六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

当世老人の免許証取得事情 明日はわが身と知りながら・・・ 

2016-10-31 13:38:04 | よしなしごと
 写真は「ぎふ清流文化プラザ」2階の免許証交付所と同フロアにある空中庭園 

 
 先般、78歳の誕生日を迎えた。
 同時に恒例の(といっても毎年ではないが)、免許証の書き換えを迎えた。ご承知の方も多いが、私のような老人には、書き換え前の「高齢者講習」が義務付けられている。
 この講習料金が高い。6,000円ほどとられる。免許書き換えの本番と合わせれば、約10,000円の出費だ。

            

 その必要性は分からないでもないし、実のところ、自分自身の運転能力を測る客観的なデータとして、私自身は大いに参考にしている。
 問題は、その講習が高齢者の事故防止に本当に役立っているのかどうかがいささか曖昧だという点にある。
 私が受けた折にも、20名弱のなかに、この人に本当に免許を再交付していいのというような感じの人が見受けられた。ようするに講師の指示が理解できなかったりするのだ。ただし、それらの人とは実技では別のグループだったので、運転の腕前はわからない。体で覚えこんでいる面もあるから、私よりうまい可能性もないわけではない。

               

 私自身の成績でいえば、まず、「認知機能検査」では84点(たぶん100点満点、49点未満が要注意)で問題なし。
 実技試験でいえば、20近い項目中、チェックされたのは1項目、「合図忘れ」とある。自分ではパーフェクトだと思っていたので、どこが「合図忘れ」なのかさっぱりわからない。逆にこの辺がやばいのかもしれない。
 ただし、運転シュミレートでの検査では、認知判断の速さは0.568秒で最高レベルだとのこと。自分ではそれほど早かったのかどうかは全くわからない。

               
 
 その他の検査でいえば、動体視力は歳相応に衰えているが、とくに気をつけるべきは夜間視力の低下である。これは謙虚に受け止めるべき数値で、以後夜間の運転はあまりしないように、またその必要があるときはスピードを控え、安全運転に徹することにしている。

 しかし、老いれば能力が低下するのは当然なのだが、なおかつ免許証を求める気持ちもわからないでもない。
 まずは老いても楽隠居とはいかず、まだまだ働かなければならない人たちがいるということだ。第二には、地元の商店街が壊滅した現在、地方に住むものには免許証を失うことはたちまち買い物弱者に陥ることを意味する。

            

 この高齢者講習を受けたのは実はもっと前の夏の頃で、実際の免許書き換えはつい先日のことであった。
 ところで、いままでの岐阜市の免許交付の場所は岐阜市の最北端に位置し、最南端に住まうわが家からは約20キロ近くもあり、しかもそこまでの道が比較的混雑し、何やかやで1時間前には出発しななければならなかった。

 前々回からは、大垣市の免許交付場がほぼ同等の距離で、時間的には遥かに早く行けることに気づき、そこでお世話になっていた。しかし今回、岐阜市の免許交付場が南からみて長良川を越えてすぐ近くにできたので、そこへと向かった。
 
            

 それでも、用心をして40分前に出かけたのだが、なんと20分もかからずに到着し、時間を持て余す羽目になったのだが、幸いにも退屈することはなかった。
 新しい免許交付場は「ぎふ清流文化プラザ」という複合施設の2階にある。この施設は、「県民の文化活動及び交流の場を提供することにより県民文化の振興を図るとともに、地域社会の活性化に寄与する」ということで何年か前にオープンしたのだが、その2階には、プロムナードに最適な庭園がしつらえられていた。

               
 
 先ほどからここに載せている写真はすべて、その「空中庭園」のもの、ないしはそこからの眺望によるものである。
 よく手入れされたこの庭園は、木々、水、花々と多彩であるが、私が感心したのは足下の地面が、もちろんコンクリートではなく、また、ただの土でもなく、おそらく、杉皮など植物性の腐葉土のようなものでしっとりと覆われていることである。
 だからそこを歩くと、ビルの2階にしつらえられた空中庭園であることをまったく感じさせず、落ち葉が積もった里山を散策している気分に浸れる。

            

 ゆっくりそれらを堪能してから免許交付場へ入った。この時間帯はやはり高齢者ばかりで、そこでも首を傾げる状況を眼にした。順番からいって私のすぐ前の人だが、一人では立ち居振る舞いがおぼつかなく、息子さんと思われる人が終始付き添っていた。
 写真撮影の際、そこへ付き添いの人も入ったのだが、それと気づかない写真の係員は、「あ、次の人はまだ!外で待っていてください!」と叱責。「あの、付き添いなんですが」との弁明が必要な始末。

            

 もちろん、その人にも免許証が交付された。それをとやかくいうつもりはない。いってみれば、講習で目撃したことも含めて、明日はわが身なのだから。
 先ごろ横浜市で起こった事故のように、追突し、そのはずみで小学生の列に突っ込んで小一の男の子を死亡させた87歳男性の事例などをみるにつけ、先行きの自分とも比較しながら、密やかなため息を禁じ得ないものがある。

 一応、ゴールドの継続だが、この免許証の期限まで、いまに近い状態をキープできるだろうか。老いは確実に私を蝕みつつある。
 


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最後の稲刈りウオッチング

2016-10-27 11:13:23 | 日記
 タイトルにつけた「最後の」には二つの意味がある。
 ひとつには、この辺は遅場米の産地なのだが、それにしてもこの田は一番遅く、早いところからは一ヶ月ほど、その他の平均的なところからでも2週間以上遅れてやっと稲刈りが行われたということである。たぶん、私が目にする今年最後の稲刈りだろうと思う。

 もうひとつには、この田と私がウオッチングをする場所との間の休耕田が売れて、埋め立てられ、稲刈終了後にはここに4軒の二階建ての家ができることになっていることによる。そうなれば、このアングルからのウオッチングはもう不可能になる。
 なお、もうさんざん書いてきたので、繰り返さないが、半世紀前の田園地帯は今や完全に都市化の波に洗われ、その面影を失いつつある。とりわけ今年は、私の家の周辺で沢山の田んぼが失われてしまった。

