六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

【身辺雑記】な〜んでもない話

2021-09-30 13:59:51 | よしなしごと

 いろいろ気に病むことが多いのだが、自分でも整理がつかない。何かを対象として積極的になれない自分がいる。老人性鬱か?

 だからこれといって書くべきことがないのだが、私のような老人は、一週間もなにも書かないと、この世におさらばしたと思われがちなので、なんとか書いてみる。これは、つまらないことでも何かを表現することによって自分を奮い立たせようとする儚い試みでもある。

手紙を投函する途次で・・・・

          

          

・この辺りには赤いタデは結構あるのだが、白はあまり見かけない。ここに咲いているのは昨年気づいたのだが、今年もちゃんと白い花を付けている。ちょっとホッとする。

         

・「ハツシモ」など遅場米の産地だから、稲の生育も他所に比べたら遅いかもしれない。やっと稲穂が垂れ始めた。ただし、八月の長雨のせいかなんとなく例年より元気がないような気もする。私の思い過ごしならいいのだけど。

相変わらずの昼餉だより

         

・朝晩めっきり涼しくなってきたので、冷や麦の季節もそろそろ終り。在庫を食せねばならない。もちろん、温かい出汁でもいいのだが、それでは「冷や」麦のコンセプトに外れることになって失礼だろう。で、せっせと食べ続ける。
 冷や麦にした場合、野菜の摂取量が少なくなるので、薬味はたっぷり使う。これはネギとミョウガ。装飾を兼ねて、レタスも少々。

         
      
・これはパスタ。メインの具は昨夕餉の残りの秋鮭のムニエル。ただし、この秋鮭、切り落とし(まあ、いってみればクズの部分)で1パック200円ほど。ただしきれいに仕分けし、一口サイズにすると結構な量になる。
 昨夕、食べきれなかったものをパスタの具にしてみた。ちょっと和風の薬味をと、ネギとミョウガの刻んだのを載せてみたらこれが結構いけた。ただし、ワカメとトウフのおすましにも同じものを使うとはやや芸がない。

余談
 自民党の総裁が決まり、やがて首相になるのだろうが、この岸田という人なんだかインパクトがなく、正体不明だ。いずれにしても、安倍や麻生の鼻息を伺い、それに決選投票では極右の高市と組んだのだから、旧体制にがんじがらめで新しい風は期待できないだろう。
 それでも、ご祝儀相場がつくから、菅のままよりは選挙では有利かもしれない。いずれにしてもこの国は、守旧派の支配からなかなか免れることはできないようだ。

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アンネが弁護士になったら・・・・野間美喜子『向日葵は永遠に』を読む

2021-09-26 16:13:24 | 書評

 恥ずかしながら高校生から大学の前半にかけて、演劇部に所属してたことがある。持ち前の美貌にして端麗な容姿にも関わらず、高校時代の二度ほど(全部主役ですぞ!)を除いては舞台に立ったことはない。
 生意気ながら、大学では演出志望だったからである。二年生まで在籍したが、上級生のもとで演出助手を務めた後、三度めの公演では舞台監督を務めた。
 
 演出がその芝居全体をあるコンセプトのもとに作り上げるとしたら、舞台監督はそのイメージを現実に舞台に載せる手順などをすべて取り計らう。だから公演当日は、演出家は客席で腕を組んで舞台を見つめたり出来るが、ブタカン(舞台監督)はもっとも多忙といってよい。幕開きから役者のスタンバイ、出番、舞台転換、などすべてをチェックし、舞台裾からキューを出す。音楽や効果音の出だしや終りも指示する。脚本はそれら必要事項の赤ペンがいっぱいで、それに従っていちいちキューを出す。それにより脚本と演出家のイメージが具体的に舞台上で開花する。

 前置きが長くなったが、私がブタカンを務めたのはあの『アンネの日記』を舞台脚本としたものであった。多分それは、1956年に「劇団民藝」が公演したものと同じ脚本ではなかったかと思う。その折、主役のアンネ・フランクを演じたのが、ここに述べる野間美喜子さんであった。彼女は私より学年がひとつ下で、さほど大柄ではないおかっぱ頭、そして芝居のセンスは、アンネに最適であったと思われる。
 公演当日、私は舞台裏を駆けずり回り、オヤこんなはずではという小さなアクシデントと闘いながらもなんとかその任務を全うした。野間さんは、臆することなく堂々とアンネ・フランクを演じきった。

              

 もし、アンネ・フランクがナチスの毒牙にかかることなく成長したらどんな女性になっていたろうと想像するとき、私のイメージはどうしてもあの折の野間美喜子さんへと還ってゆく。野間さんは在学中に司法試験を突破し、その後弁護士になった。
 だからその想像は、アンネ・フランクが弁護士になったとしたら、どうだろうということへと至るのだ。

