六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

春の異変に注目

2008-03-31 11:55:09 | インポート
 今年の春はいろいろ異変があるようです。
 捻れ国会の中で、暫定税率が廃止され、土建屋の懐を潤し、ついでに口利きの道路族議員へおこぼれが環流されていた59兆円が召し上げられることとなりそうです。
 おかげでガソリンが25円安くなるというありがたい話です。

 しかし、道路族議員はこのまま手をこまねいてみているでしょうか。
 自民党や公明党を操縦し、捲土重来、衆院での再可決という手段に打って出るつもりのようです。
 その場合、政府与党は決定的に悪役に回ることを覚悟しなければならないでしょう。
 そうすれば、解散という伝家の宝刀は当分抜けなくなり、進退が窮まることにもなりかねません。
 福田丸は内外からの抵抗の中、難破寸前ともいえます。

 

 もうひとつ面白いのは、あれほど補強を重ね、投打の層の厚さを誇る巨人が開幕三連戦をすべて落としていることです。
 しかも相手は、今期からそのエース(グライシンガー)と四番バッター(ラミレス)を引っこ抜いてきたヤクルトだというから面白いですね。
 私の知り合いにも巨人ファンの方がいて、ヤキモキされているようですが、この三連戦の結果は面白いですね。
 どこかで持ち直さないと、また前のように原監督の首がとびそうですね。

 

 異変というのは自分に被害が及ばない限り、面白いし注目すべきものです。
 異変の中から物事が変わったり、あたらしいものが生まれたりするからです。
 
 まあ、野球の方はどうでもいいのですが、政治の方は二つの方向でこの異変に注目したいと思います。
 まず直接には、なんでも値上がりで国民所得が実質的に目減りしてゆく中で、ガソリンの値下げが定着し、物価上昇抑制のガードとして働いてくれないかということです。
 そしてもうひとつは、59兆円というお金を道路族や土建屋の支配から取り上げて、その用途を民意に添ったものにしてゆくきっかけにすることです。

 そのためには、再可決をして再値上げという目論見を打ち砕かなければなりません。
 自民党さん、公明党さん、そんな無茶をしたら、民意は決定的にあなたたちから離れますよ。

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風邪の現象学とその治療法

2008-03-29 03:44:31 | よしなしごと
 風邪をひいております。
 自覚症状のあったのはもう一週間前ぐらいでしょうか。
 私の風邪はいつも喉から始まるのです。
 喉にかすかな違和感がありました。
 痛くも痒くもありません。ほんとうに違和感としか言いようのない程度です。
 でも私には分かるのです。これが風邪への入り口であると。
 果たせるかなその翌日、喉の違和感は確実に痛みへと変わりました。

 

 そしてそれは、喉から鼻、鼻から頭痛へと上昇してくるのです。
 それも予定通りでしたが、私は少し慌てました。
 どうもこのままゆくと、私の風邪のピークは、私がちょっとした発表を行う予定のある勉強会とバッティングしそうなのです。
 前日、どうやらそこへピークをもってくることに成功したようです。
 喉はガラガラ、ろくに話は出来ないし、頭はガンガン、思考能力はゼロ、食欲はないし、性欲もない(←バカ!)、ゾクゾク寒気はするし、出来ることといったら静かな室内楽など聴きながら、発表のために作ったパンフのおさらいをするのが精一杯。

 

 夜、早めに(と言っても世間様の堅気よりはやや遅い)寝ることにして、まず熱~いお湯で割った焼酎をフウフウいいながら飲み(こんなことをしてはいけませんがそれと一緒に眠剤を飲み)、余勢を駆って江戸っ子も飛び出るような熱~いお風呂で体の芯まで熱して、汗もさめやらぬ間に布団に入り、寝汗をかこうがムンムン暑かろうがひたすら寝てしまうという豪快な(?)治療法を試みました。
 比較的ぐっすり眠ることが出来、起きた時にはなんとか声が出て話が出来るようになっていました。
 むろん絶好調とはほど遠く、体も重いのですが、人様に話をすることは出来そうです。
 昨夜のいささか乱暴な療法が効を奏したようです。

 

