六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

旧友を送る会でのハプニング

2018-10-28 01:43:09 | 日記
 

 ドイツ在住の友人にして哲学者・小林敏明氏、ご実家にご不幸があって一時帰国されたいたのだが、28日帰独されるというので、親しい仲間が集まりしばしの別れを惜しんだ。



 その席で26日が私の80歳の誕生日だったということで、サプライズのお花を頂いた。



 子供の頃より、誕生祝いはしばしばもらってきたが、今回のものはとくに嬉しかった。 
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久々の散歩道とその植物模様

2018-10-26 02:37:45 | よしなしごと
 所要で出かけたついでに、運動不足を解消すべく、そこそこの散歩。
 歩いてみて気づくのは、半世紀前、ここに移り住んだ折には一面の農地で田んぼだったところが、どんどん市街化の波に襲われ、つい最近まで田んぼや休耕田だったところが宅地に変わっていること。
 バブル崩壊後、一時期その動きが停滞した時期があったが、ここのところまた加速しているようだ。
 新しくできた建売りなどは機能本意だから、植物の生息は鉢植えぐらいに限定される。
 だから、以下の載せるような樹木に関する情景も、もう稀になるかもしれない。

*葉脈とその周囲の黄色が美しい。私が好きな木の葉。

          

*青く硬い松ぼっくり。誰に心開いて実がほぐれるのか。

          

*いつも赤い草で覆われる休耕田。こんなにびっしり赤い草が生えているにもかかわらず、この田の周辺にはその草がないのも不思議。

          

*水路に漂う落ち葉。もう枯れ葉の季節なのか。


          

*ソフトボール大の柑橘類。熟すと美味しいのだろうか。

          

*どうしてこんなに実がびっしりと付くのだろうか。ピラカンサスというのだが、和名は橘擬(たちばなもどき)と常盤山樝子(ときわさんざし)のふたつがある。
 なぜなのかを、以下のサイトが説明している。

          

 http://www.geocities.jp/sybrma/354pyracantha.html

*お茶の木は不思議だ。この時期、なお花をつけてるかと思うと、その同じ木に、立派な実がなっている。

          
          
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坂の町飯田と私&リンゴをもぐ中学生たち

2018-10-23 11:36:27 | 旅行
 先ごろの信州の旅、最後に立ち寄ったのは飯田である。
 最初に飯田という町の存在を知ったのは1947(昭22)年、この町が大火に襲われたときだった。約10時間ほど延焼しつづけたこの火事は、市の中心部など3742棟を焼きつくし、罹災戸数4010戸、罹災人員17,778人に及び、実に飯田中心街の約7割が失われたのであった。
 私が小学校3年生の春のことだった。

          

 その後、この町との縁ができたのは居酒屋を経営している頃で、出入りの酒屋の紹介で、私の店のオリジナル・ブランドといおうか、プライベート・ブランドといおうか、それをもつため、この地の「喜久水」酒造という蔵元を訪れた折である。

             

 等級は一応純米吟醸に絞り、蔵元が用意した6種類のテスト対象から、いちいち説明を聞き、自分の舌で確かめてからそのうちのひとつを選びだした。
 私の基準は、冷で提供するつもりだったから、香りを重視し、味は食い物の邪魔をしない淡麗系であった。酒の味が濃厚だと、肴類があまり進まないのだ。

          

 ブランド名は「もへいじ」にした。こうして私の店は、世界中どこにもない自己ブランドの酒を提供したのであった。
 店側のリスクは、年間一升瓶にして300本以上を引き受けることで、ほかに岐阜県産酒をお燗用にもってはいたが、それは楽勝だった。そうした大量仕入れだったからコスパもよく、顧客も値段の割に美味いといってくれた。

          

 そんなこともあって、契約やらその継続やら、若干の味の修正やらで、数回以上はこの町を訪れた。
 そのうちの2、3回はその中心部にある名所、数百メートルに及ぶリンゴ並木へも行っている。このりんご並木こそは、冒頭で述べた飯田大火の後、その復興を祈ってつくられたもので、飯田復興のシンボルとして、今ではこの町のランド・マークとなっている。

          

 ところがである、そのリンゴ並木に行ったいずれの機会にも、リンゴが実っているのを目撃したことがなかったのである。
 だから今回、この時期だからひょっとしてとわざわざ高速を降りて立ち寄った次第なのだ。

             

 というわけでリンゴ並木に行ったのだが、折からの小雨模様にもかかわらず、何やら騒がしい。
 並木のリンゴはたわわに実り、その樹下には若い嬌声が広がっていた。何というラッキー、その日はこの並木のリンゴを育てている飯田市立東中学校の生徒たちによる収穫の日だったのだ。

