六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

紅白カブの共漬け その結果は・・・・

2024-02-29 01:10:48 | グルメ

 中玉のカブ三個が一束で売られている。その組み合わせは赤カブ一個と白カブ二個だ。これがスーパーだったら、「何だ、この組み合わせは!」とクレームがつくところだ。

 しかし、ここは農協朝市、こんなことはザラだ。しかも、その価格が六〇円だったら迷わずゲットだ。

      

 さて何にするかだ。漬け物に即断。しかも紅白もろともにだ。むろん葉や茎は捨てないで漬け込む。

      

 即席漬け物器に切ったものを。カブの他には昆布の千切り、鷹の爪、柚子の皮。
 塩加減はそうだなぁ、小さじに三倍前後か。

      
 一日目、水分が出てしっとりしてきた。試食。塩分は良さそうだがまだ発酵が不十分でうま味は出てきていない。

      
 二日目、しっとり感も進んでだいぶ旨くなってきた。あと少しだ。

      
 三日目、うん、旨くなってきた。もともと浅漬けだからこのへんでいいだろうとタッパーに移してあとは冷蔵庫で保管。

 で、今回の共漬けの結果だが、三日目ともなれば、赤カブのみなら全体が真っ赤になるのだが、今回はそうではない。白カブも幾分は赤くなるが、「朱に交われば赤くなる」ほどではなく、元の白さを残してる。
 それのみかその味わいも、赤カブが少しピリッと辛いのに対し、白カブは微妙な甘みを残している。

 以上が、共漬け実験の結果報告だが、原価六〇円でここまで遊べてしまうのは、私の幼児性退行を示しているのではあるまいか。
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最近の食事 アトランダムに

2024-02-22 15:57:19 | 写真とおしゃべり
       
               残り物に依るパスタ

       
(左奥から)里芋味噌煮 キュウリ・生若布酢の物 白菜漬け 豚バラひとくち角煮

       
             白菜、青菜、生若布のきしめん

       
         青菜と揚げの煮物 五目チーズかけ焼き 白菜漬物

       
 じゃがいも、人参カレー煮 白菜、青菜、トリの煮付け 白菜漬 キャベツ、水菜、マカロニのサラダ

       
 レンコン煮付け ほうれん草おひたし 白菜漬 里芋、豆腐、はんぺんの味噌おでん風(右においたのが味噌)

       
   いわしソティー レンコン 水菜と揚げ煮つけ もずく マグロ山かけ

       
         いわしソティー残り 五目ごはん ゴッタ汁 白菜漬

       
          白菜漬 レタス、ちくわ、生若布などのサラダ
 
       
            ネギ、白菜、揚げを添えた肉うどん

       
 キュウリ詰めちくわの和え物 豚と玉ねぎのソティー 葉付き小カブの煮付け そのカブの皮を味醂と醤油に漬け込んだ一品 これが結構うまい カブの皮は決して捨てない 

       
 ブロッコリー、キャベツソーセージの温サラダ 白菜漬 キュウリと春雨のツナ缶入りドレッシングのサラダ
 
       
 白米(ハツシモ) 里芋豆腐の味噌煮、鶏肉ソティー、葉付きカブラ煮の盛り合わせ

       
 生若布、豆腐、玉麩炊合せ キャベツ中央部の黄色いところとハム、春雨のサラダ 鳥ムネ肉各種香辛料漬けのソティー 

       
                 温かい山かけそば
 
       
             それを食べる前に撹拌したところ

       
        青菜と生若布のおすまし 鳥ムネ肉ソティー乗せパスタ

【付】
       
 バレンタインデー、チョコがこないので自分で買ってきた。無印の甘味の少ないビターで硬いもの。これが25個入って180円。しかし好きな味だ。
 これに合わせるのは、ウィスキーかブランデーのハードリキュールだ。そこでアイルモルトのスモーキーな風味のウィスキーも買ってきた。
 この取り合わせはうまい。
 
