六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

「朝日歌壇」諏訪兼位さんと松田姉妹について

2020-03-29 11:29:03 | ひとを弔う

 

   

 今日の「朝日俳壇・歌壇」、時節柄、「時疫(ときえき)に心ならずも春ごもり」などの句が目立ち、とりわけ時事性の高い短歌ではそうしたものが目立った。
 そんななか、歌壇の方の常連で、毎週のごとく秀歌が採られていた諏訪兼位さんの遺作とともに、その訃報が伝えられていた。
 名古屋大学理学部長、日本福祉大学学長などと、名古屋地区に縁が深かった地球学者で、文系理系の垣を超えて思考し表現する人だった。
 写真は、その第二歌集「若き日のヘーゲル」を掲げる同氏。私よりちょうど10歳上の享年91歳、三月一五日がに亡くなられた模様。

 パレスチナのガザはガーゼの語源の地 人間(ひと)の業(ごう)深しいまも血塗られて は数年前の作品らしい。 ご冥福を!

 なお、最近掲載が減っていた富山の松田梨子・わこの姉妹、わこさんは大学入試を突破し、梨子さんの方は就活が始まる春らしい。

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ここはいつまでなんだろう?

2020-03-25 00:21:49 | 日記

              

 コロナ禍のなか、岐阜県図書館へ行く。
 書架も閲覧スペースも封鎖されているから、異常に静まり返っている。
 だいたい、図書館なんて静かなところだと思っていたが、やはり、複数の人間がいてその気配があるときと、それらがないときとでは全く違う。
 呼吸をしている静けさと、呼吸をしていない静けさか。

              

 図書館員以外で見かけたのは、私とすれ違いに出ていった人と、逆に私の帰りがけにやってきた人、それに、館の外壁の掲示を読んでいた人ぐらい。

              

 ネットで予約したものの授受をカウンターで行うだけだから致し方ないのだろう。二冊を返し、二冊を借りて、当面必要なものは確保したが、書架を眺めていて、「オッ、これは・・・・」と思い借りたものが、意外と面白かったというハプニングは当分お預けだ。

          

 カウンターで、「これはいつまで続きますか」と尋ねたら、「一応4月上旬までですが、その後については、その時点で判断するので、その後がどうなるかわからない」とのこと。そうだろうな。

              

 このとこと運動不足なので、散歩方々、図書館周りと隣の県美術館構内などをスマホで撮してきたのがこれらの写真。

              

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嗚呼!商店街の悲鳴が聞こえる!

2020-03-21 02:05:37 | 社会評論

 私が三〇年間にわたって店をもち、お世話になった名古屋は今池商店街の複数の友人から、街は閑散とし、夜の飲食店は軒並み閑古鳥が鳴いているというニュースが届いている。
 
 痛ましいことだ。というより、もし自分が今なおそこに店をもっていたらと考えるとゾットする。
 キャパ六〇席ほどで常時六~七名のスタッフを抱えていた私の店では、今の状態なら、月にして百万以上の赤字は必至だろうと思われる。

 零細中小の個人経営では、三ヶ月も赤字は続けばのれんを守るのが苦しくなる。六ヶ月も続けば完全な赤信号だ。
 それ以上耐えきれる内部留保などもっているところは少ないし、また、将来のために蓄積したものを全部はたいて営業を続ける意義を見いだせないで店を畳むところもでてくる。

              

 政府は、経済被害を補償するという。しかし、その補償は組織された人たちに限られてはいないか。ちなみに、組織された労働者には日額8,000円余の支給に対し、フリーランスにはなんの根拠もなく半額以下の4,100円の補償という。

 また、資金繰り援助として無利子の貸付を行うともいわれている。この低金利時代、利子は大したことはないが、利益が上がらなければ返済することもできないし、利益が上る前の運転資金で借り入れ分が消費されてしまう可能性もある。
 だから、貸付枠を大幅に拡張すること、返済開始をコロナ終焉後、六ヶ月ほど経過してからぐらいと設定すべきだろう。そうでなければほんとうの救済案にはならない。

 物品販売はともかく、夜の飲食店などは生活必需の面から見たらなくても良いものに思われがちである。非常時にはまっさきに自粛が求められたりする(私はそれに逆らって営業し、右翼に襲撃されたことがあるが)。

 しかし、身びいきかもしれないが、私にいわせれば、夜の飲食街も、広い意味では社会的なインフラの一環をなしているのだ。
 このストレスに満ちた世の中、飲食店で過ごす人々は、それらを払拭し、改めて自らを更新し、明日へと立ち向かうのだ。

