六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

私の身近な生活情報 誰も興味ないか・・・・

2023-04-27 11:38:18 | 写真とおしゃべり

ある日の昼餉 タケノコご飯 おかずは昨夕の残り 味噌汁は好きだから品が悪いといわれそうだが、いつも擦り切れイッパイ。
     

桜桃がたわわに実ってきた。もう一回の収穫を済ませたが、今日は二回めだ。                           

  

食べ残りの豆苗の株から生えてきたえんどう豆。去年は植えたのが遅すぎて、10鞘ほどしか穫れなかったが、今年はどうだろう。
     

締切間近の原稿は、最後がまとまらない。一体、何を書こうとしてきたのか、謙虚に反省。今日午後、図書館で資料とのチェックも・・・・。

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昨日、そして今日 季節は早足で

2023-04-24 15:55:05 | 写真とおしゃべり

 もたもたしてる内に、季節はどんどん進む。老いの足取りではついて行けないくらいだ。

 昨日であった箴言。コジェーヴのそれを少し弄り回してみた。
 「人生は喜劇。だからこそ真剣に演じ切らねばならない。たとえそれが悲劇に見えようが、その根底には喜劇があることは、覚めた眼でそれを演じきってこそ、あらわになるのだから・・・・」

 もう紫陽花の蕾が。皐月よりも早く咲くのではないか。



 先般埋め立てられた田んぼを見に行った。「タマホーム」の幟が。住宅が3~4軒建つのだろう。これで、わが家の2階からもすべての田んぼが見えなくなる。半世紀前の田んぼの中の一軒家は、かくて都市化の波に飲み込まれてしまった。


 日曜日、久々に名古屋へ。自宅からJR岐阜駅までバスで。その最前席に座ると、気分が少年のように沸き立つ。




 駅前のバスターミナルに囲まれた小公園では、ナンジャモンジャの花が満開。それを前景に高層ビルを。



 駅のプラットホームにて。


 これは名古屋のとある小公園。私にとってはちょっと懐かしいところ。


 月曜日。もう一日待とうと思ったが、明日は天気が崩れそうなので、サクランボの第一回目の収穫。明日は、娘の勤める学童保育の子どもたちのおやつに。



 先にみた紫陽花といい、最後のサクランボといい、今年は季節の移ろいがほんとうに早い。サクランボを25日以前に収穫したのは初めてだ。かつては、大型連休後ぐらいだったのに。

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忙しくなったのは自分の行動の鈍化。わが家の写真から。

2023-04-23 02:08:37 | よしなしごと

 ここんところ忙しい。
 同人誌の締切が迫っているし、図書館で借りた本の返却日ももうすぐだ。
 なんでそんなに忙しいのかその理由ははっきりしている。かつてはさっさと済ませたことがらにずいぶん手間取っているからだ。書を読むのも、文章を書くのも・・・・そう、すべて寄る年波のせいなのだ。
 
 死ぬまでにしておきたいこと、行ってみたいところもけっこうあって、気ばかり焦るのだが、それに反比例してそれらを進める能力は低下している。
 老いを泰然として受け止めるほど肝が大きくない私は、ただただ焦りを空回りさせているのみなのだ。
 しかし、これは私なりに一貫しているともいえる。ようするに、人生とはこんなもんだよという悟りの境地とは終生無縁であり、それでいいと思っているのだから。

 そんなことで、ここに載せる写真はすべてわが家でのもの。
 目についた変化を、メモ代わりにスマホに写真で収めているので、それらをもって一応は元気だよという報告に代えたい。
 

 二階の私の部屋から見下ろす白ツツジ。ツツジは下から咲いてくるから、下の方はもう茶色になっている花も。


 代わって赤ツツジが満開に近づきつつある。これも白同様、樹齢は五〇年ほど。

 半分は、ガレージの中に枝を伸ばして咲いている。

 バス通りに面した方はこんな感じ。


 この時期はやはりタケノコ。農協で小2本で400円。

 粉糠と鷹の爪を入れて湯がく。

 落し蓋で沈めて一時間少々。湯がき上がったものを撮るのを忘れた。


 桜桃がもう熟してきた。例年は早くて連休中、普通は連休明け。今年は10日以上早い。
 


 紅梅の鉢は、もうすっかり葉が茂っているが、その影に、可愛い実がたくさんついてきた。普通の梅の実は丸いが、これはラグビーボール型。

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白いツツジから赤いツツジへ 晩春のアンニュイ

2023-04-20 02:13:13 | 写真とおしゃべり
 どうもメンタル面での調子があまりよくないが、春はどんどん過ぎゆく。老人性不定愁訴は置いてけぼりにして。

