六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

【身辺雑記】あえて言えば植物関連になるのかな・・・・

2022-11-30 15:41:41 | 写真とおしゃべり

 昨週前半は名古屋への往復が重なっていくぶん慌ただしかったが、その後半以来、今度は自宅から半径1キロ以上は出ないという真逆の展開になっている。そこでまさに身辺雑記などをあれこれ。

        

これは、私んちの近くで、郵便物を投函に行ったり、2週間に一回、クリニックへ行く際に通るけっこう好きなビューポイント。
 この写真は一週間前ぐらいだが、昨日は、紅葉している公孫樹が半分ほど散っていてこれほど美しくはなかった。
 なお手前の緑地とさらに手前の均されて土地、ともにかつては稲作が行われ、天日干しの稲架掛けが見られた場所だった。
 しかし、ここ何年か耕作は行われていない。だが、その割に一般の休耕田とは違って、いつもきれいに整えられている。いつか再び、稲作が行われ、また、あの稲架掛けが見られるのだろうか。
 それまで私は、そのウオッチャーでいられるのだろうか。
 
今季初の赤カブ漬け
 農協で比較的大きい玉の赤カブ2玉を100円でゲット。早速葉っぱもいっしょに漬物に。昆布、鷹の爪、柚子の皮を添える。あとはうまくなあれと祈るのみ。
 今からちょうど6年ほど前の今頃に亡くなった連れ合いが好きだった野菜だ。もっとも彼女は、漬物ではなく酢漬けの方を好んだのだったが・・・・。
        
 それとこの赤カブ、飛騨地方で赤カブ漬けに使うものとはちょっと違う。飛騨のものは、中まで真っ赤だがこれは中は白い。外見の違いでいうと、これは葉の茎の部分は緑だが、飛騨のものはその茎も赤い。
 
       
 しかし、この中が白いものも、漬け込んでいるうちにほんのり全体が赤くなる。とくに酢漬けにすると、その赤みが鮮やかになる。
 いずれにしても、食い物で冬を実感する時期になった。
 
わが家の紅葉とナンテンのことなど
 わが家の庭には・・・・などと時折偉そうに書いているが、わが家には庭園と呼べるようなスペースはない。
 
       

 玄関から表の通りまでの4,5メートルのイントロ空間、それから、南側の材木屋さんとの目隠しのための1m強のグリーンベルトが全てである。それらのスペースを埋めるのは、ほとんど限られた植物群である。
 
            

 したがって、草花のスペースはほとんどない。今は亡き連れ合いが、プランターでパンジーなどを育てていたが、私にはその根気もない。
 
            

 だからいま、うちに残ってるのは樹木のたぐいのみ。

            

 それも、かつては多種類があったが、その狭いスペースには大きくなりすぎた、琵琶、桑、棕櫚、柾などを伐採してしまったので、今や、紅白のツツジ、桜桃のなる桜、紫陽花、レンギョウ、皐月、各種ナンテンのみといった寂しさだ。
 
        
 
 この時期花はなく、それらの一定のものが紅葉するのが唯一の色気。
 
        

 なお、今年はナンテンの実の付き方があまり良くない。天候などのせいか、それとも夏場の水やりをサボりまくったからか。

ご恵贈

           

 崔  銀姫氏編纂の書だが、そのうち第六章をご担当の東村岳史氏にご恵贈いただいた。
 ちょうどこの書の辺りを勉強していて、同人誌に雑文を書いたりしているところなのでまさにグッドタイミングないただきもの。感謝々々だ。
 なお、東村氏はアイヌ民族など、マイノリティについての論考で評価も高い。

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JR岐阜駅付近のイルミネーション このくらいでいい

2022-11-26 00:32:13 | よしなしごと

 今月は20日からの5日間のうち3日は名古屋へ出かけるという近年にないハードなスケジュールだった。

  

 いじましい交通費の話になるが、岐阜でのバス代、JRでの名古屋までの代金、名古屋での目的地へ至る主に地下鉄の代金、そしてその帰途の交通費などを合わせると約1,800円ほどになる。
 だからこんなに連日のお出かけだと、岐阜のバスカード、その他のmanacaの残高がみるみる減ってゆく。双方とも、そろそろチャージしなければならない。

