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六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

私のメーデーは家事労働 ハイライトは桜ん坊の収穫

2025-05-02 00:38:26 | よしなしごと

 明日、図書館へ返却する書を、昨夜頑張って読み上げてしまったので、今日は終日家事労働。

 午前は洗濯物と、半年分ほど溜まった瓶、缶、ペットボトル類を分類、袋入れを行い、次の回収日に然るべき場所にもって行けるように。

 昼食は余り物をまとめて済ます。

     

 午後は風呂場の掃除と、最近排水が悪く、途中で引かなくなってしまうので、排水管を掃除する液体薬を流し、しばらく置いてから放水。
 以前より少し改善したが、どこか先の方で詰まっている。浴槽の湯が5センチぐらいまでは勢いよく排水されるが、その後は目に見えないスピードでゆっくりしか引かない。
 この配管も、半世紀以上前なので目に見えないところで問題は起きているようだ。

 配管といえば、昨日は京都駅付近で水道管が破損し、陥没と浸水騒ぎがあったようだが、例の埼玉県の八潮市の陥没事故の方、未だに運転手の人、地中に放置されてるようだ。
 宇宙の果てまで行ったり、物質の細分化やその運動の解明にまで及ぶ人知は、場所もはっきりわかっている地中での、人間一人を発見回収できないのか。
 改めて確認したら、もう2ヶ月半になる。

 最後の仕事が今日のハイライト。サクランボウの収穫。腰痛を抱えた身には、樹下へ潜って中腰での作業がつらい。
 それでも、まあまあのザルに二胚分、1,000粒近くは収穫できた。その後、掃除をして水洗い。これは明日、娘が勤める学童保育の子どもたちのおやつになる。

     

     
     
     

 獲っている途中、近所の子連れの女性が通りかかったので、自由にとって子どもたちのおやつにしていただいても結構ですよと告げる。
 子どもの顔がパッと輝く。この色はまだ酸っぱくて、この色なら甘いからねと教える。

 ここまででもう限界。ぐったり。
 コーヒーを今季初、アイスにして飲む。

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身辺整理、洗濯、サクランボウ・・・・明日の人生へ

2025-04-08 02:12:08 | よしなしごと

 7日、月曜日は家事労働というか身辺の整理など、身体を結構使った。
 
 通常の洗濯をし、それを乾してから、午前中は、自分のデスク周りの整理。
 自分で買った本、図書館で借りてきた本、献呈などでいただいた本や雑誌などが、百冊近くも無造作に積読(つんどく)状態でなんともならない。
 それらを、直ぐに必要として読むべきもの、順を追って読むべきもの、いつ読むかわからないが蔵書として置いておくもの、思い切って捨ててしまうもの、などなどを区分し、しかるべく整理。
 これで一応、「え~っと、あれはどこだっけ?」という状態が多少は緩和した。

 そこで昼食。山芋の古い在庫(冷蔵庫の野菜室で結構保つので、つい後回しになる)があったのでそれを使った山かけそば。時期が時期だからまだ暖かい方。すりごまを混ぜると、香ばしくなる。

     

 午後は、もういいだろうと冬服の整理。もうしばらく着ない厚手のジャンパーなどを今日二度目の洗濯。セーターやベストなど毛糸のものはまた別途違う洗い方をしないと縮んでしまうから、今日は見送り。

     

 それを乾してから、だいぶ実が膨らんできたサクランボウを、ヒヨやムクから防衛するためのCD吊るし。十数枚を樹のあちこちに吊るす。風でキラキラすると、結構、効果を発揮する。
 もっとも何度目かの収穫後には、これらのCDは取り外し、鳥たちにも分けてやるつもり。

     


 以上のような事柄、若い人にはなんでもないことだろうが、腰痛持ちの老人にとってはかなりつらい動きも多い。
 しかし、人間が日常に生きるとうことはこうしたことだと思う。

 明日、地球が壊滅するというのに樹を植える人の話が時々流れてくるが、私はそんな愚かなことはしない。私が動くのは、明日もまだ、自分の人生が継続されるだろうという期待を込めてである。

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パウル・クレー展を観てきた!