 わが家の紅白のツツジのうち、白い方は満開を迎え、早く咲いた花は褐色に侵されつつある。樹齢50年の広がりは、けっこうダイナミックである。

 ここんところ、起承転結のある文章が書けないので、かんたんなキャプションだけで済ませよう。

 この広がり。この上が私の部屋。毎日これを見下ろしてる

 別のアングルから

 このもこもことした密集感

 毎年、一枝だけ赤が。どこへ出るかは不確定

 居間の窓を開けると眼前がこれ

 花ごと落ちたものも

 ガレージ横の赤は五分咲きか

 こちら(南)はよく開いているが向こう側はまだつぼみが多い
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ツツジ三昧の今日このごろ・・・・

2023-04-17 01:46:43 | フォトエッセイ

 わが家には紅白二本のツツジがあって、今、白のほうが満開に近づきつつある。この木は、居間のすぐ近くにあるため、花の白さで、部屋が明るくなった。
 紅の方はぼつぼつ開き始めているが、これは玄関先を彩ることになる。
         

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散歩道から・・・・写真とキャプション

2023-04-13 17:28:46 | フォトエッセイ

4月12日の散歩から

「カラスの豌豆」の群生

八重桜の花筏

その花筏を作った八重桜

対岸の生命力あふれるヒメツルソバ

青春の語らい

岐阜の中心部を臨む


アメリカハナミズキ

梅の実、たぶん小梅

神社の参道

お花畑

越年ペンペン草

ケシの花

ある構図

アカメガシワ

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最近、自ら作り、口にしたモノども(キャプションなし)

2023-04-13 17:19:44 | フォトエッセイ

 いつもいつも同じようなもの食ってるなぁ。
 貧しい選択は懐の貧しさにに比例する・・・・ってところか。

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家業としての政治家たち 看板としての思想信条

2023-04-10 16:33:59 | 社会評論

 統一地方選の第一期が終了した。関西での維新の伸びは想定内だったし、ほとんど変わりばえがなかったといっていい。
 
 そんななかで私が唯一注目したのが地元岐阜県議選の多治見選挙区の結果であった。この地区は衆院選岐阜第5区の中心都市だが、一昨年の衆院選において、当時、連続10回当選の盤石の基盤を持つ自民党の古屋圭司に対し、全国最年少、弱冠25歳の立憲の候補者、今井瑠瑠が挑んだのであった。結果は、古谷の8万2千票に対し6万8千票と迫り善戦したものの落選であった。しかし、この票差は彼女の若さと相まって、大いに将来を嘱望されるものであった。

            
             立憲の看板を背負った今井瑠瑠

 そんな状況に激震が走ったのは今年の一月であった。その今井瑠瑠が立憲から自民へ鞍替えし、今回の県議選多治見選挙区に立候補するというのだ。多治見選挙区の定員は2名、過去の県議線ではずーっと、自民系と野党系が一議席づつを分け合ってきた。

 しかし今回、自民は既成の自民候補(公認)の他に今井に推薦状を出し、この地区での自民独占を狙ったのだった。
 そして結果は、今井瑠瑠は2位当選を果たした。で、その結果としてはじき出されたのは・・・・自民の公認候補の方だった。

 けっきょく、自民の選挙区独占の夢は破れ、公認候補の落選という代償を払ったわけだが、今井の方は、高校時代からの政治家になるという夢を果たしたことになる。なお、この高校時代の政治家志向のなかには与野党のはっきりした区分はなかったというから、彼女の政治家志向は思想や信条とはほとんど関わりがないところで醸成されたものというほかはない。
 要するに職業としての政治家志向である。これが現行みられるような世襲と絡むと、家業としての政治家となる。そして、この国の政治は岸・安倍家の4代をはじめ、そうした家業としての政治家たちに牛耳られている。

            
             自民の看板を背負った今井瑠瑠

 今井瑠瑠の寝返り的離党、そして反対党派への加入であるが、過去にもなかったわけではない。
 1993年の細川内閣の発足による自民党の野党への転落は、野党中心というより、自民党を離党し、日本新党を結成した細川護熙ややはり自民党離党の新生党党首羽田孜、さらにはやはり自民党出身の新党さきがけの武村正義らの旗揚げに社会、公明などが呼応したことによる。
 しかし、これらの離党寝返りには、多数にあぐらをかいた自民党の腐臭漂う事態への反発と危機感があった。詳しくは語らぬが、当時、リクルート事件、金丸事件などなどの醜聞が自民党を蝕んでいた。

 しかし、最近の離党寝返りには、そうした危機感によるものではなく、よらば大樹的なものが多い。旧民主党時代の幹部、細野豪志などがその代表格であるが、思想信条においての変化を跡づけることは困難だという点では今井瑠瑠と共通している。

        

