六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

水仙の芽吹きと六の時事川柳 06.10.29

2006-10-29 16:32:31 | 川柳日記



 ふと気付くと、この間発見したわが家の水仙の芽が、もうかなり伸びているのでありました。

 いつ頃花が咲くのでしょう。
 ろくに世界史を学ばなかった子らが、大学入試に臨む頃でしょうか。ホラ、スイセン入学ってあるじゃないですか。

 え?くだらない洒落ですって。
 ア、どうもスイセン(あら、今度はが抜けちゃった)。



<今週の川柳もどき> 06.10.29

 持つのなら北を非難は出来ぬはず
 被害国から加害国へのチェンジ
  (与党内に核保有の動き)
 
 庁から省やがて軍部が現れる
  (防衛庁昇格、いつか来た道
 
 教育の放棄偽装のカリキュラム
 スキルのみもつ連中が政官へ
 世界史を投げ出し風化する平和
  (教育崩壊と世界史観なき世代)

 ラーメンににじり寄ってる星条旗
  (明星食品に米資本TOB)

 青丹(あおに)よし一人三役許す古都
  (市職員、団体役員、土建屋。5年間で8日出勤)
    「あをによし」は奈良の枕詞
  「青丹よし奈良の都は咲く花の匂うがごとく今盛りなり」
         『万葉集』より小野老(おののおゆ)
 
 小兵でもよく頑張って世界一
  (カージナルズの田口君)

 北の地に大輪の花置き土産
  (新庄選手の最終章
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世界史を教えないこととトンデモ本

2006-10-27 04:43:58 | 社会評論
 以下は、富山県で発覚し、今や全国に波及しようとしている高校においてのカリキュラム偽造事件について、ネット上で友人と交わした意見の一部を編集したものです。

     ============================    


              

 マスコミ報道など見ていると、ルールの問題、高校の予備校化までぐらいはいうのですが、肝心の世界史など一般教養のもつポジティヴな意味での必要性についての言及が希薄なように思います。

 世界史の基礎的な知識すら持ち合わせない若者達が、受験のスキルのみでいわゆる一流大学に合格し、官僚や政治家になって行くことは恐いようにも思います。

 そんな連中が、「アウシュビッツは実際にはなかった。それはユダヤの陰謀である」とか、「イスラム圏の問題は全て、狂信的テロリストが引き起こしている」とかいった、いわゆるトンデモ本の世界に容易に吸収されてくのではないかとも思われます。

 世界史を近現代に重点を置いてという**さんのご見解には賛成です。現在の教科書には、それらの記述は少なく、しかも、期末の時間切れで、実際の授業では対象にならないようです。

 その背景には、党派性によって評価が分かれる近現代は入試に出ないという予測があり、それが実際そうなのだそうです。

 こうして生み出された欠如している知識の分野を埋めたいという欲望が、往々にして、イージーでエンターティメント性すらあるトンデモ本に向かわせるのかも知れません。

 もっとも、トンデモ本は今に始まったことではなく、例えば、私が青年時代、公民館の図書室で目にした『成吉思汗ハ源義経也』(小谷部全一郎・1924)などが代表的なものかも知れません。
 この本は、推理小説家・高木彬光の『成吉思汗の謎』のネタ本になったもので、こちらの方も読みました。

 話は脱線しますが、この小谷部全一郎という人、アメリカのエール大学で博士号までとっている人ですが、かなりハチャメチャな人で、その略歴を読むだけで笑えてくるような人です (詳しくは、検索エンジンで小谷部全一郎をお探し下さい。そこで見つけたアドレスを掲載しても、何故かそこへはたどり着けないのです)。

この人、他にもトンデモ本を書いていて、それは『日本及日本國民之起原』というのですが、それによると、日本人とユダヤ人は同祖であるということらしいのです(これは未読)。

 後者はともかく、義経=ジンギスカン説は、陸軍が調査に乗り出すなど、国家的に承認された仮説となりました。
 もちろん、その背景には、大東亜共栄圏の歴史的裏付けという国家意志=国民の願望が見え隠れしています。だからこそ、私が目撃したような田舎の公民館の図書室に蔵書として配本されていたのでしょう。

