六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

【犬が犬でなくなる? 遠吠え考】

2007-11-28 18:23:22 | 想い出を掘り起こす
 二、三日前に、テレビで狼の生態を記録したものを観ました。
 それはそれで感慨深いものがあったのですが、そのあるシーンに接して、かねてより感じていたことを改めて思い浮かべたのでした。
 そのシーンとは、狼が遠吠えをするところです。
 私はそれを、久しぶりに聞いたように思いました。
 もちろん、ほんものの狼のそれではありません。私が長じた頃、既にニホンオオカミは絶滅していたのですから。

    
             近所の日奈守神社の狛犬

 わたしが聞いてきたのは、狼の子孫といわれるたちのそれです。
 田舎にいた子供の頃や、受験勉強の頃のまちなかで、いつもそれを聞いていたように思うのです。
 ある箇所でその遠吠えが始まると、それへの呼応してあちこちからそれが聞こえたものでした。それはまるで、イスラム教のお祈りの時間を知らせるアザーンのようでした。

    
              名古屋東照宮の狛犬


 しかしです、近年それらを聞いたことがほとんどないのです
 犬が寝ている時間でも起きている私がそれを聞き逃すはずがありません。
 最後に聞いたのは何年前でしょうか。うちで飼っていた犬(当然雑種)が遠吠えをしたのはもう二、三〇年前でした。

 近所の犬の遠吠えについて記憶を辿っても、ここ一〇年近くは聞いていないように思います。私が住んでいる地帯は郊外で、飼い犬も多く、犬が遠吠えするには絶好の環境だと思うのですが。
 ここ半世紀ぐらいの間に犬の習性が変わってしまったのでしょうか。例えば、犬社会のコミュニケーションの形態の変化とか、犬語の変遷とか。

    
             名古屋・今池高牟神社にて

 そんなことを考えながら、ネットを参照していたら、飼い犬が遠吠えをして困るという相談記事を見つけました。
 それへの回答は、最近の厳密に選別された交配による固有種の生産は、ほとんど遠吠えをしない犬を生み出していること、そして、もし鳴いたら、それをやめさせるように躾ることと記されていました。

 それへの相談者の続報には、その犬は日本犬間の雑種であること、はじめ、あまり哀切を帯びた調子で泣くので、その犬を抱きしめてやったことなどが記されていました。
 回答者の二回目のそれは、遠吠えをしたときに抱きしめてやったのに味をしめ、その犬は淋しくなると飼い主の抱擁を期待して遠吠えをするのだというものでした。

 
        同上、高牟神社でいちばん古そうな狛犬

 これは事実かも知れません。しかし、かつて日常的であった遠吠えが、今では少なくなったということはそれだけで説明しきれないように思います。
 ひとつは、狼に近い犬の習性の大部分が淘汰され、愛玩用に作り替えられたこと、また、野生性を去勢すべく厳しく躾られてきた歴史をもつこと、それによってそのオリジンとは遠く隔たったものとしてのみ生存が許されていること、などなどを考えてしまいます。

 
     琵琶湖畔で遊ぶ犬たち。彼らは遠吠えをするのだろうか?


 そして、杞憂症の私は、われらが人間においてもそうではあるまいかと思ってしまうのです。
 遠吠えというコミュニケーションの手段を奪われ、咆哮という直接的な訴えから遠ざけられた私たちは、躾られ、刷り込まれた方法でか細く吠えるのですが、それらは私たちが期待する誰かへと届くことなく、はかなくも虚空に吸収されてしまうのではというイメージです。

 でも、私は吠え続けたいと思うのです。例え、負け犬の遠吠えといわれようが、私の遠吠えに呼応してくれるひとたちがいることを信じて、聞き耳を立てながら・・。
 小難しいことはともかく、あの哀愁を帯びた遠吠えが、私は好きなのです。

 ワオワオワオワオ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ン!

 
 以上の記事は、私の友人のブログ「サンコの日記」に触発されて書いたものです。
     http://blogs.yahoo.co.jp/chieko_39/27168761.html






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【定点観測のナンキンハゼと六の時事川柳】

2007-11-26 14:48:45 | 川柳日記
 私が定点観測のように観察しているナンキンハゼの樹があると一週間前の日記に書きました。
 そこへまた、昨日行きました。 たった一週間の違いなのに、すっかり紅葉は進み、この樹独自の深みのある赤い葉が増えてきました。そのせいか、白く弾けた実が遠目にも白い点として目立ちます。

 この樹の傍らを通り抜けて、県の美術館へ行き、花の写真展と、二科会の写真展を観てきました。
 ウ~ン、いつになったらあんな写真が撮れるようになるのだろう。
 私の寿命とのおっかけっこかな。ガンバロウ!