            

 だから今年は、写真のみではなく、動画にも収めてみた。
 慣れないものだから、手ブレなどが著しいが、雰囲気はわかってもらえるだろう。また、都市化のなかで残された田んぼの風情もお分かりいただけると思う。

            

 この稲刈り機(コンバイン)は、知人の見解に依るとかなり古いものらしい。その性能や能力によって、たとえば、何条刈り(田の何列を刈り取ることができるか)とかいうように別れているらしいが、私にはわからない。
 ただ、この機会は四条刈りではないかと思う。というのはそのネーミングが「カルテット」とあり、「刈る」が掛けられていることは間違いないが、同時にそれが四人組を表しているかもしれないと思うからだ。だとしたら、なかなかすごいセンスのネーミングだと思う。

https://www.youtube.com/watch?v=lsKsfcCBOhY

 どういう仕掛けかわからないが、前で刈り取った稲は籾のみが中央にぶら下がった袋に収納され、藁しべは細かくなって後ろから吐き出される。
 これだけでも大したものだと思うのだが、新しい機械はさらに進んでいるのだろう。昨年、遠目に新しいものを見たのだが、そのスピードは、この機械の三倍ぐらいはあったかもしれない。それにいちいち、籾の入った袋を取り外さなくてもいいようになっていたと思う。

https://www.youtube.com/watch?v=N48ewdFwrkY

 動画では、袋を取り外す様子も撮しておいた。
 なお、最後の一列を刈るのに、中腰になって前方をチェックする農夫の姿は、一連の作業の終りを迎える姿勢として、いささか感動的であった。

https://www.youtube.com/watch?v=nKSCSIsIErU

 私自身は農家ではないが、少年時代の数年、母方の農家の離れに疎開し、田植えや稲刈り、お蚕さんの桑の葉採り、などを手伝った経験が多少あるので、これらの作業をいつも郷愁を混じえて見ている。

https://www.youtube.com/watch?v=A3gmEE4-ytA

 ところで、都市近郊の小規模農家や兼業農家が、どんどんその田畑を手放しているのは、来るべきTPPに対する反応だというのはほんとうだろうか。
 私たちが、通常目にする自然の風景というのは、農林業の人たちの手が加わったものである。林業の衰退で、山は荒れているとも聞く。田園もまたそうならないことを祈りたい。
 陶淵明の「帰りなんいざ、田園まさに荒れなんとす」を思い出した。


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一万二千歩のマーチ または老いのうごめき

2016-10-25 00:42:39 | よしなしごと
 23日、日曜日、帰宅してガラケーの歩数計をみたら12,000歩超とあった。
 ヘ~、そんなに歩いたかなと思い、一日を振り返ってみた。

 9時、自宅発、バスで岐阜駅。JR東海道線で名古屋。中央線乗り換えで鶴舞駅下車、鶴舞公園へ向かう。
 ここに書いた「鶴舞」が実は曲者なのだ。地下鉄の路線や駅名は「ツルマイ」、JRの駅名も、そして町名も「ツルマイ」。ただし公園名は「ツルマ」、図書館名も「ツルマ中央図書館」、更には近くの小学校も「ツルマ小学校」なのだ。
 地下鉄の駅名でも、ツルマ派とツルマイ派の間でけっこう論争になったようだが、結局第三者にわかりやすいということで「ツルマイ」になったという曰くがある。
 実際のところはツルマが古い地名で、「水流間」と書いていたのを、明治42年に「鶴舞」という文字を用いたのが混乱の始まりらしい。だから、土地の古い人はどれもこれもツルマで押し通すし、そんなことを知らない人は逆にどれもこれも「ツルマイ」にしてしまう。

           
         これは7月末のポケモン騒ぎの折の鶴舞(ツルマ)公園の模様

 ところで、この鶴舞公園というのは例のポケモンGOの聖地として全国的にも著名で、この7月の下旬には、夜になっても写真のように何千という人が集まっていた。
 この23日も、駅から公園に足を踏み入れた途端、溢れるような人並みが・・・すわっ、今日もポケモン探しかと思ったがそうではなく、折から「(名古屋市)昭和区区民まつり」が催されていたのだった。

           

 せっかくきたのだから、ポケモンがいないかと見回してみたがそれらしいものは見当たらない。それもそのはず、私はそれをダウンロードしたスマホなどもってはいなくて、ガラケーしかもってはいない。肉眼でそれが見つかるはずなどない。
 が、しかし、いたのだ。アトラクションのメイン会場の奏楽堂では、頭にポケモンのお面をつけた子どもたちが、輪になって「ポケモン音頭」を踊っていた。
 その後は、可愛いご婦人方のフォークダンスだった。

           
           

 ついでに、上空からみた形状がモンスターボールに似ているとかで騒ぎの中心になった噴水塔みもいってみたが、拍子抜けがするくらい静かだった。

              

 おっと、このお祭りを見に来たわけではなかった。
 この公園内にある名古屋市公会堂で行われている詩吟の会に招待されてきたのだった。今年の前半、大変お世話になった家の、父(92歳)、娘(詩吟の会の総師範)から招待され、その詩吟を聴きにきたのだった。

           

 名古屋市公会堂は懐かしい建物である。学生の頃、2回ほどここを借りて演説会などの催しをしたこともある。その準備で楽屋を見学していたとき、やはり近日、ここで公演をする「タンゴの女王」といわれた歌手の藤沢蘭子さんに至近距離で出会ったことがある。3年ほど前に亡くなられたようだが、当時は30歳代で最も華やかな時代であったと思う。
 入り口から入ろうとしてふと香りに釣られて振り返ったら、大きな金木犀の樹がそびえるように匂い立っていた。

              
 