          

 リンゴの種類により、その収穫の時差があり、8月と10月(私が立ち会った日)と11月の3回に分かれるのだそうだが、この10月のものが間違いなくもっとも多い収穫であったと思う。
 リンゴをもぐ子らの表情は晴れやかで明るい。
 私にあんな表情が可能だったのはもう六十数年前のことだ。

          

 なんだかこちらまで爽やかな気分になって、次に訪れたのは、りんご並木から数十メートルという距離にある、川本喜八郎人形美術館。
 ここには、NHKなどでおなじみの、「三国志」や「平家物語」の人形劇で、その精巧な人形で名を成した川本喜八郎の作品が絢爛豪華なまま展示されている。

          

 ロビーの諸葛孔明像以外は撮影禁止なので、その実態を映像としてお伝えすることは出来ないが、それら人形のディティールまでの緻密さ、衣装の豪華さ、どれひとつ同じ表情のないそのオリジナリティ、それらにただただ感服するばかりだ。

          

 人形館を出ると、先ほどリンゴをもいでいた中学生たちが家路に帰るところだった。もいだリンゴのいいものは業者に卸し、その他はジャムやジュースの加工品にすると言っていたが、手にした袋には若干のリンゴが入っている。
 先ほどいろいろ尋ねた女の子だろうか、すれ違いざまの「失礼しま~す」の挨拶も清々しかった。

 人形館の写真、一番上は撮影を許可されたロビーで私が撮したもの
  下の二枚な館内撮影禁止のため、同館のHPから拝借したいろいろな人形像



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大王わさび農園と黒澤明の「夢」

2018-10-21 01:19:13 | 日記
 先ごろの信州の旅、松本から少し北上した安曇野の大王わさび農場に立ち寄った。ここは北アルプスからの流れ、蓼川の清流をうまく使った植え付け面積日本一のわさび園である。

          

 以前、夏に来た折は、黒い日よけ(日射しが強い時期はこれが必要らしい)がわさび畑の表面を覆っていて、緑の広がりを期待していた私を落胆させたのであるが、今回は覆いもとれて、緑のわさびの列が伸びやかに走っていた。

             

 長さ一キロにも及ぶわさび畑も確かに見どころなのだが、ここにはもう一つの呼び物がある。
 それは、黒澤明監督の晩年の作品『夢』の第八話(最終章)で、笠智衆がでてくる「水車のある村」のシーンのロケ地がここだからである。

             
          
 
 あの映画に出てくる水車は未だ健在で回っている。ただし、映画ではたしか三連車で、今も三つの水車が回っているのだが、それを一挙にカメラに収めるには対岸に行かねばならず、そのルートが見つからないままひとつの水車のみを撮してきた。

          

 ちょうど昼時だったので、レストランでご当地ならではの「わさび丼」を食べた。レストランには、アメリカ人観光客がかなりいたが、彼らも器用にわさびを自分で擦ってわさび丼を賞味していた。

          

 売店で、一本700円のわさびを買い求めてきたので、いまも冷蔵庫の野菜室に入っている。とびきりうまいマグロの赤身などにつければ最高なのだが、それもままならず、一度、生キハダに付けたが、あとは奴豆腐などに使っている。
 でも、香りがいいから、擦り下ろしたものに醤油をポチョンと落としただけで酒が飲めたりする。
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草間彌生ワールド@松本市美術館

2018-10-18 01:27:29 | 日記
 先ごろの信州への旅では、松本へ立ち寄った。松本城(国宝)やその近くの旧開智学校(重要文化財)などへも立ち寄ったが、ここでは松本市美術館について記したい。

          
 
 などと偉そうにいっても、生憎の天候と夕闇が迫っていた関係であまり時間がとれず、企画展も常設展もパスをして、ということはほとんど館内に入らなかったのだが、お目当ての草間彌生のオブジェなどを観るにとどめた。

          

 なぜここで草間彌生がフィーチャーされているかというと、この松本市こそ、彼女の生まれ育ったところだからである。なぜこんな山都で育った人がという思いもあるが、大都会育ちでも精神的田舎者がゴマンといるから別にこだわることはあるまい。

          
          

 ありがたいことに、そのでっかい作品や、あらゆるものが水玉に彩色されたオブジェたちは、野外やそれに続く一角にあって、自由に鑑賞できる仕組みになっている。

          

 とにかく面白い。草間の作品への執着は鬼気迫るものがあるという人がいるが、そして実際にそうであるのかもしれないが、その辺を感知し得ない私には、まるでテーマパークの装飾のように楽しくかつ面白く感じられてしまうのだ。

