六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

おせち 作:六文錢

2013-12-31 20:57:24 | よしなしごと
 おせちができた。・酢蓮根・金柑シロップ煮・きんぴら牛蒡・百合根・たつくり・川海老・野菜五目煮〆(里芋、人参、蓮根、牛蒡、干椎茸)・玉子巻き・蕪千枚漬け 他に牛肉たたき、鴨と野菜のマリネ-を用意。クワイが抜けたのは残念。

 

 
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年の終わりに 時間を観る

2013-12-31 11:25:43 | よしなしごと
 飛花落葉、時は流れてついに大晦日となりました。
 物理学や哲学の世界では「時間論」などがいろいろと取り上げられるようですが、私たち市井の人間にとっては、「時間とは、なかったものが現れたり、逆にあったものがなくなったりすること」と考えるとわかりやすいかもしれません。

 そうすると、時間は目で見えるものとなります。
 写真は私の部屋の窓から見た桑の木で、黄色く紅葉しているのは一ヶ月前、そして全ての葉を落としているのが今日の写真です。
 ほら、時間が見えたでしょう。

  <photo src="v2:2035578514">

 今年一年、いろいろなものを書き散らして来ました。
 それぞれ相当数の方にご覧いただき、コメントなども頂きました。
 ほんとうにありがとうございました。

 来年もまた、とりとめのないことなど書き綴る所存です。
 また、覗きに来ていただければ幸甚です。
 きたるべき年が、皆様にとって幸多いものであることを祈ります。
 もって今年の書き納めと致します。
 (さあ、おせちの仕上げだ!)

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映画『永遠の0』と戦争・特攻、そしてVFX(視覚効果)

2013-12-29 21:29:54 | 映画評論
 この映画に、VFX (Visual Effects 視覚効果)のスタッフとして関わった人からチケットをプレゼントされました。早速、どんな映画かを予めチェックしてみました。
 原作は百田尚樹の同名の小説で、この本、関連図書を含めると450万部の大ベストセラーで、しかもロングセラーだとのことです。そういえば本屋の店頭で平積みにされているのを見かけたような気もします。

 ヤフーでこの映画を観た人の「レビュー」一覧を見て驚きました。星5個がズラズラズラ~ッと並んでいて、時折、星1個や2個がポツンとあり、結果としてその平均は4.27点と高得点なのです。このように、このレビューの特徴は、3とか4の中間が少なく、絶賛かさもなくば酷評に分かれているところです。
 これはなかなかスリリングな映画といえます。

 先入観を持たないよう、レビューの内容は読まないようにして出かけました。
 観たのは28日の午後で、雪がちらつく年末の寒い日とあってさほど多い観客ではなかったのですが、中高年に混じって若いカップルなどもけっこう多くいたようです。

            

 かつての日本の戦争の映画です。しかもその戦争の特異点ともいわれる特攻隊にまつわる話です。
 普通、映画は何を語っているのか、それをどう語っているのかなどなどの点で受容されるのですが、この映画の場合それは微妙です。
 監督の山崎貴氏は『ALWAYS 三丁目の夕日』で、VFXの効果などを駆使しながら、戦後の高度成長期前期の昭和を郷愁に満ちた時代として描き上げ、名を成した人です。

 しかし、対象が戦争、しかも最もシビアーな特攻が問題であるとしたら、もちろん、郷愁の対象として収まるはずはないし、また収めてはいけない問題です。
 私はかつて、「特攻無駄死論」を述べて散々叩かれたことがありますが、それは、「彼らの尊い死によって今日の日本がある」という言い習わされた言説に対する反吐が出るような気持ちから発したものでした。彼らの無念の死を、そうした復興の物語に組み込み、肯定することは許されないと思うのです。それは彼らの死を尊重する身振りを見せながらも、その実、歴史的必然の一コマとして彼らの死を肯定し、その無念さを無に帰してしまうことなのです。

 彼らの死を本当に悼み、その無念を本当に晴らすには、その死が無駄に強制されたものであることを忘れることなく私たちがその脳裏とこの胸に抱き続けることなのです。彼らの死は、決して不可避な必然によるものではなかったのです。
 もちろん、特攻に参加した若者一人ひとりが直面した段階ではそれは避け難いものとしてあったでしょう。しかし、その悲惨で野蛮な作戦そのものは、決して必然でも何でもなく、人間を武器弾薬と同列に置く驚くべき思想そのものに根ざすものでした。

 特攻作戦は言うに及ばず、かつての戦争そのものも歴史的必然などではなく、避けられたものでした。避けるべく努力をしたひとがほんの一握りであったがために、当時の国民にはそれが唯一の道であるかのように示され、気がついた時には同胞300万の命を失い、都市という都市を焼きつくされることになっていたわけです(話しの煩雑化を避けるため、日本の他者への加害については割愛)。

