六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

「もう飛ぶまいぞこの蝶々」

2016-05-31 17:39:38 | ひとを弔う
          

 見なくともいいものを見てしまった。
 庭の草木に水をやろうとしてフト足元を見ると、何かがうごめいている。片翅のアゲハだ。この断面などから見ると、どうやら鳥にでも襲われたようだ。

 胴体と片翅は大丈夫なので、必死にもがいているのだが、もちろん飛ぶことも逃げることもできない。
 自然の摂理の中ではこのまま生き延びるすべは全くないはずだ。可哀想だが、なんともしてやることはできない。
 
 写真を撮ったあと、隠すように草むらに入れてやった。
 その真上ではちょうどナンテンの花が開こうとしている。
 彼か彼女かは分からないが、その息を引き取る最後に、この花が目に入るとしたら、幾分でも幸せな気分でその生涯を終えることができるかもしれない。

          

 この過程で、私の頭を渦巻いていたのは「もう飛ぶまいぞこの蝶々」というオペラのアリアだ。
 ポーマルシェの戯曲に基づき、ダ・ポンテが書いた台本にモーツァルトが曲をつけた歌劇『フィガロの結婚』の第一幕でフィガロ役(バリトン)が歌うアリアだ。

 恋に恋する美少年、ケルビーノは、誰彼なく女性を口説き歩くため伯爵の怒りに触れて、軍隊行きを命じられてしまう。
 そのケルビーノをからかいつつ、なお激励するフィガロのアリアが「もう飛ぶまいぞこの蝶々」という曲だ。

 このケルビーノは、兵役に就いても無事に帰還するようだが、冒頭にみたアゲハはもはや死を待つのみだと思う。
 にもかかわらず、いくどもいくども、このアリアがリフレインしながら渦巻いている。
 葬送の歌にしてはいささか陽気なこの曲が・・・。

   https://www.youtube.com/watch?v=rTdcfc7ugrg



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ある「ところてん」談義

2016-05-30 00:40:31 | 社会評論
    

 箸二本だって?笑わせんじゃないよ。うどんやそうめんじゃあるまいし、むかしっからところてんは箸一本で食うもんなんだよ。一本で食えるんだから別に二本使う必要なんてないじゃねぇか。それがところてんの文化ってぇもんよ。
 
 一本箸に素朴な酢醤油、それに胡麻なんぞパラパラってのが本道ってぇもんだ。老舗のくせに、箸二本出してるとこがあるって?そんなことするから自分とこの文化を自分で壊してんだよ。
 
 黒蜜をかける? 壇蜜なら許せるが黒蜜はいけないね。黒蜜ってえのはクズキリにかけるもんなんだよ。え?似てるからいいじゃないかって?冗談いっちゃあいけないよ。くずきりは山野で採れる蔦みたいな奴の根っこから作るけど(本物はだぜ)、ところてんは海藻から作るんだ。だから山海の珍味って、それぞれの習慣やマナーの違いってもんがあるんだよ。
 
 ところてんに味噌だって?オイオイ、いい加減にしてくれよ。そんなことしてたら、そのうちにマヨネーズやケチャップなんてぇのも出てくるぜ。え?なに?もうやってますって?
 ったくもう、世も末だね。死んだバァちゃんに聞かせたら、びっくらこいて生きけえってくるかもしれねえぜ。くわばらくわばら。

【おまけ】ガキのころ、ところてんはそこいらの駄菓子屋で10円で食えた。「一月(突き)10円で食える」ってぇ洒落もその頃のもんだ。え?突くってどうしてってか?あんねぇ、ところてんってのはね、寒天を固めたものを箱に入れて突き出して食べるの。
 え?そんなこといわれてもわかんない?どうして?スーパーにゆくと、みんなセットになってパックに入って売ってる?
 なら、それ食えばいいだろ。食わないよりましだから。
 なんだかじれったくなってきたから、これでおしまい。

