六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

肺炎患者の手抜きおせち

2014-12-31 17:49:39 | 日記
 クリスマスプレゼントに肺炎だというお墨付きをいただいてしまったので、年末年始の諸事万端、今年はネグレクトしてきました。
 おせちもそのつもりでいたのですが、今朝起きたらまあまあの体調なので、急遽、ありあわせのもので作ることにしました。昨年までと比べたらうんと手抜きで、品数は少ないし、それぞれの量も少なくなっています。
 それでも一応作ったのは以下。

        

 ・野菜五目煮(里芋、京人参、れんこん、ごぼう、こんにゃくなど)
 ・卵巻き ・田作り ・酢レンコン ・きんぴらごぼう ・山芋白煮 
 ・紅白のなます(京人参、大根、昆布、柚子) ・数の子
 
 野菜中心の田舎料理です。
 味の方は舌がおかしいので保障の外です。
 ただし、それぞれ薄味にしました。

 ところで皆さん、本年はいろいろお付き合いいただきありがとうございました。来年も宜しくお願い致します。
 良いお年をお迎えください。
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最後の黄葉と「安静川柳」そしてフサエさんの梅干し

2014-12-27 15:33:33 | 川柳日記
 うちの雪桜は申し訳程度にしか花を付けない駄木だと毒づいやったら、年のどん詰まりに来て綺麗に黄葉した。これまでの無為徒食は許すことにする。

        

 肺炎だそうだ。それを錦の御旗に年末年始の諸行事をすべてネグレクトする。
 もっとも、毎年、年の暮れに肺炎がやってくると楽ができるというほどのんびりした話でもない。

 以下、久々に川柳を作ってみた。題して「安静川柳日記」(破格、ご容赦!)

   やれ大変 肺に狼煙が上がったぞ
  
   予後二十日 まるで執行猶予刑

   安静に監視されての年の暮れ

   点滴はショパンの雨だれとは違う

   点滴は退屈 文庫本も重い

   回り道ばっかりしてる いま病臥

   年の瀬が病の瀬となり年を越す

   だあれもたたかってくれぬからひとり



フサエさんの梅干しと摘果きゅうり
 熱のため全く食欲が無い。しかしなにか口にしないと薬をのむ潮時がわからない。
 何を食べてもまずいなか、フト思いついた天才シェフこと私の絶妙のコラボ。

 同人誌先達のお連れ合いのフサエさんからいただいた、これぞまさに伝統的にして正統の香り高い梅干し、それに、それ自身はいささか味に乏しい摘果きゅうりを故意に包丁を使わず、ポキポキ折って添えるというただそれだけ。

        

 その梅干しを崩しながら摘果きゅうりと食べるのだ。これがうまい。
 ただしその梅が、お茶うけのような甘ったるい既成のものでは駄目だ。たとえ、ブランド物の高級品でもだ。食したあとの口の中の爽やかさがまったく違うのだ。
 きゅうりも刃物を入れない方がいい。あえて摘果きゅうりがなかったら、普通のきゅうりを包丁の腹で叩くようにするといい。

 ただし、いずれにしてもダメだろう。決め手はこのフサエさんの梅干しだからだ。
 これで久々に、焼酎のお湯割りをいっぱい飲んでみた。
 酒類の旨さはまだ戻ってこないが、このつまみはいけた。
 こんな旨いものを食ったあとに薬とは情けない。

 
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永代供養塔と私の「青山」

2014-12-25 17:43:08 | 日記
古くからの 友人から、岐阜の郊外にある岩井山延算寺に自分の永代供養納骨をしたいので下見に行く、ついては一緒に行ってくれないかという申し出があったのは10月のことだった。
 永代供養納骨霊廟(納骨堂)とは何かというと、その寺のHPによれば、「自分の死後、供養をしてくれる子孫のない方のため、当山が後継者となって、寺に納骨をして頂き、寺が責任をもって永代に供養してゆく一種の墓地です」ということだ。 それ自体にはあまり関心はないが、彼女の経歴からして、その選択はありうると思い、アッシー君を引き受けることとした。

          
 
