さほどの自覚はなかったのですけれど、振り返ると自分も“マンガ世代”の一端だったのかなと思う。『ゲゲゲの女房』を視聴していると、場面場面、台詞の端々で、“自分とマンガ”に関していろいろ思い出すことが尽きないのです。
今日(12日)は、神戸在住時代にしげる(向井理さん)が組んでいた紙芝居弁士の音松さん(上條恒彦さん)が来訪。食費キツキツなのにまたメシ食ってく客かよ!酒もかよ!とつい布美枝(松下奈緒さん)になり代わってカリカリ来たりするのですが、聖なる妻・布美枝さんは「(夫が)お世話になっとりました」と殊勝。身長だけでなく、月河より何回りも人間が大っきいですな。
それはともかく、3年以上前にしげるが貸本漫画に転じ東京に居を移し、音信不通だった音松がどうやって村井家の所番地を知ったのかと思ったら、前回(11日)、こみち書房の店先を通りかかったとき、美智子さん(松坂慶子さん)たちが、ファンが増え回転が良くなってきた『墓場鬼太郎』の話題に花を咲かせているのを小耳にはさみ、“妖怪・借りてけ婆”…ではなくてキヨさん(佐々木すみ江さん)のハタキ攻撃をものともせず鬼太郎新刊を立ち読みしたからなのですね。
あの後、音松さんが美智子さんに「この鬼太郎の本はいつ刊行されたんですか」「3冊も出てるところを見ると人気あるんでしょうな」と気さくに話しかけて警戒を解き、お客には愛想を絶やさない美智子さんからそろっと聴取した可能性も否定できませんが、昔、漫画本の巻末や柱には、描いた漫画家さんの住所が地番までまるっと掲載されていて、「○×先生にはげましのおたよりをだそう」なんて添え書きされていたものです。
設定の、昭和36年当時の貸本専用書きおろし漫画となるとさすがに月河もお付き合いがなく、記憶も確かめるすべもありませんが、昭和40年代初期ぐらいまでのマーガレットや、りぼんや少女フレンドには、作品ごとに、最終ページひとつ手前ぐらいの柱にほぼ漏れなく“はげましのおたよりカモン”フレーズと、漫画家さんの住所が明記されていました。
現代なら信じられませんね。月河よりちょっと上のお姉さんお兄さんたちの中には、あれを見て一生懸命ファンレターを書いた経験のある人が結構いるはずです。「○野×子センセイみたいなマンガを描きたい」「いつもマネしてノートの端っこに描いて、クラス友達にうまい言われてるから、きっと描ける」「弟子にしてほしい」と、幼い“原稿”を手に電車を乗り継いで掲載の住所に表札頼りに押しかけ試みた少年少女も、少なくとも東京近郊なら相当数と思われ。
いまの時代そんな個人情報載せたら、無邪気なファンより、悪意の人、ヘンかつ危険な人がぞろぞろ来ちゃいますからね。いい時代だった。
それでもやはり問題は皆無ではなかったと見え、昭和40年代後半には“はげましのおたより”の宛先は当該雑誌の編集部に変わって行きました。要するに、“おたより”が、出版社側の“人気のある=売り上げ貢献度の高い作家・作品はどれか”をリサーチするツール化していったわけです。
やがて、綴じ込み読者ハガキの“おもしろかった作品・記事・ページ”にマークするアンケート方式になった(と思われる)頃には、月河も漫画雑誌を卒業してしまい、その後の状況は寡聞です。
音松さんは、こみち店先で聞きかじり読み知った情報で、「斜陽の紙芝居描きから貸本漫画に転身して当たる人が少ないのに、かつての相方は珍しく成功してるらしい」と早のみ込みし、純粋に祝福したいのが50、あわよくば資金をたかろうとの下心が30、好奇心とやっかみ半分が混じって10、“痩せても枯れても紙芝居屋魂”のプライドを見せたいのが残り10…ぐらいの料簡持ってそうです。
しげるが布美枝に「紙芝居は手描き1点限り、全国を回ってぼろぼろになるまで使われて、古くなったら捨てられてお終いだ」と仕組みを説明している間の、底に意地を秘めた遠い目が印象的でした。「紙芝居の鬼太郎、見てみたいです」と布美枝さんがお追従でなく言ってくれて、心底嬉しそうでしたね。たった1枚残っていた表紙絵に、顔つき合わせ子供のように見入る2人を見ているうちに、“新しい紙芝居団体設立”の話を、その場で思いついて、カネを引き出す算段立ててるんじゃなければいいけれど、しげる、自分にプラスになる人を選んで引き寄せマイナスは遠ざけるていの人間関係力は、滅法弱そうだからなあ。
しっかし、このドラマの台詞作りは本当にセンスがいいなあ。昨日(11日)の放送回で、単行本3巻まで出したのに原稿料が支払われず業を煮やして富田社長(うじきつよしさん)に直談判のしげる「このままでは女房とふたり、人間の干物になるんですよ!」…
普通、こういうとき「日干しになりますよ」「干上がってしまいますよ」とは言っても、“人間の干物”は出てこないでしょう。同じようでいて、微妙に言わない。普通の人は。普通じゃないセンスの水木しげるさんだから言う。
なんかね、原案の、リアル水木しげる先生と重なりつつも微妙に別建てで“『ゲゲゲ』劇中の村井茂”が、スタッフさんたちの中で造形され愛されて彫琢されているような気がするんですね。「こんな場面で、こんな言葉を使いそう」「こんな対象にこんなリアクションしそう」と想像肉付けがいくらでもふくらんで行く感じ。
そしてまた、ゴウツクのくせに商才はない富田社長「いいねそれ!次の鬼太郎にどう?“妖怪・干物人間”。だーはははは!」と釣られる釣られる。
“人を説得するための、モノの喩え”ひとつとっても、咄嗟に“妖怪っぽい”表現をとってしまうのがしげるさん。たぶん怒ってるときも、嬉しいときも、脳内は妖怪・物の怪(け)、善なのも悪なのも取り混ぜて、イメージがひしめき合ってるのでしょうね。