六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

同人仲間・津田さんの水彩画を観る@岐阜県美術館

2024-04-28 13:38:34 | アート

 金曜日、岐阜県美術館へ同人誌「追伸」の仲間、津田正夫さんの作品が出品されているというので観にゆく。
 これまでも、津田さんの作品は3,4度観ているが、これまでは所属する絵画教室などの発表会が多かったのに対し、今回のそれは「第68回 岐阜水彩展」と伝統ある全県を対象としたもので、そのスケールも、作品のレベルもかなり違う。

     

     

 第一部はこの会の会員の作品であろう。わが津田氏はこの世界ではまだ駆け出しということで第二部での出品だ。

 作品は多様で面白い。水彩独自のさらっとした表現や、油彩と間違えるくらいこってりしたもの、リアル一筋から、デフォルメを施したもの、全くの抽象などなど。

     

     

 津田さんのものは「夏を待つ」と題した写実風の水着の女性図である。ただし、リアルな写実ではなく、裸に近いモデルさんにシャイな津田さんが水着を着せて描いたと本人が語っている。

     

 ド素人が上から目線で申し訳ないが、初めて観た数年前から比べて確実にその腕を上げていることは女性の肢体の表現からもわかる。この第二部から一定の作品に優秀賞がついているが、津田さんのものはその一歩手前だったようだ。

     

 これからは私の勝手な想像だが、津田さんの右隣りの作品が「メモリー」と題して裸婦をややデフォルメして表現し、優秀賞をとっている。
 ところでこの裸婦、そのポーズや津田さんの証言などからして、ひょっとして津田さんの描いたのと同じモデルさんを、横からではなく正面から描いたものではないかとも思えるのだ。
 だとしたら、裸婦を正面から描かず、横に回って水着を着せた津田さんのシャイ、純情さが選を漏らした原因ではないかと思ったりもするのだ。

 美術館内外の写真も添えてみた。

     

     
           これは道一つ挟んだ県図書館

     
 
なお、この展示会は明日29日まで。ただし最終日なので午後4時まで。
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メセナ絵画展と頂いたオリーブオイル

2024-03-27 16:11:53 | アート

 岐阜に岐阜信用金庫という金融機関がある。県下では十六銀行、大垣共立銀行などに次ぐ結構安定した勢力を誇っている。

 その信用金庫がかなりの美術品を収集していて、企業メセナというか、時折その公開展示会を行っているのを岐阜にいながら全く知らなかった。それを知らせて頂き、お誘いいただいたのは名古屋にお住まいの昔なじみの I さん(女性)からだった。

          

 開催初日の26日、開催に先立ってスペシャルトークが行われ、 I さんもお越しになるというので、出かけた。
 その収集の内容だが、思ったより幅広く、また層も厚い。

          



 日本画では川合玉堂を始め前田青邨(これは複数)、横山大観、安田靫彦、川端龍子などなどの大御所を始め、佳作が結構ある。
 洋画部門では、安井曾太郎に始まり梅原龍三郎(これは6点)から小絲源太郎、杉本健吉へとひとつの流れを観ることができる。

      

                前田青邨の一部 パンフから

 私にとって結構意外だったのは、郷土の作家として結構見慣れてきたはずの加藤栄三、東一兄弟の作品が、これまで観てきたものより重厚に感じられたことだ。たぶん、収集されたものは晩年のものが多いためかもしれない。

      

              梅原龍三郎の一部 パンフから

 他に東山魁夷、平山郁夫、加山又造などの作品にも出会える。なお、展示会のポスターやパンフに掲載されているのは、藤田嗣治の「婦人像」である。

 これらの展示を「企業メセナ」と表したのは、「創立100周年記念 岐阜信用金庫秘蔵名作選」と銘打たれたこの作品展が、なんと無料で公開されることである。これだけの作品を集めた展示が無料という例はほとんどないと思われる
 期間は26日から4月14日、岐阜県美術館第4展示室(10:00~18:00 最終日は13:00)、ただし、月曜日は休館。
 岐阜、または近郊にお住いの方には是非お勧めしたい。また。隣の県図書館に行かれた際にでもお立ち寄りいただくと良いと思う。

 一通り観終わってから、I さんと昼食。ネットでは連絡があり、最近は映画関係の資料を送付いただいているI さんだが、リアルにお目にかかるのは7,8年ぶりになる。相互の身辺事情など積もる話が弾む。

      
 あいにくと降りしきる雨のなかであったが、充実した時間を過ごすことが出来た。
 なお、I さんからは、お土産にオリーブオイルを頂いた。油といえば揚げ物か炒め物、オリーブオイルもサラダのドレッシングとして塩や酢と混ぜてしまって、オリーブオイルそのものを味わう方法を知らない。せっかく頂いたのだから、それを勉強して美味しくいただこうと思う。

