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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

映画「あなた、その川を渡らないで」 ネタバレ抑制的。

2016-08-29 02:07:56 | 映画評論
 そんなに映画をチェックしているわけではないが、ここしばらくの間に観た「恋愛映画」のなかで、最高のものだった。

 といっても、ロマン派好みの身を焦がす灼熱の愛や葛藤があるわけではない。むしろそれとは対極の、静謐で持続してきた愛、自ずから育まれてきた愛があるのみだ。
 舞台は韓国の江原道横城(カンウォンドウフェンソン)郡の古時里(コシリ)という小さな村、しかも周辺には人家がなく、山裾を流れる渓流の辺りにぽつんと建つ一軒家。
 登場人物はこの家に住む98歳と89歳の夫妻、そして2匹の犬。結婚歴は76年に及ぶという。
 その二人の暮らしぶりが、春夏秋冬の美しい自然の移ろいとともに描かれてゆく。

                

 冒頭は秋、庭に降り積もった落ち葉をかき集めるる二人。突然二人はせっかく集めた落ち葉を相手にぶつけあってふざけ合う。まるで児戯のように。
 こんなシーンが続く。降り積もった雪での雪合戦と雪だるま作り、春の川辺と庭先で続く水の掛け合い、そうかと思うと、摘んできた花でお互いの髪を飾り合ったりする。

 それらが、この山村では不釣り合いな美しい民族衣装、いわゆる韓服、しかもお揃いのそれをまとった二人によって展開される。
 脚本があり、それに即しての演技だと受け止めれれても決して不思議ではない。しかし、これはれっきとしたドキュメンタリーで、この夫妻の一年半にわたる記録なのだ。

             

 ほとんどの場合、彼らは四季折々の韓服をまとっている。山仕事や日常の肉体労働の折でもそうなのだ。彼らの子どもたちや孫がつどうシーンが2、3度あるが、彼らの服装は、私たちの日常のものと大差はない。
 それだけに老夫妻のそれが、映画のための装いであり、ヤラセ臭いというネットでの指摘もあるが、この衣装がもつ重みが最後に明かされ、それがまた感動を呼ぶ。

 先に述べた子どもなどが集うシーンでは、この老夫妻のケアーをめぐって激しい論争がおきる。はっきりいって、彼らに関係する話なのだが、それを聞いてひたすら涙する二人がどこか哀しくも状況からは超越している。この二人にとっては、もはやその次元のはなしはどうでもいいのだ。

 二人が愛する二匹の犬との情愛も面白い。この二匹は、生死という明暗を分けるのだが、それへの彼らの対応も面白い。

             

 夫のほうが日々衰えてゆく。それを案じる妻。この辺りは、観ている方にとっては「時間よ止まれ」と願うような推移である。
 そうした折に妻の独白が挟まれる。
 「おじいさんと結婚したのは14歳。おじいさんは、私が壊れるといけないと思って手を触れなかった。私が16歳になったとき、私の方から抱きついた」
 なんかジーンとするセリフである。持続する愛は、この頃からもう芽吹いていたのだ。

             

 ラストはまさに感動モノである。先に触れた、綺麗な韓服にまつわる話も、「そうだったのか」と納得させる映像とセリフが出てくる。
 これ以上深追いすると、ネタバレになるからいわないが、上記の各シーンが、山村の美しい四季の映像とともに展開される。
 監督と撮影はチョン・ミョン。長編ドキュメンタリーははじめてのようだ。

 終盤、クレッシェンドをともなって使われているエリック・サティの音楽、「ジムノペディ」が効果的である。思えばサティは、19世紀ロマン派の激しい音楽とは対象的な静謐な「壁紙音楽」を作った人だった。
 その意味では、私が冒頭に述べたロマン派の激しい恋愛とは対象的な持続する愛にまさにふさわしい音楽だといえる。

             

 この種の文章を書くとき、普通は禁欲的にネタバレを避けるのだが(実際にラストシーンの詳細は避けている)、今回は多少はみ出たかもしれない。しかしながら、実際に観なければわからない感動がもっともっと詰まった映画であることを言い添えたい。
 もう一度言おう。近年観た「恋愛映画」のベストであると。

