どうも今って最悪の時期のようですね・・・

 昨年の「暴動」からCPEをめぐるデモやストにつながる一連のフランスの危機的状況は、一向に打開の糸口が見えない感じです。
 個人的印象を言いますと、フランスの「精神的」状況がこれほど悪くなった記憶はないように思います(思えばわたしの長期留学が97−98年だったのは、ほんとにラッキーなことだったんですね・・・)。今の混乱がどういう決着を見ても、とても状況の真の解決とは言えそうもないです。
 ひょっとしたら1789年から220年ぶりの「第二次フランス革命」が必要かもしれない、という予感もするほどです。思えば1789年も、貴族や宗教界の既得権をそのままにしておいたらもう国がにっちもさっちも行かない、という切羽詰まった状況を打開しようとして始まった運動がとてつもなく急進化したものでしたね。

 国自体の状態の悪さと同時に、これほど日本がフランスを誤解したこともかつてなかったのかもしれない、と思っています。

 NHK BS 9日の『地球特派員2006』「フランス "移民暴動"とその後の試練」というのを見ていると、番組が真面目な顔をしているだけに危険な感じがするところがありました(現地取材してきた姜尚中氏が森永卓郎氏と対談する形の番組です)。

 問題は失業問題であり宗教問題ではないという解説は妥当なものでした。

 しかし暴動の主体が「移民」であり、「一般のフランス人」との対決図式が一貫して疑いない基本となっていたのが一番問題だったと思います。"移民暴動"というのは、字の上では一応カッコつきになっていますが、どう聞いても全員がシテに押し込まれて鬱屈した生活を送っている移民が「一枚岩」となって怒りを爆発させた暴動という捉え方であり、それは過去の植民地支配の負の遺産が背景にある、という説明がつくわけです。

 「シテの移民がみんな絶望しているというのは誇張し過ぎです。わたしたちはまだ絶望していません」と言ったパリ政治学院志望のアフリカ系の女の子の話こそ、もっと詳しく聞いてみたいところでした。この言葉が出てきたのは彼女がエリートの卵で「ごく限られた人」だから、という解説で片付けられてしまった感じなのですが・・・ そして、

森永「・・・自由・平等・友愛っていうのははじめから移民に対しては適応する気がなかったんじゃないかとさえわたしには思えてしまうんですけど」
姜「ぼくにもそう思えますね。それはたぶん植民地支配のときに同じフランスの国民だと言われても二流、三流の市民としてしか扱われてなかったでしょうし、で植民地以後もそういう関係は形を変えて現れてきているという気がするんですね」

とくるわけですが、これはいくらなんでも言い過ぎのようにわたしには聞こえます。
 
 森永氏のフレーズには主語がありませんでした。当然「フランスは」ということなのでしょうけど、「フランスは」って何のことでしょう? 本当は「一部のフランス人は(その一部というのが1%か99%かはおくとして)」の意味のはずなのです。しかし日本語でこの言い方をすると、日本の一般視聴者が完全に受け身に聞いていたら(白人の)フランス人が「全て」「一枚岩」になって「自由・平等・博愛」の美辞麗句とは裏腹に、汚い人種差別をやっているのだ、と受けとる可能性の方が高いと思うのです。

 そういうことではないです。
 だからこの言い方は大変ミスリーディングです。この言い方で広く誤解を広めてしまったら、フランスでたしかになかなか徹底しない、完全に機能したことはかつて一度もなかったと言える国是「自由・平等・博愛(番組では「友愛」と言ってましたがわたしはこの訳語をとります)」ではあっても、その理念を現実に生かそうと努力を重ねている人たちにたいへん失礼なことになるし、そのことを見落とすことによって現実を大きく見誤ると思うのです。

 ところで、もうNHKでは「統合」という言葉は使わないことにしたんでしょうか。二人とも integration にあたるところを全部「同化」と言っていました。まあ森永氏が一回、「インテグレーション、同化」という言い方をしたので原語が integration であるということだけはかつかつ視聴者に伝わらないこともない、と言えるのですが。この「同化」「同化主義」という言葉が日本語では曲者なのは前にも書いたことです。→同化主義

 そして最後のCPE反対デモのところで「若者」(全体)の『移民化』、つまり労働力の調整弁化という話がでてきましたが(これは確かに妥当な分析でしょう。でも自明ですよね)、それを言われると、そこまでの移民層、人種差別、植民地支配の話は話の本筋ではなかったんですか、と言いたいような気がしてしまいました。
 
コメント ( 10 ) | Trackback ( 0 )