六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

甲子園出場と六の時事川柳 06.7.31

2006-07-31 18:20:24 | 川柳日記
                                        

 六の母校、県立岐阜商業高校が、甲子園出場を決めました。
 
 思い起こせば、今からちょうど今から半世紀前の1956年、私の母校は、春、夏ともに甲子園で準優勝いたしました。私は、その折り、ちょうど三年生でした。(歳がばれるなぁ。まっ、いいか)
 
 まだ、高校野球が今のようにプロ化されていなくて、出場選手のほとんどが、あれはあそこの八百屋の息子だ、あいつは鉄道官舎に住んでいると氏素性が分かっていました。
 
 現在の有力校は、県外からのスカウトを含めた選手を全寮制で管理するのが多いようで、もはや高校生の部活の範囲をはるかに越えています。
 
 これらは、そこでプレーしている選手の責任でも何でもないのですが、「純真無垢な高校野球」などとナイーヴに手放しで形容されると、やはり抵抗を感じてしまうのです。


<今週の川柳もどき> 06.7.31

 出来レースでも顔売るという打算
  (総裁選。形だけの討論会)

 あの人の影がすっかり薄くなる
 あの人は修学旅行多忙です
  (ライオン丸、今度はモンゴルへ)

 殺戮を見て見ぬふりのえこひいき
  (イスラエルの蛮行。無能な国連)

 雨降れば流され照れば溺死する
  (水の事故急増)

 金と性のみ尊いという摂理
  (それにしても大学生が引っかかるとは)

 発表がなくも実感梅雨の明け
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鴨がおいしそうに、モトイ、大きくなりました。

2006-07-28 17:51:46 | よしなしごと
 いつもの散歩道の小川です。この川沿いに斜めに行くと、郵便局や本屋への近道になるのです。ひと頃に比べると種類は減りましたが、いろいろな動植物たちが季節ごとのパフォーマンスで眼を楽しませてくれます。
 私の身近にあるちっぽけだが本当に貴重な自然なのです。

 春先、ここでつがいの鴨を見ました。
 
 五月の終わり、仔鴨をつれた親鴨を見ましたが、仔鴨が僅か2羽だったので、普通はもっと多いはずなのに何らかの理由で減ってしまったのだと心を痛めました。


 一昨日、4羽の仔鴨をつれた親鴨を見ました。
 もうすっかり大きくなって、親鴨との差も縮まりました。

 仔「ねえ、ねえ、かぁちゃん、変なおっチャンがこっち見てる」
 母「ほっときなさい。どうせ何にも出来やしないのだから」
   ここでは一番後ろがお母さんです。

 母「さあ、行くわよ。いつまでも暇なのに付き合ってられないでしょう」
 仔「うん、そうだね。でもあのひとすることないのかしら」
   ここでは、やはり先頭が母親です。

私「アッ、しまった。早く郵便物出しに行かないと、郵便物回収の時間に間に合わない」

【追記】昨日、一番上の写真と同一と見られる、二羽の仔連れの鴨を見かけました。
 こちらの方も、仔どもたちは、ほとんど親鳥と変わらないくらい成長していました。
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全国の老人 団結せよ! 革老同へのお誘い

2006-07-27 09:29:42 | よしなしごと
 「革命的老人同盟」(革老同=KRD)への誘い



 
 
 日本国政府は、自らの失政によって生じた1,000兆を超える財政赤字を、我ら老人を絶滅せしめることで解消することを決意し、公然たる挑戦を開始しました!

 いわゆる骨太の方針といわれるののがそれです。
 すでに昨年は、老齢控除の50万円がなくなり、貧富を問わず、老人一人あたり5万円の増税が実現されました。官僚の天下りや会社の役員など、不労所得に等しいものはともかく、定年過ぎても必要があって働いているものからも税金をぶったくり始めたのです。

 それに続いて、今回の医療保険制度の改「悪」です。これにより、先人の努力によって維持されてきた福祉の恩恵からも老人を遠ざけようとしているのです。
  
 これを要約し、明確にいうならば、、人口構成における老人の比率が多すぎるから、こいつらを早く殺してしまって、肩の荷を軽くしようという、国家的規模での「姥捨て山」政策に他なりません。ヒトラーの優生学をも思わせる、年齢別浄化政策というべきです。

