六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

ここしばらくの絵日記

2015-06-29 18:05:49 | 日記
 なんか落ち着かない日々だ。
 すべきことが手に付かない。
 図書館に返すべき日が迫っているのに、読書が進まない。
 まあ、これはなんとか継続で切り抜けられそうだ。
 井筒俊彦さんのイスラムについて書いた本だが、これを予約している人はたぶんいないだろう。


 6月28日、@名古屋栄 大噴水の周辺では東北6県の美味いもの屋台と地酒地ビールが。チャイニーズ風のバンドが緑陰で「夜来香 (イエライシャン)」を奏でていた。とても居心地が良さそうでここに居たかったが、ある会合への通りすがり。やむなく素通り。


 今月中に仕上げるべき評論がひとつあり、書き始めたのだが、そのテーマに関し、新たな情報があるようなのでその本を読了するまで一時ストップ。
 それを読んだら一気呵成に書き上げたいが、その本がなかなか読み進めない。あちこち貼り付けた付箋のみが増えるのだが・・・。少し焦りも。


 6月29日、ちょっとした買い物。帰りに見た葛の群生する原っぱ。もう根っこを掘って葛粉をとるなんてことはしないのだろうな。

 
 実をいうと、そうした停滞には私生活での問題が絡み、お役所相手にしなければならない諸手続きや、窓口担当者との面談などあったのだが、一般性のない話だからここには書かない。それにこちらからポジティヴにできる事は限られている。


 30日、近所へ所用で。あまり通らない道に踏み込む。遠目にスモークツリーのような木が。しかし花が違う。ヒトツバタゴに似ているが色が違うし時期が違う。葉も違う。葉はアカシアに似ているが花が違う。なんだろう?

 
 というようなわけでブログの更新もままならない。
 だから取りまとめて、絵日記のようなものを載せてお茶を濁す所存。



 3mはあろうかというひまわりの群生。たくましい。もう花が終わって種子が露出しているものも。その並び方が整然としていて美しい。

 
 3日も更新しないと、とうとうあいつもくたばったかといわれそうな歳ので、ほとんど無内容ではあるが、これらがとりあえずは生きてることのアリバイ証明。


 田への水路、音は涼しげだが、干上がっている期間が長いので魚や水棲動物はいない。ただ、近くにジャンボタニシのピンクの卵が。彼らは生命力旺盛だ。
 
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怒りを鎮める梅雨の晴れ間の散歩から

2015-06-29 11:42:10 | 日記
 写真は後半の散歩道からのもので、前半の怒りの部分とは関係ありません。

 ご政道筋の話はますます剣呑になってきて、自分たちの施策が国民に理解されないのはメディアのせいでそれをぶっつぶせというところまで差しかかったようだ。
 無責任な暴言を振りまいた講師という男は、「飲み屋での放談だ」といったと報じられている。


 
 話の内容もだが、それ自身が許せない。飲み屋を舐めている!飲み屋での話は厠の垂れ流しでどうでもいいのだと言いたげだが、30年間飲み屋を営んできた身にはそれが許せない。
 自民党の「文化芸術懇話会」なるところで話された内容は、私のかつての店のカウンターで話されていたものよりはるかに次元が低いものなのだ。

 もしそれが、あの店のカウンターで話されたとしたら、私がチェックし、反論し、たたき出していただろう。そのようにした客も、数少ないがいた。
 飲み屋を舐めるんじゃないっ!と私の怒りはおさまらない。


 
 彼の発言は同時に、私の宝であり、貴重な遺産である今にも続く人間関係を、そしてそのネットワークを支えてくれている当時の顧客を、自分と同じレベルに引き下げて蔑んでいるという点で断じて許せない!