 戦後、都市部の大手の図書館では、廃本にされたり、単なる蔵書本として背景に退いたにもかかわらず、田舎の公民館では、蔵書不足のためそのまま、常備されていたのでしょう。
 当時は、本そのものが貴重品でした。

 著しく脱線しました。
 私のいいたいことは、教養としての世界史像すらもたずにいると、トンデモ本がかもし出すようなポピュリズムの分野で、偏狭なイデオロギーの餌食になる人たちが増えるだろうということです。
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光と影<2> 枠組み、または内と外

2006-10-24 17:50:54 | よしなしごと
 悪い癖で、いくつものシリーズを同時に進行させているので、結果として、そのどれもが曖昧になってしまう。
 一応、これは下記に記したものの続きのつもりである。

http://pub.ne.jp/rokumon/?entry_id=352791

  前回は、光が平面に当たって出来る影の紋様を見てきたが、今回は枠組みとしての影である。
 要するに、手前にあるものが影となり枠となってその枠内のものを引き立たせる(?)ような表現についてである。


    
       名古屋駅の内部から、正面のオブジェを見たもの。

 
   
        今度は岐阜駅コンコースから金華橋通りを見たもの


    
        中電岐阜支店のロビーから外部を臨む


    
       岐阜ハートフルセンター踊り場の窓から外部を
 

     
    手前の建物の枠に囲まれた名古屋テレビ塔


 これらは全て、光と影によって二分化されているが、それは、平面上での分割というより、手前と向こう、こちらとあちら、あるいは内部と外部といった分割である。

 要するに、影としての手前の部分の接線が額縁状になり、その中にある向こうを切り取っているのだ。これは、絵画や作品としての写真、書などを囲む額縁と同じ作用ともいえる。

 しかし同時に、この額縁により分断された空間の、手前と向こう、内部と外部は、容易に逆転可能でもある。

 見る視線からいえば、見ている側、すなわち額縁の外がリアルな内部であり、額縁の中は外部である。
 しかし、囲まれたそのものからいえば、額縁の中こそが内部であり、それを観ている側は外部というほかはない。

 だとすると、額縁そのものはいったい何なんだろう。
 結論的にいうならば、内部でも、また外部でもなく、そられを隔てることによってそれらを接合している領域といってよい。

 額縁の多様性、威厳のあるものや素朴なもの、それらは、その作品を囲む内部と外部をどう隔て、かつ、結びつけるのかという意志の多様性でもある。
 また、額縁のない絵画などが、何となく不安定な感じをもたらすのは、そうした内部、外部の規定が欠如している、あるいは規定以前のものとして見られるからではないだろうか。

 かくして額縁は、私たちを作品世界へと導き入れるものではあるが、それは一義的で通り一遍ではない。
 すんなり導入しそうでいて、それを拒絶するものであるものかも知れない。
 まるで、カフカ『門』のように・・。
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背高泡立草と六の時事川柳 06.10.22

2006-10-22 15:16:49 | 川柳日記

 

 ご存知、背高泡立草(セイタカアワダチソウ)である。鳥では昨日の拙日記に登場したカラスのごとく、また虫ではゴキブリのごとく、あまり好かれることがない花である。

 何故嫌われるのか。
 根っこに毒性があり、それにより他の植物を駆逐してドンドン増殖することもその要因であろう。いずれにしても生命力は強い。

 戦後、アメリカからやって来た帰化植物である。そのやって来方がすごい。占領軍の飛行機の車にくっついてきたのである。
 だからどこでもその繁殖は、飛行場の付近から始まったとされる。岐阜で言えば、各務ヶ原飛行場付近からである。
 
 反米主義的な眼で見れば、アメリカ帝国主義の拡大政策の象徴に見えるらしく、事実そうした主旨のエッセイも読んだことがあるが、その主義主張はともかく、この花自体には何ら関係のないことであり、言いがかりのようなものである。