 人と人の愛が、あんなに素朴で、自然や生活と融け合いながら存在したこと自身に感動した。


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「年寄りの冷や水」と湯灌への希望

2016-08-26 01:42:06 | 日記
 「年寄りの冷や水」とは、老人が年齢にふさわしくない危険なことをするのをいくぶん揶揄することわざで、出典は「江戸いろはがるた」だという。そういえば、もう70年ほど前、訳もわからずそんなかるたをとっていた。
 そのそもそものいわれは、年寄りが冷たい水を被ったりするということなのだが、文字通りそんなことをしている。

 風呂は熱いのが好きだ。真夏でも、肌がひりひりするくらいの熱さでないと風呂へ入った気がしない。
 温泉や他所での入浴ではそんなことは望めないのだが、それはそれでよくしたもので、ちゃんとそれに対応はできる。その代わり、やや長湯になるかもしれない。

            

 ようするに、汗を目一杯かかないと気がすまないのだ。で、当然のこととしてかなりの汗が噴出し、それが引くまで時間を要する。外での入浴の場合は、脱衣場に大きな扇風機があったりして、その前でしばし体をさらせばなんとかなる。

 問題は自宅での入浴だ。茹で蛸状態なのに、もう少しと頑張って、さすがに声にこそ出さないが、子どものときのように、あと30とか50とか心の中で数えてから出る。
 その瞬間はプア~ッと気持ちがいいが、汗が吹き出して止まらない。呼吸も上がって、ハアハアと肩で息をする結果となる。

 こんなとき、気持ちが良いのは冷水を頭から被ることだ。うちの水は井戸水だから、とくに気持ちがいい。40度ほどにほてった体にその差、約30度の冷水!これぞまさに天国だ!
 てなことを前にも書いたら、それは危険だ、ほんとうに天国へ直行だぞ、という指摘があった。
 たしかにこの温度差、快感ではあるが危険度もある。私の場合、これまで積んできた数々の善行からして天国行きは決まっているが、まだやり残したこともあるので、急な招待には応じかねる。

            

 そこで、そうした忠告を参考にして、多少方法を変えることとした。いままでは洗面器に汲んだ冷水をいきなり頭からぶっかけていたが、それはやめにして、シャワーを使うことにした。
 まずは頭の天辺、これは脳に対し、これから冷たいものが行くよという合図だ。ついで後頭部、これがなかなか気持ちいい。それから顔面、首周り。この段階では心臓付近に冷水が及ばないよう、左手でガードしたりしながらおこなう。

            

 ついで四肢だ。手足はもちろん脇や関節の内側が心地いい。おっと、この段階で忘れてはいけないのは、男には特製のラジエーターがあるということだ。この部分の冷却は欠かせない。
 最後がボディだ。まずは背中から。これまでず~っと待っていた期待感からしてもここはとても爽快だ。左右の肩から、じっくりと背中を冷やす。
 ここまで来ると、さすがに頑固な汗もす~っと引いてくる。最後のボディの前面は仕上げのようなもので、サーッと流すだけでいい。その頃には、わが鈍感な心臓も、すっかり冷水を受け入れる準備ができている。

 しかし、ほんとうの仕上げはこの後だ。もうすっかり慣れきった身体に、洗面器に汲んだ冷水を、一杯、二杯、とだれ憚ることなく全身にぶちまけるのだ。これは汗の引く具合を見て、3杯から5杯に至る。
 ここまで来ると、もはやバスタオルは汗を拭うというより、冷水のしずくを拭き取るだけということになる。

            

 体重を測る。だいたいが58キロ前後。
 そのあと、買い置きのプレーンヨーグルトを食べる。450gのものを三回にわけて食べる。一回にティスプーンで15匙ぐらい食べるとちょうど三回で終わる。本当は、ビールでもグビッといきたいところだが、寝る前にいろいろすべきことがある。
 これも風呂から上がって一時間ほどのちに書いている。もうほてりも冷水の感触は何も残っていないが、冷房が苦手なので、やや離れたところにおいた扇風機の弱風にあたりながらである。