          
          

 彼女の作品は、統合失調気味である彼女の苦吟の結晶だという人がいる。そうかもしれない。しかし彼女は、これらの作品を生み出すことによって自分の在り処を示したのではないだろうか。

          
 
 苦吟か苦悩かはわからないが、それを作品として対象化することは彼女にとってはある種の快楽であったのではないか。だとすれば、それを享受する私が素直に楽しく受け止めることは一つの応答ではなかろうか。

          

 それらを観ながら、8年前の「あいちトリエンナーレ」で、彼女のデザインによる赤い水玉模様が施されたバスや車が名古屋市内を走り回っていたのを思い出した。
 それらは、都市に投げ込まれたある種の異化作用かもしれないが、私にはそれらは日常的にそこにあっても少しもおかしくないように思われた。

          
          

 ひと通り観終わってから、無料では申し訳ないと、売店に立ち寄り、草間さんの作品による絵葉書を何枚か求めた。
 ここは、松本にお越しの際はぜひお立ち寄りになると面白いお勧めのスポットだ。

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ゆかしいというイメージばかりでもないようで

2018-10-17 18:07:57 | 日記
 以下の写真は、散歩の途上で見つけたある野草の実の部分です。
 なんの実かお分かりでしょうか。

          

 もう少し引いたものを載せましょうか。
 これだと葉の形状もわかるのではないかと。

          
 
 全体像はこんな感じです。
 もうおわかりですね。

           

 そうなんです。
 スミレなのです。

 
 芭蕉の『野ざらし紀行』に、
  「大津に出づる道、山路を越えて」という前置きのもと
    山路来て何やらゆかしすみれ草
 という句があります。山路を越えたところでこの花を見たら「何やらゆかし」となるのでしょうね。

 しかし、私の住むような半市街地では、この花はアスファルトの裂け目とか、ブロック塀の下などに生えていて、ゆかしい半面、とても逞しい感じがするのです。

 ところで芭蕉先生、他のところでもスミレを詠んでいて、そこでは
   何とはなしに何やらゆかしすみれ草
 なのだそうです。
 使い回しをしたのでしょうかね。



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机龍之介、若山牧水@紅葉の白骨温泉 

2018-10-16 00:56:10 | 旅行
 松本から高山を経由し福井へ至るという国道158号線、途中の分岐から急峻な坂を登る。標高は1,400メートル、かつて秘湯といわれ、今なおその面影を持つ白骨温泉に至る。
 名前がいささか奇っ怪ではあるが、「ハッコツ」と読んではいけない、「シラホネ」と読む。

     
                

 その名の由来はもともとは浴槽の内側が石灰分の結晶で白くなることから白船と書かれ「シラフネ」とも呼ばれていたのが、大正2年、中里介山の長編小説『大菩薩峠』の「白骨の巻」の中で白骨温泉と称したことからこの温泉が一躍有名になり、そのまま「白骨」が通称になったという。

     
                

 ということで、ここはその小説の主人公、机龍之介の滞在地であり、当然、中里介山も滞在している。
 この中里介山、当初は「平民新聞」に籍を置いていて、その周辺にはかの大逆事件で処刑された人々もかなりいたという。『大菩薩峠』の机龍之介の虚無的なありようには、そうした体験が反映されているのかもしれない。

             

 温泉の集落入口付近には、それに関する石碑が建っていて、それには
 「白骨の地にゆかり深き
    中里介山先生作
     小説 大菩薩峠 記念碑」
 と、刻まれていた。

     
                

 ほかにこの地を愛した文人としては若山牧水がいて、胃腸の病を癒すことも含め、ここに一ヶ月近くも滞在し、その間、歌を詠んだり、この地に関するエッセイを書いたりしている。
 「秋山に 立つむらさきぞ なつかしき 墨焼く煙 むかつ峰にみゆ」がこの地で詠んだ歌だが、かつて滞在した旅館の近くに建つその歌碑には、この歌の下に、亡き牧水を偲んでこの地を訪れたつれあいの喜志子の歌も刻まれている。
 「亡き人の あとをたづね来て みいのちの いまだ盛りて この山の 秋を惜しみつつ ありし人をや」がそれである。

             

 そんなこともあって、ここの湯元齋藤旅館には、介山荘、牧水荘と名付けられた部屋があるようだ。

     
                 