 言いがかりやぬれぎぬといえば、この花、一時、ぜんそくを引き起こす犯人だとされたことがあった。その後、真犯人はブタクサであることが判明したのだが、今なお、疑いの目を向ける向きが多い。

 もうひとつの嫌われる理由は、その名前が示すようにそれが巨大であり、2メートルを超える高さの群落を作るからである。
 古来、巨大なものは威圧感こそあれ、かわいげがないものとされる。

 しかし、渡来以来数十年、日本の環境に順応して変化を遂げたものもある。それほど巨大化せず、ススキなどとの共生を始めたところもあるのである。
 かつて、空き地といえばススキであった。セイタカアワダチソウはそのテリトリーを犯し、やがてはススキを殲滅せしめるのではないかと言われたものだ。しかし、それもどうやら杞憂であるようだ。



    アキノキリンソウ(泡立ち草)

 ところで、「背高」泡立草といわれるぐらいだからそうではない普通の「泡立草」があると考えるのが自然であり、事実、それがあるのである。
 こちらは日本古来の山野草で、別名、アキノキリンソウ(秋の麒麟草)という。最近はあまり見かけないが、かつてはその辺の土手や草むらに自生していたり、庭先で栽培されていたりした。

 私の母の実家では、祖母が大切に育て、百日草やその他の草花と一緒に、仏壇の供花としていた。
 最近は、背高泡立草のあおりを喰らったり、それの小さいものと間違えられて見向きもされないのだろうか。
 
 路傍の草々にもそれなりの歴史があるものである。







<今週の川柳もどき> 06.10.22

 おじさんがなだめ二度目は諦める
  (北を中国が説得?)

 火事場泥のように狙う核武装
  (この際という発言)

 火事場泥共謀罪を狙ってる
  (核実験に騒然とする中)

 売るものも捨てられるのある臓器
  (名屋では廃棄)

 ほのぼのが取り立てでぶるぶるとなる
  (レイク、不正取り立て)

 薬物とはなんとディープインパクト
  (凱旋門3位取り消し)

 三億の夢は偽造で満たされぬ
  (宝くじ偽造

 鬼ばかりの世間を渡りきって逝く
  (藤岡琢也逝く)
 
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「黒い紳士たちの集会」傍聴記

2006-10-21 16:58:13 | よしなしごと
 本日も、小気味の良いような秋日和でございました。

 この日和を利用してか、寓居の前の約一反ほどございます田圃では、無慮、数十羽のカラスどもがなにやら集会を開いたのでございます。

 


 かしましく鳴き交わす声からは何をテーマにしているのかは聞き取りにくうございましたが、不思議なことに、しばらく耳を澄ませておりますと、次第にその意味が伝わってくるのでございます。

 しかもその内容は、どうも私どもが巷で交わしております話とさほど変わらないように存じました。


 

例えば、「今回の北朝鮮のカァク実験は許せない」とか「じゃぁ、制裁カァ」、「臨検までするのは行き過ぎた挑発ではないカァ」、「いや、アメリカァは、それを機会に一挙に殲滅を狙っているのではないカァ」などといった議論のようでございます。

 ただし、「北のカァク実験を責めている国もカァク兵器をもっているではないカァ」、「日本でもなんとか党のカァン事長が、カァク兵器の保有を検討しなければなどと言いだしているではないカァ」、「そんな連中に、北のカァクを非難する資カァクがあるのカァ」といったような、もう少し突っ込んだ内容についても話し合われたようでございます。





 この件についての結論は、どうやら、「北のカァク実験は当然のこと、あらゆる国のカァク実験、カァク兵器に対して反対して行こうではないカァ」、「これをきっかけに、なんとか党のカァン事長がいうように、カァクを、カァク大したり、カァク散させようとする動きには警カァイしなければならないのではないカァ」といったところのようでございました。



 

 そこでお開きになったのでございますが、「ちょっと疲れたではないカァ。行水にでも行かないカァ」と誘うのがいましたようで、何羽かがそれについていったのでございました。
 でも、どうしてかすぐに戻ってまいったのでございます。
 要するにこれが、あの「カラスの行水」と申すものではありますまいカァ(アッ、カラス語がうつっちゃった)。
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スケジュールロボット <2>

