六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

映画『フラメンコ・フラメンコ』を観る

2012-02-28 16:02:36 | 映画評論
 ピレネー山脈を越えるともはやヨーロッパではないという。この言葉には多少の蔑視も含まれているようだが、この際それは無視しよう。スペイン、しかもその西南部、アフリカに接するアンダルシアには、事実、伝統的なヨーロッパとは異なる風情が満ちてているようだ。
 そこでヒターノ(スペイン語でロマ=ジプシーのこと)たちによって生み出されたのがフラメンコである。ヒターノの発祥はインドといわれているから、かれらの西への旅の到達点がアンダルシアともいえる。
 映画はそのアンダルシアのフラメンコの精髄を惜しみなく繰り広げる。

 画面でアンダルシアの風光などが紹介されることはなく、同一のスタジオで収録される全21幕の踊りや歌、あるいは演奏で綴られているのだが、そこには間違いなくアンダルシアの風が吹いている。

        

 構成は人の誕生から成長、成熟、死、そして再生によるもののようなのだが、別にその連続性を意識しなくともひとつひとつのシーンを十分楽しむことができる。
 これを記録映画といって良いのだろうか。数々の劇映画とともにダンスと音楽をテーマにした作品を撮り続けてきたカルロス・サウラ監督がヴィットリオ・ストラーロ(『ラスト・エンペラー』などのカメラマン)と共に創り上げたこの作品には、台本自体はわずか3、4ページしかなくその展開の可能性を余白に書きこんであるにすぎないらしい。それは実際に演奏される際の臨場的な刺激とその芸の即興が生み出す力を重んじたからだという。

 陰影、色彩、反射などの光の躍動を追い続けるカメラは素晴らしい。ひとこまひとこまがドキドキさせるような絵を紡ぎ出す。
 そうした映像に隈取られた音楽と踊りがそれぞれ至芸というべきことはいうまでもない。各シーンが終わるごとに「オーレッ!」と叫んで拍手したくなるほどなのだ。

 踊りの素晴らしさもさることながら、全身から搾り出すような歌声も印象的である。その発声はやはりオペラなどに見られるヨーロッパの伝統的なものとは異なり、地声をそのままぶつけるという点で朝鮮半島の伝統芸能「パンソリ」に似ている。そういえばその小節も、歌全体を通じて流れる哀愁もそれに似ている。

        

 フラメンコといえばギターであるが、これももちろん超一流の演奏者揃いで、私のように楽器を操れない人間が観ていてもその弦さばきそのものがすばらしい絵になっているし、そこから弾き出される音の豊かさは聴く者の身体と共鳴して心地良い。
 また、珍しい二台のグランドピアノによるフラメンコの演奏が出て来て、もちろん初めて聴いたのだが、ジャズピアノとはまた違って陰影のシャープな音の流れがとても面白かった。

 映画だから当然といわれればそれまでだが、各シーンは美しくかつ、観客の感覚を掴みとって離さない。
 冒頭はスペインの画家たちの作品が衝立のように並ぶなか、それをかき分けるように前進したカメラが演奏者へと至るのだが、ラストではその逆で、どんどん引いてゆくカメラが再びそれらの作品群を撮し出す。
 そして、それらの作品を一枚一枚紹介するようにエンドロールが流れる。
 かくして私たちは、しばし親しんだアンダルシアの風が希薄になる現実へと連れ戻されるのである。

 予告編 http://www.youtube.com/watch?v=0Wv2PsT9f9Y
 

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春を探しに行って苦い春にであった話

2012-02-26 00:32:22 | よしなしごと
 ある買い物のためまだ現役で小売商を営んでいる高校時代からの友人の店に行きました。久しぶりにちょっとした話でもと思っていたのですが、あいにくと出かけて留守でした。
 用件そのものは奥さんで済むことでしたが、いくぶん寂しい思いもしました。

 この友人、古希を過ぎてから面白いことを始めました。彼の属する同業者組合の不明朗な運営を告発し異議申し立てを始めたのです。
 彼の業界もご多分に漏れずシャッターを下ろす同業者が激増し、組合員数はひところの半分以下になってしまったのですが、そうした状況下にもかかわらず、組合の役員たちは過去の余剰金に群がり根拠のない高額な給与をとり、さらにその上、夏冬のボーナスまでとっているというのです。
 役員の中には自分のところも閉店していて、役員の給与やボーナスで生活している者もいるとのことです。