 岐阜の郊外にこんな名刹がといった佇まい。
 問題の永代供養塔は近隣の村落を見下ろすような山の中腹にあり、中心をなす観音像(かな?)を背後にした野外音楽堂のような階段状の箇所には、すでに1.5メートルぐらいの供養塔が立てられている箇所もあった。
 名前や戒名が掘られたところには、黒々と墨が流されいるもの、あるいは朱が流されているものもあった。朱の方は存命中なのだそうだ。
 春は桜、秋は紅葉というこの地が彼女には結構気に入ったようだ。
 価格も、ちゃんと個別の石碑が立ち永代供養付きとあればまあまあリーゾナブルだ。

 失礼を承知で、「金はあるのか」と訊いたら、「この分は普通会計とは別に前から貯めていたの」のこと。結構しっかりしている。

 「どう思う?」と訊くから「周辺の環境なども悪くはないんじゃないの」と答え、「ただいろいろあるといっても義理の弟もいることだし、頼りないといっても娘や息子がいる以上、やはりちゃんと話して了解をとったほうがいいんじゃないの」と答えておいた。

          

 11月に入って、それぞれ了解がとれた旨のメールが入った。
 そしてつい先日、「(今年は) 行く先を確保したことで気がおさまりました。 周りを見ても皆さん色々な事を抱えています。この年まで生きれば充分です。生きられるだけは自分らしくと思ってます。」とのメールがあった。

 かくして彼女は自分の安心立命(あんじんりつめい)の境地を手に入れたわけだ。若い人は笑うかもしれない。マルクス流に「宗教は民衆のアヘン」であるというわけだ。
 しかし、あのくだりで彼が語りたかったのは宗教やそれに酔う民衆についてでなない。かれらにアヘンを必要とせしめる現実への鋭い批判と、それにアヘン以上のものを与えることができない情けない現実についてであった。

          

 ところで、私自身についていえば、永代供養は愚か、墓地などについても、全く何も決めていない。後は野となれ山となれだ。いささか格好つけるなら、「人間到る所青山あり(ジンカンイタルトコロセイザンアリ)」だ。

 高校生の頃、まだ楽観主義者であった私は、このことばの意味を完全に取り違えていた。要するに、人生いいたるところ、希望に通じる青い山並みがある、ぐらいに受け止めていたのだ。
 これを正した教師は、「青山=墓所」のことだと教えてくれた。

          

 そうなればもちろん解釈も異なる。
 ひとつはこれは他国へ誘い、他者と交わることを奨めているようでもある。青山=墓地がふるさと以外にもいたるところにあるのなら、故郷に固執する必要はない。最後に身を横たえる場所は何処にでもあるのだ。

 これはその場所的、空間的な解釈だが、時間的な問題、時制の問題とも受け取れる。
 何処で倒れるもよしとするならば、それに対応した生き方をしなければならない。ハイデガー流にいうならば日常の頽落を生きるのではなくその本来性(この言葉はあまり好きではない)を生きよといことにもなる。
 もう少し平たく言えば、金太郎飴のように何処で折れても同様であれということだ。

          

 まあ、しかし、そんなに絵に描いたように実直に生きられるはずがない。その折その折の条件の中で、戦い傷ついて眠るのがせいぜいだろう。そしてその時、私にはやっと分かるのだ。
 「ああ、ここが自分の青山だったのだ」と。

 この20日前から時として体温が38度の後半にまで上昇する。
 一時良くなったかに見えたのだが改善しない。
 レントゲンに乗る。
 11月にも、撮っているのでそれとの比較はド素人でもわかる。
 肺に白いぼやけが見られる。
 立派な肺炎の症状だ。
 私にとっての青山は、白いモヤモヤとともにやってきた。
 絶対安静だというから、正月のための諸準備は今年はなしだ。
 

 
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デモス=放置された者たちの復活のために 民主主義原論

2014-12-17 00:43:53 | 社会評論
 選挙の余波が続いているが、そのなかで注目すべきは投票率の低さであろう。
 確かに天候の問題もあったし、あれほど事前に与党圧勝が叫ばれれば、何も俺がゆかなくても思う気持ちもわかる。投票権は、行使するもしないもその人の自由なわけだから、それを責めても始まらない。

 それにしても今回の低投票率は気にかかる。
 50%を切った県が8県もある。

 「民主主義政治」というものの形式的な内実は「代表制」による「多数決原理」とされている。これにさまざまな意義付けを付加したり注入しても、現実にはその形式においてのみしか機能していない。
 