  

 帰途、岐阜駅に着くのはたいてい夜、ないしは日暮れ以後になる。
 ここからバスだが、それが夜になると一時間に2本ぐらいで、タイミングが外れると30分以上待たされることもある。

  

 そんなときには、駅周辺をうろついたりする。
 この時期、出会うのはイルミネーションだ。岐阜駅のそれは、ご覧のように比較的地味で、ゆったりとしたBGMがあるものの、それに合わせてとくに派手に動いたり、瞬いたりすることもなく、従ってこれ見よがしでもなく、威圧的でもない落ち着きがある。


  

 北口広場に位置する信長公の黄金の像は、写真の一枚にあるように、この前まで緋色のマントを羽織っていたが、最近それは脱いだようだ。
 もともと、黄金のマントを羽織った像なのだから、この前までのは、この6日にキムタクがやってきて、信長に扮した騎馬武者行列の際、彼が羽織っていた緋色のマントに合わせて着せたものだろう。

   

 BGMが鳴り、華やかな明かりが灯っている割に、なんとなく静謐な感じがする。そこへすっかり冷たくなった夜気が迫り、老いの身を包む。この雰囲気がけっこう好きだ。

          

 何やかやするうちにバスの時間が近づいた。乗り場へと急ぐ。これに乗り遅れるとタクシーしかない。若い頃はしばしば家まで歩いたが、足腰が弱った今となってはその蛮勇はもうない。
 なになに、バスは約4分の遅れだと・・・・ならばもう少し憩いの風情を味わっていればよかった・・・・なんてぼやいてみても致し方なかろう。

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久しぶりに劇団pH-7 の公演を観た 橘かおり健在なり!

2022-11-24 13:29:17 | 写真とおしゃべり

        

 しばらく前になってしまったが、久しぶりに劇団公演に行ってきた。
 「劇団pH-7 40周年記念公演プレ企画・劇団pH-7 地下劇場20周年記念企画」の一連の企画の一つで、「匣(はこ)かたり」と銘打たれたそれは「かたり」が示すように、朗読劇ともいえる四つの短い物語のオムニバスであった。
 
 そのタイトルなどは以下のようである。
1)「葵の上」 三島由紀夫・台本
2)小品集 その1 「回収稼業」 北野和恵・台本
3)小品集 その2  「走る女」 北野和恵・台本
4)「けぬき」 北野和恵・台本

        
     この内、「扇の的」は上演されず、上演順も上に私が述べたようであった。

 それらの「かたり」はどれも面白かったのだが、やはり、1)と4)が良かったと思う。一つにはどちらも題材が古典に依拠していたこと(1は「源氏物語」 2は「八百屋お七」)、二つにはそれらが朗読の域を超えて、照明、音響、衣装、メイクなどが本格的で視覚的にも楽しめたこと、そして三つには私が飲食店を始めた約半世紀前から幾ばくもしないうちに知り合った劇団pH-7の看板大女優・橘かおりさんが健在でその張りのあるセリフ回しと妖しい演技を惜しみなく披露してくれたことにある。

        
           上演前のひととき  於:劇団pH-7地下劇場

 とりわけ、三島の台本による「葵の上」は、そのセリフの一言一句が研ぎ澄まされた詩情に溢れていて、そのミステリアスな情況を余すところなく表現していたと思う。むろん、それを演じた橘かおりさんの熱演あってのはなしだが・・・・。

 なお、劇団pH-7とは以下のよう劇団である(そのHPから)。
  https://ph-7.sakura.ne.jp/

 思い起こせば、1970年代後半から80年代にかけて、名古屋はいわゆるアングラ劇団の密集地帯でその隆盛を誇っていた。いまそれらがどれほど健在であるかはよく知らないが、おそらく、この劇団pH-7 はその時代からずっ~と歩み続けている数少ない劇団だと思う。
 
 半世紀以上前の私の若い頃は、演劇活動といえば「新劇」であった。その新劇のパラノイックさをスキゾフレーニーに乗り越えようとしたところにアングラ劇団の歴史的意味があったし、いまもあると思う。
 だとしたら、まもなく40周年を迎えようとしているこの劇団を注視し続けるのも面白いのではないかと改めて思った次第である。