 今夜は虫も鳴かない。朝からの介護の疲れなどで睡魔が襲うなか、これを書いている。
 状況は厳しいが、熱い湯と、冷水シャワーでそれに耐えてゆかねばならない。

 そうそう、終活はしないし、遺言もべつに残さないようにしているが、この世におさらばしたときは、湯灌は肌がチリチリするぐらいの熱湯にしてほしい。そしてその後、冷水を思いっきり浴びせてほしい。
 え? そんなことをしたら、心臓がびっくりして生き返ってしまう? いいじゃないそれで。 あ~た、私には生き返ってなど欲しくはないの? あ、そう。じゃ、素直に逝くことにするか。
 

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足長おじさんのおつかい行脚

2016-08-21 15:53:31 | 写真とおしゃべり
 たかがスーパーへの食料品の買い出しだから、行脚というほど大げさなものではない。
 もともと機能優先の行動だが、といって、ただ行って帰るだけでは面白くない。だから、耳目に届くものを観察しながら行く。

 本当は毎日行けば食品の鮮度などから考えてベストなのだが、ほかにもいろいろ為すべきこともあって、そうはゆかない。まあ、3日か4日に1度行くことができればいいほうだ。それもできないときは、冷凍庫に非常用に備蓄しているもので間に合わせる。

              

 行くのはたいてい午後も遅くなってからである。とくに夏場は、陽が高い折には外出したくない。そんな時刻だから、自分の影が長く伸びて、足長おじさんになる。

 途中に、鎮守様の境内がある。ここしばらく書いているように、私の住いの周りの環境が激しく変わりつつあるのだが、ここだけは半世紀前にこの辺にきたおりからほとんど変わっていない。

              
 
 だから時折は、そこへ立ち寄って木陰で涼をとったりする。この前も帰途、立ち寄ったら、若い人が3人ほど、スマホ片手にウロウロしている。どうやら例のポケモンGOの人たちのようだ。ここにもポケモンがいるのだろうか。目を凝らして拝殿や木陰を見やるが、もちろん、そんなもの肉眼で見えるはずはない。

  

 ところで、誰がそのポケモンの配置を行うのだろう。そのゲームを開発した側だろうが、それに振り回されてうろつき回る側より、それの配置をいろいろ変えて、大勢の人間を操る側のほうが何倍も楽しいのではと思ってしまう。
 ただし、捜す方は遊びだが、操る方は仕事だからそうはゆかないのかもしれない。

           
        ドラム缶を4つ並べ、その周りに鉄の棒が立ってるこれは?

 それともうひとつ、仮想現実のポケモンを捜すのに夢中で、この境内にある面白いもの、美しいものは目に入っていないのではとも思う。まあ、これも余計なお世話だが。

              
              
          楓の幹が傾き始めた陽に照らされて美しく輝く

 遅場米の産地だが、それも稲の葉の先が少し黄ばんでもきている。そしてその稲の根元にはジャンボタニシが。
 イナゴもオタマジャクシもいなくなったなか、こいつらだけが元気だ。

            

 なんだか年寄りの愚痴っぽい話になってしまったが、ほんとうに年寄りなのだから致し方ない。

【追記】例年、この頃になるとうちで鳴くツクツクボウシが今年はまだ鳴かない。他ではもう何日か前から聞いているのに、うちのものは長年の継承の歴史が絶たれてしまったのだろうか。そうだとしたら、とてもさみしい。
 





 
 
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飛騨高山と《8月の歌》

2016-08-19 13:53:43 | よしなしごと
 岐阜県の高山市といえば、前世紀末に安房道路が開通し、信州と直接結ばれたこと、また、昨年は北陸新幹線の金沢までの開業で北方からのアクセスも良くなったことを受けて、いまや、山岳観光都市として賑わっているようだ。
 
 乗鞍をはじめ北アルプスに囲まれたロケーション、奥飛騨温泉郷をバックにもち、動く陽明門といわれる飛騨の匠の粋を集めた絢爛豪華な祭り屋台の存在など、観光資源にはこと欠かない。

           

 そんな有り様だから、他県の人から、「岐阜県の県都って高山ですか」っていわれて憤慨した岐阜市民の話を聞いたが、そんなもの怒ってもしょうがない。世の中、名を上げたほうか勝ちという仕組みになっている。