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基礎がないのに読み始め失敗した読書

2024-02-20 01:34:17 | 書評
 
 図書館の新着図書に、佐藤俊樹『社会学の新地平・・・・ウェーバーからルーマンへ』(岩波新書)が出ていたので、借りてきて読んだ・・・・というより開いてみた。
 「社会学の新地平」というのが気になったし、マックス・ウェーバーのものは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』のほか短いものを2,3読んでいたものの、もはや内容もうろ覚えだし、ルーマンに至っては社会システム論の展開者ぐらいのことしか知らなかったので、この際その内容を知り得たらということで読もうとしたわけである。

          

 むろん、そんなに簡単に理解できるとは思っていなかったが、まあ、新書だから私のようなド素人にもある程度は吸収できるだろうと思ったのが、結果的には甘かった。

 この書は、社会学に馴染み、マックス・ウエーバーやルーマンを一通り理解してる人たちを対象とし、それに対して著者の新たな視点からの研究成果を述べるというもので、私のような門外漢から見ると、研究者同士の対話のようで、とても歯が立たないのだ。
 とくに、それがなぜ問題なのかの今日的な引っかかりが見いだせず、いきなり専門的な検証の分野に引きずり込まれた感じなのだ。

 改めていうが、これは決して著者の責任でもなんでもない。私が迂闊にも、自分の低レベルな知識で読めると高をくくっていたがゆえの罰ゲームとでもいえる。

 結局、当初の理解の目的は諦めて、斜め読み程度で目について点のみを読んだが、ウエーバーが、上に挙げた書で、プロティスタンティズムに依る質実倹約や消費抑制で一旦得た利益を次の流通過程に投じ、資本として機能せしめるという私自身の読解に、著者は実証的な検証を加え、ウエーバー自身がそうした機能を追求する商業資本家の当事者であったということを強調する。

 その他、ウエーバーについても、ルーマンについても、緻密な実証的検証が行われているようだ。
 しかし、私のような粗雑な野次馬には高度すぎる恩義であったというべきであろう。

 教訓としては、読書は自分の身の丈に合わせたものでないと身につかないということだった。
 
 ただ副作用として、いろいろ探していいる中で、ルーマンの社会システム論をわりかし平易に解説したネット上の文書を見つけたので、そこで勉強することとする。

   https://liberal-arts-guide.com/social-systems/
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紅梅が満開!

2024-02-19 18:33:13 | 花便り&花をめぐって
 鉢植えの紅梅が満開になった。少し離れたところでも。その馥郁たる香りが鼻腔に心地よい。
      
  

 

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【読書ノート】ですが、まずはAIChatGPTの実験からはじめて・・・・

2024-02-18 01:37:32 | 書評
 読んだのは東浩紀『訂正可能性の哲学』ゲンロン社であり、結構面白かったが、その内容を述べる前に、ちょっとした実験を思いついたので、それを実施してみた。
 それというのは、今流行りのAIChatGPTにそれについて述べさせるということである。

 最初の設問は、「東浩紀『訂正可能性の哲学』とはどんな書ですか?」というものである。それへのAIChatGPTの回答は以下のようであった。

「東浩紀の『訂正可能性の哲学』は、哲学や科学の中で「訂正可能性」という概念に焦点を当てた書籍です。この概念は、我々が持つ知識や理解が常に修正や改善の余地があることを指摘しています。東浩紀は、この訂正可能性が科学や哲学の進歩を可能にする重要な要素であると主張しています。また、この本では、現代の社会や文化における訂正可能性の意義や影響についても論じられています。」

