、保育園は入園待ち待機児童があふれているし(今朝の新聞だと東京では隠れ待機児童を含めると3万人越えらしいよ)、学校へ入っても少人数学級はダメだといわれ、いじめについてのケアーやセーフティ・ネットも機能してない。おまけに、女の子の場合にはJCやJK対象の悪徳業者がその餌食にしようと虎視眈々と狙っているのが現状でしょう。
 なんとか無事卒業しても就職は企業優位の選別で、正社員になれるのも限定されているし、たまたま入ったところがブラックで、仕事を選ぶか死を選ぶかって迫られるし、もっと言うなら、政府の命令で戦場で死ぬのを嫌がるのは自己中だという薄ら馬鹿丸出しのネトウヨ与党議員(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%97%A4%E8%B2%B4%E4%B9%9F)まで現れる始末でしょう。これって本当に少子化で子どもが大切にされているってことなの?
 ね、ね、お母さんはどう思う?」

          

「え~とそれはねぇ・・・・。つまりねぇ・・・・。
 いいからひとりで『電車ごっこ』の続きをしていなさい(「ごめんね」という心の声)」

「運転手は僕だ
車掌も僕だ
あとのお客もみんな僕」

(エンドレスに続く・・・・)
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