 しかし、投票者が半分を切り、そのまた30%台を確保した党が政権に着くとしたら、それ自身は実は「代表制と多数決原理による」といわれる「民主主義」政治の根幹が否定されている、あるいは少なくとも揺らいでいるということではないだろうか。
 
 「多数決原理」を支えるものは、「最大多数の最大幸福」という理念だろう。
 しかし、この低投票率が示すものは、最大多数を決する分母そのものが全くその役割を果たしていない、したがって、そこで選ばれた者たちは、最大多数とはまったくいえないということだ。

          

 誤解しないで欲しいが、これは与党のみを指していっているのではなく、国会という機関そのものが形式民主主義の理念からさえもすでに外れているということなのだ。
 
 民主主義は、語源的にいえば民衆(デモス)の権力(クラティア)だとされる。しかし、現実はこのデモスそのものが舞台には登場してこないところにある。
 なぜデモスは舞台から退くのか。「進んだ者たち」はそれを迷妄のうちにあると考え、その蒙を啓こうとする。あるいは「遅れた者たち」、「脱落した者たち」として密かに侮蔑したりする。

 しかし、彼らはより利発なのかもしれない。
 代理制の多数決原理による政治が、デモスの政治とは全く異質であり、予めデモスのほとんどを放置したところで行われていることを「知っている」のかもしれない。
 今日の政治が「デモスの権力」とは全く別のある支配機構によって寡頭的な支配としてあることを知ってしまっているのかもしれない。
 むしろ、「進んだ者たち」はそのことをどこかで知っているのだが、知らないふりをしているのではないだろうか。

 その寡頭的支配者を、これと名指すことはできない。なぜなら今日的な寡頭制とはある種の複合体として機能していて、あたかもノウ・ボディの支配による如く不可視だからである。
 しかし、ノウ・ボディによるとはいえ、支配は厳然としてある。

 この、ノウ・ボディの背後にうっすら見え隠れする複合体の形成要素を名指すことは可能かもしれない。政(与野党すべてを含む)、官、財、学、メディア、文化人、教育者などなどである。彼らは目に見える形を形成したり指揮系統を持っているわけではない。時にはその内部での闘争もありうる。にもかかわらず、その総体があたかもひとつの一般意志のようなものとして私たちを支配している。
 
          

 この視点からすれば、選挙そのものも、その支配貫徹のシステムにしかすぎない。09年の選挙のような「政権交代」も、この支配、誰のものともわからないゆるやかなノウ・ボディによる支配の一環であり、デモスの間に溜まったガスを一時的に減圧するものだったともいえる。
 事実その後の三年間、「政権」は変わったかもしれないが、この複合体による支配はびくともしなかった。

 この間唯一、この複合体による寡頭支配のリアルさが垣間見られたのは、原発事故を巡る諸問題においてであった。この「危機」においてもはやノウ・ボディであることをはみ出して、上に述べた複合支配の様相が浮かび上がったのだった。

 それは同時に、私たち自身がその寡頭支配のうちにあっては、「放置された者」でしかないことを反照的に浮かび上がらせるものであった。

          

 具体的なことはともかく、この複合体による寡頭支配は代表制による多数決原理というデモクラシーの仮面をまとって私たちの前に立ちはだかっている。
 こうした「デモクラシー」へのいらだちというものは、いわゆる左右両翼において広がっている。右翼にはもっと明確な寡頭制への期待があるし、左翼にはどこかデモスを愚衆として侮蔑しているところがある。いずれにしてもデモスは放置されている。

 これは原理的な問題だからうんと飛躍をするが、代表制による多数決原理そのものは廃止した方がいい。かといって専制や独裁を主張するわけではない。
 直接民主主義は地理的、時間的制約で無理がある。
 残るところは抽選、要するにくじ引きである。
 代表制の残滓はあるものの、その代表の選出をまったき「偶然性」に委ねるということである。
 このメリットは、「強いものが勝つ」というあらゆる寡頭制の「必然性」を断つところにこそある。 


