新しい仕事を自分で選んだのだから仕方がないが、とにかく忙しい。あれこれ後回しにしている件があって気ばかり焦る。
目についたものの写真と説明のみ。
クリニックの帰り、多少の足慣らしにと歩いた川沿いで見かけた、八重桜の花筏。少し上流にその木があったが、やはりほとんど散ってしまっていた。
川沿いでよもぎの新芽とまだ黄色い柿の新芽を摘んできた。
これを天ぷらに。材料費ゼロ。
よもぎはほんのり苦みがあって「大人の味」。酒類に合う。
柿の新芽はかすかな甘味がある。これもうまい。
二本あるツツジの木のうち、白い方はもう終わりかけているが、10日ほど遅れて赤いほうが満開に近づいている。ガレージの突き当りなので、ガレージそのものがパッと明るくなった。

サクランボウがもう色づき始めた。収穫するための時間を作らねばならない。
今週も老骨に鞭打って頑張ろう。
いろいろあって、長いものを書く余裕がない。もっとも、私の長文は今やウザッタイと思われるのみだが・・・・。



ちょっと幸せな気分。
暑い!岐阜は三〇度。もういいだろうと、通常の洗濯の他に、セーター、ベスト、半纏などの冬物をマニュアルを見ながら洗う。縮ませたりはしたくない。
昼麺も、温かいスープのものはやめてざる蕎麦を作る。左側の器は一応蕎麦湯。蕎麦を手繰ったあと、薬を飲むのに使うなんて、年寄の食事なんてそんなものだ。
そろそろ、冷や麦を仕入れてこなくっちゃぁ。
すっかり若葉の季節に。
手前は紫陽花、右上は紅梅、中央は南天、左上は花が終わった連翹。
木々の向こう側は隣の材木屋さんの土地。
そういえば文部省唱歌に「萌える萌える若葉が萌える」というのがあった。
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あらら、「かおる かおる」と「そよぐ そよぐ」しかでてこない。私の記憶違いのようだ。まっ、いいか。


著者の前提は、この国において、未来に関しての悪弊への抵抗、または積極的な提言などの運動が乏しい、つまり、我々に続く世代=未来の他者についての関心が薄いのはなぜだろうということである。
彼はそれを、基本的には加藤典洋の『敗戦後論』を受ける形で、我々の死者の弔い方(日本300万人、アジア2000万人)の問題へと遡及し、そしてその結果としての我々の未来の他者たちへの関わりを問題にしてゆく。
彼はその問題を、『鬼滅の刃』や『おしん』、太宰治の『トカトントン』、吉岡隆明と鶴見俊輔の「転向論」への構え方と相違、柳田國男の常民論から司馬遼太郎の描く近代の人物像、さらには村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』を題材にしながら論じてゆく。
それらの検討の中での「我々の死者」の改めての発見、そしてそれによって浮かび上がる「未来の他者」への関心の発起、それが彼の目指すところである。
果たしてそれが成功したかどうかは正直いってよくわからない。
加藤典洋以来の問題の整理にはなったし、引かれた例も豊富で面白く、勉強にはなったが、いまの現実の問題は本当にそこなんだろかという疑問が残るし、したがって、私の関心ともいくぶんズレがある読書であった。
7日、月曜日は家事労働というか身辺の整理など、身体を結構使った。
通常の洗濯をし、それを乾してから、午前中は、自分のデスク周りの整理。
自分で買った本、図書館で借りてきた本、献呈などでいただいた本や雑誌などが、百冊近くも無造作に積読(つんどく)状態でなんともならない。
それらを、直ぐに必要として読むべきもの、順を追って読むべきもの、いつ読むかわからないが蔵書として置いておくもの、思い切って捨ててしまうもの、などなどを区分し、しかるべく整理。
これで一応、「え~っと、あれはどこだっけ?」という状態が多少は緩和した。
そこで昼食。山芋の古い在庫(冷蔵庫の野菜室で結構保つので、つい後回しになる)があったのでそれを使った山かけそば。時期が時期だからまだ暖かい方。すりごまを混ぜると、香ばしくなる。
午後は、もういいだろうと冬服の整理。もうしばらく着ない厚手のジャンパーなどを今日二度目の洗濯。セーターやベストなど毛糸のものはまた別途違う洗い方をしないと縮んでしまうから、今日は見送り。
それを乾してから、だいぶ実が膨らんできたサクランボウを、ヒヨやムクから防衛するためのCD吊るし。十数枚を樹のあちこちに吊るす。風でキラキラすると、結構、効果を発揮する。
もっとも何度目かの収穫後には、これらのCDは取り外し、鳥たちにも分けてやるつもり。
以上のような事柄、若い人にはなんでもないことだろうが、腰痛持ちの老人にとってはかなりつらい動きも多い。
しかし、人間が日常に生きるとうことはこうしたことだと思う。
明日、地球が壊滅するというのに樹を植える人の話が時々流れてくるが、私はそんな愚かなことはしない。私が動くのは、明日もまだ、自分の人生が継続されるだろうという期待を込めてである。
一昨日、今年始めて近くのマイお花見ロードを歩いた。
私がこの辺に住み出した数十年前に比べ、樹の老化が進み、危険だとして伐採された箇所もあり、だんだんボリューム感が減退している気がする。



満開を過ぎ、散り始めていて、今年はもうこれで見納めの感が強い。長く寒かった冬などといわれたが、来てしまえが季節の移り変わりは早く、駆け足で進んでゆく。

流るるも 留まるもよし 花筏・・・・だ。