 少し設問を変えてみた。それは、ちょっと突っ込んで「東浩紀の『訂正可能性の哲学』の内容はなんですか?」を問うものであった。
 それへの回答は以下のようであった。

「『訂正可能性の哲学』では、東浩紀が訂正可能性という概念に焦点を当て、その哲学的意味や社会的影響について考察しています。本書では、次のようなテーマが取り上げられています。
1.知識と修正: 科学や哲学における知識の性質について議論し、それらが常に改訂や修正の対象であることを強調します。
2. 訂正可能性の意味: 訂正可能性が我々の知識や理解に与える影響について考えます。新しい情報や理論が出てきたとき、それが我々の以前の知識や理解をどのように変えるかを探求します。
3.科学と訂正可能性: 科学の進歩がどのようにして訂正可能性と関連しているかを考察します。科学理論や仮説が実験や観察によって検証され、修正されるプロセスに焦点を当てます。
4. 社会と文化における訂正可能性: 訂正可能性が社会や文化に与える影響について探求します。特定の信念や慣習が修正されることで、社会や文化がどのように変化するかを考えます。
5.個人的・集団的な学び: 個人や集団が新しい情報や視点を受け入れ、以前の認識を修正するプロセスについて考えます。

 総じて、『訂正可能性の哲学』は、知識や理解が常に改訂される可能性があることを強調し、その影響を深く探求しています。」

        

 以下はそれに対する私の感想というか意見である。
 一口に言って、「フ~ン」と感心した。こんなふうにまとめれば、実際に読んでいない学生たちが授業での小論文などにこれを使いたがることがよく分かるのである。一見、もっともらしいまとめで、特にとんでもない間違いがあるわけではない。

 しかしである、これは実はほとんど何もいってはいないし、一般論にもならない同義反復的な羅列にに終始しているにすぎない。要するに、AI はこの書を具体的に読んではいないし、「訂正可能性」という言葉から連想される単語を並べているに過ぎない。

 「我々が持つ知識や理解が常に修正や改善の余地がある」という回答があるが、こんなことは小学生でも知っているし、誰も否定することはないであろう。
 第二の設問には、1~5まで項目を立てて、さも詳しく答えたかのようであるが、これも1~5まで全くの繰り返しにすぎず、この書の内容とも全く対応していない。

 私は、ある程度東の書を追っかけてきて、もちろんこの書も読んだのだが、上記のAIChatGPTがいうような内容だったら彼はわざわざこの書を書かなかっただろう。
 
 前世紀末、柄谷行人や浅田彰の『批評空間』で論客としてレビューして以来、98年には『存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて』の単著で華々しくデビューし、以後論述のスタイルや、ゲンロン社創立で自らゲンロン空間の管理を行うなどしながら、『動物化するポストモダン――オタクから見た日本社会』(2001)、『一般意志2.0――ルソー、フロイト、グーグル』(2011)、『ゲンロン0――観光客の哲学』(2017)、そして昨秋のこの『訂正可能性の哲学』などなど、まさに自分の思考を各面で「訂正」しながら、その理論を進めてきた(なお、ここに揚げた他にも多くの著作があるが、私がつまみ読み的に読んできたのはこれら)。

 AIChatGPTには、こうした彼の歴史的遍歴や、その都度の状況と彼の論旨の変化が全く反映されていない。
 そしてこれらの遍歴の中で、彼が参照し、思想的に対峙してきた古今東西の思想家たちの存在も全く考察の外である。

 それらは、例えばこの書だけでも、ヴィトゲンシュタイン クリプキ  トクヴィル ハンナ・アーレント ミシェル・フーコー ジャンジャック・ルソー リチャード・ローティー ジョン・ロック  トオマス・ホッブズ ポパー エマニエル・トッド プラトン ヘーゲル ジョージ・オーウェル(順不同)などである。

 そして、これらの思想家たちを参照しながら彼が進めてきたのは、ChatGPTがいうように、「この訂正可能性が科学や哲学の進歩を可能にする重要な要素である」からではない。東のテーマは「科学や哲学の進歩」といった抽象的なものではなく、私たちが現実に暮らしているこの世界において、「友」と「敵」を識別し、闘い合わなければならないのはどうしてか、それを止揚する道はないのかという極めて実践的なものなのである。

