六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

桜桃の収穫開始など

2021-04-28 16:16:04 | 花便り&花をめぐって

 相変わらず宿題に追われて焦っている毎日。
 身の回りの写真などでお茶を濁すしかない。


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 うちの玄関先だが、いまがいちばん賑やかかも。
 手前の左は去年から紅葉している南天。そして桜桃の樹。吊るしてあるCDは鳥除け。
 奥の赤い花はツツジ。ツツジと桜桃の間に、右側の玄関へのイントロがある。

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 少し近づいた桜桃。もうこんなに熟している。

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 もう少し近づいてみよう。

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 今日、小雨のなか、はじめての収穫作業。真っ赤になったものだけを穫り、娘の務める学童保育のおやつに持たせる。

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 例年より、10日か2週間ほど早い。この分でゆくと、収穫のピークは5月はじめで、4連休(学童保育は土曜もやっている)に差し掛かった頃だ。とすると、いちばん穫れる時期が学童の休みということになってしまう。まあ、2~3日なら冷蔵庫で保たせることができるだろうが。


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 最後は、庭に生えてきたが抜かずにおいた春紫苑、満開になってきた。花が終わったら抜かずばなるまい。

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多忙ゆえの絵日記風写真のオンパレード

2021-04-25 02:36:20 | フォトエッセイ

 ここんところ多忙でゆっくり文章を綴っている暇はない。
 撮り溜めた写真をもとに絵日記風の説明をつけるのみとする。

 まずは白ツツジ。高さ数メートルの大きな木である。ツツジは下の方から咲き始めるので、下は満開、もう終わっているのもある。しかし、二階の私の部屋の前あたりはまだまだ蕾のまま。これが咲きそろうと窓を向いた私のデスクの目の前がパッと明るくなる。
         
         
            

 続いて赤いツツジ。この一面はガレージの方を向いている。もう一面は大谷石の塀から道路にはみ出ている。
 上側は岐阜駅方面を臨み、下は南を臨む。

            
         
            

 ツツジのついで。赤は近づくとけっこう妖艶。さらには白に混じったハイブリッドな花。

         
            

 今季二度目の筍。農協で二本300円でゲット。

         

 春紫苑が庭に生えてきた。場所が丁度いいので花が枯れるまで抜かないでおく。
 どこにでもあるので雑草扱いだが、けっこうきれいなのだ。

            
         

 ネギ坊主。開いたものとまだ開かないもの。

         
         

 庭のカタバミ。栽培種の野生化と在来種の黄色い花。

            
            

 鉢植えのイチョウ。樹齢30年以上。高さ数十センチの盆栽風。このまま黄葉まで行くといいのだが。

            

 遊びに来たキムネクマンバチ。ツツジに、そしてネギ坊主に。愛嬌があってかわいい。

         
         

 色づき始めた桜桃。例年に比べると10日ほど早い。

            

 はじめて飲んだウルグアイの白ワイン。ぶどう品種はシャルドネ。テーブルワインだがけっこううまかった。

            

 昨日のサンセット。

         

 

【おまけ】火鉢の中の金魚たち

  https://www.youtube.com/watch?v=f3cEFYHfIWw

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ちょっと羨ましい話

2021-04-23 17:01:27 | フォトエッセイ
 必要があって、岐阜県図書館から借りてきた「忖度と官僚制の政治」野口雅弘(青土社)を読んでいる。
 綺麗なままなので私が最初の読者かなと思っていたが、いま開いたページに、八センチ角の以下のようなメモが挟んであった。
 右下にあった女性名は消してスキャンしたがなんとも羨ましいメモ。
 私にもこんなの書いてくれる人いないかな。
 
 
【付言】たくさん、載せたい写真や記事が溜まっているのだが、ここのところ、ある長い文章の追い上げでままならない。
 そのうちに季節が過ぎていってしまう。
 写真はうちのツツジに遊びに来たキムネクマンバチ。
 愛嬌があるやつで、近づいても刺されたりしてことはない。
 
 
 
