六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

ねむの木の漢字表記とレクイエム

2023-05-30 11:30:41 | 写真とおしゃべり

 写真はJR岐阜駅のバスターミナルの中にある小公園で撮ったねむの木の蕾である。これが開くと、赤と白のグラデーション、つまりピンクの可憐な花になる。

       
 
 1944年から50年まで疎開していた大垣の西はずれの郊外には、この木が沢山自生していて、私たち子どもは、この葉を採って、「ネム、ネム、ネムレ」と唱え、葉をさっと撫で付けると、それが見事にピタッと閉じるのを、まるで自分が魔法使いになったように感じで遊んだものだ。

       

 ねむの木の漢字表記は「合歓の木」である。合歓・・・・そう、至上の歓びをともにすること。なんとセクシャルなネーミングではないか。
 
 老いてなお、この木や花を愛するのは、かつて合歓のうちにあった人たちへの拭い難い追憶があるからだ。逝ってしまった人も含めて。

       
          これは昨年6月中旬、同じ場所で撮ったもの

 だから、おまじないのように、ご祈祷のように、レクイエムのようにささやき続ける。
 ネム・ネム・ネムレ~ ・・・・

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コロナって何だった? 知念実希人『機械仕掛けの太陽』を読む

2023-05-29 17:37:44 | 書評

 「喉元過ぎれば熱さ忘れる」、「人の噂も七五日」、「世の中は三日見ぬ間の桜かな」などなど、人の世の移ろいやすさ、それに伴う人びとの忘却の速さを示す言葉は結構ある。
 現在、それを痛感しているのは今月はじめ、2類感染症から5類感染症(一般的なインフルエンザ同様)に引き下げられ、それに伴う規制も大幅に緩和されたいわゆる新型コロナに関する問題である。

           

 この三年半にわたる経過のなかで、親しいものを亡くしたり、大幅な損出を被った人たちには忘れがたいものが残るであろうが、そうではない人々にとってはとっくに過去の出来事としてしまい込まれてしまったのではないか。
 それを促進したのは、これまでの新聞やTVなどのメディアで必ず目にしていた感染者数、死者数などが表示されなくなり、その実態がわからなくなったことによるところが大きい。昨今の表層的なメディア社会では、報道されないこと=なかったことなのである。
 
 もちろん、このまま収束過程が進み、「普通の風邪」になることは好ましいし、周辺を見渡したところ、そんなふうになっているようにも見える。

 しかし一方、新たな感染症が時折、この惑星で発生・繁殖し、グローバルな風に吹かれて瞬く間に蔓延するであろうことは容易に想像しうるところである。
 そうだとすれば、今回の一連の過程を一通り時間の経過に従って整理し振り返ってみてもと思って読んだのが表題の小説である。

       

 2019年秋に始まり、各日付を小見出しとし、時間の経過に従って進むこの小説は、2022年6月6日、ワクチンが普及し、その収束への展望が見え始めるところで終わる。

 主人公は三人。
 一人は大病院の女性医師。
 一人はその病院の看護師(女性)。
 この二人は、その病院のコロナ病棟の担当に専任される。
 もう一人はベテランの町医者。

 この三人は、それぞれ連携をもつ場面はあるのだが、それがメインではない。
 むしろ、三者三様のなかで、コロナ禍と闘うその困難さに焦点が当てられている。

 女医は、小学校への就学前の男の子を抱えるシングルマザーである。その母がその息子を支えてくれるとはいえ、しばらくは息子とは会えない別居生活の中での治療が要請される。

 女性の看護師は、相思相愛と思われる男性と結婚を前提とした同棲生活をしているが、コロナに立ち向かう彼女の決意を理解しない男性から、「そんなのただの風邪だろう」とさっさと医療現場から離れての結婚を迫られている。

 ベテランの開業医は、都市の大病院に勤務する息子から、「自分は医院を継がないよ」と宣告されながら、老骨にむち打ち、まちなかの受け入れの最前線に立っている。

           