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田んぼが一挙に10枚ほど消えた。

2016-05-24 16:19:54 | よしなしごと
 私がよく自分の住まいの身辺雑記を書くと、あなたの住まいは街なかなのか田舎なのかわからないといわれる。
 それは致し方ないことで、昔ながらの田園風景を随所に残しながら、反面、都市化が進むというマダラ地帯に属しているからである。
 ちなみに、私がここに住むようになった半世紀前には、私の家の周囲100メートルは田んぼばかりで建造物は全く無かった。
 コンクリートのU字溝ではなかった小川には小魚たちが群れ、時としてキジの親子が道を横切ることもあった。

           
        ドラッグストアの建設現場 これで7~8枚の田んぼが消えた

 どうしてここに住むに至ったかというと、私の父の家業は材木商で、その製材所なども町中にあったため、いずれはここへその所在を移すべく、一反=300坪=約990㎡の田んぼを購入して埋め立て、そこを材木置場にしたことに始まる。
 それは実現したのだが、すでに述べたように周囲100メートルに人家はなく、夜中にトラックで材木類をもちだされてもチェックのしようがない。
 そこで、留守番方々そこに住んでくれと父に頼まれ、その一角に居を構えたのがこの地に住んだ発端。しかし、ときあたかも高度成長期、あれよあれよというまに近辺の田んぼは埋め立てられ、アパートや人家が建て込むようになり、ここでも騒音を出す製材機を使っての材木商は不可能になったしまった。

           
              昨年まで耕作していたが売りに出された

 そこで、またまたさらに郊外に父の材木商は移転した結果、私にとってはここに材木商が来たら出てゆく臨時の住まいだったはずが、そのまま終の棲家になってしまった。しかし、とどまるところを知らぬと思われた開発も、経済の減速などで一旦はその勢いがとどまり、いまのマダラ模様が残った次第。
 当初ほどの自然はなくなったものの、そうした環境にそれなりに満足していたのだが、今年になって急激な変化を迎えている。

 それは、私のうちからバス通りを挟んだ向かい側に、大手のドラッグストアが建つことになり、その店舗と周辺の駐車場を含め、一挙に私の家から見える田んぼが7~8枚減少してしまうことになったのだ。
 それと連動してか、その近辺の田んぼも売地になったり、実際に売れたりで、冒頭に書いたように都合10枚ほどの田んぼが一挙になくなることになった。

 ドラッグストアによる周辺の状況や交通事情の変化も気になるが、それと関係があるかどうか、私の家に隣接する休耕田が売られたことのほうが気になる。そちらの側にはキッチンの窓や風呂場、トイレなどがある。何ができるかはいまのところ不明だが、建つものによってはそれらの窓はやばいことになる。
 これまでのように臭気抜きのためにトイレの窓を開けておくことはできないし、湯船に浸かりながら月を眺めたりもできなくなる。裸同然で台所に立つこともできなくなる。

              
    手前が売れた土地 その向こうは耕作する 道を挟んで向こうは売りに出された
              

 ただひとつの慰めは、その向う側にある私が長年ウオッチングを重ねてきた田んぼが残ることだ。昨日、田起こしが行われ、今年も耕作をすることが明らかになった。
 ただし、売れてしまったその手前の土地に、何かが建ってしまえば、その田んぼも見えなくなる。

 土地の売買やその活用は市場原理にそって行われるものだから、その是非をとやかくいおうとは思わない。ただし、それによってこちらの生活が何がしか影響を受けるのは必至だから、今後はそのウオッチングということになろうか。

 とはいえ、周辺の緑の空間が減り、野鳥や蝶や蜻蛉を見る機会が減るのは淋しい。
 そういえば、この前郊外に出て、久々にヒバリの鳴き声を聞いた。この辺りでは麦の栽培もしないから、もうこの先もヒバリの鳴き声を耳にすることもないかもしれない。
 あの小ぜわしいけどどこかのどかなヒバリの声を。