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来た!観た!「紅型の人」 そして、「On Your Marks」へ

2021-04-21 01:38:26 | アート

 一週間ほど、やや不調の日が続いたが、昨日、ラウル・カストロの死に触発されて割合長めの文章を書くことができたのと、新しく学び、確認したいことも出てきたので、県図書館へでかけた。

         

 天候も良かったので、このまま本のなかに埋もれるのもと思い、車を駐車場に置いて、隣の県美術館を散策。
 今年はここで、二月に「ロートレックとその時代」展を観ていて、ロートレックはもちろん、その同時代や周辺、とくにルドンの作品を多く観ることができて満足したのだが、今はそうした企画展はお休みだ。ただし、この二四日からは、「素材転生―Beyond the Material」という企画展が六月まで行われるようで、覗いてみたいと思っている。

            
 で、現在だが、その貸しスペースで、「第六五回岐阜水彩展」が行われているのを見つけた。入場は無料だったし、ある、もしやという期待があったので、入ってみることにした。総数一八〇点ぐらいの豪勢な展示だが、今日が初日のせいか数名の入りという寂しさだった。
 しかし、そのせいで密もなく、ゆっくり観ることができた。

            

 一口に水彩といっても、その幅は実に広い。デッサンの上にさっと色を乗せた淡白なものから、一見油彩を思わせる濃厚なもの、抽象画からコラージュ風のもの、それぞれが異なっていて飽きが来ない。
 ゆっくり観て回って、後半に差し掛かった頃だろうか、あったのだ、私が密かに期待した人の作品があったのだ。

 作者は津田正夫氏、私も参加している同人誌の仲間で、今は、「美濃の自由民権を訪ねて」と題して、この地方の自由民権運動の歴史を書き綴っている。
 その津田氏が水彩をたしなまれることは知っていて、過去二度ほどそのお作を拝見したことはあるが、いずれも、所属される会の発表会のような小規模な展示においてだった。

            

 で、津田氏の作品だが、タイトルは「紅型の人」という婦人像である。
 この読みは「べにがた」ではなく「びんがた」で、琉球独特の色合いと模様の型式をもった織物、またはそれでしつらえた着物である。紅型には絢爛豪華なものもあるようだが、これはまあまあシックな方といえる。手にしているのは琉球によくみられるモンステラの葉と思われる。

            

 表情の明るさ、上に向けられた視線、それらは、今なお続く琉球処分ともいわれる状況に屈することなく明日の明るみを求め続けるものだろうか。
 この絵をじっと観てると、作者の一途な真面目さと優しさがにじみ出ているように思える。そして、素人の評価でなんの権威もないのだが、以前に観た作品より確実にうまくなっていると思う。

 付近にあった、「優秀賞」などの札を引っぺり返して、津田さん作品のもとに貼り付けてやろうと思ったが、器物損壊に問われるのを恐れてやめにした。

            

 津田さんの作品に勇気をもらって、図書館の方に移動。これまでのグジュグジュした読書スタイルを改めるべく、七冊の書を借りる。二〇日間に全部は読めないが、そのうちの何冊かは、今書いている文章の参考資料として部分的に参照すればよいもの。

 さあ、読むぞ、書くぞ。「On Your Marks(オン・ユア・マークス)」だ!

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ラウルの死とキューバ、そしてわが弁士としての経験

2021-04-19 16:05:06 | 想い出を掘り起こす

【お詫び】下の記事でラウルを殺してしまってすみません。彼は九〇歳ですが、引退したのみでまだ顕在なようです。全くの粗忽でで、ラウルさんごめんね。引退の記事での早とちりです。

 

 キューバ革命を成し遂げたフィデル・カストロ(1926-2016)の実弟、ラウル・カストロ(1931ー2021)が亡くなったという。私のなかでは、何か一つの時代の終わりを思わせる出来ごとである。

         

 キューバ革命が成立した1959年には、私はすでに、ソ連や中国の体制に疑問をもっていたが、このわずか12名のシェラ・マエストラ山のゲリラから出発した革命の成功には、なにか新しい展開が期待できるのではないかと思わせるにじゅうぶんであった。