            

 さて、映画に戻りましょう。
 主人公は、自分が生き延びるようにはからうと同時に、部下や指揮下の生徒の死もできるだけ避けようと試みます。しかし、ねっちもさっちもゆかなくなった状況下においてはそのレベルでの抵抗ではもはや事態を動かすことはできないのです。
 ネタバレになりますから詳論はしませんが、事態は次第に主人公を追い詰めてゆくこととなります。

 改憲論者で安倍氏お気に入りの百田氏の原作とあって、戦争賛美への傾斜があるのではと気になるところでしたが、それはさほどないと思います。むしろ、見方によっては、この映画の戦争シーンはあるラブロマンスのための背景ともいえます。この映画にとって戦争はニュートラルなバックグラウンドであるのかもしれません(それはそれで問題なのですが)。

            

 この映画の見所のひとつは、私にチケットをくれた人も関わったVFX (Visual Effects 視覚効果)にあるといえます。監督の山崎貴氏自身がそちらの方から映画に接近した人ということもあり、彼の映画ではそれが見逃せないのです。『ALWAYS 三丁目の夕日』でも、在りし日の東京の姿を郷愁をそそる映像として復活させていました。

 今回の映画では、縦横に飛び交うゼロ戦とその戦闘シーン(とりわけ特攻攻撃で標的に辿りつけないまま、次々と撃墜されるゼロ戦の数々は圧巻)、それに空母「赤城」などに絶大な威力を発揮しているのですが、スタッフなどの談話を読むと、それら対象物の素材やその質量感の見せ方、空母など巨大なものを見せる場合の諸問題、ゼロ戦など音響を発するもののリアルな音の採集と編集など、ひとかたならぬ努力が、それもアヒルの水かきのように、ただ画面を見ている段にはわからない努力が傾注されているのだそうです。

 それあってか映画を見ていても不自然な点はほとんどなく(あえていうと赤城の甲板に上空からカメラが迫る折、甲板上の人間がやや不自然)、逆に実写ではとても出せない迫力とスピード感ある画面、そして音響が実現しています。
 当初のいささかぎこちなかったものに比べ、この分野は飛躍的に進歩しているようです。そしてこうした技術の進歩は、映画が表現できる時空の枠をうんと広げるのではないでしょうか。
 無声映画からトーキーへ、そしてモノクロから天然色へ、そして3Dの映像や音響へというテクニカルな映画の進歩の中で、このVFXの技術もまた目が離せないものがあると思います。

 キャストとしてはちょっと謎っぽい人物を演じる田中泯の存在感がなかなかのものでした。「メゾン・ド・ヒミコ」のあの役とはまた違って、とても面白いと思いました。

            

 最後におまけのトリビア。
 この映画の原作者百田尚樹氏は、現、NHK経営委員。
 主演の岡田准一は来年のNHK大河ドラマ「黒田官兵衛」の主人公役。
 この岡田の妻を演じた井上真央は再来年の大河ドラマ「花燃ゆ」で、主人公として、吉田松陰の妹、文(ふみ)を演じることになっています。
 なんだか、NHKづくしの感がありますね。

 そうそう、言い忘れるところでした。
 今年亡くなった夏八木勲氏がこの映画でも重要な役どころとして出演しています。彼の死後、画面でお目にかかるのは、『そして父になる』に次いで2作目ですが、どうやらこれが遺作のようです。その死後、出演映画を5本も残したというその役者魂に敬意を捧げ、併せてそのご冥福を祈ります。    合掌
 

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琉球処分のリアル・ポリティックスについて

2013-12-27 22:22:19 | 社会評論
 「お前ら、ゴチャゴチャ言ったところで所詮は基地のおかげで食ってるんだろう。だったら文句は言うなよ」「ゴチャゴチャ言うのは、ようするに、助成金や振興資金という名目の銭がほしくてそれをつり上げるためだろう。そんなの一種のたかりじゃないか」

 これはしばらく前、私がネットでやりあった人の発言の要旨です。
 ひどいなあと思いました。
 私なりの感想を述べてその人との会話はやめ、縁も切りました。

           

 しかし、これはほんとうに的はずれな言い分なのでしょうか。
 あるリアルな面を言い当てているのではないでしょうか。
 少なくとも、今回の辺野古移転を強要した安部首相の脳裏にはそうした主張が生きているようです。
 沖縄選出の自民党議員を並べて恫喝し、県外移転の公約を放棄させた石破幹事長の本音もそうであるような気がします。

 それに屈服した沖縄選出の自民党議員たちをそれと同列にするのは少し気の毒ですが、どうせ抵抗しても通らないなら振興資金を少しでも多く獲得し、それをもって自分の手柄にしようとする志向に転じたとはいえます。
 仲井真知事についても自民党議員たちと同様にも考えられますが、このひと、けっこう老獪そうですからいろいろ根回しをしてゴーサインを出せるタイミングを見計らっていたような気もします。