 確かに、財政赤字の規模は恐るべきものがあります。しかし、これらは私たちの責任でしょうか。この財政赤字のほとんどは、官僚と財界、その利権に首を突込むハイエナ議員どもが、ある時は国家的プロジェクトのかけ声で、ある時にはインフラの拡張の名目で、公共事業のばらまき政策を続けた結果ではないでしょうか。

 確かに私どもは、そのもとで額に汗して働きました。しかしそれは、一部の連中の懐を肥やしたのみで、全体に実現したのは、先進国中第二位という貧富の格差にすぎませんでした。しかも、この格差は「自己責任」ということで、自分のお尻は自分で拭きなさいと冷たく突き放されます。
 
 一部の層を除けば、老人はこの突き放された層にいます。その突き放しの内容が、さきに見た既に行われてしまった増税であり、これから来るであろう増税であり、さらには、福祉利用の制限であり、医療保険制度の改悪なのです。老人だろうが何だろうがとれる奴からはぶったくるぞ、それで金がなきゃぁ医者にかからずさっさと死んでしまえという政策なのです。

 私たちはむざむざと国家のテロルによって、惨殺されるわけには行きません。例え、もう目は霞み、歯はぼろぼろに欠けていても、「目には目を、歯には歯を」の気概をもって徹底抗戦することを誓い、ここに革命的老人同盟(革老同=KRD)の結成を宣言します。

*当面の行動方針

1)体制内老人からの脱却。可愛い老人をかなぐり捨ていやらしい老人に徹底。

 要するに国家が老人を体制内の保護対象から外すということは、私たち自身も、もはや良いじいちゃんや優しい婆ちゃんではいられない。従って、孫や子供をいたずらに愛したりしない。彼らは潜在的な敵である。
 孫に小遣いなどやるな。孫の小遣いを略奪せよ。

2)「先人の知恵」や、「老人パワーの再活用」などとおだてられ、それらを提供しない。彼らに技術や伝承を伝える必要はない。もはや、断絶あるのみ。

3)我らは冥土へと結ばれてあるのみで、他に類縁なしと知るべきである。従って、あらゆる既存の徳目や規範から自由である。
 
 3-1 払うべきものは公共料金だろうと街の飲み屋だろうと払わない
 支払いを迫られた場合は、「ぁ、鯨が飛んでる」作戦を行う
 3-2 極悪金融から金を借りまくり、それを子供や孫たちに押しつけよ
 3-3 遺産をいっさい残さない、綺麗に使い切って死ぬ
 使い切れない分は革老同へ寄贈し、のたれ死にしそうな老人の救済に当てる
 3-4 夜間は、体の許す限りあちこち徘徊し、街頭でわめくなど示威を挙行する
 3-5 大小便は決められたところへしない。官公庁、警察署、税務署玄関にする
 3-6 どこかで老人が死んだと聞けば、大挙してその葬式に押しかけ、参列者としてそれ相当の接待を求める。むろん香典などは持参せず、機会があればかっぱらってくる。
 3-7 老人を揶揄するような出版、放送その他の言動にはきっちり制裁を加える
 (彼らへの罵詈雑言の嵐と玄関で排便作戦、さらにはモロトフウオッカなどによる攻撃を辞さない)
 3-8 家庭にあっては、例えぼけていなくてもそれを装い、金の持ち出し、冷蔵庫の中のうまいものの独り占めを行う。それへの抵抗があれば、家族によるいわれなき虐待を周辺に訴えかけろ。


4)神秘学の研究に励み、死後も、幽霊となって我らを苦しめた輩への復讐を継続する
   ====================================== 
 
 革老同への加入は年齢制限を設けない。理由は誰もが老人となる定めから逃げられないからである。ただし、それに無自覚であり、老人に敬意を表さないものは加入を認めない。
 
 きちんとした構成員による組織も必要としない。したがって、当然のこととして組織内での上下はこれを設けない。
 上記に書かれた実践項目に関し、その一つ、または複数に共感し、それを実施しているものは構成員とみなす。したがって、加入、脱退、除名、処分などのセレモニーはない。我らに残されたセレモニーは来るべき葬式だけである。

 革老同の基本とすべきは、その実践の成果もさることながら、例えよいよいであったり、棺桶に片足を突っ込んでいようが、老人としての誇りを凛として保ち、我らを抹殺しようとするこの国家に、敢然として抵抗することである。
 そのためには、「余生」という言葉を返上し、ルサンチマンによる生とも異なる、まさにこれが生だという生を生ききることである。