 あの想像力豊かな少女・アンネはおそらくその性格を生かして、まさに想像力と創造力をもった懐の広い弁護士になったろうと思われる。そして、野間さんもそうなった。
 彼女や私が物心つき、小学校(当時は国民学校)の頃、日本の敗戦があり、やがて、その反省の上に新たな憲法が制定された。彼女はその憲法の趣旨をまさに市民そのものの平和で平等で民主的な生活に活かすべく、その生涯を貫いた。
 そして、昨年、その生を終えた。

              

 ここに『向日葵は永遠に(ひまわりはとわに)』という書がある。これは長女の下方映子さんがまとめられた野間美喜子さん自身の残した文書による冊子である。そのサブタイトルは「平和憲法一期生の八十年」とある。「向日葵」は写真に見るよに、野間さんのイメージに似つかわしい。いつも、陽射しのある方向へと眼差しを定めて歩んできた彼女の経歴とも。

 彼女の功績を数え上げるのに法曹会に暗い私はふさわしくないのだが、この書の「Ⅰ 人と国家と法律と」収められたそれぞれ短い文章からも、 平和や原発、教科書問題、知る権利の問題、表現の自由の問題、国民の健康保持の問題などなど平和と民主主義と人権の灯を掲げ続けた彼女の足跡がよく分かる。

 「Ⅱ 女性として市民として」では、そうした公の問題からやや引いた彼女自身のエッセイなどによって成り立っているが、あの多忙で駆けるように過ごしてきた彼女のフッと息をつくような側面がみられる。
 このうち「五歳の記憶」と題された短い文章には、戦時中、彼女が疎開していた三重県の津市での目撃談が掲載されている。それは、空襲の後、落下傘で舞い降りた米軍兵士を、普段は人の良さそうなおじさんが先頭に立ってリンチ攻撃を加えるという話である。この話には、実は関連する事柄もあり、もう一度後で触れたい。

            

 この野間さんの書の圧巻は、なんといっても後半のⅢ Ⅳ で述べられた「戦争と平和の資料館〈ピースあいち〉」の建設に絡む話である。これはどう考えても一介の弁護士が手掛けるには荷が重すぎるような話である。
 しかし、彼女は果敢にチャレンジし、周辺を巻き込み、署名を集め、その建設のための請願は、愛知県議会、名古屋市議会共に満場一致で受理されたのであった。

 しかし、これでそれ自体が実現するほど行政の世界は甘くない。窓口の担当者はいざ知らず、行政全体の動きはきわめて緩慢で満場一致にもかかわらずそれは一向に実現を見ようとしなかった。
 しかし、天は真に努力するものを見捨てはしない。野間さんたちの尽力を知った加藤たづさん(1921~2014)という篤志家が、約300㎡の土地と一億円の資金を寄贈すると名乗り出たのだった(2005年、たづさん当時92歳)。

            

 野間さんやその仲間たちは、県や市の形だけの相づちに業を煮やし、この加藤さんの厚志に沿って自力で「戦争と平和の資料館〈ピースあいち〉」の設立に踏み切り、2007年にはその開館にこぎつけた。
 初代館長はもちろん野間さんで、彼女はなくなる前年までその職務を全うした。

            

 同館は、常設展示を充実させながら、その時々のテーマによる企画展を催している。例えば、つい先日までは「少女たちの戦争」が行われていた。
 同館のもうひとつの活動は、次第に高齢化してゆく戦争経験者のボランティアを組織し、館内での催し、小中高などの学校、その他の会などへの体験談の語り部を派遣し、子どもたち若い世代への戦争の悲惨さ、平和の重要さなどを啓蒙し続けていることである。

            

 野間さん個人の話に戻ろう。彼女は法曹界の人であったが、その範囲をはみ出した活動をも躊躇することなく展開した。その背景には、やはり「法」に対する見解の問題があったと思う。
 同じ法曹界にあっても、守旧派の法意識はいかにして諸個人を法的に拘束し、同一性のキヅナに繋ぎ止めるかにある。しかし、野間さんのそれは、いかにして個人の自由が守られ、同一性のキヅナから自由な多様性、複数性が保証されるかを主眼とした法解釈、適応を目指していたと思う。

 これは、権力が法を絶対視し、その適応において国民の同一性を図ろうとするのに対し、逆に、法を権力の行使の制限とし、いかに諸個人の自由や多様性を守るかに軸足を置くかの問題で、もちろん、野間さんは後者を貫いた。

 最後に、私と「戦争と平和の資料館〈ピースあいち〉」との関わりだが、住まいが岐阜のせいもあって頻繁には行けないがそれでも2,3回は足を運んでいる。ある時、同館が戦争に関する資料をまだまだ収集していることを知って、私は古くからの友人、W氏から寄贈された冊子を持参した。それは、W氏を含め私と同年の三重県の津高校同窓生がまとめた「国民学校一年生の戦争体験」というもので、それには、不時着した米兵へのリンチ殺傷事件も書かれていた。

