マリオ・バルガス=リョサ、『チボの狂宴』

 年越し本に相応しい作品だった。『チボの狂宴』の感想を少しばかり。

 素晴らしい読み応えだった。それなりに覚悟していたつもりだが、まず内容の劇烈さと、恐怖政治から暗殺計画と言う暗黒の歴史の一幕を、緻密に再構築して見せた語りの凄まじさにただただ圧倒された。これほどのものを描きあげる作家の思いとは如何なるものか…と、畏怖の念すら抱く。
 この世界のどこか片隅に身を縮みこませて固唾を呑みながら、まるで全てを見届けていたみたいにぐったりとしてしまうほど、その場その場での追い詰められていくような臨場感の中に自分がいたことに、本を閉じて初めてはっと気が付く。…ということを、私は何度も繰り返したのだった。

 舞台はドミニカ共和国。かつて31年の圧政を敷いた怪物的カリスマを持つ独裁者トゥルヒーリョと、独裁者の命を狙う暗殺者たち。暗殺計画の顛末とその行き着く先、失われる命と引き換えにもたらされるものとは何だったのか。果たしてドミニカ共和国の人々の元に、平穏な日々は訪れるのだろうか…?
 物語の構成をざっくり言ってしまえば、35年前にドミニカ共和国を去ったウラニアが父親の元を訪れる1996年の章と、1961年当時のトゥルヒーリョと側近たちの最後の一日の章と、暗殺を企てている者たちの分刻みで進んでいく時間の章の、三つからなっている。が、そこにさらに複数の視点が挟まれたり、各々の人物の回想から時系列の交錯なども起こってくることから、物語は複雑さを増しつつより重層的な作りで立ち上がってくる。 
 大きな出来事を全体的に捉えているゆえに登場人物も自ずと多くなる訳だが、個性の際立った造形が多くてとても興味深く読めた。もちろん、とりわけ見事なのが独裁者トゥルヒーリョへの肉付けであることは言うまでもなく、老いに対する葛藤や歪んだ独善性の渦巻く複雑怪奇な内面、側近たちを蔑みつつ掌握してしまう才能、好色性、癇の強さ…といった要素の一つ一つが人並み外れであることが、いやと言うくらいよくわかった。例えば側近たちに辛辣かつ的確なあだ名をつけてそれで呼びつける…なんてところも、とても説得力がある。実話であっても驚かないと思う。

 35年経ったドミニカ共和国で当時を振り返る、トゥルヒーリョの元側近の娘ウラニアの存在も、忘れがたい。独裁者トゥルヒーリョに人生を狂わされた個人として、己の過去にどう向き合ったらいいのかわからぬまま、ただ目をそむけて生きてきてしまった…という事実の重み。35年ぶりに父親の家に帰ってきた彼女が、従妹や叔母たちにありのままを語ってしまったことで、抱え込んでいた塊が少しでも軽くなったのならば…と、願わずにはいられない。

 知識としてのレベルで一応は弁えていることであっても、こんな風に物語の中に身を置いてみることであらためて愕然としてしまう…ということがある。突きつけられる、と言った方が近いかも知れない。人にはこんなに酷いことも出来る…とか、たった一人の尋常ならぬ人物の為に、これほどまでに国も人も狂わされてしまうようなことが本当に起こり得るのだ…ということ。人間の陥りやすい罠のこと。突きつけられて、忘れまいと胸に留めた。
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