 なお、劇団pH-7で検索したら、この劇団がその35周年記念に公演した「石の舟」(原案は三田村博史「漂い果てつ」風媒社刊 台本:北野和恵)がYouTubeにあり、それを私は生の舞台で観たのであった。
 https://www.youtube.com/watch?v=Yi8awokBZ-A
 
 時間があったらご覧になると面白いですよ。
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大音響のガナリ声 旧統一教会の自民党への反撃 付:撤去された「飛翔」

2022-11-22 17:59:51 | フォトエッセイ

 20日、今月二度めの名古屋へ。駅頭に降り立ったとたんに大音響のガナリ声が響く。
 行く先へにはまだ時間の余裕があったので、何事かと近くへ寄ってみる。幟に文鮮明の名が。これはまさに旧統一教会の街宣にほかならないと耳を澄ます。

       

 あまりがなり過ぎるのでかえってよく聞き取れないが、どうやら激しい調子で自民党や現政権を非難している様子。中には「小泉のせがれ」といった固有名詞も混じる。
 
 全体のトーンとしては、自分たちが自民党を支えてきたのに、それがいま、裏切って抑圧する側に回ろうとしていることを激しく責めているようだ。別に、旧統一教会の肩をもつわけではないが、その言い分に一理はある。

       
 
 さんざん自分たちを利用し、選挙のときなど使いまわしておきながら、事の真相が露見した途端、絶縁を言い出すばかりか、このままでは支持率の下落が止まらないとばかり、過去の恩義も忘れて規制法案を用意したり、宗教法人への質問権を手に、最悪の場合は解散をもという構え、これを許してなるものか・・・・といったところだろう。

 まあ、私にとってはどうでもいいことで、どっちもどっちでもたれ合ってきたのだから、この際、喧嘩でもなんでも思い切っておやりになり、その拍子にいろいろな事実がポロポロ出てくればかえってスッキリするのではないか。

       
 
 そこを離れて数十メートルゆくと、今度はまったくだんまりのスタンディング。こちらはかつて澤地久枝さんが考え、それを金子兜太が揮毫した「アベ政治を許さない」のプラカードを掲げたままである。
 アベ政治云々はいささか古いかもという思いもあるが、現政権が基本的にはアベ政治の枠を抜け出ていないこと、「モリ・カケ・サクラ」が何ら解明されていないということからしたら、これでいいのかもしれない。

  
 
 ところで、名古屋駅の桜通口にあった巨大モニュメント「飛翔」が撤去され、その箇所が白い板で覆われているのは、長年、見慣れてきたものがなくなっただけにちょっと痛々しい感もある。

       
          これは今年の6月29日 「飛翔」が健在だった頃
 
 もっとも私は、いまの大名古屋ビルヂングの先代もがまだなく、駅前を市電が行き来していた頃をしっているだけにまあ、時の流れというものは人の思い入れなどはブルで地均しをするように打ち壊して進むものなのだろうとわかってしまっている。

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六文銭の飼育日記 最近の餌についての報告

2022-11-20 10:48:56 | グルメ

焼き飯とわかめのすまし汁
 

  

山かけそば
 長芋をたっぷりめ、薬味はネギ、大葉、切り海苔。長芋にはアクセントとしてワサビを練り込んだ。

  

残り物の簡素な夕餉
 摘果キュウリの梅と紫蘇和え ハモ入りチクワの大葉和え 豆腐とレタスの外側と生ワカメのあっさり煮 真ん中は酒盗の瓶詰め(残り少ないので、瓶から直接に) 手前は謎の液体


  

エビ唐ラーメン
 前日の芝海老の唐揚げが余っていたので、それをメインのラーメンに。あとはモヤシと生ワカメ。海老の殻の硬さが気になるかもと思い、スープとともにすこし煮込んだら、柔らかくなって問題なし。余録として、スープに海老の出汁が出て満足満足。


  



カレーピラフと味噌汁
 見たまんま。

  
  