《追記》くじ引きなどというと荒唐無稽に思われるかもしれないが、ヨーロッパの地方自治体、そして世界中のあらゆる小規模自治体で採用されている方法である。ヨーロッパの場合は、政党政治家などを排除し、地方自治専門に焦点を絞って考える市民の自治形態である。議会は夜開かれ、自分の「選挙区」などに考慮することなく議論が行われる。イデオロギーや党利党略とは関連のないところで、市民目線で話が進む。
 もちろん、問題が全くないわけではない。しかし、それらを差し引いても、寡頭制を排したデモスによる統治という意味はある。


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寒々しい師走と「カンラン」物語

2014-12-14 00:55:46 | 日記
 師ではないがいろいろ走らねばならない時期がやってきた。
 そのうちにやるさ、と放置してきたことの付けが回ってきたのだ。
 年末という契機をてこにして強制的にしなければならないことがたくさんある。

 だから駆けまわる。
 冬の風景はどこも寒々しい。



 いつも行く桜の道は、もうすっかり葉を落としているが、紅葉したまま樹にへばりついているものも多少あって、かえって寒々しい。
 残菊というにはあまりにも賑々しい一群を見つけたが、寒風の中とあってやはり華々しさはない。それどころか、逆にうつろな寂しさを誘う。

          

 農協の野菜売り場へ行く。
 スーパーでもそうだが、ここでも正月色が色濃くなっている。
 だが年内にもう一度は足を運ぶつもりだから、ごく日常的なもののみを買う。

 店頭の一角に、葉牡丹が勢揃いして華やいでいる。
 子供の頃、私が疎開していた田舎ではこの葉牡丹のことを「カンラン」といった。
 同時に、キャベツのことも「カンラン」といった。
 確かにこの二つは同じ仲間だろう。
 
 そのいい方は単なる方言ではなかったはずだとググってみた。
 カンランという植物でヒットするのは、まず「寒蘭」である。
 これは文字通りの蘭の仲間で、10月ぐらいから1月にかけて花をつけるためこう呼ばれているようだ。



 その次に目を引いたのは「広島流お好み焼き カンラン」であったが、これはどうやら店名のようで、クリックして見たらキャベツのイラストがあって、お好み焼きに使うキャベツからのネーミングだから、私の子供時代の用法に一歩近づいたわけだ。

 さらに追ってゆくと、「コトバンク」に「 1. キャベツの別名 2 . ハボタンの別名」とあってちゃんと「甘藍」という漢字が添えられている。そうそう、この漢字だったといまさらながら思い出した。

 葉牡丹=カンランはなぜ正月を彩るものとして門松などに使われるのだろうか。
 この葉牡丹自身が園芸種として栽培されるようになったのは江戸中期からだというからそう古いことではない。
 どうやら、紅白(いまはその他のものも)で縁起物として珍重されたからだというのがその理由らしい。



 さて、この葉牡丹、食用になるかどうかであるが、「キャベツの仲間だから食べられるだろう。ただし食用に特化されたキャベツに比べたら味は落ちるだろう」というのがおおかたの意見ではなかろうか。とうぜん、私もそう考えた。
 しかしどっこい、以下の様なリスクを覚悟して口にすべきだろう。
 曰く、「葉牡丹は食用ではなくあくまでも観葉のための園芸種。そのため、栽培の過程で健康に有害な物質(農薬など)が付着している可能性がある」とのこと。
 色目がいくら鮮やかだからといって、サラダなどにしないほうが無難なようだ。

 さて明日(おやもう今日になってしまった)は投票日である。全国的に寒々しい投票日になるようだ。その結果がよりいっそう、寒々しいものにならないことを祈るばかりだ。
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リアルな近未来 多和田葉子さんの『献灯使』を読む

2014-12-11 03:41:51 | 書評
 珍しく自分で買った小説を読む。
 厳密にいうと「自分で買った」とは言い難い。なぜなら、ひょんなことで、親しい人から頂いた図書券で買った本だからだ。
 図書券を頂いたとき、さて何を買おうかなと迷った。その時、この『献灯使』の広告が目についた。そうだ、小説を書く人からもらったのだから小説を買おうと思った。

 多和田さんのものにしたのはそれなりの理由がある。かつて、「日本語とはどんな言葉だろう」という小論を同人誌に書いた折、この人の評論やエッセイ、そして小説からずいぶん学ばせてもらった。もちろん小説はとても面白かった。

            