 いささか文学じみた話になったが、ここを訪れた10月10日、もう紅葉が始まった山々や渓谷に囲まれた温泉地の景観そのものがみものだった。晩秋の頃の哀愁はまだはなく、明るい秋の彩り、いってみれば川合玉堂の山里図のような澄み切った空気が一帯に漲っていて、さして天候は良くなかったのだが、どこか清々しいものがあった。

             
 
 温泉地の入り口にある竜神の滝も、あまりおどろおどろしくない、どちらかというと優美な感じで、瀑布の威圧感はなかった。

     
                 
 
 いまなお秘湯の面影をとどめているこの温泉に、今では考えられないような手間ひまをかけて人々が訪れたり、文人たちも通ったというその魅力とは、山中の孤島ともいうべきその隔絶感にあったのかもしれない。
               
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わが家のビフォアー&アフター 台風21号始末記

2018-10-14 01:45:07 | 写真とおしゃべり
 9月4日に襲来した台風21号でわが家のガレージの屋根が吹っ飛んだことは前に書いた。その修理代に五十数万円の見積もりが出て泣いていることも書いた。

          

 しかし、泣いてばかりもいられない。壊れた屋根は直さなければならないし、かといって五十数万円も支払うことはできない。問題の解決は奈辺にあるや?
 まずは、なぜ五十数万円もかかるのかの分析から。業者いわく、「壊れたガレージの方式はもう古く、これを撤去して新たなカーポートを設置したほうがよい、ついては、その撤去費に20万円ほど、新たなカーポートの代金並びに設置費が三十数万円、合わせて五十数万円」というわけだ。

          

 しかしだ、「ちょい待ち草の痩せるなさ」だ。本当に前の方式は古く、壊れた屋根部分のみを葺き替えるということはできないのか、と業者に迫った。この人は、その方式に合わせて職人さんを紹介してくれるプロデューサーのような人で、信頼できるからこその体当たりだ。「探してみます」がその返答。

          

 そしてしばらくして、「屋根のみの葺き替えでやります」との返答が。で、その価格は?というと、なんと前回の見積りの撤去費用の20万円とちょっとでできるという。ならばその、「ちょっと」という端数を切り捨てて、20万円ちょうどでどうだと談判し、それで契約。
 で、この12日、職人さんが3人入ってほぼ半日で壊れた屋根部分の撤去と新しいものへの葺き替えが完成。

             

 前のものは乳白色だったが、新しいものは薄い赤紫、ちゃんと光は通すから落ち着いた色調になった。波トタンの重なる部分が生み出す幾何学模様も美しい。
 台風の被害から一ヶ月半、ちょっと時間は経ったが、粘った甲斐はあったというもの。

          

 工事の過程を見ていたが、職人さんの仕事というのは無駄がなく連携プレイでどんどん進む。その間に、彼らの培ってきた経験と技がほの見えて、見ている方まで爽快になる。
 こういうのを見ていると、AIやロボットが進化しても、その場その場で異なる状況判断が必要なこうした職人技は、単純な流れ作業とは違ってなかなか取り替え不可能ではないかとも思う。甘いかな?

          

 それはともかく、といったようなわけで、当分はガレージに行くたびに上を見上げて、ささやかな自己満足に浸っている。
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百均ショップの心理学?

2018-10-13 01:19:33 | 日記
 先月末、私んちから数分のところに百均ショップがオープンした。
 当面、別に要るものはないが、郵便を出しに行くついでにどんなものがあるのか覗いてみることにした。必要なものができた折に備えての偵察というか、たんなるひやかしのようなものだ。
 百均とはいえ、何年か前までは中型のスーパーで、その後しばらくはドラアグストアーだったところだから売り場面積はかなり広い。この変遷には、この商域を舞台としたスーパー、ドラッグストアーの熾烈な闘いがあるのだが、それを書くと長くなるので省略する。

          

 百円でよくもこれだけというくらいの品揃えだ。とくに目的はないから、どこにどんなものがあるかを把握しておくべく、ひと通り見て歩くことに。
 最初はふ~ん、なるほどといった感じ。普段からあまり関心のない分野のものや、アイディア商品などは一体何のためにどう使うのかもよくわからない。そんなものをいちいち手にとって見ていては時間がかかってしょうがない。

          

 ほどほどにスルーして見てゆくうちに、ん?これは要るなぁというものに出くわす。あ、これも要る、それから、これも寒くなったら必要になるかも・・・・といった具合で、気がつくといつの間にか店内の随所に置かれているかごを抱え込んで、何品かをその中に。こちらからの主体的需要というより、商品を並べられた結果、受け身の需要が喚起されるということなのだろう。
 