 I さん、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

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失われたしまった人々の暮らしがそこにあった! 堀江光洋展を観て

2023-09-05 14:10:43 | アート

 9月の声を聞いて、朝夕はやや涼しくなったものの、日中は相変わらずの猛暑が続く。そんななか、久々に美術館へ足を運んだ。

     

 名古屋在住の友人(女性)、I さんが送ってくれた資料にあった岐阜県立美術館の「没後20年 堀江光洋展〈飛騨を撮る〉」を観るためだ。高山に生まれた堀江光洋という写真家(1920~2003)は、写真館を営む傍ら、往年の飛騨地方の山の民を巡る風俗、習慣、労働、建造物などなどを撮り歩いた。
 ろくな交通手段もなく、僅かなバスの運行とあとは徒歩という時代、彼の撮影旅行は10日以上、ほとんど行方不明状態で続いたりして、その連れ合いをしてヤキモキさせたという。

     

 その甲斐あって、彼の撮した対象は、いまとなっては他に例のない貴重なものとなっている。今回展示されているものは50年代はじめから60年代にかけてのものがほとんどで、したがってモノクロに限定される(晩年、円空仏を撮した2,3点を除く)が、もはや二度と見られない光景ばかりである。

     

 冒頭に、白川村の合掌造り集落でのものが並ぶが、合掌造りというものが存在するということがうっすら知られていた程度で、観光の対象とされることもなく、ましてや世界遺産などは夢にも思いつかない頃の記録である。
 ここでは、いまではどんな田舎へいっても、もはや過去の遺産として郷土博物館の展示物になっている農具や運搬具が通常のものとして使われ、子どもたちは農山村特有の作業を手伝い、薪を運び、女の子はねんねこを背負って子守をするのが当たり前であった。

     

 これらが、日常の風景としてごく自然に活写されている。ここに登場する老若男女のてらいのない表情がいい。観光地慣れをした人のポーズなどは全くなく、カメラ目線の人たちの時折のハニカミの表情もいい。群衆の中の一人がたまたまカメラ目線で驚いた表情を見せているのも面白い。
 これらの貴重な記録が、ただそれを伝えるにとどまらず、構図やアングル、明暗、コントラストなど考え抜かれた作品として、高い質のもとに撮られていることももちろんいい添えるべきだろう。

     
 
 これらの写真を見ていてもうひとつ気づいたことは、モノクロの積極性というかモノクロのアグレッシヴな可能性についてである。
 どういうことかというと、自然界にはモノクロは稀で、光あるところ色彩に満ちている。したがってモノクロはそれらの欠如と考えられやすい。しかし、これらの写真を見る限り、決してそうではない。むしろ、対象にある余分な要素を削ぎ落とし、その核心に迫る攻撃性すら感じられるのだ。ここに描かれた風物や人物は、モノクロのなかでこそその精気を放ち続けている。

     

 いまTVなどでは、モノクロ時代の映像や動画をカラーを施したものにすることが流行っている。それはそれで技術の進歩を誇るものであり、否定するものではないが、しかし、こうした堀江光洋などの作品は、それにはなじまない。というより、それは作品の作品性を損なうものになるであろう。
 ここでは、白黒の二元性、その差異とグラデーション、そしてそれらの輝きや明暗を差配する光の存在、それが全てなのだ。
 まあしかし、こんなことは私がのろまだから今頃気づいたことで、土門拳などモノクロ時代の写真作家には共通している事実に過ぎない。

      

 ついでだが、70年代から80年代、私は堀江光洋が対象とした飛騨地方へよくでかけた。しかし、60年代の高度成長期と、70年代の列島改造論のもと、堀江が記録した風俗習慣や人々のたたずまいが急速に失われてしまった時期であった。
 

 もっともこちらの飛騨行きの動機も渓流釣りであったから、幾度も合掌造りの近辺を行き来しながら、さして気にもとめなかったのだから偉そうなことはいえないのだが

     

 しかしその後、さらに飛騨は大きく変わった。平成の大合併は飛騨地方の町や村落を高山市や飛騨市に吸収させ、それら集落ごとのの間の差異を不明確にしてしまった。その結果、高山市などは今や全国で最も面積が広い(東京都全体とほぼ同じ)市になったが、私にいわせれば人の数よりは獣の数のほうが遥かに多いのではと思われる。

     
 そうした合理化や効率化の波が押し寄せ、どの地方をも同一の色彩に染め上げてゆくなか、それから遡る2世代、3世代前のこの地方固有の人々の暮らしの記録は、戦前戦中の農村(母の実家)で疎開生活を送り、さらに戦後、まだ電気が来ていない父の実家、福井県の山村の暮らしを垣間見た私の胸を打つ懐かしいものがある。
 この現代を生きる私を、相対化して観るための良い機会であった。