 この三人は、初期のとどまるところを知らない感染の拡大、重症者看護の困難、病床や医療機器の不足などなどとたたかわねばならない。それらの過程が緻密に描かれる。

 ワクチン進捗状況や政府の施策などが淡々と記録される。医療関係者の尽力をあざ笑うようなGOtoトラベルキャンペーン、政治家たちの会食・・・・そして三人の肩にのしかかる「家族」の事情。

 それらを日付を追って記録されるこの小説は、それぞれが抱える問題の収束と同時に、冒頭に述べたように、私たちの記憶から薄れつつあるこの間の歴史的事実を整理して残してくれる。
 この作者、やけに医療に詳しいと思ったら、東京慈恵会医科大学卒のれっきとした医学子であった。

           

 なお、この小説にはワクチン否定論者も出てくる。作者はそれに否定的で、テロも匂わせる実力行使には怒りをもってそれを記述している。

 じつは、私のSNS仲間にも一定のワクチン否定論者がいる。ワクチン接種による健康被害が過小評価されているというのだ。たしかにワクチンの否定面も無視できないかもしれない。
 しかし、ワクチンで死んだ人はコロナの死者を上回り、それが隠蔽されているとか、ワクチン接種そのものが某方面の人類抹殺計画であるなどの陰謀論的な色彩を帯びると、やはりついては行けない。

 小説としての評価は私には出来ないが、これを読むうちに、ああそうだった、そんなこともあった、今から考えるとあそこがターニングポイントかなどと思い当たるふしが多々ある。

 本の表紙以外の写真は内容に関係がない私の近影です。

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身辺雑記など

2023-05-27 15:54:15 | よしなしごと

 名古屋駅まで1時間以内というわが家の周辺、市街地化は進み田んぼは希少化しつつある。
 これは埋め立て最前線。右から進めら昨年までの田が消えてなくなろうとしている。おそらく江戸時代から続く田だろうと思う。
 なにが出来るのかはまだわからない。
       
 これはそれより以前に埋め立てられたもので、分譲住宅が建つということで作業は急ピッチ。
       

 おまけはうちの植物たち。
 うちの紫陽花は緑の蕾が白っぽくなり、やがて赤くなり、次第に紫になる。最後はそれが色褪せる感じで青色になる。
 一般的に、その色は土質(アルカリ度など)で決まってしまうようにいわれるが、わが家のそれは一本のものが変化するので面白い。
          
       
 紅梅の鉢についた実。どんどん色づいてきた。そろそろ収穫時期か。穫ったら突っついて穴を開け、安いウィースキーに漬け込むつもり。梅酒のバリエーションだが、これがけっこううまい。

         

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G7? いや、他愛もない食い物の話&絹さや初収穫の喜び

2023-05-24 14:05:08 | フォトエッセイ
 G7とやらは思った通り何の成果もなかった。ヒロシマでの開催というのも、岸田が故郷へ錦を飾る以外の何の意味もなかった。核廃絶はむろん、核軍縮すら話題には登らず、核抑止力による軍備の維持を改めて確認する始末。被爆者団体がヒロシマを食い物にした戦争勢力たちと怒りを表明するのも無理はない。
 サプライズとなったゼレンスキーの「突然の」参加も、4月末から既に準備されていたという内幕を知れば、その手の込んだ猿芝居にしらけるほかはない。

 てなことで、話題は罪のない食い物の話に。
 写真はそれぞれ、最近の昼食から。

       
         今季初冷やし中華 ありあわせのものを乗せただけ
       
      焼き飯 仕上げにロースハムのみじん切りを混ぜたらピンク色に
       
                冷やし山かけそば
       
      動物性タンパク質なしの塩ラーメン 青菜はレタスの外側の葉  

 最後に、私にとっては嬉しい話。
 食べ残しの豆苗を飢えて育てたキヌサヤエンドウが実を結びはじめ、初収穫に至った。

           
         見えているだけで4鞘の実が これはまだ穫らない
       

 その収穫数第一回は15鞘。これだけでもう昨年の12鞘を上回っている。
 まだまだこれから穫れそうでささやかな喜びは続く。

 