 おまけに、あ、あれが必要なんだったと思い出すものもあって、「〇〇はどこにありますか」とこちらから店員さんに尋ねる始末。そして、それがないと残念がっている自分がいたりする。オイオイ、ひやかしだけだったのじゃやないかい。

          
 
 さらに歩を進めるうちに、自分の中の異常な購買意欲にはっと気付く。ちょっと見に来ただけのつもりなのに、「もっと買うものはないのか。もっと買わなければ」と目を皿のようにして探している自分がいるのだ。おそらくこれには、「だって百円だろ。買い物に失敗してもそのリスクは極小だし、うまくゆけばものすごく得じゃん」という意識が強迫観念のように作動して購買意欲を刺激しているのだと思う。

          

 それに気づいた段階でもう買うのはよして、どうでもいいものは棚へ返し、レジへ。
 残ったものは以下の六点。
 ・トイレ掃除用柄付きブラシ
 ・風呂の壁面掃除用柄付きブラシ
 ・食器用洗剤
 ・食器洗い用スポンジ6個セット
 ・冬季用スリッパ
 嗚呼!主夫魂全開の選択ではないか!

 え?ひとつ足りない?ん~、それはお遊び。
 最近、友人がかっこいいデジタル腕時計をしているのを見て、「それいいね」と言ったら、「これ百均で」ということ。その時は、百円なら安いなぁと思ったが、よく考えたらスマホをもってれば時計は不要だとも思った。
 しかし、今一度考えたら、いちいちスマホを取り出して時間を見るのも面倒だから、腕時計もありかなとつい買ってしまった次第。

          

 恐るべし、百均の魅力!ついつい買ってしまう裏には、失敗してもリスクは少ないという安心感、うまくゆけば、百均を利用しないで数百円で買っている連中の鼻をあかせるかもという快感への誘い・・・・などなどがある。
 かつて、テレビ通販の黎明期、ついついダイアルをして買ってしまい、家中がガラクタで埋まるという通販依存症が問題になったことがある(今も、ネット通販も加わってそれがあるかもしれない)。
 百均ショップがこれだけの規模で展開し、ウィークデイでもそこそこの顧客がかごを抱え、多い人は何十点も買うのをみると、そのうちに「百均依存症」が問題になりはしまいかと、私の中の妄想癖や要らざる杞憂症が全開するのであった。

写真 上の三つは今年7月、前身のドラッグストアが閉店した折のも。下の二つは今回オープンした百均ストア
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後ろ向きなのだろうか? 夏の思い出・・・・。

2018-10-09 02:17:09 | 想い出を掘り起こす
 9月は、21号台風でガレージの屋根が吹き飛ばされン十万の支出を余儀なくされたり、以前なら2、3日で治った風邪に10日間ほど粘られたり、さらには、ここでちょっと書けない事態に直面させられたりで、ろくな思いはしなかった。
 
 10月は、ほとんど外出しないで、次に同人誌に書くための基礎的な勉強をしている。実際に発表する文章はできるだけ平易なものにするつもりだが、その基礎はしっかり固めておきたい。
 そんなことで、ヒッキーよろしく、ほとんど外出もせずに「公的世界」がなんたらとか、「日常性からの頽落」ってなんなんだとかいったことを勉強している。
 頭が固くなっているから、それも遅々として進まない。

 心身ともに疲れた折に、8月のロンドン、パリへの旅の写真を整理している。わずか2ヶ月前なのだが、もう遠い昔のような気がする。

       
          

 ここに紹介するのは、自分でも印象深いものだ。
 二枚の女性像のうち、帽子をかぶった方は、最初はオープンカフェの宣伝のためのマネキンかと思った。写真を撮ったあと、動いたので驚いた。「ソーリー」と小声でいったが届いたかどうか。

 もう一枚、公園で憩う女性は盗撮気味。スマホに向かい合う表情が素敵だった。
 なお、この公園にはリスがいて、餌がもらえるのを期待して人の周りをうろちょろする。
 これらはいずれもロンドンで撮ったもの。ロンドンには一週間いて、観光スポットには載っていない街々をけっこう歩いたが、想像していた以上にいい街だった。

          
       

 最後は、トランジッドで立ち寄ったヘルシンキ空港で見かけたシベリウスのサインを施したリムジンバスである。背景の楽譜は、彼の作品にしてフィンランドの第二の国歌という「フィンランディア」であろうか。

       

  苦難の9月を忘れるために、8月を回顧する・・・・過去への志向はやはり私のような老人の逃避の行為なのだろうか。
 もう、未来への希望はもてないのだろうか。
 若い人たちが、私以上に日常性を超えた未来への希望をもってはいないようにも思われ、それもまた哀しい。


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