堀江敏幸さん、『彼女のいる背表紙』

 気持ち良く整頓が行き届いた本やさんや図書館の書架に、はたまた何かの折にちらりと垣間見た誰かの本棚に、綺麗に整列した数々の本の背表紙たち。 その、様々な書体によるタイトルを負った一つ一つの背表紙の向こう側に広がる、その世界の果てしなさを思うと、その奥行きの深遠さに思いを馳せると、ざわつく憧れで胸がいっぱいになってしまうことがしばしばある。 
 だからこの、何とも素敵なタイトルには惹き寄せられてしまった。 「はてどんな内容だろう?」と気になってしまった。 堀江さんの書いたものを読むのは、この随筆集が初めて。

『彼女のいる背表紙』、堀江敏幸を読みました。
〔 背表紙のむこうに、彼女がいる。 逆を言えば、そこにしかいない。 すぐ近くなのに遠く、遠いのにひどく身近な友人のように。 書物のなかの「彼女」と書き手の生きた道すじを静謐な筆致で重ね綴る。 『クロワッサン』誌で好評を博した、上質な随筆集。 〕

 遥か遠い日々に、自分が何度も何度も繰り返し読んだ本があったとして、もしも今その本が目の前にあったならば、ただもう一度手に取ってページを繰るだけで、かつて出会った懐かしい人々に、少しも変わらぬそのまんまな人々に再び会える――ということ。 懐かしい彼らの上には時間が流れないのに、ただこちら側にいる私だけが着々と年を取り変わっていく――ということ。 考えてみたら、何て不思議な付き合いだろう…。 現実にはあり得ない、でもだからこそ、とても大切な付き合いになったりもするのだなー、おお。 いつまでも心に棲む。

 ふとした折に其処此処の引き出しからこぼれ落ちてくる、読書の記憶。 物語の中で出会った、「彼女」たちのことについて。 記憶の中の彼女たちのことが、一篇に一人ずつ紹介されている。 物語の内容についてもかいつまんで触れられていくのだけれど、それらを読んでいてふと興味をそそられることはあっても、とりわけ特定の本を勧められているという気分にはほとんどならない。 だから、これはやっぱり随筆集なのだなぁ、と思った。
 ここにとりあげられている物語たちには、あまり華やかな色彩はない。 語られる「彼女」たちの姿も、慎ましく凛とした佇まいにはとても静かな印象がある。 どれも古い作品にまつわる話だと思いながら読んでいる所為なのか、或いは懐かしい事柄を語る温かな筆致の色合いが滲むのか、一篇一篇がセピア色に縁取られているような気がしてくる。

 実際の彼女たちに会ってみたいとも思う。 この一冊でいいようにも、思う。 堀江さんの眼差しを通した彼女たちの姿だけでも。
 …と言いつつ、マダム・ドダン(『木立の中の日々』)は素敵過ぎる。 あと、エミリ・ディキンスンの詩篇はホンの少しの引用であったにも関わらず、胸に刺さって忘れがたい。 そして、ナジェージダさん(『流刑の詩人・マンデリシュターム』)の格好良さ、それからそれから…。 
 あ、堀江さんの小説も読んでみたくなったのであった。
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