 

 
 <今週の川柳もどき> 07.11.26

  厚化粧しても所詮は税の増
   (社会保障目的税だって)

  気のせいか攻め手が甘い大疑獄
   (甘い民主。あんたんとこも?)

  月六回さぞやハンディ減ったろう
   (山田洋行の土屋接待)

  狼が来たと法相まだ喚く
   (アルカイダのお友達の鳩山さん)

  カンガルー白頭鷲にそっぽ向く
   (豪政権交代。対米追随やめる

  封印切り太夫自身が演じてる
   (浄瑠璃師の横領
    「冥土の飛脚」封印切りの場

  血痕が神隠しではない証拠
   (坂出三人失踪の怪

  白銀と歩調合わせて再起する
   (北の恋人)


*「北の恋人」再起売り出し分を早くも食べました
 北海道の人がある会合にお茶うけにもってきました。
 食べずにもっていたらお宝鑑定団で値が付いたかも・・。
訂正と告示
*上に書いた「北の恋人」は、「白い恋人」の誤りでした。
 「白い恋人」が沈んでいる間に新しいお菓子を開発したい方、
 「北の恋人」の命名権格安に譲渡致します。
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【ケサランパサランを捕まえた!】

2007-11-25 17:54:36 | よしなしごと
 本を読んでいたら、何やらフワーッとしたものがページの上に漂ってきた。綿埃かと思ってつまんで片付けようとしたが、指のつまむ動作の風圧だけでスーッと逃げるように移動する。私の呼吸に対しては、まるで嵐にでも遭ったように舞い上がる。

 
             この大きさ
 
 慎重に慎重に捕まえた。
 少し褐色を帯びたこの埃のようなものは、直径一センチに満たないぐらいだが、よく観ると、何やら白い核のようなものがあり、それから不規則な放射状に細い繊維状のものが出ているようなのである。

 空中を漂う様は、何か小動物のように自分の意志で飛んでいるように見えるが、捕らえて空気の移動がない場所に静かに置くと動く気配もなく、何やら植物の種子のようにも見える。
 これはひょっとして、名前だけは聞いたことがあるケサランパサランではないだろうか?

 
             少し拡大

 ネットで参照してみると、どうも曖昧なことしか書いてない。ただしそれらの中で、形状も大きさも私が捕らえたものとそっくりな写真が出ていて、「ア、これだ」と思った。
 厳密に言うと、その写真のものはほぼ純白なのに、私のものはやや褐色気味なのが相違点である。

 
             もう少し拡大

 で、私としては、これがケサランパサランだと勝手に決めたのであるが、それらについて書かれたものを読むと、それを捕らえると幸せになれるのだが、ただし、人にそれを語ったらその効果はなくなるとある。

 
          今度は黒革の財布の上に乗せて

 従って、こんなものは無料で公開したりすることなく、然るべき拝観料を請求するのが当然なのだが、変なものを見せて後から料金を請求する悪質な連中と間違えられても困るので、今回はとくに無料で公開することとした。

 こんなものを観ることができるのも、全て私の博愛精神のなせるわざと、ありがたく拝観されるよう要請する次第である。








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晩秋と初冬のグラディエーション。 越美国境を行く。

2007-11-23 05:28:30 | フォトエッセイ
晩秋と初冬の狭間で・・。 

 晩秋というか山近くでは初冬の一日、越美の国境を行く。
 越美とは、福井県の越前地方と岐阜県の美濃地方を指す。
 例によって雑誌の取材の同行。
 この辺は少し詳しいのだ。
 20代後半からアマゴやイワナを追っかけたところであり、かつ、私の亡父の在所なのだ。

 
           秋と冬が共生する九頭竜湖畔
 
 父は、今でこそ車で何時間かの距離ではあるが、昭和初年には一日以上かかる距離を、柳行李(柳の枝で編んだ方形の箱。衣料などを入れた)ひとつを背負い、岐阜の街へと丁稚奉公に出たのだった。
 孤児同然であった私を養子として引き取り、育ててくれた父は既に故人だが、酒が入ったとき以外は寡黙で、木材と阿吽の会話をしていたこの父(彼は材木商であった)を、私は今なお敬愛している。