           

 知事は、安部総理との会談後こう述べています。
 「総理大臣自らご自身で、我々がお願いした事に対する回答の内容をご説明いただきまして、ありがとうございました。いろいろ驚くべき、立派な内容をご提示いただきました。沖縄県民を代表して、心から御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。」
 その後も、「ありがとうございました」が頻繁に繰り返されるのですが、それは振興資金の大幅増に対してのものと思われます。

 こうして、まだまだ県民の抵抗はあるものの、辺野古への移転は為政者の段階では決定したかのようなのですが、この経緯を見て、冒頭に述べた人はおそらく、「ほらみろ、言ったとおりだろう。やっぱり金じゃないか」とさぞかし溜飲を下げていることでしょう。
 しかし、リアル・ポリティックスの世界ではたしかにそうなるのだと認めてしまう前に、やはりこれらの「現実的解決」と称するものが決して見ようとしない前提のようなものを改めて見ておく必要があるのではないでしょうか。

           

 そのひとつは過ぐる戦争の中で、沖縄のみで激しい地上戦が行われ、多くの民間人が戦闘行為に巻き込まれて命を落としているという事実です。そのなかには、退却する際、住民を生かしておいたら米軍に情報が伝わるからと、日本軍自身が住民を処刑するという悲惨な話もありました。

 戦後、日本の独立は51年のサンフランシスコ条約締結とその翌年のその発効によって回復されましたが、沖縄は冷戦下においての最前線の基地の島として、それから20年間も米軍の支配下にとどまり続けたのでした。
 そして72年、沖縄は一応日本に返還されたのですが、巨大基地群は残ったままで、基地に関わる司法・立法・行政の権限については安保条約とともに締結された地位協定によって厳しく制限され、また、その運用にあたっての秘密事項の存在もつい最近明らかになったばかりです。

 こうした前史を知りながら、なおかつ、冒頭のような発言や、それを裏付けるような安倍内閣の辺野古押し付けを容認することができるとしたら、それは、沖縄の置かれた状況をまるで自然法則による必然性のように受容することにほかなりません。そして、そうした態度こそ沖縄の置かれた状況を半永久的にそのまま縛り付けるものなのです。

           

 確かに県外移転は現実的には困難な面があります。しかし、今回の過程をみた場合、それにチャレンジした痕跡は全く見当たらないのです。ただただ、はじめに辺野古ありで、それをどう根回しよく実現してみせるかの猿芝居が行われたのみだという印象です。

 戦中戦後、そして古くは琉球処分という歴史があったように、いまなおその処分は継続しています。それらを継続させながらの、「ようするに銭だろう」という冒頭の言葉、そしてそれをなぞったような安部首相と仲井真知事との会談とそれによる落とし所の決定、この茶番劇の中で踏みにじられているのは、沖縄を本土と変わらない普通の県とし、そこで平和に暮らしたいという県民の願いなのです。
 
 「日中韓もし戦わば」という見出しが週刊誌等のヨタ記事で踊るなか、集団自衛権の名のもと、万一そんな事態が勃発し、沖縄県と沖縄県人をその盾として再び利用するようなことがあってはならないのです。
 一方では沖縄の基地固めをしながら、一方ではわざわざ中韓を刺激するためにカルト的な好戦神社へ参拝する首相がいるかぎり、その危険性は皆無とはいえないのです。

 

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「こころの旅」と青春像とストーカー、そして落日

2013-12-23 18:09:00 | よしなしごと
 冬の午後は短い。昼食を終えて一休みし、さてっと腰を上げ自分のデスクに陣取ったものの、さしたることもしないうちにもう辺りが薄暗くなってくる。今頃がいちばん日が短いのだからしょうがないといえばそれまでだが。

 随分前だが、Book Offで神谷美恵子著作集・3『こころの旅』(みすず書房)が100円コーナーにあるのを見つけて買ってきた。
 人間の一生を、その誕生から死に至るまでの10章に分けて、主にその心理的な分野を記述したものだが、バリバリの専門書でもなく、かといって思いつきの随想でもなく、ちゃんとフロイトやエリクソン、それにピアジェを参照しながら裏をとった叙述になっている。

           

 しかし、わりと手軽に読めそうなので、うちで読み続けているものとは別に、病院の待ち時間とか、名古屋へ出かける際の車中だとか、あるいは人と待ち合わせる場合の時間つぶしで読むことにしていたのだが、このほどそれを読み終えた。名古屋へ出かける機会はうんと減ったが、代わりに病院の待合室が多くなったので、そこで読んだ部分が多いかもしれない。