 多和田さんは、言葉に敏感で、常に自分の使っている言葉をメタレベルから見ながらそれに対して自己干渉してゆくところがある。それは例えばある種の「言葉遊び」のようなものとして表現されるが、それは決して「遊び」ではない。
 例えば、この表題作では、どうやら外来語が禁止されているらしく、ジョギングは「駆け落ち」と言い換えられる。ただしこれは、古い日本語が持っていた色恋沙汰とは無縁な、「駆ければ血圧が落ちる」から来たらしい。同様に、ターミナルは「民なる」になる。

         

 ここですでにほのめかしたように、これはリアルタイムの小説ではなく、ある種の近未来を描いたものである。表題作のみならず、それに付された短編、「韋駄天どこまでも」(これには漢字を分解し組み立てるという実験的な試みがなされている)、「不死の鳥」、「彼岸」、「動物たちのバベル」もすべて近未来を示している。
 とくに最後の短編は、人間たちが滅亡した後の、動物たちの対話劇となっている。

 しかしである、作者自身がロバート・キャンベル氏との対談で語っているように、これは決してSF小説や未来小説ではなく、リアルなものでもある。なぜなら、表題作をはじめ、四つの短編すべてのバックにあるものは、あの3・11の大地震、大津波、そして原発事故という隠しおおせようのないものだからである。

         

 これらはある種のデストピアとして描かれているが、それは災害の悲惨さにとどまらず、先にみた外来語の禁止などの規制があったり、移動の自由が規制されたりしているある種の管理社会として示されている。
 しかし、その管理の主は決して表面化されない。
 多和田さんはそれを、強制によらない自己内面化による自主規制として描いている。そして、それこそ、私たちが直面している管理者会の罠なのだ。

 アーレント流にいうならば、それはノウバディによる支配であり管理である。しかし、ノウバディの意向を内面化した支配は、もっとも強力な支配ともいえる。

         

 この緩やかなデストピアは、どうやら鎖国という情況設定に依拠している面がある。したがって、このデストピアからの脱出はその外部との接触を回復することである。
 主人公のひとり、未来少年「無名」は、15才の折、秘密組織から「献灯使」に選ばれる。この「献灯使」が、日本の歴史上の「遣唐使」をもじったものであることは容易にみてとれる。

 老人がいつまでも「そのまま」生き延びてしまう自同性の社会は、自らの他者である外部との接触を若者に託すことによって未来を垣間見る。

         

 これらの小説は、ドイツに在住する著者が、3・11を踏まえて観念的に紡ぎだしたものでは決してない。多和田さんは、フクシマ原発のすぐ近く、浪江町などを訪問し、その住民たちと対話するなかでこの小説の構想を得たという。
 だからこそ、これはSFではなく、リアルな、私たちの物語なのだ。

         

 最後に、多和田さんの自作の朗読を以下に載せる。多和田さんは、ドイツ語や日本語で自作の朗読をあちこちで行っている。音楽家や舞踏家とのコラボもあるようだ。
 ここに載せたものは、「群像」1月号で私が読んだロバート・キャンベル氏との対談の前か後に行われたものである。ぜひ、多和田さんのナマの表情ともども聴いてみてほしい。

  https://www.youtube.com/watch?v=ywXTGBfdkzo


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12月8日に始まった戦争のおさらい

2014-12-08 11:52:12 | 日記
 73年前の今日、ひとつの戦争が始まった。
 大日本帝国海軍が真珠湾の奇襲攻撃を行い、いわゆる「太平洋戦争」の幕が切って落とされたのだ。

 それ以前から、大日本帝国の軍隊は、中国大陸を侵略し、満州帝国という傀儡国家をでっち上げ、さらなる戦線の拡張を図っていたのだが、1939年、いわゆるノモンハン事件で惨敗を喫したため、北進を諦め、南進に転じ、真珠湾攻撃はその戦略の開始を告げるものであった。

          
 
 なお、ノモンハン「事件」は、日露戦争の経験から、ソ連軍くみし易しとちょっかいを掛けた局地的戦争であったが、そこで手ひどい敗北を喫したため、明らかな敗戦を「事件」と言い換えていたものであった。
 しかし、こうした英米を中心とする列強へ面と向かって切った戦端は、当初の奇襲攻撃などの成功による一挙の戦線拡大が逆に災いをなし、米英が体制を立て直すや敗走の一途という地獄の体験を戦線の兵士に強いるものであった。