 
          九頭竜ダム越しに見る荒島岳

 場所は東海北陸道白鳥インターから油阪峠の下を抜けて、九頭竜湖を左手に大野から福井へと至る付近である。
 九頭竜湖付近にまで来ると、景観は晩秋を突き抜けて初冬へと至る
 周囲の山々はうっすらとであるが冬化粧で、車を止めて外へ出ると、思わずぶるぶるっと来る寒さである。カメラマンは、手が凍えそうだといっていた。
 地球の温暖化がどうとかいわれている割に、今年は冬が早いようだ。

 
           一瞬の陽射しが・・・1

 日本は、四季折々の変化に恵まれていて、その変容を楽しめるという。その通りだと思う。
 しかし、今年に限ったことかどうかは知らないが、その四季の節目がいささか鋭角的ではないかと思?、のだ。
 暑い、暑いといっていた夏が、いきなりストンと秋になり、そして幾ばくかもしないうちに冬の気配、その間の連続と不連続がなんとなく慌ただしいのだ。

 
           一瞬の陽射しが・・・2
           
 ただし、なだらかな季節の変動などは幻想であって、いつの時代でも季節は気がつけば変わっているのかも知れない。ましてや、歳を経た私の感覚においては、それ自身がある偏差をもつのかもしれない。

 そんなことを考えながら、帰途、県境を越える場所に設置された温度計を見たら、まだ午後5時前というのにジャスト0℃であった。

 
           荒島岳。日本百名山のひとつ。
           さほど高くはないが貫録は十分


 地球はかつて、少しばかりの知恵をもって徘徊する人類という動物に関わりなく自らの運動を行っていたのだが、いつの間にかその動物が地球の運動を左右することになってしまった。
 人類は、地球の運行や運命を、再び地球自身に返還するだけの謙虚さをもちうるだろうか
 




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【お登りと岐阜市街、そして7・9】

2007-11-20 14:12:40 | 想い出を掘り起こす
   

 岐阜駅近辺に「岐阜シティタワー43」という文字通り43階建(約160メートル)の高層ビルが出来た。岐阜いちばんの高層建造物である。 
 「行って見よー」というので最上階まで登った。
 以下は、そこから撮った写真である。

 
       岐阜市街東部。条件がいいと御岳が見える
 
        岐阜市北部を見る。上の帯状は長良川
 
       岐阜の西部。右上は長良川。左上に伊吹山
 
         眼下のJR岐阜駅。整備の工事中

 これらを眺めていて、私はとんでもないことを思い出してしまったのだった。
 悪夢のようなあの日々のことを。
 それは、1945年(昭・20)7月9日の岐阜大空襲直後の岐阜市街地の映像である。
 この空襲は、死者約900人、被害を受けた家屋20,000戸、被災者10万人(市民の約60%)という被害をもたらすものであった。

  
      炎上する岐阜駅。列車も燃えている

 正直に言って、私はその頃、大垣郊外に疎開していて直接空襲を体験してはいない。しかし、空襲警報で避難した箇所から、東の空が真っ赤に染まるのを見、「ああ、岐阜が燃えている!」という大人たちの詠嘆を聞いたことは記憶にある(それからしばらくして、私の疎開先の掘っ立て小屋も少し離れた軍需工場の空襲の余波で半焼の目にあった)。

  
         徹明町交差点付近
 
 1946、7年(昭21、2年)頃だろうか、母が岐阜の知り合いの安否を尋ねるというのに同行した私は、幾分片付けられているとはいえ、あちこちの焼け跡にうち捨てられた残骸を目撃している。なんか、きな臭い匂いまで残っていたようにすら記憶している。
 前半の平和な写真の後に、これら後半のモノクロ写真をを載せるのには幾分の違和感と飛躍がある。
 私に、それを決意させたのは、たまたま隣り合わせていた老婦人の次のような言葉であった。

  
    後に「柳ヶ瀬ブルース」で歌われた柳ヶ瀬
 
 「空襲の後、岐阜駅から丸物(当時の百貨店)や十六(銀行、今も存続)がはっきり見えたもんね」
 これは、当時の岐阜市に於いては、鉄筋の建物は以上の他に市役所、県庁ぐらいしかなかったことを示している。もっともそれらの建物も、単に残骸を晒すに過ぎなかったのだが・・。
 老婦人の言葉は続く。
 「いまごろほんなこといっても、若い人には笑われるだけかも知れんけど・・」
 それを聞いて、私は史料を探し、その折りのありようを再現しようと思い立った。