 ヨシッ、と気合いを入れて名古屋へ出かけました。
 事故でJRが不通になっていたため、名鉄の駅まで走るというアクシデントにも見舞われましたが、なんとか定時に会場に到着しました。
 そしてその頃には、なんとなくコンディションもよくなり、内容はともかく、なんとか発表を終えることが出来ました。
 それのみか、その後の懇親会にも出て、有志の皆さんと話し合うことが出来ました。



 それで、風邪が治ったというのならめでたしめでたしなのですが、そうでもないのです。
 緊張がとれたのか、翌日(28日)はまた不調です。
 しかし、29日には、私の40年来の友が大学を退官するとあって、その私的なパーティへ出なければなりません。私はそこで、彼に卒業証書を渡す役割なのです。
 その証書はむろん、私がパソコンで作ったパロディに過ぎません。
 しかし、その証書には、私の友情がこもっています。なんとか渡さねばなりません。
 これを書き上げたら、また荒療治を実践します。
 そして、明日は元気で、かつて学部長を務めたという大学教授に「卒業証書」を渡してやりたいと思うのです。

 



上に述べたいささか乱暴な風邪の治療法は、私の独創ではありません。
 生きていれば今は130歳ぐらいのわたしの母方の祖母から伝授されたものです。
 その祖母は、私が風邪をひくと、ゲンショウコかセンブリか、今となってはよく覚えていないのですが、それらを煎じた熱いものをドンブリ一杯呑ませて、風呂に入れ、汗もひかぬうちに毛布に包んで寝かせました。
 寝汗をかいて寝苦しかったのですが、翌朝には必ず元気になっていました。
 もったいなくも、あんなに私を可愛がってくれた婆さんを思い出す機会は少ないのですが、風邪をひくたびに確実に思い出すのです。

 
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鳥を招く 鳥を殺す

2008-03-27 01:46:04 | よしなしごと
 少し前の日記に、キジバトの営巣を誘うためにベランダにクラッカー(賞味期限切れの!)を撒く工作をしたと書きました。
 そして、それがなくなってはいたものの、果たしてどなたが召し上がったのかは分からないと書きました。
 しかし、気長に続けた三日目、その正体が判明致しました。
 それが以下に掲げる写真です。

 
         こんにちは 誰もいませんか


 すぐ分かりますよね。そうです、ヒヨドリだったのです。
 このヒヨドリ、もともとは山野に住み、渡りをする鳥だったのですが、今では都市郊外から都心地まで、どこででも見られるようになりました。
 ただし、一部のものたちは渡りをしているようで、伊良湖岬で渡りに備えているヒヨドリの群に、鷹の仲間が突っ込んで狩りをする映像をTVで見たことがあります。
 このヒヨドリ、私の家の近くの鎮守の森に集団で営巣しているようで、その近くへゆくと姦しく叫びたてます。
 朝夕は近くのTVアンテナなどに陣取り、縄張りを謳歌する美しいさえずりを聞かせてくれます。その他、結構多様な鳴き声の持ち主です。

 
       しめしめ、どうやら誰もいないみたいだな

 しかし、このヒヨドリ、その評判はあまり芳しくはありません。容姿がいまいちなのと、強い自己主張で他の鳥を追っ払ったり、集団で果樹や農作物に被害を与えたりするからです。ところによっては害鳥駆除の対象にもなっているようです。
 私の家でも、桜ん坊や枇杷の実などがやられます。
 それにもかかわらず、私はこの鳥を憎めないのです。
 私の中にはこの鳥をよく知らない頃に刷り込まれた二つのイメージがあります。それらはいずれも半世紀以上前の少年の日に発するものなのですが・・。

 
          では、いただくとするか

 そのひとつは、小学校の高学年から中学時代にかけて少年雑誌への投稿魔であった私が、ある文章で全国での準優秀賞に選ばれ、その時の景品として貰った少年少女小説の六点セットに起因します。そのセットの中にあった、吉川英治の『ひよどり草紙』という物語に痛く感動したのです。
 余談ですがこの小説、後に(1954年)美空ひばりと中村錦之助(後の萬屋錦之介 これが映画初登場)の出演によって映画化されました。。