 ところで、ここに紹介した野間さんの書の「五歳の記憶」と題された短い文章にもまた、疎開中に津市で目撃した同様の話が書かれている。同じ津市で、そんなにある話でもないだろうから、おそらく同じ出来事の目撃譚であろうと思われる。
 私がこれは資料にふさわしいと持参したものの内容が、まさに幼き野間さんの目撃と重なるなんて、この書を読みながら驚いたひとつのエピソードであった。

 なお、あとがきは作家で今、私と同じ同人誌で活躍していらっしゃる山下智恵子さんがお書きになっているが、野田さん、山下さん、そして私は共にあの演劇部のオンボロ部室で青春の日々を送った間柄である。
 
 私のなかでは、野間=アンネ・フランクのイメージが今後共に生き続けるだろう。
 

野間美喜子『向日葵は永遠に 平和憲法一期生の八十年』 2021  風媒社

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政治の嘘は新たな段階に 『嘘と政治 ポスト真実とアーレントの思想』(百木 漠)を読む

2021-09-20 15:35:17 | 書評

             
 2016年にはオックスフォードの「ワード・オブ・ザ・イヤー」(今年の言葉)には「ポスト真実」が選ばれました。ようするに「嘘」が選ばれたのです。なぜでしょうか。
 この頃、イギリスのEU離脱=ブレクジット、トランプの当選、そして日本での安倍の森友加計問題など、嘘をついている側が勝利をおさめるという事態が続いたのです。

 ただし、この表現が、単に「嘘」ではなくて「ポスト真実」になっていることに注目すべきでしょう。ここには、客観的事実を捻じ曲げるという従来の嘘からさらに進んで、「オルタナティブ・トゥルース=もうひとつの真実」といった積極的な嘘がまかり通るようになった事情が反映されています。

           

 これを、早くも前世紀の中頃に指摘したのがハンナ・アーレントでした。彼女は、不都合な事実を隠蔽しようとする「伝統的な嘘」と現実世界に代わる虚構の世界を作り出そうとする「現代的嘘」との識別を指摘しました。彼女はそれらを、ナチズムやスターリニズムの全体主義の分析を通じて抽出したのですが、この後者の危険性がいま一般化しつつあることを、先のオックスフォードの「ワード・オブ・ザ・イヤー」は指摘しているのです。

 面白いことに、アーレントは政治においての一定の嘘は多かれ少なかれついてまわるもので、それは布地にちょっとした穴をあけるようなものだと言っています。
 そればかりか、嘘の積極的な効用すら語っているのです。

 その一つは、アメリカの独立宣言です。
 「我々は、以下の真理を自明のこととする。すなわち、すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」
 いまひとつは、キング牧師の「I have a dream=私には夢がある」です。
 「私には夢がある。それは、いつの日か、この国が立ち上がり、「すべての人間は平等に作られているということは、自明の真実であると考える」というこの国の信条を、真の意味で実現させるという夢である。・・・・・・・・」

 これらは、現実にはそうではないという意味で「嘘」です。しかし、この現実を抜け出てこうなりたい! こうなろう! と訴えることには極めて積極的な「真実への接近」の願望を語ったものです。
 ようするに、その記述によって現実を変えていく行為遂行的な文章であり、将来実現されるべき状態の先取りであり、われわれが未来に向かって進むべき方向の指示なのです。

 これは、アーレントの「活動」という言葉、それによって何か新しいことを始める営み、創始する、始めると言う意味、他者との共同行為によって何かそれまでになかったものを生み出し、予想できなかった方向へ物事が動き始め、それによって世界に新たな始まりがもたらされる・・・・をよく表しているといえます。

           
               ハンナ・アーレント
 

 これに対して、アーレントが「あってはならない」とする嘘があります。先程、伝統的な嘘は布地に穴をあけるようなものだといいましたが、それに対し、現代的な嘘は事実の織物全体の完全な編み直しとでもいうべきものなのです。 
 現実的でリアルな世界を否定し、それに代わるフィクション、あるいは別のリアリティーを作り出し、そのイメージのうちに住まおうとするところに現代的な嘘の特徴があります。現実を隠すのではなく、新たな現実を事実を無視して生み出し、そのうちに住めというものです。

 だから、これらの嘘をつく人は、それが嘘だと指摘されてもまったく動じません。真実?それは「君たちの世界」での出来事であって、「われわれの方」ではこうのだと居座るばかりです。自分が生み出した虚構の世界こそが現実だと言い張るのです。
 これが、居直りだけで済む段階を過ぎ、その虚構の世界のみが許され、それが暴力を伴って押しつけられるようになった場合が全体主義の始まりなのです。

