六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

好事魔多し(ってほどのこともないが)

2008-09-29 15:29:19 | よしなしごと
 涼しくなったので自転車でかなりの距離を行く。
 まず県立図書館。約4キロの道のり。
 今日はいつものようにあまり多くの本は借りない。
 これから名古屋へ行くから荷物が多いのはいやだ。

 自転車置き場の辺りで、ハナミズキの写真を撮る。
 秋が急速に深まりつつあることは一目瞭然である。

 
         紅葉し始めた葉の中でびっしり赤い実が

 そこから岐阜駅へ。やはり4キロぐらいか。
 私の家、図書館、岐阜駅を巡ると図書館を底辺としたV字になる。
 ちなみに私の家と岐阜駅は約2キロである。
 一巡すれば10キロという計算である。

 
            一つ一つはこんな具合

 ただし今日は、駅近くの実家の軒先に自転車を置いて名古屋へ。
 名古屋駅前で映画を観る。
 モントリオール映画祭で金賞を取ったとかいう『おくりびと』。
 良くできたエンターティメントである。
 山崎 努が出ると画面が締まる。
 もっともいつもあんな感じなのだが。

 映画が終わって外に出ると、街はもう黄昏の中に包まれていた。
 昼の無機的な感じに比べ、夕陽のベールがかかるこの時間帯の街はどこか優しい。

    
          黄昏の名古屋駅とセントラルタワーズ

 夕方から某所で親しい人たちと飲む。
 映画や音楽の話が弾む。
 あっという間にタイムリミット。
 寝過ごさないように岐阜まで帰る。

 実家の軒下に置いた自転車の前まで来た。
 ないのだ。
 いや、自転車はある。
 しかし鍵がないのだ。
 電車の切符を買ったりしているうちに、小銭入れなどに引っかかって落としてしまったらしい。

 
         ブランド店の電飾とウインド 名駅前で

 まあ、うちには予備があるから安心だがどうやって帰るかだ。
 飲んでいなかったらぶらぶら歩いても20分もすれば帰ることが出来るのだが、結構飲んでいて、夜も遅い。
 思い切ってタクシーに乗る。
 出費も痛いが、いろいろ話しかけられるのが疲れた身にはこたえる。
 さいわい寡黙な運転手で助かった。

 うちに帰ってパソコンを開いて、いっしょに飲んだ人に無事帰館のメールをしたところで、パソコンの文字が揺らぎ始めた。
 明日は自転車をとりに行かなくっちゃぁ。
 先週末の一日である。







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季節の通り道と伊勢湾台風と脱線

2008-09-26 17:04:13 | よしなしごと
 暑さ寒さも彼岸まではどうやら今年も当たったようで、朝夕の涼しさはうっかりしていると身震いするほどだ。
 昨夜の集まりには長袖のシャツで出かけた。

 季節感というのはむろん時間の節目で、それ以前とそれ以後とを比較して私たちはなくなったものや新たに現れたりするものを知る。その生成消滅こそが時間そのものといえる。

    

 雨に叩かれてぎんなんが散乱している。
 一つ一つは愛嬌があって可愛いが、手に取るとえもいわれぬ匂いがする。

 

 4月の29日にコノテガシワ(児手柏)に目だたぬが可愛い花が付いているのを日記に載せた。

 

 その同じ樹に、異様なものがくっついている。
 はじめはカマキリなど昆虫の卵かと思った。
 しかしよく見るとどうやらこの樹の実らしい。
 面白い格好をしている。

    

 花嫁からもらった花を飾った。
 室内が明るくなった。
 いつまでも咲き続けて欲しいと思うがそれは無理な相談であろう。

    

 とってつけたようだが、今日は伊勢湾台風から49年目だということである。
 前日から私は、旧六連隊の兵舎跡である学生会館で寝ていた。
 そんなにひどい風だとは思わなかった。
 市役所前で風に叩きつけられた雀の死骸が無数に散乱しているのを見て、これはえらいことだと始めて実感した。

 今ほど情報の伝達が早くなかった時代である。
 それにしても旧六連隊の兵舎は頑強であった。
 お上の建物は皆そうだったのだろう。
 官尊民卑の象徴のようですらあった。

 まあ、今でもその辺は変わらないのだろうが。

 