 もうひとつは、やはり、当時の講談本で読んだ源義経の物語の中で、一ノ谷の合戦における「ひよどり越え」の決断に対し、判官贔屓のわたしはとても共感を覚えたからです。そうです、あの「鹿も四つ足、馬も四つ足」の奇襲攻撃の話です。
 この二つのイメージが、私のヒヨドリに対する原風景・原印象を構成しているのです。

 
     んめぇ!え?賞味期限?そんなこたぁ知らんもんね
 
 長じて、実際のヒヨドリを知るにつけ、しかもそれが、どこにでもいる比較的凡庸な鳥であることを知るにつけ、幾分その好感度は後退したものの、少年期の刷り込みは大きく、今なお判官贔屓ならぬヒヨドリ贔屓なのです。

 写真のヒヨドリ君、味を占めたのか翌日にも現れました。
 ガラス越しですが、わずか2メートル前後のところでそれを観察できるのは楽しいことです。
 そしてその悪評にもかかわらず、そのしぐさは結構可愛いのです。
 
 でも少し心配です。
 このヒヨドリ君が懐いてしまって頻繁に現れるようになったら、やはり桜ん坊や枇杷は相当の被害を覚悟しなければならないでしょう。
 さあ、今から不要なCDなど掻き集めて、それらの樹の回りにぶら下げる準備でもしなければ・・。

 
     アレッ、何だか怪しげな。誰かが見ているような


などということを書いていた折、少し衝撃的なニュースに接した。
 
 「朝日新聞」の26日付夕刊に依れば、東京都内だけで、年間1万2千羽から1万8千羽のカラスが捕獲され処分されているとのことなのだ。
 確かにカラスのゴミ集積場などでのいたずらは目に余るものがある。
 夜の間に出されたゴミは、彼らの格好の朝ご飯になるのだ。しかも彼らのテーブルマナーはあまりよくない。結果として、狭い路地など通行が困難になるほどのゴミが散乱することとなる。

 しかしである、それは彼らだけのせいであろうか。本来、山野にこそふさわしかったカラスを、都市に呼び寄せたのは人間ではないだろうか。呼び寄せておいて殺戮するというこのいたちごっここそが問題なのではなかろうか。

 ゴミの出し方への工夫などによってそれらの被害は防げるであろうし、またそうすれば彼らの異常な繁殖を防ぐことも出来るのではないか。
 なんとかカラスと共存して行ける方法はないのだろうか。

 単純計算として、全国で東京都の10倍のカラスが処分されているとしたら、10万を越えるカラスが処刑されていることになる。
 私がカラスであったら、かのアウシュビッツを想起するだろう。







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モクレン幻想曲@高岳

2008-03-25 01:51:13 | 花便り&花をめぐって
 奇妙なことが起こりつつある。
 かつて、郊外や山野などで見られた樹木に咲く花々が、開発や整地などで減少しているのだが、それらが都心地の街路樹などとしてよみがえり、かえって、そちらの方で多く見受けられるのだ。

     
 
 例えば、桜に先んじて咲くモクレンやコブシは、都会の街並みに列をなして彩りをもたらす。
 確かにそれらは、人工の飼い慣らされた自然に過ぎないかもしれないが、もはや木造建築すら少なくなったコンクリートジャングルの地に、季節の風情をもたらしているのは事実だ。

 

 しかし、山野や田園を背景としないそれらは、いささか唐突ではある。とりわけモクレンは、いきなり花開くようなところがあってその感が強い。枯れ枝のような街路樹が、気がつくと、大ぶりで結構派手な花々を付けているのだ。

 都会というところは、人の有機的な繋がりを断ったところで成立している面がある。歴史的にいえば近代化の波が押し寄せた折、もう少し近いところでは高度成長などが叫ばれた折に、農山村などの生産性の低い地域からから、その地域共同体との有機的な繋がりを断ちきって出てきた人々が、都会を肥大させ続けてきた。

     
 
 かつて山野で咲いていた花々が、街路樹としてよみがえるのは、そうして有機的な繋がりを喪失した人々に残るかそけき郷愁に対する、擬似的な慰撫の装置なのかも知れない。
 あるいは、都会そのものがかつての自然の山野を蚕食して出来上がったことを考えるとき、それはまた、その地の霊を鎮めるための献花の儀式であるのかも知れない。

