山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

52年前、日本の男子レスリングは超元気

2008-08-16 21:22:18 | 郷土史
 北京五輪では日本の女子レスリング選手が大活躍である。
 でも、なんと52年前のオーストラリア・メルボルン五輪では日本の男子レスリングは2つの金メダルを獲得している。
 当時の日本選手団の総数は119人で、北京での約3分の1に過ぎない中、計4個の金メダルのうちの2個がレスリングであった。
 そのうちの1個が我が山形市出身の笹原正三選手であり、彼は開幕式典の入場行進の旗手を務めている。当時27歳であった。
 メルボルン五輪の模様はラジオの実況中継によりうかがうことができた(当時私は小学生で兄と一緒に聴いた)が、電波の情況が不安定で、アナウンサーの言葉も聴き取りにくかったが、競技場での観衆の歓声や選手たちの動きや掛け声などを音で感じ取ることができたことが記憶に残っている。
 むろん、山形では官民挙げての喜びの興奮の渦で、笹原選手の帰国の際は市の中心街で祝賀パレードが行われ、我々小学生も沿道に動員されたものである。(彼が尊敬する小学校時代の担任のN先生は当時は私の母校の同学年の担任になっていたし、我が家の近所でもあった。)
 写真説明 「上左」フリースタイル・フェザー級で奮戦中の笹原選手 「上右」メルボルンの主競技場 ここでの開幕入場行進で笹原選手は旗手を務めた 「下」彼の母校の山形市立七小旧校舎(昭和8年建造のアールデコ様式の文化財級の貴重な建物であったが、新校舎新築により今年解体された)
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