2025-03-10 03:03:04 | よしなしごと

 やっと行くことができた。愛知県美術館で開催中のパウル・クレー展である。
 このチケットを旧知の I さんからいただいたのはもう随分前であった。それから何度か名古屋へ出かけたが、それぞれ所定の会合などで、それと抱き合わせで観にゆくには時間が早すぎたり遅すぎたり、あるいは可能であっても窮屈な時間であったりして無理があった。
 
 この度は、会合などとは関係なく、これを主体にしたスケジュールを組んだ。正直言うと、映画との取り合わせ(映画については別途書く予定)であったが、共にゆったりした時間の中で鑑賞することができた。

          

 このクレーの絵画の一部については、モンドリアンのそれと同様、大胆不敵と叱られるような思いをもったことがある。どんな思いかというと、これなら俺にも描けるというまさに不遜極まりないものであった。

       
        これのみ、モンドリアンの作品 その他はすべてクレーのもの

 どんな絵についてそんな思いをもったかとうと、両者共通に画面を方形で仕切り、その方形を色彩で埋めるという絵についてである。
 モンドリアンでいうと以下の絵や、クレーでいうと今回の同展のポスターに使用されたえなどについてである。ようするに、技法的に私にも可能であると思ったことがあるということである。

          
     フォト
 しかし、今はむろんそんな不遜なことは思っていない。長い西洋の伝統的な絵画の歴史のなかで、それらを参照しつつも、自分の表現したいもの、その形、方法など、様々な葛藤の末に見出したものそれらが即、彼らの作品なのだ。
 したがって、私がそれらしいものを描いても、模倣にしか過ぎない。
 
      

 だから私にできることは、そうして対象化されたものに向き合うこと、そしてそれらに共感できるかどうか自分に問うことでしかない。もっと平たく言えば、あ、これ面白いな、とか、なんか惹かれるな、とか、これ好きだななどと呟いてみることだ。

      

 私が上に触れたように、「これなら私でも・・・・」というのも技法的にも間違いである。そこへと至る葛藤についてはすでに述べたが、その表現の結果についても、そんなに簡単なものではないことは今回その作品を至近距離で観てじゅうぶん納得できた。
 この展のポスターになっている絵も、観たところ多数の長方形の中に色を落としていったようなのだが、その色の選択や混色、そして明暗などどれひとつとして安易に塗られているだけでないことは近くで観るとよく分かる。
 もちろん隣接した色との関係、そして全体での形と色の調合が計算し尽くされていることはいうまでもない。

     

 もちろん、そうした方形に色を施すモンドリアン風の作品は限られた時期の限られた作品に過ぎない。それ以外にも多彩な作品があり、また、彼と関連が深かった画家たちの作品(カンディンスキーの作品が目立った)もあって飽きさせない。

          

         


 20世紀前半の印象派以降、ヨーロッパ絵画が辿ったひとつの道がここにあるように思った。
 I さん、チケットありがとうございました。お陰で良い目の保養になりました。

 なお、この美術展は16日まで。
 

 パウル・クレーに付いてのメモ
 1879~1940年 スイス生れ
 芸術家風の家庭にめぐまれ、音楽や文学にも興味をもっていたが、迷った末に音楽や文学ではなく絵の道を選ぶことになる。
 主にドイツで活躍 ミュンヘンなど
 1933年以降ナチスによる圧迫でスイスのベルン(生まれ故郷)へ亡命
 1937年にナチスによって行われた退廃芸術展には、彼の作品が15点が出展された


 

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AI によるゼレンスキー評価 Chat GPT と DeepSeek

2025-02-25 02:02:32 | よしなしごと

 ロシアのウクライナ侵攻から3年が経過した。
 米大統領がトランプに代わり、情勢も変化してきている。
 それとは直接関わりないが、渦中にあるゼレンスキー大統領についての評価をAI に訊いてみた。
 以下は米製のChat GPT と中国製の DeepSeekに対し、「ゼレンスキーをどう評価しますか?」という同じ問いを発した結果である。