 まだ居直りの段階でしょうが、トランプは2017年のみで2,140回の嘘をつきとおし、わが安倍は、森友関連で139回、桜問題では118回の嘘をつき通しました。

             

 しかし、全体主義に至らなくとも、これはとても危険な状況なのです。
 まず、嘘の乱用や「ご飯論法」の多用は、対話の不可能、言葉そのものの無効化、コミュニケーション不全を生み出します。
 哲学者ハイデガーは、「言葉は存在の住処」といいましたが、それが歪められると言う事は、我々にとっての世界そして我々の存在自体も貧しいものになっていくということなのです。

 ここで危機に至るのは、私たちが住まう「共通世界」や「公共性」すなわち「人間の条件」そのものなのです。
 人びとは、トランプや安倍のいう「あんな人たち」と「こんな人たち」とに分断化されます。つまり、この両者では、まったく違う世界に住まっているのです。

 まとめてみますと、「現代的な嘘つき」たちは現実の方にリアリティーを感じておらず、それに代わる別のリアリティーを作り出し、その虚構の家に住まっていて、そうした人々は複雑で偶然性に満ちた現実の世界よりも、「首尾一貫した虚構の世界」の方に強いリアリティーを感じ、その虚構へと現実を合わせていこうとしています。

             

 それでは、そうした状況を解決するにはどうすべきでしょうか。アーレントは、人びとの活動によって共通世界が再構築され、それを守ってゆくことを強く訴えましたが、それの今日的適用とは何でしょうか。
 この書の著者・百木 漠もそれに明確に答えているわけではありませんが、若干の示唆はしています。それは、アーレントのいう「仕事」による産物としての「公共物」あるいは「公共の場」の重要性です。

 公共物とは、例えば人びとが共有できる物・事・場などです。例えば、「公文書」などもその一つです。諸外国などでは、それが厳重に保管され、後日、事態の真実が明らかにされることが結構あります。
 しかし、この国では、2014年に始まる安倍の官僚支配に伴い、本来公共物である公文書が、為政者の意志に基づき、隠蔽・廃棄・改ざんが行われるという異常な事態に成り果てました。赤木さんの死を賭しての抵抗にも関わらずです。
 この再構築がひとつの課題です。事実が事実として記録されるという当たり前のことが復活されねばならないのです。

            

 もうひとつは、複数の人びとの意見(なかには臆見=ドクサも含まれます)が、自由に交換できる「公共の場」の構築です。
 前世紀後半、そうした場としてネットが華々しく登場しました。たしかに、そうした機能は一応もったのですが、 同時に、陰謀論に基づくフェイクニュースの蔓延の場と化したり、ヘイトスピーチの乱用をも招きました。また、SNSなどを中心にエコーチェンバー現象とかフィルターバルブ現象(下記にその解説)などが横行し、相互の意見の交換の場としての機能は薄れたといわねばなりません。

 こうしたネット上の意見交換の場の修復、再構築等と並行して、それ以外の複数の意見が交換される公共の場の設置も課題になります。

 それらは、アーレントがテーブルの比喩で明らかにしたような、「人々を分離しながら、なおかつ人々を結びつける」場所の構築だということになります。
 例え、意見や立場が違っても、それが共通の事実(=テーブル)を挟んだものであるならば、共存しうる地点が見いだせるはずなのです。

 『嘘と政治 ポスト真実とアーレントの思想』 百木 漠  (2021・4 青土社) 2,200円

====================================

エコーチェンバー現象 近しい意見を持つ者同士がSNSなどで同種的なコミニケーションを繰り返すことによって特定の信念が増幅または強化される現象 意見の共有は加速度的に進むが、他方ではそれとは異なる声がほとんど聞こえなくなってしまう

 フィルターバルブ現象 ウェブサイトのフィルター機能によって各ユーザがまるでバブルに包まれたように自分が見たい情報しか見えなくなる現象 自ら好む情報のみを享受しているうちに逆に自分にとって不快な 情報や意見は全く耳目に入らなくなる

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人新世を描いた? 台湾の現代小説『複眼人』を読む

2021-09-16 00:18:03 | 書評

 物心がついた時、 台湾は朝鮮半島や樺太、そして中国東北部などとともに日本の領土で真っ赤に塗られていた。 その台湾には高砂族と言う原住民がいて、日本の軍部と協力して高砂義勇隊を組織しているとも聞いたことがあった。「ニイタカヤマノボレ」の新高山も台湾にあった。

         
 
 敗戦後には、もう台湾は日本の手を離れていた。その後知ったのは、例えば高砂族というのは、ほんとうは10ほどあった原住民を、その相互の差異を無視して、日本の統治者が勝手に名付けたものであること、また、占領中には、そうした原住民のかなりの抵抗運動があったことなどである。
 新高山も富士山より高いというので日本人が勝手につけた名前で、現在は玉山というのだという。
 