         

 見かねた彼が役員会に公開質問を出し、その移しを全組合員に配ったのだそうです。もちろん彼の方は自費での活動です。
 それを巡って組合はてんやわんやの騒動になっていて、実は今日の不在もそのためだったようです。
 先般、彼にあった折には、まるで淀んだ沼をかき回したように今まで沈殿していた色々なものが浮き沈みを始めたのだとその様子を伝えてくれました。

 もちろん彼の方には利害得失はありませんから、敗れてもともととあっさりしたものです。むしろ、それによって浮き沈みを始めた事態や登場人物たちを楽しんでいるようです。
 「実は俺もおかしいと思っていた」と彼に共感する者、明らかに役員に依頼されて彼の様子を探りに来る者、陰でそしったり悪質なデマを流したり、へつらったり裏切ったりとその人間模様は下手なドラマを見るよりはるかに面白いと彼は笑っていました。

 私は知りあってからまもなく60年になろうとするこの老兵の奮闘に惜しみなく拍手を送ります。たとえ敗れても彼の得るものは大きいと思いますし、すでにして幾多の収穫を得ているのだと思います。

         

 それにしても会えなかったのはすこし残念だったので、その帰途、時折訪れる公園に春の兆しなど求めて立ち寄りました。
 細い散策道を曲がったところでいきなりミニスカの女高生と出会いました。何やら手に白いものが見えます。彼女はタバコをふかしながら歩いていたのです。
 「変なものに出会っちゃったなぁ」という私の気持ちが伝わったのでしょうか、彼女はくるりと踵を返し、もと来た方へととって返しました。私もそのまま歩を進めましたから、彼女の後を追う形になりました。

 ものの10歩も行かないうちに、彼女は吸殻をかたわらの草むらに投げ捨てて駆け出しました。いいえ、私から逃げたわけではありません。この公園と並行している道路に一台の高級車がやってきて、そこへ向かって駆け出したのです。
 運転していたのはむろん男性でしたが、アングルからしてその詳細はわかりませんでした。彼女を乗せると車はすぐさま急ダッシュで去ってゆきました。
 私はというと、草むらでまだ煙を出している煙草の吸殻を丁寧にもみ消したのでありました。

 曇天下でまだまだ寒い公園には春のきざしを示すものは少なく、そこへもってきて先ほどの光景を見てからはなんだか気乗りもせず、早々に引き上げることとしました。
 それでも2、3枚は写真を撮ってきて、ここに掲げたものがそれらです。





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赤猫、白猫と出会いました。 @農協花売り場

2012-02-23 16:59:04 | 想い出を掘り起こす
          

 農協の野菜売り場をよく利用します。
 新鮮で値打ちな野菜をゲットするというのがもちろんそのメインの用件ですが、ほかにも楽しみがあります。
 その前庭で季節の花々が売られているのです。

 この時期、決して花の種類は多くありません。
 しかし、季節の到来を告げるものが並びます。

 先般は赤猫と白猫に会いました。
 猫柳です。
 このふうわりとした毛並みに包まれた和やかな形の花、よくぞ猫柳と名付けたものです。

 この猫柳を見ると、戦中戦後、疎開していた田舎の早春を思い出します。
 まだ田畑が今様のU字溝に依存せず、自然の河川から水を引いていた頃ですから、田園地帯の至る所に小川が流れ、それぞれの岸に桑やぐみなどの潅木から草木類が生えていました。
 そのなかでいち早く冬から目覚めるのがこの猫柳でした。

           

 生きていれば140歳ぐらいになる祖母から、「六、猫柳とってきてくれ。だけんど、あんまり開き過ぎはダメだぞ。あ、それから川へ落ちんなよ」と頼まれたこともあります。

 ほとんどそこでものごころついたような田舎なのですが、そこが出身地だった母が亡くなり、親戚といってもいとこの代になってからは何かと縁遠くなり、立ち寄ることもめったにありません。

 それでもしばらく前、ドライブかたがたその付近へいったのですが、もはや60年前の田園風景を思わせるものは何一つなく、地形までも変わってしまっていたようでした。
 やはり故郷は遠くにありて思うもので、猫柳を見ては遠い日の祖母を思い出したりしているほうが、夢を壊さないで持ち続けるためにもいいのかも知れません。
 



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五〇万本の安全ピン!!!