2006-10-19 17:42:54 | よしなしごと
 スケジュールロボット(以下スケロボと略記)なるものを奇妙な老婆から衝動買いしてしまったのは、去る九月の今池祭りのバザールでのことだった。
  その折りの詳細については以下を参照されたい。

http://pub.ne.jp/rokumon/?entry_id=364553 
 

 それ以来、ほとんど忘れていたのだった。
 ほとんどというのは、全くということではない。ときどき脳裏をかすめることはあったが、わざわざ引っ張り出してマニュアルを読み、操作するなどいささか面倒な気がしてことも事実だったし、また、それほど空いた時間もなかった。

 しかし、不思議に、突然気が付くと何にもすることがない、中途半端な空き時間が出来るもので、私が、そのスケロボを改めてとりだしてみたのもそんなときだった。
 無造作に古新聞に包まれた包装を解くと、そこにガリ版刷りのマニュアルらしきものにくるまれた不格好なブリキの人形のようなものが現れた。
 念のため、くるまれていた古新聞の日付を見ると、1972年9月30日のもので、「日中国交正常化なる」という大見出しが踊り、前日、北京で行われた調印式の模様が当時の田中首相と周恩来首相が握手を交わしている写真とともに伝えられていた。

 マニュアルは読みにくかった。ガリ版刷りでしかも青インクのそれは、所々かすれていたりした。それを何とか判読し、余分な文句や形容を除いてまとめてみたのが以下である。


        

このマシンとその概要

 これはあなたのスケジュールを管理し、その実現を支援するものです。
 ただし、単なるメモではなく、もっと積極的にあなたの定めたスケジュールの実施をサポートします。

マシンの機能

 前項で述べたように、どうしても今日消化しなければならないスケジュールをインップトすれば、それは必ず実現します。
 ただし、後述するような制限項目がありますので、それらは除外されるか、インプットしても無効になります。


予定のインプット

 今日一日の予定を具体的に音声でインプットします。ロボットの耳元で、出来るだけ明瞭にそれを述べてください。
 
 このマシンは、日本語版ですが、ある程度の外来語は理解可能です。
 ただし、新しい総理が(Who?)、自己の政策を曖昧に表明するために用いるような外来語は意味不明語とみなされ、多用すると故障の原因となります。
 
 なお、方言につきましては、東北弁、名古屋弁、関西弁、九州弁など、北海道から沖縄に至るほとんどの方言に対応していますが、2chのみで流通しているネットウヨ的ボキャブラリーや、名古屋市千種区今池五丁目**通り一帯のみで流通している狭域言語などには対応致しておりません。

インプット上の要件
 
 いつ、どこで、誰と、何を、どうするか(4W1H)を明確にインプットしてください。
 
 ただし、あまりにも物理的要件を無視したものは不可です。例えば、午後一時に南極でA氏に会い、午後二時には札幌の時計台前でB女史に会うといったものです。
 この場合には、移動に必要な時間も含めてインプットしてください。
 しかし、前のスケジュールなどが押した場合、多少の時空間の変形により、現行物理学では不可能なサービスを行いうる場合もあります。

 ダブルバインド(相矛盾する指令)は一切受け付けません。その場合にはマシンの自爆をも含めて故障を覚悟してください。

インプットの内容制限

 このマシンは、基本的には「ロボット憲章」に準じます。ですから、犯罪行為、人間を心身共に傷付ける行為、その他公序良俗に反する行為はインプット段階で拒否されます。
 
 あるいは、運良くインプット段階をパスしたとしても、途中で修正機能が働き、良からぬたくらみは実現しません。それらは、このマシン内の「倫理検討委員会」パーツによって判断されますが、それを除外することはマシンそのものの破壊以外に不可能です。

 なお、それぞれの年代に関する倫理観の変遷については、予め製造より100年間の変遷を見越したプログラムが編入されています。

マシンのメンテナンスとバージョンアップ
 
 メンテナンスは不要です。物理的な外圧などに対してはそれらを全て排除する機能を内蔵しています。
 バージョンアップもありません。先に見た「倫理委員会」パーツのように、状況に応じた自己更新を遂げる機能を内蔵しているからです。

