六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

ウザイじじいの越年の言葉

2010-12-31 00:53:47 | よしなしごと
 今年中にやり残したこと?そんなものはいっぱいあります。
 今年中になしえたこと?ほんのちょっぴりですがあることはあります。

 まあ、いってみれば毎年こんなものでしょうね。
 今年とか来年とかいってもそこに断絶があるわけではなく繋がっているわけですから、今年出来なかったことは来年やればいいと居直っています。

       

 ただし、老いたからといって変に悟りきるのは、なんだか別の意味で居直っているような気がしてあまりしたくはありません。
 
 「世の中こんなもんだ。俺もこんなもんだ。何が悪い」
 
 本当に世の中はそんなもんですか?
 本当にあなたはそれでいいのですか?
 本当にあなたは悪くないのですか?

 どこかで、そう私に問いかける声が聞こえるのです。
 それに出来る限り応答したいと思ってしまうのです。
 これってやはり悪あがきなんでしょうね。

 というわけで、相変わらず訳の分からないことを書きながら年を越します。
 
 お読みいただいている皆さん、今年一年、ありがとうございました。
 来年は皆さんから一層「ウザイじじいだな」と思われるよう精進します(笑)。

 良いお年をお迎え下さい。
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『タイム』の「今年の顔』とマス・メディアの黄昏

2010-12-28 17:24:24 | 社会評論
 しばらく前からいわゆるマスメディアの黄昏や凋落のようなことについて書いてきましたが、それを象徴するような出来事がありました。ただし、日本ではなくアメリカでのことです。

 アメリカに「タイム」という週刊誌があり、年末にその年にもっとも注目された人を選び、その表紙にも載せるということが恒例化されていることをご存じの方は多いと思います。いわゆる「今年の人 Person of the Year」です。
 そしてそれには、掲載に先立ち、読者によると投票もおこなわれることになっています。

 今年の読者による投票でだんとつの一位は例のウィキリークスの創設者、ジュリアン・アサンジ氏でした。私もこれは当然の結果だろうと思います。
 ですから、全般的に今年はもうそれで決まりという雰囲気が濃厚でした。

             
                ジュリアン・アサンジ氏
 
 ところがです。ふたを開けてみたら結果は全く違うものでした。
 選ばれたのは、アメリカ最大のSNS(ソーシャルネットシステム 日本でいったらMixiのようなものに相当)、Facebookの創業者で、若干26歳のザッカーバーク氏でした。
 アメリカのネット事情に詳しい人はご存じかも知れませんが、おそらく多くの人には、Who ? といったところではないでしょうか。

 このひと、例によってアメリカンドリームの具現者として選ばれたようなのですが、先に述べた読者による投票順位では10位にしか過ぎませんでした。
 これには周辺でもブーイングが起きたようですが、編集部は「アサンジ氏の可能性もあったが、いろいろ論議の対象になりそうで・・・」という苦しい言い訳をしているとのことです。

 ようするに、国家の上層部と繋がり、大手企業から広告を貰っている週刊誌「タイム」というメディアにとっては、内部告発専門のウィキリークスのアサンジ氏を承認するわけにはゆかなかったというのが実情なのでしょう。

                
            「タイム」の表紙を飾ったザッカーバーク氏

 この事実は同時に、彼らマスメディアの限界を自ら告白しているにふさわしいといえます。ようするに国家や大手企業の不利益になる情報の隠蔽には荷担し、お許しの出たもののみを報道するというその姿勢です。
 マスメディアの黄昏と衰退を象徴する出来事という所以です。

 しかし、この結果には皮肉な面もあります。
 慎重にウィキリークスのアサンジ氏を避けたにもかかわらず、やはりネット関連を選ばざるを得なかったということです。ここにも既存のメディアの凋落を見ることが出来ます。
 
 もっとも、今回の受賞を揶揄した動画の中で、その作者はアサンジ氏の言葉としてこんなことをしゃべらせています。
 「僕は企業のプライベートな情報をみんなに無料で提供する悪者。ザッカーバーグはみんなのプライベートな情報を企業に有料で提供する、パーソン・オブ・ザ・イヤーだ」
 これも考えて見る必要のある言葉ですね。







 

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ミネルヴァのフクロウと暮れの勉強会

2010-12-27 04:41:20 | よしなしごと
 東西ともにフクロウは知恵の象徴のようです。
 
 西洋のフクロウでは、ヘーゲルという哲学者が、その著『法哲学概論』に「ミネルヴァのフクロウは黄昏に飛び立つ」と述べたものが有名です。
 もともとフクロウは西洋では賢い鳥というイメージがあり、ローマ神話の戦いと知性の女神ミネルヴァ(ギリシア神話ではアテナ)の知恵を現す使いとされています。