 以上、老人の尊厳に賭けて宣言する。



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真面目すぎる梅雨と六の時事川柳 06.7.23

2006-07-23 17:43:50 | 川柳日記



  おお~い、梅雨よ!今年は少し真面目すぎるんじゃぁないのかい。もう、さんざん暴れ回ったじゃぁないか。台風との連係プレイもあったし、突風もあったし、そろそろ矛を収めてもいいんじゃぁないかい。
 
 よくやったよ、褒めてやるよ。
 だけど、命をなくした人や、生活環境を破壊された人もいるんだぜ。
 そりゃぁ、人間もやり過ぎさ。本来の自然の領域をいろいろ侵犯しているむきもあるさ。
 でも、反省してる連中だっているんだぜ。
 だから、お前が毎年やってくるのは仕方がないとしても、まあ、そこそこにしておいてほしいのさ。
 頼むよ。

  紫陽花の時期が終わって向日葵が咲こうというのに、雨に濡れた向日葵なんて可哀相じゃぁないか。それに、高校野球の予選もだらだらに延びてるし・・。

 え?そこまでは責任負えないって?分かったよ、分かった。
 決して責めてるわけじゃぁないからさ、そろそろお引き取り願ってさ、ほら、また来年も逢えるじゃぁない。ね、だからさ、淋しいけれどさ、これで今年はお別れしようよ、ね、ね。


<今週の川柳もどき> 06.7.23

 にんまりと笑みが漏れてる会見所
 靖国で釘刺してから安倍と決め
  (天皇のメモのタイミング良い出現。これで
    安倍に釘を刺して一本化か。恐るべし日本
    のエスタブリッシュメント)

 国論の二分を隠すことはない
  (福田氏辞退の理由)

 梅雨明けを待ち米牛の土石流
  (来週頃解禁)

 ならず者今日はビザボラ昨日ガザ
  (アメリカ派ならず者は処罰されない

 握手した手をぬぐい合い元通り
  (民団と総連の仲直り)

 肝試しパロマの部屋へシンドラで
  (往復はトヨタ車で?)

 負け組を喰ってボーナス肥える夏
  (大手三年連続過去最高。日本の話ですぞ)

 不祥事があって球団あるを知る
  (欽ちゃん、やめるのやめないの?)

 わがメモはパソコンの隅意味もなし
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紅顔の美少年の発明と天才・フーコー

2006-07-23 06:33:27 | よしなしごと






  私が紅顔の美少年であった頃(むろん、今もその面影をとどめているが)、ある少年雑誌で「少年発明コンクール」というものがあり、その二席に入ったことがある。
 
 発明といっても、具体的に物を造るのではなく、「こんなものが出来たらいいな」という夢を描くものであった。私のそれは、枕の中に本を入れて眠ると、翌朝にはその本の内容がすっかり頭に入っているというもので、それに関する私のコメントと、その枕の内部構造の図解が掲載された。

 さすが六、稀代の勉強家にして初めて考え得るものだとお思いになった方は大外れである。実は全くその逆で、その頃、少年のはじけるような生命の躍動をひたすら享受していた私には(まわりくどいっ!ただ遊びほうけていただけだ)、勉強や宿題のために費やす時間など全くなかったのである。
 ようするに、私の発明と称するものは、手抜き勉強法の具体化を夢見たに過ぎないものなのだ。まことにもって、「必要は発明の母である」。

 その遊びほうけていた報いが今日仇をなしている。いろいろ知るべきところがぽっかりとになって残っているのだ。だから、この年になってから勉強を始めたりしている。
 あからさまにいえば、もはや手遅れもいいところだが、あの世とやらへいって閻魔と対決する折り、おそらく私の犯した罪として彼が列挙するであろうものに対し、逐一、反論することが出来るぐらいの自己合理化の手法は身につけておきたい。
 地獄でバーベキューになるより、天国の蓮の花の上でワインかなんかすすっていた方が良いに決まってる。

 そこで、今になってあの少年の日の「発明」を思い出した次第である。なんたって歳とると、ちょっと小難しいものを読んで理解しようとすると、時間がかかってしょうがないのだ。