 第8章が「人生の秋」で、第9章が「病について」、そして第10章が「旅の終わり」だから、私のようなものが病院の待合室で読むにはまさに適合しているというべきだろう。
 内容については、なるほど、それはそういうことだったのかと専門的な展開の箇所で納得したり、う~ん、このへんの叙述はちょっと平板ではないかなぁなどと思ったりしながら、退屈せずに読み終えた。

 実は私、この神谷美恵子さんについてはあまり知るところはない。1960年代の終わりに、『生きがいについて』というベストセラーを生み出し、その後の「生きがいブーム」に火を付けたことは知っていたが、ベストセラーと聞くとつい腰が引けてしまうという生来のひねくれ者ときて、ついに手にすることはなかった。
 ただ、その折に、戦中戦後の切迫した時代には「生きがい」などに思いをはせることなどなく、人びとはともあれ生きることに必死だったのに、こうしたものが要求されるということはある種の豊かさのもたらすところかなぁと思ったことは記憶している。
 ときあたかも、もはや戦後ではないとの掛け声のもと、高度成長期のまっただ中であった。

              

 そんなわけで、神谷さんを検索してみようとまず Wikiで概略を読み、そこから辿って行ったら「神谷恵美子の青春」と題した古机というハンドル・ネームの人のHPに行き当たり、それを読み出したらけっこう面白いのだがなかなか終わらない。あとで調べたら長いはずで、33,500文字にも及ぶ労作だった。
 開いたページの右側のスクロールバーの中の青い帯が丸いポッチになっていて、これが小さいのは文章が長い証拠なのだが、うかつにもそれに気づいたのは読みだしてしばらくしてからで、その時にはもう引き返せないところまで読み進んでいた。

 で、それだけならいいのだが、この古机氏、得体のしれないネウヨのような人(古机氏は女性だといっているが)にしつっこく絡まれていて、天皇を侮辱したとか、自民党批判をしているがその恩恵をこうむっているだろうとか、お高く止まっていて庶民を馬鹿にしているとか、どこで調べたか実名まで挙げて非難されているようなのだ。
 相手にしてやると揚げ足を取るし、相手にしないと逆ギレしてさらに攻撃を強化するしで、さらにはそのための専用の掲示板まで設置してあることないことを言い募っているらしいのだ。

 そのために、この古机氏、一旦、自分のページを閉鎖したのだが、しばらくして再開したところまで読んだ。しかしそれが、実は一昨年のことで、その後、そのページを追跡してみたが最近のものを見つけることはできなかった。

           

 で、冒頭に戻るのだが、気がついてみたらもう辺りは薄暗くなっていたという次第だ。そしてここまで書き進んだ段階ではもうほとんど暮れてしまった模様である。
 いくら閑居している老人といえども、年末ともなればそれなりにクリアーしなければならないこともある。にも関わらず、この体たらくだ。

 まあ、しかしまったく無駄であったわけではない。神谷美恵子というある種多才で、またそれなりに屈折していたひとつの青春像に触れて、論理的にしてかつ倫理的に厳しく見えた、あるいは見せていた人の軌跡が伺え、面白いものがあった。

 それにしても、これを書いた古机氏、長野県の退職教員らしいのだが、ご健在なのだろうか。ネウヨ女性(?)との確執は収まったのだろうか。
 いささか気になるところではある。








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中途覚醒と図書館とマーケット

2013-12-21 01:22:41 | よしなしごと
 私の、本来、快きはずの睡眠のさなかに、中途覚醒という黒い時間を差し挟むのはよしてほしいものだ。
 それは不意にやってくる。
 ちょっとした寝返り、咳、小用等によって中断された眠りは、次に続く睡眠によって継続されるべきなのだが、それが巧くゆかない。次の眠りが来ない。
 眠らなければと意識すると余計それが巧くゆかないようだ。
 草原を行く羊を呼び出してみても、効果はない。

           

 私は「ある」という裸の実存の中に宙吊りにされる。
 行動する人ではなく、考える人でもなく、ただそこにいいるだけの。
 闇の中で、無様に彷徨う幽霊のようなものである。

 そんな時は思い切って起き出したほうがいいというひとがいる。
 しかし、起きて明かりを灯し、書物など引っ張り出しても集中はできない。
 「眠らなければ」という義務感のようなものが邪魔をするからだろうか。

           

 眠りの継続に成功する場合もある。
 まず、呼吸を極端にゆっくりにする。
 そしてなにか具体的なもの、食い物でも、街の景色でもなんでも良いからとにかく「あるもの」を思い浮かべる。
 そして、自由連想法よろしくそれから思い浮かぶものを制約なしにどんどん繰り広げてゆく。

 起承転結のある物語などにしたり、なにか観念的な想念にはしない方がいい。
 とにかく茫洋としたもの、もの、ものの連想、できるだけ輪郭の緩やかな揺れ動くイメージの連続がいいようだ。
 そのうちにそれらが漠然とした霧のようなものとして私を包み始める。
 そしてそれが「自然に」フワーッとしたストーリーのない夢の様なものになるとき、眠りに成功する。