     

 写真はいずれも名古屋の東区で撮ったものである。
 地下鉄・高岳駅の周辺にはこれらの街路樹が多く、また寺も多い。
 黄昏はじめた花の下を通り抜けながら、「春宵一刻値千金」という言葉を思い出した。
 都会の夕刻、車のブレーキランプが次第に色濃くなる中では、この言葉の柔らか味はいささか損なわれるのだが、それも致し方あるまい。



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我が輩はキジバトである。

2008-03-23 01:02:03 | よしなしごと
 我が輩は鳩である。
 鳩は鳩でもその辺の神社仏閣や公園で群をなしている土鳩と一緒にして貰っては困る。
 姿形はよく似ているが、一応、キジバトというれっきとした野鳥なのだ。
 もっとも我が輩も、土鳩のために撒かれた餌にありつくため、時折はその群に混じっていることもあるので誤解されるのも無理はない。

 彼らと我が輩の違いは、この高貴な紋様の羽根にもあるが、その巣を建造物ではなく、樹木に拵えるところにもある。

     

 さて我が輩、ここのところ、いとしの彼女とつがいで、このブログとやらでちんけな文章を書き綴っている変なオッサンのところへ頻繁に現れているのだが、このオッサン、妙な期待でもって我が輩たちの方を見つめているのだ。
 
 というのは、もう10年近く前、わが輩の先輩にあたるつがいが、この家のちっぽけな庭のモチノキに巣をかけたことがあるからなのだ。そして雛が生まれたのだが、この先輩たち、巣作りがよほど下手だったのか、ある雨の日、巣が崩れて雛が下へ落っこちてしまったのだ。

 オッサンが慌ててその雛を拾い上げ、巣に戻したのだが、オッサンの嫌らしい匂いが付いてしまったのを嫌ってか、先輩たちはその巣を見放してしまったようだ。心配したオッサンが改めて巣を覗き込んだときには、もうその雛はミイラになってしまっていたらしい。

 オッサンはその時のことを覚えていて、わが輩たちがその時のつがいではないかと疑ってさえいるのだ。年月からいってもそんなことはありえないのだが、どうも、今なお疑っているようだ。
 まあ、それはともかく、もう一度巣をかけることを期待しているのは事実なのだ。

 オッサンはそのために嫌らしい工作をし始めた。
 まず第一は、食い物でわが輩たちを釣ろうという姑息な作戦だ。
 それで、ベランダにクラッカーを砕いたものを撒いたりしはじめた。ただしそのクラッカー、賞味期限が切れて放ってあったものだというところがいじましい。
 
 ある朝、寝坊のオッサンが起きたときには、そのかけらすらないほどにきれいに食べられていたので、しめたと思っているようだが、わが輩たちが食べたのか、早起きのスズメがついばんだのか、オッサンは知るよしもないだろう。

 もうひとつの工作は、例のモチノキの枝に、巣箱ならぬ使い古しのざるを取り付けたことである。そこをわが輩たちの新居にという下心は見え見えなのだが、こちらにもいろいろ都合があろうというものだ。ましてや、そこに住まわせてじっくり観察してやろうなどという助平心が透けて見えるのに、おいそれとそれに乗るわけにはゆかないのだ。

 
 
 そんなわけで、オッサンとわが輩たちの駆け引きはまだ継続中で、二、三日姿を見せないと変にやきもきしているのを見ると可哀相にもなるので、時折は来てはやるが、まだそこに住みつくとは決めていない。

 今後どうなるにしろ、これだけはオッサンに言っておかねばならない。
 本来、野生のものを、自分の都合のよい手元に置いて観察しようなどというのはある種の思い上がりではないか。それも、こっちの都合ではなく自分の恣意に依って観察の環境などを支配しようというのは、畏れ多い仕業というほかはない。オッサンのざるは、明らかにオッサンから見えやすいところに設置されているのだ。

 自分も自然の一部である以上、オッサンも、様々な生の営みのある部分に参加させてもらっているのだという謙虚な気持ちを持つべきである。
 もし、オッサンがそうした気持ちになって、相互に見たり見られたりが自然に出来るようになったら、そこへ巣を構えてやってもいいと思っている。