          
 
 ビルマ(現ミャンマー)でのインパール作戦が象徴するように、初頭の奇襲には成功しても、弾薬や食料などの補給が全くなく、兵士たちはただ散り散りにジャングルの中を敗走し、飢えの結果友軍の兵士を食うという壮絶な地獄が出現した。私の実父もそこで死んだのだが、その詳細はわからない。

          
 
 そうした棄民的な無謀な作戦は、ニューギニアでも、グアムでもサイパンでもガダルカナルでもアッツ島でも硫黄島でも繰り返され、さらには、東條英機が作成したという軍人訓8の「生きて虜囚の辱めを受くるなかれ」、要するに「捕虜になるくらいなら死んでしまえ」という命令のもと、「玉砕」という美名での全く無駄な死が強要されたのだった。

          
 
 それら南太平洋に展開した作戦がほとんど死屍累々の悲惨のうちに敗退するなか、いわゆる本土決戦のさきがけとして沖縄で地上戦が展開され、駐留の兵士ともども、民間人の多くが死亡した。そして、ヒロシマ、ナガサキ・・・。

          
 
 結局この戦争においての日本人の死者数は310万人、そのうち植民地各地での民間人の犠牲、沖縄地上戦や原爆など本土爆撃による民間人の死者は80万人に及んだ。
 これが我が国が始めた戦争の我が国の犠牲者の数である。
 
          

 しかし、それらを指折り数えることは許されないだろう。
 なぜなら、この戦争を始めたばかりに、東アジアを中心とした近隣諸国の死者数は2,000万人に及ぶからだ。
 これが、1941年12月8日を起点にして始まったカタストロフィーの帰結であった。

          
 
 安倍内閣は「戦争内閣」だといわれる。しかし、私は安倍氏やその周辺が意図的に戦争への道をひたすら進んでいるとは思わない。にもかかわらず、彼が付置した「秘密保護法」や「集団的自衛権」の容認、そして憲法9条の制約から自由であろうとする意図は、そうした戦端を開き得る可能性を体制として整えるものであると思う。

            
 
 戦争は、目に見える具体的は措置によってヨーイドンで始まるとは限らない。
 先の戦争においても、大正デモクラシーが花開き、それらの余波が昭和に及び、モダンガール(モガ)やモダンボーイ(モボ)が銀座を闊歩するなかで、戦争が可能な体制が、そして何よりもそれを歓迎する大衆的土壌が用意されたのだった。

            
 
 そして1941年の今日、真珠湾攻撃の「大成功」を受けて、全国各地では提灯行列がバンザイの歓呼のなかで行われた。
 やがてそれが、幾何級数的に増加すす死者たちへのレクイエムへと転じることを知らないままに・・・。
 私たちは、瀬戸際に追い詰められて身を翻せるほど利発ではない。
 だとしたら、そうした瀬戸際に近づかないことだ。
 今度の選挙はそのための一つの結節点でもある。







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絵本「ピアノ物語」 二人の女性がそこで出会う

2014-12-07 11:43:24 | 日記
 素晴らしい絵本が送られてきました。A4版の横綴じの大型絵本です。
 送り主はこの絵本の作者であり、私のネット上の友人 F・F・Tさんです。
 すべてが手作りです。絵はもちろん、書かれている文字も直筆です。製本もご自分の手になるものです。

       

 もちろん手作りだからいいのではありません。
 ちゃんと内容を伴っているのです。
 題名は「ピアノ物語」。でもピアノ(について)の話ではありません。
 ピアノは作中の二人の「わたし=主人公」の仲立ちをします。
 しかし、とても大事な仲立ちです。
 ピアノを巡っての短編小説の趣がある作品です。

       

 一人の主人公は敗戦直後の農家の女の子です。
 その「はなれ」ともいえないような掘立小屋には、都会で焼け出されてきたおばさんがひとりで住んでいます。そして、その小屋のなかには不釣り合いなピアノが置かれているのです。女の子は、それを覗き見しているうちに、そのおばさんと親しくなります。
 そのおばさんはとてもピアノを大切にしているのですが、自分では弾けません。

       