  
         爆撃ひと月前の岐阜市街 1945.6.9

 
       爆撃直後の岐阜市街(前図を90度横に)

 それがこのモノクロの写真群である。
 コメントは敢えて言うまい。
 ただひと言、これは合成でもなんでもなく、当時の庶民が体験した実像であると。


被災写真など資料は、「岐阜平和資料室」、「空襲、戦災を記録する全国会議」などのホームページから借用致しました。










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【弾けたナンキンハゼと六の時事川柳】

2007-11-18 15:12:32 | 川柳日記
 私が定点観測のようにしている一本の樹がある。これまでも、たびたび私に日記に登場した常連である。それは一本のナンキンハゼの樹で、岐阜の県立図書館と県立美術館の間に植えられている。

 
        紅葉しはじめた葉陰に白い実がチラホラ

 図書館でものを調べたり、図書を探したりした後、ほどよい散歩が疲れを癒してくれる。図書館のやや無機的な造形の庭園と、もう少し自然の風味が強い美術館の庭園とは、ともに私のフェイバレット・プレイスなのだ。

 その二つの庭園の狭間にあるのがこの樹だから、私はすっかりこの樹と顔見知りになってしまった。だから、そのもとを通り過ぎる時は、「おい元気か」といった間柄なのだ。

 
         弾けた果皮の中には白い可愛い実が

 ついこの前、栗と同じような少し淫らな匂いを発散する花を付けていたかと思うと、今はもう、このように弾けんばかりの果実を付けている。
 ナンキンハゼから蝋が採れると聞いているから、おそらくこの実から採れるのだろう。

 帰ってから、近くの郵便局へ行くために、鎮守の境内を横切って行ったら、少し開きすぎ加減のツワブキの花が出迎えてくれた。

 


<今週の川柳もどき>  07.11.18

 防衛を喰らう越後屋お代官

 北と米頭ごなしで行く気配
  (ニクソンショック再び?)   
 
 貧民の食取り上げて車行く
  (バイオメタノールで穀類高騰)

 身を粉にして働けば死に至る
  (医療、教育で過労死、自殺増加

 吉兆のパート社長より偉い?
 悪いのはみんなパートという老舗
 但馬だと唐様に書く三代目
  (最後の句は古川柳の本歌どり
   「売り家と唐様に書く三代目」)

 よみがえれピッチに響くあの怒声
  (オシム監督)







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ちょっと贅沢をしました。

2007-11-15 01:51:34 | よしなしごと
 二日ほど留守にしてパソコンから離れていた。
 帰ってパソを開けてみるとさあ大変、メールの山々々・・。
 ほとんどが屑メールで、それはそれで仕分けされているのだが、おっと、その中に混じって大事な業務連絡が・・。

 
           この舟に乗ったのです。

 結構貧乏性で、二日間外出しただけで、なんかやるべきことの予定が詰まって来たような気がしてバタバタした。
 事実、図書館へ返す期日が迫っているのに、まだ半分も読んでいない本がある。その他にも、雑用がいろいろ溜まっている。
 疲れもあってしばらくブログの更新もしていない。放っておこうかと思ったが、あいつとうとうくたばったかと思われるのもしゃくなので、こうしてしょうもない日記を書いている。


 
       宿へ行く途中でこんなものを。ここの名物

 で、どこにいたのかといえば、中部地区の方は途中の写真で分かるかもしれないが、その他の方は、最後の方の写真で分かる仕組み。もっとも、離れた所の方にとっては、地名が分かってもどんなところかのイメージは掴めないかもしれないが・・。

 
       こんなもの食べました。海にいるのに河の豚

 海のないところで育った私にとっては、海は格別。
 記憶によれば、はじめて海を見たのは小学校の3年生の時。まだ、戦後の産業復興の前で、日本のあちらこちらに白砂青松が残っていた頃である。
 海へ行って私が初めてしたことは、海岸端へ行って海水を舐めてみることだった。


 
            こんなものも・・  

 塩辛かった。本当だ、海の水って塩辛いのだ。私のデカルト的懐疑の精神は、事実の前にあっけなく退散した。
 「われ舐める、ゆえにわれ在り」


 ところで、私がはじめて行った海、舐めた海、泳いだ海は、とっくに埋め立てられ、その上に、今や日本有数の石油コンビナートが展開している(三重県の、この都市の名前が付いたぜん息まである、ホラあそこですよ)。