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沖縄の友人からのコメント

2016-05-23 03:04:49 | ひとを弔う
          

【沖縄の友人から】
 いつも踏みにじられている側にたって考えてくださるお気持ちありがたいです。
 沖縄はいつも継子扱いでした。
 そしていつも痛みをわけあって切り抜けてきました。
 でもその思いが次の世代へきちんと受け継がれてないような気がしてとても不安です。
 私が生きているうちに戦争は起こらないと思いたいのですが…
 右に傾いでいくばかりのこの国が信用できず…テレビも新聞もみることができない意気地無しです。
 でも…県民大会には行くんですよ。
 白旗はあげないって決めてますから…
 勇気をいただける文を緑深い窓辺から綴ってくださって感謝です。


<注>踏みにじる立場とは、政府高官によるとされる次のような言葉。
 ■「それはそれ、これはこれ」・・・辺野古の基地は粛々として建設。
 ■「時期が悪いよなあ」・・・沖縄の人が殺されるのにいい時期と悪い時期があり、いい時期になら殺されてもかまわないということ。
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【これはこれ・それはそれ】で本当にいいのか!

2016-05-19 23:26:14 | ひとを弔う
             

 またもや沖縄で悲惨な事件が…。
 その一報を受けて、政府筋や与党関係者から「これはこれ・それはそれで」という見解がもたらされているという。
 「これ」とはなんで「それ」とはなんだろう。女性の一人や二人殺されても、沖縄の基地、とりわけ辺野古基地の建設は「粛々として」行うということなのか。
 この国は、戦中の沖縄地上戦以来、何人の沖縄の人々を犠牲にしてきたというのか。そしてこれからも・・・。

 殺された島袋里奈さんのご冥福を祈りたいのだが、私たち本土の人間にその資格はあるのだろうか。
 私たちもまた共犯者ではないのだろうか。
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倒壊の懸念と眼前の緑

2016-05-19 15:14:11 | よしなしごと
 50年ほど前、田んぼを埋め立てた上に建てた二階家に住んでいる。
 当時は耐震基準などというものはほとんどなく、その後も何らの対策も施していないから、その面では無防備といえる。

 私は二階に住んでいることもあって、表通りをバスが通っただけでけっこう揺れる。多少の地震があっても、バスか大型トラックが通ったのかと紛らわしく、よくはわからない。
 このぶんでは、今回の熊本クラスの地震があったとしたらまっさきに倒壊するだろうと思う。

           

 しかし、一方では、このよく揺れるのは振動に対する耐性をも示しているのではないかとも思う。そう思う根拠は、木造ではあるがわりとしっかりした材木を使って、当時の一流の棟梁が手がけているからである。
 おかげで、築五〇年にもかかわらず、引き戸やドア、窓など立て付けが悪かったり、ひずみが出ている箇所は全くない。

 
                

 とはいえ、その耐性を上回る揺れがなかったのみで、例えば、いわれている東南海地震や、明治にこの地方を襲った濃尾大震災クラスのものが来たらやはり耐えられないだろう。
 しかし、いまさらジタバタしてもという居直りのようなものもあって、ここが終の棲家なら、その下敷きになって最期を迎えるのも致し方なかろうと思っている。

 この間の地震報道をバックにか、リフォームや耐震補強の勧誘電話が増えているが、みんな断っている。

 
                

 そんな具合だが、この家なりのかけがえのない財産のようなものがある。それが二階の私の部屋の眼前にある緑の木立である。
 この時期、緑が一番美しい。市街地化に合わせて数はうんと減ったが、時折、野鳥も遊びにやってくる。

 市街地化といえば、今年は一挙に周辺の環境が変わって、わが家から見渡せる田んぼが埋め立てなどで一〇枚ほど減ってしまった。
 これは淋しい限りだが、持ち主や買い主のそれぞれの思惑があるから致し方ないのだろう。これについてはまた詳報を述べたい。