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鮭が高級魚に? 変動する生態系とわが家の植物たち

2023-05-21 16:55:58 | 社会評論

 今日の「朝日新聞」日曜特集「GLOBE+」は「海をむしばむ温暖化と酸性化」の記事を載せている。その書き出しはこうだ。

      
 
 地球温暖化と海洋酸性化。「双子の悪」が豊かな海を破壊しています。その原因は、私たちが大気中に大量に放出している二酸化炭素です。

 特集はまず、オーストラリアのグレートバリアリーフでのサンゴ礁の惨状と、それを護る人たちの活動を伝える。600種のサンゴ、1,600種の魚類、30種以上のクジラやイルカの生存が掛かった地域でもある。

 こうしたサンゴ礁の危機はむろん大問題だが、私にとってさらに関心があるのは、それによる魚類の生態の変化であり、わたしたちが口にする普通の惣菜魚の変化である。
 庶民の秋の味覚、サンマが獲れなくなったのはここ数年の話だ。かつては100円も出せばまるまると太った刺し身にも出来る鮮度のものが手に入った。
 今はもう、線香ほどの細くて油っ気もなくパサパサしたものが300円でやっと手に入るありさまだ。

          

 それが今度は、鮭にまで及びつつあるという。高度成長期の垂れ流しで汚れきった河川が浄化され、鮭の遡上が可能となった河川では、食用として捕獲すると同時に、ン百万という稚魚を人工孵化し、海へと帰している。「何年か先、またおいで」というわけだ。
 その循環がうまくいって、ここしばらくは鮭の漁獲量も市場への供給も安定していると見られてきた。

 しかし、その循環が崩れつつあるというのだ。ようするに、そうしてせっかく放った鮭が成長しても元の河川へ戻ってこないというのだ。日本の北部の河川とその付近の漁場はその循環に頼っているのだが、それが著しく期待を裏切る結果となっているらしい。
 これと同じ現象は、緯度を同じくする太平洋対岸のカナダでも起こってるという。

          
 これらに反して、より北方のアラスカ、ロシアのオホーツク沿岸ではここの処、鮭の大漁に沸き返っているという。このよって来るところは明らかではないか。日本やカナダで育てた鮭が、温暖化を嫌ってより北上しているのだ。
 このままでいったら、やがて鮭の切り身は高級魚の仲間入りかもしれない。

 こうして移動できる魚類はまだいい。はじめに書いたサンゴは動物でも、魚類のようにその生息域を急激に変えることはできない。可愛そうだが、座して死を待つことになる。

          

 それと同様、私たち惣菜魚の消費者も、座しておのれの可能な食を維持するほかはない。サンマも鮭のだめならサバやイワシにするかという選択もじつは先行き安定したものではない。
 サバはここんとこ急騰していて、サバの水煮缶なども倍近い値上がりとなってる。そしてイワシも、その漁獲量が減少しつつあるというのだ。

 こうした人間の営みが地球環境そのものを多くく変化させるこの時代を「人新世」というのだそうだが、そう名付けたところで、私たちの営みが楽になるわけではない。

          

 え? G7? あんなもん戦争ごっこの片棒担ぎ以外何の役割も果たしはしない。広島で開催したのも岸田の故郷へ錦を飾る以外の役割はなにもない。
 核の廃絶?核抑止力の断固とした維持を再確認したということは「広島は核の実験場」だったのであり、われわれは、その「成果」を踏まえて核を持ち続け、必要とあらばそれを強化しますよ。日本の皆さん、先制攻撃可能まで踏み込まれたのでしたら、核弾頭の一つや二ついかがですか。あ、わが方には豊富な在庫がありますからお値打ちに配備して差し上げますよ・・・・ってえのが「ヒロシマサミット」というわけだ。大江健三郎が泣いてるよ。

      

 と脱線したところで、写真はわが家の植物たちの現状。
 鈍感な私が気づかない気候変動をキャッチして、それぞれがその開花時期、実を結ぶ時期などを選択しているのだろうな。
 (最初の写真のみ、今日付「朝日」の「GLOBE+」から)

