六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

ある農夫の苦闘の記録 倒伏した田の刈り取りを見る

2014-10-30 02:21:44 | 写真とおしゃべり
 これは先般来、私がやきもきしながら見てきた私のうちのすぐ隣りの、刈り残された田圃の始末記です。それはまた、この農夫の丸一日の苦闘の記録でもあります。

          

 有機農法を試みたのだと思います。それがなんかの手違いがあったのでしょう、風雨に耐え難くほぼ全面に倒伏する結果になってしまったのでした。
 そして、同じ頃に田植えをした田がすべて刈り取られてから20日余り、ここだけが無残な様相で取り残されていたのです。



 ここは、二階に住む私が、朝起きて部屋を出た途端に目にする田なのです。その間、目にするたびに、どうしたんだろう、今年は収穫を諦めたのだろうか、いやそんなはずはない、このまま放置されるはずはないと一人気を揉んでいたのです。



 それがついに昨29日、始まったのです。
 午前9時頃、物音に気づいた私が見下ろすと、もう作業は始まっていました。
 しかし、例年のようにスイスイと刈り取ってゆくというわけには行きません。
 コンバインを少し動かしては、倒伏のひどい場所では降り立っての手作業です。
 ですから、見ているとコマギレの蕎麦をすするようなイライラするほどの作業です。
 いちいち説明はしませんが、写真をご覧になればその過程を想像していただくことができるでしょう。



 最初の方に、彼とは違うおじさんが出てきます。
 このおじさんは、私の家から見て、彼の田圃の手前にある休耕田の持ち主です。
 おじさんは自転車でやってきて、ミレーの「種まく人」よろしく何やら細かい種を休耕田一面に撒きました。勘の良い人はお分かりのように、これはレンゲの種です。来春には可憐な花をつけ、私の目を楽しませてくれることでしょう。



 このおじさん、帰り際にコンバインの彼と何やら話しているツーショットの写真があるでしょう。何を話していたのかはもちろん分かりませんが、農家特有の会話があったものと思います。



 ツーショットといえば、コンバインに乗った彼とカラスのものがあるでしょう。この辺りは倒伏が少なくて鼻歌交じりでコンバインを操作できる場所です。でも、そんな場所は圧倒的に少ないのです。



 途中と終わりの方に、道端に積まれた白い袋が出てきますでしょう。
 これは刈り取りから脱穀まで行う自脱型コンバインで、脱穀された米が入った袋です。20キロぐらいではないかと思うのですが、途中の白い車と一緒に写っているものでは20袋ですが、終わりの方のバスと一緒のものでは50袋に増えていますね。



 本当は最後まで彼の作業を見届けたかったのですが、図書館や食糧の仕入れなどに行く必要があったため、午後3時半ぐらいでウオッチングを切り上げました。あと一往復ぐらいで終わるところですね。



 帰宅すると、もう日はとっぷりとくれていました。最後の写真のように田はすっかり刈り取られています。
 例年なら半日もかからないくらいの作業を、ほとんど一日かけて行ったことになります。



 よく、米という字を分解すると八十八になる、つまり88回の手が加えられているのだといったりしますが、私の母方の祖母はもっと簡潔に、「六や、一粒の米でも出来るのに一年かかるのだぞ」といって、飯台の上はもちろん、床に落ちた一粒の米でも拾って食べろと諭しました。今でもその言いつけを守っています。

 本当にお疲れ様でした。
 来年は、ちょっとやそっとでは倒伏しない稲を育てたいものですね。
 収穫量や米の質ががそれほど落ちていませんように。







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忙中閑あり 秋の散策

2014-10-28 03:00:18 | 日記
 ちょっとまとまった郵便物を出す必要があったので、そのための通信用具などを買うために近くの郵便局へ徒歩で出かけた。
 ここんところ名古屋へ出かける用件が多く、自宅から自転車やバスで駅まで直行というケースが多かったため、近所を徒歩で巡るのは久しぶりである。

 何やかやとしなければならないことは多いのだが、自分の事務処理能力を信じて(過信?)、忙中閑ありで、のんびり散歩気分で出かけた。

 空は完全に秋のそれである。「天高く、馬肥ゆる候」という言い方は最近あまり聞かないから若い人には通じないかもしれない。だいたい、私が幼いころを過ごした田舎のように、人と馬とが身近な存在ではなくなったせいもあろう。

          
 