2012-02-21 23:33:47 | アート
          
                         (これは六の落書き)

 
 前のアートに関する記事ですが、作者のHP宛てに「こんなの載せたよ~ん」とメールしたら、ご本人の土田泰子さんから丁重なご返事をいただきました。
 そしてその一節に、
 「ちなみに50万本以上の安全ピンでできています!」
 とのこと。
 数万本かなと思っていたのですがなんとその一〇倍でした!!

 私だったら100本ぐらいでダウンでしょうね、
 でもよく考えたら、時間的な制約からして一本々々というより何か手早く植えつけることができるノウハウがありそうですね。
 なかなか興味はつきません。

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アート!アート!アート! これは何でできているのでしょう?

2012-02-19 00:46:44 | アート
 16日のことである。
 昼食を含めた集まりを終えて、せっかく名古屋へ来たのだから映画でも観て帰ろうと思ったのだが、映画までにはかなり時間がある。喫茶店で粘るというのが苦手なタチなので、ある程度暖がとれて読書でもできる公共的なところということで愛知芸術文化センタ―2階に陽あたりの良いベンチがあるのを思い出し、そこへと向かう。
 「オアシス21」を経由し、地下2階に相当する部分からその建物に入る。
 入ってすぐ、いつもは休憩所などがある辺りに変なモノがある。
 どうやら何か作品のようである。
 近くに受付のようなところがあって若い人達がいたので、「これって撮影してもいいですか」と尋ねると、「どうぞ、どうぞ」と快諾された。

        
             ん?この富士山のようなものは???

 何でも撮すのが好きだが、こうした場合は一応承諾を得ることにしている。
 特に近くにその関係者がいればそれが礼儀だろうと思う。
 
 何年か前、まったく同じ場所で、動物のキリンを模した立体作品を展示していたので、やはり同様に承諾を求めた。その折は「これは作品ですからダメです」とにべなく拒否された。まあ、致し方ないなあと思って諦めて10階に上がったらやはり同じ作者の象を模した作品があった。やはり写真は撮らなかった。
 問題はここからだ。しばらくして再び地下2階へ降りてきてキリンの近くを通りかかって、実に不快な気分にさせられた。というのは、女学生の一団を含む複数の携帯ががそれを大っぴらに撮しているではないか。どうも様子からして、私と同じ通りかかりの一行で特に許可を得たわけでもない様だ。
 で、先ほど承諾を求めに行った受付のところにはやはり複数の人間がいるのだが誰もそれを咎める様子はない。

           
           近づいてみたがなにでできているのかはわからない

 そうかい、礼を尽くして承諾を求める者にはどこかの官僚気取りで禁止を言い渡しながら、黙って撮る者には知らんぷりかい。それともカワイコちゃんの女学生ならいいが、私のようなオジンはダメというわけかい。
 ふ~ん、わかった。写真に撮られて困るようなもん公の場所に飾るな。
 展示室ならともかく、ここは来館者が通る通路じゃないか。10階の展示にしたって、その設置場所は不特定多数が集うロビーではないか。
 このちぐはぐさと最前の官僚的物言いとが相まって不愉快極まりない思いをしたのだった。
 
 あ、あの時の不快感が蘇って話が全く別のところへ飛んでしまった。
 この16日に訪れた際には、そんなことはなく、快く了承してくれたということをいいたかったのだ。
 今回の展示は「アーツ・チャレンジ(Arts Challenge)2012」という催しらしく、地下2階から地上11階にわたり、さまざまな空間に比較的若いアーティスト10名の作品が展示されていて、それらを全部回ると何やらグッズが貰えるスタンプラリーも催されている。

        
              何やら点状のものからできているのだが

 映画の前に読んでおきたいものがあったので全部は回らなかったが、そのうち最初に目についたものの写真をここに載せた。これの素材がキーになるが、順次みてもらうとそれが分かるようにした。

 この作品の作者は土田泰子(ひろこ)さんといって、パンフレットでは自分の作品にこんなコメントを付けている。
 「安全ピンは努力の象徴 他者に敵意という針を向けるのではなく自分の内に秘めるもの。内なる戦い。その努力の積み重ねによって人は頂点をめざす!(以下略)」
 どうやらこの人、メタルを素材とした作品が多いようだ。