最重要の注意事項
 
 このマシンに一度インプットした命令は、これを取り消すことや修正することは出来ません。
 従いまして、スケジュールをインプットする場合には、先ず自分の頭でしっかり先を見越して実施してください。

 最初に述べましたように、このマシンは「あなたのスケジュールを作る」のではなく、「あなたのスケジュールを管理し、その実現を支援するもの」なのです。


 では、このマシンの活用により、あなたの生活が合理的かつ順調に進むことを祈ります。


 ============================


 以上がマニュアルの概要であった。
 私は何かとんでもないものを手に入れたのであろうか?
 それとも、気休めサプリメントのようなものに過ぎないのであろうか?

 おそるおそるそのマシンを手にしてみた。ヘチャムクレのロボットは、気のせいか小馬鹿にしたような表情で私を見上げ、胸にはめ込まれた時計状のもののみがコチコチと、私のかすかな期待と、そしてそれを上回る不安とを刻み続けるのであった。

 さてどうしたものか。(続く かもしれない
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プチ蒙古旅行と映画

2006-10-18 17:58:55 | よしなしごと
 蒙古の草原へ小旅行をした・・・そんな気分である。

 第8回ぎふアジア映画祭で、蒙古映画『天空の草原のナンサ』が上演され、それに合わせて、蒙古の草原の暮らしを紹介する展示などを観てきたのである。


 
 草原の民が暮らすゲル。簡単に分解し、移動できるようになっている。



 ゲルの内部。正面に祭壇がある。
 




 色鮮やかなゲルの天井部分。




 
 代表的な蒙古の楽器、馬頭琴。チェロに似た音色がする。

     

 民族衣装の女性たち。


 映画は、実際の遊牧民一家がそのまま出演する素朴なものであったが、自然と人間、動物と人間とがまさに一体となって生活する「ひとの暮らし」の原点のようなものが描かれていて、歴史を越えた郷愁をそそる。

 しかし、その素朴な生活にも、近代化の波は確実に押し寄せ、都市への移住や、最後には選挙を怒号する車なども登場し、不定型な未来を暗示させる。

 やがて、こんな生活も、いわゆるグローバリズムの波に飲み込まれ、こうした遊牧民たちも、いわゆるプロレタリアートの一員として、近代産業の中へと糾合されてしまうのだろうか。

 映画『天空の草原のナンサ』は、ビャンバスレン・ダバー監督の作品で、この監督には、『らくだの涙』(2003年)という、ドキュメンタリータッチの作品もある(私はこれも観ています)。

 今回は、映画祭のための単独上映ですが、どこかで機会があったり、DVDなどがあったらご覧になって下さい。素朴ですがいい映画だと思いました。
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ついにタレントの父か? はたまた・・。

2006-10-17 13:19:05 | よしなしごと
 愚息がテレビに出るというのです。
 一瞬、いよいよこれで、タレントの父として左うちわで暮らせるのではないか。その際は、マネージャーなどした方が良いのではないかと思いました。

 しかし、どうも様子が違うようなのです。
 だとしたら、事件の犯人か容疑者として指名手配などされたのでしょうか?明日から私は、外出の際、サングラスにマスクで、裏口からこそこそ出入りしなければならないのでしょうか?
 どうもそれも違うようです。

 よく聞くと、「筑紫哲也のNEWS23」でインタビューをされたというのです。

   

 それはそれで心配です。北朝鮮の核実験やそれにまつわる経済制裁について訊かれたのでしょうか?それとも、頻発しているいじめの問題について訊かれたのでしょうか?