       
           これは帰路の信号待ちで撮ったもの

写真は当日撮った岐阜県立美術館と隣接する県図書館のもの。堀江光洋のものを紹介したかったがその展示は撮影禁止のためかなわない。パリのルーブルもオルセーも、ロンドンの大英博物館も、サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館もどこも撮影フリーであったのに、日本の美術館は閉鎖的だ。

 
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来た!観た!「紅型の人」 そして、「On Your Marks」へ

2021-04-21 01:38:26 | アート

 一週間ほど、やや不調の日が続いたが、昨日、ラウル・カストロの死に触発されて割合長めの文章を書くことができたのと、新しく学び、確認したいことも出てきたので、県図書館へでかけた。

         

 天候も良かったので、このまま本のなかに埋もれるのもと思い、車を駐車場に置いて、隣の県美術館を散策。
 今年はここで、二月に「ロートレックとその時代」展を観ていて、ロートレックはもちろん、その同時代や周辺、とくにルドンの作品を多く観ることができて満足したのだが、今はそうした企画展はお休みだ。ただし、この二四日からは、「素材転生―Beyond the Material」という企画展が六月まで行われるようで、覗いてみたいと思っている。

            
 で、現在だが、その貸しスペースで、「第六五回岐阜水彩展」が行われているのを見つけた。入場は無料だったし、ある、もしやという期待があったので、入ってみることにした。総数一八〇点ぐらいの豪勢な展示だが、今日が初日のせいか数名の入りという寂しさだった。
 しかし、そのせいで密もなく、ゆっくり観ることができた。

            

 一口に水彩といっても、その幅は実に広い。デッサンの上にさっと色を乗せた淡白なものから、一見油彩を思わせる濃厚なもの、抽象画からコラージュ風のもの、それぞれが異なっていて飽きが来ない。
 ゆっくり観て回って、後半に差し掛かった頃だろうか、あったのだ、私が密かに期待した人の作品があったのだ。

 作者は津田正夫氏、私も参加している同人誌の仲間で、今は、「美濃の自由民権を訪ねて」と題して、この地方の自由民権運動の歴史を書き綴っている。
 その津田氏が水彩をたしなまれることは知っていて、過去二度ほどそのお作を拝見したことはあるが、いずれも、所属される会の発表会のような小規模な展示においてだった。

            

 で、津田氏の作品だが、タイトルは「紅型の人」という婦人像である。
 この読みは「べにがた」ではなく「びんがた」で、琉球独特の色合いと模様の型式をもった織物、またはそれでしつらえた着物である。紅型には絢爛豪華なものもあるようだが、これはまあまあシックな方といえる。手にしているのは琉球によくみられるモンステラの葉と思われる。

            

 表情の明るさ、上に向けられた視線、それらは、今なお続く琉球処分ともいわれる状況に屈することなく明日の明るみを求め続けるものだろうか。
 この絵をじっと観てると、作者の一途な真面目さと優しさがにじみ出ているように思える。そして、素人の評価でなんの権威もないのだが、以前に観た作品より確実にうまくなっていると思う。

 付近にあった、「優秀賞」などの札を引っぺり返して、津田さん作品のもとに貼り付けてやろうと思ったが、器物損壊に問われるのを恐れてやめにした。

            

 津田さんの作品に勇気をもらって、図書館の方に移動。これまでのグジュグジュした読書スタイルを改めるべく、七冊の書を借りる。二〇日間に全部は読めないが、そのうちの何冊かは、今書いている文章の参考資料として部分的に参照すればよいもの。

 さあ、読むぞ、書くぞ。「On Your Marks(オン・ユア・マークス)」だ!

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コートールド美術館展〈魅惑の印象派〉 Oh! セザンヌ!&ハイデガーなど

2020-02-01 01:01:05 | アート

  充実した美術展だと思う。
 近年の画家名を冠した美術展などでは、その画家の作品はそれほど多くはなく、その周辺や影響関係を示す前後の画家の作品を、学術的な追跡の装いのもとに展示し、もって作品の出展点数になんとかつじつまを合わせるようなものが多いが、これがそうではない。

      
 画家の名を冠したというより、蒐集家の名を冠した美術館の展示内容をごっそりもってきたもので、集められたどれもが、その蒐集家・サミュエル・コートールド(1876ー1947)の一貫したコンセプト、好みやセンス(そして、その財力)に裏打ちされている。この蒐集そのものの内容がとても濃いというべきだろう。