 こうした「どうせ飲み屋なんて・・・」という意識は、それ自身差別そのものであり、それに依拠して自分の見解とは差異を持つものは力づくで「潰してしまえ!」という発想につながるのだ。


 
 こんなことでウジウジしていてはこちらの健康にも差し支える。そこで梅雨の晴れ間を縫って散歩に出た。よく歩くコースだが、今回は久しぶりだ。
 ある意味では見慣れた光景だが、季節ごとの風情の違いが面白い。

 田植えの遅いこの地方だが、稲はだんだんたくましくなり、その緑も濃くなってきた。田の水面を渡る風がさざ波となって広がる。若い稲の葉先が揺れて、それだけでじゅうぶん美しいと思う。


 
 距離はあまりないが、じっくり見て歩く方なので時間はけっこうかかる。当然だが風景にも歴史がある。かつてあった木がなくなり、一枚の田が休耕田になり、田園には不釣り合いな家が突然現れたりする。最近の建築は、ブロックの組み立てのようなものだから、ちょっと見かけないうちに忽然と姿を現す。



 気がつけば、散策に値する範囲がどんどん限定されてゆく。
 それでも残されたかつての痕跡を求めて彷徨う。
 なくなってしまったもの、なくなりつつあるものを極力記憶に留めたいと思うのだが、老いの記憶力の限界、かつてあったものを想起できないことが多い。
 悲しいが、ものごとが更新されるということはこういうことなのだろう。

 百田のしゃっ面が、少しは希薄になったかな。

 

 
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【書店エレジー】売れないから置かない 置かないから売れない

2015-06-27 01:26:44 | 日記
 今日は悲しいから写真はなし。

 岩波新書にちょっと気になるものがあったので、近くにある◯洞堂本店に出かけた。ここは20年ほど前、チエーン展開を目指した岐阜でも大手の書店だった。初代の店長は名古屋で飲食店をしている時の顧客で、三省堂の店員をしていた女性であった。彼女の見識か専門書も豊富で、休みの折にはよく出かけた。
 
 開店からどれだけ経ったろうか、ある日彼女の姿が見えないので店員に訊いたら家庭の事情で退社したとの事だった。ちょっとさみしい思いをしたが、異変はそれから起こった。専門書がどんどん棚から消えて行き、コミックがやたら増え、ハリー・ポッターがどんと平積みされるようになった。鈍感な私も多少悟るところがあった。
 
 家庭の事情というより、彼女の方針と経営の求めるものが合わなかったのだ。まあ、ここは大都会ではないし、やむを得ないかなとも思った。そのうちに探してもほしい本が全くなくなって、自然に足が遠のいた。決まりきった雑誌や、年始めの手帳ぐらいしか買うものがなくなってしまったのだから仕方がないだろう。
 
 で、冒頭に戻るが、出たばかりの岩波新書ぐらいはあるだろうと思ったのだ。それに、800円前後の本を求めるのに、往復400円の交通費を支払うのは割にあわないというせこい計算もあった。しかし、私の思惑は甘かった。新書の棚にはハウツーものは多かったが、お目当てのものも、ほかの岩波新書もなかった。
 
 店員に「岩波新書はどこですか」と尋ねると、どうもバイトらしく困惑した表情で店長と思しき人に訊くのだった。するとそちらのベテランらしい店員は、いともあっけなく、「ア、岩波新書は置いていません」との返事。そんなもん、置いてるはずはないでしょうとでも言いたげな表情も。
 
 岩波の書は売れなかった場合の返本がきかないというのは聞いたことがある。しかし、新刊のものぐらいはと思ったこちらが甘かった。こうなったら、定価の半額の交通費と時間をかけて街の中心へ出るか、それともAMAZONに頼る他はない。ほんとうは目次だけでも確認してから買いたかったのだが。
 
 街の本屋さんを応援したい気持ちはある。しかしこれでは致し方がない。売れないから置かない、置かないから売れない、という悪いスパイラルがどんどん進み、地方都市の街の本屋さんは少なくとも私の需要を満たす対象外になりつつある。なんとも悲しい現実ではある。
 
 かつては、あのへんに「ヘーゲル全集」まで並んでいたのにと、かすかな郷愁を覚えつつ店を後にした。知り合いの出版社の人が、また取次がひとつ倒産したという記事をFBで紹介していた。むべなるかなである。
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夏目漱石は実存主義者? あるいはそれを超えている?

