山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

城下町を仰ぎ見る天下の山形城 ⑦

2008-08-04 23:02:35 | 郷土史
 手前が三の丸南側部分で、二の丸土塁の樹林の左手が三の丸の西側部分である。
 薄緑色の点線が三の丸の外郭線となり、そのすぐ向う側は明治以前までは城下というよりは無人・家屋なしの城外となり、城よりは標高が低くなる。
 この三の丸部分にはかつて武家屋敷が並んでいたが、最上時代なら57万石の大藩だったから、武家屋敷も多かったろうが、それ以降は24万石から最後はわずか5万石の小藩になったので、空き家や廃屋が目立ち、畑地化する部分も増えたようだ。
 晴れていれば写真の上部には霊峰月山の万年雪が写るはずだが、ご覧のように湿気で視界はよくない。
 三の丸の外のすぐ西側が無人地帯だったいうことは地下水からの湧水が多く、湿泥地であり、水蒸気がたちこめ、盆地西部から山形城を見えにくくするだけでなく、敵兵の進軍をも困難にする。また、いざという場合は、三の丸の堀の一部を崩せば、決壊して溢れた堀の水により城外の無人地帯は水浸しになり、敵兵の進軍を一層困難にさせるねらいがあったのではないか。
  このシリーズ今回で終了(初回は7月14日の記事)
 
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