           
 彼は、繊維関係で財を成したイギリスの実業家で、その蒐集は1922年から30年代のはじめにかけての10年ほど間になされたものだという。当初、彼の邸宅を飾っていたそれらは、やがて美術館に寄贈され、それがロンドンのコートールド美術館となった。
 その美術館が全面改装されるというので、今回はそのうちの60点の作品と24点の諸資料がやって来ることとなった。

       
 私の好きなセザンヌのみで、完成作9点、未完のままのもの1点(「曲がり道」)、合わせて10点が展示されている。
 このラインアップは、冒頭に述べたように、周辺の画家や時代を前後する画家を加えて、「セザンヌ展」が成立しそうなくらいだ。
 セザンヌについてちょっと残念なのは、風景画が多く(もちろん、サントビクトワールは外せないが)、彼の独壇場ともいえるあの存在感豊かな静物、とりわけ、得も言われぬ色彩感をもった果物たちが競い合うそれが少なかったことだ。それに類するものは2点あったのだが、彼の他の静物画に比べ、いまいちボリューム感で劣っていた。
 まあ、贅沢は言うまい。

           
 セザンヌの未完成作、「曲がり道」は、なるほど、このように色を重ねてゆくのかとそのカンバスを眺め、さらにこれをどのように仕上げてゆくのかと想像するとけっこう楽しいものがある。きっとこんな感じになっていったのではという幻の「曲がり道」が私の空想の中で描かれてゆく。
 帰宅してから、セザンヌの「曲がり道」を検索してみたら、2点ほどの完成品がでてきたが、いずれもこの未完成のものとは構図も遠近感も違っていて、別の場所だと断定できる。

       
 セザンヌは、「サントビクトワール」に代表されるように、同じ対象をさまざまなバリエーションで描いているが、この「曲がり道」も、そのテーマに拘泥し、さまざまなものを描いたのではなかろうか。私の感想としては、この未完のものが仕上がっていたら、他の2点を凌駕したに違いないと思う。少なくとも、私の空想のなかの完成品は、他の2点より素晴らしい。

 セザンヌといえば、晩年のハイデガーがその足跡を訪ねたというのをはるかむかしにハイデガー本人の文章か、あるいは伝記風に書かれたものかで読んだ記憶があって、彼の年表に当たってみたら、こんな記述があった。

       
 「1966年9月5日-10日、プロヴァンスのル・トールでパルメニデスとヘラクレイトス講義。このゼミナールは1968年、1969年にも行われ、午前中に開かれ、午後はポール・セザンヌが描いたサント・ヴィクトワール山方面へのハイキングに出かけ、ハイデッガーは『初めから終わりまで、私独自の思索の道がその独自の仕方で』この道にふさわしいとした」

 このハイキングにはフランスの詩人ルネ・シャールも同行したようだ。なおルネ・シャールは第二次大戦中は、レジスタンスの闘士として知られていたから、この旅は、かつてのナチス支持者とそれへの抵抗者とがともに歩んだことになり、戦後20年という年月を感じさせるものがある。

       
 この折、ハイデガーは、セザンヌが何度も何度も「サントビクトワール」を描いたことをもちろん知っていて、その対象への迫り方と、自分の存在論(「ある」ということはどういうことであるか)への関わりとを二重写しにしていたのだろう。
 私の曖昧な読書の曖昧な記憶では、ハイデガー一行は、セザンヌがそのカンバスを抱え写生に向かった山道をなぞりながら、その途次、セザンヌが大雨に打たれて倒れた地点に立ち止まり、感慨にふけったとあった。
 セザンヌは、それがもとで死去したのが1906年だから、彼らの訪れはちょうど60年後のことになる。

       
 セザンヌのところで長く立ち止まりすぎた。
 このコートールド展は、他に、ゴッホ、モネ、ルノアール、ドガ、マネと印象派、及びポスト印象派のものが充実して集められていてそれぞれが面白い。
 目玉は、ルノアールの「桟敷席」、マネの「フォリー=ベルジェールのバー」、それにセザンヌの「カード遊びをする人々」のようだが、それらが教科書に載るような著名な作品ということだろう。

       
 このうち、マネの「フォリー=ベルジェールのバー」はやはり不思議な絵画である。バーのカウンターに並ぶ酒瓶やフルーツや花、そしてほぼ中央に立つ女性(バーメイド)以外はすべて鏡に写ったこちら側、つまりこの絵を観ている私たちの側なのである。本来なら、これを描いた画家も鏡に映るはずなのだがそれはない。
 こうした視線の錯綜、その入れ子状の絵画としては、ベラスケスの「女官たち」を思い出すのもいいだろう。