           
 
 「自然に」というのは、その夢の様な状況が私を包み始めたとき、「しめた、これで眠ることができる」などと意識してしまうとダメだということである。
 せっかく積み上げたおもちゃの城がガラガラと音を立てて崩れるように元の木阿弥で、またもや不眠の世界に連れ戻される。
 そしてまた、最初から連想を始めなければならないこととなる。
 これはしばしば体験するところで、いわば釣り人が、せっかく掛かった魚を取り込むのに失敗したようなものである。

           

 しかし、これを繰り返すうちに、なんとか眠りを得ることができるのだが、問題はその時間で、一時間はざらで、二時間に及ぶこともしばしばである。
 当然のこととして、それだけ睡眠時間が削られることとなるのだが、それ以上に疲労感がある。不眠の時間はとても疲れるのだ。
 「眠らなければ」と悪戦苦闘すればするほど、それ自体がどんよりした疲れとなって蓄積される。
 そしてそれは確実に翌日に持ち越され、心身ともに絶不調となる。

              

 若い頃からの習性であり、かつてはそうした疲労感からは比較的短時間で回復できたのだが、この歳になると、下手をすれば一日引きずってしまう。
 もちろん、誘眠剤は常用している。それがあってか寝付きは悪い方ではない。
 しかし、どううまく寝付いても、それとは関わりなく中途覚醒は起こる。
 医師に相談しても、中途覚醒に効く薬というのはないという。

 昨夜(19日)もそうであった。
 悶々としていたのは2時間ほどだろうか。
 その影響はてきめんで、朝から何も手に付かないし、集中できない。
 こんな時は思い切って環境を変えたほうがいいと思い、午後からマイ・フェイバリット・プレイスである県立図書館とマーケットへ出かけた。

           

 図書館では、あらゆる分野にわたって蓄積された知や情報の膨大な堆積に圧倒された。
 マーケットでは、そこに展示された物品の多様さにまずはオブジェとして圧倒され、その背後に確実に存在する人間の欲望の系図に圧倒された。
 というわけで、図書館とマーケットを見ればそこの文化がわかるという私の密かな持論(常識かな)を確認して帰ったような次第である。
 その刺激のせいか、夕方には幾分元気が回復したのであった。
 まあ、こんな文章が書けるぐらいにということであるが。

 写真はすべて、岐阜県立図書館にて。


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『ライオンの花嫁』 シューマン&シャミッソー

2013-12-18 02:05:55 | よしなしごと
 パソコンのディスクトップが煩雑なので、少し整理をと思っていたら、『ライオンの花嫁』というフォルダが出てきた。もちろん心当たりはある。
 昨年の今頃、あるところでの発表のためシューマンについて懸命に勉強していて出会った彼の歌曲の詩の一編なのだが、かなり強烈でその結末も悲惨なので、ひと通り読んだ後も捨てるのはもったいないと思って残しておいたものだ。考えてみれば、いかにもロマン派好みの内容ともいえる。

 シューマンの作品31番『三つの歌』の1番目の歌詞に相当するもので、詩はアーデルベルト・フォン・シャミッソー(1781年~1838年)によるものである。この人、もともとはフランス人で、その仏名は、ルイ・シャルル・アデライド・ド・シャミッソー・ド・ボンクールという長ったらしい名前なのだが、もっぱらドイツ語で書いたためドイツの詩人として知られている。

 ただし日本では、詩人としてよりも、『影をなくした男 ペーター・シュレミールの不思議な物語』というメルヘン風の物語作家としてのほうがよく知られているだろう。
 しかしながら本業はあくまで詩人、その代表作は『女の愛と生涯』という連作詩で、やはりシューマンによって曲が付けられている(作品42)。

               

 このシャミッソー、フランス人のくせにもっぱらドイツ語で作品を発表していたので、ドイツではそれを顕彰し記念する意味で、ドイツ以外のひとでドイツ語での優れた文学作品を発表したひとに対して、「シャミッソー賞」を設けて毎年これを表彰している。
 日本人では、多和田葉子さんがそのドイツ語での作品を評価され、1996年に受賞している(彼女の芥川賞受賞は1993年『犬婿入り』)。

 さて、「ライオンの花嫁」に戻ろう。その歌詞の邦訳(訳者不明)を下に掲げておく。
 冒頭に「ミルテ」が出てくるがこれは「銀梅花」という花で、掲げた写真を見ていただきたい。花嫁のブーケなどに使用されるというが、いかにもという感じである。
 なお、同じシューマンに、『ミルテの花』(作品25)という歌曲集があるが、こちらの方は、1840年9月12日の結婚式の前日、「愛する花嫁へ」と添え書きをしてクララに贈られた歌曲集で、クララの父親の反対もあって、法廷闘争までも経てやっと愛するクララと結婚することができるというシューマンの幸せと愛で溢れている作品である。