 その高山市だが、観光客が溢れる夏に、「全国短歌コンクール《8月の歌》」が行われる。
 この催し、高山市やその教育委員会と「朝日新聞」などが共催するもので、全国から集まる短歌から10首(一般の部5、中高生の部5)を選びそれを表彰するもので、8月の中頃にそれが高山市で行われる(選考結果はもっと前だが)。

 《8月の歌》と題するだけあって、どうしても原爆や敗戦を連想させる歌になる。
 昨年に引き続き入選を果たした中村桃子さんは名古屋の金城中学の3年生である。全国から集まる中高生の入選5首のなかに、連続して入るなんてすごいことだ。
 この人、この年齢にしては「子」の付く名前だというのはなんか安心できる(ってこれは本人ではなくご両親の問題か)。
 なお、桃子さん、毎週月曜日の「朝日歌壇」の常連入選者でもある。その《8月の歌》は以下のものである。

  広島の被爆樹木に会いに行く 声なき声に耳を澄ませて

 なお茨城県結城第二高校3年の郡司和斗さんはこんな歌で入選している。

  世が世なら有名画伯の画廊なり信州上田の無言館こそ

 この無言館というのは大河ドラマで脚光を浴びている信州上田の郊外にある戦没画学生の遺作を収めた美術館である。
 これが描き納めと遺言もどきを残して戦場へ駆りだされた若者、あるいは、帰ってきたらこの続きは描くからと筆を置いて戦場に発ったまま散った若者、その帰らなかった人たちの画業が、そしてその無念さが、残された私たちの哀れを誘う。
 確かに、郡司さんの歌うように、名画伯になり得た可能性も充分ある若者たちであった。この感想は、私がそこを訪れたときの感慨と一致する。

     
        表彰式の中村桃子さん            郡司和斗さん  

 なお、一般の部で筆頭に採られているのは、長野県井上孝行氏(71歳)の歌で、以下のようである。

  核のボタンそばにはべらせ鶴を折るオバマ氏想えば哀しきうつつ

 この皮肉な現実をそのまま歌ったものだが、私自身、オバマ氏の広島行きを、行かないよりいいだろうが、それが変な幻想を産むこともあるのではと幾分ためらいながら斜に見ていた。
 ただし、このオバマ氏が先日、「核先制攻撃をしない」とする考えを表明したのに対し、安倍首相は、それでは北朝鮮に対する牽制力が弱まると反対したと米紙が報じた。これが事実なら、被爆国の首相として由々しき事態だと思う。つい先ごろ、広島や長崎で述べた誓いはいったいなんだったのだろう。

 それはさておき、《8月の歌》の歌人たちが31文字に込める思いは、一般の部であれ、中高生の部であれ、それぞれが結構重いものを秘めながらも、私自身の実感にはとても爽やかに響くものがあったことをいい添えておこう。
 


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ひとつの時代の終焉? 18日「朝日」の朝刊から

2016-08-17 15:26:33 | 社会評論
             

 「朝日」の文化・文芸欄に五木寛之(五木ひろしではない。ただし彼の芸名は五木寛之に由来する)が永六輔、大橋巨泉、それに昨年なくなった野坂昭如、さらには10年ほど前に逝った青島幸男などについて論じている。
 まず、その彼らと加えて五木自身が、三木鶏郎(1914~94年)の「冗談工房」に何らかの関わりがあったことが述べられている。
 
 三木鶏郎制作のNHKのラジオ番組「日曜娯楽版」はまだ小学生だった私が背伸びしながら聞いていた番組で、コント風の政治風刺と、数々の名曲を生み出した「冗談音楽」(シリアスなものも結構あった)を楽しみにしていた。
 この番組などをはじめとし、この頃の三木鶏郎の近くやその周辺にいたのが前述の人々である。彼らは、今風にいえば、知識人がまともに取り上げなかったサブカルの分野を切り開いた人たちだった。いってみれば、世の中の事象を少し斜に構えて、シニカルにジョークで取り上げるというのがコンセプトだったようだ。