        

 で、どうしてそのフクロウが黄昏にならないと飛びたたないかというと、哲学や思想などというのは偉そうにいっていても、事態のまっただ中ではそれがどんな事態かをちゃんと知ることは出来ないということなのです。

 それを知ることが出来るのは、その事態が収まってから、つまり黄昏時なのだというわけです。この辺はフクロウの夜行性をも踏まえていますね。

 ところで、日本でもフクロウは民話や童話の中で、森の賢者の役を与えられています。先般、知多半田へ行った折に通りかかった寺院には上の写真のようなお地蔵様まがいの石像があって、「智慧福郎」の札がかかっていました。
 そのせいかなんだか賢そうに見えますね。

 ところで、あまり賢いともいえない私は、黄昏ではなく、暮れになってからの勉強会に参加して来ました。
 私以外は若い人ばかりです。
 テキストは西田幾多郎の『絶対矛盾的自己同一』並びにそれを足がかりにした西田哲学全般でした。

        

        
                        最後はこんなことに・・・
 
 やはり、私はミネルヴァのフクロウのようにはゆかず、あちこちの木々や枝にぶつかっての迷走しかできませんでした。
 でも、多少は勉強になりましたし、それに参加するまでの予習に意味があったように思います。

 次回は来年三月頃にと約束して別れました。

 

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枯れ尾花の道を行く おまけのカワセミとカブ

2010-12-24 17:14:13 | 写真とおしゃべり
 久々に郵便局まで歩いた。春にはちょっとした川をはさんで桜並木となるいい道である。
 なぜみぞれ模様の寒さにもかかわらず徒歩にしたかというと、いくぶん危機感があったからである。

 それは私の貴公子のようなスリムな体型と関係する。
 170センチ59キロ、体脂肪率18%ほど。なぜこの私がアダルト・ファッションのモデルに誘われないが不思議なほどだ。まあ強いて難といえば、顔にしまりがない(よくいえば優しすぎるのだ)のといまの若い連中に比べたら若干(若干ですぞ)足が短いせいなのだろう。

           

 それはさておき、その貴公子の体型が危機に瀕しているのだ。
 体重が2キロほど増えた。それに連れて体脂肪率も20%を示すようになった。
 原因は分かっている。以前なら多少寒かろうがなんだろうが徒歩か自転車で往来し、駅や建物の内部では出来るだけエスカレーターやエレベーターを利用しなかったのに、ここ一、二年、やれ今日は寒すぎる、やれ今日は疲れているとやたら楽をしたがって、車を濫用し、階段と見ると自分の足を使おうとせず怠けるようになったからである。

 今年はとりわけそうで、風邪と腰痛に悩まされていることもあって、秋ぐらいから自分の足腰を使う機会がグンと減ってしまったのだ。この運動不足を、私の素直な体重と体脂肪が反映しているわけである。

 で、一念発起、歩くことにした。歩き始めると、細かい水滴がさっと顔面をなぞった。時雨のかけらのようなものだ。少しひるんだが、歩くにつれてそれも収まりからだが暖かくなってきた。腰のちょうつがいも心配したことなく機能している。

       

 少し落ち着いて周りを眺めるとそこはススキの道だった。
 ススキは秋のものとされる。白い穂先が風に揺れて、それを逆光からうまく捉えるとまるで生命があるかのような写真になる。

 この時期のススキはもはや完全に終わった枯れ尾花なのだろうが風情は悪くはない、というより私は好きである。
 上手に品よく立ち枯れている株を見つけると、図々しくも自分とそれを重ね合わせたりする。
 「私もあのように立ち枯れたい」とはいうもののどうせそんな具合には行くまい。もっとはちゃめちゃでどろどろし、自分の醜いところをさらけ出しながらのたうち回って死ぬのだろう。

 そんなことを考えている私を慰めるように翡翠のつぶてが水面を走った。しかもつがいで。
どうも飛んでいるカワセミは色彩がよぎるのみであれよあれよという間に視界から消える。
 しかし、今日は恵まれていた。いちど飛び去った彼らが、またもやつがいのまま戻ってきたのだ。
 しょぼくれた爺さんが寒そうにひょこひょこ歩いているので、特別ショウを見せてくれたのに違いない。