 そういえば田舎ばかりではない。街なかでも馬車が往来し、騎乗した軍人がとおりかかることがあった。その馬が、自分のうちの前で糞でもしようものなら、慌ててちりとりとほうきを持って飛んで出て、それを持ち帰ったものである。花壇などの肥料にするためである。
 今なら、憤慨(糞慨?)した輩が新聞に投稿したり、損害賠償を訴えかねないであろう。

 話が逸れた。
 道中見た植物などについて記そう。

 この辺りの秋の果物といったらなんといっても柿だろう。
 しかしこの柿はいわゆる渋柿で、このままでは食べられないと思う。皮を向いてしばらく天日干しにすると妙なる甘味を帯びるに至る。

          

 そのすぐ下にはヒメツルソバの群落がある。去年も書いた比喩であるが、まるで金平糖をぶちまけたような有り様である。
 この花、一つ一つは1cmに満たないほどの可愛いものであるが、その繁殖力たるや獰猛ともいえるもので、ここを起点に、舗装された道路脇の未舗装の僅かな土を占拠し、ン十メートルにわたる帯状の群落を為すに至っている。



 この花、英語では Victory Carpet というのだそうで、なぜそんな呼び名かというとその葉っぱに V の字がでているからだという。拡大したものを観てみると、たしかに褐色の V の字がでている。人間の想像というか連想は面白いものだ。

          

 しばらくゆくと、花自体が数十センチもあろうかという朝鮮朝顔の一種、シロバナヨウシュチョウセンアサガオ(白花洋種朝鮮朝顔、英名jimson weed, devil's trumpet, thorn apple, tolguacha, datura など)がいままさに開花しようとするのに出会った。 
 この花の「朝鮮」というのはとくに朝鮮が原産地ではなく、外来種というぐらいの意味だという。その他、この国には、やたら「唐」がつく植物があるが、これらもとくに唐の国が原産地だというわけではない。
 英名の devil's trumpet はただならぬネーミングだが、それはこの一族が漢方などの薬として用いられる一方、摂取が過剰だと毒物として機能するからだ。

              

 これはプラトンやソクラテスが用いたパルマコンという言葉が、毒をも薬をも意味し、その言葉をハイデガーが用い、さらにそれをデリダが脱構築の典型として用いたことなどを連想させて面白い。

 ついで出会ったのはお茶の花である。2cmほどの小さな花だがそれなりの貫禄がある。よく見ると、何かの花との共通性が見えてくる。そう、この花、椿の仲間なのである。そして中国語では椿のことを「山茶」というらしい。ちなみに「椿」は日本で生み出された文字だとのことである。

   

 私の散歩はいささか慌ただしい。うちへ帰って、必要な書類や葉書、封筒をプリントアウトし、郵便物を完成させねばならない。
 しかし、久々の散策は面白かった。しばらく会わなかったその自然は確実に違う様相を呈していた。まさに、「ひとはいざ、心もしらずふるさとは」である。

 前回の記事(10月22日)に記した全面倒伏した田は、まだ刈られないままである。

 





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不安がつのる 未だ刈られざる田

2014-10-18 18:07:12 | 日記
 毎年、私の近くの田は県産米の「はつしも」という品種が多く、その名の通り霜が降りる頃に近くなってから遅い稲刈りが始まると書いてきた。
 しかし、さすがにここへ来て見渡すかぎりの田での稲刈りは先々週の末ぐらいには終わった。ただし、たった一枚の田を除いては・・・。

 それが私のうちの二階の眼下にある田んぼなのである。そしてその田は、これまで2、3回触れてきたように、風雨にさらされるたびに倒伏が広がり、いまではほとんど全面倒伏の状態といっていい。



 二階に住んでいる私は、朝起きて部屋を出た途端、否が応でもこの光景を目にする。そしてうちにいる限り、日に何度となくこれを目にしなければならない。
 それは、幼いころ数年、農家に暮らし米作りに寄り添い、それを目の当たりにしてきた私には、苦痛というとオーバかも知れないが、それに近いものがある。
 だから、前回も早く刈り取ってほしいものだと書いたりした。それがよりにもよってここだけが残されるなんて・・・。


       建物の間に見える田はすべて稲刈りを終えている(左端は問題の田)

 一体どうしたのだろう。倒伏した分だけ時間をおいて横たわったものの実りを待っているのだろうか。それとも倒伏したものを刈り取る手段に窮しているのだろうか。あるいは、もう今年の収穫は諦め、このまま放置するのだろうか。
 不吉な想像はさらに広がり、以前、この田の持ち主は独り身だと聞いたことがあるが、その身に何かが起こったのではあるまいかなどとも考えてしまう。