2015-06-25 11:21:08 | 書評
 夏目漱石や森鴎外、芥川龍之介などはけっこう若読みで、中学生の頃から高校生にかけて一通りを読んだことになっている。しかし、こういう「著名なものはひと通り」という教養主義に根ざす読書、とくにその若読みはあまり勧められたものではない。
 これといった下地がないままのこういう読書は、ストーリー展開を追うのみで、そこに書かれていた肝心なことを読み取れてはいない。

          
 
 朝日新聞が復刻連載をしている夏目漱石のものを読み返していると、それを痛感する。ここにはこんなことが書かれていたのかといまさらながら気づくことがどれほど多いことか。
 『三四郎』に続いて、今は『それから』が掲載されているが、1909(明治42)年、「東京朝日新聞」連載だから、106年ぶりの再連載となる。ちなみに私の父は1908年の生まれだから、今生きていれば107歳になる。

 この連載を見て、まず思うのは、漱石を始め当時の連載作家の旺盛ぶりである。というのは、往時の連載は、現今の新聞連載小説のボリュームをはるかに超えて、およそその3倍分を毎日書いていたことになる。それでいて、文章の荒れや乱れはない。

 その内容もそうである。殊に漱石の場合は、ストーリー展開の間に挟む独語のような主人公の自己省察のなかに、極めて深い含蓄がある。例えば、この23日の第58回(連載時の「東京朝日」では8月23日分)では、ほとんどが主人公の自己洞察による独白が占めていて、その内容が面白い。

          
                 連載の予告

 「彼の考えによると、人間はある目的を以(も)って生まれたものではなかった。これと反対に、生まれた人間にはじめてある目的がでてくるのである。最初から客観的にある目的を拵(こしら)えて、それを人間に附着するのは、その人間の自由な活動を、すでに生まれる時に奪ったと同じことになる」
 この叙述は主人公の独白だが、ここでは、人間は生まれながらにしてある本質をもち、その本質が指し示すところに添って生きねばならないという形而上学的な人生観があからさまに否定されている。ようするに、人間においては本質が先行するのではなく、実存が先行していて、その本質は事後的に見出されるという主張である。これは、人間の生においての自由の問題を考える際には決定的な分岐点である。なぜなら、予め与えられた本質に添って生きるということのなかには人間の自由の余地などはないからだ。

 それに続く箇所で漱石はいう。
 「だから、人間の目的は、生まれた本人が、本人自身に作ったものでなければならない。けれども、如何(いか)な本人も、これを随意に作る事は出来ない。自己存在の目的は、自己存在の経過が、既にこれを天下に向かって発表したと同様だからである」

 ここでは、人間の目的を自分で作るといっても、それは無からではなくて、常に既に存在している「自己存在の経過」を参照すべきだとしている。これはハイデガーやサルトルの用語からすると「被投性」つまり、人間は気づいた時に既にしてこの世界へと投げ出されているのであり、その投げ出され方を前提とする事なく、その目的などを決められないということになる。

             
 
 次に続く部分はこうである。
 「この根本義から出立した代助(主人公の名前)は、自己本来の活動を、自己本来の目的としていた」
 ここは少しわかりにくいが、自分の活動を何かのために、例えば経済的な利益のためにとか、生物学的な必要に迫られたものではなく、自由な自己選択の結果としての自己の活動、やはりそれをハイデガーやサルトル的な用語でいえば「投企」、ようするに自己を何ものかに向かって投げ企てることとして語られている。さらにはここには、ハイデガー流の世人の日常性という惰性やおしゃべりから離脱した「本来性」への希求もみてとれる。

 続く一節には次のようにある。
 「・・・・・自己の活動以外に一種の目的を立てて、活動するのは活動の堕落になる。従って自己全体の活動を挙げて、これを方便の具に使用するものは、自ら自己存在の目的を破壊したも同然である」
 このくだりは、人間のありようはその自由な活動にあり、その自由な活動とは、経済的な必然性などから解き放たれた活動そのものを目指すべきだとしたハンナ・アーレントの「活動」概念に通じるものがある。

 以上に引用した極めて限られた範囲のなかで、漱石がハイデガー的、サルトル的「実存概念」を展開するばかりか、それらの限界を越えて自由な人間の自由な活動の場を模索したアーレントの域にまで到達しているのはとても興味のあるところである。