          

 三〇年間、私は自分の店でそういう人々を見てきた。また、それにより、私自信も多くの力を得てきた。
 自分の包丁にかかる料理に万全の自負をもっているオーナーシェフ、一杯のラーメンに誇りと自尊心を込めて提供する店主、彼らの存在は人々が不条理なこの世を乗り切る活力を秘めている。
 いつの世でも、夜の飲食街は私たち共通の財産であり、広い意味でのインフラだという所以である。

 零細、中小の物品販売や飲食店、その他のサービス業をも含めてだが、これらを救済策からはみ出させてはいけない。こうした商店街の死滅は、働く人たちを、家と職場とを往復するロボットにしてしまうことだ。
 飲食を含む商店街は、組織された経営体や労働者に劣らず、守られなければならない。

 文化は、一見、生活必需から除外されるようなところにこそ宿るのだ。諸芸術がそうであるように。


     写真はいずれも昨秋の今池まつりのもの

 

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【日記らしきもの】コロナ禍の街・名古屋を征く

2020-03-16 14:03:26 | 日記

 昨日の日曜日、二七日ぶりというからほぼ一ヶ月ぶりに名古屋へ出る。
 岐阜からみて、名古屋は恐ろしいところだ。岐阜県全体ではコロナ感染者は二~三人とまだわずかだが、愛知では感染者は一二一人で北海道の一四八人に迫り、その死者も一二人と二桁に至っている。
 
 そんななか、定例の勉強会に出る。
 JR東海道線は日曜には近在近郷から名古屋へ遊びに出る人でもう少し混んでいるはずだが、通常の半分以下ぐらい、ガラガラに空いている。もちろん、知り合いでもない限り、並んで掛けることもなく、会話も少ない。
 とりわけ休日に多い子供の乗客がいなくて静かだ。おかげで、気を取られることなく読書が進む。

 名古屋駅から地下鉄で栄へ出る。普段の休日なら、ターミナルから街の中心への移動、車内は人でいっぱいのはずだ。しかしガランとして、みなが座席に掛けている。立っている人も二~三人いるが、席がないからではなく、立つ方を選んでいるからにすぎない。

      

 栄の駅もいつもなら肩擦れ合って進み、他の人に進路を妨げられたりするのだが、スイスイと目的の方角へ行くことができる。
 地上の街も静かだ。ストリートミュージシャンもいない。
 シデコブシがきれいに咲きそろっている通りがあって、前に見た折よりもいっそう樹が大きくなっているように思った。しかしそれを愛でながら歩く人影も少ない。

 会に出席。ヤナーチェクについての勉強で、このモラヴィアの作曲家についての概略説明のあと、そのオペラ、『イェヌーファ』のDVDを観ながらの解説入り鑑賞。
 寡聞にして、初めてのオペラだが、なかなか面白かった。大画面で観るそれはけっこう迫力がある。同時代のプッチーニなどとは、題材もその音楽も違い、確かにスラブの響きがある。

      
         これはその折のものではない

 できれば、ヤナーチェクのオペラ以外の楽曲にも触れてほしかったが、限られた時間ではないものねだりだろう。彼のよく知られた『タリス・ブリーバ』や『シンフォニエッタ』も特徴的であるが、その室内楽、不協和音でこれでもかと迫るような弦楽四重奏『クロイツェル・ソナタ』、『ないしょの手紙』、それにヴァイオリン・ソナタなどにも面白い表現がたくさんある。

 それはそれとして面白かった。
 終了して外へ出ると、日が長くなったのが感じられる。
 いつもなら、その後、懇親会があるのだが、それは時節柄中止。
 せっかく名古屋へ来たのにと、旧知の友人に電話をして金山で逢う。

 金山へ少し早く着いたので、駅周辺を歩いたが、半世紀前のサラリーマン時代ここに二~三年勤務していた頃とは大違いだ。
 駅周辺で、きれいなおベエと袴姿の娘さん三人組が窮屈に体を寄せ合って自撮りをしている。卒業式の流れらしい。行き合ったのもなにかの縁、三人揃った全身を撮ってあげようかといったら、「ワ~、キャ~」っと喜んでくれた。三~四枚を撮ってやる。

      
 