          
 
 いずれにしても、もしこの田がこのまま放置され、稲たちが枯れ死したり、やがてそれらが腐敗したりする様を見なければならないとしたら、私の絹の靴下のように繊細な神経は、とてもそんな光景に耐えられないのではないかと恐怖している。

          

 昨年は殆ど周辺と変わらない時期に刈り取りが行われた。ひとり黙々と作業を進める彼に、家を出て、写真を撮ってもいいか尋ねた。「正面から顔を撮らないならいいよ」とのことであった。
 その折のものを最後に載せておく。写真データから見ると昨年の10月7日のものである。だから今年は、もう2週間以上遅れていることになる。
 私がやきもきするのもお分かりいただけようというものだ。




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小野小町と柳原白蓮、そして岩井山延算寺永代供養塔

2014-10-18 15:12:49 | 日記
 友人から、岐阜の郊外にある岩井山延算寺に自分の永代供養納骨をしたいので下見に行く、ついては一緒に行ってくれないかという申し出があった。
 永代供養納骨霊廟(納骨堂)とは何かというと、その寺のHPによれば、「自分の死後、供養をしてくれる子孫のない方のため、当山が後継者となって、寺に納骨をして頂き、寺が責任をもって永代に供養してゆく一種の墓地です」ということだ。

 そうした抹香臭い話にはあまり興味はないのだが、先ごろ亡くなった我が同人誌の先達が、予め自分の墓所を定めていたという話を思い出したのと、上記の寺にはもうひとつ、私の興味を引くものがあるということで、同行というかアッシー君を引き受けることとした。

 

 もう一つの興味というのは、その寺には、先頃までやっていた朝ドラ、「花子とアン」で、内容としても役どころとしても、完全に主役を食っていた(と私は思う)柳原白蓮の歌碑があるというのだ。もちろん、彼女がそこを訪れた折のものである。

 その寺は岐阜市の北東部に位置し、したがって、この市の中心部を挟んで私の居住する地とはまったく対称的な方角にあるため、これまで行く機会に恵まれていなかったのだが、知る人ぞ知る名刹で、毎月8日の縁日には、岐阜のバスターミナルから無料バスが運行されるほどなのだ。

 実際に行ってみるまで、これほどの古刹とは知らなかった。山懐に抱かれ、街の喧騒や車の音たちとは無縁の箇所にそれはあった。境内も自然の利を活かしてゆったりと穏やかで、惜しくも、創建時のものが消失し、1600年代に再建された本堂や鐘楼は県や市の指定重要文化財になっている。また、805年、伝教大師作といわれる木造薬師如来立像は国指定の重要文化財になっている。
 寺そのものは815年の建立というから1,200年の歴史を誇る。



 さて、白蓮の歌碑だが、それは境内の静謐な庭園の一角にあった。
 自然石に掘られたそれは、昌泰年間(898年~901年)にこの地を訪れて皮膚病の治療をしたという小野小町を偲んだものだが、その折、小野小町はこの寺に7日間篭もり、その治癒を祈願したところ、夢で「東に霊水がある。その水を体にすり込むと良い。」とのお告げを聞き、その水をすり込むと完治したという。

 古川柳のばれ句では、もっぱら「小町針」関連の下司な題材にされている彼女だが、一般的には往時を代表するどころか歴史に名だたる美女とあって、皮膚の病はさぞかし「ながめせし間に」容色を蝕む大敵であったことであろう。

   

 そうした故事を踏まえて、大正三美人といわれた白蓮の歌は以下である。
 
 「やまかげの清水にとへばいにしえの女のおもひかたりいずらく」

 歌意はこんなことではないだろうか。「いにしえの女」とはもちろん小野小町のことで、末尾の「いずらく」は、「(清水が)語り出ることであろうことよのう」という詠嘆を含むのものだと思われる。ようするに、山陰の清水を眼前にして、かつての小野小町の思い(皮膚病を治したいという望みにとどまらず、小野小町という女性の全実存そのもの)が伝わってくるようだということではなかろうか。
 これはもちろん、私のないに等しい古語の知識から類推したものにしかすぎないから、眉唾で読んでおいてほしい。