 これは、ある友人に聞いた話だが、フランスの哲学者、ミシェル・フーコー(1926~84)という人は速読の天才だったらしい。
 ある日、彼が図書館で書物をぺらぺらめくっているので、知り合いが、「なにかをお探しになっていらっしゃるのですか」と尋ねたところ、「これを読んでいるのです」と答えたのだそうだ。傍目にはただ、次々とページをめくっているに過ぎないように見える行為が、なぜ、読んでいることになるのだろうか。その秘密はこうだ。
 
 私たちが書を読む場合、それが縦書きにしろ横書きにしろ、行を追って線状にそれを読んで行く。しかし、フーコーの場合はそうではないのだ。彼はそれぞれのページを面として即座に読みとり、内容をも理解することが出来るというのだ。斜め読みとも違う。斜め読みはざっととばして読む読み方だが、フーコーの場合はそうではない。繰り返すが、文字の集合を瞬間に面として読みとり、しかも内容まで理解するのだから、斜め読みというより「面読み」というべきだろう。
 私にとっては、本をペラペラめくってなにかを読みとったという経験は、子供の頃によくやったペラペラ動画しかない。
 
 しかし、これはいささか病的ではあるまいか?確か、昔、フロイトの『精神分析入門』かなんかで、似たような話を読んだような記憶がある。
 おぼろげな記憶だが、それによると、ある中年の女性がヒステリー症状を起こし、その際、訳の分からない外国語のようなものを延々と話すのだそうだ。しかし彼女はいかなる外国語をも学ぶ機会をもたず、従って、それを話せるはずがないにもかかわらずである。
 しかし、詳しく調べてみると、彼女が話していたのは間違いなくある外国語であり、ついにはその出所まで分かったというのだ。

 なんとそれは、彼女が買い物かなんかをした際、包装紙代わりに使われていた外国の新聞に載っていた記事であり、彼女はそれを暗唱していたのである。それにしても、その言語の素養がない彼女がなぜそれを記憶しえたのか、それが先ほどのフーコー同様の「面読み」だったからである。
 なぜそんなことが起こったのかの説明としては、彼女の身の上になにか精神的にショックな出来事(トラウマ)があり、その際、たまたま目にしていたその記事が、彼女の記憶に刷り込まれてしまったというものだった。

 例えていうならば、私が買った焼き芋の袋が『ニューヨークタイムズ』の古新聞で出来ていて、せっかく買った焼き芋を熱さのあまり取り落としそうになり(精神的なショック)、ハッとした瞬間に、その袋の記事に目が行き、ろくすっぽ英語が読めない私が瞬時にしてその記事を記憶してしまったようなものなのである。

 しかし、私も彼女も、多分、その字面を記憶して暗唱しうるのみで、内容を理解しうるわけではない。そこがフーコーとの違いであろう。しかも、フーコーは何のショックも必要とはしないのだ。

 この女性に関する話は、40年ほど前の私の読書の記憶であるから、出典、内容とも曖昧であり、不正確ではあろうが、どこかにそんな話が出ていたことだけは確かである。

 さて、こうしてみると、私の少年の日の「発明(妄想?)」もまんざら捨てたものではない。ようするに、枕の中で本のページを順に繰りながら、その都度、精神的なショックを与えれば、それが実現するのかも知れないのである。
 
 結果的にいって、私の「発明」を評価した少年雑誌の編集者は、慧眼の持ち主だったというべきだろう。ただし、惜しむらくは私を二席にしか評価しなかったことである。
 ちなみに、一席と二席では景品がうんと違ったのだ。私が貰ったのは、『ひよどり草紙』など、吉川英治が書いた少年少女向けの小説本の数冊のセットであったが、一席は確か、自転車だったような気がする。半世紀以上前の自転車がどれほどの価値をもっていたかを、今さら述べ立てたところで愚痴になるだけだからやめておこう。

 で、書物を面として読むということだが、自分が書いたこの文章を見ているだけで目がクラクラするのだから、私にはとても無理である。

 もちろん、書を読んで理解するということは、そうした単なる刷り込みに還元できるものではない。フーコーのそれはまた別のレベルのものであり、たぶんに伝説化された匂いがする。
 だから私は、かのヒステリーの女性と同様のレベルであることで満足するのだ。
 