 さて、この詩吟の会だが、そのへんのコンサートと違い、朝の9時に開会し、夕刻の6時頃まで続くもので、出演者も述べ、1,000人に届くかと思われる規模のものである。観客も入れればかなりの規模の会といえる。だから、プログラムには愛知県知事や名古屋市長が祝辞を寄せている。
 しかし、延々、詩を吟じるばかりではなく、なかにはドラマ仕立てのものもあったりしてメリハリをつけている。

 とはいえ、いくら「小人閑居」する私でも、一日中はお付き合いしかねる。まずは午前中の92歳の父君のものを聴き、しばらくして、いただいてあったお弁当券で昼食をとり、一度表へ出る。

           

 昭和区民祭はまだまだたけなわで、市バスに子どもたちがドローイングするイベントや、どこかの大学が古武術を披露する催しを行ったししていた。どこの大学かなぁと思ったら南山大学だった。南山といえばカトリック系の学校だが、こんな部活もやっているんだと思った。

           
           

 そこから地下鉄を乗り継いで、東区の高岳ヘ。
 この近くで、長年の友人夫妻の、夫君のほうが業界で組織する美術家たちのグループ展に出品されているのだ。この方の絵は前にも観ているし、いただいた小品もある。
 実業の世界でけっこう忙しい人なのに、そうした人の片手間の趣味とは思えない巧みな表現をする。今回のものは、近江八幡を題材にされたものが3点だったが、いずれも達者だ。
 近づいてみると、そのタッチは決して丹念とは思えない、むしろ省エネ画法ともいうべきあっさりした筆致である。しかし、離れてみるとそれらのタッチがみな生きて対象をかたちどる。これがようするに才能だろう。

 子供の頃から私の絵は、努力賞が多かった。懸命に描きすぎるのだろう。高校の時だったか、当時の美術の教師に、「君の絵は途中のほうがいい」といわれたことがある。ようするに、これでもか、これでもかと描きすぎて自分の絵をダメにしているのだ。
 そんなことを思い出したりした。

 さてそろそろ鶴舞の公会堂へ戻って、今度は総師範の娘さんの吟ずるのを聴く番だ。帰りがけ、何やら前方が騒がしい。品のない罵声や怒鳴り声が大音響で鳴っている。
 実は前にもこの付近で同様の経験をしている。というのは、この近くに中国の領事館があって、そこへしばしば街宣右翼がやってきてしばし汚らしい言葉を吐き捨ては去ってゆくのだ。ただし、叫んでいる言葉は以前より過激になってきている。在特会などのヘイトスピーチに刺激されてそれに負けまいとしているようだ。
 すぐ近くに小学校や幼稚園もあるのに、迷惑なことだ。

 きたときと逆に辿って、鶴舞の公会堂に戻る。
 その前に、鶴舞(ツルマ)中央図書館に寄ってみる。ここは同人誌の友人がよく利用する場所だが、岐阜県民の私にはあまり縁がない。かつて、何度かきたことはある。蔵書の量と質を観る。哲学・思想のコーナーをやや詳しく観察。岐阜の県立図書館とはまた変わった蔵書が結構ある。
 帰りに案内の箇所で、岐阜県民でも利用できるかを尋ねる。図書カードさえもつ手続きをすればOKとのこと。
 実際に利用できるかどうか、またじっくり考えてみることとする。

 公会堂へ戻る。ちょうど今年の最大のだしもの、構成吟の「陶潜の心」が始まるところだ。陶潜はまたの名を陶淵明といい、早くに官職を捨て隠遁したので、田園詩人と呼ばれたり、酒好きで酒の詩人と呼ばれた人だが、構成吟はその生涯やエピソードをナレーションなどでつなぎ、その合間に、彼自身の死を吟詠するもので、なかなか面白かった。

 「帰りなんいざ 田園まさに荒れなんとす」で始まる官を辞して田舎へ帰るとことから始まる彼の詩は、原詩が後ろのスクリーンに映し出され、しばらく忘れていた漢文の読み方のおさらいになった。
 だいたいこの漢詩の吟詠というのは、中国語で書かれた詩を日本語にして読み下し(これだけで大した発明だ)、さらにそれを七五調になぞらえて朗々と吟じるというもので、まさにこの国ならではの伝統文化の一つだと思われる。
 なお、この構成吟の舞台指導にあたったY氏は、私とは居酒屋時代からのおつきあいで、ここへ私が来た経緯にも一枚噛んでいる人である。長い間、舞台を手がけてきただけあって、なかなか見事なものであった。
 
 その後、総師範である知り合いの女性の吟を聴いて会場をあとにした。
 その吟もさることながら、その立ち姿が凛として美しく、さりげない貫禄がにじみ出ていた。

              
 
 賑わっていた「昭和区区民まつり」も人々が散り、各ブースでの後片付けが忙しそうだった。
 それを横目に、今度は中央線の鶴舞駅から千種駅まで乗り、そこから歩いて今池へ。名古屋シネマテークで上映中の、「将軍様、あなたのために映画を撮ります」を観た。
 いろいろ考えるところがあったが、それを書くとまたまた長くなるので以下を参照されたい。

                

 http://www.shouguneiga.ayapro.ne.jp/
 http://miyearnzzlabo.com/archives/39354

 映画後は、再び千種駅へ戻り金山駅で東海道線行に乗り換え、岐阜下車、バスで自宅へ。
 で、歩数計をみたら、12,000歩超。われながらよく歩いた。しかし、連続して歩いたのではなく、累積したら結果的にそうなったわけで、さして疲労感は残らなかった。








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やっと金木犀の匂いが その他ご近所事情いろいろ

2016-10-19 14:14:28 | 日記
 郵便局でややっこしい手続きをした。
 これはあとの話だが、この時の郵便局の発行した領収書に、一円の誤記があったとかで、正規のものに取り替えるため、翌日、局員が訪れると電話がかかってきた。
 こちらの支払った金額は変わらないので、別にこのままでいいですよといったのだが、その誤りの領収書を回収しなければならないので協力してくれという。べつに拒む理由もないので了承したが、わずか一円のことでわざわざ交換に来るなんてご苦労様なことだと思った。しかし、それが内規ならいたし方あるまい。
 で、翌日、やってきたので、丁重にご苦労様と出迎えて交換をしたのだが、ほんとうにご苦労様というほかはない。迷惑をかけたと、タオルを置いていった。