 それらについて、この私が、ネットで比較的真面目に考え、発言しているのに(と、本人はそう思っている)、愚息がとんでもないことを言ったりしたらどうしようとも思いました。

 23時になりました。私は、斎戒沐浴してTVの前に座りました。
 私としては、もし彼が、私の考える意味で反社会的なことを口走るようでしたら、即座に勘当するつもりです。要するに、彼の発言には、私たちの親子関係がかかっているのです。

 番組が始まりました。予想通り、まず、北への制裁措置です。でも愚息は出てきません。
 次いでいじめの問題です。ここでも出てきません。

 そして、スポーツニュースです。愚息は別にスポーツなどしていません。しかし、そこに出てきたのです。
 話題は、横浜ベイスターズの監督が、来期から、かつての名捕手、大矢氏になるということについてでした。

 そういえば愚息は小学生以来のベイスターズのファンです。何故、そのチームのファンになったのかは、私は知りません。
 当時は、大洋ホエールズといって、オーナーは大洋漁業でしたから、幼くして食べた、蟹缶か鮭缶がうまかったからかも知れません。

 名古屋で、横浜ファンというのは圧倒的に少数派です。ましてや、もう順位が確定した消化試合に出かけるなんてのは正気の沙汰ではありません。
 にもかかわらず愚息は、律儀にも、ナゴヤドームの最終戦に出かけたのです。

    
 
 そこで、大矢監督就任についてのコメントを拾っていたTBS系(名古屋ではCBC)に捕まったのでしょうね。
 愚息は言っていました。
 
 「若手を積極的に起用し、チームカラーを一新して欲しい」

 その番組では大矢監督自身がゲスト出演をしていました。そして、愚息の意見を、チーム立て直しの2番目の目標にしていました。愚息の意見はそれほど的はずれではなかったのでしょう。

 ところでこの球団、1960年と1698年にリーグ優勝し、その折りには、それぞれ日本一になっています。しかし、その他のシーズンは泣かず飛ばずの時期が多いのです。
 1960年は、愚息はまだ生まれていませんから、その意味では98年以外は30年ぐらいにわたって暗~いファン生活を送ってきたのです。

 私にとってもこの球団はこれといったインパクトはありません。松竹ロビンズといった頃、小鶴いう選手がいて、年間50本のホームランを打ち、今のホークスの監督、王さんがそれを越えるまで、日本記録をもっていたことは知っています。

 考えてみれば、ものごころついいてからず~っとファンでありながら、一回しか美酒にありついていないのは可哀相だと思うのです。
 来年は、私もベイスターズを応援してやろうかなと思う秋晴れの一日でした。

 
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「日ハムもあるでよ~」と六の時事川柳 06.10.15

2006-10-15 18:20:24 | 川柳日記
 名古屋界隈は、中日優勝セールでにぎわっている。
 落合監督の背番号66にちなんだ、66円セール、660円セールなども人気なようだ。

 ところで、パリーグでは日ハムが優勝したのだが、こちらの方は影が薄い。日本シリーズで敵方になるからであろうか。

 でも近くのスーパーをよく見たら、申し訳程度に日ハムコーナーが設けられ、幾分、安くなっているようだ。

 しかし、了見が狭くはないか。例え対戦相手であろうがその勝利を讃えて、その商品をもう少し大々的にセールの対象にしても良いのではないか。

 まさか、中日ファンだからと言って日ハムを敬遠して買わないほど消費者は了見が狭くはないはずだ。
 むしろ、「日ハムを喰う」でよく売れるのではないかと思う秋たけなわの日曜日であった。




<今週の川柳もどき> 06.10.15

 北風で核のマントを脱ぐだろか
  (説得外交は出来ないのか)

 復党で宙に浮きそなチルドレン
  (やはり使い捨て?

 いざなぎを越えて懐なお寒い
  (どこの話?)