           

 問いに対する画面に出たままを載せるが、Chat GPTの後半のぶつ切りになっている箇所は、私の転載ミスではなく、その回答の表記のままである。
 どちらの内容が正しいかはともかく、回答の形式的整合性ではDeep Seekの方が優れているようだ(中国製だからロシア寄りの評価ということもなさそうだ)。ただし、私のChat GPT が古いバージョンである可能性もある。

 いずれにしても、まずは停戦。その後の具体的諸事項は、停戦下でゆっくり話し合えばいい。毎日、何人もの犠牲者が出るのは耐え難い。

Chat GPT
 ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は、歴史的に重要なその場でリーダーシップを発揮してきた人物として評価されている。その評価は立場や視点によって異なりますが、以下のようなポイントが挙げられます。

*感謝評価
1,国民の結束を強めた
・2022年のロシアのウクライナ攻撃に際し、国外逃亡せずにウクライナ国内に留まり、国民を鼓舞する。
・SNSや演説を活用して国際社会支援を、ウクライナの立場を強く主張。
2,外交手腕
・NATOやEUなどの西
・米国や欧州諸国
3,情報戦における成功
・戦
・ロ

*ネガティブな評価
1,戦争長期化の責任
・強い姿勢
・「最後まで戦う」戦略が、
2,国内の政治問題
・戦争中の権利
・汚職問題への対応に対する不
3,経済の悪化
・戦争の影響でウクライ
・戦後の再建が

*総合評価
 ゼレンスキー大
 あなたはゼレンスキーをどう評価しますか?

Deep Seek
ウォロディミル・ゼレンスキー氏は、ウクライナの政治家であり、2019年から同国の大統領を務めています。彼は元々コメディアンや俳優として知られており、政治的な経験がほとんどない状態で大統領に就任しましたが、そのカリスマ性と国民との直接的なコミュニケーション能力で支持を集めました。

ゼレンスキー氏の評価は、国内外で分かれるところがあります。国内では、彼の改革への意欲や汚職対策、そしてロシアとの対峙における強い姿勢が評価される一方で、改革の進捗が遅れていることや、経済的な課題に対する対応が不十分だとする批判もあります。

国際的には、特に2022年のロシアによるウクライナ侵攻以降、ゼレンスキー氏はウクライナの抵抗の象徴として広く認識されています。彼は国際社会に対してウクライナ支援を訴え続け、多くの国から軍事援助や経済支援を取り付けることに成功しました。そのリーダーシップと、困難な状況下での国民を鼓舞する能力は高く評価されています。

しかし、一部の国際的な観察者からは、彼の戦略や外交的なアプローチについて疑問が呈されることもあります。特に、和平交渉の進め方や、西側諸国との関係のバランスについて、議論が続いています。

総じて、ゼレンスキー氏は非常に複雑で多面的なリーダーであり、その評価は時代や状況によって大きく変わる可能性があります。彼のリーダーシップの真価は、今後のウクライナの状況や国際関係の展開によってさらに明らかになるでしょう。








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気がつけば私も囚われ者

2025-02-16 17:53:23 | よしなしごと

            

 毎日、就寝前にスマホを充電することにしている。昨夜もそうした。

 午前はPCでメールのチェックをしたり、SNSで応答が必要なものを確認したりした。

 昼頃、スマホの方のチェックをしようとした。しかし、その画面は暗いままだ。あちこちいじっていたら、薄っすらと電池のマークが出てきて、その残量が細い線ぐらいしかなく、数値は0.1%でとても使えないことが判明。

 明らかに充電の失敗である。あるいはバッテリーそのものの故障か。もう一度、充電のケーブルにつなぎしばらく待つ。事態の改善はまったく見られない。

ジタバタするのは諦めて、近くのソフトバンクに走る。予約制でしか応対してくれないのだが、たまたま次の予約客が来ていない社員がいて、話を聞いてくれる。そして私のスマホを持って行って自分のデスクで何やらゴソゴソ。