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桜・月・宴 そして戯れ歌

2008-03-21 03:05:51 | よしなしごと
 前に報告しましたように、14日に開花を見た私の家の早咲きの桜は、一昨日来の雨のせいもあって、もうチラホラと散り始めました。
 過ぎゆく花を惜しんで、以下のような戯れ歌を作ってみました。
 ご笑覧下さい。


 
   
   咲いた桜が散りゆくまえに
   敷くは花ござ緋毛氈
   今宵宴の灯をともす
   コンというてた狐は来たが
   あいにく喰わせる揚げがない
   花を肴に冷や酒酌めば
   ほろりと酔うて花は散り散り


   月はまん丸あつらえたよう
   おまけに黄砂のおぼろ月
   花に添い寝のハルモニア
   夜泣く鳥も誘ってみたが
   涙の雫も見せはせぬ
   月を映した盃干せば
   ちららと揺れて月は散り散り


   月は天心 桜は照れる
   これでお開き花ござ巻いて
   おやすみなさいと抱きしめる
   狐は巣穴で待つ子がいるが
   もたせる土産がなにもない
   今宵一夜の風情を包み
   帰せば花も月も散り散り


   名前のない子はもう寝たろうか
   起きてぐずれば歌ってやろう
   花や月とは縁すらないが
   風がお前の名前を連れて
   遠い砂漠を旅していると


 


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待つ・待つとき・待てば

2008-03-19 16:37:49 | よしなしごと
 子供は待つことを知りません。
 その欲望をすぐに満たすことを要求します。
 それに対し、その充足には待つことが、つまり迂回することが必要だと教えるのが教育であるのかも知れません。大人は待ちます。まるで、人生とは待つことだともいうかのように・・。

 

 バスや電車を待ちます。
 宝くじが当たるのを待ちます。
 恋しい人がこちらを向いてくれるのを待ちます。
 降りかかっている災いが除かれるのを待ちます。
 努力した成果の実りを待ちます。
 季節が変わって自然が変化するのを待ちます。
 夜が明け日が昇るのを待ちます。

 でも、じっと待っているそれらはほんとうに来るのでしょうか。
 
 上に述べた例の中でも、確実に来そうなものと、必ずしもそうでないものもあります。
 しかし、確実に来るものというのはあるのでしょうか。
 それ自身、一定の限度や条件のうちにおいてではないでしょうか。

 

 電車は確実に来るのでしょうか?
 そう、脱線事故や天災による支障がない限り。
 季節や昼夜の交代は確実でしょうか?
 そう、あと45億年後に地球の寿命が終わるまでは。
 ただし、その途中の他の天体との衝突などによる異変は不確定です。

 反面、宝くじはなかなか当たりません。
 努力すれば報われない場合も多々あります。
 降りかかった災いはなかなか取り除かれません。
 しかし、宝くじは誰かには当たっています。
 (残念ながらそれは私にではないのですが)
 努力が報われた人もいます。
 (私の場合、多少はといった程度ですが)
 災いが転じて福となった人もいます。
 (私の場合はそういう見方をすればそうかなといった程度です)

 

 こうしてみてくると、待つという行為の中には、かなりの不確定な要因があることが分かります。ある種の長いスパーンでみた場合は可能であったり、逆に、短いスパーンの中でのみ可能であったりもします。

 しかし、これが待つことの面白さであり、そこにおいて物語や、あるいは歴史が生まれる可能性があるような気がします。
 これはおそらく、科学がいくら発達しても残る分野ではないでしょうか。科学はひとつの系を想定して法則性を打ち立てますが、私たちの現実は幾重もの複雑な要因が錯綜していて、それらすべてを読み込むことは不可能だと思います。

 もし、未来がすべて予測され、待つことが確実に起こるとき、そこには人間に関するいかなる物語も、そして歴史も残されてはいないでしょう。

 
        この写真のみ昨年名古屋駅で撮したもの

 むかし、笑い話に、未来予測が発達したら、明日、どこで火事が起こるのかが分かる、従って予め消防自動車がそこに待機すればよい、というのがありましたが、このパラドックスは、それぐらいなら火事そのものを生じさせないようにすればよいということでした。
 