       
 こうした喧騒のなか、描かれた女性の、どこか物憂げで視線が定まらない表情が印象的だ。解説によれば、この時代、こうした女性はカウンターの客を酒肴でもてなすばかりでなく、しばしば自らの身体も売ったということだ。モーパッサンにいわせれば「酒と愛の売り子」ということらしい。
 また、この女性の謎めいた表情から、「都市のマドンナ」ともいわれているようだ。

 コートールド展全体の話に戻ろう。
 会場内の随所の大きなパネルには、モノクロ写真で、これらの作品が美術館に集約される前、コートールド邸内のどんな部屋のどんな箇所に掲げられていたのかが示されていて、20世紀初頭の大ブルジョアの暮らし向きを彷彿とさせる仕掛けになっている。

          
 充実した展示であったと思う。それは印象派前後の作品の蒐集に特化した美術館の収蔵品が、ほぼそのままやってくるという僥倖に恵まれたせいでもある。この時期、本家のコートールド美術館が全面改装に踏み切ってくれたことに感謝しなければならないだろう。

 なお、この会場は、3ヶ月と少し前まで、「2019あいちトリエンナーレ」の会場だったところでもある。美術にもいろいろあるもんだ。

インフォメーション
 この美術展は愛知県美術館で3月15日(日)まで開催。
 その後、3月28日(土)~6月21日(日)まで、神戸博物館で開催予定。
 
 

 

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カラヴァッジョの絵画にほとばしる生と死

2019-11-03 17:58:13 | アート

 

 名古屋市美術館で開催中のカラヴァッジョ展を観に行った。
 平日とあってか、予想したほどの人出はなく、ゆっくり観ることが出来た。

 この種の著名な画家の展示は、本人自身の作品は少なく、その周辺や影響関係の作品を掻き集めてなんとか数を合わせるというのが一般的だが、この展示もそうであった。しかし、カラヴァッジョ本人のものも一〇枚近くあり、その意味ではまあまあだった。

          
 数年前のフェルメール展(豊田市美術館)は、わずか一枚だった。今春の大阪市美術館のフェルメール展では数枚が展示されていたが。
 まあしかし、考えてみればフェルメールは世界中で現存が確認されているのは三十数点だというからやむを得ないだろう。

 カラヴァッジョはどうかというと、六〇点から一〇〇点というからかなり大雑把な把握という他はない。おそらく個人蔵が多くて掌握しきれなかったり、真贋がはっきりしないものがあるのだろう。
 またこの時代、工房での作品が分業的に制作されたということもあって、誰のものと特定しにくいものもあるのだろう。カラヴァッジョ自身、若い頃は親方連中の作品の、花や果物など、静物のパートしか描かせてもらえなかったらしい。

 カラヴァッジョの作品で、明らかに彼のもので、写真のみ残っていて失われてしまったものが三点ある。それは、ドイツのベルリンにあったのだが、第二次世界大戦でのベルリン空爆の際に焼失したのだという。戦争はいろいろなものを焼き尽くし、破壊する。

          
 さて、カラヴァッジョ展であるが、展示の構成とその説明が詳しく適切でわかりやすかった。その作品を観ながら、彼の数奇な生涯がわかるようになっている。
 彼は優れた感性をもった画家であると同時に、激情の持主だった。それによるトラブルが生涯ついて回り、乱闘の末、相手を殺害して逃亡生活を余儀なくされ、なんとか公の場に復帰しようとする矢先、三九歳でその生涯を閉じている。

 彼の作品もその激情を反映したかのように、どれもドラマチックである。その宗教画も、聖なるものというより、どこかおどろおどろしいもの、率直にいって死そのものを表現しているものが多い。それらは、聖書などにおける死を伴う場面であるが、それはどこかに法悦をも思わせる。
 
 その技法としては、黒いバックに主題が浮き出てきて、そこにまたハイライトがあるという描き方で、まさにスポットライトによる劇的効果満点の感がある。
 その明暗の表示の仕方は、光の画家と言われたフェルメールや、明暗を効果的に使ったレンブラントとも違って、くっきりとダイナミックである。

          
            これは今夏、私がエルミタージュで撮してきたもの
 
 私の興味を惹いたのは、割合、若い頃の作品で「リュートを弾く若者」であった。
 実はこの絵、彼自身の筆になる基本的に同様の構図のものが三点残っていて、そのうちの一点がきているわけだが、私はこれで、そのうちの二点を観たことになる。

 というのは、今夏、サンクトペテルブルクへ行った際、エルミタージュでもう一点を観ているからだ。今回展示されているものはイタリアからもってきたものだが、エルミタージュのものに酷似している。他の図鑑で確認したのだが、あえていうと、花瓶のハイライトの付け方がやや違うのと、これは私の主観だが、全体の透明感、それに若者の物憂げな表情がエルミタージュのほうが強かったような気がする。