     
         上村松園・画          柳原白蓮

 なお、白蓮がこの地を訪れ、この歌を読んだのは1952(昭和27)年であり、またこの歌碑ができた57(昭和32)年にも再訪しているとのことである。白蓮60歳代後半と70歳代前半のことだが、現住職は子供の頃のその訪問を記憶していて、「なんというきれいなお婆さんだろう」と思ったという。

 いずれにしても、ここのところちょっと沈んでいた私にとっては、秋晴れの一日、とてもいい散策になった。



 同行した友人は、住職などの説明を聞き、世の喧騒から離れ、春は桜、秋は紅葉に包まれるこの地が気に入ったようで、ここを終の棲家、ではなく死後の棲家としたいようであった。
 私のほうがもし長生きするようだったら、参詣に訪れてもいい場所だと思うし、その都度、ついでに白蓮や小町を偲ぶこともできるかもしれない。
 しかし、蓮如の御文(おふみ)=白骨の御文章がいうがごとく、「我やさき、人やさき、きょうともしらず、あすともしらず」だからそんな順番なんかあてにはならない。

 無常観というよりも、ここには世の冷酷な事実があるのだが、こうした古刹のアウラはそれらを超越したかのような存在として、私を包み込んでいるのであった。一陣の風が近くの竹林の梢を少しざわつかせて渡っていった。


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どうして「セアカコケグモ」はニュースになるのか?

2014-10-15 14:08:09 | よしなしごと
          

 セアカコケグモに関するニュースは、時折、降って湧いたように出てきてはす~っと消えて行く。
 最初にでたのはもう20年ほど前で、それが絶滅したわけではなく、その間も日本での外来種として北海道を除くほぼ全土で生息し続けてきた。しかもである、騒がれる割に死者はもちろん、とくに重篤な怪我人もでてはいない。ようするにムカデのようなものでしかない。

 それなのに時折、間欠的にニュースになる。私の記憶ではこれまで三度ほどニュースとして登場している。
 これは立証できない仮説ではあるが、どうやらそそれらは外国人や在日排斥の動きと無意識のうちにも通底しているのではないかと思われる。
 20年ほど前、最初にニュースになった折は、外国人労働者がこの国で増え始め、それに対する不安がやや扇動気味に語られた時期であった。
 
 いずれにしても、ムカデが見つかってもニュースにならないのに、すでにある程度定住しているこの虫が現れるとNHKをはじめ各メディアがさも危険そうに報じるのは理解できない。


  http://www.asahi.com/articles/ASGB45K25GB4ULBJ00D.html
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同人を送る ひとまず最終版

2014-10-14 11:00:50 | ひとを弔う
 ここ二、三回、それについて書いてきたが、今回でひとまずピリオドを打ちたいと思う。いつまでもメソメソしていては、亡くなった I さんに叱られそうだし、残されたものとしてすべきこともある。
 とはいえ、 I さんが私に下さったご評価とご厚情を思う時、容易に悲しみは尽きない。


   

    葬儀より持ち帰りたる花束の 白百合二輪翌朝に咲く

 ご覧のように三輪目も開こうとしています。
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同人を送ったあとの無気力感を克服するために

2014-10-13 17:34:47 | ひとを弔う
 昨日、同人のリーダー的存在だった I 氏を葬儀で送って以来、心身ともに落ち着かない。昨夜は溜まっていた疲れのせいである程度眠ることができたにも関わらず、頭痛やら腹痛やらで今日の体調は最悪。溜まっているメールの返事もまだ全部書き終えていない。生き残ったものの罪責感か。でも、これでは I 氏に叱られそうだ。
 とにかく何かに手を付けようとする気力が希薄でフワフワしている。落ち着かないのは台風接近のせいではない。早く来て欲しいほどだ。それが禊になるかもしれない。

 11日、プリンターが壊れたので、相談センターに連絡したら修理に一週間以上かかり、修理代は11,200円だというのでバカバカしく思い、ネットで調べたら新品が7,500円で出ていたので購入。それが午前中に届いたのだが開梱してセットする気力もない。
 
 まずはメールの返事から手がけよう。
 かつて私の店でバイトをしていた中国の女性が日中関係や香港での事態に心を痛めながら、言葉を選んでメールをくれたのに、まだ返事をしていない。
 この情勢下、こちらもきちんと言葉を選んで返事をすべきだと思う。
 山西省にいる別の友人(こちらは日本人)は、ここへきて急にネットの繋がりが悪くなっていると嘆いている。


ここまで書いて投稿しようとしていたら、冒頭の I 氏のお連れ合いから、ご丁重にも昨日の会葬についてのお礼の電話を頂き、またウルウルしてしまった。
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同人を送る