 こうして周りから自然の気配が消える中、眼前の緑は私の宝ともいえる。

 
 写真 いちばん上のものはほとんど私が窓越しに見ている風景
    左手にはマサキとその下方にツツジ
     マサキはやがて白い可憐な花を付けるだろう
    中央付近はムクゲ 季語では秋だそうだが6月末には花を付ける
    右手のものはクワ 実が色づき始めた 実が黒くなったら収穫


 








 
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舛添氏と清原氏と、そして「お・も・て・な・し」

2016-05-18 02:02:33 | よしなしごと
 ネットの普及によって私たちのニュースに接する機会は多様化し、そのニュースバリューの判断の基準も拡大されてきたといってよい。
 しかしながら、まだまだニュースの取り扱いに関しての主導権はマスメディアが握っている。彼らがどれだけのボリュームをそのニュースに与えるか、あるいは、どんな優先順位を与えるかは、暗黙のうちにそのニュースの価値や重要性を規定しているといってよい。

           

 舛添バッシングが過熱している。例によって「週刊文春」のスクープに始まったそれは、各紙誌など紙媒体や、電波を動員してとどまるところを知らない。このぶんでいったら、詰め腹を切らされる事態に至るかもしれない。
 この件に関しては、政権や選挙時の母体であった自公の与党側からの扱いも極めて冷淡で、擁護どころかどこか突き放した感もある。どうやら、私どもには分かりかねる裏での権力闘争も絡んでいるようだ。

           

 もうひとつは、清原の麻薬使用に関する裁判の扱いである。逮捕時には一定の衝撃があったかもしれない。しかしこれとても、「やっぱり」という感があったのだ。ましてや今回はその後始末的な問題にすぎない。有罪・無罪が争われる問題でもなく、何年かの有罪判決が出され、それを少し上回る執行猶予がつくことははじめったらわかりきったことなのである。
 にもかかわらず、NHKは昼も夜も、これをトップニュースとして取り扱っている。内容も「子どもたちの夢を壊した」という通り一遍の薄っぺらな倫理観を付与しての報道に終わるという始末で、こんなものは芸能ニュースの部類で十分なのだ。

 とはいえ、舛添氏や清原氏を擁護しようと思ってこれを書いているわけではない。
 これらの過程のなかで、少なくとも17日のニュース関連のなかで、まったくか、あるいはほとんど報じられないニュースの存在が気になるからである。
 それは五輪誘致にかかわる贈賄問題についてである。
 シンガポールのアパートの一室に、その時期だけ開設され、いまやその所在も明らかではないコンサルタント会社への2億3,000万円の送金は、健全な常識から見れば、賄賂配布のためのペーパーカンパニーへの送金であることは明らかなのだ。

           

 しかし、事態がおぼろげになるところまでは報じられたものの、その後の続報や突っ込んだ報道は一切ない。
 このメディアの態度が何なのかは明らかだ。
 政財界はもちろん、スポーツとは無縁なその経済効果や利権の配分など、この五輪を食い物にせんと虎視眈々と狙っているのだが、マスメディアもまた同様なのだ。その放映権をめぐり、また周辺の報道をめぐり、いまやその体制を確立し、スポンサーも取り付け、その成果を摘み取るべく万全を期しているのだ。

 だから彼らは、外信が伝える範囲は片隅のニュース扱いで報じるが、自らそれを掘り下げようとは決してしない。そんなことをして、もし五輪が召し上げられることにでもなったら元も子もないからだ。

 この種のビッグイベントが、サッカーのワールドカップを始め、カネまみれの土壌の上にしか不可能であることは常識であったといってよい。
 しかし、この国で行われるそれが、これほどまでに赤裸々に暴かれようとしていることは今回が初めてである。
 だからそのおこぼれに預かるマスメデイアも沈黙か腰が引けた報道しか行わない。