 しばらくすると戻ってきて、ちゃんとうちのケーブルでは充電できますから、本体のバッテリーの問題ではありません。 ここでちょっとホッとする。そこで新しい充電用のケーブルを求めようとするが、長さなどの仕様で、私に必要なものはないことが判明。

 家電店へ車で直行。必要なものを求める。帰宅してすぐスマホの充電を。順調に充電。ホッとする。

 しかし、考えてみれば変な話だ。名古屋の地下鉄など、7人のベンチシートにかけた7人が共にスマホを熱中しているのを見て、「オイオイ、たまには一日スマホを手放してみたら世の中変わって見えるんでは・・・・」などと呟いている私が、こんなにあたふた大慌てをするなんて。

 確かに、CMと詐欺ばかりの固定電話を解約して以来、外部との連絡はスマホのみとはいえ、あの慌てようはあるまい。

 IT 社会を斜に構えて相対化しているつもりの私自身が、やはり今や、そこにがっちりh捉えられてるというお話。

 おそまつさまでした。

 

 

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転んではいけないのに転んでしまう・・・・これが老人。

2025-02-11 02:16:50 | よしなしごと
 
 
 私のように80代も後半に差し掛かった老人が激しく転ぶのは、下手をすると命取りで、寝たきりになる可能性があるということはじゅうぶん知ってる。だから日頃、それなりの注意はしている。
 
 だが、知っていることと実際にそうなってしまうこととはまた別の問題で、洗濯物を干し終わってホッとしたあと、ほんとにちょっとした段差に躓いて激しく転倒してしまった。
 下は荒打ちのコンクリート。宙に浮いた身体を支えたのは両手と右膝の三点。そして見事、その三点で負傷した。いずれも打撲プラス擦傷。

 一番軽いのは右膝。転んだ瞬間痛かったが、やがてそれも治まり、ああ、骨などにも異常がなくてよかったと安心した。しかし、後刻調べたら下着に薄っすらと血が。やはり擦傷があり、そこから少量だが出血。

 ついで左の親指の付け根あたり。当初の出血はここが一番ひどく、ティッシュ数枚分を鮮血で染める騒ぎ。しかし、出血が治まった時点で傷テープを貼ったら、それでなんとかなったようだ。

 結局、一番ひどかったのは右手薬指先端の裂傷プラス擦傷。出血はあまりなかったのだが、いくぶんかの面積の皮膚が失われてしまっていて、肉塊が露出している。
 その部分を傷テープで覆ったが、指先とあって、テープそのものが安定しないし、炊事などの水仕事もこのままでは不能。

 そこで近くの百均へ走って指用サックを購入。
 これで全ては落ち着いてなんとかなりそう。

 転んだ現場をあとから検証。こんな僅かな段差でねぇ・・・・というのが感想。
 自分で持ち上げたと思うほど足が上がっていなかったようだ。
 一応、寝たきりは回避できた。

  写真はわが家のナンテンの紅葉。
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【中国製AI (deepseek)に訊いてみました】