 大久保利通以来五代続く政治家の末裔が、ついに頂点に登り詰めた。
 私のように、家系図すらろくにない由緒正しい庶民のことをどこまで分かってもらえるのだろうか。

 どうやら季節の通り道は脱線気味である。



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生まれ育つこと=新しい始まりの始まり

2008-09-24 00:28:22 | 現代思想
 猫のさんこさんが、そのブログ「さんこの日記」で、最近の幼児の殺戮事件に痛く悲嘆し、その思いを綴っています。
    
    http://blogs.yahoo.co.jp/chieko_39/archive/2008/9/22
 
 それに共感して私はコメントを寄せました。
 以下はそのコメントを幾分手直ししたものです。
 併せて、この間撮りためた子供の写真を載せてみます。 


    ===============================

 ハイデガーが「死への先駆」を説いたのに対し、ハンナ・アーレントは「生まれることの根源的重要性」を対置しました。
 「可死性」ではなく、「出生性」の強調です。
 出生性こそ新しいものの始まり、新しく始めることの始まり、従来「必然」と見なされていたことを覆す「自由」の可能性への出発だというのです。
 要するに、新生児の生誕ごとに、この世界には新しい事態やそれへの始まりがもたらされるのです。

 子供たちが生まれること、そして育つことはそうした可能性を孕んだ出来事に他なりません。子供たちの誕生と成長こそが、この世界が日々更新されることなのです。
 したがって、その芽を摘むということはあらゆる暴力のうちでももっとも根源的なものといえます。

 人間が生まれるのは死ぬためにではなく、新しいことを始めるためなのですから。

 
 

 

 

 

 

 

    


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今池祭り私的速報・続き

2008-09-22 18:00:54 | 催しへのお誘い
 二日目、雨に祟られた時間帯もありましたが、つつがなく終えたようです。
 実行委員の皆さん、本当にお疲れさんでした。
 今回はいろいろ私的にもお世話になりました。
 感謝、感謝の20回目でした。


    

 

 

    

    

 

 


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今池祭り・私的速報

2008-09-21 04:22:36 | 催しへのお誘い
 なに~これ、なんやしらん、ぞろんぞろんとしとらへんきゃぁ。
 
 アホか、ほんだでおもしろいんだぎゃぁ。
 「みぎむけみぎ」でにゃぁところがおもしろいんだて。

 ほ~いやぁ、みんないろいろだなも。

 ほーだぎゃぁ。みんないろいろにじぶんをだしとるところがおもしろいんだぎゃぁ。ようみたってちょう。

 ほんならもっぺん、だれがどこでなににやっとるかみてくるわ。

 そうしやぁ、あんぎゃぁおもしろいもんがあっちやこっちにあるでよう。
 あした(21日)もやっとるで、ゆっくりみたってっちょう。



 

    

 

    

    

    

 

    

 
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帽子をかぶって出かけます。

2008-09-20 11:50:26 | 催しへのお誘い
 台風一過、またまた暑さがぶり返しています。
 これをもっとも喜んでいる人たちを知っています。
 半年近くにわたって地域の祭りを用意してきた今池の人たちです。
 今日、明日と二日間の天候は保証されたようです。

 
 
 「今池ハードコア」の人たちも全国からやってくるでしょう。
 私もこれから出かけます。
 お祭りらしく少し派手な衣装にしようかなとも思います。
 やはり帽子は欠かせないようです。

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私たちに汚染米を食わせる構造的犯罪

2008-09-19 15:05:57 | 社会評論
 当初、三笠フーズの汚染米横流し事件として始まったこの一連の問題、事務次官の更迭、農水相の辞任(実質は更迭)にまで発展しましたが、その背景には、こんなことでは収まらない構造的犯罪とも言える問題があります。
 三笠フーズなどは、それに便乗したずるがしこい狐にしか過ぎません。
 農水省を主体とした構造的犯罪の実態を列挙してみます。

1)農政失敗のツケ
 日本にはお米がどっさり余っています。なのになぜ汚染米を含んだ輸入米が入ってきたのでしょう。
 それは農水省が長年の農業政策の失敗の中で、なおかつ自民党を主体とする与党への農家の支持を取り付けるため、他国からの米の輸入に778%という法外な関税を課したため、国際的な批判を招き、結局、毎年、国外からおよそ77万トンの米の輸入を義務づけられたことにあります。
 いわゆる、ウルグアイ・ランド合意といわれるものです。
 ここに、日本の農政が「ノー政」であったという事実、そしてその解決を先延ばしし、小手先のやり繰りで誤魔化してきたという歴史的怠慢と犯罪構成の大前提があります