 当時、愛知県学生自治会連合(県学連=全学連の下部組織)の役員だった私は、キューバ革命のキャンペーン活動ともいえる催しを展開したことがある。1960年か61年だったと思う。
 いまは、百メートル道路となっている箇所にあった旧・名古屋タイムスの講堂で行われたその催しは、二部からなっていた。

         

 その一部は、キューバ革命に関する講演で、講師は当時東大の大学院に所属していた香山健一氏(1933-97)であった。
 彼は、1958年、全学連の第11回大会で、それまで日本共産党の一元支配だった全学連がそれから離反する際の委員長で、その大会は、日本においての大衆的な新左翼運動の黎明を告げるものであった。

 その後香山氏は、学習院大学の教授となり、やはり戦後左翼の論客だった清水幾太郎(私もその急進的なアジテーションを聞いたことがある)と歩みをともにするが、日本における未来学(一時期の影響に終わってしまった)の担い手といわれたことなどもあってその政治的立場を変更し、清水氏ともども自民党政権のアドバイサー的な存在になった。

 話を戻そう。
 香山氏の当日の話は、キューバ革命が起こらざるを得なかった情勢の分析と、それに果敢に関わっていったカストロたちの偉業についての追体験的まとめであった。

 そしてその第二部は、キューバ革命の記録映画であった。タイトルがなんであったか記憶がないので、いろいろ検索してみたが、今となってはこれと特定することはできない。
 モノクロのサイレント映画であった。しかし、これには台本がついていて、誰かがこれを読み上げるといういわゆる弁士付きの無声映画だったのである。それがわかったのは、当日、会場においてであった。

 もってきたのは講師の香山氏であったが、俺は講演で手一杯だから誰か弁士をしてくれとのこと。さぁ・・・・ということになったが、その前年ぐらいまで演劇部に籍があったお前がやれということで私に丸投げされることとなった。たしかに、演劇部に所属はしていたが、演出志望でセリフは口にしていない。ただし、高校時代は主演級で舞台に立っていたのでそれを思い起こし、蛮勇を振るうこととなった。

 とはいえ、ぶっつけ本番のリハーサルなし、映像そのものもその時はじめて見るもの。舞台裾で映像を見ながらなんとか読み進むのだが、誰もキューを出してはくれないから出だしもよくわからず、画像を見ながらこの辺かなというところで語りだす。
 画面とせセリフがずれたり、つっかえたりしたかもしれないが、なんとか最後まで読み終えた。

         

 終わった途端にほとんど満席状態の客席から盛大な拍手が・・・・。ただし、これは私の熱演に対してではなく、映像に描かれたキューバ革命の素晴らしさに対してだった。
 この私はといえば、支障なく台本を読み上げることに夢中だったせいで、その映画の内容すらほとんどわからないという始末だった。
 
 その段階では、ゲバラはまださほど強調されていなかったと思う。彼が注目されたのは、「革命の輸出」のため、革命後のキューバで約束された支配的な地位をなげうって、新しい試みに身を投じてからであったと思う。

 これが、私とキューバ革命の出会いであったが、ラウルの死に直面して、それを懐かしく思い出している。
 ところで、56年のハンガリー事件以来、さらにはソ連邦の第20回共産党大会でのフルシチョフの秘密報告以来、ソ連や中国を中心とした社会主義勢力に疑問をもち続けてきた私だが、キューバ革命に対してはかなり暖かい目を注いできたと思う。

         
 
 アメリカの経済封鎖によって、危機に陥っていた革命キューバ支援のため、1960年代の後半から始まった山本満喜子さん提唱の、“サトウキビ刈り青年隊”も面白い試みと思ってみていた。
 ケネディ時代のキューバ危機などで示されたように、そのキューバもまた、大きな枠組みではソ連圏に属していたが、スターリンが示したような、また中国の文革が引き起こしたような、人びとを過度に抑圧するような大きな悲惨はなかったのではないだろうか。