ちょっと贅沢
 タラ白子のポン酢和え 大根葉おひたし 焙り小イワシ メインは「スギ」という魚のカマ塩焼き その左は赤カブ抜き菜の漬物(自家製)

 
  


 
スギという魚、以下を参照されたいが、九州南部から沖縄で多く、台湾では養殖魚のメインらしい。ブリやサワラよりやや硬い白身で、カマの部分はやはり油がのって美味しかった
https://www.zukan-bouz.com/syu/%E3%82%B9%E3%82%AE 

かつて「炉端酒房 六文銭」の創作料理として幅を効かせた「納豆焼き」の再現
 納豆(今の三段重ねだとその二段分ぐらいか)に全卵に醤油少々を入れよく撹拌し、中火、ないし弱火のフライパンでじっくり焼き上げる。 
 かえせるほどになり、両面に薄い焼き目がついたら、皿にとり、お玉一杯分ぐらいのすりおろした長芋を均して乗せ、さらにネギの小口切りや切り海苔などの薬味をのせて食べる。 大葉やミョウガなどもOK。味が薄ければ醤油などを補足。ちょっとした風邪はこれで治る。


  

店ではこれを陶板で焼いて、熱いまま出すことができた。

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ドイツから来た紅葉の便り

2022-11-19 01:07:47 | よしなしごと

 私のブログをいつも見ていてくれるドイツ在住の友人が、こちらの紅葉の写真に呼応して、ドイツでのそれを送ってくれました。
 一見なんでもないのですが、点描の人物と比べると、その木の、そしてこの空間の壮大さが想像されます。
 やはり、日本の自然の箱庭的緻密さに対し、ヨーロッパのそれはかなり違う風情ですね。もちろん、どちらが良いかといった問題ではありません。

 後者の写真は、ライプツィヒのクララ=ツェトキン公園のものだそうです。
 ああ、クララ=ツェトキン!ローザ・ルクセンブルクやカール・リープクネヒトと並んで前世紀はじめのドイツ社民党左翼反対派のメンバーだった女性!
 10代後半から私の胸を燃やした憧れの人たち!
 ただし、いまは、もう少し冷静に彼らの功罪を検討することができます。

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古今伝授の里公園 錦秋・小春日和・奥美濃紀行から

2022-11-17 23:40:17 | 写真とおしゃべり

 先般来、写真中心の「錦秋・小春日和・奥美濃探訪」を載せてきたが、最後の目的地は長良川支流の栗巣川(かつてアマゴ釣りに入ったことがある)沿いにある「古今伝授の里公園」であった。
 公園の概要は以下をご覧いただきたい。
 http://www.kokindenju.com/index.html

 この公園にある諸施設には幾度も来ているので、今回は、栗巣川を挟んで対岸の鎌倉~室町時代にかけて当地を治めた領主・東(とう)氏の居城であった篠脇城跡に付帯する東氏館跡の公園に行って、紅葉や私の好きな渓流を写真に収めた。

 遠目にはともかく、紅葉はやや盛りを過ぎた感じではあったが、まあ、全体の雰囲気は伝わるのではないかと思う。

 花の景色も嫌いではないが、花はなんとなく求心力を持ち、そちらへと視線が集中する趣きがある。そこへゆくと紅葉は求心力というよりラッピングやBGMのように私たちを包み込む力があるように思う。

 霧の九頭竜湖から始まった錦秋探訪記は、西に傾く日差しの逆光に映える紅葉たち終わった。
 今年の遠出は、多分これでおしまいッ。

      

     

     

     

      

      

      

      

      

      

      

      

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米中間選挙の推移を解いてくれる『アメリカとは何か』

2022-11-16 02:35:24 | 書評

 米中間選挙、投票日から一週間経ってやっと上院の民主党の辛勝が報じられたが、下院の方は当初の共和党のリードが保たれるのか、それとも民主党の追撃がなるか、未だにわからない。こうした激戦の中にこそ選挙の醍醐味がある。

 そこへ行くと日本の選挙は気が抜けたソーダ水のように味気ない。投票締め切り、開票開始と同時に、バタバタバタッと当確が各メディアによって報じられ、そこでもう大勢は決してしまう。若干の激戦地で結果は夜半に及ぶが、既に大勢は決まっている中でのささやかなエピソードでしかない。