 この郵便局ヘ行ったときのこと、そこからやや離れた歯科医に予約を入れていたのだが、郵便局での用件が思っていた以上早く済んだので時間が余ってしまった。家まで帰るほどのこともないので、郵便局の斜め前にある、やや大型の書店、大洞堂本店に寄ってみようと思った。

            
            
            

 駐車場に入ると、なんだか工事用の細かい工具類を積んだ車が複数台。それぞれのバックドアが開いていて、それ自身が絵になる。そこでわがガラケーの出番。
 そこで気づくべきだったが、部分的な改装か何かだろうと思い、店内に入ろうとした。
 がらんどうなのだ。何もない空間で、内装の作業員たちが立ち働いている。
 
 そこではじめて思い出した。ここはこの夏でもって閉店したのだった。それを聞いてはいたがすっかり忘れていたのだ。迂闊というより認知の気配濃厚というべきだろう。
 ひとつには、この本屋を見限ってあまり来ていなかったことにも依る。
 20年ほど前の開店当初は、徒歩10分余の箇所に大型書店と大いに期待したものだ。おまけに初代の店長が、名古屋での私の店の常連だった三省堂書店の人文系図書の優秀なスタッフ(女性)だったこともあって、私の期待は大きかった。

            

 果たせるかな、いい書店であった。人文系の図書もしっかり備えていて、哲学や思想関係のコーナーも地方書店にしては充実していた。私も何冊かを求めたことがある。しかし、そうした品揃えはやはり郊外型では無理だったのだろう。やがて、その店長が変わり、在庫の構成もガラリと変わり、店頭にはハリー・ポッターなどがこれみよがしに平積みされるようになった。
 私にとってはすっかり魅力が失せたのだが、売り場がそこそこ広いので、雑誌や文庫本、新書などを入手するためには時折は利用した。

 全く行かなくなったのは昨年からだろうか。岩波新書で、必要なものがあったので出かけた。新書の棚には見当たらなかったので、通りかかった若い店員に尋ねたら、おかしいですね、ありませんねぇとのことで、カウンターにお越しくださいとのこと。そこで、若い店員が店長らしき人にそれを訊いてくれた。すると即座に店長(?)は、うちは岩波は置いていませんから、とまるで八百屋に肉を買いに来たような言い方で突っ放された。
 若い店員は自分が怒られたような表情。この店員も自分のところでどんな本が置かれているのか、いないのかをまるで把握していないのだ。

 あ、これではもう私の来る店ではないなとそれ以来足が遠のいていた。
 地方の書店がどんどん減少し、都市の大型店と通販に偏るということへの一般的な惜別の念はあるが、この店の閉店にはあまり驚かなかった。

 たまたま出てきた工事関係の人に、この後は何になるのですかと訪ねたら、名古屋に本拠をもつドラッグチェーン、スギ薬局が進出するらしい。
 私の家から10分程度のところには従前から岐阜地方に本拠をもつ中部薬品(Vドラッグ)があって、つい先月、北陸に本拠をもつクスリのアオキのチェーン店が開店したばかりだ。すぐ近くにあるスーパー(中部薬品と同系列)バローも含めて、血で血を洗う商戦が展開されそうだ。
 とりわけ最近のドラッグストアーは、鮮魚や青物野菜を扱わないぐらいで、ほとんどスーパーと遜色はないから四つ巴の闘いになりそうだ。

            
            
            

 でこの後だが、まるで小学生低学年の道草のように、ブラブラしながら歯科医へと向かう。
 歯科医の近くにある立派なキダチチョウセンアサガオを撮る。
 これも一般にはチョウセンアサガオといってしまうようだが、普通のそれは朝顔の仲間であるのに対し、これは文字通り木立である。別名はエンジェルズトランペットともいい、30センチからものによっては40センチほどの細長い花をつける。

 とやかくしているうちに、予約の時間になったので歯科医に。岐阜市の高齢者向け口腔検診だが、さして歯の悪くない私もこれは毎年受けていて、ついでに歯垢をとってもらったりしている。
 今回もそのつもりで行ったのだが、医師いわく、2箇所ほど虫歯があるとのこと。全く自覚症状はありませんが・・・といったら、それがないうちに治療をした方がいいと言われた。
 まあ、たしかに歯痛に悩まされるのは嫌だから、この際、医師の言うとおり治療を受けることに。

               
               

 話は変わるが、何日か前、TVで今年は金木犀があまり匂わないと言っていた。たしかにそうだ。九月の長雨のせいらしい。
 しかし、歯科医の帰途、匂いを感じたのでそちらの方へ。前にも写真に収めたところだが、たしかに花のつきはその時よりはよくないようだ。前には盛り上がるように花がついていた。ただしここ2、3日の好天のせいか、香りはけっこうきつくなってきたようだ。
 
 一月も前のことは、人間はすっかり忘れてしまうが、植物などはその記憶をしっかりと体内に保持し、それに即した成長や変化をするようだ。
 自然はつながっている。それからいくぶん疎外されているのが人間なのだろう。



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稲刈りウオッチングと気になる田んぼ&ショッキングな事実

2016-10-17 01:54:34 | よしなしごと
 遅場米の産地であるこのあたりも、さすがに先々週の末あたりでほとんど稲刈りが終了した。
 そのなかで、毎年、稲架(はざ)掛けをする田の様子が最初の3枚である。
 稲架掛けをしない田のように、稲わらがばらばらになって田に堆積するのではなく、稲束として刈られる。それを、稲木にかけて天日干しにする。

            <

 いま、一般的なのは稲刈りの段階で籾だけにし、それを機械乾燥させるのだが、稲架掛け方がはるかに手間がかかる。しかし、稲架掛けに依る天日干しのファンもいて、これらはそれを明記することによってプレミアが付くようだ。