 私に似合わず、とても謙虚な結論になってしまった。
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路地裏の地獄模様が私の願望? 06.7.18

2006-07-20 14:58:23 | よしなしごと
 妻を病院に見舞ってから帰途についた。
 大通りから路地を入ってわが家へ着く手前の、隣家のテラスのようなところに、10号ぐらいのタブローがこちら向きに立てかけられていた。見る方向によって絵の感じが異なる不思議な絵で、どうやら隣家の息子の作品らしい。
 
 ポケットから鍵を取り出し、自分の家のドアーへ向かった。違和感と同時に、「やられたっ」という思いが走った。ドアが約15センチほどあいていたのだ。
 中へはいると、いやな予感が的中していることが一目で分かった。
 玄関からしてもう物色された跡が歴然で、廊下にかけて様々なものがとり散らかっていた。

 110番を回した。動揺していて番号を間違えたのだろうか、「あのう、警察ですか」というと、「こちらは○○委員会です」という機械的な返事があり、電話は切られてしまった。震える指で再び電話に向かった時、ふと気づいた。

 うちには娘と息子がいたはずだ。どうしているのだろう、その確認が先決だ。
 右手にある娘の部屋に急いだ。ここもまた散乱の極みであった。
 ゴミ収集が選別制になったため、もう使われなくなった黒いポリ袋の傍らでなにかが動いた。
 散乱しているものを取り除くと、下から縛られた娘が転がり出てきた。慌てていましめを解き、「だいじょうぶか?」と訊くと、「ウ、ウン」と答えた。

 次は息子だ。二階の部屋へと駆け上がる。階段の突き当たりに木工用の糸鋸ミシンが置かれてあって、なぜか不安がつのる。
 部屋の扉を開ける。こちらも足の踏み場もない散乱ぶりだ。
 ふと、異様なものが目にとまる。人の、いや息子の左手だ。それが二の腕あたりから切断されているのだ。先ほど、木工ミシンを目撃した時の胸騒ぎはこれだったのだ。
 切断された手に触れてみる。まだ暖かい。良かった。この分なら命を失ってはいないかも知れないという希望が胸をよぎる。

 体の方を探さねばならない。
 押入の戸を勢いよく開ける。そのとたん、押し込まれていたがらくたなどと一緒に息子の体が転がり出た。
 しかし、しかし、その体は、ああ、もう冷たくなっていた。
 思わず絶叫が口をついて出た。

  ==========================================

 たまらなくねっとりした汗とともに目覚めた。
 不快感がまだ夢と現実の境界を占拠し、しばらくは体を起こすことも出来なかった。

 フロイトは、夢はその素材を割合最近の出来事や身の回りからとってくるといっている。最近伝えられる様々な残虐な事件が、こんな夢を見させたのだろうか。
 しかし、「抑圧された願望の現出」としての夢は、そこで直接表象されたものを内容とはしていない。超自我などにより抑圧されている願望が、それらの厳しい検閲をくぐり抜け、夢の言語や文法を駆使しながら、やっとあるイメージとして現出するのだという。

 従って、ここから夢の内容を取り出すためには、その過程を遡行し、隠された願望へと至らねばならない。
 かつて、そうした夢判断や解釈を試みたことがあるが、どうもうまくはいかない。
 私は、そうした願望の持ち主であるとともに、その抑圧者でもあるのだから、ことは困難だ。修練を積んだ分析者の助けを借りれば、何ごとかが明らかになるかも知れない。
 今はもう、そうした分析を行おうとはしない。

 最後に、上記の夢について、事実と異なっている点を挙げておこう。
 まず、そこでの出来事自身が実際に起こったものではないことはいうまでもない。

*妻は入院などしていない。
*私の家は路地を入ったところではない。
*隣家に絵を描くような息子はいない。
*泥棒に入られたのはもう20年以上前。
*玄関はドアではない。
*娘は日中は家にいないし、彼女の部屋は二階。
*息子は同居していない。
*もちろん、木工用のミシンなどない。

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私の遊園地・梅雨の晴れ間のガス灯通り 06.7.17

2006-07-20 14:45:06 | よしなしごと




 


この写真は、7月14日のものです。

 お気に入りの場所なのです。 
 自転車で20分ぐらいでしょうか。
 道をはさんで左が県立美術館、右が県立図書館です。
 この辺でうろうろしていれば、ご機嫌なのです。