 話を聞いてみると可哀想に、卒業式そのものは中止で、証書のみをもらって散会になり、せっかくの衣装を無駄にしたくないので、こうして出かけ、写真を撮っていたのだという。
 私の頃の普段着ででかけた卒業式とはまさに隔世の感があるが、それはそれとしてせっかくこの日のために整えたのに、可哀想だと思った。
 別れ際、「ありがとうございました」と三人揃っての大声と深々としたお辞儀に、さほど多くはない通行人の注目を浴びることとなってこそばゆかった。

 たまに行く飲食店もいつもの喧噪はまったくない。
 これならマスクを外してもいい。もっともマスクをしたままでは飲食もできないのだが。

 友人と近況などを交わすのだが、お互い、この間、ほとんど外出をしてないので、さほど目新しい話題もない。
 そこそこに引き上げる。
 通り雨があったようだが、上がっていてくれて助かった。

      

 交通機関も街も静かであった。しかも想像以上に。
 これでは物販も、飲食などのサービス業も大変だ。何もかも中止・中止・中止ではやってゆけないだろう。
 リーマンショック以上の落ち込みになるのではという予測もあるようだが、いずれにしても、振り落とされるのは個人や零細、中小の経営だろうと思う。それらの助成を図るというのだが、果たしてほんとうに被害を被った人々にちゃんと行き渡り、彼らは救われるのだろうか。

 久々の外出だったが、やはり晴れやかにはなれない。

 

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どうでもよい身辺雑記などを若干

2020-03-14 16:02:13 | よしなしごと

         

 昨夕、わが家近くには暗雲が垂れ込めていた。
 長い手紙を二通書いた。
 いずれも男性向けなのがちと寂しい。

       

          

 昨年末から、狂い咲き分にポツポツ咲きはじめ、こんなふうに花をつけていったら例年のように全体に白く咲き揃うのかと心配していたが杞憂に終わったようだ。
 枝垂れ風に枝々にびっしり花のつくものがあって、その方が豪華絢爛だが、わが家のものはそうではなくて比較的地味だ。
 身びいきかもしれないが、これはこれで美しい。

       

 台所の上部の棚回りを掃除した。油と埃がこびりついていた。クレンザーで頑固な汚れを落とし、あとを洗剤付きの布で拭き、さらに空拭きをした。
 周辺が明るくなった。

 読むべき書が溜まった。
 索引を含めて、650ページ、450ページ、400ページと大著ばかりだが、真ん中の200ページ余の新書(『日本とドイツ ふたつの「戦後」』)は、出かける際に車中などど読むことにする。

       

 『アイヒマン・・・・』は同人誌次号のための勉強。岐阜県図書館から借りたものだから今月中に読まねばならない。
 『カール・レンナー』は5月の勉強会のためにご恵贈いただいたもの。400ページのハードカバーを無償でいただけるなんてと恐縮することしきりだ。しっかり勉強しなければ。

 右端の大著『アメリカのニーチェ』は、自分の蔵書だからマイペースで読めばいい。実はもう150ページほど読んだ。
 アメリカでのニーチェの受容の歴史とその受け止め方を通じて、アメリカ思想をあぶり出そうとする意欲的な書だ。
 読み進めると、ニーチェのおさらいにもなる。最後は、R・ローティ辺りへたどり着くようだ。

 コロナは、私の身辺のどのあたりに来ているのだろうか。

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【春の恵み?二題】キクラゲとツクシ&ケリが教えてくれた!

2020-03-08 14:59:13 | よしなしごと

■これはキクラゲ・・・・たぶん。
 ここんとこ一日おきに降る雨のせいか、三年前ぐらいに伐った桑の木の切り株から、何やらビロビロ~ンとしたものが生えてきた。形状からするとまさにキクラゲ。これはイタダキだと思った。
 ただし、相手はキノコ、毒を含むというリスクも無視できない。

       

 ということで、ネットで調べまくった。
 一般的な記述としては、キクラゲの仲間で毒キノコはほとんどないという。そして、私の例と同様、桑の木から生えたキクラゲ状のものをおそるおそる食べたが、美味かったという記述が。
 こんなことを書くくらいだから、彼(彼女?)はまだ生きているということだ。

 ここへ来て私の決心は固まった。ヨッシ、喰おう!
 この決断はちっぽけなものかもしれないが、人類にとっては大きな一歩になるに違いない(オヒオヒ)!