       
             これは48回分の一部

 こうした代助=漱石の思考が、当時の高級都市遊民においてのみ可能であったという批判は成り立つだろう。しかし、人間がその複数的なありようの中において、その単独性を保ちつつ生きようとするこの「活動」への希求は、100年以上を経過した今もとても新鮮であるように思う。
 こうしたハイデガーもサルトルもアーレントも知られていない時代、それらのビッグネームに依存することなく生み出された漱石の思考は、とても深くて広がりをもつものだとあらためて思った次第である。

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珠玉の『ミレーぜ』 タリス・スコラーズ公演@岐阜

2015-06-23 11:52:41 | 音楽を聴く
関心のない方、文章を読むのは退屈でしょうから、最後に付したアドレスで音楽のみでも聴いてみてください。 

 
 私がこのイギリスのアカペラ合唱団の演奏を最初に聴いたのはもう二十数年前だろうか。ルネッサンス期の宗教曲を始めとする彼らの歌声は、放送という媒体を通じてであったが、いたく私を揺するものがあった。
 それが縁で、それらをエアーチェックして聴いたり、ひとにも「あれはいいよ」と勧めたりしてきた。ただし、何度となく来日している彼らの歌声をライブで聴く機会はなかった。

 それが岐阜で公演するという。この機会を逃してはとチケットを入手した。しかし、申し込んだ日が遅かったのか、二階正面のバルコニー席しかとれず、10人前後の歌を聴くにはやや遠いかなという感があった。
 しかし、これは杞憂で、彼らの歌声をじゅうぶん堪能することができた。
 そればかりか、ある意味でここが最良の席であったかもしれないと思うのだがそれはあとで記す。

          

 媒体を通じてしか聴いたことがない彼らの歌声は素晴らしかった。「混声」という言葉があり、普通、男女が共に歌う場合を「混声合唱」という。
 たしかに彼らも、男女の混合ではあるが、その意味のみではなく、まさに声を混ぜあわせてひとつの異次元の音を生み出すという意味で「混声」といっていいと思う。

 単声の総和や、各パートの集成の次元を超えた音がそこにはあるように思う。それらが荘厳に歌い上げるルネッサンス期の歌は、後世の「俗」を削ぎ落した響きがある。いささかもって回ったいい方をすれば、近代が世界を対象として前に立てる前の、世界が人間にとっての資源や素材に堕する前の、世界と人間とが一体であった時代の音がそこにはある。

          

 ルネッサンス時代の頂点といわれるジョスカン・デ・プレの短いモテットのあと、ローマ楽派の代表的な作曲家パレストリーナのミサ曲で前半は終了。
 第二部の冒頭は、この合唱団のお箱というべきグレゴリオ・アレグリの「ミゼーレ」だったが、これは私が最初に聴いていたく感動した曲であり、聴きどころだとして心待ちにしていたプログラムでもあった。サプライズはここで起こった。

          

 この曲は、5声合唱と4声合唱が交互に応答する二重唱で、この二つが空間的にも離れて歌うということは知っていた。しかしそれはあくまで舞台上で、おそらく左右に分かれて掛け合うのだろうぐらいに思っていた。
 しかし、第二部が始まるや二階バルコニー席で軽いどよめきがあって、なんと4声のほうが私のすぐ後ろに位置しているではないか。舞台正面には5声の歌い手たちが、そして正面上部のパイプオルガンの前にはソロを歌う歌い手が控え、縦系列に三つのパートが位置し、その延長線に私はいたことになる。
 ただし、一階席の人は5声を間近に聴き、4声は天から降るように聴いたであろうが、私は4声をすぐ背後で、そして5声を地から湧くように聴いた。近くで聴くソプラノやバスは、耳にというより、体全体にしみとおった。
 この瞬間、会場がひとつのカテドラルとなった。

          

 正面で響く音と、背後から迫る音との挟み撃ちの中で、私はそれらの音に酔っていた。 
 私の背後での歌が響くと、一階席の人たちが一斉に振り返るのだが、その位置関係からして、4声の発せられる場所を特定できたのは一階席の前方だけだと思う。ライブに行って、どこで誰が歌っているのかを目視できないのはさぞかしもどかしいと思うのだがどうだろう。
 まあ、天から降る声としてはそれでいいのだろうが。

          

