私の天使は、といって少しためらう。
「私の」といっていいのであろうか?たまたま私の所へも現れるのであって、たぶん私の専属ではないのだろうから。
いずれにしても、そいつは来るのだ。
とりわけ最近はよくやってくる。
気がつけば私の傍らに当然といった顔つきで佇んでいる。
それが何かを語るのを聞いたことはない。そもそもそいつが話すことが出来るのかどうかも分からない。
しかし、そいつは来る。私の傍らに佇み、私に視線を向ける。
黒曜石のようなそのまなこは、その焦点がどこに向けられているかはっきりしない。
だから戸惑い、いつの間にやら私の浅薄な自意識は一層おぼろげになる。
おののきを隠しながらそれと向き合っているのだが、根負けするのはいつも私の方だ。
いつしか私は掻き集めた記憶の束を、掃除機に吸い取られるようにそいつに手渡してしまっている。
そいつは、いつも冷笑するようにしてそれを受け取る。そしてそれをを吟味することもなく、まるでやくざがみかじめ料を平然と受け取るように懐に入れて立ち去るのだ。
例え何であれ、私が生き、紡いできたものをそんな風に簡単に持ち去られては困るのだ。
敢えて私のアイディンティティなどとはいうまい。そんなものは時間の推移には耐えられないことを知っているから。
しかし、記憶の連結のようなものは残っていたはずだ。
それらがあの焦点を結ばない黒曜石の瞳の彼方で失われてしまうのはいささかつらい。
私にはもはやこれといった記憶はない。あってもそれはほとんど脈絡をもたない断片にすぎない。
開き直るわけではないが、それは、つまるところいいことなのだろう。
すべては新しく始まるのだ。
来たるべきものはすべて新しいものだ。
そのためには何かを失わねばならないし、また、去らねばならないこともある。
あ、私の天使が戻ってきた。
今度は何を盗って行くのだろう。