 別にさしたる催しなどなくても、この近辺をうろつきます。
 いままで日記に載せた写真もこの辺のものが結構多いのです。
 それなのにです、この通りがガス灯通りであることに気づいたのはつい最近なのです。

 もっともこの辺に、夜やって来たことがないせいもあります。
 それにしても表示があり、ちゃんとガス灯が立っているにもかかわらず迂闊な・・。

 で、急遽、オンします。

 え? ガス灯が実際点いているところが見たいって?
 だって、それって夜でなきゃ無理でしょう。
 そうなりゃ、あ~た、もうアルコールが体内に注入されてるでしょう。
 そんな身で自転車フラフラ漕いでって、万一のことがあったらどうするんですか?

 え?それでも見たい?
 ウ~ン、しょうがないなぁ。生命保険でも調べて出かけるか。
 え?それよりもアルコール抜きで出かければいいじゃないかって?
 そ、そんな無理なこと・・。

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カメとアヒルと時事川柳 06.7.16

2006-07-20 14:32:19 | 川柳日記







<写真> 私の散歩道にある小川の風景です。 

 散歩道にあるこの小川はかろうじて生きています。農作業の都合で通常はチョロチョロとしか流れていないのですが、それでも流れが絶えないので生きていられるのです。
 
 その他のかつては至る所にあった流れは全部死滅しました。コンクリート製のU字溝に変えられ、しかも一年のうち大半は水が流れておらず、必要な時だけ揚水ポンプで地下水を汲み上げて水を流すのですから、水棲の生き物は生存できません。
 
 ついでながら、至近距離に出来たこの揚水ポンプのおかげで、私の家の井戸が干上がってしまい、もう一段深い水脈へ届くように掘り直さねばならなくなったのですが、誰も保証してはくれませんでした。
 
 結果として、私のうちの近辺からは、メダカ、ドジョウ、フナ、ハヤ、ゲンゴロウ、ミズスマシ、タガメ、ザリガニなどなどがほとんど姿を消してしまいました。カエルもほぼ半減しました。その消滅に、農薬もまた一役かったことはいうまでもありません。
 
 ですから、冒頭に述べたようにかろうじてであれ、生きている流れは貴重なのです。そしてその僅かな水にしがみつくようにして生きているものたちに対しては、なにかいとおしいような思いを禁じ得ないのです。
 
 50年前に比べると、日本の田園風景は、深いところで病み、死滅しつつあります。

<今週の川柳もどき> 06.7.16 

 イスラエルの横暴は見て見ないふり
  (小泉氏滞在中に、実験どころかガザや
   レバノンで殺戮三昧)

 振り上げた拳で軍備強化する
  (チャンス到来と喜んでいる向きも)

 ピッチだけでは終わらない問いもある
 かぁちゃんはデベソぐらいでやめておけ
  (ジダン。欧州にも根強い差別意識)

 ジーコジャパンなにいわれても平気です
  (言葉が分からないから

 角がある七面鳥がやってきた
  (七面鳥に米牛混入、それでも再開?)

 まさかそこまではがやはりそうなのか
  (秋田女児転落も母の?)

 大崩落ハイジは無事でいるだろか
  (アルプスで岸壁の大規模崩落)
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六の時事川柳・2006年前半期より自選

2006-07-15 18:05:53 | 川柳日記



<1月>
  
この年も弱者に酷くなる予感
   (子供の焼死、誘拐。雪による老人の圧死
   老齢者施設での焼死、などなど)

ポチにやる肉なら所詮こんなもの
 (米牛に骨髄。輸入再開の責任は?)

美しく舞うだけにしろ冬の華
 (各地で雪害)

おらのほじゃあんなもんなら薄化粧
 (首都圏雪で混乱)

見せしめに幻のドア打ち壊す
 (ライブドア捜査。旧資本の総反撃?)