            

 作業をしていた田んぼの持ち主に、「写真を撮っていいですか」と訊いたら、「母ちゃんの顔を撮らなければ」といって許してくれた。母ちゃんの顔は見る人の想像に任せよう。

            

 ところで、気になる田んぼがある。私のうちから見下ろせる田んぼであり、田均しから田植えと、私が毎年ウオッティングしている田んぼである。
 早いところから比べると2週間以上、遅いところからでも1週間は経つのに、未だに刈り取る様子はない。
 土曜日に、所要でこの辺をあちこち行ったのだが、私が見た限り、刈られていないのはもうこの田のみである。日曜も刈られなかった。

 この田の持ち主の米作りにはある種の特色がある。有機農業まがいの土入れなどをしているが、それほど厳密にそれに徹しているようにも見えない。
 また、用いられる農機具も、それに詳しい友人がその写真を見て驚くほど古いものを使っている。実のところ、その古いコンバインが故障しているのではと密かに心配もしている。

            

 でも思い出してみれば、田植えもほかの田よりかなり遅かったようだからこれでいいのかもしれない。
 ついでにこの田んぼ、一昨年は9月の風と雨で、かなりの部分が稲の倒壊に見舞われ、稲刈りにとても苦労していた。今年はそんなことはないのだから、早く刈り取って私を安心させてほしい・・・って単なる私の主観的願望だろう。

            

 最後に、あまり書きたくない事実をひとつ。
 やはり土曜日、私の家の前の道路より東に走る岐阜市の幹線道路に沿って、郵便局からスーパーへ向かう途中、かなり広い田んぼが埋めててられているのを目撃したのだ。
 その面積たるや5~6反=1,500坪から1,800坪=約5,000㎡~6,000㎡にも及ぶ。
 もういつでも上モノが建立てられる状況だ。一体何ができるのだろうか。この右手に100メートルほど行ったところに私がいつも行くスーパーがある。
 もしここに、大型の商業施設ができるなら、熾烈な競争になり、通例としては古いものが駆逐されるであろう。

            

 これら商業施設の争いは、いわば仁義なき戦いで、食うか食われるかだから、その趨勢にはさして興味はない。
 問題はこれほど広大な農地が、手放されたという事実だ。そこには都市近郊の農業者、とりわけ小規模で兼業農家の将来への展望が重ね合わされている。今問題の、TPPも関連していることだろう。
 かつて、農地の保有は、先祖伝来の保険のようなものであった。それがもろくも崩れ去ったのがこの状況だろうと思う。

 当事者でもなんでもない私が、岡目八目でとやかく言う問題でもないし、田園風景へのノスタルジーのみで、農家の生活がかかった判断に何かを言うことなどできないことは重々承知している。
 ただし、この地に半世紀以上住み続けた私が、寂しいと呟くぐらいは許してもらえるだろう。

 
【おまけ】Googleで、「稲の倒壊」と打って、「画像」を検索すると、最初の方の4枚ほどは、一昨年ここに掲載した、私の写真。それをクリックすると、「レ・ミゼラブル! 稲よ 立ち上がれ! 」という一昨年の私のブログが出てくる。
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同人誌先達の墓参と当世お墓事情・墓標のいろいろ

2016-10-14 11:24:37 | ひとを弔う
 信仰心が薄い私は、自分の父母以外の墓参というものをあまりしたことがない。
 しかし、今回は特別だ。私たちの同人誌、『遊民』のそもそもの主宰者、M・I さんのお墓で、そろそろ同人揃って墓参をとの言い出しっぺが私だったからだ。
 ときあたかも三回忌、同人一同に故人のお連れ合いも同行してくださった。

            

 場所は名古屋の東南部。地下鉄桜通線の終点徳重(名古屋駅から35分強)からさらに2Kmほど南、もう豊明市や知立市、刈谷市にもそんなに遠くないところにあるみどりが丘公園の一画、緑ヶ丘霊園。
 とても開けた墓地で、生前、M・I さんは「俺の墓の前で10人ぐらいが車座になって宴会もできる」と言っていた。もちろんその折にはまだピンピンしていて、ほんとうに私たちがそこを総勢7人で訪れることになろうとは全く思ってもいなかった。

            

 到着して納得した。M・I さんの言うとおりだった。こうした墓標は単独では見たことがあるが、ここのようにかなり広い一画がそれで占められているのを見るのははじめてだ。ここに墓所をもつためには、その墓石の規格が定められていることによる。

            

 その墓石の前が広いのも、M・I さんが言っていたとおりだ。とりわけ、M・I さんの墓所は、列の外れにあって、前のみか、左方向にも充分の余地があり、これなら10人はおろか20人の宴会でもできそうだ。
 私の父母の墓所を思った。まちなかの寺の境内ということもあって、前後左右に墓が林立し、何人かで行った場合、一度に墓前に立てるのはせいぜい二人までなのだ。
 それに比べて、ここはなんと開放的で伸びやかなんだろう。M・I さんも、自分が選んだ墓所に充分満足しているに違いない。

                
                 

 数多くの墓石には、思い思いの言葉や、なかにはイラストが彫り込まれているが、M・I さんの墓石には、右隅に、しかも遠慮がちに、「ありがとう」の一言のみが。かえってそれが目立つ。

                
            
 
 そして、側面には「つらきとき 寄り添えば充ち 道ぬくし」の句が添えられている。
 職場でのおつきあい以来、半世紀にわたる仲のSさんが墓前でしばし瞑目していらっしゃった。何を語ってらしたのだろう。
 私は、同人誌の近況などを報告した。

            
            

 久々にのんびりできる空間に来たついでに、近くの墓石ウオッチングをしてみた。
 じつにさまざまな墓石がある。ここでは伝統的な仏教様式の「南無阿弥陀仏」などというのは少数派だ。「愛」「偲」「謝」などの一文字のものから、横文字のものも結構ある。