 そこでこんな設問をしてみるのはたぶん野暮の骨頂なのだろう。
 カネまみれの「アンフェアー」な手段でかちとった五輪と、清原氏の麻薬使用(容疑)とは、どちらが青少年の夢を壊すのであろうか。

 五輪のそれを「異常な事態」とはけっして捉えないメディアは、青少年に対し、「金こそがすべて」というこの世のきわめてリアルな実情を教えてくれているのだろう。

               
 
 私にとって、真のオリンピックの栄光は、メキシコ五輪の陸上男子200メートル競技で、1位と3位に入ったアメリカの黒人選手たちが、人種差別に抗議して表彰台で演じたパフォーマンスである。IOCはそれを「国内問題を五輪に持ち込んだ」と退けたが、ここに人種問題に対するIOCの鈍感さがあった。
 なお、その折、2位に入ったオーストラリア選手(白人)も彼らのパフォーマンスに同調したのはとても清々しかった。

 彼らはそれぞれ、その後の人生でそれらの行為を負荷として強いられたが、それに怯んではいなかった。
 彼らこそ、真のメダリストといっていいだろう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%91%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%88
 










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42,900円が戻ってくるってルンルンじゃない?

2016-05-13 02:33:49 | よしなしごと
 家の固定電話が鳴る。
 取り上げる。
 「〇〇○さんのお宅ですか?」
 フルネームで呼ばれる。
 「そうですが・・・」
 「ご本人ですか?」
 「そうです」
 「こちら岐阜市役所の社会福祉課の者ですが」
 「はい」
 「昨年末に医療費還付金の案内をさし上げたのですがご覧になりました?」
 「いや、見ていません。見落としたのかも・・・」
 「やはりそうでしたか。それでお電話したのですが」
 「はい」
 「実はお宅の還付金は42,900円なんですが」
 ここんところ医療費使ってるもんなぁと改めて思う。
 「ところがですね、昨年末の申請に応じていただけないものですから、三月末で期限切れになっています」

            

 え、え、え、42,900円がパーなの。いくぶん焦る。
 「そこでですね、期限切れ以降はお取引の金融機関との業務委託という制度があってそれを通じてお支払いができるのですが」
 「業務委託ねぇ。それってどんな制度ですか」
 「それをご説明するためにはお宅の取引銀行をお知らせいただく必要がありますが」
 「岐阜市内の殆どの銀行と取引がありますが」
 「そのうちの一つを教えて下さい。主にお使いになるところ」
 まあ、銀行名ぐらいまでならと
 「@@銀行ですが」
 「それでは、そこを通じてお支払いするために、あなたの勤務先かご親族の方の名前、それにあなたの携帯電話の番号をお知らせください」
 「無職ですから勤務先はありません。とくに名前をお知らせする親族はいません。それに携帯は持っていません」

            

 「え?携帯はないのですか」
 「はい」
 「困りましたねぇ。それでは42,900円が宙に浮いてしまいます。なんとか受け取っていただけませんか」
 「もちろんいただきますよ。ただそれにはいろいろ手続きなどが必要なんでしょう」
 「ですから、こうやってご案内を」
 「しかし、もう歳ですから電話では覚えられませんし、文書でご連絡いただけませんでしょうか」
 「文書でですか?」
 「ハイそうです。お願い致します」
 「………」
 「それではよろしくお願い致します」
 ガチャン。

 もうお気づきだろうが、いわゆる還付金詐欺の序の口でである。
 それにしても、42,900円とは釣りの金額としては妥当ではある。
 諦めるには大きいから、それが貰えるならとつい付き合ってしまいそうだ。

            