 アメリカの選挙結果は当然アメリカ国内にとっての重大事だが、同時に20世紀以降の世界現代史にとっての重要なファクターでもある。政治、経済、文化、軍事にわたって、いま、アメリカを抜きにして世界の未来は語り得ない。  
         

 そんなことを前提としながら、岩波新書の『アメリカとは何か 自画像と世界観をめぐる相克』(渡辺 靖)を読んだ。
 とても面白かった。アメリカそれ自体の現代史が、まさに今回の選挙のように錯綜する要因を必然的に孕んだものとしてあることを理解する一助になるのだ。それはまさに、日本のようなお題目としての民主主義(であるがゆえに常に疑似民主主義でしかなかったのだが)とは違った、血で血を洗う局面をも含んだそれへの試行錯誤としてある民主主義の歴史、それこそがアメリカなのだ。

 「アメリカ民主主義」については19世紀にフランスから派遣されてアメリカのそれをよく理解していたトクヴィル(この人については私はあまり勉強していない)、そして、フランス革命やロシア革命よりアメリカ革命を高く評価したハンナ・アーレントを思い出す。
 両者は共に、小さな集落でのミーティングからタウンミーティング、シティミーティング、州単位のミーティングと経由する共同体の意志決定のプロセスを大きく評価している。

 それらが、トクヴィルやアーレントにとってなぜ評価されたのだろうか。それは、こうした統治の形が、広い領地と多くの領民をもつ国家の殆どが専制君主であった時代に、新しく生まれた実験的な形態の国家だったからである。
 アメリカは、これまでの自然発生的な国家とは異なり、民主制の明確な理念を掲げたいわば、実験国家として船出をしたのだった。

 そしてこの実験過程はいまも終わってはいないといえる。ヨーロッパ諸国は君主制から共和制へという流れに基本的に沿ってはいるが、それぞれに逆行的な要因をも孕んでいる。
 そして、アメリカ以外の大国、ロシアや中国は、その名称や国の運用形式には共和制や民主制を思わせる面をもってはいるがが、実質的には専制国家そのものである。
 中国の首脳筋には、広大な国土と多様な民族を束ねてゆくのにはそうした形態しかとりえないのだと率直に語る向きもあるようだ。そして、専制に見えるそれらの措置が、最大多数の最大幸福のためやむを得ない措置なのだともいう。

 その意味では、アメリカはそうではない道を模索する実験国家であり続けているといえる。
 ただし、その実験過程も容易ではない。高度な資本制ゆえの富の一極集中、それへの批判は民主党内ではサンダースなどの社会主義的潮流を産み、共和党内ではトランプ流のポピュリズムを産み出す。それらは、両党の動向に様々な波紋をもたらし、かつ、アメリカのありようを左右する。

 そのアメリカの国際的な動向にはかねてより二つの方向がねじれをもって存在している。第一次世界大戦時がそうであったような伝統的な孤立主義、そして、第二次世界対戦後そうであったような「世界の警察」を標榜する介入主義、これらは、既に見た国内での政治と密接に関連しながら世界へと関与している。
 グローバルな時代、アメリカがどちらを選択するかはもちろん世界史的な影響力をもつ。

 前世紀末の冷戦終了後、もはや実質の資本主義しか存在しない現実において、「歴史は終焉した」ともいわれた。しかし、引き続き世界史的矛盾は存在し、新たな冷戦の戦線は築かれたと思う。
 その一方は、一応民主主義をその政治体制とするいわゆる西側であり、その先頭にはもちろんアメリカが立っている。
 そしてもう一方は、それと明言しないまでも専制を維持し、あるいはそのもとに発展してきたロシアや中国を中心とした勢力である。
 そうした新たな冷戦の一部が熱戦となって現実化した戦争がロシア対ウクライナのそれである。

 日本でのこの戦争の評価や報道のされ方は、ロシア=悪、ウクライナ=善(プーチン悪い人・ゼレンスキー良い人)が圧倒的だが、国際的には必ずしもそうではない。
 国連総会のロシア非難決議に対しては、賛成が九〇カ国ほどなのだが、反対ないし棄権の合計もまた九〇カ国ほどなのだ。