 時節柄、郵便局は混んでいた。私の用件は簡単に終わるものだったので、今度は川沿いの反対の道を通って帰った。もう、飛ぶ宝石にはお目にかかれなかったが、その代わり近くにある菜園によってみた。
 つい最近までいろいろな作物に溢れていたのだがほとんど収穫され、残っているのは大根や蕪、それにねぎ、お雑煮用の正月菜ぐらいである。

       

 都会に住んでいる人は蕪というものは根菜だから地中に玉を作ると思いがちだがそうではない。そうした先入観に影響を与えたのは、小学校の教科書などに出てくる大きな蕪をみんなが協力して引っこ抜く話で、協力を説くのは悪くないが、中には挿絵などでもろに蕪が地中にあるものもある。ここに引用したものはある童話社のものだが、やはり大半が地中に埋まっている。

       

 実際の写真と見比べていただくとその違いが分かるが、でも写真のようだったら大勢がよってたかってという「協力」の主旨が生きてこないからこれはあえて強弁しないことにしよう。

 さてさて、今年もうひとつのイベントは若い方たちとの西田哲学のお勉強、テキストは、あの「なければならない」という文体がが連発される「絶体矛盾的自己同一」。
 う~ん、私は「絶体絶命的自己破綻」。
 一応テキストは読んだがあとは無手勝流あるのみ。




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イルミネーションはなぜ真冬なのか? 名古屋と岐阜

2010-12-22 04:09:56 | よしなしごと
 私はくだらないところに疑問を感じるので、前は何万とか何百万の発光体を用いてなぜイルミネーションなど飾りたてる必要があるのかと思ったのですが、これはどうも、光源の発光ダイオードというものがきわめて格安に出来るということでまずは解消しました。

       
        昨年の名古屋駅頭 下の白い部分が遠り抜けのテラス

 次は、なんでこんな寒い時期にやるのか、真夏だとかもっと暖かい時期にやればいいのではないかかということでした。ひとつの答えは、クリスマスや年末年始の商戦を盛り上げるためらしいのです。
 ようするに冬のボーナスで潤った懐を狙ったものです。

 でもそれだったら、夏には夏のボーナスを狙った商戦があり、夏の夜を飾ってもいいのではないかと思われます。夏だったら寒さをこらえて見る必要はないわけです。
 しかし、にもかかわらず、なぜ冬なのかについての説得力のある解答を見つけました。

       
    
       
          今年の名古屋は通り抜け部分のみでやや淋しい

 まずその一つは、ホームイルミネーションや並木道のそれなど、ようするに広葉樹(闊葉樹)の葉が散ってからでないと目立たないということです。
 もうひとつ、もっと説得力のあるのが日没時間との関係です。
 真夏のイルミネーションがその輝きを増すのは場所や時期によっても違いますが、午後七時半から八時です。
 そして、夏の商戦といえどもこの時間には既に閉店している店もあるわけです。

 その点、冬のイルミネーションは、四時半頃から光を増します。
 都会地での点灯はだいたい五時からのようです。
 ということは、夏に比べると三時間あまり多くその装飾を楽しめるということです。

 皆さんご存じでした? え? そんなこと知らないのはお前だけですって?
 やっぱし!

        

        
      今年の岐阜駅大階段 規模は小さいがすぐ近くで親しみやすい

 ところで、今年は名古屋駅ビルの壁面のイルミネーションがありません。
 テラス部分の通り抜けの電飾があるのみです。
 やはり、少し淋しいですね。
 どういう事情か分かりませんが、ここ2、3年、デザインがマンネリ気味でしたので、それを一新して出直すのでしたらいいでしょう。

 私の街、岐阜駅のものはその規模においても小さく、大階段を舞台にしつらえられたものですが、それだけに身近で、訪れた人たちがその前に立って写真を撮っています。階段の上から眺める人もいます。
 手の届くところにあるイルミネーション、それはそれで見るひとに親しみやすいものではないかと思います。

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風邪と腰痛と菊の花

2010-12-20 00:24:55 | よしなしごと
    
        さて、この女優さんは誰でしょう?