 女の子が成長してゆくのに平行して、高度成長が始まり、農家も土地を売ったりして豊かになります。女の子の家も新築し、ピアノが買い与えられました。
 ピアノに入れ込んだのですが、プロのピアニストにまでは至らなかった女の子は音楽家の夢を諦め、エリート社員と結婚します。
 いわゆる中流家庭の理想像が実現するのです。

       

 しかし、そこで思わぬ不幸に見舞われ、これまでの生活を別の視点から見る機会が訪れます。それは、実家へ帰ったその女性が、掘立小屋に住んでいたおばさん、もう今ではおばあさんとなっているひとと再会するところから始まります。

       

 ここからの語り手は、もう一人の主人公、おばあさんに移ります。
 そしてそこで、なぜ掘立小屋のなかで彼女がピアノと一緒に暮らしているかの謎が解かれることとなります。それはまた、悲しい挫折の物語でした。

       

 この両者の切ない挫折のなかで、改めて二人の主人公の交流が始まります。
 二人はここで共通の思いで結ばれます。それは作中の言葉でいえば、
 「愛する者を守るためには、母親や女はかしこく強くなり、目をしっかり開けて見なければならない、ということ」
 になります。
 そして再び、ピアノは、「風鈴の音よりもやわらかく、海のようにゆったりと、ギャロップのように軽やかに」その音を奏でるのです。

       

 以上はとても大雑把な概括ですが、そこを通じて流れているものは、作者の反戦平和への妥協のない希求です。しかしそれは、理論や観念に基づくものではなく、現実のありように根ざすものです。
 この物語に書かれているものは、すべて現実にありえた話なのです。

       

 写真を添付しましたが、絵も素晴らしいのです。かなり厳しい状況を描いたものもあるのですが、どれをとってもどこか温かみがあります。そしてまた、時代考証もしっかりしています。私自身が幼少時の戦中に実際にみた光景です。

       

 最後は、人が生きるという課題を引き受けながら、見つめるものを獲得したひとの決意、といってもマナジリを決するようなものではなく、ある種の静謐のうちにあるものなのですが、それが語られています。

       

 多くの人に読んでもらいたい内容なのですが、私家版であるため、どうしたら良いか今のところわかりません。作者のF・F・Tさんにまた問い合わせてみます。

 
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キジバト・エレジー あるバーダーとの対話

2014-12-03 17:03:59 | よしなしごと
 写真は、過去、私が撮したキジバトの写真です。最後の4枚は私の家のマサキの樹に巣をかけた時のもので、赤い矢印はそこで孵った二羽のヒナです。


 私の友人の娘さんに、プロのバードウオッチャー(バーダーというのだそうですが)がいらっしゃって、時折、雑誌などにお載せになった記事を読ませていただく機会があるのですが、対象となる鳥の生態や観察にとどまらず、その鳥と人間の歴史的関わりや文学上のエピソードなど多方面からの記述があって、とても面白いのです。
 
 私もひところ、覗きのおっさんと間違えられながら、いっぱしの顔をして質流れの双眼鏡を持ち、鳥を求めて徘徊した事があるのですが、彼女の記事が、そんなノーテンキさとは全く違う、肉体的精神的な努力によって初めて可能であることを知るにつけ、味わって読むべきだと思うようになりました。

          

 その彼女と、ひょんな事でメールのやり取りがありました。
 まずは私のメールです。

  ===============================

 (前略)携帯メールの着信音にも神経をお使いになるとの由、バーダーならではの臨場感のある話ですね。私のような無神経な人間ではとても務まりそうにありません。

 30日、NHKの総合TV、午後7時半からの「ダーウィンが来た!」で、「本当はスゴい!トビの実力」というのを放映していて興味深く観ました。
 そのトビですが、私の住む都市郊外の半田園地帯では、最近あまり見かけないように思います。かつてはもっと見かけたように思うのですが。

 農薬などの影響で昆虫が減ったり、その連鎖で野ねずみなどの小動物がいなくなったり、あるいは水路のU字溝化に伴い、川としての機能を失い魚も住まなくなったせいかなと勝手に推測しています。
 子供の頃は、大垣郊外の全くの田園地帯で過ごしましたが、そこではよく見かけました。カラスとの空中バトルも見かけたことがああります。