2014-10-11 01:35:33 | ひとを弔う
 私が参加している同人誌の同人の一人が亡くなりました。享年80歳、ちょうど同人の平均年齢の真ん中の方です。
 私とは10年ほどのお付き合いに過ぎないのですが、病床で奥様が口述筆記をされた遺書のような文書の一節には、
 「カンさん(ファーストネームからくる私の愛称です)とはもっと早く知り合いたかったです。それがとても残念です」
 と、ありました。  

 それは今、私の手元にあります。それを見ては、終日、ウルウルしていました。いや当分はウルウルするでしょう。

 この人がその同人誌によせた最新号からの言葉です。

       =====================

 「人間は死ぬからえらい。どの人も死ぬからえらい」とは鶴見俊輔の詩。
 「人間死ぬから面白い」とは渡辺京二の言。
 「人間ちょぼちょぼ」と思って生きよということなのだろう。

       =====================

 おそらくこれは、その死から一ヶ月半か二ヶ月前に書かれたものですが、その一節には、「暇な時間は一杯あるのに、残り時間が足りないのだ」ともあります。
 まるで死を予感していたようですし、 この号発刊後も、いろいろなことをいくぶんせっかちに進めようとされていたのも、そのせいかもしれないといまにして思い当たるのです。
 自分の生の終わりを、できるだけ整序しようとした意志の力にはただただ敬服するばかりです。
 
 人間いくら自我だの何だのを振り回そうとも、死の前には「ちょぼちょぼ」なのでしょう。だからこそ逆説的にいえば、おのれの生を大切に生きるべきなのですが、それを身をもって実践した人だろうと思います。
 いささか衒学的にいうなら、それはハイデガーの哲学にも通じるところもあるように思うのです。

 屁理屈は嫌いな人でしたから、こんな感想はお気に召さないかもしれませんね。
 ただなんとなく、「冥福を祈る」とか「合掌」などの常套句は使いたくないような気もするのです。
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秋日、植物たちと戯れたのだが・・・・

2014-10-10 17:17:52 | ひとを弔う
 8日、県立図書館へ。
 用件が済むと、ここの敷地内や、隣の県立美術館の庭を散歩するのが好きだ。
 いつも挨拶を交わすようなナンキンハゼの樹もある。
 もう十数年来の付き合いだ。

          
          

 今年も時期が来たようで、実がはじけて白い坊やたちが顔を見せているものもある。そうかと思うとまだ青い果皮を付けたままのものもある。
 なんとなく今年は実の付きがあまり良くないようだ。
 この樹が最盛期の頃は、実がはじけると、遠目にも白い点々が樹全体を覆い、まるで真珠がなっているかと思うほどだった。

          

 アメリカハナミズキの実も真紅に燃えている。
 ニホンハナミズキ(山法師)とはまったく実の形状が異る。
 この写真は双方ともアメリカハナミズキのものである。

          

 フト足元に目をやると、樹皮が美しい樹があった。
 ここは何度となく通った箇所だが、これに気づくのは初めてだ。

              

 いずれも小さな自然だが、なんとなくゆとりを持たせてくれる相手ではある。
 しばし、散策を楽しんだ。

 この時点では、親しくさせていただいた方の訃報がやがて入ることなど、まったく思ってもいなかった。
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カント先生と女性を隔てる深い河? その語録から

2014-10-08 15:01:04 | よしなしごと
 写真は近くの鎮守様で。

 カントの『人間学』を読了した。
 途中、さまざまなエピソード的なものをつぶやいたりしてきたが、とりわけカント先生の「男女観」については「草食系」で性愛に関しては慎重であったようだと書いた。事実、先生は生涯独身で周辺に女性の影はなかったようだ。
 にも関わらず、女性については結構饒舌である。まあ、『人間学』と称する以上、その半分を占める女性に背を向けることは不可能であろうから。

 この書の第二部は「人間学的な性格論」となっていて、そこであらためて「男女の性格」について論じられている。
 その箇所から拾いながら、カント先生の女性観、そしてそれが、私の推察とどう絡んでいるのかを見てみよう。

          

 まずそれは次のように始まる。
「男女の親密な関係は人類という種の存続のために自然が与えた配慮」 
「男は身体的能力と勇気によって優位を保ち、女は自分たちに惚れやすいという男の傾向性を手玉に取るという女性特有の天性によって男に対して優位に立つ」
「だから人間学の分野では男性の特質よりも女性特有の本性のほうが哲学者にとっては研究対象として興味深い」そして、女性の本性は文化によって開花するとして「この素質はちやほやされる境遇の下に置かれてだんだんその本性を顕にするものだから」としている。
 