 ところで、この「ミゼーレ」、私はほかのエピソードでも関心があった。この曲はもともと、バチカンのシスティーナ礼拝堂でのみ演奏される秘曲で、歌い手たちはそのパート譜を持ち帰ることも許されなかった。
 ところが、1770年、この地を訪れた若干14歳のモーツァルトが、一回(別の説では二回)聴いたのみでそれを暗記し、譜面を書き起こし、それがきっかけで秘曲のベールが剥がれたというのだ。父親のレオポルトの証言もあるから、事実に近いのであろう。

 あとはもう書くまい。一体化した「混声」がホール全体を駆け巡ったというに留めたい。いろいろ曲折があって、同行したのはあまりこの種の音楽に馴染みがない人だったが、「ミゼーレ」にはいたく感動したようであったことはいい添えておこう。


https://www.youtube.com/watch?v=xkfN98XoZow
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映画『海街diary』を観る(ネタバレ最小限) 

2015-06-20 23:20:11 | 映画評論
 映画には、当初からテーマが明示(ないしは暗示)されていて、それに沿って内容が進行してゆくものが多いのだろう。そのほうが観客を引きつける上でも効果的かもしれない。いわゆる起承転結がそれなりに明らかだからだ。

 これまでの是枝作品は、その意味では割合、テーマ性がはっきりしていた。しかし、四姉妹の一年間の日常を描写したこの映画(原作は一年間ではないがそれを短縮したことは成功だったと思う)では、提示部にちょっとした劇的なシーンがあるものの、あとはとりわけこれといった展開がない日常の描写のように見える。
 その提示部にあるものとは、15年前に出奔したままの父が、離れたところで亡くなり、残された腹違いの妹(中学生)を引き取り、四姉妹での生活が始まるというものだ。さきに、四姉妹と書いたが、正確にはこの新参の妹を含めて四姉妹になったわけである。

          

 しかし、その日常のじわじわっとした状況の展開にそれぞれリアルな深みがあって面白い。確かに、台詞やアクションで声高に明示されないことどもの積み重ねではあるが、ふとした会話のふれあいや淡々としたそれらの交差のなかに、あるいはちょっとした表情の変化のうちに、彼女たち四人のそれぞれが背負っているものがそこはかとなく伝わってくる仕組みになっている。

 しっかりものの長女・幸(綾瀬はるか)は四姉妹のまとめ役だが、やはり秘めた生活をもっている。当初、あばずれ風にみえる次女・佳乃(長澤まさみ)は後半、その仕事ぶりなどで意外としっとりとした味を見せる。三女・千佳(夏帆)は一見ケロッとした感じだが、どこかにぶれない芯があるようだ。
 これら三姉妹に加わる四女・すず(広瀬すず)は新参者として微妙な立場だが、次第に打ち解け、馴染んでゆくさまがいい。ただし彼女は彼女で、三人の父を奪った母から生まれたという傷跡のようなものをちゃんと自覚している。

        
 
 そうした差異をもったこれら四姉妹が、ときには尖った感じになることはあるが基本的には相互に信頼し、認め合って、柔らかそうでいてそれなりに強固な関係を築いている。 
 それぞれが達者で好演だが、とりわけ難しい年代の少女を極めて天然に演じきっている広瀬すずがいい。 

 それら四姉妹を取り巻く脇が手堅くて、淡々とした日常にさまざまなアクセントを付けている。
 樹木希林、大竹しのぶ、風吹ジュン、リリー・フランキー、堤真一、加瀬亮、鈴木亮平などがそれだが、とりわけ、風吹ジュンの演じる食堂のおばさんとリリー・フランキーの喫茶店のマスターは、それぞれこの姉妹たちとは従前からの関係があり、また、飲食店コンビのこの二人自体の関係(海猫食堂に喫茶山猫堂というネーミングが暗示)においてもほんわかとしたものがあって、それがラストにちゃんと生きてくる。

        
 
 映像は美しい。鎌倉という地の利を得てはいるが、二時間もののミステリードラマのように、それらを表面に押し出すことなく、日常的な自然の風景としてさり気なく、ただしやはり美しく処理されている。
 