 経済的には貧しく、1950年代の車がいまなお闊歩するなか、陽気なキューバン・ミュージックが街に溢れているのは、やはり、教育や病気の治療が無料というベーシックなセーフティ・ネットによって共同体が支えられているからかもしれない。

 ただし、私の杞憂かもしれないが、そのキューバにも危機が迫っているように思う。それは他ならぬアメリカとの国交回復、経済封鎖の解除の影響である。これまでは、資本主義的発展から取り残された地点でそれなりに頑張ってきた。しかし、今やグローバルな資本の運動にさらされることとなり、その影響は避けられないのではと思うのだ。

         

 中国などのかつての後進国が、その開放政策によりグローバルな資本戦争のただなかに放り込まれた結果がそうであったように、まずは商品の氾濫と消費社会の一般化、それに当て込んだ生産や流通の起業家の頻出、資本の要請による各種規制緩和とこれまで商品化されなかった福祉関連や医療関連の分野の資本主義的貨幣経済への繰り込み、これらの結果としての貨幣=資本の絶対化などなどが急速に進むのではなかろうか。
 
 これらの帰結のひとつが貧富の差の拡大である。
 それにより、「貧しいながらも最低限は保証されている」ことによる楽天的生活観は、貨幣への限りない欲望にとって代わられるのではないか。それはまた、意識するとせざるとに関わらず、他者との競争を余儀なくされる神経戦の普遍的展開でもある。
 これにより、従来の楽天的態度の継続や、競争社会からの離脱は、ドロップ・アウトした敗者として扱われることとなる。
 経済的強者たちの苛烈な競争戦と弱者たちの救済なき悲惨・・・・。

 これはあくまでも予測に過ぎず(とはいえ歴史的前例をもつものではある)、こればかりは私の悲観的なそれが外れることを願うほかはない。

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アンニュイ? それとも老人性不定愁訴?

2021-04-16 11:55:30 | よしなしごと

 ここ二、三日というもの、どうも心身ともに優れぬと無責任に書きなぐったりして、親しい方々に心配をかけている。
 とりわけなにかの凶事にゆき当たったりしたわけではない。むしろ、ひたすら蟄居を強いられるなか、新しいひとを紹介していただき、その方と話しているうちに思いがけない共通点が見つかって、おもわず話が弾んだといういい出会いもあった。

 にもかかわらずの不調、だからこれといった契機はないのだが、やはり気が沈みがちなのである。これまでもしばしば訪れた不定愁訴を伴う老人性鬱とでもいうのだろうか。
 最近ではあまり耳にしないが、私の若い頃によく使われた言葉に「アンニュイ」というのがあった。日本語訳では「退屈」とか「倦怠」であるが、当時は、流行っていた実存主義との絡みで、存在の意味を見いだせないままに漂っている「実存」といったニュアンスで用いられていた。

         

 このアンニュイは、ある種の現象を解釈するのに役立つかもしれない。
 音楽で言えば、モーツァルトの明るい長調の曲のなかにふと垣間見られる悲しみのようなもの、シューマンのどの曲にも漂う哀愁の響き・・・・悲しむべき具体的な対象をもたない実存の悲しみ、つまりアンニュイ。

 私の現状がそれであるといっているのではない。ただ、具体的な症状はある。
 まず、読書ができない。
 私の読むものは比較的硬い分野に属するのだが、それを読み続けることができない。とりわけ、原論的なものの場合、中途で、この歳になってこんなもの読んでなんになるのだという、これまでは浮かばなかった効率論的な疑問が湧いてきて、そうなると、原論特有の抽象的な構図自体がスーッと色褪せて行き、その先を読み続けることができない。

            

 この間、図書館で借りてきた四冊の内、二冊はほとんど書そのものを開く気力すら薄れ、まもなくの返却期限を迎えようとしている。
 そればかりではない。長い文章そのものが読み辛くなっている。同人誌などに参加し、それをばらまいている関係もあって、あちこちから他の同人誌や著書などのご恵贈に預かる場合が多い。以前ならば、これ幸いと、全部ではないとしても、興味のありそうなものをむさぼり読んだのだが、今は積ん読状態のままのが多い。

