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尾張瀬戸へ行く・4 血縁・家・万世一系

2024-06-25 14:34:42 | 歴史を考える

【これまで】家を守るため入り婿に入った実父は実母との間に姉と私を設けたが、その実母が私の生誕後亡くなったため、女学校を出たばかりの実母の妹(つまり私の叔母)と再婚しました。これも家を守るためでした。
 しかし、叔母はあまりにも若く乳飲み子と幼子を養育することはできず、姉と私はそれぞれ別のところへ養子として出されました。
 実父と叔母はその後、私の義弟、義妹にあたる二人の子を設けたのですが、折から激しくなる戦争に取られ、1944年インパールで戦死してしまいました。二人の幼い子を抱えた叔母は、戦後のドサクサで苦労を重ね、当時、愛知の三河や岐阜の東濃にあった亜炭鉱山の女坑夫として働きました。
 そんな母に同情し、良くしてくれた男性がいて、二人の子持ちを承知で叔母と結婚しました。これはこれで新しい「家」が誕生したわけで、うまく収まったかに見えましたが、これまで「家」を守るを信条にしてきた叔母の親戚一党はこの結果を歓迎せず、隠然とした差別のようなものが生まれたのでした。
 なぜか?それがこれまででした。
 なお、これは先般瀬戸を訪れた際の私の回顧録で、それらは瀬戸と関連の深い地での出来事だったのです。

          

          写真は以下も含め、すべて瀬戸蔵ミュージアムの展示です。

【それ以降の続き】 

 なぜそうなったかの結論をいいましょう。
 叔母が結婚したのは在日の人だったのです。
 「家を守る」に固執する親戚筋の人たちには驚愕の事実だったようです。
 あからさまな陰口や隠然とした差別があり、中には事実上の付き合いを絶った人たちもいたようです。

     

 でもこれって変な話ですね。家を守るというのが血縁の繋がりを中心に考えることだとすると、女系家族のところへ実父が婿養子に入り、妻に先立たれたらその妹と再婚してその流れを守り、その婿養子をなくした妹、つまり私の叔母が新たな連れ合いと結ばれたということですから、その新たな連れ合いとの間にできた子にも、血縁は継承されるはずです。

     

 にもかかわらず、「家を守る」といっていた人たちが叔母と在日の人との結婚を歓迎しなかったのはなぜでしょうか。これまで、「家を守る」を「血縁の継承」という点から見てきたわけですが、それ自身を考え直す必要がありそうですね。

           

 人間のみならず、生物は遺伝子の継承をもって繁殖を継続します。とりわけそれが、動物の場合ですと血縁の継承となり、人間の場合ですと親子にとどまらず、孫やひ孫の代までの継承関係が親戚だとか親族一門を形成します。これは血縁の自然的側面ですね。もっとも、人間の「孫子の代まで」になると、定住生活に伴う土地や住居などの財貨の継承を含みますから、歴史的社会的に形成されてきたものといえそうです。

     

 さらに人間の場合ですと、この「血縁」は身分や階層を保つという意味でのある種の序列や秩序を前提にしていることが見えとれます。日本でいうならばかつての士農工商、インドでいうならばカースト制度の継承です。
 こうなればもう血縁は自然的な面を離れて、完全に歴史的、時代的に秩序構成的なものになります。

     

 現今の日本では、あからさまな身分制度はありませんが、それでも、家の釣り合い、学歴の釣り合い、などなど無言の制約は皆無ではないでしょう。
 ましてや私の幼少時の戦前、戦中は、まだ身分制度の名残りはあり、私の生家が「家」にこだわったのは家康公時代からの三河武士の流れという変なプライドに固執したからでしょう。

 ですから、叔母が在日の人と再婚したことをもって「家」の終わりであるかのように評価する人たちは、イスラエルの国防相がパレスチナの戦士たちを「動物のような人間」と形容したように、在日の人は血縁を継承する対象たり得ない人であるとするレイシスト的価値観に囚われているともいえます。

 それらをまとめてみるに、血縁を中心にした「家」というのは、その自然的側面を土台にしながらも、人間の長い歴史を経て、限られた階層の保持、各階層間の序列の保持などなどの社会構造をなす極めて人為的な秩序や規範として、時には抑圧的に、時には差別、排除的に働く極めて人為的な制度だということです。

 こので肝心のことをいわねばなりません。そうした規範を通じて、国民統合を価値づけ、時には逸脱者を排除してきたこの国の中心には、「血縁」を介した「万世一系」の家族が厳然として存在し、人々はそれを崇拝し、「象徴」という名であれ何であれ、その一家の総領を国家元首としていただいているとうことです。


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2 コメント

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Unknown (マリヤンカ)
2024-06-27 12:27:38
「〇〇家」と「○○家」の結婚式場の案内の看板を見る度に、いつまで、こんな時代遅れの、
アホらしいことを続けるのだろうかとガックリします。
個人の尊厳が大切にされる社会はまだ見えません。

瀬戸蔵ミュージアム、興味深いです。
いつか行ってみたい!
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Unknown (六文銭)
2024-06-27 14:15:34
>マリヤンカ さん
 おっしゃるように、家制度というのはまだしつっこく生き延びていますね。
 これがさらに大家族主義として強調され、「日本民族皆家族」として全国民が戦争に駆り出されていった頃にものごころがついた私としては、やはり家族中心主義というのは怖いものがあります。
 瀬戸蔵ミュージアム、けっこう面白いですよ。陶磁器の製造過程、陶磁器の縄文土器時代からの発達史、現在の多様な作品、それに、部分的に個人展のようなコーナーもあります。
 
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