時代劇を観ていると大岡越前守とか羽柴筑前守など、「国名(地名)」+「守」という官職名をよく聞きます。
この官職名は元々、律令制で定められた国司(朝廷から各国に派遣される行政官=今で言う県知事みたいなもの)の官職名で、官職には、長官が「守(かみ)」、次官は「介(すけ)」、三等官を「掾(じょう)」、四等官は「目(さかん)」があり、朝廷では役所によって字は異なるものの、すべて「かみ・すけ・じょう・さかん」の順になっています。
つまり、越前守であれば「越前の国に派遣された国司の長官」を意味しています。
因みに、軍事部門では「かみ・すけ・じょう・さかん」を「将・佐・尉・曹」と書いたので、明治期以降の軍隊でもこの字に大中少をつけて階級の呼称にしたそうです。
では「薩摩守(さつまのかみ)」と言えば、薩摩の国司のことですよね。
しかし、一般的に「薩摩守」と言えば無銭乗車(無賃乗車)、不正乗車という意味で使われます。
何故でしょうか?
「薩摩守」とは、本来は、薩摩国の国司という職のことですが、「平家物語」に出てくる薩摩守・平忠度(たいらのただのり:平清盛の弟)を只乗り(タダ乗り)に掛け、無銭乗車(無賃乗車)、不正乗車という意味で使われているのです。
広辞苑にも、(薩摩守平忠度を「ただ乗り」に掛けたシャレ)として、
①狂言の一。「船賃は」と問われて「薩摩守」と答えた旅僧が、「その心は」と問われて「忠度」と答えられず、無賃渡河に失敗する。
②車・船などに無賃で乗ること。また、その人。と説明しています。
平忠度は、当時の優れた歌人でもあったそうです。
その彼は 「さざ浪や 志賀の都は 荒れにしを むかしながらの 山桜かな」(千載集) の一首を残しています。
意訳: 志賀の都は 荒れてしまったが 長等山(ながらやま)の山桜は 昔のままであることよ
これは「故郷の花」という題で詠まれた歌です。
千載集は勅撰和歌集(天皇の命により撰進した和歌集)なので、朝敵として死んだ平忠度の歌を載せるわけにはいきませんが、その才を惜しんだ彼の師であり、この和歌集の撰者でもあった藤原俊成(ふじわらのしゅんぜい)が、「読み人知らず」として千載集に入れたのだそうです。
平清盛の弟であり、優れた歌人でもあった薩摩守平忠度が、自分の官位が洒落に使われている事を知ったら何と言うでしょうね。
“私の官職にタダノリして洒落に使うのはいい加減にしろ”とでもいうのでしょうか・・・。