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ささやかな喜び

2023-05-20 11:58:17 | フォトエッセイ

 食べ残しの豆苗から育てた豌豆が実をつけ始めた。昨年は植えるのが遅く、全部で12鞘しか穫れなかったが、今年はまだまだ実が付きそうな花や蕾が無数にあるので、豊作になる予感。

           

       

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中山七里の推理小説『護られなかった者たちへ』を読んで

2023-05-19 15:02:13 | フォトエッセイ
 推理小説である。
 一時期、といってもうずいぶん前だが、推理小説をよく読んだ時期があった。恥ずかしい話だが、自分でも書いたことがある。公表には至らなかったから、書いたうちに入らないが。

 この中山七里のものについては、10年位前からちょっと集中して読んだ時期がある。どうしてかと言うと、この作者が岐阜の出身であり、この ペンネームも、木曽川の支流飛騨川の下呂温泉のやや下流にある景勝地をそのままとったものであるという地理的親近感(何という単純な)と、それにデビュー作が『さよならドビュッシー』であり、それに続くシリーズが、『おやすみラフマニノフ』、『いつまでもショパン』、『どこかでベートーヴェン』、『もういちどベートーヴェン』、『おわかれはモーツァルト』など、クラシック絡みのものを書いていたからである。

 彼のものを読んだといっても、これらのクラシックシリーズ以外は読んでいない。だから、ここに挙げた書はその系列からは外れる。
 にもかかわらずなぜ手にしたかというと、これを原作とし、21年に映画化された同名の作品が、第45回日本アカデミー賞の優秀作品賞(最優秀賞は『ドライブ・マイ・カー』)に選ばれるなど高い評価を得たからであり、今一つは、生活保護など社会福祉の書を読んでいたら、この小説への言及があったからである。

          

 だから私は、この小説はを推理小説としての面と、その題材や舞台になっている生活保護などの福祉行政についての記述について面との二つの貌をもつものとして読んだ。

 事件はこうだ。
 仙台市青葉区福祉保険事務所の課長が失踪してから2週間後、空き家で死体となって見つかる。その犯行はは異常で、被害者の全身を拘束し、口をテープで塞いだまま放置し、何日もかけて脱水症状と飢えとで死に至らしめるものであった。
 身につけた金銭には手がつけられておらず、当然怨恨の線が浮かぶのだが、この被害者の周囲の評価は極めて高く、人格者といえるものだった。
 続いてもうひとり、今度は県会議員が同様の手口で死にいたるのだが、この議員もまた、県議のうちで随一といわれるほどの清廉潔白な人物だった。
 実はこの殺し方のうちに、この連続犯罪の動機が見えるのだが、やがてそれは明らかになる。

         

 小説は、その捜査陣と前半で早くも現れる犯人と目される人物が終盤で交わるという推理小説にありがちなプロットで進む。そのプロットに乗って読み進むのだが、推理小説を読み慣れている人は、この犯人と目される人物が実はそうではないこと、この犯罪に先立つ物語に登場する「もうひとり」の人物こそが疑うに値することに気づくであろう。
 しかし、この過去の物語に登場する人物が、今の誰であるかを特定することはかなり困難であろう。

 この人物の正体が明らかになる場面こそがこの小説のクライマックスであり、筆者得意のどんでん返しの完成の場面である。
 これ以上は、推理小説を語る上でのマナーを超えてしまう恐れもあるので、やめておこう。

      

 さて、この小説が描くもうひとつの面、この国の福祉行政、とりわけ最後のセーフティネットトモいうべき生活保護の運用に関する問題である。
 生活保護はかつて激しいネガティヴキャンペーンに晒されたことがある。自公政権の担当大臣もが口火を切った不正受給追放の呼び掛けは、確かに一定の不正をあぶり出したものの、同時に、受給者そのものへの監視の視線を強化したり、それらの人へのいわれなき否定的視線を蔓延させた。