       

 というわけで、さっそく採取し、水洗いをして乾した。
 ラーメンにいれると美味いというから、次回、ラーメンを作る折に使うとしよう。

 というわけで、もし私がこの場に急に現れなくなったら、人類史的にしてかつ壮大な実験のために、この身を捧げたと思ってほしい。

 キクラゲを食べてあの人逝ったから三月某日キクラゲ命日  瓦町


■つくしん坊に悪戦苦闘
 友人の記事にツクシの話が出ていたので、ハッと気づき、出遅れてはなるものかと、私のひみつのアッコちゃんの場所へ出かける。
 ないっ! 場の荒れようからしてつい最近、というか今日の午前中に採られたのかもしれない。

 かくなる上はと、ほかの心当たりをチェックして回る。どこもチョロチョロっとはあるが、なんとなく貧弱だったり、もう傘が開き切ったりしている。
 もう今年はこんなところかと諦めて帰途につく。

       

 途中、解体現場に出くわし、スマホで撮る。解体フェチ、廃屋フェチなのだ。
 鎮守の森へと向かう参道の石灯籠越しにユンボが活動しているところを写真を収める。

 まあ、面白い現場に出会えたからいいかっと家に向かう。途中、2、3年前に田んぼを埋め立てて山土を入れ、そのまま駐車場にした空き地の近くを通る。
 その向こうの田んぼの、意外と近いところから、ケリが一羽飛び立ち、私の頭をかすめた。

       

 ひょっとしてその巣が、と飛び立った辺りへ向かって覗いてみた。もう田起こしがされていて、その巣がある様子もなかった。
 しかしだ、その埋めててた駐車場と田んぼとののり面に、何やらつんつくつんつくと立っているものがあるではないか!

 ほとんど人が気づかないような場所で、今年最良のものを採ることができた。これでなんとか、鉢を満たす分ぐらいのツクシは揃った。

       

 ケリは私の好きな鳥である。田んぼで鳴き交わしている段には地味な鳥だが、ひとたび飛び立つと、羽の裏は白く、ただしその先端は黒く、その対照が鮮やかである。
 アグレッシヴな性格で、縄張りうちに他者が侵入すると、鋭く鳴いて襲いかかる。それが人間であっても。

        
        これは5年ほど前、いまはなき田んぼで憩うケリの勇姿

 今回は、鳴かなかったが、それでも私の頭上をかすめるようにして飛んだ。
 私としては、お前の探しているツクシはここにあるぞと教えてくれたのだと思っている。
 今度逢ったら礼を言いたいが、私にはケリの個体を見分ける能力はない。さてどうしたものか。

    鳧一羽土筆の在り処教え飛ぶ 禮を述べてぞケリはつくらし

 

 

 

 


 

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早春断想 私的「桜を観る会」

2020-03-04 13:49:36 | 花便り&花をめぐって

           

 空はどんより曇って陰気臭いことこの上ない。その上、昨日までの暖かさはどこへやら、シンシンと冷えてきた。雪になるかもしれない。

         

 TVはどこもかしこもコロナウィルスで、冷静に行動しましょうなどと殊勝なことを呼びかけながらも、その繰り返し自体が一種の煽りになっていることには気づかない。この国の首相の科学的根拠を示さない「英断」がそうであるように。

         

 それでもって、マスクが消え、消えたマスクがネットで10倍の価格で売られる。ほとんど関係のないトイレットペーパーやティッシュまで買い占めだとか。笑ってしまうのは花崗岩が効く(どうやって?)とかで、その入手のため血眼になっている人たちもいるんだとか。

         

 誰かが、首相がだめだからこの国はだめだという反面、この国のダメさの結果があの首相だともいえると書いていたが、まあ、そうだろう。
 しかしこれは、シニカルに笑って済ませる問題でもない。

         

 というようなわけ(どんなわけ?)で、わが家では、例年より約10日早く、桜桃がなる桜が開花したので、この際「桜を観る会」を行うこととした。
 会を私物化するあのデタラメさを反面教師としながら、参加者を厳選した結果、私の意に沿うのはつまるところ私しかいないという誠にナルシスティックな人選となった。

         

 ということで、私は一人、花を愛でながら盃を傾けることとなった次第。
 
  白玉の歯にしみとほる早春の酒はしづかに飲むべかりけり  老山朴水

 

 

 

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パンドラの箱と女性のコンミューン 映画『肉体の門』を観る

2020-03-02 15:23:25 | 映画評論

 この国は、1945年の敗戦からから51年の西側のみとの単独講和まで、主権はなく連合国の、実質的には米国の占領下にあった。近代日本が成立して以来、最も国家権力が希薄な時期であったといっていい。
 したがってそこにはカオスが支配する混沌があった。とりわけ、敗戦までの大日本帝国が、蟻一匹も見逃さない軍国主義的統制によってがんじがらめであっただけに、その落差は大きかった。