 すずがサッカークラブの仲間たちと船上から花火を見るシーンは幻想的で素晴らしい。カメラは上方から海に浮かぶ船を小さく映しだすと、その船の周りの海面がそれぞれの花火の色に染まり、また船自身が花火色に輝く。カメラは船内に移るが、ここで花火に染まるのは目を輝かせる少年や少女たちの容貌だ。
 この間、花火の本体そのものはけっして映像として現れることはない(ほかのカットでは少しでてくる)。

        

 是枝監督はやはり映画を作るのが巧いと思う。一見、淡々とした進展の中に描写されたものは、しっとりとして奥行きがあり、上質の人間ドラマになっている。

 最後に蛇足だが、 カンヌではスタンディング・オーベーションはあったものの受賞は逃している。冒頭でも書いたように、テーマ性を明示しないまま進行する表面上は静謐なドラマの微妙な機微のようなものが、ヨーロッパ風の美意識にいま一歩届かなかったということなのかもしれない。
 しかしこの際、賞などはどうでもいい。こうしたパステルカラーのような淡い情感が漂う映画もたまにはいいものだ。



 
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二、三日分の雑記(本当に雑記です)

2015-06-15 17:01:16 | 写真とおしゃべり
 土曜日は県立図書館。一冊は継続、一冊は新規で借りる。
 新規は『井筒俊彦全集 第七巻 イスラム文化』。700ページの本だが、前半の「イスラーム文化 その根底にあるもの」を読むことができればいい。余力があったら後半の「コーランを読む」に進みたい。


 
 お気に入りの図書館の中庭を散策。春先、白い釣り鐘のような花をつけていたエゴが、坊やのような実をつけて揺れていた。

        

 沙羅の花を見つける。もう落花しているのもある。別名・夏椿といわれるだけあって、散るのではなく花全体が落ちるのがあわれだ。


 
 この小うるさい電線は帰途の車中から。なんかヒステリーが起きそうな煩わしさだ。この画面だけで何本あるか暇な人は数えてみてほしい。

        

 スーパーに寄って買い物。久々にキスを買った。塩焼きにしようと踊り串を打つ。このくらいの魚はこんな串打ちをしないほうが食べやすいかもしれないが、たまにはやってみないと感覚を忘れてしまう。それに盛りつけた時に引き立つことは間違いない。
 ちょっとバラツキがあるが70点ぐらいだろう。
 現業の頃は、もっとうまく、しかも素早く(一匹5秒以内で)打てた。

        

 日曜日はいささか悶々として過ごす。夜、NHKスペッシャルで、ドキュメンタリー「沖縄戦 全記録」を観る。その凄惨さについての感想は別途書いたのでFBのタイムラインなどで見てほしい。


 
 月曜日、梅雨を裏切るように夏の陽射しが照りつける。二階の窓の外、マサキの花にいろいろな虫たちが飛んでくる。人間には地味な花だが、虫たちには美味しい蜜を供給しているのだろう。

   
 
 ツマグロヒョウモンが遊びに来て、それが去ったらアシナガバチがやってきた。ハチの方は、何だこのオッサンとばかりに私の顔の辺りを一周りして、それでも逃げずにすぐ近くに泊まってくれた。どうやら、人畜無害と判断されたようだ。
 ときどき経験しているのだが、ミツバチにはそんな習性はないが、アシナガバチはそうした人を吟味するような飛び方をする。

 午後、ケアマネさんと会い、いろいろレクチャーを受けた。
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身近な花たちといささか疲れた私

2015-06-13 15:20:40 | 花便り&花をめぐって
             

 いま自宅で咲いている花では、いちばん大きなものはサツキだ。これは亡父譲りのもので、八重咲きなので珍重している。
 あとは小さな花ばかりで、カタバミ、ドクダミ、ナンテン、それにマサキの花ぐらいか。
 
          

 ほとんど知られた花ばかりなのだが、マサキの花はいくぶん珍しいかもしれない。
 この花を毎日、眼前にしている。私の二階のデスクの前のカーテンを開けると、ぱっと一面に目に飛び込んでくるからだ。

          
 
 その群生のような花々は目の前が明るくなったように華やいでいて、目を楽しませてくれる。近寄るとその点のような一つ一つがちゃんと独立していて、いままさに開こうとしている。満開になるのが待ち遠しい。