 ことほどさように、待つということは、期待と、にもかかわらずそれが裏切られるかもしれないという境界の間にある行為なのではないでしょうか。
 だから私たちは待つのではないでしょうか。

 さてと、宝くじでも買いに行きましょうか(笑)



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春の屁理屈・木曽川早春賦・トイレの桜

2008-03-17 15:07:44 | よしなしごと
 春は静謐なものから何か躍動するものへの飛躍としてやってくる。
 よく、生命の始まりに例えられるがそうではあるまい。なぜなら例え冬の間とはいえども、また、例えそれが秘やかであるとはいえ、生命は継続しているからだ。

 
        早春の木曽川 私の家から車で10分

 生命の華やぎというのはある程度あたっているかもしれない。
 確かに「陽」への転化であるには間違いないし、それは夏の色濃い生の謳歌へと続くからである。

 私たちのところにあるようなかなり目鼻立ちがクッキリした四季の織りなす様は、躁鬱症のリフレインにも似ているようだ。
 春から夏への躁状態、そして秋から冬への鬱状態・・。
 ただし、これは単なるアナロジーに過ぎない。私自身が鬱症状に悩まされたのは、まさに夏の真っ盛りであったのだから。若き日、私はヒッキーとして一夏を自分の部屋でやり過ごしたのだった。

 
           同じ箇所で 対岸は愛知県

 季節の変わり目には、人間の肉体も精神も連動して多かれ少なかれ変化を生じるという。別に不思議ではない。人間がそうした外的な変化から切り離されて存立しうると考える方が傲慢なのではなかろうか。

 
      トイレの窓から桜が見えたっていいじゃぁないか
        私の家のトイレから見える早咲きの桜


 だから、季節のさざめきは、コンクリートジャングルの中で、数字とにらめっこばかりして過ごさねばならない人のうちにも、きっと原始のメッセージを運ぶものだと信じたい。

 写真は、そうした季節の移ろいを短時間の間に経験したので、それを載せてみた。

 
                同 上

 最後の写真は、トイレの盗撮ではなく、トイレの中からの盗撮である。
 必至に自転車を漕いでいた女学生さん、ゴメンネ。

 





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【開花宣言とアンチャンの想い出】

2008-03-15 02:46:29 | よしなしごと
 わが家の庭の桜の開花宣言です。
 写真は12日を起点に13日、14日の順に開花を追ったものです。
 13、14日は少しアングルは変わりますが同じ枝です。
 15日は、折からの晴天でどんどん花が増えています。

 この桜、例年、ソメイヨシノより二週間ほど先行して花を付けます。
 多分、佐藤錦の系統だと思うのですが、ソメイヨシノなどよりはるかに大きく美味しい実を付けます。
 むろん、本場の栽培ものにはかないませんが。

 
      3月12日 膨らんだつぼみの裂け目に白いものが

 毎年書いていますので重複しますが、手に入れたのは私が店をやっていた頃の地回りのアンチャンからです。
 もう30年近く前になる年末のことです。いろいろごちゃごちゃ植えた盆栽のようなものをもってきて「買ってくれ」といいます。値段は一万円だというし、みすみすその筋の資金源になるのもいやでしたから断りました。

 そしたら、年が明けてからまたやってきて、「大将、3,000円にするから買ってくれ。原価やで」といいます。売れ残りの処分です。
 原価は幾分怪しいのですが、今度は買ってやりました。
 実はそのアンチャン、私の店の常連客でもあったのです。
 人なつっこいアンチャンで、故郷から妹が出てきたといって連れてきたりしました。
 「どうだ、可愛いだろう」
 と、自慢するので、
 「変なとこへ妹を売り飛ばすなよ」
 と、いってやったら、
 「そんなことするはずないわいッ」
 と、真剣に怒っていました。

 
         3月13日 ウ~ン、もうはち切れそう

 さて、買ってしまったキッチュな盆栽風のものですが、私にはその辺の趣味がないので、ばらして狭い庭に植えたり、鉢に植えたりしました。
 このサクランボのなる木もその片割れです。
 その折りのもので、今も健在なのは、秋口にまっ赤に紅葉する南天、それに万両(これはかなり増えました)などです。

 ところで、そのアンチャンのところは、地元の中小か零細企業のような組だったのですが、しばらくして、関西に本社がある大規模チェーン組織の全国制覇の波に押され、瞬く間に蹴散らされてしまいました。

 彼の組も結構抵抗し、相手の事務所へはじきをぶち込んだりもしたのですが、その報復の方がはるかに凄まじく、死者を出すなどしました。結果としては一応形だけは手打ちということでしたが、実際には無条件全面降伏で、アンチャンの組は解散したのでした。

 
           3月14日 ハ~イ 咲きました!

