マルグリット・ユルスナール、『追悼のしおり』

 『追悼のしおり』の感想を少しばかり。

 “その子供が私であることを疑うには、すべてを疑わなければならない。”(10頁)

 素晴らしくて、ため息がこぼれるばかりだった。遥かな年月の砂に半ば埋もれかけ、人々からもほとんど忘れられかけていた一族の歴史とその明暗が、一人の子孫の声によって呼び戻されて手繰られて、束の間息を吹き返す。一貫された揺るぎない思惟が底流となり、それらを物語として丹念に紡ぎあげる。透徹し、どこまでも達観した筆致の見事さに、慄きながら読み耽った。
 ユルスナール自身が、自分を産んで間もなく亡くなった母親とその一族について調べ上げ、その軌跡を綿密にたどったこの作品は、巻末の覚書を含めるならば五つの章からなっている。母フェルナンドがユルスナールを出産した後、早過ぎる死を迎えることとなった顛末を描く「出産」の章から始まり、「邸館巡り」の章では更に厖大な時間を遡る。

 「万古不易の領域をめざす二人の旅人」の章では、一族のうちでもとりわけ目立つ存在であるベルギーの散文家オクターヴ・ピルメと、彼の弟レモの人生に照準が合わせられる。そして章を結ぶ言葉としてユルスナールは、レモには熱烈な敬意を抱き、オクターヴ伯父さんには感動と苛立ちを覚える。しかしゼノン(『黒の過程』の主人公)は兄を愛するように愛している…という。オクターヴ・ピルメとレモという無名の作家と詩人二人の亡霊が、ユルスナールと彼の先祖たちや傍系の親族たちとの間の余所余所しい隙間を、綴じ合わせたのである。
 遺族たちによって隠蔽されたレモの自死のこと、弟を深く愛していたにも関わらずその心を汲むには至らなかった兄オクターヴへの批判…など、兄弟の姿を浮き彫りにしていく研ぎ澄まされた一文一文が明晰でありつつ、微かに二人への親愛が滲み出しているようにも思われてくる。大変に好きな章だった。

 四つ目の章「フェルナンド」で、ついにユルスナールの母フェルナンドのことが詳らかにされていく。少女時代の家庭環境、社交界に失望して旅行好きで生真面目な未婚女性として過ごした日々、やがて結婚相手となるミシェルとの出会い…。ミシェルがいつまでも保存していたフェルナンドの手紙のことについて、またユルスナールがそんな二人の人物に愛着をおぼえる理由について触れている箇所などが、静かに心に響いた。
 この先、二部三部と読むことが出来るのかと思うと、嬉しさがひたひたと胸に満ちてくる。ふう…。
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