 頑固な風邪と突然来襲した腰痛とのダブルパンチ。
 座っていても立っていても痛いし、動かせばなお痛い。 
 このまま腰が曲がったおじいさんになるのでしょうか?
 その辺で見かけても石を投げないで下さい。

      

 いいニュースもひとつ。
 この前、今年は菊が咲かないとぼやいていたら、今日見つけました。
 ただし、十本ほど茎があるうちの一本だけ、しかも二輪のみです。
 でも見つけたときはホッとしました。
 お前らよく咲いてきてくれたな・・・という感じです。

 

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師走の遠足 同人誌の人たちと岐阜を歩く

2010-12-18 03:17:56 | よしなしごと
 昨日の日記で私が参加している同人誌に触れましたので、それに関連する記事です。
 もう旧聞に属しますが、同人の面々がわざわざ岐阜まで来てくれて、一緒に師走の岐阜を散策
しました。
 晴天ではないにしろ、寒さがゆるんだ穏やかな日でした。

     

 岐阜の古い街並みの辺りを散策しました。
 みなさん好奇心が旺盛で、立ち止まってはいろいろ詮索の連続です。

     
    岐阜提灯のシャンデリア       屋根神様を見つけた
 
 プライヴァシーもあって正面の写真は遠慮しましたので、みなさんの晴れやかな表情をご覧いた
だけないのが残念です。

     
 老舗の川魚専門の佃煮やさんがやっているお店で昼食をとりました。
 鮎やそのほかの小魚、ウルカなどをあしらった郷土食をうまくアレンジした料理でした。

         
    面白うてやがて悲しき鵜船かな   川端康成と伊藤初代
 
 その後長良河畔の小公園で、芭蕉の句碑や、近年建った川端康成と伊藤初代さんの像などを見物
しました。

     
    旧みなと館 現ホテルパーク     川端康成コーナー
 
 そこから少し離れ、大正10(1921)年、川端康成が3度にわたって求婚者伊藤初代さんと訪れ
たというかつての「みなと館」、現「ホテルパーク」を訪れ、そのロビーに展示してある川端康成関
連の資料を見学し、お茶などいただいて歓談致しました。

     
       中国庭園          岐阜公園名残の紅葉
 
 さらに、ホテルパークすぐ裏の中国庭園を眺め、そして、岐阜公園の名残の紅葉を楽しんで帰途に
つきました。

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同人誌「遊民」が東海の文芸部門で銀メダル !!

2010-12-17 02:35:26 | よしなしごと
 仲間の人たちとともに「遊民」という同人誌を創刊した旨お伝えしたのは初夏の頃でした。
 http://pub.ne.jp/rokumon/?search=8068&mode_find=word&keyword=%E9%81%8A%E6%B0%91

    
 
 そして11月の晩秋、その二号が出ました。
 主な内容は以下の通りです。

 *小説  鹿に会う                          山下智恵子
 *私たちの時代、私の言葉の行方  
    -----情報の氾濫と果てしなき分散の中で------              三 嶋 寛
 *八歳の危険分子
   -----なぜ校長室に呼ばれたのか-------                  伊 藤 幹 彦
 *怪人・加藤唐九郎伝説[Ⅱ]
   -----ロマンを追いつづけた美の巨人------               稲垣喜代志

 *遊びをせんとや生まれけむ                       斎 藤 孝

 *多喜二の母を訪ねた                   
   ------セピア色の記憶-------                     大牧冨士夫

    (そのほかエッセイなど盛り沢山)

 これにつき、朝日の東海版の夕刊(12月16日)、「東海の文芸」がとり上げてくれました。
 文中にとり上げられたのは三嶋の評論ですが、いってみれば「ベタ褒め」で、おそらく三嶋は、続く第三号でそれを凌駕するものをどう書くかで頭が痛いことと思います。




 全員にとって嬉しかったのは、上の文章の最後の方で、本年の東海の文芸活動にとって、記憶すべきトピックの2番目に、私たちの《「遊民」創刊とその充実》が挙げられていたことです。
 いってみれば、団体で銀メダルですね。

 この同人誌、一応編集会議はあるものの、誰が何を書くかの規制は一切なく、気がついたらそれぞれの部門で棲み分けが成立し、それが雑誌そのものの多様性となって現れています。
 それがまた「機関誌」などとは全く違う自由な広場を形成しているのです。

    


 ご希望の方は、アマゾン、または発売元の風媒社へご注文下さい。
 ネットでの情報によれば、創刊号は既にして、定価以上でアマゾンに出品されているそうです。


 

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河村市長とそれを巡る市選管の不明朗な対応について

2010-12-16 04:28:10 | 社会評論
 最初に述べておきますが、私自身は河村氏自身を支持するものではありません。
 僅かですが接触を持ったことがあり、その折りの印象と彼の思想などに関しかなり批判的です。
 従って、今後の成り行きも氏の思惑通り行く方がいいかどうかは疑問です。
 以下はそれを前提にした問題提起です。

       

 さて、名古屋市の市議会リコール住民投票の是非が、再審査の結果、市民の署名が有効署名数を上回ることとなり実施されることになりました。
 私は名古屋市の選管委員は、この間の費用を弁済すべきだと考えます。

