福井利佐blog

切り絵アーティストの日々

「BOX ART」展

2007年05月12日 | 過去のBLOG記事

テレビ出演のため静岡入りした次第なのですが、
番組は夕方ということで午前中は静岡県立美術館の「BOX ART」展を見てきました。



「BOX ART」とはいわゆる「箱絵」、プラモデルの箱の絵の事です。
模型業界ではプラモデルの箱絵を「ボックスアート」と呼んでいるそうです。
静岡には模型で有名な(株)タミヤがあり、ガンプラで有名な(株)バンダイもあるので
静岡らしい企画展だなと思いました。

しかもお堅いイメージのあった県立美術館での企画だったので、
どういう落とし込みなのか興味がありました。
前回館長さんとお会いしながらも見に行けませんでしたので、
今回の帰省では絶対行こうと決めてました。



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静岡県立美術館入り口。この日は遠足の子ども達がいっぱいいました。



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後方のドーム型の建物はロダン館です。豊富なロダンの彫刻展示は一見の価値ありです。
もと静岡県知事の斉藤さんのコレクションなんです。



私は幼少の頃プラモデルを作った経験はありませんが、
兄がちょっと作っていたような気がします(自然派なのでプラモにははまらず)。
でも、静岡にいるとプラモデルショップはよく見かけ、身近な存在でした。
タミヤ模型の会社についているあの星マークもよく自転車や車で通るとき目に入っていました。



私が学生の頃(約10年前でしょうか)、たまたま表参道の同潤会アパートのギャラリーで
小松崎茂さんの原画展示を見た事があります。
その時は、小さい頃から当たり前のようにプラモの箱絵としてみていた何気なかった物が、
「アート作品なんだ!」と気づいたショックがありました。



詳しい事情はその頃知りませんでしたが、今回の展示をみたら
小松崎さんの自宅が全焼して数万点の原画、資料を焼失した後の再起展だったようです。


70歳を過ぎていたと思うのですが、大きいキャンバスにとっても活き活きとしたタッチで
戦闘機などが描かれていました。



本題の展示ですが、さすが美術館での企画と言った感じで、とても深い物でした。
戦前、戦後の日本文化を紹介し、どうしてプラモデル文化、
ボックスアートが生まれたのかをわかりやすく紹介していました。



それにはやはり戦争という二文字が大きく関わっているのですが、
平和ボケしている私達は改めて「そうだったのか」と知る事になりました。



まず、大正3年から発行されていた雑誌「少年倶楽部」の展示から始まります。
表紙はリアルな描写で昔話などのヒーローや少年が描かれているのですが、
昭和6年の満州事変以降、軍国的な象徴の表紙に変わって行きます。
「少年倶楽部」にはこの頃付録がつきだしたのですが、
これについた巨大なペーパークラフトあたりが後のプラモデルの目指した精神に共通してきます。



満州事変の時には、付録として戦争の様子が描かれた絵はがきセットがつきます。
どこでどう保存されていたのか、雑誌とか付録が本当によく残っていてびっくりしました
(50~60センチのエンパイヤビルとか戦艦ができてました)。



その後どっぷり戦争に浸かって行くのですが、数々の巨匠、藤田嗣治や小磯良平
戦争画を描いていた事はあまり知りませんでした。見てきて描いているのでしょうか?
本当に情景がリアルです。そして戦艦などの記録写真が撮られるのですが、
こちらの構図やアングルがそのままボックスアートへと生かされて行きます。



戦後、やはりこうした表現は一端封印されますが、
戦前に少年達をトキめかせた模型航空機は模型愛好家によって復活します。
実際に飛ぶ簡単な模型から、飛ばなくてもリアルな形を再現する
ソリッドモデルという方に人気が出てきます。
これが作り手の想像力をかき立てるための挿絵が必要となり、
ボックスアートへとなった訳なんです。と、まあざっくり紹介してみました。



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手書きですよ。



タミヤが静岡にあったのもあり、静岡の方が多く絵を描かれていました。
中でも印象的だったのは上田毅八郎さんという方で、実際に兵隊として激戦地を転戦されていました。



乗っていた戦艦が撃沈されて海に放り出された経験があり、
その経験から真っ黒な海の中を進む重い戦艦が描けるそうです。
ボックスアートの作品は本当に見てきたかのような作品ばかりで、
戦車が進むときの泥の飛び方、戦艦が進むときの海の様子、飛行最中の空の色など、
どうやって描いている のだろうと思いました。やはり、実際に経験されていたのですね。



しかも上田さんは戦争のせいで右手で描けなくなり、左手で描く訓練をしたそうです。
そして、戦死された遺族の方達にその方達が乗っていた軍艦や飛行機を描いたものを送り、
鎮魂としているのです。



この話は、この後出演したNHK静岡のディレクター神原さんが、
以前上田さんを取材されたそうで教えて下さいました。
帰ってから見たカタログにも書いてありました。
ちょっと感動してしまったので紹介させていただきました。