 で、どんな人かと思ってネットで検索したら、モデルさんを思わせるとっても可愛い写真があった。無断転載禁止とあるのでお見せできないのが残念だが、興味のある人はここで見ることができる。

 http://brigit.jp/snap/1830/3/?height=2&item=6&category=6

 知り合いの大野左紀子さんに『アーティスト症候群』という書があり、それもひと通り読んだが、現代アートというのはよくわからない点もある。もっとも大野さんの著作は、自身が「アーティスト」であったところから離れていった時点で書かれたものである。
 一口に現代アートといっても、それらの作品には伝統的な絵画や彫刻からさほど飛躍していないものもあるし、作品として対象化することが困難なパフォーマティックなものもある。それらをひとまとめにしての評価は不可能だろう。したがって、自分で見聞して面白いものは面白いというまことに自己撞着ないい方しかできないのが正直なところだ。

        
              これらは全部安全ピンでできていました
              携帯のアップでいまいちぼけていますが


 しかし、なにはともあれ、この安全ピンの集積はすごい。何個あるのかはわからないが、これだけのものをこの形状に作り上げるには、その着想や設計はともかく、かなりの根気が要るように思う。私なら陰々滅々となってしまうようなこの作業を若い作者はどのような気分でこなしたのだろうか。ルンルン気分で鼻歌混じりだったのだろうか。それとも深い孤独感に苛まれながらだったのだろうか。
 先にみた作者のコメントからするとかなりポジティブな気分のうちで作られたようだ。
 それが若さの特権なのだろう、きっと。

  なお、これらの展示は2月26日まで行われている。



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弟は私だったかも…映画『サラの鍵』を観て

2012-02-17 17:21:16 | 映画評論
 これは昨年公開された映画『黄色い星の子供たち』同様、占領下のフランス政府自身がコラボラシオン(対独協力)の名において行った「ヴェル・ディヴ事件」(10,000人以上のユダヤ人大量虐殺)を発端とする事態を描いている。
 ただし、それ自身の描写というより、60年後、それを追求してゆくアメリカの女性ジャーナリストの取材を通じて明らかにされてゆくサラという少女の運命、そして同時に、ジャーナリストとしての彼女自身の現実の生活上での問題が重ね合わされてストーリは進んでゆく。

               

 こんなふうにいうと主題が散漫なように思われるかも知れないが、その核心には60年前に収容れたユダヤの少女「サラ」とその「鍵」があり、物語がぶれることはない。また、それぞれの登場人物がさほど類型化されることなく、リアルに生きているのは原作ないしは脚本の良さだろう。
 過酷な運命とその後遺を引きずりながら生きた少女の一生と、それを追求する女性の何年間かの生き方とが入れ子状にオーバラップして観る者を惹き込んでゆく。

 例によって未見の人の妨げにならないようストーリーに関する叙述は最小限にするが、冒頭近く、ジャーナリストたちの編集会議で、若い男女のメンバーがフランス政府自身によるユダヤ人狩りがあったという事実を知らないという場面は、わが国においてもこの国がアジア諸国に攻め込んだことを知らない人たちがいる事実と照応していて風化する歴史を感じさせるものがあった。

               

 女性ジャーナリストの飽くなき探求に対し、ついにその夫は「事実を知ってそれがなにになるんだ」と反論するに至る。それに対して彼女は答える、「事実を知るのに代償がいるの?」と。
 
 この映画のキャッチコピーにも、また映画の冒頭にも姉弟が登場するので、その別離と再会が物語の中心かと思った。
 私自身が早くに母をなくし、実父がビルマ(現ミャンマー)で戦死したため、二歳年上の姉と離ればなれに育った(40年後にやっと再会)経験があるので、そちらに傾いたものを期待していたのだが多少違った。
 確かに再会はあるのだが、それはサラのトラウマとなる再会であった。
 オット、すこしネタバレに近づきすぎたようだ。

               

 子役のサラがいい。彼女のクルクル動くまなこを見ていると、いつしか自分もその視線で事態を見ているような気になる。男装シーンも良かった。
 フランス映画らしくちょっと洒落た、それでいてほろりとさせられるラストシーンの落としどころはじつに面白い。
 
