北朝鮮は一昨日の25日に、朝鮮人民軍創建85年の記念日を迎え、日、米、韓、中国などの関係諸国は核実験やミサイル発射などの挑発行為に出るのではないかと警戒していましたが、そのような事実は確認されませんでした。
代わって東部で大規模な砲撃訓練を実施したようですが、この事は、トランプ政権がシリアへのミサイル攻撃を実施したことに対して一定の抑止効果があったのかも知れません。
もし、アメリカと北朝鮮が戦闘状態に突入したならば、アメリカの圧倒的有利は衆目の一致するところです。
しかし、それが分からないのか、それとも分かっていても国民に対するメッセージのために強がりをみせなければならないのか、北朝鮮はアメリカを刺激し続けています。
もし、巨像に対して戦いを挑めば北朝鮮はそのまま崩壊への一本道を歩むことになります。
諺に「窮鼠(きゅうそ)猫をかむ」があります。
北朝鮮はこの諺のように巨像に対して一泡吹かそうとしているのかも知れませんが、所詮そこまでであり、致命的な事は出来ないでしょう。日韓には大きな損害が生じるかもしれません。
北朝鮮が大人しく国連安保理の決議を守ってくれれば一番いいのですが・・・。
さて、今日は「窮鼠猫をかむ」の諺について調べました。
窮鼠猫を噛むとは、絶体絶命の窮地に追い詰められれば、弱い者でも強い者に逆襲することがあるというたとえで、追い詰められたネズミが逃げ場を失ったとき、必死で猫に噛みつくことがあるということです。
この諺の出典は、「塩鉄論・詔聖(紀元前81年)」からです。
この本は漢の昭帝の時代に賢人を集めて編纂した経世実用の書で、道徳論でなく、現実に実社会で生活するための知恵がいろいろ集められています。
原文は「死すれば再びは生きず、窮鼠猫をかむ」となっていて「死にものぐるいになっている鼠は、死んだらもう生きかえることはないのだと、最後の力をふりしぼって戦う」と述べているのです。
「窮」という字は、ものごとのギリギリのところを示し、穴の最も奥のところをいいます。
一方で、「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」という諺もあります。
これは「追い詰められて行き場を失った鳥が猟師のふところのなかに飛び込んできたときは、その猟師は自分に助けを求めてきたことを哀れんで殺しはしないものだ」といっているのです。
この場合も、「窮」は逃げ場が絶たれている状態を表しています。
更に、「一寸の虫にも五分の魂」と言う諺もあります。
どんな小さな虫でも、それなりの根性があり、意地があるのだといっているのです。
弱少の集団でも、団結すれば思わぬ力を出すことがあることはもちろんですし、弱者はそれなりに生きるための手段をもっているものですから、強者の弱点をつくことがあります。
「相手を逃げ場のない所に追い込んではならない」という点については「孫子の兵法:九変篇」のなかで一つの項目として取り上げられています。
これは、逃げ道を作っておいてから攻撃すれば、味方の損害を最小限にして敵を全滅させられると教えています。
北朝鮮には韓国との統一という逃げ場が用意されています。
諺2番目の「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」を選んでもらい、大人しくアメリカの懐に飛び込んでもらいたいものです。