2)食の安全の放置
 こうして米が輸入されることになったのですが、農水省には当然、それらの米が安全なものであることを監視する義務があります。にもかかわらず、その監視を怠ってきた結果として大量の汚染米が入ってきました。
 しかもです、今回発表されたのは抜き打ち検査でかろうじて発見されたもののみで、そのずさんな検査をくぐり抜けて既に食用として消費されたものはさらに多いと思われます。
 ここに、第二の怠慢と犯罪があります。

 

3)故意に輸入した?
 しかもその上、どうもそれが汚染されていることを知りながら輸入した疑いすらあるのです。
 それは先に見た農家からの票集めと関連するのですが、むしろ、出来るだけ食糧として市場に出回らないような米を輸入した方が米の価格、ひいては農家への影響が少ないからです。
 ですから、そうした汚染米はむしろフリーパスで大量に入ってくることとなりました。

4)糊は米から作られてはいない!
 こうして、汚染米は糊などの工業用に回せばいいという安易な構造ができあがります。
 そしてここにも問題があるのです。なるほど、汚染米は糊に回せばいいのだと思いこまされてしまうのですが、実は糊は「米偏」がつくにもかかわらず、その原材料は圧倒的に小麦のデンプンを使ったものが多く、米を使った特殊な糊は1%未満ともいわれています。
 ここに既にして、汚染米が「工業用」としてではなく使われる素地があります。
 農水省はもちろん、それらの事実を知りながら、三笠フーズ以下が買い取った汚染米のその後の行方への監視を怠っていました。

5)接待と献金による目こぼし
 しかもそれは単なる怠慢ではないのです。
 そうした流通を監視する部署の責任者が三笠フーズの接待を受けていたり、三笠フーズの別会社(社長は同一人物)の辰之巳米穀から自民党への100万円以上の政治献金がなされていたことから、その監視の目が故意に緩んでいたことは容易に想像されます。
 事実、それが実施された数年前から、今回のような不正販売が行われるようになったのです。
 また、当初、太田農水相が「たいしたことはない」と強調していたのも、自己の責任を暴かれることを恐れたと同時に、それら不正業者をかばう意図があったとも思われます。

 

6)責任転嫁で告発者顔
 農水省は、今頃になって汚染米が流通していた経路を公表しました。それが100%であるかどうかはともかく、その公表の対象になったところには、明らかにそれが汚染米であることを知らずに買ったところも含まれています。
 情報の公開という面ではやむを得ない点もありますが、それらの企業にとっては死活問題です。
 問題は、今回の事態は上に見たようにどう見ても農水省自体が絡んで作ってきた犯罪であるにもかかわらず、その点はしれーっと頬被りをし、自らを告発者であるかのように言い立てていることです。
 これでは汚染米をそれと知らず食わされてしまった私たち、それと知らず(知っていたところはもちろん除く)に原材料として使ってしまった企業はたまりません。

7)結論
 農水省は今回の事態の解決と今後の防止策を明確にすべきですが、その前提として、その発端は農水省の無能と犯罪を誘導する政策にあったことと、また、それを隠蔽し続けてきた自らの癒着体質とを徹底して明らかにし、まずその全面的な責任を認めるべきだと思います。
 それは、事務次官の更迭や、農水相の辞任でピリオドが打たれるような問題ではありません。
 と同時に、「ノー政」といわれた小手先のみの集票政策ではなく、日本の農業の抜本的な見直し策を講じる時期だと思います。
 食糧危機が叫ばれ、自給率が問題になる一方、休耕田があくびをしている事態をいつまで続けるつもりなのでしょう。

 
 歴代の農水相の任命にも問題があります。
 ここ三代続けて、嘘つきや阿呆が農水相に就任しています。上に書いたような重要な問題が山積しているにもかかわらずです。
 与党は、農業などの第一次生産業を徹底して舐めているのではないでしょうか。
 わずかな助成金などをばらまけば、百姓などはチョロいものだという意識があります。そういえば、「ばらまき王子」が次期総理の座を狙っているのも気になります。
 その辺から改めてかからねば、今回のような事態は避けられないように思います。






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大ネズミと高齢者力士@秋場所

2008-09-18 04:18:32 | インポート
 こびとカバほどもある大きなネズミがこちらを見ていた。
 モルモットの仲間かも知れない。
 褐色の毛並みの中に、ヨーロッパの王族の紋章のような模様が浮き出ている。
 そいつが少し口を歪めて笑った。
 口の中が赤いというより色褪せたピンクのようで、先が少し欠けた門歯が見えた。
 ネズミの仲間のくせに、ミュウという猫まがいの鳴き声がした。
 明らかに嘲笑とそれに少しの憐憫が込められていた。
 何でお前ごときにと起き上がろうとするが身体が動かない。
 どうしようもない脱力感の中でこれは悪夢だと思う。
 悪夢なら放置すればいいと諦めがちに自分に言い聞かせる。
 その途端に目が覚めた。