おだて上げついで蹴落とす世の習い
 (堀江氏と自民党)


<2月>

言論の自由と神がにらめっこ
 (ムハンマド風刺漫画を巡って)

操縦桿にぎる手つきにクレームが
 (JAL 社長解任騒ぎ)

皮算用トリノで狸笑ってる
 (冬季五輪不調)

金星が輝きを増し春を呼ぶ
 (荒川静香さん、おめでとう) 

<3月>

軽率が並み居る課題なぎ倒す
 (民主、メール問題) 

こうのとり先に来てからウェディング
 (出来ちゃった婚26.7%に)

火炎瓶今や弱者に投げる武器
 (姫路の少年たち。昔は反権力の象徴)

叱られてコンと狐で済まぬ歌
 (北九州、教師に叱られ小学生自殺)

引っ越してやる蕎麦代を出せという
 (米軍移転経費全額を要求)

路線価が勝ち組のいる場所示す
 (低迷の中、上昇する場所も)

<4月>

軽率のツケが重たい総辞職
 (民主党執行部総辞職)

あのチワワドーベルマンになる怖さ
 (強行取り立て。どうする?アイフル?)

中高生に痴情のもつれある怖さ 
 (中津川、少年による少女殺害)

共謀罪自公が共謀して作る
 (治安維持法にあと一歩)

回復でもシャッターはもう上がらない
 (景気。弱者は既に去っている)

<5月>

税を食う退職しても税を食う
 (天下り先への随意契約97%!)

本命と対抗同じ厩舎から
 (後継候補。森派の阿倍、福田の両氏)

残業は料亭でする諸官庁
 (温暖化防止で八時に消灯)

法で愛強制をする理不尽さ
 (教育基本法。愛強制は法にはなじまず)

ただでさえ少ないものをまた減らす
 (子供の事故、事件による死)

<6月>

出る杭は打たれ捕らわるヒルズ族
 (村上氏も。旧資本の総反撃か)

盗作はしておりませんコピーです
 (和田画伯。盗作よりもよく似ている)

ステテコの方が涼しいクールビズ
 (かつての植木等のスタイル)

乗り降りに命を託す鉄の箱
 (シンドラーのエレベーター)

低金利進める人の高金利
 (福井日銀総裁村上ファンドで大儲け)

米牛の輸入がポチの総仕上げ
 (小泉政権の末期)



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《緊急報告》と「おいてあるもの」と時事川柳 06.7.9

2006-07-10 13:59:57 | 川柳日記
 

<緊急速報> 
 土曜日に発行された週刊『図書新聞』に、作家、山下智恵子さんの新刊、『野いばら咲け--井上光晴文学伝習所と私』に対する私の書評が掲載されています。本名での掲載です。
 今週金曜日ぐらいまで、大手の書店におかれ、図書館などでも読めるはずです。
 お暇な節には是非ご笑覧下さい。
 別に全国デビューではありませんが、こうしたものに掲載されるのは初めてだろうと思います。


<以下、通常の日記です>==========================
 
 最近、変なものが気になります。
 売り物として陳列されたものでもなく、美術品として展示されたものでもなく、ただそこにあるもの、といっても、自然物や建物などの構築物ではなく(それはそれで気になるのですが)、人が介在しそこにおいてあるもの、それらに目を奪われるのです。

 もちろん、美術品や売り物ではないにしても、人はそこにものを置く時、バランスや周辺との位置関係などを無意識のうちに計算しておくのでしょう。その結果が何となく面白いのです。

 それらの写真を少し撮り溜めました。ほとんどはマニュアルカメラのもので、まだ現像もしていません。デジカメで撮ったものは、随時日記に添えるか、現在の「トイレの考現学」が終了次第、新たな「考現学」としてシリーズ化することも考えています。

 写真は、住宅街で見かけたさりげなく置かれた子供用自転車です。通りかかった際、フトその存在感のようなものに惹かれてカメラを向けました。結構絵になっているでしょう。

<今週の川柳もどき> 06.7.9

 将軍が後押しをする軍拡派
  (我が国のミサイル計画前倒し)
 もう少し派手な発射を願う
  (軍需株急騰)
 大国のそれは問わない片手落ち
  (イラクやガザで人を殺してるのは?)
 七本のマッチ大火にせぬ自制

 有終の美丸投げにするつもり
 増税は選挙過ぎまで腹の内
  (骨太案具体策示さずに決定)

 ゼロ人気ゼロの金利を解除する
  (日銀、金利見直し)

 不肖の子いさめることも命がけ
 たかが玉遊びのために殺す母
 専攻はパチンコ学部殺人科
    (阪大生パチンコを注意され)

 ドタバタを古都奈良の鹿シカトする
  (元市長の税滞納、暴いた市議の逮捕)
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