山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

“山方”から“山形”へ替えた雁戸山と扇状地

2006-01-03 10:48:34 | 風景
 昨日に続いて元日の山形の景観。 山形は文字通り“山の形”が周囲に望める所だが、古代には“山方”と呼ばれていたことがある。  
山形盆地は国内でも典型的な盆地であり、広さとしても国内有数にして四方が山岳丘陵に囲まれ、わずかに北の方で最上川の峡谷が突破口となって新庄盆地に繋がっているだけである。この広大な山形盆地は既に上古に豊穣な農産地として開拓され、今でも条里制田地の遺構や数多い古墳にその繁栄を偲ぶことができる。 この農業地帯が“里方”なら、圧倒的なボリュームある山容を見せる蔵王連峰に近い地域は“山方”と呼ばれるようになった。
 “山方”ではあるが、アルプス的容姿の北蔵王の雁戸山から手前の西側に拡がる扇状地もかつては棚田状の美田が末広がりの形状をなす典型的な扇状地であり、水脈と地下水に恵まれ、既に古代から物資の集散と交易の中継地として発展していた。(最上駅)
 今ではこの扇状地もすっかり市街地となり、豪壮な山並みとビル群の景観とが絶妙なコントラストを見せるようになった。(白銀の稜線を連ねる雁戸山と山形市街地。稜線の向こう側は宮城県。つまり雁戸山は裏日本と表日本の分水嶺。左前方に16階建ての山形県庁、右手前が建設中の23階建てマンション。雁戸山の右奥が炭焼藤太、金売吉次、豊丸姫伝説の宝沢地区=10月16日と17日の記事参照。山形駅西の高層ビル展望室より)
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