 これについて、五木寛之は面白い指摘をしている。
 なぜそうした構えの人々を生み出したかというと、敗戦後の戦争責任追及もウヤムヤのまま、東西冷戦下で始まったいわゆるレッドパージにその要因があるというのだ。まともな政治的言説が抑圧や追放の憂き目に逢い、硬直した左翼の方針はさまざまに動揺しながら時として玉砕的な攻撃に出て叩きのめされるなか、こうしたサブカル的なジョークの形でしかその言説を「民衆のなか」へ届けることができなかったというのだ。

 「民衆のなかへ」のもうひとつの特徴は、彼らはラジオ(TVはしばらく後)という媒体で、したがって話し言葉で語りかけたということである。いささか大仰だが、五木は、キリストも釈迦もソクラテスも話し言葉の人だったという。
 ただし、それらのひとのなかにも、そうした活動を活字の世界へも普及させようとする人たちがいて、それが野坂昭如であり、井上ひさしであり、五木本人であったという。しかしながら彼らも、いわばサブカル的土壌で培ったエンタメ精神を最後まで捨てることはなかったと付け加えている。

 五木は、21世紀の現状についても語っている。
 それは、サブカルがもはやメインになってしまった時代であり、したがって、サブカルのもっていたメインへの異議申し立てという側面が失われてしまっているという現実である。
 そしてそれが、今まで、ジョークやエンタメの世界にいた永六輔や大橋巨泉などが、その晩年、今度は政治の言葉を用いてアゲインストせざるを得なかった背景でもあるということだ。確かに、彼らの晩年をみるとそれは当を得ているといえるだろう。

 戦後に始まり、いま消滅しようとしている(すでに消滅した?)一つの文化のありようをうまく整理し、合わせて自己の立ち位置をも明確にする論考だといえる。
 さて、ところで、彼らが切り開いてきたもの、やり残したことなどはどう継承されようとしているのだろうか。それら自身がもはや過ぎ去ったものとして放擲されてしまうのだろうか。
 
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「田園まさに荒れなんとす」

2016-08-13 02:07:21 | よしなしごと
 草ぼうぼうの空き地である。これでは何があったのかもわからない。
 しかし、何年か前には、ここは整然と区画が施され、そのそれぞれに思い思いの作物が栽培されていた貸し農園だった。

  
 
 「だった」と過去形で語ってしまっていいのかどうかはよく解らない。というのはごく限られた一角では、まだ栽培が行われているからだ。しかしそれらも、伸び放題の雑草に囲まれてしまってその区画自体がほとんどわからない。というのはかつて、それぞれの区画を区分していた通路にまで雑草がはびこってしまった結果、区画そのものがわからなくなってしまっているからだ。
 かつてのここがどんなふうだったのか、ネットの中にそれとそっくりな写真があったので載せておこう。本当にこんな感じだったのだ。

          

 それがこんなにも荒れてしまったのはどうしたことだろう。いわゆる貸し農園のブームが去ってしまったのだろうか。それともここだけの特殊な現象なのだろうか?
 
 前はこの農園を通りかかるのが楽しみだった。季節の野菜やその花々をよくカメラに収めた。農作業に来ている人と会話を交わすこともあった。それによって私自身の野菜の知識も深まった。オクラの花があんなにも楚々として美しいのを知ったのもこの農園でのことだった。

          
       貸し農園ではないが個人の畠。数年前までは整然と作物が・・・。

 正直いうと、以前はこうした菜園ブームのようなものに対してはいささか斜に構えた考えをもっていた。
 地球規模で、大陸規模で、国家や地方の規模で、自然が壊滅的な打撃を被り続けるなか、こうした箱庭のようなチマチマっとした空間にお気にい入りのものを植え付けて、なんか自然と一体になったような気分に浸るなんて偽善的ではないか、といった具合であったのだが、いまではそうではない。

          
          2、3年前までは緑の稲が風にそよいでいたのに

 大状況が変わらないかぎり小状況での試みは無駄であるという考え方はとても高飛車であり、同時にある種の諦観ないしはペシミズムを招くにすぎない。どんな些細な試みであれ、それ自身の意味はあるはずなのだ。
 だからこそ、この貸し農園の衰退は気になる。そうした自然とのささやかな交流をもとうとする志向すら失われつつあるのだろうか。