 この戦争に対して、ロシア国内が揺れていると報じられる。それは事実だろう。しかし、一方のアメリカもまた、孤立主義の伝統がもたげ、戦場から離れる可能性を秘めてはいる。

 以上、るる述べてきたのはこの書の内容の忠実な紹介では決してない。それどころかそのディティールを無視した私の感想、個人的な世界史観にすぎない。ただし、これがこの書に触発されたものであることは事実である。
 
 この書の大枠で賛同したいのは、途中でもすこし述べたが、アメリカという国が250年前に始まった民主主義という理念に基づく人工国家の壮大な実験で、その実験はなお未完であるということだ。
 そして、その未完の実験の成り行きによって現実の世界の動向が左右されるということだ。

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石徹白付近にて 錦秋・小春日和・奥美濃紀行

2022-11-14 16:58:09 | 写真とおしゃべり
 石徹白は九頭竜川の支流、石徹白川の最上流部の集落である。
 私の子供の頃、ここは福井県大野郡石徹白村だった。それがなんやかんやで岐阜県に越境合併し、岐阜県郡上郡白鳥町石徹白になった。現在はさらに郡上市白鳥町石徹白になっている。

 なお、石徹白の下流(今回もそこを通ったが)の後野(私の子供時代は福井県大野郡下穴馬村後野、現在は福井県大野市後野と市の一部になってしまったのだが、未だに人の数より熊の数の方が多そうなところ)は、私の亡父の出身地で、生後養子に出されて以降、戦争などもあって各地を転々とした私にとっては、疎開で5年間暮らした大垣の郊外と並んでわが思い出の郷土ような位置を占めるところである。

 なお、九頭龍湖畔にある「ドライブイン九頭竜」は、亡父の妹の息子、つまり私のいとこが経営している。その辺を通りかかった折には是非お立ち寄りを。      

 そんな関係もあって、この辺はよく来ているし、渓流釣りに凝った頃には、石徹白川やその支流をホームグランドにしていた。何十度も来ている。

 以下の写真はそれぞれ石徹白付近で撮ったものだが、あまりいい写真は撮れなかった。
 ただ、密かに自己満足しているのは、天然のイワナが実際に泳いでいるところを撮し得たことである。かつて、釣り上げた渓流魚を写真に収めたことはあったが、渓流で遊ぶそれを撮ったのは初めてだ。じっとしているものの他、動きのあるものも撮ることができた。

 最後の一枚は、豪雪地帯にあって、出番を待っている除雪ブルの勇姿である。

  
 
       

  

  

        

  

        

  

  

  
 この上下の写真は、同じアングルから、手前か渓流かどちらに焦点を合わせたかの違い
  

  

  
    三枚の渓流魚のうち、上はパーマークからしてアマゴ、下の二枚はイワナ
  

  

  

 

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錦秋・小春日和・奥美濃(一部福井県)探訪

2022-11-14 02:10:14 | 写真とおしゃべり

 明日から天気が崩れるという12日、気候にも気温にも恵まれ、地域のサークルの人たちと奥美濃(一部福井県)をドライブした。

 一路北上、白鳥から158号線で福井県側の九頭竜湖へ。かつては、油坂峠を越えたものだが、いまはその直下をトンネルで福井県側へ出てしまう。
 便利にはなったが、かつての油坂峠からのあの眺望が懐かしい。トンネル手前から岐阜県側を見渡すと、白鳥町を中心に、美濃国の最深部がパノラマのように拡がる。
 それらを取り囲む山々の向こうは飛騨の国だ。

 油坂峠峠を越えれば越前になる。それと同時にここは、太平洋側と日本海側を振り分ける地点でもある。だから、ここを境に天候も変わる。
 私たちが行った12日も岐阜県側は快晴であったが、福井県側の九頭竜湖(九頭竜ダムによってできた人造湖)は一面のガスに覆われていて、幻想的であった。

 以下の一連の写真は、そうした霧中のものであるが、やがてそのガスも薄れて行ったため、後半のものにはその面影はない。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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