            
 まずは横文字のものから。
 これは「人生は長きをもって尊しとせず、深遠なるをもって諒とすべし」とでも訳すのだろうか。ここに眠っている人は、ひょっとして夭折したのだろうか。

            

 これは、「しばしの休息」ということだろう。ということは復活するのだろうか。失礼だが、ゾンビを連想してしまった。しかし、どこかユーモアを誘う墓碑銘ではある。

            

 ハングル文字のものもある。在日の何世の人だろう。死して自分の民族の文字を墓標としたのだろう。残念ながら、どう書いてあるのか私にはわからない。わかる人がいたらご教示願いたい。

            


 これはまた、スローガンを墓標にしたものだ。石に彫り込んだ以上、子々孫々「核廃絶」なのだろうか。
 ただし、安倍氏の秘蔵っ子、現稲田防衛相のような核武装論者が独裁政権についた場合にはこの墓は強制撤去されることになるかもしれない。

            

 周りの環境もいい。近くの水路には蒲の穂が立ち並び、水生昆虫などがいそうな池もある。
 そのハズレには、夏の花・カンナと秋の花・コスモスの協演が見られた。

            
            
            

 思わず、「M・I さん、良いところで眠ってますね、たとえ天国に行けなくとも、ここが天国のようなものでしょう」と言いたくなった。
 ただし、いろんなことに好奇心旺盛なM・I さんには多少退屈なのかもしれない。

 M・I さんが今わの際に私に残してくれた言葉が胸に響く。
 「君とはもう少し早く知り合いたかった」
 私もそうですよといいたい。
 晩年のほぼ10年、ただし、私にはとても中身の濃い10年だった。

 秋アカネが数匹、墓所のまわりをしきりに飛び交っていた。

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【とりとめのない記録】 神無月前半の私

2016-10-12 11:31:47 | よしなしごと
久々の一人外ごはん

           

 時間の都合でこうなった。留守居のつれ合いの食事は準備してあるからOK。
 まずは一杯。あては、アジのなめろうと長芋の刺身。酒は浦霞本醸造を冷で。

           
 
 〆はもり蕎麦。
 代金は2,700円ほど。年金暮らしの老人には贅沢か。
 大名古屋ビルヂングB1、「石臼挽きそば 石月」にて。

電線王国日本

           

 空を見上げるとき鬱陶しいのが電線の多さ。
 風景写真を撮る人も泣かせる。
 そこで逆手をとって、電線の風景を撮ってみた。
 このショットの中にある電線、50本近い!
 それぞれがどこからどこへ繋がっているのか、想像すらできない。

竹「撮」り物語

              

 県立図書館へ行ったあと、隣の美術館へ。
 あるグループの写真展へ。
 このグループの創始者で2、3年前に亡くなった高間新治氏の写真に感動。
 この人、竹の高間、竹撮り新治といわれ、生涯のテーマが竹。
 遺作は2点しかなかったが、その質量感に圧倒される。
 そのうちの一点がこれ。最後の作品とか。
 竹を撮る動機は、1948(昭和23)年、シベリア抑留から帰ってきて腑抜けのようになっていた折、雪を撥ねて立つ竹を見て奮い立ったからだとか。
 以来、竹一筋。土門拳をして、竹を撮らせたら高間の右に出るものはいないと絶賛せしめ、「竹屋の高間」とのあだ名を頂戴したとのこと。
 出身も在住も岐阜県の揖斐川町。
 私の亡父も、1948(昭和23)年、シベリア抑留から帰ってきた。
 ひょっとして引揚船が一緒だったかもと妄想する。

10ヵ月近い治療の終了
 今年の私のハイライトは、左腕の骨折。
 1月末に救急車で担ぎ込まれ、応急手当のあと、2月はじめに手術。
 ずれていた部分を金具を入れて矯正し固定。

           

 金具を取り出すための2度目の手術が9月はじめ。
 そして昨日のこと。傷口に多少のつっぱり感が残るがあとは時間の問題。
 レントゲンで確認。金具を固定したネジのあとが骨に残っているが問題はない。
 これでもう完治ですね、と若い整形外科医。
 長い間ありがとうございましたと深々と頭を下げる私。
 もう、転んだり、転落したりしないよう注意してくださいと医師。
 ハイ、そうしますと素直な私。

           

 花の写真は病院の待合室の鉢のなかで咲いていた蘭の仲間だろうか。
 私の治癒終了を祝うかのように可憐に咲いていた。
 実寸は直径3センチほど。

 
 これが私の水無月前半のレポートだが、実は明日、私が関わる同人誌の先達、故・伊藤幹彦さんの3回忌の墓参が控えている。
 伊藤さんが逝ってからあとの私をどう報告すべきだろうか。

           

 最後に逢った折、死期を察知した伊藤さんが、「君にはもっと早く会いたかった」といってくれた言葉を思い出し、目頭が熱くなる。
 あれだけ豊富な内容を持った人なのに、私と交友があったのはわずか10年ほど。私もまた、その短さを悔やんでいる。
 写真は1昨年10月12日、伊藤さんが眠っているお棺。

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プリンター騒動記とそれから考えること&教訓

2016-10-07 13:27:28 | よしなしごと
 昨日、CanonMG5530を使用していたら、「修理が必要なエラーが発生」というメッセージが。
 そして現実にプリントができなくなった。慌ててサポートセンターにTel。サポーターのいうようにあちこちチェックしたが回復せず。やはり修理に出せとの指示。周知のように、この種の機種は新品を購入するより修理代のほうが高い。新品が8,000円ほどなのに、修理代は11,000円。

            

 あいにく、通販で買ったものだから、ディラーの5年保証の対象外。そこでディラーにTel して類似製品の在庫を確認したら、類似機種のMG5570ならあるという。価格は、9,000円ほど。ただし、5530で使用していたインクは使えないという(涙)。
 これでも、修理に出すより新品に更新したほうがましだ。2、3日うちに取りに行くからということに。
 