 対照的に下の『ライオンの花嫁』の方は暗い曲調で、歌の出足はロシア民謡の「トロイカ」(長調ではなく単調の方)に少し似ている。




   ミルテを飾り 花嫁の宝飾を身につけて
   檻番の娘、バラの乙女が
   ライオンの檻の中へと足を踏み入れた、ライオンは横たわる
   主人の足元に、まとわりつくように

   力強き獣は、かつては野生で気が荒かったが
   従順で賢そうに今や主人を見上げている
   若い娘は、優しげに喜びにあふれて
   愛おしそうに彼を撫で そして涙を流す

   「あたしたち もうずいぶん長いこと経ってしまったのね
   子供のときからずっと遊び友達だったけれど
   あたしたちずっと好き合っていたわね
   そんな子供時代も もう過ぎ去ってしまった

   お前も力に満ちて揺するようになったわ、思いもしないうちに
   お前の豊かなたてがみの 王様のようなその頭を
   あたしも大きくなったのよ、わかるでしょ、あたし
   もう幼稚なこと考えてる子供じゃないの

   ずっと子供のまま お前のそばにいられたらいいのにね
   あたしの強くて、忠実で、正直なライオンちゃん
   でもあたし行かなくちゃなんないの、みんなが決めちゃったんだけど
   遠くの国へと 知らない男の人に連れられて

   カレは思ったの あたしってキレイだと
   あたしプロポーズされて、話は決まっちゃったの
   髪に花輪もあるでしょ、あたしの良いお友達さん
   涙で目がぼやけちゃったわ

   あたしの言ったこと良くわかったかしら? 怖い目で見てるのね
   あたし行っちゃうの、あなたもおとなしくしていてね
   あそこにカレが来るのが見える、もうあたし行かなくちゃ
   じゃああげましょう、お友達、あなたに最後のキスを」

   ライオンに娘の唇が触れたとき
   檻が震えたのが分かったろう
   そして彼が檻のそばに若者を見たとき
   恐怖が捕えた 不安な花嫁を

   ライオンは檻の出口のところに立ちはだかった
   尻尾を振りまわ し 力の限りに咆えたのだ
   娘は哀願し、命令し、脅かした
   外に出ようと、だが怒りに燃えた彼はそれを拒んだ

   檻の外では動転した叫びがあがる
   若者は叫ぶ:「銃を持ってこい
   奴を撃ってやる、一撃で倒す!」
   怒りに駆り立てられ ライオンは泡を吹く

   哀れな娘は思い切って戸口に近づこうとしたが
   すっかり変わってしまったライオンは主人に襲いかかった
   美しい姿は、無残な餌食と化し
   血まみれに引き裂かれ 塵にまみれる

   大切な血を流してしまい
   ライオンは遺体のそばに悲痛な姿で横たわって
   悲しみと痛みに茫然としていたが
   弾丸がその心臓を貫き 命を奪い去った


 



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「カレー屋さん?」それでもいいか・・・。そうしておこう。

2013-12-16 14:24:25 | ポエムのようなもの
 カレーをつくろうとして紙袋に玉ねぎやら人参やらじゃが芋を詰めたのをふたつ抱えて歩いていると、若い娘が短パン姿で柔軟体操をしていた。とても健康で明るそうなので、つい、「ほらほら、もっと足を伸ばして」といってしまった。若い娘は「アハハ」と笑っていたので、軽く会釈をして通りすぎようとしたら、その拍子に紙袋から玉ねぎが一個転がり落ちてしまった。
 しゃがんで拾おうとしたが、肋骨の損傷のため巧く拾えない。その娘が飛んできてくれて拾ってくれた。そしてついでに袋の中を覗きこんで、「おじさんちってカレー屋さん?」と尋ねる。「あ、いやまあ、そんなようなものかな」と曖昧に返事をすると、スキップをしながら私と並行して歩き出した。「ねえ、ねえ、今度おじさんちのカレー屋さんにお母さんと一緒にいってもいいかな」という。 実のところ、カレー屋さんではないので、少し当惑したが、こんな明るい娘がその母親と訪ねてきて三人でカレーを食べるのも悪くはないなぁと思い、「うん、いいよ、いつでもいらっしゃい」と答えると、「やったぁ~」といかにも健やかそうに腕を突き出してぴょんと跳ねた。


               

 そこで目を覚ましたのだが、目覚まし時計をセットし忘れていて、予定より寝過ごしてしまったことに気づいた。それにしてもなんという夢か。回春への欲望なのだろうか。その娘の健康そうな肢体は思い出せるが、どんな顔をしていたかはさっぱり思い出せない。
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今年の漢字、「輪」って実感ありますか?

