ザッカリー・メイスン、『オデュッセイアの失われた書』

 これはっ!と喰いついた。『オデュッセイアの失われた書』の感想を少しばかり。

 “オデュッセウスの物語に基づく四十四通りの短いバリエーション”が含まれていたオクシリンコス・パピルス…!
 素材といい着想といい大変に好みで、うとり…隅々まで堪能した作品。何と言っても本家本元をいまだ完読したことのないのが大いに悔やまれたが、手の届く場所に岩波文庫のそれを置いてちょこちょこと拾い読みをしながら楽しんだ次第である(へな猪口…)。

 20年にも及ぶ夫の留守中、ずっと貞淑であり続けたとされるオデュッセウスの妻ペネロペイアが、実はただあきらめて再婚していた…「悲しむべき発見」。アガメムノン王が署名したオデュッセウスの死刑執行令状が、お役所仕事の紆余曲折諸々を経て本人の手に渡ってしまう…「もうひとりの刺客」。アガメムノンの要請に応じる為にアキレウスのゴーレムを作る…「ミュルミドンの泥人形」。オデュッセウス自身が吟誦詩人となって、己を主人公にした叙事詩を仕立て上げる…「オデュッセウス版イリアス」。などなどなど。
 更にお気に入りをあげると、“『イリアス』と『オデュッセイア』は、ときに著者や管理者の不注意から、主人公たちの目に触れてしまうことがあった。”(52頁)…と、この一文で唖然とさせられた「逃亡者」、最強の戦士を求めて天国の神々のもとにまで行ってしまうアキレウスの「勝利の嘆き」、テセウスとアリアドネの迷宮を描く「長い家路」。といったところ。

 虚を衝かれて呆然としてしまう話、くすりと笑える中に悲哀がひそむ話、人間臭さと無情とがゆるゆると融け合った話、虚無の渦巻く幻みたような話…と、どれも洒落ていて、驚きに満ちていて。
 そして終盤における幾つかの話では、年老いたオデュッセウスがサナトリウムで意識を混濁させていたり、かと思えばイタケ島やオギュギア島、さらにはトロイアへと漂泊をたどっていく。一歩一歩死へと近付くその姿には落日の寂しさが滲むものの、晴れ晴れとした気持ちの中で向かえるラストは秀逸。余韻がとても素晴らしかった。

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