 しかし、いずれにしても台湾については知るところは少なかった。国際的に中国との危うい関係にあることは知っていたが、その表現や創造活動についてもあまり知るところはなく、わずかに1990年代に侯孝賢監督の『冬冬の夏休み』や『悲情城市』などの映画を観たくらいである。

 いま台湾は、米中の緊張関係のなかで、国際的な波乱の中に再び引き出されているかのようである。

 台湾の現代小説『複眼人』(呉 明 益)を手にしたのはそんな背景があったからではない。このコロナ禍のなか、いつも行く図書館が、カウンターでの図書の授受のほか、書架の閲覧などは不可能になり、ネットや電話での予約による貸し出しに限定されるようになったせいである。ようするに、ネットで新着図書を眺めていて目に留まったというのが実情である。

             

 物語は三つの島とそれに係る複数の人からなる。
 三つの島とは、古代海洋民族の原始文明をいまなお保持しているワヨワヨ島と、台湾、そして世界中の人々が海洋へ投棄したプラスティックをはじめとするおびただしい産廃物が、海流の関係で集積されて出来上がり、太平洋を漂流することとなった広大な島とである。

 物語はワヨワヨ島からはじまる。
 この島の少年、アトレは、島の長老ともいえる祈祷師の家に生まれるが、次男である。この島では、次男はある年齢に達すると幾ばくかの食糧と水を積んだ小舟で島を出なければならない。小さなこの島では、増え続ける人口を養うだけの生産力がないのだ。その代わり、その次男の出発の夜、彼は島の乙女たちすべてと交わる権利が与えられる。少女たちは、彼が通る道に身を潜め、彼を引き止めて交わる。
 アトレのように人気のある少年の相手は半端な相手ではない。しかし、彼が本当に交わりたかったのは、ウルシュラという少女。彼女は最後に現れ濃厚な関係を交わす。

 島を離れた少年たちは棄民であるから何日間かでその生命を失う運命にあり、海で果てた彼らは昼間はマッコウクジラとして海洋を往来し、夜は亡霊として新参の棄民次男を激励する。
 だが、アトレは助かった。たまたま漂流してきたあの膨大にして広大なゴミの島に打ち上げられたからだ。彼は、産廃物の中から生存に必要なものを作り上げ孤独な漂流生活を始める。

          
                  著者の呉 明 益

 舞台は台湾に移る。
 アリスは大学の教師だが、デンマーク人の夫トムとその間の愛息トトとを登山で失い(行方不明)、死を願望するに至る。彼女は所属する族名が記されていないから、戦後大陸からやってきた漢族の本省人かもしれない。
 著者は、台湾の大雑把な歴史を、当初原住民がいたところに日本人がやってきて支配し、それが終わると大陸の革命に追われた本省人がやってきて支配したと述べる。

 アリスの住まいは台湾の北東部、後ろに山地が迫る海岸端であるが、かつての豊かな自然に恵まれた地も、観光化して土地の風俗を壊すような低俗な民宿が立ち並ぶ場所と化している。しかも、海岸の浸食作用でかつての道路に変わり、山肌の美観を損なう道路ができたりして、一層、魅力を損ない、観光地としても危機に瀕しているようだ。

 夫トムと仲の良かったダフは布農族に属する山岳ガイドで、かつて台北で風俗業をしていていまは海べりに気ままなカフェを営んでいる女性ハファイは阿美族である。
 この二人とアリスは気心が通じ合っているようだが、ともに地震や津波の災害に苦しめれれている。ある日の津波で、アリスは斑の子猫を救う。その子猫に「オハヨ」と名付けるがこれは日本語の「おはよう」の意味だ。そして、この子猫が彼女が生きるささやかな支えとなる。

 しかし、やがてこの海岸に大異変が起きる。それは、先に述べた人類が海へと吐き出した膨大な廃棄物でできた巨大な島(アトレの名付けではガス島)が接近し、ついに激突を引き起こすのだ。それは、台風などの後、海岸線に押し寄せるゴミどころの騒ぎでははない。具体的な大きさは述べられてはいないが、とにかく廃棄物が何層にも固まり広がった、大きな島なのだ。

         

 そしてその島には、ワヨワヨ島から辿りついたアトレが住み着いており、衝突の衝撃で山裾へと押しやられ、足を骨折する怪我を負う。それをた助けたのがアリスであり、そこで、アリスとアトレ、それにオハヨの二人と一匹の奇妙な共同生活が山地の狩猟小屋で始まる。アリスの海辺の家は、島の激突で住めなくなってしまっているのだ。

 猫のオハヨはともかく、アリスとアトレはまったく異なる言語で、コミュニケーション不能である。しかしやがて、ものを指差したり、表情を交えたりで、少しずつ通い合うものが出てくる。そして・・・・。