 最近、映画や芝居でラストに子供が出てきたりすると、ついそこへと希望を託すように観てしまうのは、ひとえにこちらの年齢のせいだろうか。


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勉学ノート  H・アーレントの『思索日記』から

2012-02-16 00:29:21 | 現代思想
          

 エロスと哲学は一体をなしている。いずれも「世界」から逃走し、非政治的、反政治的だからである。恋する男が恋人と共に日常的な仕事の世界から逃走して愛の対話を交わすことができるように、哲学者は自分自身と共に逃走して、思索の対話を行うことができる。(H・アーレント『思索日記 Ⅱ 』より)  

 上記は決して肯定的に語られているわけではない。そこでは人間の複数性による「世界」が、そして、その営みである本質的な意味においての「政治」が失われてしまっている。(六)
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「世の中いろいろ、人もいろいろ」は小泉さんでしたっけ。

2012-02-14 03:16:04 | よしなしごと
  写真は名古屋「オアシス21」にて

 世の中はさまざまで、人の考えもさまざまです。
 まあ、これは当然ですが、それを「難儀やなぁ」と思うか、「仕方ないなぁ、自分もそんなさまざまなうちなのだから」と思うかでひとつの分岐があるのですが、それはさておき、最近経験した「さまざまな」という内容について述べてみます。

         

 いつ頃からか「がんばれ!」といういい方について、すでに頑張っている人に「これ以上どうせいっていうのや」といわれたり、頑張りようのない人への強制のような響きがあるのではないか、ましてや、自分が相対的に恵まれた立場にいながら、「がんばれ!」というのは差別的ではないかといった指摘がされてきました。
 
 私もそれを知ってからこの言葉をあまり使わないようにしてきました。一般的にもそんな感じで、昨年の3・11以降も、「がんばろう日本!」などといういい方はあっても「がんばれ!」はあまり出て来ません。

         
 
 ちなみに私は「がんばろう日本!」ともあまりいいません。日本という抽象的な主体が頑張るということがピンとこないからです。この言葉を無反省に使っている人も、「で、誰がどうがんばるの?」と尋ねられると、「それはそのう、みんながだなあ、こんな時だからさあ」と曖昧になってくるでしょう。
 今もなお、ボランティアなどを続けている人たちは胸を張って「がんばろう、私たち」といえるかも知れません。

         

 話がそれましたが、ある待合室で読んだ雑誌の投書欄に、「がんばれといってください」というのを見つけました。メモしなかったので概略ですが、それによればこうです。
 「最近、<がんばれ!>という言葉が禁句扱いですが、使ってもいいのではないでしょうか。相手が頑張っていることを認めた上でそのさらなる可能性のようなものを信じるとき、<がんばれ!>という言葉は自然に出るのだと思います。
 運動会で懸命に走っている子らを励ます言葉は、やはり<がんばれ!>です。それはその努力を認めた上で、その努力が実ることへの祈りのような言葉です」

 うろ覚えのものを私なりに脚色していますが、ざっと以上のようです。

         

 なるほどと思いました。こうして見ると、「がんばれ!」という言葉に押し付けがましさや差別的な意味合いを与えているのは、その言葉そのものではなく、努力が報われないシチュエーション、努力もできない格差などの関係性の総体であるように思えます。
 そうやって考えなおしてみると、「がんばれ!」という言葉も決して悪いものではありません。子供の運動会はやはり「がんばろう日本!」ではなく「がんばれ!」でなければなりません。

         

 さて、人はさまざまのもう一つの応用問題です。
 これは数年前、天下の大新聞の投稿欄に載った投書からです。
 まず最初の投稿者がどこかのトイレに入ったとき、先に入った人によってトイレットペーパーが(よくホテルなどで最初にセットする折にやるように)三角に折ってあったというのです。
 この投稿者は、その行為を「慎ましやかだが実に気が効いたうるわしい行為である」と絶賛しました。

 しばらくして、偶然、私はその続編ともいうべき他の人の投稿を読みました。その人はいいます。
 「その行為はうるわしいで済ませるのでしょうか。その人は、用を済ませて一度手を洗って紙を折ったのでしょうか。そうではないでしょうね。用を済ませたままの手でそれを折ったのでしょうね。それって、不衛生極まりないのではないでしょうか」
 といったようなことなんですが、あなたどう思います。
 本当に世の中さまざま、人さまざまで「楽しい」ですね。

 