 
    忘れちゃいけないここの名物。スーパーのそれとは全く別物

 海を見て、美味いものを食って、命の洗濯をしてきたのだから、パソに溜まった屑メールや、その後、少しぐらい忙しい思いをしたことを嘆くべきではあるまい。

 
       この島の名を付けたお酒。蔵元は「国盛」
 
 イヤ~、実のところ、これを読む皆さんにちょっぴり羨ましく思わせるのが本音。
 蛸も、河豚も、伊勢海老も、うまかったよ~んだ!
 とても美味しかった、日間賀島への小旅行だった。


                             貨物船も見たよ

日間賀島 知多半島と渥美半島が向き合うように面しているその間にある島のひとつ。昔から、蛸が名物。ただし、この辺で、極めて良質のトラフグが獲れるのに、関西を始めとする都会地に出荷するだけではもったいないということで、近年、河豚料理を前面に押し出し、河豚の島として「島おこし」。
 それが成功し、新鮮な産地の味として、蛸とともに人気を集めている。
  


    
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「長く咲く花」と六の時事川柳

2007-11-11 14:25:16 | 川柳日記
 

 キダチチョウセンアサガオ(木立朝鮮朝顔)というらしい。
 
 とてもながもちする花である。夏前からずーっとあちこちで見かけている。
 もちろん同じ花がもち続けているいるわけではないだろうが、それにしても長い期間にわたって咲く花である。   
 もう立冬も過ぎ、霜便りや雪便りが聞こえてくるというのに、まだけなげに咲いている。

 
 
 ここに載せた最初の二枚は昨日撮したものであるが、最後のものは六月六日に撮影したものである。その間、何と五ヶ月以上の隔たりがある。
 要するに、一年の半分は咲いているわけである。

 私もあやかって、長く花を付けたままでいたいものだ。
 え? もう、お前は散ってしまっているって? ヤッパリ!
 でも、花咲爺さんの話もあるではないか。枯れ木にだって、枯れ木にだって・・(だんだん声が詰まってフェードアウト)。

 英名を参照したら、「angel's trumpet(天使のラッパ)」とあった。
 いささか直裁過ぎるようにも思うが、納得できる名前ではある。

 


<今週の川柳もどき> 07.11.11
 
  記憶にはないという手が汚れてる
  武器商人黒いマントがよく似合う
    (防衛省汚職
  防衛省幹部の監視熊並みに
    (GPS携帯端末を持たせる案も)

  大将が馬首をめぐらしひと騒ぎ
    (民主党代表ご乱心)

  法相でいいのだろうかあの人が
    (テロリストのお友達その後も強調)

  ゾロゾロとまたゾロゾロゾロゾロ
    (食の偽装)

  ヤッパリな儲けてるのは雲の上
    (景気実感七ヶ月連続低下

  作ったら組専用の病棟
    (佐賀県で誤殺)





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【初体験】109シネマズ名古屋。

2007-11-09 17:05:47 | 映画評論
 
        109シネマズから名古屋駅方面を見る

 映画をよく見るわりには、はじめていったシネコンである。
 名古屋駅から徒歩10数分。
 他でもやっている映画なのだが、時間の都合と、このシネコンの上映環境を見ておきたかったからだ。
 結論から言うと、なかなか快適な雰囲気である。

 
          109シネマズのスクリーン
 
 ただし、平日であったということもあって入場者が少ない
 以下の二本の映画を観たのだが、そのうち前者は二人、後者は六人(後者は18:10の開始だから昼間ではない)という淋しさ。

 駅前のミッドランド(駅から三分)にシネコンがオープンしたのも痛いのだろう。
 でも、静かな環境で観たい私にとってはこの方がいい。
 しかし、つぶれてしまっても困る。ウ~ン。

 
   映画を観終わったあと、名古屋駅近くの居酒屋のディスプレー

*映画に関する感想は以下に記しました。ネタバレのないように具体的なことは書いていません。

 『オリヲン座からの招待状』
        
  昭和30年代を舞台とした『続・3丁目の夕日』が話題になっているが、この映画も又その頃が舞台で、往時を知っている人には懐かしい光景や風俗が盛り沢山出てくる
 それを背景とした恋愛映画だが、それは同時に、『ニューシネマ・パラダイス』の日本版として、映画へのオマージュともなっている。