             
          かつての小川。今は半年間は干上がっている

 しばらく前から、私の居住周辺の環境が急速な変貌を遂げようとしていると書いてきた。休耕田がどんどん増え、それらが売りに出され、埋め立てられ、都市機能のうちへと組み込まれてゆく。それ自身がさらに都市化を呼び込み、オセロゲームのようにその間の田畑がひっくり返ってゆく。

   
      荒廃した貸し農園の中で健気に育っているミニトマトとホオヅキ

 これは、いわゆるグローバリゼーションが先進国の周辺に及ぼしているものと相似形なのであろう。
 ふと、「田園まさに荒れなんとす」という言葉が念頭に浮かぶ。陶淵明の「帰去来」の一節であるが、もちろんこの詩とは全く状況を異にするが、やはり、そのフレーズが蘇ってくる。
 陶淵明は、都での出世を諦め故郷へ帰る意気込みを謳っている。そしてその長い詩の結語は、人の生涯は有限なのだが自然はより悠久であり、だからこそそうした自然と関わることの意味を述べている。

  http://tao.hix05.com/102kaerinan.html
 



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助けることができなかったセミ

2016-08-05 00:04:43 | よしなしごと
           

 私の二階の部屋のデスクの目の前が冒頭の写真である。
 読書やPCに疲れて目を上げると、夏の陽光に緑が輝いているという恵まれた環境かもしれない。
 こんな環境だから、蝉の声が絶えない。鳴くのが仕事とはいえじつによく鳴く。それが複数いるのだからほとんど鳴きやむ時間がない。
 冷房嫌いで網戸で済ませているから、じつに数メートル以内からのその鳴き声を浴びているわけだ。まあ、夏のBGMとしてそれが自然だと思っている。

                      

           

 そんな折も折、ふと何やらチラチラした動きを感じたので目を上げると、なんとどじなセミが軒先の蜘蛛の巣にかかってもがいているのだ。
 しばらく眺めていたのだが、一応わが家の同居者のようなものだから助けてやらないわけにはゆかないだろうと、ほうきの柄で蜘蛛の糸を手繰り寄せた。見ると、羽や脚などにけっこう糸が絡みついている。やたら暴れるのをなだめながら、それらを丁寧にとってやった。

           

 とり終わって、解放してやったのだが、手の中であんなに暴れていたくせに飛び立つ事ができないで、下へポトンと落ちてしまう。この間の一連のショックで、すぐには立ち直れないのかもと、近くの桑の葉に乗っけてやったが、なんとかしがみついてはいるが、一向に飛び立つ気配はない。しばらく観ていたがずーっと観察しているわけにもゆかない。
 同人誌の次号に載せる書評が書きかけでなんとか今日中に完成させたい。

           

 で、PCでぽちょぽちょ文章を打つ仕事に戻って、15分もしたろうか、ふと目を上げて確認したら、もう桑の葉の上にはいない。やっと飛び立ったかと安堵。なんかいいことをしたような達成感。しかしこれも10秒と続かなかった。
 念の為にその桑の葉の下あたりを見ると、ベランダの上に仰向けにそのセミが落下しているではないか。
 慌てて近寄ってみると、弱々しく脚を動かすものの、もう断末魔の様相。念のため、拾い上げてさっきの桑の葉に乗せてやったが、もうそこにとどまる力もない。

           

 子どもじゃあるまいし、お墓を作るまでもないと、下の草むらに横たえてやった。
 先程から、頭上にばかり気を取られていたが、さっきセミを助けだした蜘蛛の巣の下辺りに変なものが落ちている。なんだろうと近寄ってみると、どうやらさっきのセミ前に捕まって、蜘蛛に食われてしまったセミの亡骸のようだった。

           
 
 この蜘蛛、どんな猛者だろうと見回したが、それらしい姿はない。最初の一匹で満腹になって住居を移動したか、あるいは、私がさっきほうきの柄で引っ掻き回したせいで、やはりここを放棄したのかもしれない。

 まあ、蜘蛛も生きてゆかねばならなおから、致し方ないのだろうが、のんびり鳴いているようなセミの世界もけっこう厳しいようだ。
 おかげで、浦島太郎になり損なった気分を抱えたままでいる。

