アン・マイクルズ、『冬の眠り』

 勝本みつるさんの作品が装画なので、それだけでも持っていたくなる。『冬の眠り』の感想を少しばかり。

 “その約束も移してもらえるの? 一人の人間にとって神聖なものを移すことができるの? あたしはあの人の隣で永遠に眠ると決めていた。そのまだ空っぽの場所を移すことができる?” 56頁

 素晴らしかった。ひたひたと潮が寄せるようにゆっくりと胸に浸みこむ。読み終えて直ぐよりも少し時間を置いて、反芻しているうちにじわじわと感慨が溢れてくる本が時々あるが、まさにそんな作品だった。静謐に張りつめた詩の世界が、そのままどこまでも押し広げられて物語となっていく…そんな作風に魅了された。
 そしてまた、大きなダムの建設が物語の背景にあり、その為に水没した村のこと、頭も胴体も四肢も切断されるラメセス二世の巨像や移築される神殿についての記述の中には、物悲しく儚い気持ちになると同時に、それゆえに心魅かれてしまう眺めがあった。とりわけ、夫の墓を移されることを拒んだジョージアナ・フォイルが、ボートでお墓の上まで行って水底の夫に語りかける情景を思い浮かべるだけで、心がゆるんで泣きたくなる。

 ダム建設に伴う神殿の移築工事に関わる技術者のエイヴァリーと、植物を深く愛するジーン。神殿の移築作業がすでに始まっていた1964年、二人はエジプトのアブ・シンベルにやってきた。そして彼らが出会ったのは1957年、海路建設の為にもうすぐ水没する、セント・ローレンス川の土手の上でのことだった。物語は二つの時間を、行きつ戻りつしながら進んでいく。新婚の彼らに待ちうけていたものとは…。

 求め合って一度は結ぼれたはずの絆が、離れていくこともある。かけがえのない存在を守り抜いても、死によって別たれる日がいつかくる。離れて生活することなど考えられなかった土地を、容赦なく奪われる人々がいる。生きることはすなわち、失い続けることだ。なのに、疾うに喪失してしまったものへの狂おしい思いを、恋しさを、誰にも飼い慣らせやしない。それでもどうにかして宥めては癒し宥めては癒し、次の場所へと行くのだなぁ…などと、ぼんやり思った。その“癒し”すら欺瞞なのではないか…と、この物語が問いかけてくるけれど、そうではないのだと。
 ジーンとエイヴァリーの、お互いを必要とし合う姿がとても特別に見えて、それを尊く感じられるからこそ、その後の展開が切なかった。水のように流れていく人の心は、どうすることも出来ないということ。真ん中に置かれた石に引き裂かれるのは、川も人の思いも同じだということ。たどり着くべき答えは、同じものを取り戻すことではない。どんなに哀しくても痛くても、同じものなど二度とないのだから…ということ。
 でも、だからこそそこに、冬の景色のようにまっさらな、希望を見いだすことも出来るはず…と、静かな最後の場面で思った。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 1月18日(水)の... 1月20日(金)の... »