標題の映画を観た。
別にMJのファンでもないし、さほど彼に関心があったわけではない。また、亡くなったからといって「彼は偉大なアーティストであった」などとしたり顔でいうつもりもない。
ただ、映画として面白そうだから見に行ったというのが正直なところである。
しかし、彼との縁がまるっきりなかったわけではない。彼がその兄たちと「ジャクソン5」として活躍していた1960年代をリアルタイムで知っているからだ。
まだ、5、6歳だったろうか、いずれにしても一番ちびでこましゃくれた彼のキーンと張りつめた高音はすばらしかった。
その歌声は、後年の彼を思わせるものがあったというと嘘になる。
なぜなら、そのジャクソン5のコピーのような日本のグループ、「フィンガー5」の一番ちび、晃が、変声期を迎えるにあたってハイトーンが出なくなり、急速に失速した事実もリアルタイムに知っているからだ。
(ついでながら、この晃もすばらしい歌唱力であった)
MJの映画に戻ろう。
この映画は、彼のロンドン公演のためのリハーサルを撮ったドキュメンタリーであるが、なかなか素晴らしかった。
MJの歌は、あれだけのエンターティナーだから私のような無関心派の耳にも届いていて、概略どのような歌を歌う人かは知っていたが、こうして改めて見聞きしてみるとやはりなかなかのものである。
歌もダンスも良い。彼のムーン・ウオークというのがしばしば出てくるが、それがなくとも素晴らしい。
私が感心したのは、彼の立ち姿と歩く姿勢が素晴らしいということである。彼の舞台には、鍛錬されたダンサーたちがともに立つ。しかし、それらの優れたダンサーたちの中でも彼の立ち姿と歩く姿はとりわけ目立つのである。
映像も美しく、ドキュメンタリーとしても一級品である。
リハーサルだからしばしば演技は中断され、MJとバンドやスタッフとの対話が挿入される。そうした夾雑物がまるでそれ自身音楽であるかのように呼応している。
こうしたやりとりを観ていると、完成した舞台を客席から正視するよりも、実ははるかに面白いのではないかと思う。
そんなことを思いながら観ていたら、どこかでこんな感じの映画を観たことを思い出した。数年前に観た、「ベルリン・フィルと子どもたち」だ。シチュエーションも違うし音楽のジャンルも違うから、頑固なクラシックファンには叱られそうだが、リハを重ねて表現力を高めて行く努力には変わりあるまい。
正直言って彼の表現力とリハの面白さに心酔しながら観ていた。
そしてそこでフト思い当たったのだ。1960年代に歌っていたあの少年が、今画面の中にいるMJだとしたら、彼はいくつなのだろうかと・・・。
帰ってから調べてみたら、1958年の8月生まれだから、享年50歳ということになる。しかし、画面で見る彼はとてもそうは見えない。あの激しいダンスとともに声が割れたり涸れたりすることなく歌いきることは並大抵ではないだろう。
いろいろ取りざたされているようだが、瞬間瞬間の燃え尽きるような彼のパワーが、彼の命を縮めたのかも知れないと思った。
振り返って私の50歳はどうだったろうか(こらこら、そんなもん比較するな)。当時私は、あるイベントを成功させるために懸命に飛び回っていて、それなりには格好を付けていたが、MJのあのアウラのようなものは残念ながら持ち合わせてはいなかった(当たり前だろう)。
しかし、あの映画で歌い踊っていたMJが、亡くなる二日前だということを知ると、やはりファンならずとも惜しい気がする。