 「読めない」の次に来るのが「書けない」だ。所属する同人誌に長期的な展望を持った連載を書いているのだが、それがここへ来て苦戦している。何回分かの資料や参考書は読み込み、それはメモやノートのかたちでストックしてあるのだが、それらを適切に参照し、文章にまとめてゆく力が湧いてこない。
 締切も近いことだからとおのれを奮い立たせ書き始めるのだが、途中で、「こんなことを書いて何になるんだ」と問いかける自分がいたりして、そうなると筆が進まない。

 そんななか、逝く春の風物がやたら目にとまるので写真に撮ったりして、SNSに載せ、「花鳥風月に逃げ込む自分」などというくだらないコメントを付けて、ほんとうに花鳥風月を愛する人たちの顰蹙をかったりしている。

 まあ、いろいろいって見るものの、その原因ははっきりしている。私自身の老いそのものだ。それにおとなしく従うか、それが嫌なら自分を今一度、鼓舞するほかはない。
 そのために、昨日から二、三の試みを始めた。

         

 ひとつは床屋へ行って髪を短くしたことである。春風が襟元に涼やかである。
 その二は日本酒に合う夕餉を整えたことである。
 これらは些細な身辺の事柄だが、ある種の気分転換位はなる。
 もうひとつはじめたことがあるが、去年失敗したことなので、もう少し様子をみた上で公表したい。

 私のケースが特別なことではあるまい。同年輩の人びとは、その症状や現象は異なっても、自分の現状をどうするのかを自問しながら闘ったり、あるいはその着地点を見出そうとしているはずだ。私の場合、野垂れ死に覚悟で決意は定まっているから、結論は単純なのだ。曰く、「やるだけやる」。
 にもかかわらず、「アンニュイ」がしばしば訪れる。

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「花鳥風月」と私

2021-04-15 00:53:35 | 写真とおしゃべり

 天候も回復したのに体調が万全でもなく、気が滅入ったままである。

         
            うちの白いツツジ 毎年赤いのが一枝混じる
         
      桜桃の色づき 選定すれば大粒になるのだがそんなことしてられない
 
 若い頃、老いても花鳥風月に逃れるようなことはすまいと思っていたのに、気がつけば結構そうしている自分がいる。ただし、決してそこへ逃れっぱなしではないという自負もあることはある。

            
         
 
 花鳥風月への依存は、その輪廻にあるどうしようもない構造のなかに、自分を位置づけ完結したいという欲望なのかもしれない。

         
            
         
          チューリップの花芯はやはり覗かないほうがいい
 
 しかし、そんな角張ったことを考えて接している間は、その花鳥風月に安らうことはできまいとも思う。
 ぶっちゃけたところ、今のところはけっこう頼りになる一時的避難所であることは間違いない。

         
                えんどう豆の一種かな
 
 今回は自宅での一部と、あとは行きつけのクリニックへの途次などに撮したもの。

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ある奇遇、そして・・・・

2021-04-14 02:47:00 | よしなしごと
 
 
 同人誌の仲間、Tuさんの仲立ちで、岐阜の文学事情、とりわけ同人誌に詳しいTaさんにお目にかかる。
 設定された話題は、今年一月にコロナで召された旧同人誌「遊民」時代の先達、大牧冨士夫さんについてだったが、話が進むうちに意外な展開に。
 
 このTaさん、私と同い年なのだが、高校時代、私の生涯の畏友にして数年前亡くなった須藤(旧姓高木)くんの同級生だったというのだ!
 帰宅してからも、大牧さんや須藤くんなど先に逝ってしまった人たちの一挙手一投足が思い出されて、なんかしんみりしてしまった。
 
 そんな折、だんだん深刻になる認知症と闘っているやはり同年の友人から悲観的な電話が。
 「時間の連続性などどうでもよい。居直って瞬間瞬間をエンジョイするように」と助言するが、私の言葉自身がその記憶に残らないだろうと思うと無力感に襲われる。
 
