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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

浅川マキ・逝く・・・・・・・

2010-01-18 11:52:47 | 音楽を聴く
 昨夜というか明け方早く、Kさんという今池時代の友人から、17日の浅川マキのライブ(名古屋 Jazz inn LOVELY・17日)へ行ったが、彼女はホテルで倒れていて病院へ搬送されたためライブが流れたという知らせを受け、密かに心配していました。
 起きてみたら、結果は予想される最悪のもので、その後、彼女はそのまま逝ってしまったようです。
 突然のことですが、ご冥福を祈るしかありません。

 実は、奇しくも昨年の同じ1月17日、やはり、名古屋 のJazz inn LOVELYで彼女のライブを聴いています。
 その折りの日記を再録して、彼女へのオマージュにしたいと思います。


浅川マキとの長い付き合い 「ハスリン・ダン、私のいいひと・・・」

 浅川マキのライブへいってきました。
 ジャズ・イン・ラブリィ@名古屋です。
 
 実は私、彼女の隠れファンなのです。
 といっても、物事にそれほどおタッキーになれない私は、つかず離れず付き合ってきたといえます。
 しかし、ファン歴は長いのです。60年代後半に、彼女が「かもめ」と「夜が明けたら」でレコードレビューをして以来のファンです。
 もう40年以上になるのですね。

            

 当時は、岐阜ー名古屋間を車で往復していましたから、もう既に廃れつつあるカセットデッキのそのまた前の、一本のカセットが弁当箱程もあるようなエイトトラックのデッキを買い込んで、それらを車中で聴いていました。
 正直に告白しますが、加藤登紀子流のストレートなメッセージや、多少暗くとも所詮は明るいところへ戻るんだろうという疎外論的なスタンス(?)より浅川マキの方が好きです。

 彼女は、悲しみも暗さも惨めさも丁寧にとり上げて歌います。しかし、そこには憐れみを乞う姿勢はありません。ルサンチマンがないということです。
 そこからは、それらを総て引き受けながら、それにウィといって生きている人間模様が立ち上がってくるようです。

     

 彼女の歌い方が、それに息吹を注ぎます。
 彼女の歌はもともと歌と語りのグラデーションのようでしたが、ここへ来てその要素は一段と強くなったようです。
 宣言でもなく、ぼやきでもなく、「私こう生きてるのよ、なにか?」というまさに生きている場をそこに刻印するような歌なのです。
 時にはアカペラで、そして大半はセシル・モンローのドラムスのみをバックに歌われます。それがいっそう彼女のモノクロ風の表現を引き立たせているようです。

 休憩を挟んで二時間程のライブが終わりました。盛大な拍手で見送られたことはいうまでもありません。
 ラブリィというこの店、高名な割に狭く、店舗内に楽屋を設けるスペースがありません。演じ終わったアーティストは、店の外へ出て別の場所にある楽屋へ向かいます。
 彼女が出ていって、さしもの盛大な拍手がおさまろうというときです。再び拍手の音が大きくなりました。振り返ると、一度外に出た彼女が引き返してきてアンコールに応えようというのです。
 彼女のライブをけっこう経験している人も、こんな風にアンコールに応えるのは初めて見たといって喜んでいました。

 
 
 「ハスリン・ダン、わたしのいいひと~」
 彼女のアンコール曲が流れます。むかしよく聴いた懐かしい曲です。
 もう青年とはいえない年代でしたが、いろいろ思い煩うことがあった折りに聴いた彼女の歌は、意外と体の芯にまでしみ込んでいるようです。
 
 岐阜へ着き、自転車を漕いでいると、「ハスリン・ダン」という彼女の少し鼻にかかった歌声が、真夜中の路地からふいに聞こえてくるようでした。







コメント (8)
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冬の木々たち <付>浅川マキさんのこと

2010-01-18 02:48:56 | 写真とおしゃべり
 17日の日曜日、名古屋は東区、高岳界隈で主として街路樹に使われている樹木を撮してきました。
 葉のない木々はどれも寒そうです。
 
 
               これは桜です

 こんな枯れ枝の中から、しばらくすると芽や花が顔を出し、やがては見事な緑陰を作るなんて信じられないくらいです。
 しかしよ~っく見ると、枝先がかすかに膨らんでいたりして、確実に春への備えをしていることが分かります。

 
          ヒトツバタゴ、通称ナンジャモンジャ

 樹木のひとつの面白さは、その枝の伸び方ですね。それぞれの木がそれぞれの伸び方のルールを持っているのでしょうが、それがよく分かりません。
 植物に詳しい学者と、計算に長けた数学者が集まって、ある樹木の枝の伸び方を予測してもおそらくは当たらないのではないでしょうか。

    
          ヒトツバタゴとイチョウのコラボレイト

 全くアトランダムではないが、かといって固定した法則性に縛られているわけでもない、その辺が面白いところでしょう。

    
                  アオギリ

 そんなことを考えて枝の伸び方を見ていると、そのよじれや歪みが、その木独自の枝振りという規則性に従いながらも、なおかつ、内外の力によってそれが果たせなかった結果として、事実としてこうある他はないという境地に達しているかのように思えます。

    
      アオギリの幹 新芽や枝を人間に刈り取られた抵抗の痕跡

 ようするにその捻れやよじれは、その木の生命が、自己表出をして行く際に経験する出来事の軌跡としかいいようがないと思うのです。

    
             名古屋市東区の木・モクレン
 
 思えば、私もたくさんのよじれや歪みを背負っていますが、それらは私に訪れた出来事の痕跡といえなくもないでしょう。
 それにしても歪みやよじれが多すぎますね。

 
          同モクレン ほら、もうつぼみが用意されて

 ここまで書いたとき、浅川マキのライブ(名古屋 Jazz inn LOVELY・17日)へ行ったKさんから、彼女がホテルの浴槽で倒れ、ライブが中止になったという情報がもたらされました。
 彼女は名古屋大学の病院へ搬送されたのだそうですが、それ以降のことは分かりません。

 私が彼女のライブへ行ったのは、奇しくも昨年の1月17日、同じライブハウス・Jazz inn LOVELYでした。
 大事に至らないことを祈るばかりです。

コメント (4)
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