 以上は極めて大雑把なあらすじの、しかも途中にしか過ぎない。人物も既に述べた人々の他に、デンマークからの地質学者やジャーナリストの女性も登場する。そして、それぞれの人がそれぞれの視線から事態の推移を捉える。
 当初、この書のタイトル『複眼人』は、そうした多くの人たちの視線を意味するのかと思った。

 しかし、終盤に至って複眼人はやはり登場する。
 彼は、アリスの夫と息子が行方不明になった折の二人の前にそれぞれ個別に登場する。夫トムの墜死の現場では、そのトムといささか形而上的な会話を交わす。人間が、記憶を記述することによって保つ、つまり人間の文明のありようについて複眼人が述べる。
 「 そのような能力を持つお前たちを、正直、私は羨ましいと感じることも敬服することもない。なぜなら人類は他の生物の記憶も何とも思っていないからだ。お前たちの存在は、他の生命が持つ記憶を破壊し、自らの記憶も破壊している。 他の生命や生存環境の記憶なしに生きられる命などありはしない。にもかかわらず人類は他の生命の記憶に頼らずとも生きていけると思っている。花々は人間の目を楽しませるために美しく咲き、猪は肉となるために存在し、魚は釣り針にかかるために泳ぎ、人間だけが 悲しむことができる生物だと思っている」

 これは、世界を資源としてしか観ていない人間の「世界疎外」のありようを指摘したものとも読める。
 こうして読みすすめると、当初、無文字社会のメルヘンチックなワヨワヨ島から始まったなかば寓話的なSFの描写が、実は今日の高度な文明世界、とりわけ、環境を自分たちの増大しつつある生産と消費の欲望に従わせる資本主義的循環のあり方に対する警告を暗示していることに気付く。
 
 否、膨大な廃棄物によって生みだされ、巨大な島となって海洋を漂うガス島の存在そのものがそれを極めて直截的に現しているといえよう。このゴミの漂流は、この小説ほど膨大ではなくとも、現実に存在するものであるし、また、原子力発電所のいかんともし難い使用済み核燃料の問題、フクイチの汚染水、廃炉によって生じる膨大な核の汚染物などをも象徴している。

         

 こうしてみると、この物語は人が自然との間に最小限の離反しか生み出さないようなワヨワヨ島の対極の、最近流通し始めた言葉で言えば、人類の営みが地球規模でその地質や生態系に絶大な力を及ぼす時代、「人新世」を語るものともいえる。
 ただし、この小説自体は、先に引用した複眼人の台詞以外にはそれを直接に語ることはしないで、資本主義的欲望に支配される以前の台湾の原住民の暮らしぶりや、世界中に散らばるさまざまなエピソードを語るなかでそれを暗示している。

 なお、この『複眼人』という小説自体が、登場人物のアリスが終盤に至って一気に書き上げた小説という自己言及的循環もあって、その他の要素ともども、ミステリアスな印象が残るものとなっている。

 この小説の最後に引用されている詩はボブ・ディランの初期の作品、『激しい雨が降る(A Hard Rain's a-Gonna Faii)』だという。

  これから何をするつもりなんだい? 私の青い瞳の息子よ
  これから何をするつもりなんだい? 私の愛おしい少年よ
  雨が降り出す前に去るよ
  あの黒い森の一番奥へ歩いて行く
  そして沈む時まで大海の真ん中に立つんだ
  僕が歌い始める前に 歌を心に刻んでおきたい
  そして 激しい 激しい 激しい 激しい雨が
  激しい雨が今にもやってくる


 『複眼人』呉 明 益 (小栗山智:訳 株式会社KADOKAWA)  2,200円

台湾には現在、「台湾原住民族」といわれる、阿美族(アミ族)、泰雅族(タイヤル族)、賽夏族(サイシャット族)、布農族(ブヌン族)、雛族(ツォウ族)、魯凱族(ルカイ族)、排湾族(パイワン族)、卑南族(プユマ族)、雅美族(ヤミ族)、邵族(サオ族)の十族が住んでいる。 

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不眠の不眠による不眠のためのファンタジア

2021-09-13 15:12:54 | ポエムのようなもの

 むかしの修学旅行用の大広間か
 研修場付属の合宿所のようなところで
 数十人が雑魚寝をしていた
 私の褥は一番端っこ
 どういうわけか黒いワンピースの
 女性と同衾していた 着衣のままで
 近すぎて女性の顔はよくわからない
 そっと抱擁してみると
 しがみつくようにぐっと抱きしめられた
 が 次の瞬間 さっと身を翻し
 布団の傍らに立ち 私を見下ろすと
 「私、出かけなきゃならないの」
 と、ちょっと気だるい声でいった
 「ああ、そうだったねぇ」
 彼女のワンピースは 黒一色ではなく
 コバルトの模様が入った斬新なものだった
 そのワンピースの裾を翻し 彼女は去る