          
 もう一点(上の写真)は、ニューヨークのメトロポリタンにあるもので、これも基本的には似ているものの、花瓶や静物などの周辺の装飾がなく全体に地味なのと、最も違う点は、手前に木管楽器が置かれているということだ。
 それに、若者の顔色や表情があまりスッキリしていなくて、この点では今回来たものやエルミタージュのもののほうが勝ってると思う。

              
 いずれにしても、面白い展示ではあった。
 なお、同展の看板やポスター、チラシのキャッチフレーズは、「才能か。罪か。」となっているが、その絵には明らかにエロスとタナトスの両面に向けたパッションが横溢していることから、私に言わせれば、「才能」と「罪」は or で結ばれるのではなく and や together 、あるいは both で結ばれるべきだろうと思った。

 

 

 

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ゴロツキに促された「あいちトリエンナーレ」三会場

2019-09-15 10:47:37 | アート
 名古屋市長の河村たかしという男はゲスでゴロツキである。
 私は一度、今池という街で店を持っていた折、直接対話をしたことがあるのだが、彼の開口一番は、「マスター(私のこと)、今池はチョーセンが多いで、商売、やりにくにゃぁきゃぁ」であった。
 頑迷なレイシストの言葉であった。

            
 この男が、今回のあいちトリエンナーレの企画展示「表現の不自由展・その後」の少女像などにイチャモンを付け、それをなぞるように菅官房長官の公金での支援を疑問視するが談話が続き、それらが火付けとなって事務当局への妨害電話、脅迫電話が相次ぎ、ついには、京アニ事件を想起させるガソリンをもって参上という武力攻撃を示唆する書き込みがネット上で公開されるに及んで、その企画が閉鎖されて今日に及んでいる。

         
 表現の不自由を検証しようとする企画が、はからずもそのまま、今日の表現の不自由、その不自由を実現しているのがどんな連中かを炙り出したといえる。

         
 この経緯の口火を切ったのは先に見たようにゴロツキ河村だが、彼にひとつだけ功績があるとするならば、これまでのトリエンナーレをチラ見ぐらいで済ませてきた私をして、ならばちゃんと見てやろうではないかと思わせたことであろう。
 私のみならず、あれが契機で、このあいトレに関心をもった人も多いかもしれない。

         
         
            
         
 そんなわけで、前回の豊田会場に引き続き、今回は、県美、市美、円頓寺と三箇所の会場を巡った。ここに掲載したものは、それぞれの会場で撮したものである。
 アートというものを見慣れていない私には、それらの評価は為す術もない。ただ、これは邪道かもしれないが、ある種のこだわりをもったもの、そのこだわりが私に響くものに注意や関心がゆくのは否めない。

         
         
 例えば、円頓寺「メゾンなごの」での弓指寛治のその一階を飾る作品。これは東日本大震災などの大きな事故の影で、忘れられがちな栃木県鹿沼市のクレーン車暴走事故で亡くなった集団登校時の6人の学童の鎮魂の作品群である。
 この事故の特色は、持病があってそれによりたびたび事故を起こし、執行猶予中に起こった事故ということで、今日の老人の運転問題などへも継続された問題である。

            
            
            
         
 作家は、犠牲者たちの日常を数々の絵で表現するとともに、加害者となった息子に、次々と車を買い与えた母親へのインタビューやその絵画表現をも試みるが果たせなかったことを明記している。後半に出現するおびただしい車の絵は、それを払い除けてくぐらなければ通れない仕組みになっていて、それ自体が中毒症状ともいえる車社会の現状をよく表している。

 今回、ひと通り観た中で、全体を通じた感想としては、この種のアートフェステバルの中では、異例なほど、かつての日本の植民地支配があぶり出されていたことである。最初に述べた「表現の不自由展・その後」の少女像もそうだが、台湾の日本統治時代の、農業高校(?)での訓練の背後に流れる「海ゆかば」の合唱、同じく、統治時代の記憶を持つ老人たちが歌う日本の軍靴や歌謡、それらはすべて戦前生まれの私もかすかに記憶してる、天皇礼賛に属する歌たちであった。
 そしてこれらは、豊田の喜楽亭で観たホー・ツーニェンの戦前の軍国日本を描いたあの印象的な映像に通じるものであった。

         
 かくして、日本を取り巻く現代アートは、いまなお70年前、80年前の時代とのズレと振幅を抱え込んでいるように思った。
 それはまた、あの敗戦時に、日独伊の三国同盟のなか、唯一、戦争責任者が生き延び、国旗も国歌も変わらなかったこの国のヒズミが、今日に至るまで亡霊としてさまよっていることを表しているのかもしれない。
 冒頭に述べたゴロツキ河村の妄言も、もちろん、そのひとつの帰結である。