 そぼ降る雨のなか、どこかで無為に生き残ってしまっている自分を責めているような自分がいる。
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野を食す 野蒜(のびる)と食糧難の思い出

2021-04-11 03:00:32 | 想い出を掘り起こす

 田舎育ちのせいで野蒜は子供の頃から知っていた。折から戦後の食糧難、私のような疎開民は食べられるものは何でも口にした。
 そんななか野蒜は、フキノトウやツクシ、セリなどと並んでこの時期の食用野菜として貴重だった。

              
                採ったばかりの野蒜

 なにしろ、あの固くてジャリジャリするスギナまで、ヒジキの代わりとして食べた時代だ(これとは別にオカヒジキという山菜があるが、これはさっぱりとしていてうまい)。なにしろ、有毒という彼岸花の球根すら毒を取り除いて食用にするほどだったのだ。

 話はとぶが、私が居酒屋をやっていた時代、8月15日には特別メニューとしてスイトンを出していた。戦時の代用食の代表格を提供し、往時を偲んでもらうためだった。
 しかし、これは逆効果だった。若い人から、「戦中、戦後にこんなうまいものを食っていたなんて・・・・」という反応があったからだ。

             
                 シンクに入れて洗う

 そりゃあそうだろう。板場が、カツオ出汁を効かせた汁に、小松菜などをあしらい、メリケン粉のなめらかな落し団子とカマボコの一切れぐらいを添えているのだから。
 戦中、戦後のそれは、味付けはほとんど塩だけ、あるいは醤油か味噌だけ、具はクズ野菜、そして落とし団子はふすま粉混じりのザラザラ、パサパサした食感。
 ふすま粉を手に入れれば再現可能だが、飲食店としてあからさまに不味いものを提供するわけにはゆかないではないか。

 野蒜に話を戻そう。うちの近くの田ののり面に群生しているところがあり、容易に採れる。ただしもう、時期が遅かったかもしれない。
 球根も茎も葉も、湯がいてヌタにできるが、茎も葉ももう硬そうだ。よく湯がかねばなるまい。それでも茎の太いのは、葉先以外は硬そうだから天ぷらにしようと思う。球根のみを生味噌という手もある。ピリッと辛くて酒が進む。

         
                  掃除が終わった

 この国は老人が暮らすには厳しい。年金は年々数字的にも実質的にも目減りし、私の場合は僅かな厚生年金と国民年金とで、合わせて月8万ほどだ。
 その意味で、野にあるものを食すのは生活防衛でもある。足腰が立つ間は、せっせと野の恵みをかき集めようと思う。
 そのうちに、彼岸花の球根の解毒法を学ばねばなるまい。
 

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2021 卯月某日の絵日記

2021-04-10 01:33:38 | 写真とおしゃべり

         

 朝一に洗濯物を干す。
 四月になって、自分用のバスタオルを白い新品に変えた。
 いままでのものより吸水性が良くて気持ちがいい。
 こうして乾したものを逆光でみてもなんだか清々しい。

      フォト フォト

 白い方のツツジがチラホラと開き始めた。
 同じ木なのに、純白な花と、少し赤い斑が入ったものがあって面白い。
 赤い木の方はやっと蕾が膨らんだ段階だ。

         

 足元のタンポポにハナアブが飛んできた。
 蜜の収集に夢中で、近づいても逃げない。

            

 桜桃もだいぶ膨らんできた。
 やがて色づき始めるだろう。
 鳥除けのCDがその威光を発揮すればよいが。

         

 昼食は久しぶりに炊いた五目飯。
 子供の頃過ごした田舎では、混ぜ飯、または混ぜご飯といっていた。
 汁はシンタマとワカメのすまし汁。
 お菜は奴豆腐のみ。

         

 明日は長年所属する会の年次総会。
 老齢を理由に役職辞任を申し出るつもりだが認められるかどうか。
 いや認められないと困る。



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