 というのは、今回の事態につき名古屋市選管の対応には大きな疑問というより疑惑があるからです。
 47万集まった当初の署名の24%が無効と判定されました。
 4分の1が無効というのは異常な数値です。
 それは何によるかというと、市民には全くわかりにくい選管が勝手にきめたルールによるものでした。

 その当時に於いて、選管の事務当局からはすでにその対応に疑問が提起されていたのですが、選管の委員はそれを敢えて押し切り、署名は有効数に達しないと断定しました。
 なぜそんな強引な決定が為されたのかは、市選管の5名のうち4名が糾弾されている市会議員のOBだったからです。
 従って彼らは、民意をいかに受け止めるかではなく、民意をいかに拒否するかに全勢力を注いだのでした。そのためには、市民にわかりにくいルールを事後に付与することさえしました。

            

 それ以降、無効とされた署名者の異議申し立てが相次ぎ、さらなる審査を得て、結果として有効署名者を越えたことは周知の通りです。選管は、まさかこんなに多くの市民が異議申し立てを行うなどとは夢にも考えず、どうせ愚民はこれで押さえることが出来るだろうと最初の決定で枕を高くしていたものと思われます。

 問題は、選管の事務局の見解の如く、最初の段階で既に有効の結論が出ていたということです。
 それを敢えて選管委員が後出しの規則で無効の宣告をしたことが混乱の始まりです。
 その再審査のために、各区役所の対応、署名者への郵便物のやりとりなどで億に達する経費を要したといわれています。

 もちろん、これは市民税から支出されます。
 しかし、おかしいですよね。法に従っての審査ならいざ知らず、敢えてその解釈をねじ曲げて、署名者の4分の1を無効にするという暴挙にでた市会議員OBたち、彼らの市議会寄りの全く政治的な判断によって巨額の経費は支出されたのです。

       

 ですから、私は彼ら選管委員ははその経費を自ら負担すべきだと思います。
 少なくとも、過去何年かの歳費を返上し、辞職すべきだと思います。
 しかし、なおかつ彼らは居座り、今後のリコール投票や、その後の出直し選挙を仕切るつもりでいます。
 これは許せないと思います。

 最初に述べましたように、私は河村氏には大きな違和感をもっています。
 しかし、ことは彼を支持するかどうかではなく、中正公立を装った選管が恣意的な規則を事後的に適用し、市民の意向を汲み上げるのではなく、それを踏みにじったことにあります。
 市会議員とそのOBとの癒着によって民意が封殺されようとしたのですから、人口200万を越えながらも、名古屋がいまなお村社会のルールで仕切られているといわれても仕方ないですね。 

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冬咲く花と空の過密ダイア

2010-12-15 02:41:40 | 写真とおしゃべり
 春には春の花が、秋には秋の花が咲きます。
 そして、冬には冬の花が咲きます。
 代表的なものは山茶花でしょうか。
 気の早い水仙ももう花芽を付けています。

     

 とある道ばたで、薔薇の花を見かけました。
 写真でご覧のように、南天の隣で咲いています。

     
 
 不思議なのはわが家の菊です。
 もともと、どこから来たのか分からないままに住みついたものですが、秋の終わりに可憐な花を付けるので、それなりに存在感があったのですが、今年はまだ花を見ません。
 どうやら蕾もないようです。どうしたことでしょう。

 私は園芸マニアではないので自然放置ですが、それでもここ何十年か花を付けていただけに淋しいものがあります。
 写真は昨秋のものです。

     

 話は全く変わるのですが、最後の写真は夕焼けをお届けするものではありません。
 よく見ていただくと、飛行機雲が左から右へ二本走っているのが分かるでしょう。さらによく見ていただくと、左上に短い白い線があるのがおわかりだと思います。
 この三本すべてが飛行機雲なのです。

     

 これで見ると、日本の空はけっこう飛行機で溢れていることが分かります。
 さほど広くない国土に、各県ごとに飛行場をもち、それぞれに飛行機を発着させているのですからこんな状態になるのでしょう。
 つい最近も、ネア・ミスが問題になっていましたが、それもなんだか分かる気がします。

 私の家の上空はどうも航路になっているようで、かなりの機数が飛びます。加えて、昼間には各務ヶ原飛行場や小牧の自衛隊機が飛びます。
 自衛隊機は、飛行場が近いので、飛行機雲ほど高くはありませんが、その代わりかなりの音量を発します。
 その昔は、テレビの画面が揺れたものでした。

 風邪をこじらせ、読書もままにならぬままの散漫な日記でした。

 
 

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