 だからそれは、ジャック・デリダの研究を受けて書かれたデビュー作の『存在論的、郵便的』以来の一貫した追求ともいえる。彼はそれを、上に挙げたような先行する思想家たちとの対話を深める中で、まさに自分自身で「訂正可能」な部分を訂正してきたその現時点での成果がこの書といえる。

 思うに、ChatGPTにはなんの志向性もなく、蓄積されたからの情報の抽出以外の能力はない。
 しかし一方、21世紀はこうしたビッグ・データの蓄積に依存した「人工知能民主主義」に依る統治が一般化しつつある。張り巡らされた監視情報網、各個人の嗜好まで分析保存され、「私の心の秘密」などの甘い領域までもがもはやデータ外ではない。

 そして、そうしたビッグ・データから抽出されるある種の「一般意志」によって運営される政治の領域は、それを絶対的な価値基準として全体主義的な統治に至りやすい。実際のところ、そうした国や領域を私たちは知っている。

 この書は、そこへと至らない「訂正可能」な領域をどこに見出してるのだろうか。東が最後に引用するのはトクヴィルの『アメリカの民主主義』とハンナ・アーレントの『革命について』である。
 この両書で共通に語られているのはアメリカ建国時の各領域、各単位での何でもありのミーティングでの熟議の存在である。

 体制内に組織されたものの外部の人びとのミーティングの広がりは、現在なら具体的な集会ではなくとも、ネット上のそれとしても開催可能である。もちろんそれらも、監視管理の対象ではあるが、私たちは、ネット上でもその外部でも、それらをはねのける賢いハッカーであらねばならないが。

 東の書の、もっと忠実な読解を志したのだが、ChatGPTを試みたばかりに肝心の読みについての記述は雑なものになってしまった。
 ただし、今世紀の統治方式として大勢を占めるであろうビッグ・データに依拠した「人工知能民主主義」が、いかに浅薄なデータの集積によっているのかという実例を示し得たのではないかと思っている。

 
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小澤征爾とN響

2024-02-17 01:17:56 | 音楽を聴く

小澤征爾が亡くなった。ライブでは1991年、ザルツブルグのモーツァルト没後200年の記念音楽祭で、ボストンを率いていたのを聴いたことがあり、最前列だった私の掛け声に確かに反応してくれて視線が合ったことがある。
20年ほど前、岐阜のサラマンカホールへ来るというので、売り出し日の9時からというのを9時20分ぐらいに窓口へいったら、もう完売だった。私の後にも続々と人がやってきていた。 
彼の死後、NHKを中心に、TVやFMラジオで回顧番組をいろいろやっている。
しかし、1961年、彼がN響を指揮した折、N響側がリハーサルに誰も出てこないという陰湿なイジメで彼をボイコットし、海外へ追いやった話は一切出てこず、頬っ被りのままだ。
もっともそのお陰で、彼はボストンに定着し、世界のマエストロといわれるようになったのだから、N響のイジメは一定の意味をもつわけだ。
小澤とN響の協演が実現したのはその32年後となる。

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亡き人を偲んで・・・・名鉄電車、日帰りの旅

2024-02-13 02:43:02 | 写真とおしゃべり
 まだサラリーマンをしていた折の20代後半から通い続けた飲み屋があった。
 初代ママが亡くなった後、当時の常連たちが閉店を惜しんで新たにその運営を任せる人を選び、再開することとなった。
 その折に、新たなママとして選ばれたのは、当時の顧客で、私も肩を並べて飲んだり話したりしていた人だった。名を小芦さんという。
 
 ただし、毎日は大変ということで、毎週、土曜日のみ開店という変則的な店だった。
 私は自分自身も店をもっていたのであまり行く機会はなかったが、それでもたまには閉店後に訪れたりしていた。

 もう20年以上前、自分の店は閉め、岐阜に引っ込んだが、土曜日に名古屋へ出た折には立ち寄るようにしていた。
 この店は、私が名古屋の今池時代に知り合った旧知の友と出会える貴重な店であった。

