『ペルセポリス』


 一つ前のエントリーでマンガに関してわたしが不用意なことを書きましたが、さすがに何人かの方が意見を言って下さいました。
 コメントに対するお答え、わたしの感想を申し上げる前にちょっと『ペルセポリス』のことを書いておきます。

 今年のカンヌ映画祭にはMarjane Satrapiが監督したPersepolisが参加してました。これはサトラピ氏の描いた漫画作品(↑)を、作者自らアニメ映画化したものですね。
 内容は要するにイスラム革命のころからのイランの歴史をサトラピ氏が自伝的に描いた作品、ということです。その意味で、たとえ作品としての出来がたいしたことなくても、少なくとも歴史的価値は必ずあります。

彼女の漫画はフランスのDavid B.とよく似た木版画みたいな筆致だと思ったらさもありなん、そのダヴィド・Bが序文を書いていて、フランスマンガ界のかなめL'Associationから出版されています(このアソシアシオンという存在についてはもっと詳しいことが知りたく思いながら、いまだ調査に手がついていません。どなたかお教えください。m(_ _)m )。これは池上遼一というようなものでは全然なく、少し絵心があれば誰でも描けるような雰囲気にみえます(と素人のわたしは思いますが案外難しいところがあるのかもしれません)。

 『ペルセポリス』は英訳もあるし、そこから日本語訳も作られてましたが(品切れでわたしは手に入れそこねました)、元はフランス語です。
 つまりイランの現代史を扱ったマンガがフランスやフランス語を媒介として世界に発信されたわけです。本というのは残るものなので、フランスは存在感を確保するためのネタをひとつ世界にばらまき、食い入らせた、という感じがするのです。
 それを映画化してカンヌで公開したからには、ますます世界伝播力は強力になるはずです。

 …てなことを言っていると「ああまた『フランスは○○である。しかるに日本は××である。フランスはえらい。日本はあかん』という話を聞かされるのだな」と日本のマジョリティは敬遠するだろうなあ・・・ (^_^;)

 フランスでだって、当然フランスでの売れ線のものが売れるのであって、真面目な(とみなされる)もの、インテリ向けのものというのはそう売れるものではありません。売れるはずがない。Persepolisがどの程度売れているのか、またどの程度一般読者の目に触れるところにあるのか、わたしには分かりませんが、バカスカ売れているわけでは絶対にないです。

 だからまあ、フランスだ日本だと言ったって程度問題と言えば言えるんですけど、そこになんか質というかその、少なくとも文化を使って存在感を得ようという政策に関しては年期の問題が絡んでいるような気がするんですね。

 大事なことは、日本はフランスと同じ文化政策はとれないし、取ったところでそんなに効果が上がるとも思えない、ということです。
 ただ、文化というものをネタにフランスみたいなやり方をすることは、ひとつの可能な方針なのですね。そしてこれにはフランス国民のコンセンサスがあると思います。

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