 もともと生活保護は、資本主義社会の必然として、想像を超える貧富の差を生みだし、その一定層を生活不能な水準にまで陥れる自体を前提に、それらを補填するものとして共同体が実施する補正的再配分を試みるものである。したがってその対象者は、憲法25条を持ち出すまでもなく、このいびつな社会を補正するに必要な措置の受給者として、堂々と名乗りを上げる権利がある。

      

 しかし、上に見たネガティヴキャンペーンは、受給者の肩身を狭くするのみか、新たに日々生み出されつつある受給可能な人々の申請そのものを足止めする要因として働いたのだ。
 もちろん、申請者の可否は、然るべき機関、まさにこの小説の舞台となった福祉保険事務所によって審査され、適法性を獲得しなければならない。

 この小説も、その生活保護の申請やその査定の問題を対象としている。そしてその審査そのものが、どちらかといえば窓口での拒否の方に力点が置かれていることを示す。
 窓口での拒否の陣営は、申請条件、申請書類の煩雑性、それに、それらを適応する窓口役人の官僚的対応によって敷き詰められている。

 そうした背景が、この小説にはかなりリアルに描かれている。食料の入手が不可能で、ティッシュペーパーを口にする老人すら生活保護の対象たり得ないのだ。そんな・・・・といってもしょうがない、それが法の定めるところだというのが窓口の言い分である。

 しかし、この事態を役人性悪説に留めるとしたらそれは早計だろう。彼らがいかに自己犠牲的に尽くそうとも、そこには超えられない限界がある。福祉予算全体の枠組みである。
 福祉は選挙公約の必須アイテムだが、それを掲げた連中が当選したところで、それが急速に充実した試しがない。一部で増額が図られたとしても、まさに雀の涙である。
 それに比べて、軍事予算の増額の早いこと。専守防衛から先制攻撃可能葉の転換はあっという間に防衛費倍増への道を開きつつある。

      

 限定された予算の中での運営、生活保護申請者への線引は、書類の不備、許容条件の厳密な適応たらざるを得ないのだ。
 そしてそれが、新自由主義下の冷酷な現実なのだ。
 現実には、勝者と敗者が必ずいる。
 しかし敗者は自己責任である。
 
 お情けのセーフティネットも敷いてあるだろう。
 そのネットでも救われない?
 それぞまさに自己責任だろう。
 ティッシュでも食べるが良い。
 ほのかに香料の臭いがして乙なものだろう。
 
 と、まあこんなことなのである。

 中山七里の作品をすべて読んだわけではない。
 ただ、おそらくその作品の中では最も社会性に富んでいるのではないだろうか。

 おそらく、これを読む人は誰ひとりとして容疑者や犯人を憎まないはずだ。

 一番上の本の表紙以外は、映画版のものを借用。
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ヤン・ヨンヒ『兄 かぞくのくに』を読んで

2023-05-16 00:43:30 | フォトエッセイ

 著者は在日二世のコリアン女性である。
 本書を含めて四冊の著作があるが、むしろ文字を用いての表現より、映像作家つまり映画監督としての知名度のほうが高いかもしれない。
 「映像作家つまり映画監督」などと持って回った言い方をしたのは、彼女の映画四本のうち三本はドキュメンタリーであり、劇映画は一本のみだからだ。もっとも、彼女の中ではドラマとドキュメントの明確な区分などほとんど必要ないことは本書を読んでもわかる。

 彼女の表現する文章や映像には共通の一点がある。それは彼女の一家が、日本(在日)と北への「帰国者」に分断されていて、 相互の行き来すらままならぬとうことである。なぜそんなことになってしまったのか、その現場はどうなのか、が一貫して彼女の表現の対象であるのだが、この書はそのバックをよく説明してくれる。

          

 彼女の両親は大阪における総連(在日本朝鮮人総聯合会)、つまり北朝鮮側との密接な関連がある在日の組織の幹部であり、父親は 金日成から勲章をもらうほどの地位にあったし、その妻、つまり作者の母親もまた総連の活動家であった。そうした地位にあったが故に、その息子たち三人は、七〇年代初頭の「帰国事業」の中で、北へと「帰国」している。
 厳密に言うと、三人のうち二人は、 総連幹部の立場上、進んで帰国をさせたのであったが、長男については、それとは別に、むしろ上部よりの命令によって召し上げられたような形である。
 こうした場合、一人は残すという暗黙の了解があったので、これには流石の父母も抵抗したようであるが、将軍様直々というお達しは絶対的なものであり、逆らえるものではなかった。

