中野美代子さん、『塔里木秘教考』

 『塔里木秘教考』の感想を少しばかり。
 
 “満月は、いまやかれらの足もとにあった。その完璧にまるい光の輪を乱すなり、双子の少年たちはそれぞれ、淡緑色のなめらかな玉のかたまりを拾いあげた。” 88頁

 とても面白かった。どこまでも引きこまれていくようで、広大な眺めに思いを馳せた。
 時空間に歪みをもたらす不穏な沙漠が横たわる、そこは塔里木盆地。物語は20世紀から9世紀を、行き交う。二組の双子にいざなわれていく、謎と幻想とがとぐろを巻き、黒い砂嵐が待ち兼ねる危険な沙漠行。そこに生えて旅人をまどわす、決して近づけない黒い花を…アナクレアと呼ぶそうだ。
 シンメトリックな美形の双子たちが描く軌跡に、合わせ鏡を覗き込むような眩暈感。見慣れぬ地図を幾度となく見つめながら、心ゆくまでどっぷりと浸った。

 ウイグル自治区の博物館で働くアブリムクは、陳列されている写本断簡がキャプション通りの古ウイルグ語の12世紀写本ではなく、ソグド語の9世紀ごろの写本ではないかと思っていた。そして、この古写本を解読しようとした彼は、禁じられた無断撮影を行い現像した写真を持ち帰るが、あっさり公安に逮捕されてしまう。一方、鉱山局で技師として働く双子の兄ウスマンは、何も知らされず、ただ発掘調査に出かけていると聞かされただけだった。
 時は移り、9世紀。サマルカンドで製紙工場をかまえる豪商の元に、双子の少年たちがいる。商才を見込まれたウィルカークと、壁画を描くこと以外には怠惰なワヌーク。瓜二つであるにも関わらず、懶惰な美しさゆえに兄のワヌークは主人タービットから寵愛されていた。やがてウィルカークがダマスカスで大量の紙を売りさばくと、タービットは隊商を組んでシナに行くことにし、双子たちを同行させるが…。
 
 件の古写本に書かれた火が出る井戸と、マニ教の教えに記された教祖マーニーの言葉にある“魔界ノ水”の関係について。そこにある預言。そして父パターワルの草稿を持ち帰った、ウィルカークの果たした役割について考えると、思いは尽きない。
 洞窟寺院に描かれては塗りつぶされ、ムスリムにことごとく破壊される、マニ教壁画と仏教壁画。9世紀のシナとウイグルの争い。仏教徒同士の殺戮。そして20世紀の中国での、明るみにされない原爆実験とウイグル族の甚大な被害。横抗のある井戸と火を噴く井戸を繋ぐ、時空の歪み。底なし湖の謎。崑崙の玉…。などなど。見えない糸が張り巡らされているのにただ目を瞠り、絡め捕られていくばかりの読み心地だった。

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