 
 
 隣の布団には 制服を着たままの
 女子高生とその母親が寝ている
 布団の隅から瞳だけ出すようにして
 「寂しくないの」と女子高生
 母親は寝たふりをしている
 「う~ん そうだなぁ」と しばしの間
 やがて 思いつく限りのイギリスの
 古い詩を口ずさんでみた
 「その詩は?」と女子高生
 トラファルガー広場の黒いライオンが
 教えてくれた詩さ と私は遠い目

 
   2018年8月 ロンドンにて

 建物の外へ出よう と思った
 大きな引き戸の傍らには
 屈強な男たちが 見張るように立っている
 勝手口のような小さな扉の方を開ける
 むかし 学生食堂にいたおばさんがいた
 「おや こんなところに」
 「ハイ お世話になっております」
 外からのしわがれ声
 「今日の野菜 ここに置くよ」
 祖父の声のようだったので
 慌てて出てみる
 大八車が斜めになって止まってるが
 人影はない

 

 川べりの道を歩く
 なにかが水のなかでうごめいている
 ん あれはヌートリア
 少し泳いでは振り返り また泳ぐ
 物心ついた時 隣の用水で飼われていた
 あの時のつがいの 子孫だ きっと
 だから 私を知っているのだろう
 たしか 軍部の要請で飼われていたはず
 あまり馴れ馴れしくしないほうがいい
 視線をそむけて歩いていたら
 いつの間にか川は 暗渠になっていた
 暗渠の下で すっかり退化し
 白い肌と赤い目をもつ水棲動物たち
 彼らの反乱の企てに耳を澄ませる

 

 月光仮面のように白いマフラーをなびかせた
 派手なバイクが 追い抜きざまに 止まる
 「テンペリアウキオ教会はこちらでいいのかな」
 丘のてっぺんを削り取ったような教会
 知っている しかし初めて行った時
 道がわからず とても遠回りをした
 その遠回りした方の道を教える
 あの教会で聴いたバッハは
 自動オルガンのものだったろうか
 出口の前の土産物売場には
 ムーミンのキャラが並んでいたっけ
 丘のかなり下をよぎるトラム

 
   2019年8月 ヘルシンキにて
 
 「否応なしに迫る死の瞬間」と
 どこかに無造作に書かれていた
 死が迫るのか 瞬間が迫るのか
 迫る方と迫られる方の共同作業で
 死が完成するのだろう きっと

 また川沿いに出たけれど
 もうヌートリアはいなかった
 すぐ目の前を 私をリードするように
 アオスジアゲハが一頭 ひらひら舞い始めた
 黒い翅に鮮やかなコバルトの模様
 そう 私が同衾していたのは
 このアオスジアゲハだったのだ

 こうして私の循環は閉じられた

 
  2019年11月 沖縄平和祈念公園にて
 

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食い物の話とほんとに若干の時事問題

2021-09-11 14:24:21 | よしなしごと

 またまた、食い物中心の話で申し訳ない。次回は、いま並行して読んでいる台湾の現代小説か、政治と嘘についての論評かのどちらかを載せるつもり。しばらくご猶予を。

      

【今日の昼餉】昨夕の残りと汁のみの「一汁一飯」に近い質素なもの。ここ二,三日の頑固な睡眠障害(中途覚醒と再眠不能)で食欲がないし、何かを作ろうという意欲も湧かない。おまけに消化不全も。

      

【今日の昼餉】昨夜はそれまでに比べて多少は眠ることが出来た。農協の朝市へ。相変わらずお値打ち。まだミョウガが出ていたのでゲット。この時期葉物はやはり少ない。
 昼はざる蕎麦と昨夕作ったペンネのサラダの残り。
 
    
 
【この時期の悩み】水割りを続けるか、はたまた、お湯割りにすべきか? いずれにしても、高市早苗が総理になんてことになれば、この国は確実に終わりに向かうだろう。
 
      
 
【今日の昼餉】ここんところ涼しかったので、久々に温かいラーメンを作ったら真夏並みの暑さに逆戻り。まあしかし、暑い時期に温かいものを食べるのも精神修養(?)。
 
【今日の時事解説】
六「大家さん、〈サナエノミクス〉ってのはいってぇなんです?」
大家「六さん、それはね、〈早苗ってぇひとだけがくすっと笑う〉ってぇことだよ」
六「・・・・・・・・」
 
      
 
【今日の昼餉】豆ごはんと味噌汁、冷奴(ネギとミョウガの小口切り)。豆腐がダブったのは賞味期限が迫っていたため。
 おやおや、豆腐のみならず、みんな豆関連だ。
 
 
         