              

 ほとんどのものを失った廃墟のなかから、小集団の小さな秩序、ささやかな倫理、かすかな希望のようなものが複数の事情に伴って生まれ、それらが並列して混在していたような時代、そんな時期を描いた映画である。
 原作は、戦後最初のベストセラーと言われた田村泰次郎の小説、『肉体の門』(1947年)。映画も同じタイトルである。

 この小説、これまで4回映画化されている。
 1948年の小崎政房によるもの。
 64年、鈴木清順によるもの。
 77年、西村昭五郎によるもの。
 そして、88年、五社英雄によるものである。

         

 これでみると、48年はまだ私が10歳だったから無理としても、64年の鈴木清順のものは観たかったと思う。ただしその頃は映画どころではない生活を送っている時期でもあった。
 77年のものは日活ロマンポルノの一環として作られたものである。
 結局私が観たのは、88年のもので、それもアマゾンのプレミアム会員は無料というもので観たのだからさほど、観た、観たと自慢できるような話ではない。

        

 全体的には群像劇の様相を帯びるが、中心はかたせ梨乃演じる通称「関東小政」こと、浅田せんが率いいる数人からなる娼婦のグループであり、彼女らは不発の一トン爆弾がそのまま残るビルの廃墟をヤサとして、一定の縄張りをもち体を売っている。
 ただしこのグループは、その戦争の体験から、米兵には体を売らぬことを掟としている。さらには将来の目的のための基金を稼ぎのなかから蓄えている。

           

 同様に、娼婦のグループがあり、廃車のバスをアジトにしていて、通称「ラク町のお澄」こときたがわ澄子(名取裕子)率いるラク町一家もそのひとつ。関東小政のグループとラク町一家は、しばしばその縄張り争いからタイマンを繰り広げることとなり、そんなシーンが二度ほどでてくる。文字通り体を張った演技でどちらも凄まじいが、ヤクザのそれに比べ遥かに公正な決闘といえる。

 他には、戦後成り上がりのヤクザグループ、袴田義男率いる袴田一家が一帯の闇市を仕切り、なおかつ、関東小政のアジトである廃墟ビルの将来性を見越し、それを奪い取ろうと虎視眈々と狙っている。彼らはいわゆる経済ヤクザへと至る萌芽をすでに持っているが、そのやり口は残忍である。

        
 
 これらすべての登場人物に、戦争はそれぞれ深い爪痕を残している。ただし、この時代の制約として、アメリカに敗けた、やられたという被疑者意識とそれへのルサンチマンに満ちていて、その戦争の加害者性には全く触れられていない。

 それはさておき、全体はまさにカオスのパンドラの箱である。
 ここでパンドラを持ち出したのには意味がある。パンドーラはギリシャ神話においては人類最初の女性とされ、カオスが詰まった箱を開けるのはまさに彼女なのだ。
 この映画の最終章で、女性が開け、カオスの秩序を破壊し尽くすパンドラの箱は、廃墟の一トン爆弾を炸裂させる行為にほかならない。

              

 そしてその箱の底に張り付いた最後の希望、それは彼女たちが体を張って稼いだ金によって実現されるはずだったパラダイスにしてコンミューンとしてのダンスホールであった。
 彼女たちはそこで、客引きのための原色のサイケデリックな衣装を脱ぎ捨て、純白のドレスで踊るはずだった。

 彼女たちの夢は、小政の純白のドレス姿での華麗な舞として私たちの目に焼き付けられる。かくて、女性の共和国、そして実現されたかもしれない協議会方式の戦後日本の再出発をも吹き飛ばして映画は終わる。

          

 その頃、一〇歳であった私は、一世代あとの五八年前後から、戦後日本の現実と対峙することとなる。
 それ以前に、関東小政の生き方やその夢を知っていたら、私はもっと真摯に事態に対応できたかもしれない、などと思ってしまう。
 
 ノイズが主流であった戦後、そして、きれいにそうしたノイズが片付けられてゆく現在、私のノスタルジアは、大きく戦後へとブレるのであった。
 なんにもなかったが、なんでもあった戦後、なんでもあるがなんにもない現在。
 純白のドレスを纏った関東小政が、私の迷妄をなかば笑い、なかば容認するように優雅に裾を翻してターンする。


なお、この映画では、「コルトの新」伊吹新太郎 (渡瀬恒彦)が登場し、重要な役割を果たすのだがあえて割愛した。彼と、関東小政との関係に嫉妬したせいかもしれない。

 

 

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