 中盤が少し描写不足なのと、若かった主人公二人と老いた二人との時間の経過による断絶が幾分気になるが、全体としてはしっとりとした味が出ていてよかったと思う。

 私としては、好きな女優さん二人、宮沢りえ樋口可南子に出会えたのだから、それだけでも満足だったといえよう。

 蚊帳の中のりえちゃん素敵だった。
 可南子さん、大人の情感が溢れていた。
 

『クワイエットルームへようこそ』
        
 私たちはおしなべて何らかの過剰を抱えながら生きている。
 それらを飼い慣らし、平均値の中に押しとどめている内はいいのだが、そこからの逸脱は「異常」として、牢獄か病院に隔離される。

 この映画はこの後者の方であるが、面白いのは、その異常とされたものの範囲内に、「普通の」異常とさらにそれを「超過した」異常があることである。
 牢獄に於いては、これは懲罰牢に相当するのだろうが、病院に於いては、それが「クワイエットルーム」なのである。まさに、異常の頂点ともいえる空間なのだ。

 要するに、「異常」と烙印を押された人たちの中に又新たな社会関係が生まれ、階層が形成されたりする。これには、治療スタッフも巻き込まれ、それをも含めた世界が、一見、外部と遮断されたようなところに出来上がっているように見える。

 映画はそれらを、豊富なエピソードで綴って行く。それを追っていくうちに私たちは、一見、奇異に見えたこの隔離された空間が、それなりの論理と倫理のうちに形成されていることを知るところとなる。
 そして、いつの間にか、彼女たち(女性病棟なのだ)に感情移入している自分を発見することとなる。

 こんな風に書いてしまうと小難しくなってしまうが、これらが実にテンポよく、それぞれの登場人物のキャラが解きほぐされるように進むのだ。何よりもそれらが面白い。

 松尾という監督は遊び心に満ちていて楽しい画面を作るのだが、どこか押さえるべきところは押さえているように思う。
 劇中の集団ダンスシーンは、くったくから解放された彼女たちのそれぞれの表情が素敵だし、ラストシーンにも目が離せないシリアスな挿話と、コミカルなエピソードが用意されている。
 そしてそれらが、隔離された内部と、外の世界との通路のようなものを象徴している。

 出演者では主役の内田有紀が、「フラガール」の蒼井優などを従えて堂々たる演技を展開しているし、大竹しのぶの怪演も見逃せない。この人が出ると完全に場を支配する重みがある。








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【秋はワインだ!甲州だ!】

2007-11-08 13:37:43 | よしなしごと
 ここんところ日記に固いことや悲しいことを書きすぎた。
 僕はもともと木石ではあるが、それなりの楽しみも知っている。
 今日はそんなことを書いてみよう。

 秋はワインが美味しい
 もともと醸造酒系が好きな私にとっては(などといいながら、口に入るアルコールは一通りみんな飲んでいる)、日本酒やワインが美味しいこの時期が好きだ。

    

 しかし、いくらワインが好きだからといって、ロマネコンティを晩酌にするわけにはいかない。
 そこで、そこそこの値段で美味しいものを探す。
 そんな私の情報網に引っかかってきたワインがある。
 しかも国産のワインである。

 さっそくネットで検索したら、それを出品しているところが数店あって、価格はどれも同じぐらいである(税込み一本1,650円ぐらい)。
 金にいじましい私は、六本以上は送料無料というところへ申し込む。

 やって来た。今年の夏の暑さに耐えるようにと買ったワインクーラーにさっそく入れる。
 もったいぶって、二、三日してから飲んでみた。
 美味いではないか。安物のシャブリよりもうまいではないか。
 ア、言い忘れたが和食主体のわが家ではやはり白がメインである(赤も飲むよ~ん)。

    
 
 爽やかですっきりしていて、刺身を始めとした魚料理から野菜料理に至るまで、相性は抜群だ。とりわけ、後口が爽やかで、料理の邪魔をしない
 国産ワイン恐るべしだ。

 このワインの素性、すでに写真でお分かりのように、「ルバイヤート甲州シュール・リー(2006)」で、甲州種ブドウ100%使用。醸造元は丸藤葡萄酒工業(株)。

    

 白のお好きな方、一度お試しになってはいかが。
 飽きの来ない味のようなので、これがなくなったら追加注文しようと思っている次第。
 国産でも美味しいワインがあるよ~んということで、決して醸造元の回し者ではありません。
 ア、それと、NHKの大河ドラマとも関係ありません。






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