 
    こないだの中秋の名月 も少し芸のある撮り方は出来ないのか

 時計を見やると、眠りについてからまだ二時間ほどである。
 頭がどんよりしているのはまだまだ身体が睡眠を要求しているからだ。
 だが、眠ることが出来ない。
 寝なければ、と思うと逆に眠ることが出来ないのだ。

 
      母の病室から・1 左の山が岐阜城を擁する金華山

 白昼夢のような空想の連鎖に身を任せる。
 もし、時間を遡行することが出来たら・・。
 もし、不可能を可能にする術を身につけたら・・。
 つまらない連想が続くが一向に眠ることは出来ない。
 シニフィアンの連鎖としての様々なイメージが立ち現れるが、それらは睡眠へと収斂されることなく、勝手気ままに暴走している。

 あっという間に二時間ほどが経過する。
 このままでは明日がピンチだ。
 そこで起き出して、今宵二錠目の睡眠薬を飲む。
 一度ベッドを離れた分だけ目が冴えてしまったようだ。
 再び、言葉から言葉、イメージからイメージへのとりとめのない乱舞が始まる。
 しかし、徐々にだが、追加した睡眠薬が効き始める。

 
             母の病室から・2

 六五歳を過ぎて大相撲の力士になった。
 結構話題になったものだ。
 しかし、この秋場所はどうも駄目だ。
 初日からずーっと出ていないのだ。
 星取り表には、「や・や・や」が並んでいるはずだ。
 四日目、思い切って国技館へ出かける。
 私を見かけて、若い衆たちに不安などよめきが広がる。
 「親方を呼んで欲しい」というと一人がすっ飛んでいった。

 やがて親方が出てくる。
 どういう訳か国技館の周りは敗戦直後の焼け野原のように瓦礫の山である。
 その傍に腰を下ろして親方と話す。
 「分かっているとは思うけど・・」
 と、親方が悲壮な表情とともに言葉を濁す。
 私が知らないところでなにかが決められてしまったようだ。

 
              電線心と秋の空

 そのとき、瓦礫の山の一角に残っていた建物から、けたたましい騒音が聞こえた。
 その建物はどうやら交番で、しかも今様のそれのように鉄筋作りではなく、トタン葺きかスレート葺きのようである。
 なぜそれが分かるかというと、その屋根の上で、一人の男が奇声を発しながらまるでトランポリンのように縦方向に飛び跳ねているからである。
 何を言っているかは分からないが、傍らの警官のそれは分かった。
 「おい 待て! ここはアフリカではないぞっ!」
 と、叫びながら、男同様に屋根の上で縦方向に飛びながら男を捕らえようとしていた。
 しかし、警官の跳躍がボコッ・ボコッと萎縮したものであるのに反し、男のそれははるかにリズミカルで高く高く飛び跳ねるのだ。

 野次馬が集まってきた。
 ここで野次馬に私を目撃されるのは不都合だという判断があった。
 そこで傍らの親方を振り返ったのだが、もはや彼の姿はなかった。
 私は空疎なまま取り残され、叫びにならない叫びを上げたように思う。

 
         私に会いに来てくれたアオスジアゲハ
        撮影中はじっとしていてその後飛び去った


 そこで目が覚めた。
 合計睡眠時間は四時間半ぐらいであろうか。
 私の場合は不眠ではない。
 寝付きはいい方である。
 問題は途中覚醒で、それから後が眠れないのだ。
 
 秋場所も今日は五日目、こんな状態で土俵に登ることができるだろうか。
 私には高齢者力士としての責任がある。
 私をかばってくれたであろう親方にも、このままでは申し訳ない。
 また、あの大ネズミに嘲笑されそうだ。
 
 
 
 






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「活到老 学到老」という言葉

2008-09-16 01:02:31 | よしなしごと
 先日、ある映画の試写会で、昨年から約一年間、中国語の勉強のため北京語言大学へ留学していて、この夏に帰国した高野史枝さんにお目にかかりました。
 彼女とは、残念ながら今は中断(?)しているある雑誌で一緒にお仕事をさせていただいていた間柄です。
 別々に文章を寄稿するのではなく、同じテーマについて二人が書くのですから、まさに一緒にお仕事をさせていただいた感が強かったのです。