 
【衝動買いの漬物】漬物を買ったわけではない。
 3,4日前、白菜の中玉が200円弱だったので思わず買ってしまった。
 買ってから、さてどうしようということで、ちょうど涼しい日だったので、そうだ、漬物にしようと漬け込んだ。そうしたら、その翌日ぐらいからまた暖かくなって・・・・。
 今日見たら、水が上がってきて漬かりかけの模様。今宵の夕食に少し味見をして、場合によってはタッパーに収納して冷蔵庫で保管すべきかも。
 *写真上は漬けた日 9月8日
 *写真下は確認した日 9月11日
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最近の料理二題

2021-09-05 23:55:39 | グルメ

 料理の話題なんてまた間に合せ記事で反省。ちょっとまた一両日忙しいのです。

【今日の一品】オカラを炊いた。ニンジン、シイタケ、アゲ、インゲンを入れた。これ、結構大きなお鉢なので、三日から四日の間は一品分を節約できる。やや薄味かな。でも濃すぎるよりはいい。

      

【洋風煮込み?】シチュー用の牛角切りを安価でゲット。珍しく洋風に手を染めた。もちろん我流。ネットのチラ見では6時間煮込むなどというのもあり、その参照は断念。私の料理辞典に、一時間以上かける料理はない。
 それでも牛肉と玉葱(丸いまま)は1時間煮込んだ。あとは火の通りにくい順に、人参、馬鈴薯を入れ最後に隠元。
 味付けはヒッチャカメッチャカ。塩、黒胡椒、醤油、ウースター、味醂、酒、砂糖、チリソース、タバスコ、etc。ようするに、手元にあるもの、らしいものをすべてぶち込んだ。その基準は私の舌のみ。だから、それぞれの分量なんてまったくわからない。
 一応ローリエは入れた。
 でも意外とうまかったのであるよ。
 
      
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コロナと共生(?)した夏の想ひ出 奥美濃訪問

2021-09-02 01:33:08 | ポエムのようなもの

 夏の終り 一房の葡萄と向き合っっている
 赤紫の果実の周りの白い粉 ブルーム
 果実を守り その鮮度を保つ働きとか
 私の周りにも ついてほしいものだ
 うまそうだといって 食べられてしまうかも

       
       
       

 八月の初め 岐阜県のコロナ感染者は
 ありがたいことに 連日 一桁
 これで収束したとは 思わなかったが
 小康状態であることは 明らか
 近所のサークルで 奥美濃ひるがの高原付近へ

       
       
       

 ここひるがの いまは有数のリゾート地だが
 かつては蛭がうじゃうじゃいた湿地帯
 だから「蛭ヶ野」 今も正式な地名はこれ
 いまはすっかり 開拓され 
 観光客に 印象悪いと 「ひるがの」

       
            

 切り拓いたのは 戦前からの
 「蛭ヶ野大日開拓団」
 大日とは 近くの 大日ヶ岳のこと
 戦後それに 満蒙開拓団の
 帰還者たちが加わり 大陸で果たせなかった
 夢の続きを 再開した

       
       
       
            道の駅で買った 648円 美味しかった

 開拓団を起草した 辻村徳松氏の遺詠
 「いざ友よ 共に築かむ
  日留ヶ野(蛭ヶ野)に
  乳と蜜との 流るる里を」
 乳は酪農 蜜は養蜂か
 あるいは 一般的な豊かさの象徴か

       
       
       

 開拓の結果の 今のひるがの「三白」
 ブランドの ひるがの高原大根
 やはりブランド ひるがの高原牛乳
 大日ヶ岳と鷲ヶ岳、ひるがの高原スキー場
 この三つの白が 四季 人びとを招く

           
       

 春の花 夏の涼しさ
 秋の紅葉 そして豊かな雪の贈り物
 もう 蛭の姿は見えない
 あちこちに 水芭蕉が 群生し
 白樺のほとりを 流れる渓流
 躍動する イワナ アマゴ

       
       

 四季折々 家族連れなどで賑わう
 リゾート施設も あちこちに
 でも今回 やはり蜜は 避けて
 個別に分かれた 里山の散策 
 マスクはいらない 山を駆け下り
 美田を揺らす 風が 爽やか

       
       

 野鳥のさえずり 側溝の水の音
 遠くで作業する人の 草刈り機のモーター音
 後は 私の足音のみ
 少なくとも ここにいる間は
 コロナ云々 とは無縁でいられる

       
            
       

 まだ 日の高いうちに 岐阜に戻ったら
 どっと 猛々しい暑さが
 あっ ここにはコロナが いそうだ
 空気の重さ 色合い 味わいが違う
 慌てて 蟄居モードへ スイッチオン

           
       

 一房の 葡萄を前にした 夏の終り
 おずおずとしか 外界との接触がない 二年間
 晩年の この年月は いかにも惜しい
 もう 足腰が立つのも 僅かな間なのに
 一房の 葡萄に託した 私の 夏の 夢の 終り

 詩ではありません。ただの言葉の繋がり。

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