 マックス・ウェーバーは、その著書、『職業としての政治』で、「政治のために生きる」政治家と、「政治によって生きる」政治家を峻別しているが、この後者の、「政治によって生きる」ようするに、家業としての政治家が圧倒的に多くなり、それは今日の政界を支える最大のエネルギーではないかと思われる。それらの政治家たちが、その都度掛け変える新しい看板(たとえば「新しい資本主義」、「異次元の・・・・」など)は、家業継続のための看板の塗替えに過ぎない。

 ところで、こうした連中に、政治の素人である私たちが立ち向かい、その要求を実現する可能性はあるのだろうか。
 一番手っ取り早いのは、彼らの家業を容認し、その門下に膝まづき、忠誠を誓うなら、なにがしかのおこぼれとして、それは聞き届けられるかもしれない。そんな屈辱に耐えきれない正面突破は可能なのだろうか。革命、テロル、クーデター・・・・・・・・。
 いずれにしても、現状の政界というのはそうした政治の家業化を無視しては語れないのではないか。
 私は、これらの事態の解明や解決への道筋はもちあわせていない。

 今回の事態で、今井瑠瑠は、ある意味、今日の政治のあり方の典型のような気がしたのであった。

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祭りとその起源のアウラをめぐって

2023-04-06 02:52:41 | よしなしごと

 今日は四月五日、私の子供の頃は伊奈波神社を中心とした春の岐阜祭りであった。今はそれに近い日曜日に道三祭りとして行っているようだ。そして四月三日は、天満宮を中心とした加納祭りであった。ともに結構盛大だった。
 なぜ、この二つの祭りを並んで取り上げたかというと、加納というのも同じ岐阜市でありながら、かつては祭りを別にしていたからである。

       

 というのは、岐阜市というのはもともと、井ノ口村だった場所に信長が居を定めた折、岐阜に地名を改め、明治に至り岐阜町と呼ばれていた地域と、その南部の加納藩であり中山道の宿場町であった加納宿が前身の加納町とが南北からくっついてできた市なのである。その境界はおおよそ、現在のJR東海道線に沿っている。

 私の子供の頃、この二つの地域の合併という痕跡はまだ残っていた。戦時中の疎開地から岐阜へ戻ったとき、私の住まいは加納地域であったが、私の意識としてはあくまでも岐阜のなかの加納ということであった。しかし、年寄りたちは違っていた。
 こんな会話は、けっこう日常的にあった。
「おまはん、どこへいきんさるな?」
「わっちかな。ちょっと用があって岐阜までだがな」
 その頃(4分の3世紀前)、老人たちにとっては、私のように「岐阜のなかの加納」ではなく、あくまでも「岐阜と加納」だったのである。

 冒頭に述べたように、その頃、岐阜祭りと加納祭りがそれぞれ別の日に行われていたのはそうした背景があったからである。しかしこの分離は、私たち加納の子どもにとってはありがたかった。というのは、四月三日には加納祭りを存分に楽しみ、五日にはまた岐阜祭りを楽しむために市の中心部へ出かけることができたからだ。隣接した二つの祭りを楽しむことができたのである。

       

 しかし、岐阜側の子どもたちは、そうした加納の子どもの特権を見逃さなかった。
 当時は休みの日でも、制服制帽が多かったから(そもそもみんな貧しくその他の服などはなかった)、その徽章を見ればどこの学校かも分かってしまった。
 だから、加納の子を見つけると、岐阜の子が寄ってきて排除しようとするのだった。
「お前らの祭りはもう終わったんじゃろ。こっちの祭りには来るな!」
 と、いうわけである。

 この言い分には意地悪もあるが、それなりの合理性もある。事実、私たち加納の子は、
「俺たちはいいよなぁ、両方の祭りが楽しめるのだから」
 と、思っていたのだから。

 まあ、そんなことを考慮してではないだろうが、今日では岐阜祭りも加納祭りも統一され、しかもその日取りもそれに近い日曜日に移されている。
 それはそれで合理的なのかもしれないが、それぞれの祭りの起源に係る時間的アウラのようなものが奪われ、「祭り」ではない「行事」にへと変更されたことを意味する。

       

 国の祝日についても、近年はその祭日の起源(成人の日は「元服式」の一月一五日、体育の日は最初の東京五輪の開会の日十月一〇日などなど)とは関係なく、近隣の休日と抱き合わせにされるケースが多い。
 ただし、そうした起源のアウラを凛として守り、決してその日を移動させない一連の祝日がある。答えを言ってしまえば、それは天皇家関連の祝日である。勤労感謝の日も不動ではないかという反論があるかもしれない。しかし、この十一月二三日は戦前の新嘗祭といって、もとはといえば天皇家の行事なのである。