2013-12-14 16:17:07 | よしなしごと
 毎年、今頃に発表される「今年の漢字」、今年は「輪」だそうです。
 日本漢字能力検定協会(数年前には背任横領などのトラブルが発覚)というところのキャンペーン行事だそうですから、とくに権威云々という話ではないでしょう。
 私の場合、毎年、横目でちらっと見る程度ですが、それでも例年、なるほどなとそれなりに納得のゆく点もありました。
 しかし、今年の「輪」はどこか説得力もインパクトもないですね。
 どうやら五輪決定が一番の理由らしいのですが、そんなものやる暇と金があるなら東北の復興をもっと真面目にやれと思っている向きには、ただただ押し付けがましいばかりです。

           

 さきごろ発表された「流行語大賞」も、四つを列記するということで、選定側の決断力のなさを批判されたりしていましたが、いずれにしても世相を読むことが難しくなってきているのかもしれませんね。

 安部首相の今年の漢字は「夢」だと報じられていますが、これは、特定秘密法案の強行突破や生活保護法の改正(悪)に見られるように、この人のいう「美しい日本」、「日本を取り戻す」という「夢」が叶いつつあるということの表明でしょうか。それにしても「夢」とはまた小学生の作文かそれ以下の表現でしかないようですね。

 さて、「輪」について、私に対案があるわけではありませんが、考えてみたらほかに音で「リン」と読む字はけっこうありますね。
 
 そういえば「朝日」の朝刊の時事漫画には、「倫」と書かれた紙の前で、猪瀬都知事が佇んでいる針すなお氏の作品が掲載されていました。もちろん、猪瀬氏の「倫理」を問うているものですね。ほんとうなら猪瀬氏、「五輪」の顔だったはずなのに、身から出た錆とはいえ、その言い訳はいささかも「凛然」とせず、正当性の「片鱗」をも示してはいませんね。まもなく、ご「臨終」との見方も濃くなってきたようです。
 
 私も同様に、「リン」と読む字を巡って考えて(というより、こじつけて)みました。

           

 まずは「臨」です。
 一強多弱といわれる政治体制の中で、自民党がでんと「君臨」しやりたい放題ですね。特定秘密法案の運用によっては、「臨検」という戦前の制度が考えられます。これは、現在意味されている不審な船舶などに立ち入って調べるということだけではなく、催しなどの際には、警官が「臨席」する「臨検」席という場所が設けられ、弁士が不穏な発言や機密にふれる発言をするやいなや直ちに中止を命じることができる言論統制の手段でした。もちろんそれに従わない場合は即逮捕でした。
 
 次は「隣」でしょうか。
 「近隣」諸国との関係はとみに悪化しています。いずれも「隣国」であるだけに深刻です。これは相手があることですから、こちらのありようだけでは解決しない点もありますが、少なくともより刺激しあうことは避けるべきでしょう。「死ね」とか「殺せ」のヘイトスピーチはもってのほかです。
 週刊誌等が、「日中もし戦わば」などという「臨戦」ムードを拡散するのもいかがなものでしょう。あ、この「臨」は上の項目でしたね。

 続いて「吝」です。
 なんとかミクスが幅を利かせているようですが、どうも社会的弱者にとっては「吝嗇」としか考えられない仕打ちが続いていますね。
 企業所得の減税が検討されるなか、年金や生活保護は削減され、来春には消費税の追い打ちが待っています。
 おかげでこれといって収入のない、しかもそれが増えるあては全くない私のような世帯は「火の車輪」です。そうそう、これは今年の「輪」でいいのですね。

 いろいろいってきましたが、まあ、いまの世相はあまり「輪郭」がはっきりしないということなのでしょうか。

 え、私?私の場合は「凛」としたいのですが、やはり「淋」でしょうね(あ、間違っても後ろに「病」は付けないで下さいね)。
 


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「嘘」と「ほんとう」のはざまでのコミュニケーション

2013-12-12 02:34:36 | 現代思想
 嘘をつくということは人間にのみ可能なことです。
 それは、ウソには言葉や記号が必要だからです。

 動物も嘘をつくという見方もあります。例えば昆虫などの擬態を指してのことです。
 しかし、これは人間があとからとってつけた目的論的な考え方のたまものでしかありません。つまり、擬態は天敵をだます目的をもって仕組まれたものではなく、たまたまそのような姿態を持っていたがゆえに生き延びてこられたということにすぎないのです。

 しかもこれにはもうひとつ突っ込んだ話があって、そうした擬態は、人間の視覚にとっては、「木の葉そっくり」や「木の枝そっくり」なのかもしれませんが、それらを捕食する天敵にとってどれほどの効果があるかは疑問だというのです。
 ある調査によれば、昆虫を食べる動物の胃袋を調べたところ、擬態をしているといわれる昆虫も、そうでない昆虫と同様に食べられていたのだそうです。