 偉いなぁと思うのは、今時の若い人は世界を股にかけてどこへでも飛んで行くのですが、彼女は決して(「決して」まではいわない方がいいかなぁ)若くはないにもかかわらず、思い切ったことを実行したということです。ぶっちゃけた話、孫がいても不思議ではないのです。
 その彼女が、一年間、異国の地で世界中から集まった自分の子供よりも若い人たちと学ぶ、そして、なんと卒業時の作文コンクール(むろん中国語)では一等賞を取ってしまうというのはすごいと思うのです。
 その上、自らの卒業を記念して、雲南への一人旅まで敢行するというおまけが付くのです。

 

 そうした彼女の一年間を、きわめてコンパクトにまとめた文章を巻頭に載せた小冊子をいただきました。
 その文章のタイトルが【「活到老 学到老」を忘れない】でした。そしてこの言葉は、先に述べた作文コンクールに提出した彼女の作文のタイトルでもあったそうです。
 この言葉の意味は、「生きている限り学び続ける」というのだそうです。

 日本語でも、「生きている限り修行」だとか「生涯学習」だとかいわれるのですが、ひとつ間違うと説教じみてしまうこの言葉も、高野さんのようにその実践を伴って語られると説得力があるし、怠け者の私などは少しうつむいてしまいそうになるのです。

 

 とはいえ、私も遊んでばかりいるわけでもありません。
 彼女ほどリスクを背負った学習はしていませんが、それなりに勉強をしようとはしています。独学ではどうしても偏りが出るので、私に刺激を与えてくれそうな会に出かけてディスカッションに参加したりします。毎月、第四木曜日に出かけている会もその一つです。

 また、高校時代の文系クラブの人たち(半世紀前の同窓生です)と年二回ほど行う勉強会があり、先日も集まったばかりです。
 六~七人のメンバーですが、実業学校だったせいもあって、大学へ行ったのは私を含めて二名だけです。今なお、家業に精を出しているひともいます。
 
 しかし、各自が様々な問題意識を持ち、結構面白い視点から問題を提起します。
 今回は、私がレポーターで、最近の殺人事件について考えるということだったのですが、まとまりの悪いレポートしかできませんでした。
 しかしそれでも、あちこちへと脱線しながらも(その脱線が面白い)話が弾みました。

 

 これまでは、午後から集まって話をし、夕方からは食事をしながらの懇親会ということでしたが、始めてから一〇回目を数える次回は、長良河畔に宿でもとってゆっくり話をしようかという案も出ています。
 まあ、前半に述べた高野さんのそれに比べたら、随分ゆる~い「活到老 学到老」ではありますが、「少年易老学難成」のなれの果てですから、これぐらいで諒とすべきでしょう。












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映画『パコと魔法の絵本』を観る

2008-09-16 00:50:05 | 映画評論
 予告編を見た限りでは、なんだかけったいな映画だなと思いました。
 それでも、『嫌われ松子の一生』の中島哲也監督の作品だし・・との思いはありました。
 ネット上で、ある映画が好きな知り合いが熱を込めて書いているのを見ました。
 新聞などの評価も割合、良いようです。
 そんなことで結局観に行くことにしました。



 あらすじだけにしてしまうと、まことにベタな話になってしまうのですが、そこんとこをてんこ盛りの中味のあるものにしてしまうところがこの監督の持ち味であり手腕でしょうね。
 「不思議の国のアリス」を思わせるシュールな映像、絵本の中の世界と病院という世界との自己言及的な交差、さらにそれが事後的に語られるている「今」、それら三重の世界が無理なくまとめられています。

 達者な役者陣も見もので、病院という場所に集められたそれぞれのキャラクターの展開は、犬童一心監督の『メゾン・ド・ヒミコ』をも思わせるものがあります。
 終盤にはちょっとしたどんでん返しもあり、それらが総合して、結構厚みのある世界を表現しています。



 実写とCGの混成、サイケデリックな衣装、時に役者がカメラ目線で話したりする場面もリアリティを損なうことなく、この物語が置かれた空間をかえって強調し、ひとつの特異な世界を描き出しているようです。
 105分の上映時間のうち、だれたシーンは一箇所もなく、終始アップテンポで進む様は見事だと思いました。大人から子供まで楽しめるエンターティメントを、手を抜くことなく見事にやり遂げたと言えます。
 
 中島哲也監督、やはり鬼才、或いは奇才でしょうね。

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