         
映画「エル・トポ」や「サンタ・サングレ」のホドロフスキー監督が、映像の「サイコ・マジック」に出ていた。そうしたパフォーマンスもいいが、もっとその映画を観たいものだと思った。

 
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異質のコラボとオーバーラップが楽しい二人展

2019-04-28 15:01:28 | アート
  まったく私には関心のない元号騒ぎとそれに伴う十連休が近い日、「小笠原宣・荻下丈二人展 旅の途中でジョー君とであった」に出かけた。
 入場は無料である。



 場所は十六銀行旧徹明町支店で、いまは岐阜市の歴史的建造物に指定されている「じゅうろくてつめいギャラリー」。昭和十二年に建設されたこの建造物は、戦火をくぐり私とほぼ同年を生きてきた。だから内部には、往年の金庫がデンと控えている。

       

 二人展だが、この二人が対照的だ。
 小笠原氏は1952年生まれ、岐阜市の出身で、安井曾太郎の画業にちなんだ洋画壇の芥川賞ともいわれる安井賞を1984年に受賞しているベテランだ。
 片や、荻下丈君は、2004年生まれ、若干15歳の大垣市の現役中学生である。
 年齢差約半世紀、異色の取り合わせである。

       
       
 会場に入る。天井も高く、ゆったりした空間のなかに、作品が展示してある。
 通常の展示と違って、一方向への流れというのとはちょっと違う。
 「いらっしゃい」と近づいてきた作務衣の人に、「どちらから観るのでしょう」と尋ねたら、「どこからでもご自由に」とのこと。

       
 全体の作品の展示は上の案内のようで、小笠原氏の作品を取り巻くように丈君の作品が描かれている。そして、その接点には両者の合作、丈君の線描に小笠原氏が彩色したものがある。その意味で、この展示は二人の作品の並列ではなく、その差異そのものの提示であると同時にその融合の試みでもある。

       
         

 作務衣の人が小笠原氏だろうと当たりをつけて、二人の出会いを尋ねる。
 その説明によれば、岐阜県展に出品された丈君の作品に県展審査員の小笠原氏が出会って以来だとのこと。

       
       
 それ以来出来上がってきたこの二人の関係、そして、この展示に至る過程を示す写真が会場で公開されているが、約半世紀の年齢差の両者が、マイペースでのびのびと作品を仕上げているのを観て、微笑ましいものを感じる。
 なお、この写真は小笠原氏が住職を務める上宮寺(岐阜市大門町)の庫裡で撮られたものだが、小笠原氏はこの境内を、様々なアートフォーラムの会場として提供されていて、この5月1~6日には、写真展「around…」(入場無料)が開催される。

       
 二人の作風はまったく異なる。だからこそそのジョイントやオーバーラップした部分が面白い。小笠原氏が、丈君のマイペースを容認し、抱擁しつつ、その味を引き出しているように見受けた。

         
       
 実は、この美術展にでかけたのは、私が参加している同人誌の表紙の絵を丈君が描いていてくれるからである。私が行った日は平日で学校の授業があるため、丈君には会えなかったが、そのお母さんにお目にかかることができた。



 そこで私が冗談半分に、丈君がこれ以上有名になると、私たちの同人誌の表紙にはもう絵を提供してくれなくなるのではないかと言ったら、お母さんも、小笠原氏も、丈君に限ってそんなことはないと保証してくれた。

 一見異質な二人の作品が、その実、相互に反響しつつ、有機的につながっていてとても楽しい展示だったので、もう一度全部の作品を観てから会場を後にした。
 小笠原氏、お母さん、そして会えなかったけど丈君、ありがとう。
 

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インスタ映えする?「マラーの死」

2017-12-03 16:14:32 | アート
 昨日観た、名古屋市立美術館でのランス美術館展の目玉は、ジャック=ルイ・ダヴィッドの「マラーの死」であったが、画集などではお目にかかったことはあるものの、本物はもちろんはじめてであった。
 この絵は、フランス革命後の混迷のなかで暗殺されたジャコバン派の政治家ジャン=ポール・マラの、まさにその暗殺現場(といっても忠実な再生ではない)を題材としたもので、画家ジャック=ルイ・ダヴィッド自身が、このマーラーの盟友であったという。
 したがって、人によっては、この絵そのものがキリストの殉教とオーバーラップした作品だという評価もある。

            

 その詳細な背景は以下を参照されたい。

   http://www.salvastyle.com/menu_neo_classicism/david_marat.html

 ところで、この美術展、作品展示の最後に、面白い企画があった。
 それはちょっとした空間に、マラーの死と同様な装置や小道具が配置されていて、誰もがそれらを用いてマラーになりきり、その死を演じることができるという企画であった。
 私がそこへ差し掛かると、ちょうど年配のカップルがそれを演じて、相方が写真を撮っていた。
 以下は、その方にことわって、私も撮させてもらったものである。