 幸い、そのアンチャンは死傷者の中にはおらず、敗戦の後は土建業か何かに従事して足を洗ったというのを風の便りに聞きました。

 そうした浮き世の栄枯盛衰とは関わりなく花を付けた桜、今年は花の数が多いのでサクランボは豊作かも知れません。
 サクランボの実は、娘が勤める学童保育所の子どもたちのおやつになる予定です。

 
            3月15日 少し幻想的に
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「故郷の廃家」と硫黄島

2008-03-13 13:43:44 | 想い出を掘り起こす
 ここに掲載する写真は私の家の近くにある廃屋のものです。
 かつてはれっきとした人家だったのですが、ご覧のように植物群にすっかり占拠されてしまいました。

     
 
 こんなになる前にこの家の前を何度も通っていたのですが、今となってはかつての面影を思い出すよすがもありません。
 これを見ると、人工的なものがいかにして自然に還ってゆくか、また、かつての文明の痕跡がどうしてジャングルの中から発見されたりするかが分かるように思います。

 

 そして同時に、中学生の折、音楽の時間に唱った「故郷の廃家」という歌を思い出します。
 ただしこの歌、最近全く聴くことがなくなったので調べたところ、昭和30年代から次第に音楽の教科書には載らなくなり、40年代にはすっかり姿を消してしまったとのことでした。
 これを読む若い人達の中には、どんな歌か見当も付かない人もいるのではないでしょうか。

 
 
 まずはこの歌を紹介しましょう。
 ウィリアム・ヘイス(アメリカ・1837-1907)作曲のこの歌は犬童球渓(1879-1943)の以下のような詩によって唱われました。
 
   幾年(いくとせ)ふるさと、来てみれば、
   咲く花鳴く鳥、そよぐ風、
   門辺(かどべ)の小川の、ささやきも、
   なれにし昔に、変らねど、
   あれたる我家(わがいえ)に、
   住む人絶えてなく。

   昔を語るか、そよぐ風、
   昔をうつすか、澄める水、
   朝夕かたみに、手をとりて、
   遊びし友人(ともびと)、いまいずこ、
   さびしき故郷(ふるさと)や、
   さびしき我家(わがいえ)や。

 そのメロディは以下のようなものです。
 http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/kokyouno.html

 もともと哀愁を帯びた歌ですが、この歌にはさらに、決して忘れてはならない哀しい歴史があるのです。

 今ではすっかり忘れられていて唱われる機会も少ないのことは既に述べましたが、年に一度、東京都の小笠原村が硫黄島で行っている慰霊祭においては必ず唱われるそうです。
 どうしてかというと、硫黄島がアメリカ軍の猛攻にさらされているとき、夕方になって米軍機が引き揚げてゆくと、地下壕に息をひそめていた少年兵たちが夕日を見ながらこの歌を合唱し、それぞれの故郷へと思いを馳せたという事実が伝えられているからです。

 わずか10代半ばで戦争に狩り出されたこれら少年兵たちのほとんどは硫黄島の土と化し、あれほど懐かしんだ故郷へと還ることはありませんでした。

         
          塹壕に残ったものへの米軍の火焔放射攻撃
 
 今、年一回の慰霊祭にあたり、この地に若き春を散らした少年兵たちと同年代の小笠原の中学生たちによって、この歌が合唱されるのだそうです。

 私は、能う限りこの歌を覚えていたいと思っています。

        
            平和に戻った現在の硫黄島

歴史的補足
 1945年2月19日、硫黄島へのアメリカ海兵隊の上陸が開始されました。
 3月17日には米軍が島を制圧し、日本軍の部隊が玉砕しました。
 日本軍は2万933名の守備兵力のうち2万129名までが戦死




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