 帰国事業というと北の出身者が北へ帰るというごく自然な状況を思い浮かべがちだが、そうではなかったところにこの問題の複雑さがある。

 日本の敗戦時(1945年)、日本にいた在日朝鮮人は200万人に及んだ。そしてそれらの人々の97%はその南部(現在の韓国領)の出身者であった。戦後、そのうちの140万人がそれぞれに帰国したといわれる。これはまさに帰国であり帰郷であった。
 しかしこの、1959年に始まり、中断をはさみながら80年代はじめまで続いた「帰国事業」はそうではなかった。この間、「帰国」した九万数千人のうち、過半数は南部出身者であったといわれる。

      
            著者と彼女の最新作映画のポスター
 
 どうしてこんなねじれ現象が起こったのか。
 戦後、帰国した人たちは、朝鮮半島は日本が植民地化する前の、朝鮮半島全体での一つの国ができると思いこんでいた。しかし、戦後の朝鮮半島は永年の日本の植民地支配で、半島自体の政治主体が不在なのをいいことに、始まりつつあった冷戦の当時者たち、つまり、米ソがその南北を信託統治化してしまったのである。 
 彼らの名目は、統一国家が出来るまでの暫定的支配ということであったがことはそれほど単純ではなかった。

 まず、48年に南側が米の支援を受けながら南のみでの国家形成に名乗りを上げる。統一国家を望む人たちによる反対が各地で起きるが、とりわけ済州島では南のみでの国家に反対する蜂起が始まる。それに対して本土からは抑圧のための各種暴力集団が集結し、島民たちへの無差別攻撃が始まり、それにより、島民おおよそ10%が犠牲になったといわれる。
 そして、さらに50年には朝鮮戦争が始まる。

       
               映画『かぞくのくに』から

 そんななか、一度帰国した人たちが、難民として日本へ逆流する現象が起きる。なかには、戦前日本にいなかった人たちも難を逃れ、つまり難民としてやってくる。それに対して日本側が構えたのが悪名高き大村収容所であり、その非人道的な悪しき伝承は現在の入管システムに引き継がれ、ウィシュマさん見殺しに至るとされる。

 話は逸れたが、はじめに書いた筆者の父母、つまり筆者の三人の兄たちを北へ捧げた両親も、じつはこの済州島殺戮事件で難を逃れて日本へやってきたのであり、本来は南の出身だったのだ。三人の兄たちの帰国に「 」をつけたのはそんなわけである。おそらく、三人の兄弟にとっては帰郷ではなく、異郷への島流しに相当したはずだ。

 なぜこんな事が起こってしまったのか。日本は、「人道的措置」とかいいながら、朝鮮人を一人でも多く追放したかった。韓国は人口過剰に悩み受け入れたくなかった。
 そんなところへ金日成から、帰国費用はすべて北がもつ、そればかりか、帰国後の住居、職業、教育も保証するという通告が届く。それが一挙に、「地上の楽園」とのキャッチコピーとなり、拡散する。
 日本政府は、韓国の抗議を逃れるため、帰国関連の一切を赤十字に丸投げする。そして、自民党から共産党までこの帰国事業を支持する体制ができあがる。リベラルからも、そして「反スターリニズム」を掲げるニューレフトの中からも反対の声は上がらなかった。そればかりか、共産主義者同盟赤軍派が起こしたハイジャック事件の最初の目的地はピョンヤンであった。