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冬の陽光にきらめく川が秘めた歴史

2012-02-12 01:14:30 | 想い出を掘り起こす
 私にしては珍しく朝のうちから出かける。
 地域での集まりだが、三〇分ほど早く着いてしまったので近くの川辺に足を運ぶ。荒田川と境川が合流する辺りである。
 やっと人が渡れるほどの橋が架かっている。若い折りなら自転車でも渡れたであろうが、この歳になってからのバランス感覚を考えるとよしたほうが無難であろう。

          

 橋の上から見ると、上流にも下流にも、五〇センチを越えるかのような鯉が泳いでいる。ざっと数えても一〇匹近くもいる。
 おりからの好天ではあるが、先ごろ降った雪解けの水が混じってさぞかし流れは冷たかろうと変なところで同情する。
 しかし、やがてもっと水がぬるむ頃、彼らの恋の季節がやってくる。春から初夏、この川沿いを歩くと浅瀬でバシャバシャと産卵している光景にお目にかかることができる。

              

 この場所からおよそ一キロほど上流の川沿いに私が通っていた中学校があるのだが、この川についてのいい思い出はない。
 昭和二〇年代の後半から三〇年代のはじめ(一九五五年頃)とあって、戦後の復興期以降、拡大する生産や消費の廃棄物がほとんど無規制の垂れ流し状態で各河川を襲っていた。この川も底からメタンガスが泡立つほど汚れきっていて、夏など校舎の窓からその悪臭が侵入するほどだった。
 誰もまだ、環境汚染などを問題にする者もなく、それらが真剣に語られるようになったのは六〇年代の高度成長期の各種汚染や公害が進むところまで進み、人命が失われたり奇病が発生するなどの目に見える被害が出始めてからである。
 六〇年代の日本の公害の実態を知る人達は、今の中国の状況を一方的に笑えないはずである。

          
 
 先進的な科学者や医師などがそれら公害を指摘しても、企業や官僚はそれを認めようとせず、水俣、イタイイタイ病、四日市ぜんそくなどの各種訴訟が起こされ、その実態が明らかになるにつれてやっとその重い腰をあげたというのが実態であった。
 そして彼らの無責任な引き伸ばしと怠慢の間に、事態はさらに悪化し被害は拡散し続けた。
 それらは改められたのはやっと近年になってからだが、早く幕引きをしたがる官僚や企業は、例えば水俣の被害申請を近々打ち切ろうとしている。体内に蓄積された水銀などの物質は長期にわたって被害をもたらすもので、昨日今日、発症をみなくとも、何ヶ月後、何年後に症状として顕になる可能性が十分あるのにである。

              

 しかし、そうした被害者の告発と彼らを中心とした公害をなくす運動はやがて全国的なものとなり、以来、留まるところを知らなかった環境破壊に一応の歯止めがかかることとなった。こうした過程を経て、「公害防止」や「環境保護」という今ではあたりまえとなっている言葉が市民権を得るようになったのである。
 この川にも鯉や鮒のほか、比較的綺麗な水を好むハヤなども戻ってきた。まだ清流とはいい難いにしても、水の透明度は格段に良くなり、部分的にではあるが、この川が合流する長良川からの天然鮎の遡上も確認されるという。

 水辺を歩いていて、水中の小動物たちが元気で活動している様を見ることは心地よいものである。それらはまた、その川自体が生きているかどうかのバロメーターでもある。
 これでカワセミでも現れればいうことなしと思っていたら、「ア~ラ、私たちで悪かったわね」とセキレイのつがいがチチチチと鳴いて川面を渡っていった。






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少しも反省しないスターリニストの亡霊またはピエロ

2012-02-10 14:57:57 | 社会評論
 私の所属しているSNSのなかに元赤軍派議長・塩見孝也という人がいます。ハンドルネームは「預言者」と言います。これはいわゆる暴露ではありません。本人が両方共公表しているからです。
 あるとき、彼の方から「友人になってくれ」との申し出があり、来る者は拒まずの原則でこれを承諾しました。それを契機に彼の日記などが届くようになったのですがいつも違和感を感じながら読んでいました。それは、彼がよく「反スターリニズム」などというのですが、どの次元でそれと決別しているのかがよく解らなかったからです。

 昨日のことでした。「連合赤軍事件40周年を前にして・・・」という彼の日記が載りました。そのなかの次の一文を見て私のこれまでの疑問は最高潮に達しました。
 彼はこう言っているのです。