 牛肉の次には何を売りつける
  (米ライス長官来日

 チワワにも大蔵省のお墨付き
  (サラ金への天下り)
 
 定期券不正なパスでオフサイド
  (日大サッカー部インチキ操作)

 名古屋では細々ハムの勝ちセール
  (一応スーパーにはあったが)
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スケジュール・ロボットなるものの入手

2006-10-14 17:14:52 | よしなしごと
 9月の今池祭りでのことだ。
 この祭りの名物であるホコテンの大バザールをひやかしていた。

 賑やかな呼び声や黄色い歓声が上がるブースを抜けて行くと、とある一角にそこだけ沈んだような幾分、陰気っぽいコーナーがあった。まるで、回りの喧噪から隔絶された穴ぼこのような空間であった。

 何となく惹かれるものがあって、足を止めると、何か古びた人形のようなものを売っている。
 しかし、そのどれもくすんだ色彩の壊れかかったようなもので、二百円、三百円の表示にもかかわらず、どう見ても売れそうにないものばかりである。

 売り手も、愛想のない不機嫌そうな老婆で、私が前に立っても声をかけるでもなく、上目遣いに一瞥をくれたっきり、あらぬ方角を向いている。
 まるで、客がものを買うことを拒絶しているかのようでもあった。

 それがかえって、私の興味を惹いた。
 もう一度並べてあるものを見てみた。市販のオモチャ類ではないようだが、どれも敢えて買いたいと思わせるようなものはない。立ち去ろうとするその時、老婆の膝元におかれたブリキの不格好な人形がふと目にとまった。




 顔はどう見てもヘチャムクレで、手足のバランスも不安定である。おおよそ15、6センチのこの人形は、その胸の真ん中に、一昔前の懐中時計のようなものがはめ込まれていた。
 どう見ても時計なのだが、いささか針の数や形状がおかしい。

 「それは何ですか?」
 と、尋ねると、老婆は今一度私の方に一瞥をくれてから、その人形と、何かパンフレッドのようなものを差しだした。
 人形を手に取ると、コチコチと音がする。時計は生きているようだ。首のところにこよりで縛り付けられた価格らしきものが付いていて、4,900円と読める。

 続いてパンフを見る。懐かしいガリ版刷りのそれは、僅か数ページほどのものだが、表紙には、「SCHEDULE ROBOT」とあり、その作者であろうか、Dr.Sanzunokawaの署名があった。
 ペラペラとめくってみると、予想通り、それは使用法に関する説明書であった。ただし、こまかい仕様などは書かれていない模様である。

 俄然、興味を覚えたが、何となく言い値で買うのもと思ったし、こういう場所では値段の交渉もパフォーマンスのうちだぐらいに思えたので、
 「これって、もう少し安くならないの」
 と、駄目もとぐらいの軽い気持ちで、訊いてみた。
 
 すると老婆は、その人形とパンフをさっとひったくって、さも軽蔑したように私を睨み付けた。
 「分かったよ、分かった、その値段で買うからさ」
 と私は折れて出た。何故なのか、その時には、それほど興味が高揚していたのだ。

 それを聞くと老婆は、黙って手のひらを差しだした。私はそれに5,000円札を乗せると、彼女はそれをひったくるように取り、自分の座っていた古びた毛布を折りたたんだような敷物の下から、おつりを差しだした。
 それから、その人形の回りにパンフを巻き付け、さらにそれを新聞紙でくるむと、輪ゴムで止めて、私に差しだした。

 むろん「ありがとう」の一言もない。この間全てが無言のうちに運んだのだ。
 得をしたのか、損をしたのかよく分からないままにそこを離れた。

 今池は長年いたせいで、旧知の人が多い。30歩も歩けばそれらの人に出会う。そんな出会いとおしゃべりや、街頭のパフォーマンスに見とれている間に、その老婆のことはすっかり忘れていた。

 再びそこを通りかかったのは、しばらくしてからだった。ふと時間が空いて、何となく気になったのだ。
 しかし、そこにはもう店はなかった。両脇のブースに囲まれて、まるで虫歯が抜かれた後のように暗い空間が秘やかにあるのみだった。

 隣のブースの若い男性に訊いてみた。
 「ああ、そういえばそんな店があったですね。え?いつ閉めたかって?ぁ、そういえばもう誰もいませんね」

 かくして私の手元には、古新聞にくるまれた「スケジュール・ロボット」なるものが残った。
 さて、これがなんであり、私との間にどんなドラマをもたらすかは、長くなってしまったので、また今度ね。(続くカモシレナイ
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