2025-02-06 02:07:13 | よしなしごと
            
 
私の問い「トランプ大統領の関税政策についてどう思いますか?」

以下がその回答です。
トランプ大統領の関税政策については、賛否両論があります。以下にその主なポイントをまとめます。
*肯定的な見方
1)国内産業の保護
 関税をかけることで、安価な外国製品からの競争を減らし、アメリカ国内の産業を保護する効果がありました。特に製造業や鉄鋼業界にとっては有利に働いたとされています。
2)貿易赤字の是正
 中国などとの貿易赤字を是正するための手段として、関税政策が有効だったと考える人もいます。交渉の切り札として使われ、一部の国との間で新たな貿易協定が結ばれました。
3)雇用創出
 一部の産業では、関税によって国内生産が増え、雇用が創出されたという報告もあります。
*批判的な見方
1)消費者への負担増
 関税によって輸入品の価格が上昇し、その結果、アメリカ国内の消費者が高い商品を買わざるを得なくなりました。特に家電製品や衣類などの値上げが指摘されています。
2)貿易戦争のリスク
 関税政策は中国やEUなどとの貿易摩擦を引き起こし、世界的な経済不安を招きました。特に中国との貿易戦争は、長期的な経済的なダメージを与えたとの見方もあります。
3)企業への影響
 輸入部品に依存している企業にとっては、コスト増加やサプライチェーンの混乱が生じ、経営を圧迫しました。農業分野でも、報復関税によって輸出が減少し、農家が打撃を受けました。
*総合的な評価
トランプ大統領の関税政策は、短期的には国内産業の保護や交渉の切り札として機能した面もありますが、長期的には消費者や企業への負担が大きかったとの指摘もあります。また、グローバルな貿易関係を悪化させたとの批判も根強くあります。
経済政策の効果は複雑で、短期的な成果と長期的な影響を慎重に評価する必要があるでしょう。

私の評価
 割にまともに答えています。しかし、マスメディアの解説などの一般論に終わっていて、その背後にあるトランプの意図や今後の見通し、それが与える極めて現実的な影響などについては何も語っていません。ようするに、一般的、かつ抽象的なレベルに留まっています。
 学生のレポートのコピペの材料にはなりますが、私たちが今後起こり得る事態を予想し、それへの備えなどを考える実践的指針にはなっていないと思います。

 <答えの番号などは私がつけたものです。>
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雑感二題

2025-02-04 14:30:20 | よしなしごと

【その一】

 石破さん、トランプ大統領との会見をそれほど急ぐ必要はありませんよ。その就任前にもう、安倍昭恵さんとの間で日米関係の大綱は決まってしまっているのですから。

【その二】

■人間は宇宙の彼方へロケットを飛ばすことができる。
■物質を究極の単位まで分割することもできる。
■AI のように個々の人知を超える知の体系を生み出すこともできる。
■なのに、穴へ落っこちた人を一週間も助け出すことが出来ない。
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今年初、岐阜県図書館へ

2025-01-23 16:46:30 | よしなしごと

 22日午後、この時期にしては温かいと思われるなか、県図書館へ。
 4冊を返し、3冊を借りる。
 
 返した4冊のうち、1冊はペラペラットめくっただけで、これはまた次の機会でいいやと読んでいない。著者に申し訳ない。ゆっくり読める時間が出来たらまた借りますから、お許しを。

 最近読書能力がどんどん低下している。読むのが遅い、少し経つと睡魔が襲う。
 ノートを取りながらはもっと面倒だ。最近、PCへの音声入力でノートを取るが、その不完全性から、後で読み返してわけのわからないこともある。難儀なもんだ。

 返却日は2月12日。さてそれまでに読み終えることができるかどうか?

      

             黄色いミニバスの向こうは県美術館

      

               県図書館正面玄関

          

      気候がいいときには散策する中庭 今は寒椿以外花がない

          

     本を選び、立ち読みも少しして外へ出たらもう夕景になっていた

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ご無沙汰しています。まだ生きていますよ。

2025-01-20 16:10:36 | よしなしごと

 このブログの更新も1月10日以来ということだからずいぶんサボったものである。

 これは用心すべきだろう。私の歳になると一體週間もご無沙汰するとあいつもとうとうくたばったのかということになりかねないからだ。

 今回、長い空白ができてしまったのは、所属している同人誌 の締め切りとその校正、さらにはそれと並行して、ちょっといたずらごとのようなことをしていたからである。いずれにしてもかつてはそうしたようなこともしながらも、まぁまぁこまめにブログを更新できたのだから、その点では年齢による私自身の能力の劣化といわれても 致し方あるまい。

           

 ただし、この間何もしてこなかったわけではない。それなりに書も読んだし勉強会などの集まりにも参加した。とりわけこの勉強会では、 フェミニズムの最近の動向とりわけ雑誌「情況」昨秋号が特集したトランスジェンダー問題などに関して、私の理解の範囲が狭いこと 思い知らされ、付け焼き刃で勉強などもしていた。