       
               映画『かぞくのくに』から

 この書は、そんななか、帰国した兄三人とその両親、とりわけ、彼女がまだ入国が許されていた北での三人の様子を妹の目から見た書である。
 それぞれが関連する三章からなっているが、第一章は長兄コノ。彼は三人のうち最もエリートで、すでに触れたように選ばれて「帰国」させられたのであった。この長兄は、文学や映画、演劇、そして何よりもクラシック音楽を好み、帰国時もその再生装置や何枚かのレコードを携えてゆくのだが、それらはすべて「反人民的」であるとして取り上げられてしまう。
 この国の体制は、次第に彼の精神を蝕み、彼女が最後に逢った時、重度の躁鬱のなか、ピョンヤンのレストランでハイになった兄は、まるで彼の前にオーケストラがいるかのようにドボルザークの「新世界」第四楽章の冒頭部分を大声で歌いながら指揮をするのであった。
 タ~ンタタタタタ~ンタンタタタ~ン タ~ンタタタタタ~ンタンタタタッタン~タン

 彼は現実の「新世界」には馴染むことは出来なかった。だからこうして、幻の「新世界」へ逃れるほかはなかったのだ。

 第二章は次兄コナの話である。
 彼は要領のいい方で、最初の結婚は同じ帰国仲間でもっとも美人であるといわれた女性とであった。しかし彼女は、二人めの子どもが出来たところで育児も何も放り出して家を出てしまう。日本にいた頃との落差に耐えきれなかったのであろう。
 しかし帰国者は、「キーポ」(帰胞)と蔑まれながらも、後添えにはまったく困らなかった。北の女性たちは、帰国者には日本からの金銭や物資の支援があり、生活に困らないことをよく知っていたからだ。やってきた後添えはそんな自己中なところを全く感じさせない気のいい女性であった。
 彼女は新たに一人の子どもを設けるが、しかし、不幸にして若くして病死してしまう。
 そして、次の女性・・・・子どもたちはそれぞれ異なる母をもちながら、たくましく育ってゆく。
 この次兄は、現実的にして懐が深い方で、筆者に、「お前は俺たちのことを気遣うことなどせずに、自由に生きろ」と、北への拘泥を控えていいという旨を告げる。
 この兄の子どもたち、甥や姪と合唱したのが筆者が北訪問の最後となる。総連や北当局から入国を禁止されてしまうからだ。

      
               映画『かぞくのくに』から

 第三章は三男であるケンちゃんの話だが、「帰国」した折はまだ中学生であった。日本での経験が浅かったせいか、いちばん北の体制に馴染んだかのように見える。貿易関係の仕事で、三人のうち唯一、出張で北京など中国各地へでかけたりしている。
 その彼が、北では治療不能な病にかかり、三ヶ月の期間で日本での滞在が許される。ただし、監視員付きの滞在だ。
 早速医療機関の門をたたくのだが、手術をして予後を見るために三ヶ月では足りないと宣告される。両親は、総連幹部へ必死の要請をするなど、滞在の延期を実現しようとする。
 その間、彼は、かつての同級生が企画してくれた同窓会に出たり、そこでかつての恋人と再会したりする。それら同級生は、同じ在日でも今は南系の民団(在日本大韓民国民団)に移籍していたり、日本国籍を取得してる人もいる。
 彼らが無邪気に問いかける問いのなかには、答えられないもの、答えてはならないものもある。そんな時、そっと席を外したりするさまが微妙でもどかしい。
 
 そんな折、まだやってきて二週間も経っていないのに急遽、北への帰国命令が出る。なぜ?当初の三ヶ月というのは?などなどの疑問が噴出するが、命令のあった二日後、監視員が車で迎えに来て彼は静かに乗り込んで去ってゆく。

 この第三章は、独立した物語として、ヤン・ヨンヒの唯一の劇映画となってる。
 キャストは安藤サクラ、井浦新、宮崎美子など。
 タイトルは、この書のサブタイトルになっている『かぞくのくに』。
 私は観ているが、切ない思いが溢れるものだった。

 人間が恣意的に引っ張った線としての国境。その囲い込んだ内側のみで通用する真理や正義。それらに自縛されたかのようにうごめく人間たちは、傍目で見たら壮大な虚構に取り憑かれた喜劇であるにすぎない。しかし、そこでは、具体的な諸個人が、常にすでに、自分の周りに張り巡らされた舞台装置のなか、不条理劇の登場人物としてほとんどの場合、孤立して懸命な演技を強いられているのだ。 