 結論としていうならば、天皇家の行事はその起源のアウラを損なうことなく不動である。
 「天皇は神聖にして侵すべからず」の帝国憲法の精神は今も生きている。

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映画『生きる-LIVING』(脚本:カズオ・イシグロ)を観る

2023-04-04 14:55:46 | フォトエッセイ

 ノーベル文学賞受賞者のカズオ・イシグロが脚本を担当したという黒澤明の『生きる』(1952年)のリメイク版イギリス映画(2022年)を観た。

 黒澤の作品の公開時、私は中学2年生だったから、観てはいない。その後、成人してからどこかの二番館で観ているし、TVで放送したものも観ているが、それらも、もう何十年か前の話で詳細は覚えてはいない。
 しかし、このリメイク版を見た限り、そんなに大きな変更はなく、むしろ、黒澤のものに忠実といっていいかもしれない。

          

 観たあとで、改めて黒澤版の記録を調べてみたが、その全体の構成、登場するエピソードなどほとんど変更されずに描かれている。舞台は1953年のイギリスだが、そのテーマは共通している。
 映画の内容にも触れることになるが、ここにある問いは半年後の死を宣告された地方公務員の主人公が、どのような「生」を意識的に選び取るのかということで、その意味では、死に直面した人間が選ぶべき「本来性」としての己の生を説くハイデガーにも通じる重い課題だが、それを抽象的な生ではなく、これまで過ごしてきた役所での自分自身の官僚的な対応で先延ばしにしてきた仕事のひとつに見出し、それに自分のすべてを賭けてゆくところに現実性がある。

       

 また、それについては、彼に先立ってお役所仕事から飛び立ち、厳しい現実のなかでめげずに生きる若い女性、マーガレット(エイミー・ルー・ウッド)との再会も大きな意味をもつ。というのは、飲む、打つ、買うの頽落のなかを漂っていた彼がそこから浮上する際、ハイデガー的な「本来性の探求」、つまり民族や大地といった観念的なものにとらわれることなく(その結果としてハイデガーはナチス的な全体性に付け込まれてゆくのだが)、市民的な日常性のなかに、そしてそこでの「活動」に自分の終の棲家を見出してゆく契機が、彼女との改めての出会いであったと思われるからだ。

       

 ここまでは黒澤版とリメイク版との共通点について述べてきたが、リメイクである以上まったく同じではない。私が気づいた違いは以下の二点であり、それぞれ、黒澤版の記憶をもつ人には無視できない点であろう。
 そのひとつは、主人公の風貌の選択である。これは脚本での参加以上に、むしろプロヂューサー的にこの映画に関わったカズオ・イシグロの指示によるものだというが、黒澤版の志村喬に対し、同じ日本映画の巨匠、小津安二郎組の常連、笠智衆風の主人公をということで、選ばれたのがリメイク版の主人公ウィルアムズを演じるビル・ナイだということだ。

       

 確かに、志村喬にはその二年後の『七人の侍』でもみられるように、精悍でエネルギーに溢れた感が伴う。『生きる』に出た折にも、黒澤から少し減量することを命じられたという。
 黒澤同様、小津にも通じていたイシグロは、その辺を思い切って主役の風貌を別途選択する道を選んだといえる。やや精悍な感じから、背中で語るようなイメージへと。それはおそらく成功したのだろう。

       

 もうひとつの違いは、大げさにいえば、『生きる』を観たことがない人でも知っている主人公が自分が完成させた公園のブランコに揺れながら歌う「ゴンドラの唄」が、リメイク版では採用されず、スコットランド民謡の「ナナカマドの木」が使われていることである。それについてもイシグロは明確に語っている。
 「命短し、恋せよ乙女・・・・」で始まるこの歌は、映画のテーマに対してあまりにも直截的すぎると。「ナナカマドの木」は、主人公が酔って酒場で歌う折にすでに示されているように、彼に先立って亡くなった彼の妻がスコットランドの出身で、よく歌っていたということのようで、郷愁を誘う歌として選ばれたようだ。
 ちなみに、イシグロの妻もスコットランドの出身だという。

       

 映画のテーマはあくまでも主人公の「生きる」ことについてなのだが、それを取り巻くお役所の官僚制的な、まさにお役所仕事によってたらい回しにされる住民の要求という状況設定が大きな意味をもっている。
 主人公の命がけの仕事ぶりをその葬儀の席で知ったお役所仲間たちが、彼の功績に習って真摯な勤務を誓い合いながら、その翌日からの仕事において、相変わらずの官僚制縦割り社会の中にどっぷり浸っていることが、揶揄されて映画は終わる。

 1950年代を象徴するかのようなあまりくっきりさせない、少しざらついたような画像の質も、この時代と映画の内容にマッチしていて良かったと思う。

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