 その店が諸般の事情で閉店したのが3年近く前の2021年3月末であった。
 その日の模様は、当時のブログに記した。

  https://blog.goo.ne.jp/rokumonsendesu/d/20210314

 しばらく日をおいてから、2代目ママの小芦さんのご苦労さん会を行い私も出席した。
 その小芦さんが急逝したのは翌年、2月19日のことであった。
 それから2年、命日に近い12日、往年の常連たち10人が集い、彼女の墓がある岡崎へ出向くこととなった。

     
          午前9時半頃、名鉄岐阜駅へ

         
          名鉄岐阜駅から岐阜市の中心街を臨む

     
              名鉄岐阜駅改札口

         
            私が乗った豊橋行の列車

     
            木曽川を渡ると愛知県
 
     
        これは矢作川 これを渡ると下車する東岡崎

     
              目的の寺院正門

          
                 正門横の寺院名
 
          
               小芦さんの墓標

      
          花を活け、蝋燭、線香を上げて礼拝する

      
                墓標近くの慰霊塔
 
      
              岡崎城を遠望して会食場へ

          
  会食を終えて矢作川支流乙川にかかる橋をわたる 数匹の鯉が泳いでいた

      
         帰途、木曽川を渡り、笠松競馬場はもう岐阜県

          
               乗ってきた電車

      
                 名鉄岐阜駅構内

      
バスの時間までかなりあったので、一駅先のJR岐阜駅まで歩く 展示の電車はかつて岐阜市内線や近郊を結ぶ路線(すべて廃線)で活躍していた全面5枚ガラス、乗降口付近に丸窓を擁した古い電車

      
          私が乗る市内線バス停から撮った写真

 久々に一万歩を越えて歩いた。

 

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開花!

2024-02-12 01:28:54 | フォトエッセイ

 亡父譲り樹齢数十年の鉢植えの紅梅が開花し始めた。
 今年は花の付きが良いように思う。

     

     

     

     

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【開花を待つわが家の蕾たち】

2024-02-10 00:42:29 | 写真とおしゃべり
紅梅の鉢はほころび始め。明日咲いてもおかしくはない。
      

桜はまだ硬いがここからは早い。桜ん坊がなるこの桜はソメイヨシノより10日か2週間ほど早い。

             
これらの蕾を見ながら、私の心境は小野小町と同じだ。曰く「わが身世に古る 眺めせしまに」

 

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【絵日記風に】昨日快晴、今日は雨

2024-02-05 15:08:04 | 写真とおしゃべり

 昨日、二月初めての名古屋行き。JR東海道線。久々に稲沢駅付近で車窓から貨物列車関連の各種車両を撮す。こうしてみると、それらには旅客用車両とは違った機能美の面白さがある。

      
     
     
                                  この赤い機関車には絵が描かれている

      
      
       
                      
    もう見られなくなった貨物列車の最後尾の車掌車。少しずる違うようだ。

 
 名古屋駅構内でなんとなく撮ったもの。
 
      
     

名古屋での行き先は今池。ガスビル上階という限られた場所からの交差点近辺。

           

                         

         

 帰途、JR岐阜駅でバス待ちに撮ったもの。まだ電飾をやっている。

          
 
 そんな快晴の昨日に比べ、今日は朝から冷たい雨が。ここからちょっと北や関東地方は雪のようだ。
 洗濯物が乾くのは絶望的。近くのコインランドリーで乾燥を行うために重いのを傘を指しながら運ぶのは容易ではない。300円を投入。主夫は朝から忙しい。

 昼になっても気温は上がらない。それどころか、データを見ると朝方より2度か3度下がっている。では昼は暖かいものをあんかけ皿うどんを作る。具は白菜とネギ、それに油揚げ。ただし、生姜の千切りを多めに入れたので体は温まるはず。仕上げに大葉と柚子のみじん切りを乗せる。
 所要時間15分。乾麺を湯がくのに時間を取られているが、それがなければ数分もあればできる。
      

 午後からは、最近怠けていた読書と勉強・・・・のつもり。
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