          
        まだほとんど蕾だが中央下の方に一輪開いたものがある

 小さな花といえばナンテンもそうだ。房状になってはいるが、それは小さな花々からなっていて、その一つ一つが、「ホラ、咲いてるんだよ」と自己主張をしているようだ。近くで咲いていたら、さらに近寄ってその一つ一つを見てやって欲しい。

             

 実のところ、いろいろあっていささか疲れ、めげそうになっている。先行きへの暗い展望は逃れようもなく、自分の行動が次第に制約されてきているのをひしひしと感じる。
 若いころ、そうした人事に関することを花鳥風月の風情に転化したりそこへと逃避することはすまいと思っていたが、どうやらこうしたものに慰められる齢になってきたらしい。まあ、自死まで思いつめるよりは、たとえ一時的にせよ彼らに癒される方がいいのだろう。

          

 それに小さいながら懸命に生きている彼らの美しさをこうして人に伝えることができるのは、それらの生命と共振する自分自身の命の確認かもしれないとも思うのだ。
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梅雨入り、そして田植えウオッチング

2015-06-09 00:23:12 | 写真とおしゃべり
 朝から肌寒いような陽気で、衣替えの折、長袖を全部しまい込まなくてよかったと思った。低い雲が垂れこめていて、これはもしかしてと思ったら果たせるかな、この地方も梅雨入りとの報道があった。

 昼食を終えて二階の部屋へ戻ろうとしてふと外を見ると、いつもウオッチングをしてるバス通り横の田んぼに稲の苗が収まった箱(育苗箱というらしい)が置かれている。あ、いよいよ田植えが始まるんだとカメラを用意して待つことしばし、機械音がしたので改めて目をやると、田の持ち主が田植え機に乗って作業を開始するところだった。

  

 田植機の構造というのはよくわからないが、前にやはりこの田の田植えの記事を載せた際、この機械の写真を見たこの道の専門家の友人が、これはかなり古い型のものだといっていたのを思い出した。それはそうかもしれぬが、子供の頃、文字通り手植えの田植えを手伝った経験のある私には便利なものに思えてしまう。あの頃の田植えは実に大変だった。

  

 その作業ぶりをひと通り写真を撮ってからそれを編集したり、ちょっとした書物を読んでいるうちに雨が落ち始めた。
 それからどれくらい経ったろう、雨音がかなり激しくなってきたので、もう作業は済んだのだろうかともう一度見にゆくと、もう田植機の姿はなかった。一瞬、全て終わったのかと思ってよく見たら、雨脚に押されて中断したらしく、3分の1ぐらいを残したまま引き上げたようだ。
 彼はたぶん専業農家だろうから(土日以外にも作業をしている)、続きは明日に持ち越したのだろう。

  
        水面への映り込みがこの田の周辺の環境を示している
 
 ちょっと不吉な気がした。それはこの田では昨秋、刈り取り前に大半の稲が倒壊し、刈り取りにも苦労していたし、なによりも収穫量や品質にも問題があったと思われるからだ。だから今年こそはと密かに応援しているのだが、その矢先の躓きのような気がふとしてしまったからだ。
 しかし、これしきのこと大した影響はないはずだし、またそうあることを祈りたい。

  
        ご覧のように車が行き交う道路際での作業である

 毎々書いているが、この辺りは都市郊外で街並みと田園風景がせめぎ合っているような地域で、休耕田や田を潰しての転用が少しずつ増えてきている。
 この田も、写真で見ていただくとお分かりのように、路線バスをはじめ車が行き交う道路に面し、また、北側にある商店の電飾や看板が、そしてその隣のビルなどが水面に映り込んでいる。
 それはそれで風情があるのだが、作業をする側にとっては容易に車を駐められなかったりするリスクもあることだろう。
 それだけに、今年こそはその生育が無事であるようにとの思いを込め、稲刈りまでの過程をウオッチングしてゆきたい。

農業はあらゆる産業の基本だと思っている。少年時代、疎開に始まる5年間を農家の傍らで過ごし、その年間の営みを見てきただけによけいそう思う。TPPにしろ何にしろ、その農業を衰退させるような施策は絶対に取るべきではないと思っている。自動車産業のさらなる発展のための人身御供になど差し出すようなことがあってはならない。農業を他の産業のためのスケープゴートとして扱うようなことがあれば、長いスパンの中では取り返しがつかない事態を生む可能性がある。