 で、本日、念のためにあらためて電源を入れ、プリントを試みた。昨日はこの段階で「重要な故障・修理に出せ」とメッセージが出たのだが、今日は出ない。そればかりか何の問題もなくちゃんとプリントできるではないか。一度電源を切って、再度試み、何枚かをプリントしてみたが全く問題ない。
 昨日の、あの騒ぎは何だったのか。サポーターとともに小一時間、あれをしてみろ、これをしてみろ、といろいろ悪あがきをし、挙句の果てに「やっぱり駄目だ」と断定され、これからの出費の痛さと費やした時間とにぐったり疲れたあれはいったいなんだったのか。
 
 しかし、回復し、無駄な出費が防げたことは不幸中の幸いだった。それにしても、下取りに持って行く前に、今一度試行するという未練な執着が今回は功を奏したわけだ。まあ、終わりよければ全て良しだが、この間いろいろ考えた。
 どのメーカーもほぼ同じだと思うが、いわゆるプリンター商法についてである。

            

 まず、修理代のほうが新品を買うより高いという問題。これはどんどん新規に買い替えさせる手段だろうが、実際には、ちょっとした修理で再生するものが、廃棄処分にされているのではないかと思われる。当然メーカーの売上は伸びるわけだ。

 そのために、本体価格が押さえられている可能性が考えられる。もちろん、それによって売上は伸びるが、メーカーとしてはその薄利分をどこかで穴埋めしなければならない。それがインク代だ。私が使うような安い機種では、極端にいえば、2、3回のインクの買い替えで本体価格に迫ってしまう。数回買い換えれば、本体価格を完全に上回ってしまう。

            

 そうしたインク商法の抱える問題は、ほとんど性能は変わらず、少し型式が変っただけで、既存のインクが使えないということにある。
 ここには2つ問題があって、ひとつは、インクそのものがどれだけ違っているのかは全く謎なのであり、たとえ、内容が進化しているとしても、もちろん、既存の機種でも使えるようにすることはできるはずだ。
 
 もうひとつは、本体の型式が頻繁に変り、2、3年前のものがもう店頭から消えるということだ。今回の私のケースでも、3年前の購入だが、もう生産はしていませんし、在庫もありませんとのことだ。そしてすでに述べたようにその都度、インクそのものが変わるということだ。

 こうして、修理代の高さからして、かなり頻繁に機種の買い換えが迫られる一方、これまでのものが使えなくなり廃棄されるインクもかなりの数に達すると考えられる。

 これらのプリンター商法は、メーカーにとっては合理的かもしれないが、消費者にとっては不合理な点が多いといえる。
 今回は、幸いにしてそのトラップから免れることができたが、やはりその仕組みが続く以上、そうした仕組みのうちで消費し続けることが強要されているのには変わりない。

 教訓:悪あがきと言われようが何と言われようが、やはり粘ってみることですぞ。メーカーのサポーターが匙を投げたものを、今回はたった一晩休ませることで解決してしまったのですから。
 コンセントそのものを抜いてしばらく休ませるというのは、確か、PCでも有効だとかつていわれたように思う。
 曰く、「急いてはことを仕損じる」、さらには、「果報は寝て(寝かせて)待て」。








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稲の香りにつつまれて・・・

2016-10-03 02:21:36 | 写真とおしゃべり
 都会に住んでいる人たちは、稲が生える田んぼの風景を、郊外や地方へ出た折の車や列車の窓越しに見たりすることはあっても、その香りにまで触れることはあまりないであろう。
 稲の香りというのはたしかに一定の時期を除いてはそれほど強いものではない。

 田植えが済んだばかりの折には、稲の匂いというよりどちらかといえば土の匂いのほうが強い。土をよく撹拌し、均し、そこへ根が浮かないように土のなかに差し込んで植えるのだから土の匂いが沸き立つのだろう。

           
 
 子供の頃、田植えはやったことがある。母方の実家が農家で、そこへ疎開していたので、農繁期の頃はよく手伝いに駆り出された。当時の農業はほとんど機械化されていなくて、簡単な道具のほかはすべてを人力に頼っていたから、猫の手も借りたい忙しさで、猫より多少ましな子どもも労働要員だったのだ。

 だいたいが、植えている大人たちのところへ苗を運んだりする雑用が多かったが、時折は、「ほら、お前もやっってみろ」といわれ稲を植えたことがある。先程もいったが、浅くちょいちょいと置くぐらいだと、根が浮き上がってきてしまう。だから、根や茎に、人差指と中指を沿わすようにもって、そのままずぶりと差し込んで植える。これは今生きていると150歳に近いような爺さまから教わった。

           

 根がしっかりついて稲が成長し青々としてくる夏の盛り、稲の香が強くなる。むっとするような青臭い香りが傍らを通るものにまといつくが、決して不快ではない。その生命力を感じさせる匂いだ。
 そして、夏の終わりに稲の花が咲く。

              
 
 秋、直立していた稲が色づき、うなだれる頃、またちがった香りがする。ほのかではあるが、そう、ご飯が炊きあがった時に近いような匂いがする。
 この辺ではちょうど今がその頃で、この香りがだんだん強くなる今月末から来月はじめが稲刈りの時期になる。

           
         何やら造成工事を行っている向こう側も去年までは田んぼだった
 
 子供の頃の話にに戻るが、稲刈りの折も田に出た。その頃、農村地区では、田植えの時期、稲刈りの時期には学校にも農繁期の休日(何日間ぐらいかは忘れた)があって、子どもたちも働き手として員数内だったわけである。
 
 私の手伝った田では、田植えはさせてくれたが、稲刈りは鎌を使うので危険だからとして、させてはくれなかった。稲刈り用の鎌はノコギリ状の刃がついたもので、こんなものでスネでも引っ掻いたら痛みはもちろん、鋭利なもので切るよりも傷の治りも遅れるにちがいない。

           