 したがって、「食べられないように」という目的説もむろん、「擬態」という事態そのものも、人間が自分の狭隘な五感や経験でもって断定したものにすぎないという疑いがあります。
 擬態に何がしかの効果があるとしても、それはすでにみたように、「そのために」そうなったのではなくて、「そうであったから」生き延びてきたということが本当のところなのでしょう。

           

 その点、言葉は容易に嘘を可能にします。白を黒にし、大を小にするぐらいのことは朝飯前で、時にはあったことをなかったことに、なかったことをあったことにしたりもします。
 ではなぜ言葉を使う人間においてのみ嘘が可能なのでしょうか。
 その答えは上に述べたことの中にすでに出てしまっています。

 ようするに、ないものをあるかのように表現できるのが言葉の力なのです。
 これを哲学の世界では「不在の現前」などというようですが、例えば私が「犬」といったとき、ここには犬などいないのにあなたは犬のイメージを思い浮かべることができるということです。これは名詞ばかりではなく動詞においてもそうです。
 ですから私が、「犬が来た」というと、あなたは犬がやってくることを想起します。ところが、犬が来た様子も来そうな様子もないとき、あなたは私が嘘をいったことに気づくわけです。

 ところで、こうして嘘をつくことができるという言葉の性質が、皮肉なことにも同時に、本当のことをいうことをも困難にしています。
 私がある経験をして、それをあなたに伝える場面を考えてみましょう。

 私はある経験をします。そしてそれを記憶にしまい込みます。この場合にもやはり言葉を介しています。私たちの意識や記憶というものは言葉と切り離しては考えられないのです。
 実は、この経験を受容すること、それを記憶にとどめることの中にさまざまな心理的要因があり、それらによって私の記憶は支配され加工されるのですが、この際、煩雑になりますからそれらは除外して考えてみましょう。

 私は誠実にありのままに私の経験をあなたに伝えようとします。そのために、あなたと私の関係にふさわしい言葉を選び、その経験を再現しようとします。あなたもまた、私が再現した経験を素直に文字通り受け止めようとします。
 さて、私の経験は本当にあなたに伝わったのでしょうか。

           

 これがすこぶる難しいのです。
 私の経験はひとまず言葉に翻訳されました。しかし、ここにおいてすでにズレがあります。私の経験は言葉と同じではないのです。私はそれをあなたに話します。ここにもズレが生じます。あなたは私の話を受け入れ、私の経験を自分の中で再構成します。ここにもまたズレが生じるのです。

 それに加えて、先ほど棚上げにしておいた私の側の心理的要因、そしてあなたの側の心理的要因、加えて、あなたとわたしとの関係そのものの要因も実は情報の伝達には不可欠なものであり、それらの作用のもとで、やっと私の経験はあなたに伝えられるのです。

 さて、あなたも私も誠実に私の経験を授受しようとしたのですが、その間のズレは不可避ではないでしょうか。これは例えば、私が自分がかつて飼っていた雑種を思い起こしながら「犬」といったとき、あなたが血統書付きのゴールデン・レトリバーを思い起こすようなズレの重なりといっていいでしょう。
 むろんこれらは嘘ではありません。むしろ、伝え、伝わるということが避けがたく含むズレの問題だといっていいでしょう。
 ようするに言葉は、透明で無機質な道具ではなく、それ自身ある重みをもったものだということです。
 にも関わらず、私たちはそうした負荷を背負いながらも伝え合わねばならないのです。それは私たちが、この世界の中で共存しているという事実に根ざすものであり、また、共存するとはそうしたコミュニケーションを諦めないということなのです。

 もっとも一方、こうした言葉の作用を巧みに利用して、あからさまに虚偽を述べ立てる言説もあります。これは、いわゆる詐欺やデマゴギーといわれるもので、相手の言葉への信頼を利用して、相手を欺いたり架空の事実に誘導したりするものです。

 私たちは最近、TVのニュースなどでふたつのあからさまなそれに出会っています。
 ひとつは、猪瀬知事の弁明というにはあまりにも貧しい言葉の羅列です。そしてもうひとつは、衆参両院での強行採決の連続を指揮してきた当事者である首相の、
 「まず、厳しい世論については、国民の皆様の叱正であると、謙虚に、真摯に受けとめなければならないと思います。私自身がもっともっと丁寧に時間をとって説明すべきだったと、反省もいたしております。」
 という極めて明るいトーン「反省」の言葉です。
 しかし、ここで首相が本当に反省していると受け止めたひとは多分、病的にナイーヴな人だと思います。
 こうした言説は、本来のコミュニケーションを目指すというより、言葉の壁でもってディスコミュニケーションを形成するものだと思います。
 したがってこれらは、先程述べた共存のためのコミュニケーションとは全く相容れないものだといえます。
 

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