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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

やなぎ青める日 ツバメが銀座に飛ぶ日 (前編)

2013-06-28 02:13:23 | インポート
 部屋のすぐ下にある田んぼと休耕田に今日は多くの鳥たちがやってきた。カラス、スズメ、キジバトを始め、ムクドリ、セキレイ、ケリ、などなど。このへんにいっぱいいるヒヨドリはめったに平地に降りないので来ない。
 嬉しかったのは、昨年から姿を見せなかったツバメが、しかも複数羽、元気に旋回していたことである。ツバメが巣をかけやすい軒下がなくなったり、巣をかけても辺りが糞で汚れるからとたたき落としてしまうこともあるらしい。
 
 子供の頃住んでいた疎開先の母屋では、家の中にツバメが巣をかけていて、田舎のこととて昼間は入り口を開放してあるが、夕方や明け方にも出入りできるよう戸の上に十数センチの四角い穴が開けてあってツバメはそこを通って出入りしていた。ことほどさように、ツバメと人は共存していたのだ。
 ツバメを見ると思い出す歌がある。

  柳青める日 つばめが銀座に飛ぶ日
  
 で始まる、敗戦の2年後、1947(昭和22)年に、サトウ・ハチロー作詞/古関裕而作曲、歌手は藤山一郎で売りだされた『夢淡き東京』という歌である。
 私は当時、小学3年生のよい子だった(今でもよい子です)。

        
                 写真は3月の柳

 この歌の冒頭にあるように、銀座と柳は縁が深そうである。
 1929(昭和4)年の『東京行進曲』(作詞西條八十、作曲中山晋平、唄佐藤千夜子)も、歌い出しは「昔恋しい銀座の柳」である。
 まだ、大正モダンの面影を濃厚に持つこの歌の詞は以下のようである。

  昔恋しい 銀座の柳
  仇な年増を 誰が知ろ
  ジャズで踊って
  リキュルで更けて
  明けりゃダンサーの 涙雨

  恋の丸ビル あの窓あたり
  泣いて文書く 人もある
  ラッシュアワーに
  拾った薔薇を
  せめてあの娘の 思い出に

  ひろい東京 恋ゆえ狭い
  粋な浅草 忍び逢い
  あなた地下鉄
  わたしはバスよ
  恋のストップ ままならぬ

  シネマ見ましょか
  お茶のみましょか
  いっそ小田急で
  逃げましょうか
  かわる新宿
  あの武蔵野の
  月もデパートの 屋根に出る

 ついでながら、幼い頃にこの曲を聴いた折、「いっそ小田急で逃げましょうか」のくだりでいつも胸がときめいたものである。早熟だったのだろうか。

 ついで、そのものズバリの『銀座の柳』という歌があり(1937年)歌手が四家文子に変わっているのみで作詞作曲は同じである。この歌が、前者のアンサーソング的であるのは間奏部分に『東京行進曲』が用いられていることでも判る。
 こちらの歌詞は以下のようである。

  (一)植えてうれしい 銀座の柳
    江戸の名残りの うすみどり
    吹けよ春風 紅傘日傘
    今日もくるくる 人通り

  (二)巴里のマロニエ 銀座の柳
    西と東の 恋の宿
    誰を待つやら あの子の肩を
    撫でてやさしい 糸柳

    (東京行進曲の間奏)

  (三)恋はくれない 柳は緑
    染める都の 春模様
    銀座うれしや 柳が招く
    招く昭和の 人通り


 この歌は一見、『東京行進曲』の雰囲気を踏襲しているようだが、いささか違うように感じられる。
 わずか8年間で時代は変わり、日本が完全に戦時体制に突入した年であった。3月には、日本の傀儡国家満州帝国建国が宣言され、7月には盧溝橋事件を発端として中華民国と間に日中戦争が勃発し、そ戦線は中国各地に拡大していった。そしてその暮れには、いわゆる南京大虐殺が発生している。
 そのせいか、歌詞はもちろん、その曲の軽快さやリズム感でも『東京行進曲』からはかなり後退しているように聞こえる。

 いささか長くなった。次回は銀座と柳の歴史などにスポットを当てながら述べてみたい。

コメント (2)
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