 「『弱き者、汝の名は女なり』はこの弱さこそ男を操る梃子。夫の秘密は簡単にばれるが人妻の秘密はそうではない」
 「夫は家庭内平和を愛し、妻の統治に服するが、妻は家庭内戦争を避けず舌を武器にして夫に戦いを挑む」「自然はこの目的のために女におしゃべり癖と興奮症的能弁とを授けたので夫としては降参する以外はない」

          

 カントは一見このようにして家庭内での女性の優位を認めているようだが、しかし、家庭内でのこうした均衡は男の側の「ただし、自分の側の仕事の領分さえ邪魔されなければ」という条件下において可能になっているのであって、男はこうした家庭内での力関係を超越したより大きい分野で働いているという前提を崩すことはない。

 それらは、18世紀の女性観一般にある桎梏とカント先生による主観まじりの記述なのだが、女性のそのようなありようは女性自らが醸しだしたものではなく、女性を設けたときの自然の目的によるのであり、それをまとめれば「 1)種の保存 2)社会に文化をもたらし社会を洗練する」ということになるからともいう。

          

 それから、自ら「とりとめのない覚書」として以下の様なことを書いている。
 「女は拒み*、男は求める 」 *は、ドイツ語のWeib(女)とweigernd(拒む)をかけたカント先生のダジャレなのだが、本当にそう思っていたようで、「恋愛は女が素っ気なく、対照的に男がぞっこん惚れ込むという風でなければならない」としている。
 覚書は続く。
 「男は結婚するとただ自分の妻の好みに合わせようとするだけだが女は結婚してもすべての男性の好みに合わせようとする」
 「男が嫉妬に狂うのはその相手を愛している間に限られる。女も嫉妬するが別に愛していなくても嫉妬する・・・・自分の崇拝者の数が減るから」

 こんなことも書いている。
 「夫が家のなかで支配権を持っていられるのは妻からの性的要求にいささかもたじろぐところがない間に限られる」
 そしてさらにこんなことも書いている。
 「自由恋愛は女性にとって不利。男性の性欲を満足させる手段に貶められる 可能性があり、そして男の性的満足は移ろいやすい」
 で、その結果として、
 「女は結婚によって自由となり、男は結婚した途端に自由を失うのである」
 ということになる。

          

 以下はまたおもしろい見方である。
 「結婚しても女は男性一般に好かれるよう努力しなければならない。そうしておけば仮に若いうちに亭主に先立たれてもあとの求婚者に困らないだろう 。だから男が妻が別の男に媚態を示しても妬いてはいけない」
 これと似たことでこんなことも。
 「父は娘を、母は息子を甘やかす それは父母共に自分の相方が亡くなった時のことを考えるから」

 そして、この「男女の性格について」は、「自然は男女関係というこれほど多様で面白い宝物をその配慮の中に散りばめた」という言葉で結ばれる。

 以上、主にカントの言葉を私なりに要約して紹介したが、これらは18世紀のドイツにおいての都市インテリの女性観に、カント先生のある種独自な観察を加えたものといえよう。
 そしてその背後にはどこかしらシニカルはものが漂っている。
 そこが、カント先生と女性の濃密な接触を妨げたもののように思えるがどうだろう。

          
 
 カント先生、何も女性について論じたのみならず、その後、国家、人種、人類へと進み、この書は次のような格調高い言葉で結ばれている。

 「人類の目的は個々人が自由勝手に徒党を組むことで達成されると期待することはできないのであり、地球市民が連帯して(道徳的に)進歩を重ね、人類を世界同胞主義に基づいた団結したひとつの体制にまでもたらし、さらに進歩を続けることによってこそ、またこの道を通じてしか、あの理性の勧告による人類の目的の達成は期待することはできないからである」

 カント先生、あくまでも人間は理性的な動物であり、それを現実の世界において示してゆくことこそ道徳にもかなったことだという信念を抱き続けていた。
 この最後のフレーズの中には、カント先生が国連などの国際組織の生みの親であるといわれる所以がしっかりと書き込まれている。

 さて、私の勉強だが、こうしたカントの『人間論』を、ミシェル・フーコーがどう読み取ったかという第二幕に入る。
 さあ、図書館へ行こう。






 
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