 そういえば昨日、近くの神社の境内で、明らかに片羽に損傷を負ったキジバトを見かけました。
 はじめはじっとうずくまっていたのですが、私が近づくと飛ぶのではなく、その羽を引きずるようにして必死で逃げるのです。しばらく後を追いましたが、かえって追いかけるとキジバトにとって負担になるような気がしたのと、捕らえることができたとしても,その後どうしたら良いのかわからなかったのとで、茂みの中に入り込んだところで諦めました。

 最近は野犬はいないものの、カラスなどの餌食になるのかと思うと自然の摂理とはいえ、なんだか切ない気が致します。
 こんな場合、どうしたらよいのでしょうか。もし捕らえられたらが前提ですが・・・。
 ◯◯さんならどうなさいますか。(後略)

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 以下それへの彼女の返信ですが、私信ですのでかいつまんで内容を紹介します。



 
 トビの番組、彼女も観ていて映像は躍動感に溢れていたこと、添えられた音楽も良かったこと、長年、鳥を観てきた彼女にとってもトビの飛行の巧みさには舌を巻くことなどに触れた後、私のメールにあったキジバトの件へのアドヴァイスは以下のようでした。

 可能性のひとつとしては、キジバトではあまり聞かないが、鳥は(シギやチドリなどでは特に)、近くにヒナがいたりして発見の危険にさらされると、親は自分に敵の興味をひきつけようとして、わざと傷ついたフリをして逃げることがあるからそれかもしれないということでした。
 
 そして、もし傷ついた鳥を見て、放置したら命を落としそうな場合、それを助けたいと思ったら、自治体ごとに設置している、鳥獣保護課の係の人に連絡をとるのがよいこと、傷病鳥を保護する場所があるかも知れないことなどが指摘されていました。

 さらには、「自然にあって治るようなものは、そのままにする方がいいと思います」との指摘も。




 以下はそれに対する私の返信です。

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 やはり、トビの番組はご覧になっていらっしゃいましたね。
 子供の頃から見慣れた鳥ですが、前回書きましたように、最近は見る機会も少なく、たまに見かけると、「オッ、いた!」としばらく空を見上げています。
 番組でも紹介したいましたが、漁港ではたくさん見かけます。何年か前、敦賀の漁港を訪れた際には、スズメかドバトほどの群れがいて、少し怖いほどでした。

 キジバトの件ですが、片羽(左)が明らかに不自然に垂れ下がっていましたから、現実の損傷だと思います。
 キジバトはわたしの部屋のすぐ前のベランダへもよく遊びに来ます。
 昨年は数メートル先に巣をかけて、二羽が巣立ちました。
 天敵を避けて、むしろ人間の住まい近くに巣をかけるようですね。
 巣立ちの瞬間を観ることができなかったのは残念でした。しばらく、若鳥がウロウロしていましたから、それらがきっとうちで生まれたものでしょう。

 傷ついた野生動物を見かけた場合については、ご指摘のものを参考にしながら勉強してみます。とはいえ、現実の対応はとても難しいですね。
 そうした事態への干渉そのものが生態系の頂点に立つと自認する人間の驕りではあるまいかといったことも含めて考えてみたいと思います。

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 その後、彼女の示唆にしたがって「傷ついた野鳥 岐阜」で検索した結果、岐阜県のHPの「環境」の箇所で以下の記述を見つけました。 
 まず、巣から落ちたヒナを拾わないこととあったあとの記載です。 
 
 「また、野鳥は寿命がつきる前に、他の動物に食べられたり、ケガをして命を落としたりします。野外で命を落とした野鳥が他の動物の餌になることで、命がつ ながっていきます。野生の動物は、犬や猫などのペット(愛がん動物)とは異なり、野生の中で生きていくことがストレスを感じることが少ない生き方と言われ ています(ほとんどの野鳥は人間が近づけば必ず逃げていきます。人間を恐れている証拠です。)。できる限り手を触れずに見守ってください。さらに、野生の 動物が人と獣が共通で感染する病気をもっている可能性もありますので、傷ついた野鳥を動かす場合は、直接手で触れるのではなく、手袋などをはめそっと近く の植え込み等に放していただきますようお願いします。」

 人間中心の「感傷」が生態系への「干渉」になるということもあって、なかなか難しいものだと思いました。
 ひとつ勉強になりました。
 





コメント (4)
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