 どこで気づいたかというと、実ははじめからである。
 電話の相手の口調が市役所などのものとは違う。むしろ、PCやプリンターのサポートセンターへ電話したときの感じなのだ。人の感情を損ねないようにと、バカ丁寧なのだ。それでもひょっとしてと思って聞いていたら、どんどん不自然な点が出てくる。
 金融機関へ「業務委託」というのも変だ。4文字熟語を使えば恐れ入ると思っているのだろう。
 それに市が、取引銀行や携帯の番号を電話で聞いてくるのも不自然だ。
 もちろん、携帯はもっているが、こんな連中に教えることはない。
 親族の名前など教えたら(市なら把握しているはず)、被害が拡大する可能性が大である。

 よほど最後まで話を聞いて、事前に警察に連絡し、現場逮捕まで付き合ってやろうかとも思ったが、いまは、三つほどの用件を同時に抱え込んで超忙しい時期で、電話でダラダラ話している時間ももったいない。

 それでも、どうも岐阜市の老人を狙っていそうなので、一応、警察に通報だけしておいた。
 そしたら、是非お話を伺いたいから、これからおじゃまするという。
 う~ん、そんなに大げさにするつもりはなかったのにと悔やんだがしかたがない。
 結局受け入れたら、15分ぐらいして、女性2人、男性1人の3人も現れたので驚いた。
 警察のなかでも生活安全課というところだからこんな構成になるのだろうか。
 長引くと嫌だなぁと思っていたが、けっこうあるケースらしく、10分か15分で済んだのでホッとした。

 しかし、いつまでこうやって対応しうるだろうか。そのうちに警戒心や注意力も緩んで、42,900円という手頃な金額に引っかかって手痛い目にあうのではないだろうか。
 こういう生き馬の目を抜くような連中がうようよいるなかで、老いてゆくリスクは並大抵ではない。
 こういう「世間」の餌食になるか、こちらの命が終焉を迎えるかの競争のようなものだ。

 




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アシュケナージとタブレット、そしてアリとキリギリス

2016-05-10 02:20:36 | 音楽を聴く
 アシュケナージュ親子による「ピアノ・デュオ・コンサートを聴いた(@岐阜サラマンカホール)。父のウラディミールは映像では何度か観ているし、媒体を通じてその演奏は聴いているが、ライブははじめてである。息子のヴォフカもピアニストであることは知っていたが、たぶん聴くのははじめてである。

 父・ウラディミールとの最初の出会いは映像ではあったがとてもよく覚えている。
 1991年、モーツアルト没後200年の折、私はそれまで30年間働いてきた自分にボーナスを出すつもりで、インスブルッグ・ウィーン・ザルツブルグヘ10日間の旅にでかけた。それは私にとって50歳代にしてはじめての海外旅行だった。
 旅の主体はザルツブルグで、ここに約一週間滞在し、三つのコンサートと二つのオペラに接することができた。

           

 その旅の2日目、ウィーン・マリオットホテルに宿泊した。コンサートのチケット込みのパックツアーは、ほとんどが夫妻や親子などの二人連れで、一人旅の私は心細いことこの上なかったが、それでも、初日、インスブルッグのケラー(居酒屋)へ単身で乗り込んだくそ度胸を奮って、今度はトラムの走る環状線を挟んで向かい側にある市立公園でのウィンナー・ワルツの野外公演に乗り込んだ。
 どうやら、ワンコイン程度のドリンクの注文で入場できるようで、唄ありバレエありの楽しい演奏を堪能してホテルに戻った。

 しかし、深夜まで営業していた居酒屋稼業が身についているせいで、そんなに簡単に眠れるものではない。そこで恐る恐る(なんで恐れるのだ?)TVをつけてみた。そのとき、目に飛び込んだのが、ピアノを弾きながら指揮をする、いわゆる弾き振りをしている、西洋人にしてはやや小柄なピアニストの映像だった。彼は、ピアノから身を乗り出すようにしてオケを指揮していた。
 曲はモーツァルトのピアノ協奏曲第24番(K491)であった。で、この人は?と見つめていると、しばらくしてテロップが出て、かろうじて読めた横文字がアシュケナージュだった。