           

 撮影を終えて、その人から、「お宅もどうですか。シャッターを押しますよ」と誘われたが、「いや、私のような年寄りが死んだ人の真似なんかしたら、本当に逝ってしまいますから」と断った。

 もうお気づきのように、これはインスタのための装置である。
 美術館も集客のためにいろいろと大変なようだ。
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ダヴィンチ×ミケランジェロ&ジム・ジャームッシュ

2017-11-18 01:27:50 | アート
  岐阜市歴史博物館で開催中の「レオナルド×ミケランジェロ展」に行ってきた。
 こうしたビッグネームの催しが岐阜で行われる機会は少ないのだが、今年は、信長の岐阜入城450年、そしてこの地(旧・井ノ口)を岐阜と命名をして450年ということで、そのメモリアル行事の目玉として、東京についでの開催となった次第。

    

 やはり「モナリザ」などの著名なものは来ず、素描や習作が多く、完成したタブローや彫刻を期待した向きには、その少なさにいささか期待はずれかもしれない。
 ただし、それでもなお、彼らの対象へのにじり寄るような姿勢、ないしは誠意といってもいいほどのディティールへの執着などを観ることができ、それ自身が立派な作品であると同時に、最終的な作品を生み出す表現という活動そのものの痕跡であることを知ることが出来る。

            

 ここに載せた写真は、ほとんど会場で観られるものである。人間の筋肉や馬の肢体の観察、情景の構想などなど、それぞれがその詳細を極めようとする努力にほかならない。バチカンのシスティーナ礼拝堂で十数年前に観たミケランジェロの天井画や祭壇背後の「最後の審判」などという大作も、その各部分ごとの詳細な下絵や習作があってのものだったことを改めて知った。

        

 最後に載せた大理石の彫刻は、会場のなかで唯一撮影可という作品で、慌ててガラケーで撮ったものだが、「十字架をもつキリスト」、別名「ジュスティニアーニのキリスト」といわれているものである。
 ただしこれは、ミケランジェロの生前には完成を見ず、その死後、弟子によって補作されたものという。

             
 
 普通、ゴルゴダへ向かうキリストは、もっと痩身で、少し暗く悲劇的な様相で表現されるものが多いような気がするが、このキリストは骨太で肉付きもよくどっしりしていて、地上の王者の趣を持ったものとして表現されている。
 その表情にもほとんど曇りや陰りは見られず、逆に明るさと威厳に満ち溢れているようだ。
 中世や近代ロマン派などとはまた違った、人間肯定のルネッサンスの精神を具現したものではと愚考する次第。

           

 今日一日は目の保養と決め込んで、帰途、柳ケ瀬でバスを降り、本屋へ立ち寄ったあと映画館へ。
 観たのは、ジム・ジャームッシュ2016年の作品『パターソン』。 
 ニュージャージー州のパターソンに住む、地名同様の名前パターソンというバス運転手の一週間を描いたものである。

           

 彼の日課はほぼ決まっている。
 朝、その連れ合いよりも早く起き、朝食を済ませて仕事に出る。バスの運転中の乗客の会話に耳を傾けながら仕事を終え、帰宅して連れ合いと一緒に夕食を済ませたあと、飼い犬のブルドッグをつれて散歩にでる。そしてそのついでに行きつけのバーに寄っていっぱい引っ掛ける。

           

 こうした何の変哲もないような日々の連続なのだがもちろんさまざまな差異が生じる。それらの差異が物語を紡いでゆくのだが、そこには一本の芯のようなものがあって、それは、彼が詩人だということだ。
 彼は仕事の合間などに、秘密のノートに詩を書き付ける。どうも出版や発表の意図もあまりないようだ。にも関わらず彼はことばを反芻し、それを書きつける。
 さまざまなエピソードはともかく、詩人としての彼が遭遇するものがこの映画の核心であるが、その経緯は語るまい。

           

 彼の連れ合いが面白い。
 愛らしい感受性をもつ草間彌生ばりのアーティストなのだ。こちらの方も、そのアートを売りにするのではなく、それを活かしたクッキーのデザイン、その売上などで成果を示す。
 この二人、羨ましいぐらい仲がいい。

           

 最後に、日本人役で永瀬正敏が出てくる。
 短い出番だが、落ち込んでいるパターソンの再生を促すポジティヴな役どころである。

           

 ルネッサンス芸術とジム・ジャームッシュの映画、時代もジャンルもまったく異なるが、微細な差異へのこだわりがひとつの物語を形成するという点では共通するのかもと無理やりくっつける次第。
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