 やがて、最後にツクツクボウシが登場して、わが家のセミのコーラスは終幕を迎える。


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「誰を生かし、誰を殺すか」という神の視座

2016-08-02 17:52:41 | 社会評論
             

 相模原の事件のほんとうに怖い問題点は、その二次現象として被疑者を「理解」し、それを正論だとする人たちが公然と、あるいは隠然と現れつつあることです。
 こうしたヘイト・クライムの入り口がヘイト・スピーチだとするならば、それを肯定する人たちはかなりの数にのぼります。

 都知事選挙では、ヘイト・スピーカーの親玉、桜井誠が11万4千票余を集め、泡沫候補とはいえない域に達しました(第5位)。
 東京の人口を日本全体の10分の1と考えると、全国では100万人超のヘイト・スピーチ賛同者がいるわけです。

 ヘイトの基本は、些少な差異を差別にまで拡大する点にあります。なぜ、単なる差異を差別にしうるのでしょうか。
 そこには、「本来性」という思考があります。人間があるべき姿=本来性が厳然としてあり、自分はその本来性の側にいるという幻想です。だからそれから外れた者たちを罵り、場合によっては抹殺する権利があると思い込むのです。

 しかし、そうした「本来性」は歴史的、地理的にどのようにも変動しうるのです。古代の人間像、中世の人間像、近世の人間像、現代の人間像はそれぞれ違います。
 ヨーロッパ、アジア、アメリカ大陸、アフリカなどでもそれぞれ違うかもしれません。

 前世紀、私たちの歴史は、「本来性」に基づく二つの体制を経験しました。
 そのひとつはナチズムです。彼らはアーリア民族、その最も濃厚な後継者ゲルマン民族をあるべき「本来の人間」とし、それを犯す敵対者としてユダヤ人を措定し、その殲滅を図りました。
 恐るべきは、それがスローガンに終わらず実践されたことです。その結果が、600万人に及ぶユダヤ人の屍です。
 同時にナチスは、その優生学的短絡思想に基づき、「本来性」から外れたものとして30万人余の障がい者を抹殺しています。

 もうひとつは、ソヴィエト・ロシアによるもので、そこでは観念的に抽象化された「プロレタリア的人間」が本来の人間とされ、それからの逸脱を「人民の敵」として抹殺しました。その犠牲者は1千万人にも及ぶともいわれています。

 ナチズム、スターリニズムともに、「本来的人間」を掲げたイデオロギーと、それに反する者たちへのテロルが暴走した結果です。
 現今のヘイト・スピーチからヘイト・クライムへの道筋は、明らかにこうした思考様式を共有しています。

 「本来性」という思考に縛られると、何か世界や人間のあり方に確固としたものを見いだせたかのように思えてきます。そして、あらゆる言動、あらゆる行為がその「本来性」実現のためには許されるかのように思えてくるのです。
 それが今回の被疑者が平然と多くの人を殺すことができた、そしてナチズムやスターリニズムが想像を絶する人たちを抹殺することができた構図です。
 「ヒトラーが降りてきた」とき、今回の被疑者はそのように「覚醒した」のです。

 何をいいたいかはもうおわかりできたと思いますが、この「本来性」、それから外れたものをヘイトし、差別し、抹殺さえするその思考こそが問題なのです。
 人間は端的にいって複数な存在なのです。これは、世界にはいろいろな人がいるという単純な事実と、それらの人たちが同時に共存するということこそ世界の現実であり、それを否定してはいけないとうことを示しています。

 確かに、「本来性」のような思考をもつと、世の中がすっきり整理できたような気持ちになるかもしれません。それが危ないのです。世界はそんなにすっきり整理できるようなものではないし、だからこそさまざまな出来事が生起し、そのなかで私たちは喜怒哀楽を覚えながら生きているのです。

 この事実は、世界をありのままに受け入れよということではありません。確かにさまざまな問題があります。そしてそれらには具体的な対応をしなければなりません。
 貧困、格差、人権、自由・・・etc.etc.
 こうした折に、「本来性」をもちだし、「本来性」を実現すれば(ということはそれに背くものを片付ければ)、あらゆる問題が解決するとするのはとても危険な短絡です。
 そうした思考は、自らを神の視座へと高め、「誰を生かし、誰を殺していいか」を決定しうるかのように作用しますし、実際にそれを実行します。
 今回の事件のように。

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