 「ブントや赤軍派の運動には、未熟で、小ブルジョア革命性に限界付けられていたととはいえ、<人間の命とそれを社会的に輝かせる自主性の最高尊厳性、生存権の尊厳>、言い換えれば、ヒューマンな思想性が流れており、それは、否定の否定として止揚されて行くことに於いて肯定され、スターリン主義に汚染されてはいなかったことらが強調され、今の脱原発テント村運動に連なっていることが頷けられます。  塩見 」

 私は直ちにそれに対するかなり長文の疑問と問題点を指摘したコメントを付けました。
 ところが彼はいきなりそれを一方的に削除してしまったのです。
 残念ながらその私の文章はコピーしてなかったのですが、削除を知って改めて次のようなコメントを再度載せました。これはコピーしてありました。
 二度目のものは、削除という卑劣な手段への怒りがありますから、最初のものより幾分語調が強くなっています。
 以下がその二度目のコメントの多少補足しながらの再録です。

            

 前のコメントは見事に削除されましたね。
 結局、自分に都合の悪いコメントはバッサリ削除ですか?
 恥しくはありませんか?
 再度問います。
 
 連赤とそれに絡む一連の運動には本当に「<人間の命とそれを社会的に輝かせる自主性の最高尊厳性、生存権の尊厳>、言い換えれば、ヒューマンな思想性が流れて」いましたか?また「スターリン主義に汚染されてはいなかったことらが強調され」るとはまさに真逆ではないでしょうか?
 あの仲間殺しと、ソ連共産党の中央委員会の大半が「人民の敵」として処刑されたこととの類似性はまさに思想的にも接近していた事実を表していませんか?そして、あの連赤こそがスターリニズム組織のカリカチュアライズされたミニチュアだったのではないですか。
 
 また「それは、否定の否定として止揚されて行くことに於いて肯定され」るというヘーゲリアン気取りの全く薄っぺらな決まり文句やレトリックでもって片付けられるものですか?
 むしろ、あの連赤がその後の日本の様々な運動に与えた壊滅的な打撃をどう総括されていますか?
 政治の場で真剣にものを考えようとする人々を、そこから締め出す役割を果たしませんでしたか?日本の現実の変革を目指しながら、かと言っていわゆる社会主義圏の現実や日本の「正統左翼」には失望していた人々を出口なしへと追い込みませんでしたか?

 私に言わせれば、あなた方の運動はまさにスターリニズムをより稚拙になぞったものであり、そのコピーでしかなかったのではないかと思います。いわく、「この世には唯一の真理や正義が存在し、しかもそれは我がもとにある。したがってその実現のためには人を殺してもいいし、自分が死ぬことも辞さない」というまさにスターリニズムの極地の実践ではなかったかと思うのです。

 あなたは何かというとスターリニズムを引き合いに出されますが、私にはあなたがそれを思想のレベルで克服したとはとても思えません。単に、「やり方がまずかった」のレベルでの反省ではないのですか?そして、自分たちの運動もそのうち(広義のスターリニズム)にあったという事実をまったく認識してすらいないのではないですか。

 私は、あなたが批判しているK氏に与するものではありませんが、あなたの欺瞞とピエロぶりにはうんざりしています。
 私も反原発のために多少ながら尽力していますが、それは、原発自身の危険性もさることながら、その設置と継続のなかに日本の度し難い官僚制という根幹があり、それを同時に撃つ必要性があると思うからです。
 いっぽう、あなたの反原発の言説の間にほの見える、あわよくばこれを契機に「左翼の再生*」などという不純な動機は、まさにスターリニスト的な大衆運動の利用をうかがわせるに充分なものがあります。

 いずれにしても、都合の悪い言説はバッサリ削除というのはまさにスターリニスト官僚のやり口ですね。
 前のものはコピーしていませんでしたが、これはそうします。

原発反対運動をコミンテルン時代のディミトロフなどの「統一戦線論」に位置づけているのがその証拠です。

  =============================

 長くなりましたが、以上が二度目のコメントです。
 そしてこのコメントがどうなったかとお思いですか?
 そうです、またしても見事に削除です。
 彼の眼中には他者がありません。
 多様な意見を持った複数の人々の存在は常に無視です。
 世界は自分が保持する「正義や真理」を中心に回っているのです。
 そしてそれが「スターリニスト」の思想的核心なのです。

 

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