 そうだ、逃げ道が一つある。
 コノ兄のように、自分の周りをすべてオケのメンバーとし、現実の向こう側、本来見えない「新世界」のフレーズを高唱し、もって現実そのものを哄笑で越えてしまうことだ。
 

『兄 かぞくのくに』 ヤン・ヨンヒ  小学館 (2012)

この著者の映像での最新作は、今年公開された『スープとイデオロギー』。これはその母をめぐるもので、その母が18歳の折に遭遇し、日本へ避難してくるきっかけとなった済州島事件などが登場する。
 これについては別途、以下にその紹介を述べている。
  https://blog.goo.ne.jp/rokumonsendesu/d/20230209

なお、帰国事業については、同人誌『追伸』15号に小論を載せる予定。

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皐月中頃 花三題

2023-05-14 15:36:58 | 花便り&花をめぐって

 野菜の豆苗の食べ残しで育てているえんどう豆、背丈は私と同等ぐらいになったが、花をつけない。このまま花も実もなく豆の木だけが大きくなったら、私はジャックになってその豆の木を登り天に至ろうと考えていたが、やっと花が付き始めた。まだ二,三輪だが、他に蕾らしきものもちらほら。
 さて、今年は何鞘のえんどう豆が収穫できますことやら。
 生き物を育てるのは楽しい。ただし、動物は苦手。



 こちらは、どくだみの蕾。白い点だったものが少し膨らんできた。



 最後は紫陽花。この雨のせいか緑色の蕾が少し色づき、花が開き始めてきた。
 ただしこれは、一五個ほどの蕾のうちの一番小さいもの。

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身辺雑記いろいろ 絵日記風に

2023-05-12 11:34:20 | 写真とおしゃべり


 一株98円だか78円だかで買った豆苗の食べ残しで育てているえんどう豆、背丈は私の身長ほどになり、蔓もたくましく伸びているのだが、なかなか花が咲かない。
 花も咲かず、実もならず、背丈だけ伸びて天に至ったら、私はジャックになってその豆の木を登ることになるだろう。


 黒く見えるのは蓮華の実である。あの可憐な花からは想像し難い色ではある。
 これを見ると、「あの声で蜥蜴(トカゲ)食らうか時鳥(ホトトギス)」という古川柳を思い出す。
 もちろんこの川柳、たんに時鳥のことを詠んでいるわけではない。たおやかに見えながら妖婦であったり毒婦であったりする女性を対象としている。いわゆる、「外面似菩薩内心如夜叉(げめんじぼさつないしんにょやしゃ)」であり、女性をディスる表現であるが、その時代の制約であろう。
 ということは、蓮華の花を見て、その古川柳を連想する私自身がおかしいのだろうか。自分ではけっしてミソジニストではないと思っているのだが。


 近くの畑の片隅で見かけたのだが、これは何という花だろう。はじめて見たように思う。


 むむ、お主は服部半蔵の手のものか?あ、ちがった。「め組」の手のものたちであった。岐阜南消防署にて。


 あ、またまた、田んぼ一反分が埋め立てられようとしている。


 ハルジオンにツマグロヒョウモンが遊びに来た。


 紅梅の鉢に実が十数個なっているのがそろそろ色付きはじめた。3~4年ほど前にはそれらで梅酒を作った。ただしこれには焼酎を使わず、安物のウィスキーを使ってみた。
 

 これがまた美味しくて、アルコール度数は強いが、割って味わいを薄めるのも癪で、時々、舐めるようにして味わっている。
 下側がその写真。ビン越しに梅につぶつぶが見えるのは、エキスを出すため梅の実をつついた跡。手前の実は、剪定のときに誤って切ってしまった一粒。


 先般の高校時代からの友人の葬儀、完全な家族葬で家族以外は私のみ。私を遺言で指名した彼女の思いを全身で受け止めて参加。自分ながら、これほど感慨深い葬儀は、両親のそれ以来。

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