 今も、キャスリン・ストックの『マテリアルガール』を読み問題の整理をしつつある。

 その前には久々に 多和田葉子の小説『白鶴亮翅(はっかくりょうし)』を読んだ。ひところ、多和田葉子のの追っかけのようにして読み続けた時期があったが、今回は久々である。  

            

 なぜこの人に興味を持ったかと言うと彼女自身が 言語に対してとても自覚的というかそれに関するある立場をもっていて、それを小説の中でも実験的に用いたりしていたからである。で、それが小説としてどうなんだろうかということについては、 いささか見当違いかもしれないが以前にこのブログに載せたことがあるのでそれを参照されたい。

 https://blog.goo.ne.jp/rokumonsendesu/d/20210310 

 あ、そうそう、今回のものは、現今の国際環境に根ざしていて、具体性があったと思う。ドイツの変遷の歴史の中で、東プロイセンやプロシアの話がでてきて、その話はドイツは無論、昨年夏、私自身がドイツとともに出かけたポーランドとも関連するので、もう少し掘り下げてほしかった。

 なお、この小説は、上記の問題と並行して、ヨガ教室で展開される技の進行、そしてそこに集う多民族の人たちのありようが柱となっている。タイトルの『白鶴亮翅』もヨガの技のひとつで、小説のラスト近く、意外な活躍を見せる。

           

      

 今年に入って、名古屋へは2回出かけた。一度は今池方面でこれはなじみの場所であるからほとんど問題なかったのだが、久々に行った名古屋駅の西側はなんだか凄いことになっていた。通行止めがいっぱいあって本来通行できた道路も柵で遮られるなど、行く先へたどり着くための道そのものがいたるところで寸断されそのうちに自分がどちらを向いて歩いているのか方向性すらわからなくなってくる。

 なんでそんなことになっているかと言いうと、いつ開通するかもわからないリニア新幹線の駅のための工事なのである。駅の桜口通り近辺にも多少の工事の現場があるが駅西も まぁそのくらいかなと思っていたらとんでもない話で、その何倍もの面積が閉ざされている。

      

 どうせ私が生きてるうちには乗ることができない、あるいは乗ることができてもあまり乗る気がしないリニア新幹線のために私の当面の通行はかくも無惨に妨げられているということが腹立たしい。

 まぁそれはそれとして、勉強会の帰りに二次会で初めてインド料理店に入った。勉強会にはイスラム系の人が2人いていわゆるハラルフードの店ということでここになったようだ。 田舎料理と和食しか知らない私にとってははじめての体験であった。あのでかい雑巾のようなナンというものをスパイスに浸して食べるというのは初めてのことであった。

           

 イスラム系の首都はともかく、私のような新校舎 夕食にはアルコールを伴う悪癖があってしかしその店には当然のこととしてアルコールは置いてない。インド人らしい店主は「アルコールは隣のコンビニで自由に買ってきて持ち込んでも結構です」ということなの 私もその言葉に甘えてなんとインド料理に日本酒を持ち込むという奇天烈な関係が成立した。

      

 ところでその店はとても親切で、そうした持ち込みを許すばかりか、持ち込んだ酒のために十分に冷やしたグラスを提供してくれるのである。いずれにしても食事そのものそしてその食べ方を含め、はじめての体験なのでとても面白かったやはり長生きはしたほうがいいのかもしれない。 

 この文章はあちこち変なのは口述で記入をしそれを手直ししたためである。まぁそのせいばかりではなく、文章を構成する私自身の論理的な能力の欠如は口述筆記にも出てしまっているというのが実情であろう。

 久々のブログであまり写真はない。書籍以外の写真は岐阜から名古屋に出かけた際に気まぐれ撮ったものである。

  今日はこんなところでお茶を濁してしまうがいつもこのブログを覗いてくれる方にはご無沙汰をお詫びし、今後は短いものでももう少しこまめに載せることをお約束いたします。ゴメンナサイ。

 

 

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