 ほう、これがかのアシュケナージュかと観つづけて、演奏が終わるころ、やっと睡魔の訪問を迎えることができた。

           

 その実物に逢えた。ウィーンのホテルのTVで出会ってからちょうど四分の一世紀を経ての出会いであった。やはり小柄だった。息子のヴォフカの肩までぐらいしかない。1937年生れだから、私より一歳年長だ。25年前と比べると、頭は真っ白になってしまっているが、足取りなどは矍鑠としている。
 演奏もしっかりしている。ラフマニノフの交響的舞曲 作品45a は長年入れ込んできた作曲家の作品だけに圧巻だった。この曲は一般的にはオーケストラ版の方が演奏機会が多いのではないだろうか。ただし、ラフマニノフ自身は、まずピアノ・デュオ版を書き、後にオーケストラ版を書いたといわれている。
 その意味ではこれが原曲なのかもしれない。

 親子のデュオならではの微笑ましい場面もあった。アンコールの演奏で、親父・ウラディミールは息子・ヴォフカとの呼吸をじゅうぶん合わせることなく、勝手に弾きだしてしまった。ヴォフカが待ったをかけ演奏はやり直されたのだが、その間の親子のジェスチャーのやりとりなどは会場の笑いを誘うものであった。

 このコンサートで驚いたことがある。それは楽譜の問題であるが、親父・ウラディミールは従来の紙に印字した楽譜を用い、それをそばに控えた譜めくりがめくってゆくのだが、息子・ヴォフカの方の楽譜は紙に印字されたものではなく、タブレットによっていたことだ。
 コンサート経験はさほど多くはないが、タブレット端末を使った楽譜は初めての経験だった。

 ただし、あのサイズのタブレットでは問題があると思う。ようするに表示面積の関係で、譜めくりが頻繁になるのだ。息子・ヴォフカについた譜めくりは、親父・ウラディミールの譜めくりに対し、約三倍の頻度でそれを行っていた。ただし、冊子をめくるのでななく、画面の「次へ」にタッチするだけだから簡単ではある。とはいえ、あまり頻繁なのはやはり視覚的に邪魔になり、音楽に没頭できない。

 こうした IT 化は今後増えるだろうし、避けられないかもしれない。しかし、どうせ IT 化するなら、譜めくりが要らず、その箇所へ来たら自動的に画面が変わるぐらいのことはできそうに思う。
 誰か、このアイディアを買ってはくれないだろうか。

           

 今月はあと、樫本大進のトリオ、そして来月は五嶋みどりのチケットを確保している。
 残された余生を、キリギリスのように私にとっての快楽のために使いたい。
 その結果が、アリの餌食になっても一向にかまわない。
 モーツァルトのように、ロココ的享楽を生きたいと思っている。





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「お門跡様」から「ヒトラーの息子」まで

2016-05-07 14:06:09 | よしなしごと
 歳を重ねると、なんかのきっかけでフトあるフレーズが頭に浮かび、それがフラッシュバックのように過去のあるときを照射し、さらにその延長上にとっくに忘れていたはずの情景が連続して思い起こされることがある。
 などと一般化してはいけないのかもしれない。私だけの出来事かもしれないからだ。

 この間も、体が不調でベッドに倒れ込むように寝た時、「倒れちゃならない」という言葉がリフレインして響き、目醒めたときに、それが戦後流行った「異国の丘」という歌の一節であることを思い出したことを書いた。
 さらにその想起は、シベリアへとられたとおぼしき亡父の帰還を待ちわびる亡母と私の光景、内職に疲れた母の肩を叩きながら、その歌をともに歌った小学生時代の思い出に及んだのだった。

           

 昨夜、風呂に浸かりながら、いきなりこんな言葉を思い出した。
 「お門跡様のお庭のお池のお蓮のお葉のお上に、お蛙のお子がお三匹おとまりあそばして、おゲロ、おゲロ、おゲロ」
 これはたぶん、高校の演劇部時代に、敬語と早口言葉の双方を練習するために使った文句だったと思う。