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緑の窓辺とスウパアへの道 付・戦争と平和

2015-06-05 02:31:33 | 写真とおしゃべり
 6月3日には、おとなりの滋賀県にまで梅雨入りが宣言された。すわここもと思った4日、風はややあったが晴れ渡って湿気もなく、とても清々しくてまるで初秋の気候のようだった。



 写真は私の部屋(二階)の窓辺からだが、緑がいっそう青々として、折から渡る風に揺れるのが心地良い。読書やPCに疲れて目を上げると、これらが飛び込んでくるのだから私が幸せ者だ。
 ベランダのたたきに映る木陰もくっきりとしてまさに緑陰をなしている。



 午後、冷蔵庫がカラッケツなので食料を求めて近くのスウパアヘと田舎道を歩く。10分足らずの道だがそれなりに四季おりおりの変化があって飽きない。散歩のつもりでゆっくり目に映るものを確かめながら歩く。
 先週の末ぐらいから田に水が張られるようになり、それらの水がおりからの風を受けてさざ波となって平面にアクセントを添える。



 田に水を送る強力なポンプがある。このポンプにはちょっと恨めしいものがある。ひとつはご覧のようにコンクリート製のU字溝になったお陰で、この水路は1年の半分以上は水がないカラッケツの空虚な空間になってしまった。
 それ以前は、ここは普通の小川で、年中水が枯れることもなく、小魚を始め水棲の小動物たちの楽園であった。いまはもう、それらが棲める余地はない。

          

 もう一つは私的な恨みである。うちから100メートルほどのところにこんな強力なポンプができたせいで、うちの井戸が枯れてしまったのだ。カスカスと音がして、僅かな水と砂を汲み上げるのみになってしまった。
 泣く泣く大枚をはたいて、もう一つ下の水脈に届く井戸を掘り直した。

 水は張られたがまだ田植えは始まっていない。多分この週末に一斉に始まるのだと思う。

 鎮守の森に差しかかる。その前のうちの倉庫の屋根や側壁が鮮やかなブルーに塗られたため、並んだ石灯籠とのミスマッチがあって、ちょっとシュールな光景となっている。

          

 ビワがなってるところがあって、ほとんど色づいていて、まもなく採ることができるだろう。ザクロの花と赤ちゃんも見つけた。もう一丁前にザクロの形をなぞっている。萼のなかの白いツブツブが本当の花で、それが実になるのだろう。

 カキの子供もいる。やはり一丁前にこの果実特有のやや四角い形を備えている。カキの小さいのをガキというのだが、これはもう何度も繰り返したので今回はいわない。

          

 スウパアでいろいろ買った。トータルで1,000円以上買うと玉子10個が100円になるというのでそれもゲット。
 キハダマグロのすき身がお値打ちだったので、今夜のメインディッシュはカイワレやオオバなどを合わせたカルパッチョに決めた。
 明日のメインディッシュには、小アジを買ったのでこれを揚げて南蛮漬けにしようと思う。

          

 帰途、世界には戦争や原発事故の後遺で大変な人たちがいたり、沖縄の風光明媚な海が戦争のための基地に変えられようとしているのに比して、この瞬間はなんと平和だろうと思った。しかし、それらの事態とこの平和の間にはもちろん相関関係があって無縁ではない。ようするに。いつなんどき反転するかもわからないところで暮らしているのだ。彼らが一時的にそうした苦難を背負っていてくれるから、私はつかの間の平和を貪っていられるのだ。

          

 帰ったら、国会の参考人質疑で憲法学者の参考人三人全員が、いま政府が提案している安全保障関連法案が違憲であると明言したという報道がされていた。三人のうちの一人は自民党、公明党、次世代の党が推薦した憲法学者で与党にとってはとんでもないしっぺ返しを食らった形だが、この人も憲法学者である以上、これを合憲だとしたら飯の食い上げになるくらい明々白々の違憲法案だということだろう。
 直ちに廃案にすべきあろう。



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