 この稲刈りの時期、その香が稲の一生のうちでいちばん匂い立つのではなかろうか。あちこちで稲刈りが始まると、車で走っていても稲わらの匂いが感じられるほどだ。
 その匂いたるや、ご飯が炊けたときの匂いを一層強くしたむせ返るようなもので、さぁ、今年もこの通り立派に実をつけ収穫に漕ぎ着けたぞと、辺りに高らかに宣言しているかのようだ。

           
         昨年の11月、稲刈りのあと この手前の休耕田にやがて家が建つ

 こうして稲の一生の匂いは終焉する。
 前にも書いたが、私のうちの周辺から、田んぼがどんどん消えている。いつまでこれらの匂いを嗅ぎ続けることができるだろうか。私がくたばるほうが早いかもしれない。たぶん。

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ノウ・ボディの支配からコンミューンへ 『シン・ゴジラ』を観て

2016-10-01 00:13:44 | 映画評論
                   

 スーパーマンなどのヒーローもの、怪獣もの、ドンパチドカスカのジャンルはあまり私の鑑賞対象になることはない。
 にもかかわらず、今回のものを遅まきながら観ようと思ったのは、観た人たちの間にじつに様々な解釈があることを知ったからだ。評論家や映画好きの一般の人までを含め、様々な人たちが様々な観方をしているようだ。たとえば、9・11になぞらえる人もあれば、3・11になぞらえる人もある。来るべき戦争、他国の攻撃、あるいはテロリストの跳梁になぞらえる人もある。
 確かに、それらしい要素が散りばめられた映画ではあるが、その共通点はいわゆる危機管理、しかもそれを行う側の問題だということであろう。したがって、この映画には、政治家と官僚、自衛隊、メディアの情報屋などのほかは、逃げ惑う群衆が登場するのみで、一般市民やその日常性などはまったく出てこない。

            

 その前半では、私たちが日常経験しているように、誰がどこでどう支配しているのかが全く不透明なノウ・ボディ支配の体制の実態が内側から描かれている。
 このノウ・ボデイの支配というのは、3・11の原発事故で直面した、いわゆる「原子力ムラ」の、「政・官・財・学・メディア」の混成からなる得体の知れない体制、誰が決断したのかもわからず、したがって誰も責任を取らないまま、ズルズルと現状維持の禍根が温存されるというといった状況にもみられるが、それと相似の事態がゴジラの出現に伴って、度重なる膨大な会議のなかで繰り返される。しかも、そのほとんどは前例を慮った形式的なものに終始するのだ。

            

 事態が変わるのは、その中心で仕切っていた首相以下11名の重要閣僚などが別の拠点に避難移行する途次で、ゴジラの放つレーザー攻撃で、死んでしまってからである。
 あとを託された後継の首相代理は、一見、頼りなさげだが、それが幸いしてか、すべての実務面を、それぞれの部署から集められた「巨大不明生物特設災害対策本部(巨対災)」のメンバーに丸投げすることとなる。
 そのメンバーを適切に表現するのが、取りまとめ役の森課長(厚生労働省医政局研究開発振興課長)が言い放つセリフだ。
 「そもそも(君たちは)出世に無縁な霞が関の外れ者、一匹狼、変わり者、オタク、問題児、鼻つまみ者、厄介者、学会の異端児、そういった人間の集まりだ。気にせず好きにやってくれ」

            

 彼らはまさにその通り、相互に意見や情報を交換し、自由に発想し、もっとも可能性のある方法を探り出してゆく。それらは、日米安保条約や、昨年成立した集団的自衛権容認の安保法案を思わせる多国籍軍の思惑などを計算に入れながら実行されねばならない。
 この怪獣ゴジラが成長し、拡散分裂する可能性すらあるという状況下、核兵器使用こそがもっとも現実的な作戦だとして最後通告のように彼らに突きつけられているからだ。
 広島、長崎についで、今度は東京が原爆の対象になるかどうかの瀬戸際だ。

            

 これ以上詳細に述べると完全にネタバレになってしまうので控えるが、私の観方の要点は、上に述べた前半と後半を隔つもの、つまり、ノウ・ボディの統治による情報の伝達や実務的行動についてのもどかしさという前半から、実務者の相互協議方式によるプロジェクトチームによってこそ事態が掌握され打開への道が開けるという後半への変化にこそある。

 ここでいうノウ・ボディの統治というのは、繰り返しになるが、誰と名指せる支配者、責任者がいないにも関わらず、厳然として所与の支配が貫徹し特定の体制が維持されるという事態である。もはや独裁者すら不要で、相互自主規制のような暗黙の了解のなかでことが進められる状況、そう、これこそが官僚制の極地なのである。
 さきにみた、原発事故で顕になったいわゆる「原子力ムラ」の、「政・官・財・学・メディア」の混成からなる得体の知れない体制、これもまた官僚制そのものだったのである。
 ただし、この体制は、ゴジラのようなまったき他者の出現に対しては為す術をもたない。さきの原発事故においても、原子力ムラがそのほころびを見せ、こんにちにおいても完全に修復はされていないように。

            

 だとするならば、後半にもっぱら状況と具体的に対峙する、「一匹狼、変わり者、オタク、問題児、鼻つまみ者、厄介者、学会の異端児、そういった人間の集まり」というのはある種の示唆をもたらしてはいないだろうか。
 そう、真の変革ともいえる事態に対応しうるのは、複数の単独者たちによるいわば協議会方式ともいうべきものではないだろうか。彼らはイデオロギー的な同一性や倫理的キヅナで結ばれているわけではない。だから、お互いの顔色を読み合う自主規制の制約からも自由である。

            

 したがって、この映画は、ゴジラという危機によって反照されるノウ・ボディの支配としての官僚制と、それが崩壊したあとの協議会方式のコンミューンとの差異を示唆しているように思える。
 というように観るのはやはり穿ち過ぎというべきだろうか。冒頭に書いたように、様々な観方があるなか、私のようなもって回った観方がひとつぐらい紛れ込んでもいいと思うのだがどうだろう。

 

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