 その関連でこんな言葉も思い出した。これは台詞を高唱するときの練習の文句だった。

 「嵐よ吹け、嵐よ吹け、わが面を洗え、わが悲しみは嵐の中に
  嵐よ吹け、嵐よ吹け、わが面を洗え、わが苦しみは嵐の中に
  嵐よ吹け、嵐よ吹け、わが面を洗え、わが喜びは嵐の中に」

 これを、台風が来るという強風のなか、校庭で目一杯叫んだりした思い出がある。私も人並に青春していたのであった。

           

 さらに連想は続く。
 60年代はじめ学生運動の盛んなころ、私たちは、「民族」や「祖国」を歌った歌詞を避け、デモの際など歌った歌に「たたかいの中に」がある。
 それはこんな歌詞だった。
 
「たたかいの中に 嵐の中に
 若者のたましいは 鍛えられる
 たたかいの中に 嵐の中に
 若者の心は 美しくなって行く
  吹けよ北風吹雪
  その中を僕らはかけて行こう
  くちびるに微笑みをもって
  僕らはかけて行こう
 明日は必ず 僕ら若者に
 勝利の歌が歌えるように
 行こうみんな 行こう 

 明日は必ず 僕ら若者に
 勝利の歌が歌えるように
 行こうみんな 行こう」

 この作詞者、高橋正夫は1952年のメーデー事件で、警察官に拳銃で撃たれて死亡した人で、そのメモをもとに作られた歌だとのこと。作曲者はクラシックから合唱曲、映画音楽などその作品を数えきれないほど残した林光。

    https://www.youtube.com/watch?v=CQXZ5N7L8DA

 しかしやがて、党派間で殺伐とした殺し合いが起こるなか、歌いながらデモをするという習慣は廃れた。

 最近のSEALDsなどのデモでは、ラップ調のものが主体だが、唱和できないものもある。
 例えば、「民主主義って何だ?」というフレーズ。
 これには、「われわれは民主主義を望み、そのルールに従っているのに、あなたたち(=自公政権)はどうなんですか」という非難の響きがある。
 これは必ずしも間違いではないだろう。しかし、いわゆる戦後民主主義いわれてきたものの延長上に今日があるとしたら、民主主義をそのようにお題目にしてしまっていいのだろうかとツイ考えてしまう。

           

 だからといって私は、民主主義を衆愚政治だとして排斥しようとは思わない。ただし、その民主主義が、今日みられるように、一握りの人たちの寡頭制ともいえる状況を生み出してきたことも冷徹な事実として受けとめなければならないと思う。
 だとしたら、「民主主義って何だ?」という問いは、相手に対してではなく、まさに私自身に突きつけられた問いとして受け止めるべきだろう。

 脱線に継ぐ脱線で、なんかとんでもないところへ来てしまった。
 ついでにおまけの大脱線をしよう。
 「民主主義の超克」を正面に掲げ、それをワイマール体制という「民主主義的」状況下で成し遂げてしまったのがヒトラーであった。
 反面教師としてであれなんであれ、それを学び直す必要があると考えている。自分ではほとんどそれと気づいていないが、ヒトラー的な思考にとらわれてゆく土壌は充分にあるのだ。あえていうならばその可能性は、安倍首相の鼻の下にヒトラーなみの髭を書き加えて嘲笑している人たちの中にすらある。
 彼らは、その政権に選挙などで負けると、「衆愚」を呪う言葉を吐き散らしたりする。

           

 ハンナ・アーレントの最初の夫だったギュンター・アンダースの著書「われらはみな、アイヒマンの息子」に習っていうならば、「われらみな、ヒトラーの息子」でもあるのだ。
 昨秋から、ヒトラーの『わが闘争』を読んでいる。

 
 





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